「ここ、学校の屋上?」
先程の樹海の景色はどこにもなく、あるのはいつもの日常風景。戦いが終わった後、勇者部一同は学校の屋上にいた。
「あっ、東郷さん!」
少し離れた場所に美森の姿を見つけた友奈が、即座に駆け寄る。
「良かった、東郷さん無事だった!怪我はない?」
「私は平気。友奈ちゃんこそ、大丈夫?」
「この通り、全然平気!」
グッと力こぶを作り、無事をアピールする友奈。屋上から見える町の景色は穏やかで、さっきまでの激闘の名残は微塵も感じられなかった。
「お姉ちゃん……怖かったよおぉ……」
「巻き込んでごめんね。……でも、よく頑張った!」
樹は姉である風に抱きつき、風は愛する妹を労う————
「……あれ?」
————最初に異変に気がついたのは、友奈だった。
「……玲奈ちゃんは、どこ?」
「……え?」
友奈の疑問を聞き、3人が辺りを見渡す。……玲奈の姿は、どこにもない。
「おかしい……。樹海化が解けた後、皆まとまって現実に戻る筈なんだけど……」
風は、冷や汗をかいた。まさか、無事に敵を倒した後にトラブルが起こるとは想定していなかったのだ。
「はい、正解ですね。よくできました!」
席に着いた後、私はホッと安堵のため息を零した。どうやら、解いた問題は文句なしの正解。ノートに書いてあるものを写すだけなので大した苦労はないが、それでもやはり心配になってしまう。というのも、この場にいるクラスの皆は知らないだろうが、私は先程まで世界を守る激闘を繰り広げていたのだ。
樹海。バーテックス。神樹様を守る戦い。勇者。短時間とはいえ、荒唐無稽な、おとぎ話のような体験をした。でも、決して幻覚でも夢でもない。平静を装ってはいるが、実のところ全身が筋肉痛で、歩くのも結構しんどいのだ。
(……でもまさか、戦いが終わった後は自分が元いた場所に戻されるなんて、ね)
驚いたが、これはありがたい。私達勇者が戦っている間、みんなの時間は止まっている。つまり、戦いの後、元の場所に戻されなければ突然その場から消失するように見えてしまうわけだ。そうなった場合、周りの人間の戸惑いや混乱は避けられないだろう。
戦いが終わって、樹海化が解けた後、私は黒板消しを持った状態で先生の方を向いていた。自分の位置どころか体勢なども樹海化前の状態に戻っていて、まるで自分の時間が巻き戻されたかのようだった。
(……人知れず戦って、誰もそれを知らないなんて。実に滑稽ね)
……自虐思考が脳裏によぎる。ユウナニウムの効果が切れていた。
(………風先輩は勇者のことについて黙っていたし、かと思えば唐突な実戦。これからどんな酷い目に遭うのかしらね?)
うるさい。少し黙れ。
そもそも、この声は本当に自分の思考なのだろうか?——何年自問しても、答えは出ない。
私は、さほど風先輩を恨んではいない、と思う。そりゃ、友奈が怪我したりしたら話は別だけど、今のところ被害は自分の筋肉痛程度。そんなに怒る事ではない。
(……死ぬかもしれなかったのに?)
友奈が無事なら、それで良い。友奈を守って、笑顔で死ぬ。そんな人間に、私はなりたい。
(……致命的なまでに、手遅れね………)
私の頭の中に、呆れの混じった声が響いた。
「…嘘、普通に授業受けてる…?」
「良かったあ……。玲奈ちゃんが無事で……」
教室の後ろ扉からこっそり覗くと、真面目に数学の授業を受けている玲奈の姿が目に入った。
友奈、東郷、風、樹の4人は、玲奈を見つけるべく校舎中を探し回った。屋上から順に、手当たり次第に。そしてあっさりと、自分のクラスで普通に授業を受けている彼女の姿を見つけたのだ。
「……なんで、玲奈だけ?」
「……なんでだろうね?」
風と樹は顔を見合わせた。
しかし、考えても答えは出ない。大赦ならば何か知っているかもしれないが、玲奈が無事ならば急いで聞く必要もない。風は安堵のため息を吐いた。
「色々言いたい事はあると思うけど、今日は疲れたでしょ。大赦がフォローを入れてくれると思うし、今日はもう解散にしましょ。授業が終わり次第、各自帰宅って事で。明日、また改めて説明するわ」
初めての実戦。風は大赦で勇者の戦闘訓練を受けてはいるが、それでも実際にバーテックスと戦った疲労は残っている。戦闘訓練を受けておらず、いきなり戦わされた他のメンバーの疲れはその比ではないだろうと風は考えた。
そしてそれは正しい。肉体に対するダメージがさほどなくとも、初めて強大な敵に何の訓練もなく立ち向かったというだけで、精神面にかなり負荷が掛かる。普通ならばトラウマもの。あの状況で怯えない方が不思議なくらいなのだ。恐怖で動けなくなった美森の反応が当たり前なのである。……もっとも、その美森本人でさえ、怯えながらも自分より友奈のことを案じていたのだが。
