peaceful days   作:楡野 透

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第15話

 あれは確か、この城に来て、初めての静香の誕生日。

 細かい花柄のワンピースを着た彼女は、いつもよりちょっとだけおめかしをしていて、何事だ?、と首をかしげていると、

「静香、今日は誕生日だったな。」

 道寺から、可愛らしい花束と幾つかのプレゼントを受け取った静香は、ご満悦そのものだった。

 薔薇やガーベラ、百合といった様々なピンク色の花を集めた花束を贈られた静香は、満面の笑みでそれを受け取り、花束にぽすっと顔を埋めて、ひとしきり満喫した。

 蝶々だって、そんなに喜ばないんじゃないか、と思うくらい、嬉しさに笑顔を輝かせていたが、突然、我に返ったような顔で俺に振り向き、

「そう言えば、銀牙の誕生日はいつなの?」

 俺はその時、彼女が自分で結ったらしい髪型がどうして気になって、コームとワインレッドのリボンを借りて、結い直してあげているところだった。

 大きな鏡の前に椅子を置き、花束を持ったまま、彼女に座ってもらっている。

 飾りのついたゴムで結んであったのだが、彼女の髪は癖がひどく、猫の毛のように細いせいで、あまり整った形にならない。

 仕方がないので、俺は耳の上辺りの髪を少しまとめて、リボンで結んでみた。

 明るい色の髪に、上品な赤いリボンはよく映えて、癖毛も少しは落ち着いて見える。

 小さな白い耳がちゃんと見える方が、静香は可愛い、と俺は勝手に思う。

「どうかな?」

 俺は目の前の鏡を指差す。

 再び前を向き、鏡を覗いた静香は、びっくりした顔になり、口元を花束で隠すようにして、

「銀牙、…上手ね。どうして、できるの?」

「静香の絵本に出てくる女の子が、こんな風にしてたよ。」

 緩やかに笑って、片付けに行こうとしたのに、

「駄目!誕生日は?いつ?」

 そう言って、静香は椅子からぴょんと降りる。

 やっぱり、ごまかせないか…。

 まあ、今日の様子じゃ、いつかは聞かれるだろうとは思ってたけど。

 残念ながら、俺は自分の誕生日なんて知らない。親も、家も、本当の名前すら、何も知らない。

 静香の質問は、当然予想できていたが、適当な日付をでっち上げることもできず、仕方なく、にっこりと笑って振り返り、

「それ、聞いてくれたの、静香が初めてだよ。」

 これもわかっていたことだったが、やはり静香の表情に、ぴしりとひびが入ってしまう。

「困ることもなかったしね。」

 じんわりと笑って逃げようとしたのに、静香はすかさず俺の手をとると、足早に歩き出した。

 彼女が何か思いついただろうことは察しがついたが、一体、何を思いついたのか。

 貰った花束をぶんぶんと振りながら、彼女が急いで向かった先は、道寺の書斎。

 戸惑う俺が止める間もなく、静香は書斎のドアをノックすると、中に踏み込んだ。

 ずんずんと進む彼女に、びっくりしながらも、とにかく後に続く。

 いきなりの来訪者に対し、厳しい表情を向ける彼に向かって、彼女は、

「お父様、お願いがあるの。

 私と銀牙の誕生日を、銀牙がここに来た日にしたいの。」

 その時の静香の表情は、まるで真剣勝負を挑む剣士みたいに、凛々しく勇ましいものがあった。

 道寺はそんな静香を見つめ、なかなか口を開こうとしない。

 何だか、俺の方が焦って、

「でも、静香は今日が誕生日だって…。」

 困惑する俺に、彼女はぷい、とそっぽを向き、拗ねた口振りで言い放つ。

「銀牙と一緒がいいの!一緒に、おめでとう、って言われたいの!」

 静香の言い分は……、正直、無茶苦茶。ただの我が儘にしか思えなかった。

 しかし、道寺は鋭い眼差しのまま、

「いいのか?、静香。」

「はい、もちろん。」

 確認など不要、といわんばかりに、静香は胸を張って頷いて見せる。

 するとすぐさま、

「わかった。では、今後はそうするとしよう。」

 道寺はそう言って、再び机に視線を落とした。

 あまりのことに、俺は茫然。

 …誕生日って、そういうものだったっけ?

