赤城のグルメ   作:冬霞@ハーメルン

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リハビリがてら、書きました!
ストックできつつあるので、暫くこちらを更新しながらリハビリします。
ようやく仕事も落ち着きつつありますので!


広島県呉市御手洗のあなごめし

 瀬戸内海は広い。

 これを実感できる人はどれだけいるだろうか。大阪あたりから広島まで新幹線で旅行したら「まぁそこそこはかかるかな」といったところだろう。車も高速道路を使えば、まぁ耐えられないほどではない。徒歩、という人はあまりいないだろうが。広島から尾道ぐらいまでなら、自転車で旅行する人もいないことはないだろうが‥‥‥‥。

 まぁ、違うな、と赤城は思った。陸路では瀬戸内海の広さを体感することはできない。

 やはり海路だ。海を行くと、瀬戸内海は広い。正確に言うと、あんまりやりたくない内海航行を延々とやらなきゃいけないのでしんどい。

 艦娘は人間サイズの航行特性と、それぞれの艦種に則った航行特性とが矛盾したまま同居している。特別機動艇やミサイル艇のように素早く小回りが利いた動きをしながら、大型艦艇のように波風に強い。しかし個人であることにも変わらず、長時間の航行は中々に堪える。

 瀬戸内海は現在、深海棲艦の駆逐に成功した安全地帯であるから、赤城もほとんどは移動用の艦娘母艦で航行していた。しかし艦娘候補生学校を卒業して実習艦娘となってから暫くの期間は通常の艦艇に乗り組み、実習をしていた時期もある。

 ‥‥‥‥あれは、辛かった。今の赤城は戦闘機のパイロットと空母の艦長を足して2で割らないような立場だが、もし自分が艦艇乗りになって、年若い自衛官の部下ができたならば絶対にしてやらない、というような様々な経験が味わえた。

 

 

「艦娘に不要な実習は、取り下げてもらうように上申しましたっけねぇ‥‥‥‥」

 

 

 伝統の一言で返されたが、と赤城は深い深いため息をついた。

 ため息は風に溶けていく。頬をなでる冷たい空気が心地よい。今年は春が遅く、四月に入ったというのに朝は白い息を吐くほどだった。日が十分に昇ってもまだ寒い。ましてや単車なんぞに乗っていればなおさらだ。

 赤城はジャケットの前を閉め直し、大きく伸びをしてから愛車に跨がった。転勤に伴った研修で暫く相手をしてやれなかったが、さすがは国産なんともないぜ。拗ねた様子もなく嘶く様子に微笑み、1速に入れる。

 

 

「やっぱり海の上から離れても、風が感じられる乗り物に限ります」

 

 

 そう、瀬戸内海の広さを感じるなら艦の次に単車だ。風を感じながら、細かな路面の状態を気にしながら走るのは海の上を走る感覚によくにている。艦は外力を受けながら走るものだから、イージーな乗り物ではあの感覚には近づけないのだ。

 オープンカーだって風を感じることはできるけど、自分と外との間には一枚の板が挟まってしまっている。単車にはそれがないから、車よりも海を近くに感じることができるのかもしれない。

 やはり自分は海が好きだ、なんて小っ恥ずかしいことを考えながら、赤城は料金所で小銭を払い、すこしゆっくりと橋を渡り始めた。

 『とびしま海道』だ。呉鎮守府への転籍が決まってから、ずっとここは通りたかった。

 島々をつなぐ道で有名なのは、やはり『しまなみ』海道だ。尾道から始まり、今治までを結ぶ全長60kmの道路で、特にバイクや自転車での旅行で人気だった。しかし、いかんせん遠い。

 その点『とびしま海道』は呉近辺から出発し、日帰りで行けるお手軽ツーリングスポットだった。瀬戸内特有の景色も十分に味わえるし、あまり長い時間鎮守府を離れていられない赤城としては楽しみにしていたツーリングである。

 島と本土との間を流れる潮の、見て取れるぐらいの流れを横目にゆっくりとアクセルを開き、少しずつスピードを上げていく。この道は路線バスも通るし、他の有名なツーリングスポットと違って住宅も多いから飛ばせない。Vツインのドンドン、ドンドン、という控えめな音が心地よかった。

