peaceful days   作:楡野 透

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第11話

 雪が降っている。

 俺はただ前だけを睨んで歩く。

 夜の闇と、雪の白しかない世界。

 風もなく、音もない。

 俺はずんずんと進む。

 灯りは持たないで来た。

 雪の白さでぼんやりと明るいから、必要ないだろうと思った。

 だんだんと、身体から熱が奪われる。

 気持ちよかったのは、ほんの一時。すぐに寒さに身体が強ばり始める。

 上着も着て来なかったんだから、当たり前だよな。

 手足から少しずつ感覚が失われていく。

 それでも、俺は歩き続ける。

 はらはらと降り続く、白い氷のかけら。

 ちょっとずつ、俺にも積もり始めている。

 でも、気にしない。

 気にならない。

 俺は、冷えたかった。

 冷えて、冷たくなって、自分の胸の内も凍りつかせてやりたかった。

 

 

 

 元老院から帰る魔戒道の中、俺たちしかいないこの空間に踏み込むなり、俺は道寺の背中に尋ねた。

「父さん、あいつらのこと、最初から気がついてたよね?」

 目の前で道寺がホラーを封滅した直後、俺はちょっとした興奮状態にあった。ホラーを見たのも初めてだったし、道寺が封滅するところを見たのも初めてだったから。

だが、それもほんの一時だけ。

 その後、駆け付けた魔戒法師達と道寺が何やら話し込み、なかなか終わらないでいるのを傍らでぽつんと待っているうちに、その前に降りかかった、あの理不尽な出来事の記憶と感情がゆっくりと戻ってきて、道寺の勝利の余韻など、どこかへ押し流されてしまった。

 ひとつおかしいと思うと、疑惑は数珠つなぎに生まれてきて、すぐにでも道寺に質さずにはいられなくなっていた。

 声は道寺に届いているはずなのに、彼の背中はいつも通り、俺の少し前を行くだけ。

 いつの間にか、俺はそれにすら苛立っていた。

 道寺の無言は、肯定。

 わからなくて、さらに叫ぶ。

「歳上の奴ら、三人に絡まれたんだぞ!押さえつけられて、…目を切り裂かれそうになった!…滅茶苦茶、怖かったんだぞ!」

 どうして、という疑念が胸の中で沸き上がって止まらない。

 理性では、きっと道寺には彼なりの思惑があったんだろう、と思えているのに、頭の中が熱い赤に染まってしまって、一向に冷めず、ますます猛る。

 だが、道寺は振り向かない。

 高ぶる感情をうまくいなすことも、逃がすこともできず、あまりの苦しさに、立ち止まって俯く。しかし、押さえようとしている感情はますます膨らみ、今にも爆発しそうになって、俺は力まかせに拳を握り込む。

 けれど、道寺は振り返りもしないで先へと進んで行く。

 それが答えだと、思いたくなかった。

 そんな答え、くそくらえだ。

「父さんは、何を望んでたんだよ?!…俺って、一体、何なんだよ?!」

 叫んだ瞬間、自分が何を望んでいたのかがはっきりと解り、もう、破れかぶれに泣きたくなった。

 自分に失望する。

 なら、もう失望されてる、きっと。

 悔しくて、目の前が涙で揺らぐ。

 何故、自分がこんな目に合わなくちゃならない?

 俺は何も悪くない。

 悪くないのに。

 悪いのは、あいつらなのに。

 八つ当たりだと分かっていながらも、苛立ちの矛先をあいつらに向ける。

「あいつら、ほっとくのか!それでいい、って本当に思ってんのかよ?!」

 狭い魔戒道の中、俺の声は必要以上に響き渡る。

 道寺の背中がひたり、と止まった。

「!」

 まさか、本当に止まるとは思っていなくて、俺は道寺を凝視する。

「あの者たちのことは、然るべきところへ任せた。」

 振り返りもせずそう告げて、彼はまた歩き出す。

 俺は呆気にとられた。

 それだけ?

 マジで、そんだけ?

 あんなことされて、それだけで納得しろと?

 年下のガキひとり相手だぞ?

 三人がかりだったんだぞ?

 卑劣にも程があるだろ?

 それとも、あれが、…あんなひどいことが、当たり前だっていうのか?

 魔戒騎士が生きる、『闇』の世界では。

 俺は、何も知らないまま、そんな世界に足を踏み込んじまったってことなのか?

 絶狼の輝きに魅せられただけで頑張ろうとしちまった、俺がバカだったってのか?

