フラッシュバブル、閃光記憶というものが人間には存在する。なにかトラウマ的な出来事が起こったとき、フラッシュをたく写真の様に瞬間的に覚えてしまう。
喜劇より悲劇を。悲しい事に強烈な感情というのは自我を持つ人間にとって鮮明な記憶として残ってしまうのだ。
ルフィやサボの目に映る『兄弟』は同じであって同じでは無い。
記憶に結びついている強い感情が、たびたび心の平静を歪めてしまう。
『来ないでくれッッ!』
自分の兄をそう拒絶したルフィは独り部屋の中で孤独に蝕まれていた。
『──……。』
サボの口から言葉は出なかった。
エースのように喜ばれると、期待した分ショックは大きかったのだろう。
しかしそれはルフィも同じ。兄弟似た者同士という事でもある。
「……ッ」
フラッシュバック。
非常に鮮明に思い出されるルフィの『
何をするのも億劫で、何かをする訳でも無い。
ただベッドの上で渦巻く感情と過去に思いを馳せるだけだ。
このまま壊れてしまおうか、守りたかった1番大事な物が無いこの世界で、酷く残酷な世界で。
──コンコン
ノックが聞こえルフィは布団からチラリと顔を覗かせる。
「……ルフィ」
その声はこの残酷な世界で初めて見つけた友人で相棒だった。
気遣う声色は自分をより一層惨めにさせる。
「来んな」
「……はァ」
拒絶の言葉を口に出すと、扉を挟んだモーガンのため息が耳に入る。
失望したか。絶望したか。呆れたのか。
もうこれ以上…───。
「いい加減に、しろよクソガキッ!」
バキリッ、と盛大な音を立てて扉はいとも簡単に壊れ部屋に光が差し込んだ。
「モンキー・D・ルフィ!」
怒りの形相のモーガンはヅカヅカと大股でルフィに寄ると胸ぐらを掴みあげ、手を握り締めると大きく振りかぶってルフィを殴った。
口の端が歯で切れたのか、ルフィの口内に血の味が広がる。
「何す…──」
「俺の名はモーガン。この腕一つで登りあげた誇り高き海兵だ!いいか海賊で海兵のルフィ、海兵として的外れな行動すれば俺はテメェをぶん殴って止めるぞ…!」
ハッとなりルフィはモーガンの顔を見る。
そこには悔しそうに顔を歪める姿があった。
「あ、お、俺……」
言葉が喉に突っかかり上手く出てこない。
それは出会った頃の「記憶」だ。
「モーガン」と初めて出会い交わした約束。
感情の渦から引き戻してくれた荒い拳とは違っていて、感情の乗っている理性的な拳。
「お前の行動は海兵として的外れだ、だから最初の約束通りぶん殴った。文句あるか!」
「無い……」
「ならよし」
モーガンは腕を組んでベッドに座った。ルフィは痛むゴムの頬を押さえて隣に胡座をかく。
矛盾している拳の痛みに、ルフィは不思議と心が軽くなった気がした。
どれくらいの沈黙が続いただろうか、ルフィは恐る恐る口を開いた。
「なんて、言ったら良いのか分かんねェけどさ」
生来自分は説明をする事を苦手とする人間だ。
『多分俺は、聞いちゃならねぇ事を聞いた』
『なれるさ、俺が支えてやれるから』
『聞いてほしいか?』
『約束したもんな、ぶん殴るってよ』
『うっし、飯食いに行くぞ!』
それでも何も聞かず支えてくれたこの男に誠意を見せたかった。
本人はもちろんのこと、エネルやサカズキの態度でルフィに何かあると知っているだろうに。
負担にならないように。壊れないように。
その境界線を見極めた優しさに何度助けられた事か。実際今も何も聞かないでいてくれる。
「俺、前の記憶があるんだ」
「……前?」
「生まれる前の記憶、俺が海賊だった頃の記憶」
「前世って事か…?」
その言葉の意味を少し考えて首を横に振る。
「同じ時間で同じ場所。だから俺、会ったことも無い今を生きる人間を知ってるんだ」
