peaceful days   作:楡野 透

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第15話

 呼ばれた気がして、零は瞼を上げる。

 目の前には、寒々とした平原が広がる雪景色。

 鈍重な暗い雲が天を覆い、ちらちらと雪が舞う。

 見晴らしのいい小高い丘に、彼は佇んでいた。

「絶狼…、お待ちかねの彼女よ。デートの準備はよくて?」

 手の甲で、銀色に輝く魔導具が楽しげにからかう。

 気づかないうちに、忌まわしい過去へと意識が立ち戻っていたらしい。

 癒えようのない哀しみをなぞり返してしまい、再び裂けてしまった心に、ふわりと現在(いま)の風が抜ける。

 ……、思い出した。

 今回の指令書は、珍しく連名の呼び出し。

 俺の名前が奴の名前の下に書かれていて、あげく、北の管轄へ来い、としか書かれていなかった。

 奴と組め、ってことなんだろうが、…余計なことを。

 思わず俺は、奴よりも先に北の番犬所に駆け込んだ。

 そんで、ひとりで始末して、自慢してやって、奴に無駄足を踏ませてやれ。

 そう思ったのに…。

 北の番犬所の神官ときたら、

「冴島鋼牙の到着を待ちなさい。両名が揃ったところで、指令の詳細を伝えます。」

 少年の姿をした、人にあらざる存在は、無表情にそう言った。

「何故、俺と鋼牙なんだ?」

 これじゃ、俺が無駄足になってしまう。

 何か解るかと思い、あわてて尋ねてみたが、即、

「質問は許されません。」

「……、あ、そ。」

 呼びつけといて、何だそりゃ。

 格好はガキんちょのくせに、頭は干物みたいにカチコチらしい。

 相変わらずの、人を見下した物言いといい、目付きといい、一気に嫌気がさして、俺はふらりとこんなところに。

「昔から、犬は苦手よ。特に、永く生き過ぎて、躾も忘れてしまったような犬は大嫌い。」

 毛虫を嫌う少女のように、銀の貴婦人は眉をひそめて、声を苛立たせる。

 つんけんとした口振りが可愛くて、俺はくすりと笑いながら、

「確かにな。」

 彼女が時折見せる、人のように細やかな感情の波。

 歴代の絶狼に愛されてきた理由が、今はよく解る。

 多分、絶狼の称号を継ぐ者はみな、寂しがり屋だったに違いない…。

 穏やかな俺の同意に気を緩めたのか、銀色の美女はひそりと沈んだ声で、

「せっかく、…絶狼が鋼牙の手を煩わせないよう、気をつかってあげようとしたのに…。」

 思いもかけない言葉に、俺は目を丸くして、

「あれ、シルヴァはそんな風に思ったんだ?」

 すると、彼女は確信めいた艶やかな声で、

「違って?」

 誘うように聞き返されて、俺はますます口元を緩める。

 顎を上げ、真っ白な雪原を遠くまでのぞめば、凍てつく風が一瞬だけ鋭く吹き抜けた。

 耳が切れそうなほどの冷たさが、今は心地良い。

 自然、明るい声で呟く。

「…ま、いいさ。雪は苦手なんだ。」

 道寺が初めて俺の前で倒れたのも、雪の降り積もる夜だった。

「何か、思い出していたの?」

 心に触れてくるような、魔導具の優しい響き。

 だが、急に心配そうになったシルヴァを、俺は小さく笑って、

「いーや。今日は何食べようかな、って考えてた。あったかいのがいいな。……なあ、鋼牙。」

 こいつはいっつも、こうだ。

 気配もなく俺の後ろを取って悠然としてやがる。

 無神経で、本当に腹が立つ。

 ま、そんな自覚、ないんだろうけど。

「零。」

 毅然とした声に振り向けば、見慣れた奴の立ち姿があった。

 白の魔法衣をまとい、茜色の鞘の魔戒剣を手にした男は、誰もが振り向く器量良しなのに、あいもかわらず無愛想。

「よ、久し振りだな、鋼牙。」

 お手本と言わんばかりに、にっこり笑いかけてやってんのに、奴ときたら、眉ひとつ動かさず俺を見据え、

「ああ。…そこで、何をしている。」

 問い質すような口振り。

 本当に、生真面目な奴。

「ちょっと、雪に魅入られてた。」

 小さく肩をすくめて、俺は丘を下る。

 すると、主よりずっと口数の多い、奴の魔導輪が、興味深そうな口振りで、

「ほう、お前でも、惑わされることがあるのか?」

 何それ。人をどうしようもない鈍感ヤローみたいに。

 癪に障ったから、口を尖らせ、

「それは鋼牙に言ってやんなよ。…それに、お前には惑わされてやんないから、安心しな。」

 相手は皮肉屋の魔導輪だって、分かってはいるんだけど、……やっぱり、言い返さないと気がすまないんだよね。

 挨拶代わりの軽口が済むと、どちらからともなく、俺達は肩を並べて歩き出す。

 さくさくと雪を踏み、北の番犬所へと向かう。

 失礼な神官が俺に言ったことを、鋼牙にも聞かせてやった後、

「ところで、……みんなは、元気?」

 冴島家には最近寄っていなかったから、一応確認。

 すると、鋼牙は眉ひとつ動かさず、

「ああ。」

 なら、いいや。

 後は聞きたいこともない。

 だんまりを決め込もうとしたのに、意外にも鋼牙の方が会話を繋げてきた。

「零。」

「ん?」

「雷牙から、伝言がある。」

「えー、マジで?」

 他所のお宅の息子さんでも、なんか嬉しい。

 でも、何だろ。心当たりは全然ないんだけど。

 すると鋼牙は、わずかに声を下げ、

「今度の誕生日には、きっと来て欲しい、…顔を、忘れたくないから、と。」

 ……そう、か。

 前に会ったのは確か、二年位前だっけ。

 すごく不思議な存在だ、と感心したことを思い出す。

 何というか、鋼牙とカオルちゃん、両方の気配を持っている存在が、実際に目の前で生きている、っていうのが不思議というか、感動的というか。

 地味にびっくりしたんだよな。

 あれから、二年か。

 ちびっこは育つのに忙しいからな。

 もうそんなに経つのか。

「ふふ、……なかなかの殺し文句だな。誰が教えたんだ?」

 面白がる俺を、鋼牙は冷たく一瞥し、

「……皆、不安がっている。雷牙も、ゴンザも、カオルも。」

 冴島家の人々の面差しを思い浮かべ、胸に走る微かな痛みを俺は笑い飛ばす。

「心配症だなあ。俺はそう簡単には、くたばらないって。」

「そうよ。私がついているのよ。そんなこと、あり得ないわ。」

 さも不愉快そうに、銀色に輝く彼女が呟く。

 魔導具としてのプライドが高い彼女は、この手のことを言われると、決して黙ってはいない。

 だが、鋼牙には俺達の言い分など、どうでもいいらしい。

 最後まで聞かず、ひどくぞんざいな口振りで、

「ならば、お前達の口から、そう言ってやるんだな。俺はごめんだ。」

「あれ、もしかして、鋼牙パパ、信用されてないの?」

 からかってやろうと思ったのに、鋼牙はギロリと俺を睨み、

「信用されてないのは、お前の詰めの甘さだ。」

 ぎゃふん。

「容赦のないお言葉…」

 素直にへこむ俺を残して、奴は平然と急ぎ続ける。

 

 

 