 そんなにあっさり、変更できるもの?

 しかし、静香はというと、ちょっとためらってから、椅子に腰掛けている道寺の傍らに行き、

「突然、我が儘を言って、本当にごめんなさい、お父様。…、大好きよ。」

 静香は道寺の左肩の辺りを両手で控えめに握り、額を当てる。

 多分、これが今の静香の精一杯の甘え方であり、謝罪の仕方なのだろう。

 道寺はされるがまま、彼女の様子を眺めていたが、

「心配するな。私はそんなことで、怒ったりはしない。」

 しかし、そう告げる道寺の声色は感情が薄くて、静香はよろよろと身を離す。

「…はい。…ごめんなさい、邪魔をしてしまって。」

 悲しげに俯く彼女がそのまま歩み去っていくのを、道寺はただ眼で追うばかりで、結局声をかけることもなかった。

 静香は落ち込んだ風情で書斎を後にし、俺も彼女の後に続く。

 書斎を出た廊下の少し先で、静香は立ち止まっていて、

「あの、静香…」

 と、その背中に声をかけたら、彼女はくるっ、と振り向いて、安心したように笑った。

「…よかったぁ。ちゃんと言えて。」

 張りつめていたらしい静香は、ようやく大きな息を吐いた。

 強張りが解けるような、じんわりとした微笑みを浮かべる静香に、

「なんで、…一緒の誕生日にしたの?静香は誕生日がちゃんとわかってるんだろ?」

 どうしてもさっきの返答に納得できなくて、再び、同じ質問を彼女に向けると、静香は力なく首を横に振る。

「私も銀牙と同じ、本当の誕生日なんて、わからないの。

 だから、お父様が決めて下すったのよ。私が初めてここへやってきた日を誕生日にしよう、って。」

「そう、だったんだ…。」

 だから、簡単に変更できたのか。

 便利かもしれないが、ちっともいいことじゃない。

 静香は、しかし、楽しそうに笑って、

「でも、これからは銀牙と一緒よ。一緒に誕生日を迎えて、一緒に大きくなるの。

 二人一緒なら、……、もし、お父様が急なお仕事で出かけてしまって、……誰からも、おめでとうって言ってもらえない時があっても、……きっと、寂しくないわ。」

 最後にそう呟いた静香の微笑は、諦めと哀しみに沈んで見えた。

 静香も、知っているんだ。

 誰からも忘れられてしまった誕生日。

 でも忘れられてしまったのは、本当は誕生日じゃなくて、俺達の方なんだ。

 道寺は、俺達がなくしてしまった、ありふれているが大事なものを与え直してくれた。

 けれど、指令書が届けば、どちらを優先させるかは、火を見るよりも明らか。

 だからこそ、……ならば、俺達で祝えばいい。必ず。

 少なくとも、俺は静香が生まれてきてくれたことを、本当に感謝している。

「俺は絶対、静香におめでとう、って言うよ。」

 俺が明るく言えば、彼女は口を尖らせ、

「なら私は絶対、銀牙より先に言ってあげるもん!」

 その時はなんだか急に、誕生日が待ち遠しい気持ちになって、俺は初めての感覚に胸を弾ませたんだっけ。

 思い出している俺の傍らで、静香はもっといろいろな心当たりがあるらしく、

「本当、銀牙がここへ来てくれてから、私、お父様にたくさん、いろんなことを言った気がする。

 ふふ、あのお父様に泣きながら怒ったりもした。自分でも、信じられない。」

 そう呟いて、静香は楽し気にくすくすと笑う。

 そうか…。

 癇癪を起こすように、静香が泣きながら怒るのは、俺がここにきてからなのか…。

 でも、彼女が自分自身のことでそんな風になったところは、まだ見たことがない。

 大抵は、俺のことだ。

「銀牙のことは、どうしても、どうでもいい、って思えなかったの。」

 その口調は、どこか重たく聞こえ、俺は咄嗟に、でもこっそりと彼女の表情を覗き込む。

 わずかに首を傾げている静香の横顔は、穏やかに微笑んでいた。

「私がきっかけで、銀牙はここに連れて来られちゃったんだもん、私が何とかしなくちゃ、って思って、とにかく必死だったわ。

 そんなこと、自分の時には、できなかったのにね。

 今は、銀牙は大切な家族だし、一番のお友達だし、何より、私と約束をしてくれて、今もその約束を守ってくれてる。

 だから、銀牙のためになら、私、もっと変われたり、強くなれる気がするの。」

 そこまで言って、静香はふと、改めて自身の擦り傷を見る。

 腫れはひどいものの、もう血は止まりかけていた。

「銀牙は、この怪我のこと、すごくがっかりしてるみたいだけど、…意外と私、楽しいのよ。」

 彼女は傷から俺へ視線を移し、にっこりと微笑む。

「楽しい、の?」

 静香の表情からして、嘘とは思えないし、思わないけれど、彼女が何を思うのか、俺はただ知りたいと思った。

 首を傾げる俺に、静香は明るい声で、

「城の中じゃこんな怪我はできないもの。

 今日はそんな経験ばっかりよ。

 あんな高いところから飛び降りたり、こんな怪我しても倒れたり泣いたりしなかった。

 私、自分にそんなことができるなんて、思いもしなかったわ。

 そして、こんな風に考えられるようになったのも、きっと銀牙のおかげなの。

 ひとりぼっちじゃ、どうしてもわからない、たどり着けないところってあると思う。

 前の私だったら、ただ自分を哀れむだけで終わってた。

 銀牙のおかげで、私はそんな風に、ちょっとだけど、変わったの。」

 そして彼女は、一緒にいてくれてありがとう、と笑いかけてくれた。

 俺は、…途方に暮れてしまう。

 俺はただ約束を守っているだけなのに。

 何かできないか、とあがいてはみたけれど、結果は無残なもの。

 こんな痛々しい傷まで負わせてしまった。

 それを彼女は、楽しいと言ってくれる。

 挙げ句、ありがとう、と言ってくれる。

 そうやって、いつも俺を許してしまう。

 なんだか悔しくて、ますます約束を守りたくなる。

 君との約束も。

 道寺との約束も。

 ………、よし!