モーガンは抽象的な言葉の意味を考えた。
しかし待つ気が無いのか、それとも言葉を止めると出なくなってしまうのか分からないがルフィは話を続ける。
「俺さ、『前』は海賊で。海軍の色んなヤツら相手に戦ったり四皇に喧嘩売ったり、同盟組んだり仲間と宴したり自由に生きたんだ」
過去は好きだ。
辛くて痛くて苦しい事なんて数えきれない程あったけど、それを差し引いても胸が高鳴るキラキラとした世界だった。
「『麦わらのルフィ』は闇が見えてなかった。海賊って言っても馬鹿な奴らばっかだったから…」
目に見える悪は何度だって出会った。
でもその悪に押し潰される、助けの声を発する事も出来ない闇を見なかった。
それは海賊として特に気にする点では無い。海賊はヒーローでは無いのだ。
「光には影が、闇が生まれる。俺のせいで闇が生まれるのを知らないふりしてた」
それは赤犬、サカズキに教わった事。
死んで初めて気付けた事。
「俺が良いと思って行動したって、力の無い奴らからするとただの暴力行為だ。『海賊』ってのはそういう生き物で、色んなヤツらは涙を流す。今はただ、それが辛い」
自分はヒーローじゃない。
紛れもなく悪役だ。
それでも色んな人間に感謝されてきた。
感謝するのは、関わった事のある人間だけ。
海賊の中でも温厚で、国から逃げてきた者をある島で匿う事をして感謝された大海賊が居た。
だがその海賊は『鬼』と称され子供にも伝えられていて、戦争で亡くなった時世界は喜んだ。
それが『海賊』と言う生き物だ。
「俺ホントなんも出来ねェからさ、仲間に頼ってばっかだったんだ。子供助けよう、とか。国助けよう、とか。言われて初めて気付いて……。正直自分が動いてどうなるかなんて考えてなくて沢山迷惑かけた」
モーガンは理解しきれない頭で答えを出した。
「その仲間は、ロロノア・ゾロ」
「ッ!」
「あと、バラティエに居た金髪のコック。魚人の所に居たココヤシ村の測量士か」
ルフィは思わず息を飲む。
自分が知っているのに、相手は自分の事を知らない。その痛みは再びぶり返す。
弱い。脆い。
そんな言葉がルフィに襲いかかる。
「俺……、俺……ッ」
喉の奥が締め付けられる。痛みが体を襲う。
言葉に出来ないほどの感情が波打つ。
一方的に知っている痛み。初めまして、と言葉を交わす痛み。同じ記憶と感情を共有したいのに一番そばに居た人間は全く別の人間だ。
それでも姿形が同じだから。
泣きたくなるような、胸を掻きむしって叫びたくなるような、縋りたくなるような。そんな理不尽な痛みが胸を穿つ。
人生の大半を共に過ごした仲間。
幼い頃自分の原点となった兄弟。
成長の過程で助けてくれた師匠。
「辛い」
胸を抑えながらルフィはやっとこさ声を出す。
「嫌だ、嫌だ。もう嫌だ。赤犬はスゲェよ、この孤独を独りで耐え切ったんだ。辛いよ」
初めてのSOS。
「助けてくれ……俺を助けてくれ……」
「馬鹿かお前」
モーガンは当たり前とばかりにあっけらかんと言い放つ。その態度にルフィがぽかんとしてしまったのは仕方ないことだろう。
「なァ、俺はお前にとって仲間か?違ぇだろ?」
「う…ん……」
「なら至極簡単な話じゃねェか。俺は腹が立つほど化け物の、海賊の海兵の背中を支える相棒」
ニヤリと悪巧みをする様にモーガンは笑ってみせた。これではどちらが海賊なのか分からないものだと思う。
「お前が縋れる相手は『仲間』や『兄貴』以外にもきちんと居るぜ?」
ようやく。
閉鎖された空間に光が差し込んだ。
今を見た。
物語は新たに世界を作り始めた。
世界が物語を創るのでは無い。
そこに住む人間が、新たな世界を作るのだ。