「く!」
短い呻き声がして、ナイフの感触がない、と気づく。
状況が知りたくて急いで目を開けたら、リーダー格の奴が苦悶の表情で右手を胸に抱いている。
何が、起きたんだ?
顔を巡らすと、知らない奴がすぐ近くに立っていた。
下から見上げているせいで逆光に目が眩み、その顔を見ることは叶わなかったが、その手に長刀を下げているのはすぐに分かった。
俺の顔の近くにあった、その切っ先が煌めいたと思ったら、彼は黙ったまま、主犯の鼻先にぴたりとそれを突きつける。
「…ひっ!」
やっぱり小物だったらしいリーダー格の男は、そんな情けない声をもらすと、一目散に逃げ出した。
当然、後の二人もこの状況に困惑し、すぐに後を追うように走り去ってしまう。
唐突に、大ピンチから解放され、俺は茫然としながらも、身体を起こして地面に座り込んだ。
「はああ…。」
強張っていた身体から力が抜け、腹の底から、大きく息を吐きだす。
目はなんとか無事だったらしく、圧された違和感はあるものの、痛みはない。
目の前がちゃんと見えていることにも安堵し、やっと難を逃れたんだと実感できた。
…何か、どっと疲れた。
一体、何なんだ、今日に限って。
あまりの疲労感に、がっくりと首を垂らしていたが、すぐに命の恩人にまだ何も言っていないと気づいて、慌ててその人物を見上げる。
目が点になった。
こんなに顔立ちの整った男、初めて見た。
間近に立つ彼の姿に、知らず目を奪われる。
歳はさっきの奴らと変わらないくらい。
形のいい眉を軽く寄せ、全てを睨みつけるような眼で、俺を見下ろしている。
引き締まった口元といい、なんだか怒ってるみたいだけど、多分、これが普段の顔なんだろうな。
表情の割に、纏っているのは殺気じゃあない。戦士として、最低限の緊張感を巡らせているだけ。いや、ちょっとだけ、ぴりぴりし過ぎかも。
少し長いくらいの、明るい茶色の髪が、ちっとも軽薄に見えない。
剣を手にして立っているが、それを誇示するような浮ついた様子はなく、不思議と落ち着いた雰囲気を纏っている。
精悍さと凛々しさがあいまった、美しいほど真っ直ぐな彼の立ち姿。
無駄なものは何も見当たらない。さっきの奴らとは、全然違う。
身体つきだって、そうだ。
なんでもない薄手の白いシャツの上からでも、綺麗な筋肉のつき方をしているのが俺にだって分かるくらい、細身でバランスがいい。
鍛え上げているからこそ、長身に見合った身体の在り方なんだろう。
それに、手に下げているあの剣。刃に差した光りが、細かな輝きとなって散るその様からして、恐らくソウルメタル製。
それをこれだけ自在に扱えるということは、奴の精神力だって相当な代物のはずだ。
想像以上に高度な鍛練を日々こなしていないと、こうはならない、んじゃないかな。
こいつ、まだガキの部類だってのに、もうこんなに魔戒騎士じゃねえか。
なんか、腹立つ。
そして、ちょっとだけ羨ましい。
そんな、複雑にささくれた胸の内はさておき、俺は立ち上がるよりも早く、礼を言おうと口を開いたのだが、声をかけるよりも先に、そいつはいきなり驚愕の表情でのけ反った。
姿勢を崩し、かろうじて膝を着きそうになったのを踏み止まると、憎らしそうに背後へ振り向く。
「え?…ええ?!」
