peaceful days   作:楡野 透

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第14話

「銀牙っ!銀牙っ!、しっかりして!」

 ひどく焦っている、悲鳴のような静香の声で、我に返る。

 途端に、頭と背中に、衝撃の余韻が痛みとなって響いた。

「痛ゥ…。」

 思わず呻くと、静香の心配そうな顔が覗き込んできた。

「大丈夫?どこ?どこが痛いの?怪我しちゃった?」

 もう泣き顔になっている静香が見えて、俺は内心、渋い顔だ。

 ま、ずーい。

 うっかり呻いちゃった。

 俺は身体を捻るようにして起き上がる。

「あー、びっくりしたぁ。」

「銀牙!」

 安心したように笑う静香に、俺は目をぱちくりさせながら、

「俺、気、失ってた?」

「…ううん。でも、苦しそうに唸って、なかなか起きなかったから。…本当に、大丈夫?痛いところない?」

 静香はまた痛ましげな顔になって、俺のあちこちをきょろきょろと見回す。

 身体の下側になったところが痛むのは仕方ない。後は、…意外と大丈夫みたいだ。

 そう思って頭に手をやったら、

「わ!痛ェ。」

「え?」

 衝撃的な痛みに、おそるおそるもう一度頭を撫でてみる。

「……、うっわ、たんこぶ、……マジかよぉ。」

 頭の後ろに、ぽこっと腫れて膨らんだところがある。

 あまりに情けない名誉の負傷にがっかりしていると、静香の手が同じところを優しく辿ってくれた。

「本当、…腫れてる…。」

 ひんやりとした彼女の手が心地よい。

 すると、静香は大真面目な顔で、ちちんぷいぷい、と唱え始める。

 え……、マジ?

 反射的に、きょろきょろと周りを見て、誰もいないことに安堵する俺。

 さすがに、ちょっと恥ずかしい。

「…、痛いの、飛んでった?」

 おまじないを唱えてから、静香はまた心配そうに尋ねて来る。

 ……やっぱり、マジか。

 気持ちは嬉しいけど、俺はもうたんこぶから離れたい。

 おまじないのお返しに、彼女の髪をそっと撫でながら、にっこりと笑う。

「もう、平気。静香の方は?どこも怪我してない?」

「うん。私、思いきり、銀牙の上に乗っかっちゃったみたい…。本当に、ごめんね。」

 しょぼん、としおれる静香を見て、俺は笑う。

「ふふ、よかった、静香が無事で。まさか、あのタイミングで蜂がくるとは思わなかった。」

 すると、急に静香は青くなって、辺りを見回す。

「そうよ!蜂!…もういないわよね?…すっごく、怖かったんだから!」

 俺も一応耳をすませてみる。

 あの独特な羽音は、もう聞こえてこない。

「助かったみたいだね。」

 立ち上がりながらそう言い、地面に転がったままだった袋に歩み寄る。

 拾い上げて振り向けば、静香は立ちあがって俺を待ってくれていた。

 静香のそういうところ、大好き。

 ようやくにして、俺達は並んで、待望の花畑に足を踏み入れることができた。

 静香は最初、花を踏むのをためらっていたが、すぐに諦めた。

 花の密集した箇所が多過ぎて、避けようがないと観念したらしく、悩んだ末、彼女は爪先で歩くことで妥協したらしい。

 俺は一足先に、花畑の真ん中にたどり着くと、敷物を広げ、どかりと座った。

「静香も、一度座ろう。」

 呼ばれた彼女も、まもなく俺の隣に腰を下ろす。

 俺達は本当に花に囲まれていた。

 白、黄色、オレンジ、赤、紫、青…、それと、様々な緑色。

 溢れんばかりの陽射しを受けているせいか、あまり大きくない花達なのに、緑の葉に負けないくらい鮮やかに咲き乱れ、明るく輝いて見える。

「静香、右手。」

 袋から水筒を取り出しながらそう言うと、静香は困った顔で、

「え…」

「手。出して。」

 わざとちょっと怖い顔でそう迫ると、彼女はおずおずと手を出した。

「!、……静香!」

 俺も油断していた。

 出発する時は丁度良かった長袖も、途中から暑いくらいになっていて、彼女がいつの間にか袖を捲り上げていたことに、気づかないでいた。

 そして、さっきのダイブ。

 俺の首に抱きついたまではよかったけど、背中にまでまわった彼女の右手は、俺の下側になってしまったらしい。

 見れば、手の甲から肘の方までの広い範囲に、擦り傷を負ってしまっていた。

 傷はひどく、赤く腫れ上がり、熱を持ち始めている。特に傷が深い箇所からは、血が滲んでひと筋流れていた。

 変に右手を隠すから、怪我だろうとは思っていたけど、まさかこんなにひどいなんて……。

「……、ごめんなさい。」

 しょんぼりと謝る静香に、俺は怒ろうとした気持ちを引っ込める。

「とにかく、傷を洗おう。」

 水筒の水で傷を洗うが、やはりしみるらしく、静香は泣きそうな顔で口を固く閉じたまま、しばし動かなくなった。

 後は、まだ使わないでいたタオルで傷口を軽く押さえ、

「このまま、触らないで。」

「うん。」

 頷いてから、静香はおそるおそる自分の擦り傷を眺める。

 多分、さっきまで怖くて見られなかったのだろう。

「ごめん、静香。…俺、大丈夫、って言ったのに、こんなひどい怪我させちゃうなんて。」

 あまりの申し訳なさに、俺はうなだれて謝罪する。

 彼女の痛々しい傷は、正直、ショックだった。

 さっきまでの楽しさなんか、全部吹っ飛んで、来なければよかった、とか、こんなこと思いつかなければよかった、とか、今すぐ帰ってちゃんと手当てしなくちゃ、とか、とにかく、俺はなんてバカなんだ、って思いが膨らみまくって泣きそうになる。

