民家そして高層ビルが立ち並ぶ町―――童実野町。
この町には世界でも屈指の一流企業、海馬コーポレーションの本社がある。また、その海馬コーポレーションが運営しているテーマパーク、海馬ランドの影響もあり童実野町は都会に分類される町である。
当然、都会いに分類されるだけあって、住みやすさや交通の便は優れている……だが、何も良い事ばかりではない。不便な事もある。
物価が高かったり、人口が多い為通勤ラッシュが激しいのだ。後者の通勤ラッシュは丁度今の時間、午前8時ごろが一番大変な時間帯だ。電車やバスの中は超満員……足を踏み入れるのに勇気がいるほどだ。
そんな社会人にとっては忙しい朝……と言っても、社会人だけが忙しくなる訳ではない。
主婦は早朝から調理をするし、学生も学校に行く準備で忙しくなる。結局のところ、朝は皆大変なのだ。
「むにゃむにゃ……」
そう、朝が忙しいのは変わらない……が、その条理を覆すことは酷く簡単だ。
その答えは単に―――寝れば良い。義務を放棄すれば良いのだ。
義務があるから人は働いたり、食事を作ったり、学校で勉強したりするのだ。なら、その枷を外してしまえば良い……自由になれば良いのだ。このベットで未だ寝ている黒髪の少年のように……。
この少年の名は坂本惺。洋風の2階建て一軒家に1人暮らし中の小学5年生だ。
何故、小学5年生である惺少年が1人暮らししているかについてだが、それは両親が海外で仕事をしているからだ。
そんな生活環境で生活している惺を第三者が見れば、『小さいのに頑張ってる』『1人で寂しそうだ……』そういった感想を述べるだろう。
当然、その感想は間違ってはいない。
1年間1人暮らしをした惺は、1人暮らしの大変さや家族の居ない寂しさを理解している。
だが、それと同時に1人暮らしのメリットを悪用しているのも事実だ。両親が居ないが故に『起こされない』『怒られない』『寝坊しても良い』……そう考えている。
その証拠に、登校時刻になっても涎を垂らしながら寝ている。本来なら玄関に出て、学校へ登校しなければならない時間なのに……。
――ピンポーン♪
惺が寝ている最中、陽気なインターホンの音が家中に響き渡った。
インターホンが鳴った以上、誰かがこの家に訪問しに来たのだろう。普通なら訪問者を待たせないようにするのだが……誰も玄関に行こうとしない。
しかし、それは当然であり、当たり前のことだ。何せ、この家に住んでいる唯一の少年は爆睡中なのだから。
「エヘヘ……もう食えない…」
テンプレな寝言を呟きながら、惺は顔をニヤつかせて幸せそうにしている。
何とも気楽なものである。
―――ピンポ~ン♪ ピンポ~ン♪
陽気な音が今度は2回響き渡った……来客者が『早く来い』そういった意図でインターホンを押したのだろう。もっとも、惺が起きなければ意味はないのだが……。
「むにゃむにゃ……」
惺は起きる気配がなさそうである。
―――ピン、ピンポーン♪ ピンポーン♪ ピンポーン♪
「…………うるさいなぁ」
布団を深く被り直ししながら、惺はそう呟いた。
無論、呟いただけであって起きてはいない。未だ惺はベットの上で布団を被っている。
しかも、布団を深く被って外部の音を遮断しようとしている。防音のつもりだ。
だが……毛布の防音効果などたかがしれてる。この行為は無意味と言ってもいいだろう。
―――ピ、ピ、ピン、ピ、ピンポーン♪ ピン、ピンポーン♪
ここで追加攻撃と言わんばかりに、来客者はインターホンを連打した。
この段階まで来ると、もはや嫌がらせレベルである。
「あぁぁ、もうッ!」
そんな来客者の嫌がらせを受け、惺はそろそろ限界だと跳ね起きる。
2階である自室のドアを勢いよく開け、階段を早々と下り、玄関を目指す。
因みにこの行動の合間にも、家中にはインターホンの陽気な音が鳴り響いている。
「人の迷惑も考えろや!!」
バン! と玄関のドアを開け、惺は来客者に一喝する。
その姿は冬眠中の熊が起こされたが如くだ。もはや怒り度指数はカムチャッカインフェルノォォに達している……この怒りは簡単には納まらないだろう。
「……その言葉、そくっりそのまま返すよッ!」
「グホォ!!」
来客者は惺の一喝を恐れることなく、寧ろレバーブローで応戦し始めたのである。
そのレバーブローをまともに受けた惺は膝を地面につけて、来客者を睨みつけた。睨んで『何すんだコノヤ野郎』と来客者へ訴える。
その睨んだ先にいるのは、惺と同じ背丈の少女だ。腰まである青いロングヘアが特徴的で、顔は可愛い分類に入る子だ。
一見か弱そうに見えるが……レバーブローを受けた惺が、膝を未だ地面につけていることからそのパンチ力は中々のものだと断言できる。並みの相手では勝てないだろう。
「レ、レイッ! テメッ、いきなり何するんだ!」
「うるさい! 惺がいつまでも寝てるのが悪いんでしょ!