今、目の前で何が起こったのか全て目撃していたにも関わらず、俺は目を丸くしたまま、動けない。
それほど、この状況は奇々怪々としていた。
恩人を背後から切りつけたのは、恩人と瓜二つの人物。
双子とかいう、そんなレベルじゃない。髪型や服装までそっくりだなんて、現実的じゃない。
直感的に、どちらかが人ではないと理解する。
そうでない方が不自然なくらいだ。
二人目の恩人は、へたり込んでいる俺を見つけるなり、やはり鋭い眼差しで俺を射抜き、
「何をしている!早く逃げろ!死にたいのか!」
そう叫ぶなり、自身の顔の横で剣を構える。
剣先を相手に突きつける、隙のない剛直な構え。
敵を睨む彼の目には、戦士特有の強靭な闘志と、敵に対する並々ならぬ殺意が揺らめいて見える。
俺は瞬時に、二人目の方を本物と認め、彼の言う通り、よろめきながらも立ち上がると、この場から逃げ出そうとした。この場に背を向け、今いる小路から抜け出せば、さっきの石畳の道に戻れる。そして、道寺の向かった建物に駆け込めば、少なくとも俺は、命の危険から脱せるはずだ。
だが。
いいのか、それで。
このまま、ホラーとあいつを残し、すたこら逃げて、俺は本当に後悔しないだろうか。
理屈では、すぐに逃げることが結果的にはあいつの為にもなると解っているのに、感情がそれを拒む。
そんな自分も悔しくて、結局俺は顔を歪ませ、さっきと同じように立ち尽くすばかり。
何とかしたいという焦燥と葛藤に身悶えし、自棄になりそうになった時、小さな舌打ちが聞こえたと思ったら、次の瞬間、二人目の恩人の背中が俺の前にあった。
びっくりしている俺に構うことなく、若き魔戒騎士は、自身そっくりのものを睨みながら、
「ホラーの分際で、この俺の影を写すとは、……おのれ、忌々しい!」
一人目の恩人は、二人目のその台詞に、にやりと笑うと、瞬く間に、全く違う姿になった。
黒い小鬼のような、醜い姿。
これが、ホラー…。
道寺から少しは話に聞いていたけど、見るのは初めてだ。
二人目の恩人は、俺を背中で庇う様に立つと、押し殺した小声で、
「早く、逃げろ。」
その声にわずかな焦りを感じ、俺は急に不安になる。
見上げたまま動かない俺に、彼はちらりと視線を走らせ、
「俺では、止どめはさせない。人を呼んで、っ!」
彼の視線が逸れた瞬間、隙を狙っていたホラーがこちらに跳躍してきた。
予想通りと言わんばかりに、彼は伸びてきた奴の鉤爪を斬撃で弾く。
鋭く切り返し、彼は、おおお、と低く唸りながら、ホラーの懐に身体ごとぶつかっていった。
押し返すように突進していく彼の背中を見て、俺は気づく。
こいつ、俺からホラーを引き離したくて、あんな無茶な接近戦をしかけやがったな。
まだ魔法衣もない、魔戒騎士未満のくせに。
返り血を一滴でも浴びたら、取り返しがつかないことになるくらい、知ってるはずなのに。
くそ!
俺に力があれば、あいつだけに戦わせたりしないのに。
でも、できることはある。
さっきの三人に虐められたダメージがまだ残っていて、足元が少しふらつくが、そんなもんは無視だ。
早く、早く誰か呼ばなくちゃ。
そう思って、今いる路地から、元の道に戻ろうと向き直った瞬間。
傍らを、黒い風が一陣、吹き抜けた。
風の行方を見定めるように首を捻れば、見慣れた黒いコートの背中が、恩人の前に立っていた。
道寺!