 今日だって、結局、静香に怖い思いをさせたり、痛い思いをさせている。

 どうしてこうも、うまくいかないんだろう。

 悔しくて、痛いほど爪を握り込む。

 くそ…。

 周りの花達すら、憎々しい…。

 こいつらがこんなにたくさん、綺麗に咲いてたりしなかったら、ここまでひどいことに だってならなかったのに。

 理屈にすらなっていない怒りを、あとどこへ向けたらいいか探していると、ふと、何かが髪に触れた気がした。

 くるっと静香に振り向けば、彼女は傷のない左手で、俺の頭を撫でていた。

 する、する、と静香の手が俺の髪を撫で下ろす。

 優しい微笑みを浮かべて。

「私は、怪我したのが銀牙じゃなくて、よかった、って思ってるわ。」

 彼女は俺の髪から手を離すと、さらににっこりと笑って、

「私ね、いっつも銀牙に何かして、もらってる気がするの。

 笑ってもらって、話してもらって、時にはこうして、連れ出してもらって、…、ずっと、もらってばっかり。

 お返ししたいのに、何も思いつかなくて。

 私が怪我をして、それで銀牙が助かったのなら、私、ちょっと嬉し…。」

「嫌だ!!」

 思わず遮る。

「…銀牙?」

 いきなり鋭く否定されて、静香は目を丸くし俺を見つめる。

 彼女のびっくりした顔に、

「俺はそんなの嫌だ!静香に怪我させるくらいなら、こんなところ、二度と来ない!」

 俺の強い言葉に、静香はきゅっと口元を強ばらせる。

 言わずには、いられなかった。

 そんな風に思われているなんて、俺には耐えられなくて、そのままの勢いで、ただ視線だけは足元の花達に逃がしながら、

「俺は自由に、いつだって、どこにでも行ける。

 でも、静香は違うだろ。

 俺は静香に、もっといろんなこと、見たり聞いたりしてもらって、もっと楽しい思いをいっぱいして欲しかったのに。

 なのに、こんな怪我させてちゃ、意味がないよ!」

 静香の生活を見ていると、本当に切ない気持ちになる。

 毎日毎日、城の中にいて、ほとんど変化がない日々を、ただただ繰り返している。

 まるで、温室の鉢植えの花みたいだ。

 まだ花ならいい。

 何も考えたり、感じたりしないから。

 だけど、静香なんだ。

 心があるんだ。

 俺なら、とっくに気がおかしくなってる。

 道寺だって、本当はこのままでいいとは思ってない。それも最近、わかってきた。

 何とかしたかったんだ。

 自分に何かできないか、ずっと考えていた。

 だけど、こんなことになるなんて。

 俺はやっぱり、バカなガキのままだ。

「ありがとう、銀牙。すごく、嬉しい。」

 静香はそっと言った。

 あんまり優しい言い方だったから、俺は驚く。

 振り向けば、彼女の瞳が揺らめいて見えた気がして、思わず目が釘付けになってしまう。

「私のこと、すごく真面目に、心配してくれてるのね。」

 彼女はそこで一度、息をし直した。

 彼女の動作ひとつひとつに、白い帽子が揺らめく。

「銀牙が心配していることは、何となくわかるわ。

 私が城に閉じ込められて、息がつまってるんじゃないか、ってことでしょ?」

 静香の楽しそうな口振りに、俺は不意に確信が持てなくなる。

「そう、だけど、…違うの?」

 すると、彼女は満面の笑みを向けてきて、

「うふふ、…違うわ。」

「ええっ?」

 呆気にとられている俺に微笑み、静香は手の届くところに咲いていた薄紫のデイジーに眼を落とすと、それを指先で優しく撫でながら、

「それは、銀牙がくる前の私。あの頃は、ずっと寂しくて、楽しいことなんて、ひとつもなかった。本当に毎日が檻の中に思えていたわ。………だけど、今は、全然。」

 楽しさがこらえきれない様子で、静香は俺に振り向き、笑いかける。

「うふふ、……銀牙が来てくれて、何もかもが変わったわ。……、私が思っていたより、ずっとよ。

 何より、私が変わったの。

 ひとりじゃない、ってだけで、私ってこんなに変われるんだ、ってびっくりしてる。」

「静香が、変わったの?」

 確かめるように繰り返すと、静香は眼差しを伏せ、自分の身体を正面へ向け直した。

 そして、改めて元気な声でもって、

「うん。私、……お父様と、お話しできるようになったもの。」

「?、前は話せなかったの?」

 俺の問いに、彼女は再び、うん、と小さく頷いてから、今度はもう少し落ち着いた声色で、

「優しくして下さるのよ、とても。

 でも、何も言えなかった。

 なんだか、何を言っても、私の我が儘な気がして。

 そうして、何でも諦めるようになったら、私から話しかけることなんて、なくなっちゃった。」

 うつ向き加減になると、静香の表情は帽子の広いつばに隠れてしまう。

 俺は身動ぎもせず、ただ黙って彼女を待った。

 話す声がわずかに沈んで聞こえたのは、きっと静香も、本当はそんなことを望んでいた訳ではなかったからだろう。

 二人は側で見ていて、うまく噛み合ってない印象はあっても、互いに嫌っている風には見えなかった。

 ふわっ、と帽子が空を仰ぎ、静香はまた元気な声になって、

「だけど、銀牙が来てからは、私、お父様にたくさんお願いするようになったわ。

 あの時もそうよ。誕生日の時だって。」

「ああ、あの時か。」

 そう言われて、思い出す。

 

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