集団登校なんだから、惺が来ないとボクはいつまで経っても学校に行けないのッ!」
ご近所に聞こえるぐらいの音量で、2人は言い争いをし始める。
そんな2人の声を聞いた近隣住民の思っていることは全員一致している。
『またか……』
ある者は苦笑いをしながら、またある者は微笑みながらその口論を聞いていた。
この地区の者にとって、2人の朝の口論は日常的なものだ。朝食を取ることや新聞を読むことと同じように、誰もその行為を止めようとはしない。
なにせ、この地区の隠れた名物と言っても差し支えないのだから……。
■
玄関を開けたら拳が腹部目掛けて飛んで来る……普通では起きない非日常だ。
だがそんな非日常も回数を重ねれば、それは日常とかす……何とも恐ろしい事だろうか。
そして、その恐ろしい元凶が俺の目の前に居る。
この凶暴な性格の持ち主の名前は早乙女レイ。隣の家に住んでいる早乙女さんとこの一人娘だ。
レイとは三年前に此方に引越ししてからの付き合いになるのだが……最初に会った頃はこのような性格ではなかった。最初の頃はまだ普通の女の子だったはずだ。
しかし、仲良くなるに連れてその化けの皮が剥がれ、今のような凶暴化に至る。
「誰が凶暴よ! 誰がッ!」
「イテッ!? お前、脛を蹴るな! 俺何にも言ってないだろうがァ!」
「惺の考えてる事は大体想像つくのよ!
というより、早く学校に行く準備しなさい! 4分以内にッ!」
そう言ってレイは階段の方角、正確には俺の部屋を指差す。
だが生憎と今の俺は寝巻き姿だ。着替え終るまでに4分は掛かる。
はっきり言ってレイの注文に応えるのは無理だ。というより……
「お前は俺の母ちゃんカァ!」
「その惺のお母さんから頼まれてるのよ!
『惺をよろしくね』って、あぁもう! 違う違う!
こんな事話してる場合じゃないの、本当に後4分以内に此処を出ないと遅刻だよ!」
レイは地団駄をしながら悪態づく。その行動と余裕の無さから本当らしい……。
今日の1時間目は国語の授業だったはずだ。国語担当の中村先生は授業に無断で遅刻すると授業中に狙いしましたかのように質問してきたり、宿題の量を個々に増やしてくる。
そして、このままでは俺は遅刻する……無論レイも―――ならば仕方無い。
「レイ、俺今日休むわ。お休み~」
俺は基本的に分の悪い賭けはしない主義だ。
4分で準備? 無理無理、やるだけ無駄な事だ。
そういう考えに至り、ドアノブに手を掛け、玄関の扉を閉めようと引―――
「バカ言ってないで! 早く準備しなさい!!」
引こうとしたドアをレイは片手で阻止し、再度ドアを開けた。
そしてレイは俺の襟元を”グゥ”と右手で握り込み、俺の体を玄関の向こう、つまり家の廊下へとブン投げた。
「ちょ―――」
世界が一瞬反転したが……反射的に受身をとる事に成功した。
辛うじて受身をとれたから怪我とかはしていないが、背中が少し痛い……流石にノーダメージとはいかなかったようだ。
危険行為をしたレイに、ちょっと文句を言おうと視線を玄関先に向けるが、そこに既にレイの姿はなかった。
『何処行った?』と首を左右に振って探そうとするが……探すまでもなかった。
何故なら、尻餅を付いている俺が引きずられていく。犯人はレイで確定。
目指してる方向が俺の部屋なのを察すると……どうやら、レイは俺を学校に連行する気満々のようだ。
「なぁ、おい。俺はやす―――」
「中村先生に惺がズル休みしたって、言ってもいいの?」
レイは立ち止まって、冷ややかな視線を此方に向けてきた。
俺はレイの視線に耐えながら、腕を組んで思考してみる。レイが起こすアクションによって、自分にどんな未来が待っているのかを……。
『坂本君? 早乙女さんから聞きましたよ……昨日ズル休みしたって…。
いけませんねぇ、ええ大変いけないことです……このままでは学力が低下してしまいますねぇ……だから、はい―――宿題のプリント15枚ね?』