心に広がるのは、これでもう誰も死ぬことはないという安堵感と、一抹の不安。
俺は食い入るように、道寺を見つめる。
一方、突如として目の前に立ちはだかった黒い背中に、若者はぎくりと動きを止めた。
双方の間に割り込んだ際、二振りの小太刀でホラーの攻撃を受けていた道寺は、一気に刀を振り切ってホラーを吹き飛ばす。
それだけで、垣根を削りながら数メートル程後退したホラーを見据えたまま、道寺は振り向くこともせず、
「ここは、任せられよ。」
道寺の姿を一瞥して、おおよそを理解できたらしい彼は、小さく頷くと、素早く構えを解き、後ろへ下がった。
その間も、道寺はホラーから目を離すことなく、素早く、右手の小太刀を左の袖口へ差すと、懐から魔導具を取り出す。
あれは、魔導火を灯すための魔道具。
触らせてもらったことはまだないが、指令書を開封する際に使っているを何度か見たことがある。
有機的に禍々しい意匠のデザインが施されていて、普通に瞬きくらいしそうなほどリアルな眼の造形が側面についている。初めて見た時には、もうシルヴァを知っていたから、こいつも喋るんじゃないかと冷や冷やしたっけ。
道寺は魔導具を握ると、指で蓋に当たる部分をはね上げた。
かちん、という金属音が響き、蓋の下から現れたホイール・フリントを、左刃の柄に近い部分に振り下ろし、軽く打ち付ける。
再び、かちん、という鋭い音がし、左刃に淡い蒼の小さな種火が灯ったと思ったら、刃の上を撫でるように走って、剣先で止まった。
すばやく、右手を軽く振り上げ、魔導具に蓋をすると懐に戻し、その手で左と同様、右の小太刀を順手に握る。
ホラーを睨みながらも、ゆっくりとした油断ない動きで、道寺は互いの刃を擦らせるようにして小太刀を抜き直し、最後、その切っ先同士を小さく打ち合わせた。
キン、という冷たい金属音が美しく響いた途端、双剣の刀身にふわりと蒼炎が広がる。
揺らめく魔導火に包まれた一対の白銀の刃を、しかし、道寺は構えるのではなく、静かに脇に下げる。
魔を打ち消す炎の剣を手にしていながらも動こうとしない彼を、臆したと見なしたのか、それまで様子を窺うばかりだったホラーが、突如飛び出した。
「ガアア!」
低い獣のような唸り声と共に、黒く鋭利な爪を剝き出しにして、ただ佇むばかりの道寺に襲い掛かる。
ごつごつとした真っ黒い溶岩石のような肌をした両手が、あと一歩で道寺に届くという距離で、蒼炎が輝いた。
右と左に、炎で描かれた弧が浮かび上がる。
「ガアッ!」
びくりと止まったホラーの足元に、ばらばらっと黒いものが落ちる。
それは、何本ものホラーの指先だった。だが、瞬く間に魔導火に包まれ、黒い塵となって跡形もなく消えた。
奴の両手を振り払うように、双剣は右と左、それぞれ半円を描き、それが消えるよりも早く剣は切り返され、二振りの小太刀はホラーの急所を横一文字に外側から切り裂く。
一方は、喉を。
一方は、両眼を。
「グガッ!」
斬りつけられた箇所からは、すぐさま魔導火が噴き出した。
魔導火は、浄化の炎。魔の塊りであるホラーに少しでも触れれば、その魔に反応して燃え盛る。
そんな蒼炎に視界を奪われ、顔を押さえて身をよじるばかりの小鬼へ、道寺は構わず双剣を振るい続ける。
力む素振りもなく、道寺は急所狙いの短い斬撃を間髪なく繰り出し、ホラーの全身を切り裂いてゆく。
無駄のない、正確な、高速の斬撃。
道寺はそれを、間髪なく繰り出し続ける。
ホラーの方も、斬撃の方向から、懸命に反撃しようと腕を振り回すが、そんな攻撃が道寺に通じる訳もなく、逆に、隙が生じて反撃の的にされてしまう始末だ。
やっぱり、道寺は凄い。
まだ一撃も食らっちゃいない。
ホラーの動きが全部見えているかのように、最小限の身のこなしで、ずっと攻撃し続けている。
流麗な連撃は無駄がないがために、ますます速くなっていき、今はもう、眼で追うのもやっと。
そのせいで、剣に宿る蒼い炎の輝きが、昼間の陽射しに溶けて、双剣もホラーも、まるで陽炎に揺らめいているようにしか見えない。
道寺は、ホラーを絶えず切り刻み続けることで、奴の動きを封じ、そのまま奴の背後へと回り込もうとする。
無残なほど一方的な展開で、小鬼は何もできないまま、みるみるうちに蒼い陽炎に飲み込まれていった。
間もなく、ホラーは確実に封滅される。
そう思ったのもつかの間、不意に、下を向いていた奴の顔から、眼を押さえていた手が離れた。
黒く醜い顔が俺の方へ向けられ、その口元が歪んで開く。
眼を背けたくなるほど禍々しく尖った、何本もの乱杭歯が見え、俺は瞬時に悟る。
こいつ、俺を食う気だ。
切り裂かれたはずのホラーの白い眼につかまった気がして、思わずのけ反ってしまう。
しかしその時、白いシャツの背中が俺のすぐ前に立った。
ホラーに向かって剣を構え、俺を背中に隠す。
う、…嬉しい、けど、……、くそ、やっぱり悔しい!
