peaceful days   作:楡野 透

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第3話

 魔戒騎士の使命を果たすということは、想像以上に精神的な消耗を強いられるものらしい。

 もちろん、そういったことも、多少は道寺から伝え聞いてはいた。

 だが、厳しい内容の指令が続くうちに、気にも止めなくなり、忘れていった。

 辛いと思い始めてしまえば、何だって辛くなってしまう。

 そう思って、ただ虚勢を張るばかりではなかったか、と問われれば、そうだったのかもしれない。

 それでも、傍目には以前と変わらなく見えていたと思うし、結構うまく立ち回れているという自負もあった。

 しかし程なくして、いつもの自分らしく軽い足取りで城に戻り、魔法衣と魔導具を自室に置いてシャワーを浴びていると、不意に、自分の内側に仄かな闇を感じるようになった。

 艶やかに光る、黒い絹糸のようなものが、すごい速さで俺の意識に蔓延(はびこ)っていく感覚。

 糸は針のように鋭く、俺の精神を突き刺し、貫き、雁字絡めにして、じわりじわりと気がつかないくらいの血をこっそりと滴らせる。

 まるで芽吹いた種が土に根を張り巡らせてゆくかのように、音もなく、気配もなく、けれど確実に俺の精神を侵食し続け、ようやくそのダメージが自覚できるほどとなった、ということらしい。

 一体、いつからなんだ、と唇を噛む。

 最初、ホラーの仕業かとも思ったが、糸から邪気らしきものは感じられない。

 そもそも、他者の意図らしき気配すらない。

 だが、よくないものであることだけはわかった。

 剣士として、それは断ち切らなければならないことはわかっているのだが、それは俺の深い部分にも根を張り巡らせていて、自分ごと斬りたくなる。

 正直、誰にも相談したくなかった。

 これくらいのこと、ひとりで何とかできなくてどうする?

 そう思うほど、黒い糸はますます勢いをつけて俺を縛り、締め付ける。

「蝕まれて、いるな。」

 日に一度、それと、指令をこなした後は必ず、道寺の元へ顔を出す。

 その時は、指令終了の報告の為、彼の寝室を訪れたのだが、ベッドに横になったまま本を開いていた道寺は、歩み寄る俺を一瞥するなり、そう言った。

 そして、再び本を眺めながら、相変わらずの感情の乏しい口調で、

「ホラーを倒せば、わずかずつだが、生身にも邪気が溜まる。言ったはずだ。」

「どうすればいい。前回は、試練を終えたら、浄化されていた。」

 ベッドの傍らに立つ俺に、道寺は古紙から目を上げることなく、淡々と対処法を説明し、最後に、

「それでも駄目だったら、…静香にでも、泣きつけ。」

「…、は?」

 一瞬、意味が解らなかった。

 聞き返しているのに、道寺は素知らぬふりで、さらりと本のページを繰る。

 …、今、静香って…。

 静香?

 どうして、ここで、…静香?

 全く話す気がない道寺に、俺は即、諦める。

 仕方なく、彼の寝室を後にすると、今度は気難しい相棒の方へと尋ねてみた。

「どういうこと?シルヴァ。」

「何のことかしら?」

 銀色の輝きをまとう魔導具が、冷たい声色で、質問を質問で返してきた。

 二人して、俺をからかってやがるな。

 そう直感し、それが癇に障った俺は思わず足を止め、胸元の彼女を指でつまみ上げると、睨むようにして問い質してしまう。

「お前は今、誰の魂を喰って、ここにいるんだ?」

 低い声で唸ると、彼女はちょっとだけ怯んだ後、

「怒らないでよ、絶狼。」

 らしくない彼女の弱々しい台詞に、俺も自身のらしくない態度に気づく。

 なんでこんなことに、こんなにイラついてんだろ。

 気を取り直すように、俺はそれでも少し固い声で、

「…邪気のこと、解っていたのか?」

 すると彼女は口振りを改め、僅かに憂いの滲む語り口でもって、

「正直に言うわ。今の絶狼は、邪気の影響が半分。後の半分は、精神力の問題。貴方は、絶狼の称号を継ぐには、まだ少しだけ幼いのよ。」

「何?」

 さらに声を低めて聞き返せば、麗しき魔女はすぐさま、

「大の大人ですら、擦りきれ、闇落ちすることもある、魔戒騎士の暗黒面。絶狼は今、鎧の持つ暗黒の力にも、苛まれている状態なの。精神的に成熟していない絶狼の負担は、今、肌で感じている通りよ。

 だけど、道寺は絶狼を信じている。絶狼さえしっかりしていれば、きっと乗り越えられるわ。そうでなければ、対処法を教えるより早く、絶狼から魔戒剣を取り返しているはずよ。」