 何とかしなくちゃ。

 俺はぴょんと立ち上がって、彼女に頭を下げる。

「静香、怪我させちゃって本当にごめんなさい!」

 そして、頭をあげるなり、

「だから、そこで待ってて!」

 静香に何も言わせないまま、花畑の花をぶちぶちとむしりまくって、彼女の元へ戻る。

 何事かと目を丸くして見上げている静香の前に立つと、俺はびっくりした顔になり、

「あ、静香。帽子に蜂。」

 蜂、という単語に、彼女はすかさず、

「!きゃあ」

 慌てて立ち上がり、青ざめた必死の表情で帽子を脱ぐ。

 その瞬間、俺はとってきた花を静香の上に降らせた。

「え!わ!きゃっ!」

 彼女は色とりどりの大粒の雨に、驚き、慌て、拾い集める。

「ちょっと、銀牙!…綺麗だけど、綺麗だけど!なんかもったいない!」

 彼女の台詞に俺はくすくす笑いながら、彼女の帽子をさりげなく拾い、再度花を集める。

 こういう時はこの帽子、使えるなぁ。

 帽子いっぱいの花を、俺は彼女に幾度も降らせる。

「すっごく綺麗!楽しい!夢みたい!」

 喜びはしゃぐ静香は、次第に花に埋もれていくようだ。

 青い空に花が舞い上がる光景は、やっている俺の方も、思わず見とれる。

 しかし残念ながら、俺の持久力はそれほど続かず、早々にへたばった。

「もう無理、……もう休む。」

 地に咲く花達の上へ、直に大の字に寝転がる。

 空は澄みきった蒼。眩しいほど明るい。

 青空がこんなにも綺麗に見える。

 そう静香に伝えたくなって、彼女の方へ寝返りを打つ。

 若草の青い香りの中、彼女はクローバーの花で、何か作ろうとしていた。

 しかし、やはり右手が引きつって痛むらしく、顔を歪め、手はあまり動かない。

 すぐに跳ね起き、彼女の元へ駆けつける。

 彼女の手の中の花を、そっと抜き取ると、隣に座り込み、

「どうすればいいの?」

「!、ありがと。…あのね、…」

 静香の指示に従い、花を編む。

 難しい作業ではなかったのだが、なんだか出来上がりが美しくない。

 クローバーの花を縄状につなげ、輪にした簡単な花冠(はなかんむり)。

 静香は少し考えてから、その冠にさっき宙を舞った赤や黄、ピンクの花を挿していく。

 みるみるうちに、花冠は、本物の冠みたいに華やかになった。

 俺はそれを手に取ると、少し照れている静香の頭に載せてみる。

 ふわふわとした明るい色の髪と白い肌に、華やかな冠は本当によく似合っていた。

「可愛い。似合ってる。」

 こういう時は改まって言うことになるから、さらっと言えなくて、これが精一杯。

 静香も小声で、よかった、嬉しい、と呟いた後、

「でも、こういう時は、やっぱりスカートの方がよかったな…。」

 座ったまま、残念そうにズボンを摘まむ彼女に、俺は首を傾げる。

「そう、かな?」

 いまいちな反応の俺が不満だったのか、静香は小さく口を尖らせ、

「だって、これでスカートだったら、花嫁さんみたいに綺麗じゃない?」

「あー、花嫁さんね…」

 言われて、ようやく意味がわかる。

 確かに、少しでも綺麗に見られたい、っていうのはわかるけど、静香が花嫁さんみたいに綺麗になりたい、と望んでいたのは知らなかった。