叫び出したいくらい、己の無力さがもどかしくて、俺は諸悪の根源であるホラーを睨みつける。
その時だった。
弱ったホラーの浅知恵など、道寺には最初から承知の上だったのだろう。
小鬼が俺に意識を向けた、次の瞬間、道寺は羽の生えた小鬼の背中に、小太刀を二振りとも、深々と突き立てた。
「グガアアア!」
耳にすれば恐怖に身が凍てつく、呪わしい振動のような咆哮。
道寺は小太刀を引き抜きながら、ホラーから飛び退く。
と同時に、双剣から放たれた二筋の炎が、奴の首を刎ねた。
身体の奥深くにまで穿たれた魔導火が、奴の身体を内側から焼き尽くしたのは、その直後。
鎧を召喚することなく、手練れの魔戒騎士はホラーを封滅してしまう。
初めてみる、魔戒騎士とホラーとの闘いに、俺は茫然とするばかり。
まだ理解の追いつかない俺の傍らで、道寺はゆっくりと若者に歩み寄り、礼儀正しく頭を下げる。
「彼の者は、未熟この上ない、私の息子。助けて頂き、感謝の言葉も御座いません。」
「いえ、私は、…」
道寺の丁寧な感謝の言葉に、剣を下げた若者はうろたえているようだった。
力ない眼差しを伏せ、言葉を澱ませる彼を、道寺はしばし眺めていたが、感情の薄い静かな口調で、
「貴殿の剣は、誰よりも高みを極めんとする剣とお見受け致した。どうか、…焦られますな。」
道寺の言葉に、彼はすぐさま振り向いて、何か言おうとしたようだったが、結局、視線を逸らし、拳を握りしめて立ち尽くしてしまう。
そんな彼の様子に、道寺はぽつりと、
「貴殿が、羨ましい。」
弾かれたように、若者は顔を上げる。
険しい表情のまま、眉を寄せ、鋭く道寺を見据えるが、道寺は彼の眼差しを受けながらも、さらりと、
「焦りも、迷いも、いずれ剣の輝きとなりましょう。」
その台詞に、若者がずっと纏っていたひりひりするような緊張感が、ふわりと凪いだ。
彼は小さく息を吐き、わずかに肩を下げる。
俺はそんな彼の、表情の変化に目を丸くしていた。
ずっとこんな顔してれば、きっとモテモテだろうに。
そんな二人の元へ、ようやく、事の次第を知っているらしい魔戒法師が二、三名駆け寄ってきた。
道寺と若者は、互いにちらりと目配せすると、小さく頭を下げ合う。
そして、毅然とした面差しに戻り、道寺はすぐさま魔戒法師の方へ、若者はその逆方向へと、思い思いにその場を離れる。
そんな彼らに習って、俺も魔戒騎士見習いの後姿にきちんと頭を下げてから、道寺の後を追った。
あはは。
二次創作だからこそできる、好き勝手の嵐。
まさかのゲスト出演。
自分もびっくり。