しかし、その一方で、美森は密かに自己嫌悪に陥っている。
(……玲奈ちゃんは勇敢に飛び出したのに……私は、何もできなかった)
やったことと言えば、みんなの無事を神樹様に祈ることのみ。玲奈のように、友奈が危険に晒されたことに憤り、飛び出すことはできなかった。
美森は常日頃から、玲奈に対して劣等感を抱いている。主に、友奈のことに関して。
玲奈の方が、友奈と過ごした時間が長い。玲奈の方が、勇気がある。玲奈の方が、友奈の側に長くいられる。今回のこともそうだ。友奈が危険に晒され、激怒したのは玲奈。美森は怯えることしかできなかった。そもそも、『敵』を災害のように感じており、『怒る』という発想がなかった。
(……なんで私、こんなに臆病なんだろう)
樹海化が起こった時から、体の震えが止まらなかった。美森は友奈に元気付けられたが、彼女がいなければどうなっていたか分からない。それに対して、玲奈は一人で樹海化した世界を歩き、自分達のところまでやってきた。
『私、友奈がいなければなんにもできないから』などと玲奈は言っていたが、そんな事はない。友奈がいなくとも彼女は一人で行動し、無事に合流した。なぜ心の強い彼女が精神に異常をきたし、薬を飲むまでに至っているのか、美森には本当に疑問だった。
授業終了後にスマホを見ると、SNSにメッセージが入っていた。どうやら今日の勇者部の活動は休み。『疲れただろうから、家できちんと休息をとること!』と書かれていた。筋肉痛が辛いのでありがたい。
急に予定がなくなったので、放課後の時間は暇。……せっかく時間ができたのだから、取引にでも行こうかと思った。
友奈によって救われ、結城家に養子として保護された私だけど、すぐに馴染む事はできなかった。今までとは異なる環境、そして幼い頃から密かに、しかし着実に心に侵蝕していた大人に対する不信感や、恐怖。今まで溜め込んでいたそのようなストレスが今までの境遇から解放された事で爆発したのか、それとも他になんらかの要因があったのか。原因は定かではないものの、私は精神のバランスを崩し、感情が不安定になった。友奈と距離を離すだけで泣き出したり、暴れ出したり。友奈がいなければ、他者とのコミュニケーションすらまともに成り立たなくなるほどの重症だった。恩人であるはずの友奈の両親にさえも牙を剥き、かと思えば泣きながら謝ったり。精神科医に行く時も、友奈の両親ではなく友奈について来てもらう有様だった。……今思えば、途轍もなく恥ずかしい。姉と妹の立場が完全に逆転している。今はどうなのかと聞かれたら、深刻度はともかく実態はあまり変わっていないような気がするのだけど。
その後も、様々なトラブルが起こって、それでも友奈や新しい両親は私を見捨てずに良くしてくれて。そうして、今に至るわけだ。
———繰り返すが、実態はあまり変わっていない。
なるほど、確かに一人で出歩けるようにはなった。コンロの火も長時間近くで見続けなければ我を忘れることもないし、知らない間に身体に傷ができているという事も最近はない。
しかしながら、行動原理のほとんど全てが『友奈』になってしまっているのは事実。スマホの中のデータの9割は友奈の録音音声や動画や写真だし、部屋の壁に飾られているのも友奈の写真ばかり。パソコンのデスクトップ画面ももちろん友奈。妹に対する依存度がそれなりに高いのが現状だった。
これから行う『取引』も、その高い依存度があればこそ。やめられない、止まらない。やめるつもりもない。
私は予め決めておいた集合場所に着くと、『ふーっ』と息を吐いた。誰にも見つかっていない。ここは、讃州中学の校舎裏。この時間帯、ここにくる人はほとんどいない。
やがて三分ほどすると、『キャリキャリ』という車輪の音。どうやら待ち人が来たらしい。
「ごめんなさい、待たせてしまって」
「大丈夫。それほど待ってないわ」
取引相手———東郷は、珍しく友奈の手を借りずに一人で車椅子を動かしてここに来た。……それは、そこまでしてでも友奈には知られたくない事柄で。
「さて、今回こちらが出せるのは今朝5時の友奈の寝顔。それと昨夜の友奈の風呂上がりの後の写真よ」
「私が出せるのは、今日の授業で国語の教科書を朗読する友奈ちゃんの音声データと、体育の授業で100メートルを走る友奈ちゃんの動画データ」
「決まりね」
「ええ」
私と東郷は、互いの健闘と成果を讃え、硬く握手をした。彼女は同士であり、ライバル。足りないところは互いで補い、切磋琢磨して競い合う友である。
伏線らしきものをばら撒き、放置していくスタイル。
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