 ……、女の子はみんなそうか。

「あんなふわふわなドレスは持ってないけど、ズボンよりは可愛いと思う。ズボンじゃ男の子みたいだもの。」

 成る程。

 静香の中で、ズボンは男の子、スカートは女の子、っていうイメージが強いらしい。

 そう考えると、男の子の格好で花冠をしている状況の静香は、確かにちょっと残念、なのだろう。

 よほど悔やまれるらしく、さらに呟く。

「せっかくのチャンスだったのになぁ。」

「チャンス?」

 聞き返しながら、俺は自分が散らかした花のひとつを指先で摘まむ。

 あ、これ、蓮華だ。

「花嫁さんみたいに綺麗になれるチャンスよ。しかも、こんなお花畑で綺麗になれたら、すっごく素敵だったのに。」

 がっかりとした静香の囁きだったが、俺にはそんなこと、杞憂でしかないのに、と思ってしまう。

 静香くらい可愛いければ、どこで何を着てても、充分可愛いと思うけど。

 そういうことって、本人が一番わからないんだろうな。

 気まぐれな揚羽蝶が、視線の先をふわふわと揺れていて、俺は後ろに手をつき、なんとなく目の前の景色を眺める。

 今、何時くらいだろう…。

 そんなことを思っていた時だった。

 静香の囁くような、微かな声が、また耳に届いてしまった。

「だって、綺麗な所で、綺麗な格好をすれば、……銀牙だって、こんな私でも、お嫁さんにしてくれるかも、しれないでしょ?」

 息が、つまった。

 今、……。

 びっくりした顔のまま、そっと彼女に振り向くと、真っ赤な顔を俯かせた静香が、苦しそうに黙り込んでいる。

 聞き間違えじゃなかった、と判った瞬間、体温が信じられないくらい跳ね上がった、気がした。

 多分、俺も今、倒れそうなくらい、顔が熱い。

 出会った時から、可愛い子だと思っていた。

 病気に苦しむ様を見てからはもう、ほっとけなくて、目を離せなくて、いつも彼女の体調を気にする日々。

 すると、彼女は嬉しそうに笑いかけてくれる。

「ありがとう、銀牙。」

 花が咲きこぼれるような静香の明るい笑顔。

 向けられるたび、心が弾み、胸に穏やかな光が差し込んでくるようで、無茶苦茶なくらい元気が湧いてくる。

 好きが、大好きになり、ずっと見ていたくて、側にいたくて、先に離れられなくなったのは、きっと俺の方。

 道寺との約束なんかなくても、ずっと守りたい、と本気で考えていた。

 だけど、…。

 俺は、…。

 俺は、魔戒騎士を目指さなくてはならない。

 魔戒騎士は、闇に生きる者。

 人知れず、ホラーという化け物を狩ることが使命。

 道寺からは、そのことについて、静香には決して知られるな、と釘を刺されている。

「静香には、陽の当たる道を歩んで欲しい。だから、彼女には一切を告げていないし、これからも告げるつもりはない。お前には、申し訳なく思う。」

 道寺の言っていた意味が、最近少しずつわかってきた。

 道寺の願いは、間違っていない。

 俺の目指す道は、死と隣り合わせの闇へと向かい、静香の歩む道は、光に満ちてはいるもののいつ崩れ去ってしまうかもわからない。

 二本の道はいつか、交わってくれるのだろうか。