ふっ……いい笑顔の中村先生が想像できてしまった。
こんな未来など御免こうむる……どうやら俺に退路は残されていないようだ。
■
最終的にあの後、準備に8分を費やした俺達だったが、ギリギリ授業前に到着した。
勿論、登校するのが遅かった分走るはめになったが……結果オーライだな。
「何が、結果オーライよ! 惺のせいで、規則、やぶちゃったじゃない!」
隣の席に着席したレイは、乱れた息を整えながら此方を睨みつけてきた。
それもそうだろう、本来なら集団登校中に今回のように走る事は禁止されている。理由は低学年の子が高学年の走りについて来れないからだ。
だが、俺達の地区に小学生は俺とレイのみ。低学年がいなかったから走る事ができたのだ。
まぁ……走る事が可能と言っても、教員に見つかれば当然怒られるけど…。
「規則は破る為にあると思う」
「規則は守る為にあ―――」
「は~い。皆さんおはようございま~す」
レイが抗議しようとしたその時だ。教室のドアから20代の女の教員が入室して来た。
その女教員は陽気な声に合うオレンジ色のボブカットヘアをしていて、性格も優しそうに見える。
だが所詮はそう見えるだけ……この教員は怒ると怖い教員だ。何せこの先生こそが、宿題の量を個々に増やしたり、授業中に狙ったかのように質問してくる教員なのだから。
「(レイ、お喋りはもう無しだ。喋ってたら何されるか分らん)」
「(わ、分かってるよ。ボクだって中村先生に目を付けられたくはないよ)」
皆が挨拶をしている中、俺とレイは互いに小声で会話をする。
というのも、あまり堂々と喋っているとあの教員……中村先生に目を付けられるのだ。
「では、今日は教科書の89ページを開いて―――と、忘れてはいけませんね。
昨日の宿題にしていた漢字プリントを集めるので、名前があるか確認して後ろから前の人に回していってくださ~い」
中村先生の言葉を聞き、生徒達が机の中や鞄の中から漢字プリントを取り出してゆく。
レイも皆と同様に鞄の中から漢字プリントを取り出して、机の上へと置いている。俺も鞄の中を探り、プリントを机の上へと―――あれ? 見つからない。
鞄の中身を一度机の上へと全部置き、もう一度探る……それでも見つからない。
そんな俺の一連の行動を隣で見ていたレイが、目で何事かと問い掛けてきた。
「(ヤバイ……家に忘れた)」
「(ッ!?……いや、自業自得だね)」
レイは俺との小声での会話の後、自分のプリントを前の人へと手渡す。
どうやら、俺を助ける気は無いようだ。
これはもう正直にプリントを忘れたと言うしかないだろう。
「先生、プリントを家に忘れてしまいました」
「そうですか―――じゃあ、はい、コレ明後日までの宿題ね」
そう言って先生が渡してきたのは、4A用紙に書かれた漢字の書き取りプリント6枚…。一枚あたりの問題量を見てみると、表裏印刷で50問近くある。ということは6×50で300。そんな横暴な量を見て、俺の額に冷汗が流れ出る。対して先生は良い笑顔だ。
「先生、これはちょと多いです。せめて3枚にしてください」
「そうですか?
ん~仕方ないですね―――じゃあ、はい、6枚追加ね」
そう言って、今度は倍プッシュをしてくる先生。もう横暴を通り越して外道である。
そんな一連のやり取りを見ていたレイは、俺に向かって十字架を右手で描いてくる
……レイ、俺はまだ死んでないぞ。
「は~い、他にプリントを提出できない子はいませんか~?
いませんね。じゃあ、授業を再開しま~す。教科書の89ページを開いてね」
先生はスタスタと教卓へと移動し、授業の再開を始める。
皆の目線が手元の教科書に移行する中、俺は自分の手元にあるプリントを見て思わずため息が出る。今日はズル休みした方が正解だったのでは? という考えが沸々と出てくるのだ。
あぁ、今日は厄日か……と、俺は憂鬱になるのだった。