 指令の内容は、至って簡素。

 ゲートの封印。

 それと、その影響で出てきちゃうホラーの封滅。

 俺達二人を指名したのは、そのゲートがでか過ぎたから。

 北の管轄でも、過去最大の規模らしい。

 ひとりで突っ込んで行かなくて、ホントよかった。さっきの勢いだったら、絶対、行ってた。

 ありがとー、番犬ちゃん。

「それで他の連中は、このでかいゲートの出現の影響で発生した、小規模ゲートの火消しに回った、って訳か。」

「ああ。」

 俺の素朴な疑問に、鋼牙は牙狼剣を鞘に納めながら頷く。

 俺は手の中の銀狼剣を、くるくると軽く弄んでから、魔法衣の中へと仕舞う。

「ま、こんなもんでしょ。」

 ゲートの封印だっていうのに、バックアップやフォローの為の魔戒法師をひとりも回して貰えない、なんて聞いた時には、あまりの特別優待に涙が出そうになった。

 そりゃあ、それなりの腕がない奴をあてがわれたら、お守りまでしなくちゃならなくて、余計面倒になるけどさ。

 とりあえず、指令のあったゲートの出現場所とおぼしき場所へすぐさま赴き、もううろついている気の早いホラーを一掃した。

 それが今。

 そして、時が満ちるのを、二人して待ち構える。

「で、どうする?どっちが、ゲートを封印する役なんだ?」

 暇潰しに尋ねたら、

「どっちでも、いいだろう。」

 鋼牙にぴしゃりとはねつけられ、俺は半ば呆れる。

 わかってはいたんだけどね。

「相変わらず、つまんない男だなぁ。じゃ、せっかくだから、黄金騎士様に主役はお譲りしてやるよ。俺は、しがない雑魚狩りってことで。」

 一方的に俺が決定してしまっても、鋼牙はきっと何も言わない。

 事実、彼は鋭い眼差しをちらりと向けただけで、やはり何も言わなかった。

 お互い、どちらも面倒は同じ。

 それくらいのことは、二人とも了解していた。

 

 

 