「静香、…初めて会った時のこと、覚えてる?」

 俺は、膝を抱えて、隣の彼女に笑いかける。

 まだ顔の赤い彼女は、俯いたまま、こく、と頷いた。

「あの時、父さんが俺に言っていたこと、聞いてた?」

 すると今度は、首を横に振る。

 俺は花畑に舞う蝶を目で追いながら、

「父さんは、あの時、静香を守ってくれる子を探しに来ていたんだって。

 静香の命と、身体と、心の全部を、全力で守ってくれる子を。

 そしてあの日、俺が選ばれた。」

 険しく壮厳な面差しの道寺が、俺の前に立った、あの日。

 俺の運命は動き出した。

「だから、俺は父さんと一緒に静香を守る。父さんがいなくなって、ひとりになっても、俺はずっと静香といるし、静香を守り続けるよ。

 それが、父さんの願いだし、俺もそうしたい。

 その為に、俺は今、もっともっと強くなろうとしているんだ。」

 道寺の意向だからこそ、俺は従い、ここを離れることはない、ずっと一緒だ、と伝えたつもりだったのだが、彼女は顔を上げない。

 しばらくして、

「それは、お父様の、願いだから、よね?」

 静香のひどく悲しげな、小さな声。

 ひとしきり、森の方から聞こえてくる鳥達のさえずりばかりが辺りに響いた後、

「銀牙、……、お嫁さんは、やっぱり、駄目?」

 静香は深く項垂れ、泣いている声で再度尋ねてきた。

 ぺたりと座り、ズボンをぎゅっと鷲掴んで、顔をあげられないでいる彼女を見つめる。

 なぜ、だろう。

 なぜ、彼女はあんなに不安がっているのだろう。

 これからもずっと一緒にいるよ、ってちゃんと言ってるのに…。

 道寺の願いだからこそ、安心できると思ったのに。

 俺の気持ち、なんて不確かな根拠じゃないからこそ、安心してもらえると思ったんだけど。

 わかんないな…。

 わかんない、けど…。

「いいよ。」

 俺は明るく答える。

 すると、彼女は弾かれたように俺に振り向き、

「え?」

 目を丸くして見つめてくる彼女の瞳は、何度見ても飽きない。

 にっこりと笑って、

「静香なら、いいよ。」

「いい、…って、銀牙、本当にわかってるの?お嫁さんよ?」

 なぜか困った様子で、静香は声高く問いただす。

 仕方なく、俺は簡単に、

「ずっと一緒にいる相手のことだろ?」

 すると、すぐさま静香は、えらい剣幕で俺に怒る。

「ちっっがうわよ!

 お嫁さんにするってことは、その子のことが誰よりも一番大好き、ってことで、これからもずっとずっと、死ぬまで一緒にいます、って誓う、ってことでしょう?!」

 静香は豪胆にも、一気にそこまで言い切って見せた。

 そして、俺はぽかんと凝視。

 それに気づいた静香は、見る間に、さっきよりももっと赤くなってしまい、俺は笑いが押さえきれない。

 両手で口元を押さえるが、勝手に喉が、くくく、と震える。

「知らない!銀牙なんか、大嫌い!」

 恥ずかしさと悔しさのあまり、涙さえ滲ませた彼女は、完全にそっぽを向いてしまった。

 ふふ、……仕方ないなぁ。

 笑いを噛み殺し、気を取り直すと、彼女に話しかける。

「静香、…俺がさっき言ってたこと、ちゃんと聞いてた?