 ずんずんと離れて行こうとする黒い背中を追いながら、必死に問いかける。

「あんな、…あんな卑怯な奴らでも、魔戒騎士の見習いになれるのか?」

 返事はない。

 苛立ちを煽られ、俺はさらに声を張り、

「あいつら、変に手慣れてた。きっと、これが初めてじゃないんだ。あんなひどいこと、何度も繰り返せるなんて、人じゃない!」

 やはり、道寺は何も言わない。

 何も、…何も、だ。

 悔しくて腹立ちまぎれに、

「あんな奴ら、……あのまま、ホラーに喰われてしまえばよかったんだ!」

 自棄になって叫んだら、次の瞬間、道寺に襟元を掴まれていた。

 右手一本で吊り上げられ、俺は驚きに目を見開いたまま、道寺を見上げる。

 彼は眉間に皺を寄せ、鋭い目をさらに尖らせて、低すぎる声で言い放つ。

「人の死を望むなど、魔戒騎士にあるまじきこと。人としても愚劣極まりない。違うか?」

 どんなに眼光を鋭くさせても、灰色がかったその瞳だけは、いつも穏やかに凪いでいた。

 しかし今、その瞳が強い光を宿し、俺を貫かんばかりに見据えている。

 本気で、怒らせてしまった。

 言い過ぎた、という自覚はあった。いくら自棄とはいえ、言っていいこととそうでないことくらい、解っているつもりだったのに。

 ごめんなさい。

 謝罪の言葉は、喉まで出かかっていたのに、意地で噛み潰した。

 自分の目にナイフの刃がぴたりとあてがわれた、あの恐ろしい冷たさが脳裏に甦る。

 思い出して、恐怖にぞくと背中が震えた。

 あんなことができる奴らは、人間じゃない。

 人だなんて、認めない。

 俺や静香、道寺と同じだなんて、絶対に思えない。

 必死になって、俺は道寺を睨み返す。

 だが、道寺はふいに吊り上げていた手を緩め、俺を解放した。

 地に足が着いたものの、俺は眉をひそめ、困惑の眼差しで道寺を見つめる。

 彼は俺を一瞥すると、足首より長いコートの裾を軽やかに捌き、再び城へと歩き出す。

「な、…、父さん!」

 なんだか、俺から逃げているようにも思えてきて、悲鳴のように叫んだ。

 再度、道寺の足が止まる。

 彼は首を捻るようにして、

「魔戒騎士とは、守りし者。例え、背中に庇った人々に殺されようとも、人を守れ。」

 そう告げた道寺の眼は、肩越しであっても、鋭く、まっすぐ、俺を射抜いた。

 俺は雷にでも撃たれたみたいに動けない。

 暗い魔戒道の闇に溶けていく道寺の背中を、俺はぼんやりと眺めていた。

 

 

 

 俺は振り切りたくて、駆け出す。

 雪は靴よりも高く積もっていて、俺の邪魔をする。

 靴もズボンも、次第に雪に濡れて重たくなり、べしゃべしゃと気持ち悪い。

 それでも、無理矢理走る。

 美しくなめらかな雪原を、ざばざばと蹴散らす。

 一度振り返ったら、俺の歩いた通りに、雪ががしゃがしゃと崩れていて、何だか笑えた。

 少しだけ楽しくなって、また、前進する。

 ………。

 このまま、どこまで進めるだろう。

 痛みを通り越して、手足の感覚はもうない。肘や膝も勝手に震えて、うまく動かない。顔で溶けた雪が冷えて、また氷り始めている気がする。まだ何とか熱が残っているのは、もう胸や腹くらいか…。

 それでも、先へ進もうとする俺って、一体何なんだ?

 先には、……何もないのに。

 ……。

 とうとう、足が止まった。

 前を眺める。

 闇も、雪も、とても綺麗だ。

 俺にはちっとも優しくないけど。

 ………。

 どうして助けてくれなかったんだろう。

 あのまま、目を切り裂かれていたら、今頃、どうなっていただろう。

 どうして俺は、そんなことを考えているんだろう。

 俺は、……秘かに、望んでいた。

 道寺に。

 認めて欲しかった。

 助けて欲しかった。

 だけど、俺の代わりは、いくらでもいる。

 わかってる、つもりだったのに。

 今日の出来事は、それをこれでもかと突き付けてきた。

 無関心な、道寺の背中。

 いつまでも、俺に近づくことを許さない、彼の背中。

 わかっていても、それは悲しいことに違いなくて、…そんな自分にがっかりした。

 自分をそんな奴だと思ってなかった。

 全然、平気。

 気にしてない。

 そう思って、いたかったのに。

 自分をそんな弱い奴だと、思いたくなかった。

 でも、弱い、奴だったんだ…。

 弱くちゃ駄目なのに。

 俺は強くなくちゃ駄目なのに。

「魔戒騎士とは、守りし者。例え、背中に庇った人々に殺されようとも、人を守れ。」

 背中に庇った人々に殺されても、か…。

 逆を言えば、自分を殺しにかかるような奴らでも、背中で庇え、ってことだよな…。

 道寺は俺にそれを求めている。

 だけど、今の俺には、多分、できない。

 俺に関心のない道寺に、腹を立て、悔しがり、悲しむような俺には…。

 俺を襲ったあいつらを、死ねばよかった、と呪った俺には…。

 ……。

 ……、もう、戻らなくちゃ。

 戻るべきだとわかってるんだけど。

 ……、帰り方がわからない。

 あそこへ、昨日までいたあの場所へ、どうしたら帰れるのか、わからない。

 あの背中も、どうやって追いかけたらいいか、わからなくなった。

 それなのに、このまま戻ったところで、俺に何ができる?

 何を目指せる?

 ………。

 そんな自分に、これ以上失望して欲しくないし、そんなの、見たくない。

 この雪の上に倒れてしまえば楽なのに、何故か、それもできないでいる。

 ……、まだ、立っていられる。

 空を見上げたら、雪が黒く見えて、びっくりした。

 全然、綺麗じゃないんだ…。

 目の前には不思議な光景。

 深い灰色の雲が一面に広がり、無数の黒い雪が、まるで灰のように、はらはらと降り散る。

 嫌いじゃない、こんな風景。

 顎を引き、立ったまま、瞼を閉じる。

 こんな感覚も、悪くない。

 ……、悪くない。

 

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