 月が欠け始め、時が来た。

 ゆらゆらと空間が歪み、巨大ゲートが出現し始める。

 すかさず鋼牙は鎧と魔導馬轟天を召喚し、あっという間にゲートを斬り飛ばした。

「……え?」

 高みの見物気取りでニヤついていた俺は、目が点。

 ……斬り飛ばすか?普通。

 なんというか、とんでもなく、……尊大で、雑。

 ものすごく鋼牙らしくて、嬉しくなっちゃう。

「何をしている、零!もたもたするな!」

 出た。

 鋼牙の威張りんぼ。

「…はいはい。わかってますって。」

 出遅れた形になった俺は、仕方なく、自分で言った通り、辺りに漏れ出たホラーをちまちま潰す。

 ちまちま、ちまちま、……。

「くそ!やってられっか!」

 絶狼となり、魔導馬銀牙を召喚すると、曇天さえ消し飛べと、思い切り咆哮をあげた。

 くくく、……いい感じ。

 身体が熱い。

 湧くような血の流れや、力の漲りがすべて、戦いに対する高揚感となって、身体が浮いているような感覚に酔う。

 気分いいぜ。

 すぐさま、鋼牙と一緒になってホラーを蹴散らす。

「うおおお!」

「……結局、やってることは鋼牙と同じなのよね。」

 魔導具のため息など、聞こえない振り。

 思い切り暴れて、指令も無事終了。

 あー、すっきり。

 久しぶりに全力出せたぁ。

 辺りから不穏な気配が消え、ぼんやりとした夜に包まれる。

 なんとなく、来た道を戻ろうとする俺の背中に、鋼牙がぽつりと、

「ひとつ、…聞きたいことがある。」

 呼び止められるのは好きじゃない。

 仕方なく、ゆらっと振り返って、

「番犬所に報告に行くのは、俺じゃなくて、鋼牙、だろ?」

「?」

 さすがの鋼牙様も、訳が解らないらしく、怪訝そうに眉をひそめる。

 だが、俺は構わず、

「じゃ、俺の誕生日?」

 するとようやく、奴も気づいたらしい。

 仏頂面が、さらに険のあるそれになる。

 でも、やめない。

「好きな色はね、」

「茶化すな!」

 鞭打つような、鋼牙の鋭い声だったが、俺は緩やかな微笑を浮かべたまま、

「同じようなもんさ、俺には。」

 すべてが色褪せている俺にはみな、同じようなもの。

 白か、黒か。

 色がない、のだから…。

 あの瞬間、あの赤を目にしてから。

 しかし、鋼牙は珍しく表情を曇らせ、言葉を続けた。

「お前の戦いを見て、……ひとりの魔戒騎士を思い出した。」

「魔戒騎士?」

「二刀流の使い手。」

 ぎくりとする。

 が、表に出さない。

 一方、鋼牙はそ知らぬ様子で、

「たった一度だけ、共にホラーを倒した。いや、正確には、助けてもらったんだが。さっきのお前の立ち姿を見て、思い出した。」

 唐突な告白に、俺は動けない。

「ただ、ホラーの前に立っているだけなのに、圧倒された。

 剣を構えもせず、まるでそこにいないかのように静寂。

 そして、一度剣を振るえば、寒気すらするほどの、神速の連戟。

 あんな剣士は、見たことがない。いまだに。」

 俺は鋼牙を見つめたまま、くすりと笑って、

「俺より、強い?」

「ああ。」

「随分はっきり、言ってくれるなあ。」

 文句を言いながら、俺は思わず笑ってしまう。

 さすが、鋼牙。

 わかってらっしゃる。

 俺はまだ届いていない。

 病に蝕まれ続けた道寺にすら。

「だが、どこか似ている。……、知り合いか。」

 鋼牙の質問に、俺は背を向ける。

 シルヴァが答えようとするのを、俺は自身の唇に人差し指を立てて制した。

 名を告げれば、鋼牙のことだ、遅かれ早かれ、その死に様までたどり着いてしまうだろう。