 俺はこれからもずっと、静香と一緒にいて、静香を守る、って決めたんだよ。」

「でも、それは、お父様の為に、でしょ?」

 ふて腐れた静香の口振りに、思わず笑みを浮かべてしまうが、すぐに、

「それはそうだけど、そう決めたのは、俺だよ。」

「でも…」

 まだ納得できないらしい彼女に、さらに続けて、

「俺は我が儘だから、自分で決めたことにしか従わない。

 銀牙になる、って決めたのと同じように、静香のことをすべてから守る、って自分で決めた。

 理由はちゃんとある。

 静香のことが大好きで、大切だからさ。

 だから、静香が望んでくれるなら、…お嫁さんにする。」

 もっと恥ずかしくて、苦しいかと思ったけど、意外とすんなり言えた。

 俺って、本気で思っていることは、意外と言えちゃうタイプらしい。

「……、本当?」

 おずおずと振り向く静香に、俺は、うん、と頷く。

 すると彼女は、また赤くなり、ひっそりと呟く。

「よかった、…すごく嬉しい…。」

 伏せた笑顔なのに、見とれるくらい可愛いくて、俺は目が離せない。

 だが、彼女はくるっと俺に振り向き、にっこりと微笑むと、

「じゃ、今から銀牙は、私の婚約者ね。私は銀牙の婚約者。」

 …こ?、こんやくしゃ?…。

 そう言われれば、そうかもしれないけど、…なんか、びっくりする。

 ま、いいか。

 ここだけの話、静香に言われるまでもなく、俺はとっくにそのつもりだった。

 だけど、この歳でいくら本気だ、って言ったところで、冗談にしか聞こえないだろうから。

 幸い、先は長いし、ゆっくり、おいおい。

 もちろん、この後、静香が他の奴に心を移したとしても、それはそれで仕方ない。

 ただし、俺より強くて、俺より優しくて、俺よりいい男じゃなければ、譲らないけどね。

 そして、……本当はその方が静香にとって幸せだろうことも、わかっている。

 わかっているんだ…。

 道寺に連れられて、様々な魔戒法師や魔戒騎士に会うたび、或いは、人に憑依したホラーの凶行の痕跡を目にすることがあるたび、それがじわじわと身に染みてきている。

 だから、こんなことはきっと、現実にはならない。

 今だから見られる、夢、幻。

「銀牙。」

「何?」

 不意に呼ばれて振り向けば、彼女は少し照れたように、はにかんで、

「ありがとう。」

 改まった言葉に、思わず、

「ん?何が?」

 すると静香は、くすぐったそうな笑みと共に、

「城にきてくれて、何度も私を助けてくれて、そして、今も、我が儘をきいてくれて。だから、…ありがとう。」

「ふふ、どういたしまして。」

 静香は思いつくとすぐ、こうして感謝を告げてくれる。

 だから俺も嬉しくて、笑顔で返す。

 静香のいいところのひとつだ。

「いつか、私も銀牙を助けられたらいいな…。」

 密やかで、ほのかに甘いこの呟きには、異議あり。

 俺は当然のように、

「助けてるよ、いつも。」

「え?」

「静香はね、側にいてくれるだけで、俺を助けてくれてるよ。」

 自分がいつも、どれだけ俺の心を癒しているか、全くわかっていないらしい。

 それも、彼女のいいところ。

 だが、首を傾げた静香も、

「…私も、そうかも。」

 そう言われて、胸がとくん。

 二人して、笑みがこぼれて、額を寄せ合い、くくく、と笑う。

 そのまま、彼女は優しく囁く。

「どこにも行かないでね、銀牙。…ずっと、ずっと一緒にいたいから。…約束よ、銀牙…。」

 

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