 確かに、そうかもしれない。

 道寺はまだ、俺を見限ってはいない。

 自室に戻り、魔導具を外すと、どっと疲れて、ベッドに倒れた。

「駄目よ、絶狼。静香に嫌われるわよ、シャワーぐらい浴びなさい。」

 解っていることを指摘され、余計に苛つき、思わず憎まれ口を返さずにはいられない。

「う、る、さ、い。…駄目、眠くて。ちょっとだけ、…寝かせろ、よ…。」

 確かに、俺は疲れていた。

 道寺から対処法を聞き、明日にはなんとかなる。

 そんな気の緩みもあったかもしれない。

 すぐさま俺は眠りに落ち、目が覚めた時には、信じられない光景に絶句する。

「…、絶狼?…」

 急に聞こえた、シルヴァの弱々しい声。

 眼下には、ベッドに横たわっている静香の、眠るように穏やかな表情。

 俺は彼女の両側に膝をつき、真上から彼女を見下ろしていた。

 思考が止まるほどの混乱に支配されたのは、事はそれだけではなかったから。

 俺の右手は、あろうことか、彼女の髪を荒々しく鷲掴んで、彼女を軽くのけ反らせており、そして、俺の左手はさらに驚くことに、差し出すように露わになった彼女の細い首へ、魔戒剣の刃を押し当てていた。

 何より鮮烈に目に入ったのは、飛び散った、小さな赤。

 枕やベッドを包む真っ白なシーツ、それと彼女の白磁のように白い首元を彩るように、赤い点が散っている。

 微かに漂っているのは、確かに血の匂い。

 ……、な、んだ、これ…。

 そんな有様を食い入るように見下ろしたまま、考えることもできないうちに、ぴっ、とまた静香の首に、赤い線が走り、朱が散った。

 魔戒剣はソウルメタル製。

 鎧ほどでないにしても、刃に触れれば、皮膚は裂ける。

 首を赤く染めながら、それでも静香は抗おうともしない。

 剣を薙ぎ払えば、静香は間違いなく絶命する、という状態で、俺は我に返ったらしい。

「静香!」

 びっくりして身体から力を抜けば、途端に、静香は小さな咳を繰り返した。

 あわててベッドから飛び下り、俺はサイドテーブルに置いたシルヴァを引ったくるように掴むと、振り向くことなく部屋を飛び出す。

「絶狼?!」

 魔導具のよろめくような呼び掛けに、俺は駆けながら唸る。

「甘かった!…猶予なんてなかったんだ!今すぐ浄化に向かう。」

 まさか、こんなことになるなんて。

 よりによって、静香を手にかけそうになるなんて。

 血を滴らせた静香の姿を思い返すだけで、体温さえ不安定になる。

 赤く熱い感情が自身の内側で暴れ、視界も指先も、ちりちりと焦げるようだ。

 階段すらもどかしくて、俺は手摺に手をかけ、二階の吹き抜けから身を踊らせると、一階のエントランスへ着地し、そのまま玄関ドアに手を伸ばす。

 しかし、そこで鋭い殺気を感じ、瞬時に一歩退いた。

 直後、足のあったところには、小さな投げナイフが突き刺さる。

 振り返れば、道寺が二階から見下ろしていた。

 低く、冷徹な声で、

「取り乱すな、銀牙。」

「しかし!」

「闇落ちしたいか。」

 強く重たい声で、彼は押さえつけてくる。

 だが、

「そうならない為に!」

 俺は急ぎたかった。

 自分で自分を制御できないでいるらしいこの現状に、恐怖すら感じていた。

 それなのに、道寺は自分を止めようとしている。

 どうして道寺がそんなことをするのか。

 どうしてこの不安を道寺は解ってくれないのか。

 もどかしくて、怒りすら覚え、俺がぎろりと彼を睨み上げた瞬間、

「…急くな!」

 道寺の鋭い台詞を耳にした途端、俺は自分の焦りから解放された。

 彼の言霊が、俺の感情の昂ぶりを断ち斬ったのだと気づく。

 知らないうちに息さえつめていて、俺は肩で息をする。

 そして改めて、道寺は本物の剣士なのだと痛感した。

「父さん…」

 安堵と落胆で、道寺を見上げる。

 自分でも情けないくらい、力ない声。

 ようやくにして、本来の自分に戻ったと感じる。

 しかし、見下ろす道寺は普段と変わらない、淡泊な口調で、

「必要なのは、強靭な意志だ。乱れれば、余計に蝕まれる。」

「そうよ。…大丈夫。今の絶狼は正気よ。」

 手につかんだままだった美しい魔導具が、迷いを断つように穏やかに響いた。

「冷静であれば、よい。」

 最後にそう言い、道寺はくるりと背を向けると視界から消えた。

 やれやれ…、俺はまだまだ未熟なガキ、ってことか。

 さっきまでの自分が、どれほどみっともない有り様だったか思い知り、内心自嘲する。

 俺は相棒を胸元に納めると、再びドアに手をかけた。

「いいの?…静香をあのままにして。」

 意外そうな彼女の声に、俺は手を止め、小さく笑う。

「ああ。今のまま近寄りたくないんだ。」

「そう…、絶狼がそれでいいのなら。」

 冷たい輝きを放つ賢女は、憂いを帯びた声で囁く。

 恐らく彼女は、静香の傷を心配しているのだろう。

 だが、今の俺にはそんな資格すらない。

 玄関ドアを押し開け、俺は飛び出す。

 まだ夜の明けきれていない、朝焼けに濁る闇の中、時を惜しむように駆けて急ぐ。

 道寺の忠告通り、ひどく冷静に…。

 

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