 バラゴによって殺されたことは、道寺には耐えがたい屈辱だろうし、鋼牙もまた古傷を疼かせることになる。

 いいことは、ひとつもない。

 だから、内緒。

 くるっ、と首だけをひねり、

「さてね。探したいなら、他、当たってよ。」

 背を向けたまま、軽く手を振って歩き出す。

 胸が熱い。

 鋼牙の中に、道寺が生きている。それも、稀代の二刀流の使い手として。

 嬉しくない訳がない。

 ふと、気がついたら、またあの丘の下。

 雪はいつの間にか止んでいた。

 少しためらって、俺は通り過ぎる。

 もう、いいや。

 俺がどんなに雪の中に立ち尽くしても、迎えにきてくれる人は、もう、いない…。

 それに、今はもう、どこにいても、さほど何も変わらない。

 今俺が生きているこの世界そのものが、あの雪の晩の景色そのものなのだから。

 見渡す限りの、白と黒。

 光もなく、暖かさもない。

 何もなく、誰もいない。

 俺だけが立ち尽くしている…。

 そう言えば、あの時、もし雪の中に倒れていたら、助からなかっただろう、と後から道寺に聞かされた。

「何がお前を、ぎりぎりのところで踏み止まらせていたのか。」

 あの時はよく解らなかったけど、今はなんとなく解る。

 …男の子だから。

 本当の最後のぎりぎりまで追いつめられてしまったから、だから簡単に負ける訳にはいかなくなったんだ。

 それは今も変わらない。

 そして今も、それがいいことなのかどうか、わからない…。

 今の俺を見て、彼女は何て言うだろう。

 そんなことを思いそうになって、俺は口元に笑みを滲ませる。

 夢は、もういい。

 優しい彼女には、美しい花々や星空、そして、あまやかな眠りを…。

 俺が願える、たったひとつの祈り。

「絶狼」

 不意に、相棒たる魔導具が美しく声を響かせた。

「何だ?」

 気分のいい俺は、柔らかく尋ねる。

 すると彼女は、ちょっと困った口振りで、

「この先に、ホラーの気配がするわ。後ろからは、鋼牙。…、どうする?」

 ふーむ、どうしようかなぁ。

 一番面白そうなのは、今日の企みの続き、だよなぁ。

「ここはやっぱり、早い者勝ち、だろ。」

 思わず愉快そうな口振りになった俺を嗜めるように、銀の彼女は艶やかな声で囁く。

「そこは、牙を研いでこその絶狼ゆえに、でしょ?」

「はは、かっこいー。」

 穏やかな笑みを浮かべたかと思うと、彼はすぐに表情を切りかえる。

 眼差しを尖らせ、コートの裾を軽やかに翻すと、零は静かに封滅すべきホラーへと駆け出す。

 しかし、魔導具の胸中は、薄闇のように蒼く沈んでいた。

 冠するその名の通りに、唯一の家族である、零の想いを温かく悲しむ。

 彼は、鋼牙を少しでも早く家に帰らせてあげたいだけ。

 彼の帰りを待つ家族を、少しでも早く安心させてあげたいだけ。

 彼には、自分が無くしてしまったものを大切にして欲しいから。

 自分だって疲れてるのに。

 馬鹿な子ほど可愛い、って本当。

 だからこそ、死なせない。

 私がついているのだもの。

 ごめんなさい、道寺、静香。

 もう少し、待たせてしまうわ。

 だけど、この子は愛されているの。

 この子を慕い、信頼する人達は少なくないわ。

 だから、もう少しだけ…。

 銀色に輝く貴婦人は、憂いの滲む瞳をわずかに伏せると、絶狼の称号を持つ者に身を寄せ、共に夜の闇へと消えて行った。

 

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