peaceful days   作:楡野 透

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第2話

雨の続く、肌寒い夜だった。

寝る前になって、なんだか身体の調子が悪いな、と思ったら、いきなり嘔吐した。

幸い、ベッドではなく、部屋の床を汚しただけですんだが、それを見て、急に膝に力が入らなくなり、俺はその場にへたりこむ。

初めての感覚だった。

同じ部屋の奴らがおろおろしていると、彼が部屋に踏み込んできた。

今思い返してみると、男はこういった些細な異変に、ひどく敏感だった気がする。

俺の有り様に気づくなり、彼は側に膝をついて、俺の額に手を当てた。

びっくりするくらい大きな手だった。

「ちょっと、あるな。立てるか?」

彼に抱えられるようにして立ち上がると、彼は俺を目の前のベッドに寝かせた。

手際よく俺の吐いたものを片付けてくれる。

「…、ごめん。」

こんな時、なんて言えばいいのかわからず、俺はとりあえず謝ってみた。

すると彼は、ちょっと笑って、気にするな、と手を止めることなく返す。

彼の返事で少し気が楽になったが、彼は掃除を済ませると、何の脈絡もなく、俺を抱き上げた。

何事かと目を丸くする、俺と相部屋の奴らに、

「こいつはまだ熱がある。今晩は、俺の部屋で寝かせるから、お前達は安心して寝ていい。」

予想外の展開に、俺達の方が驚く。

いつもなら、薬を飲まされ、自分のベッドで寝るくらいなのに。

くらくらしながらも、俺は彼の胸元から男を見上げた。

俺を抱き上げ、部屋を後にした彼は、一度食堂に寄ると、うがいをしていけ、と俺を下ろした。

言われて自分の内側の匂いに、また吐きそうになる。

うがいついでに顔も洗って、俺は大きく息を吐いた。

そんなことにさえよろめく俺を、彼は急がせることもなく、ただじっと待ってくれる。

一口だけ水を飲んで、もういい、と俺が彼の隣に踏み出すと、やっぱりすくい上げられた。

「無理すんな。抱っこなんて、ガキの特権だろ。」

特権、か。

何だか嬉しくなる響きだ。

彼の部屋は施設の正面玄関の近くにあった。

俺達の相部屋より狭い有り様だったが、整理整頓されていて、息苦しい感じはしない。

彼は俺をベッドに寝かせると、キャビネットの引き出しを覗き込む。

ベッドには彼がたまに嗜む煙草の匂いが残っていた。

「おい、こいつを飲んどけ。熱冷ましだ。それから、身体のどこか、痛いところとかあるか?痒かったりしてないか?」

赤い紙に包まれた粉薬を差し出しながら、男は矢継ぎ早に尋ねてくる。

そういえば、なんだか耳と顎、頬のあたりが痛い。

手で痛むところを押さえ、ここが痛い、と訴えると、男は眉をしかめ、

「もしかしたら、おたふく風邪、ってヤツか。感染症じゃねえか。やべえな。」

おたふく風邪。

病名を聞いて、俺は納得する。

ほっぺたが腫れて、熱が出る病気。ガキのうちにかかっておいた方がいい病気。他の奴にうつりやすい病気。一週間くらいで治る病気。

それくらいの知識しかないが、治る病気と解れば不安は薄れた。

苦い粉薬を口の中に流し入れると、彼がタイミング良く、カップを渡してくれる。

薬さえ飲んでしまえば、後は寝て治るのを待つだけだ。

ばったりと仰向けでベッドに倒れると、男は感心するように、

「よく、粉薬、飲めたな。器用なもんだ。」

そんなことを言ってから、表情を改め、

「大人しくしてろよ。俺は他にも発症してる奴がいないか、見回ってくる。…、灯りはつけとくからな。」

男はそう告げると、さっさと部屋を出て行ってしまった。

見知らぬ部屋の、見知らぬベッド。

いつもならワクワクで探険だ。

だが、次第に耳の辺りが痛み出して、頭もガンガンしてきた。

唸るようにして寝返りをうつと、身体を丸め、薬が効き始めるのをじっと待つ。

早く…、早く…。

 

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