第1話
俺に両親の記憶はない。
気がついたら、孤児の集まる家にいた。
多分、孤児院。
大人の女性が何人か、後はみんな子供。
子供がうじゃうじゃいる中、俺は埋もれながらも、そこで生きていた。
何年かすると、自分が年長になり、できることも増え、年下の奴らの面倒を少しずつ見ることになる。
それは自然の流れだったが、言うほど簡単なことじゃない。
周りには、もどかしさのあまり、怒ったり叩いたりして言うことをきかせる奴もいたりしたが、俺の性には合わなかった。
そうそう、うまくいくことなんてない。
毎日の生活そのものが、根比べみたいなものだった。
年上からの嫌がらせに、ガキどもの奔放な我が儘。
その狭間で、俺はげんなりとして、考えることといえば逃げ出すことばかり。
でも、行く当てもなく、ここですら食べ物に不安がつきまとうのに、逃げ出したところで、どうして食べていけばいいのか見当もつかない。
結局、どうすることもできず、鬱々と同じ日々を繰り返すしかなかった。
そんなある日、ひとりの男がここへやってきた。
俺はその時、五、六歳くらいだったと思う。
そいつは、施設に不足しがちな男手を補うために雇われたらしい。
俺達の父親くらいのその男は、体格はそれほどでないにしても、やたら背が高く、俺達は彼を見上げて内心ビビった。
力ではまず勝てない。
どうする?どうすりゃいい?
まだ紹介もされていないのに、施設のガキどもから要注意人物扱いされた一番の理由は、厳めしい顔だった。
今思えば、決して不細工だった訳じゃない。どちらかと言うと、渋い感じのちょっといい男、ってなところだろう。
浅黒く四角い顔に、太い眉、睨むような眼つき、への字の口。
どうして、そんな鬼の形相をした男が、子供ばかりの孤児院なんかに来る羽目になったのか。
そこらへんの事情は、何も聞かずじまいだったと思う。
男の仕事は、もっぱら外の力仕事だった。他にも、建物の修繕やら、掃除やら。頼めば何でもやるらしく、大人達はいいように使っているようだった。
初めは俺達も遠巻きに眺めていたが、彼は俺達を邪険に扱うことはなかった。
とりあえず、凶暴ではないらしい。
俺達はまるで珍獣でも見るように、少しずつ間合いを詰めていった。
何日かして、怖いもの知らずのガキが、傍らから話しかけた。
「今日は、何するの?」
俺達はぴたりと息を潜めて様子を窺う。
すると彼は、しばしそいつを見つめてから、
「今日は食堂の椅子を直すんだ。危ないから、終わるまで食堂に入るなよ。」
確かに昨日、食堂で大喧嘩したバカが椅子を投げて壊したっけ。
小さな笑みを浮かべ、彼はそう答えると、食堂の方へと立ち去った。
思いもかけない、穏やかな反応に、俺達は呆気にとられる。
見た目の予想では、怒鳴られるか、唸り飛ばされるか、無視されるか、そんな愛想なしかと思っていたのに。
その後も何度か似たような会話が繰り返され、俺達は彼と少しずつ打ち解けていった。
無邪気なガキどもはまもなくなついたし、その様子を見て年長の者も警戒心を薄くした。
害を及ぼす者でなければ、それでいい。
男に対する周囲のそんな雰囲気は、彼にとっても丁度よい距離感であったのかもしれない。
男の方から歩み寄ってくることはなかったが、じゃれてくるガキどもを撥ね付けることもなかった。
そのうち、彼は施設の一角に部屋を与えられ、住み込むようになった。
多分、施設の大人達も、それくらいには彼を信用するようになったらしい。
夜になったら、やっぱり豹変して、オラオラ怒ったりするのかと思いきや、そんなこともなかった。
夜中の見回りの時でさえ、起きている者を見つけても、怒ることもなく、体調が悪いかどうかの確認をするくらいで、翌日施設の大人に告げ口するようなこともない。
じきに、彼は警戒される者ではなくなり、「おっさん」という名の良き隣人に昇格した。
俺は警戒する必要がなくなった時点で、興味をなくしていた。
正直、男のどこに興味を持ったらいいか分からないくらい、男は地味で穏やかだったから。
だが、ある晩からその評価が一変する。