 『とびしま海道』を構成する島々は合計七つ。中には呉市ではなくて、愛媛県今治市の島もあり、なんと呉市と四国は橋で繋がっているのである。それに島々を一気に突っ切る『しまなみ海道』と違い、『とびしま海道』は海岸線をなぞるように走るから、飛ばすことはできないけど良い眺めと気持ちのいいワインディングを楽しめる。

 ぐいぐいと愛車を急かし、やがて眺めのいいところで休憩。特に四国を眺めることのできる高台はすばらしい。島々はあちらこちらにぽつんぽつんと桜が咲いていて、マーブル模様になっていた。満開の山々よりも、赤城はこういう人の手の入らない自然が好きだった。

 

 

「気持ちいい風‥‥‥‥。でも、ちょっとお腹が好いてきちゃいましたね。朝はメロンパン2つしか食べてないし、ずっと走ってたから気になりませんでしたが、もうすぐ昼時です」

 

 

 展望台を離れ、急な傾斜に気をつけながらゆっくりと下る。最後に行くのは、御手洗の歴史保存地区。古い民家やお屋敷が保存されていて、美しい景観を楽しめる小さな京都のような街だった。

 ちゃんと人も住んでるから、単車で来るのが難しければ時間はかかるが路線バスも使える。地元民にも、手軽なお出かけ先として愛されている景観は、この春の涼しい風が吹き抜け、絶好の観光日よりである。

 海沿いの駐車場に相棒を停め、メットを脱げばまだ涼しい風に髪が泳ぐ。昼時のため、これから増えていくのだろうが今は人影まばらで散策も捗りそうだ。

 

 

「本当に、小さな京都というか‥‥あ、でも京都よりは小さくて、むしろ凝縮していて見応えがあるような」

 

 

 もちろん京都は花の都であり、ここ御手洗は風待ち、潮待ちの港町。船宿や御茶屋など京都にはない町並みは、ライダーならば京都よりも好きな風景かもしれない。バイク停めやすいし。

 並ぶ民家は人が住んでいるところと、住んでないところ、そして資料館になっているところ。散歩をしているだけでもリラックスできる、と通りを歩きながら赤城は伸びをして、目的のお店へと向かった。

 

 

「あ、開店時間ちょうどですね。誰もいなくて、いい感じです。ごめんくださーい」

 

「はい、いらっしゃい。おひとり様ですか?どうぞ上がってください」

 

 

 落ち着いた店内は開店直後だからか、まだ一人も客がいなかった。静かな店内で木の香りを感じながらお茶を啜っていると、休日を満喫した気分になれるから良い。昔は船宿だったとかで、もしかしたら二階は客室だったのだろうか。

 船宿というと、普通は屋形船とか、釣り船業を営む店のことを指す。しかし広島では、特にこの御手洗では船問屋のことを指すだろう。廻船の船員のための宿だ。そう考えると、ここで楽しく飲み食いしていたのかもしれない、海の男たちの姿が思い浮かぶ。

 ‥‥まぁ多分、上等な宿に止まれたのは船主とかそういう、一部の人だと思うけれど。

 

 

「お待たせしました、あなごめしです」

 

 

 メニューは一つしかないという潔さ。だがこれを求めて、多くの人が食べに来る。

 満面の笑みを作り、赤城はご飯を前に手を合わせた。

 

 

『あなごめし』

 →薄く色のついたご飯の上に、アナゴがたっぷり!紅ショウガも添えてバランスもいい。

 

『おつけもの』

 →摘まむタイミングが素人と玄人を分ける。

 

『お味噌汁』

 →上品な器で、ランクアップ。

 

 

 いただきます、と言い終わるや否や、ガッと一口頬張る。

 ぐっと来る存在感。すばらしい食感で、突っかかっていったこちらを突き返してくる。この手のご飯はもったいないという気分が先行しておそるおそるかかりがちだから、今日は初手を強めに仕掛けてみたが、意外な手応えだ。

 

 

「穴子は久しぶりですけど、うなぎとは全然違いますね」

 

 

 赤城たち艦娘が出撃の際に乗り込む艦娘支援母艦〈しらね〉の給養員長は腕が良く、何より予算のやりくりの仕方が上手い。魔法のようにもう一品作り出したり、コンスタントにご馳走を出したりしてくれて艦娘や乗員を楽しませてくれていた。

 特にステーキ、うなぎ等は意外と仕入れやすいらしくーー実際どうなのかは彼の胸の内のみであるがーー赤城も食べるチャンスは多かった。逆にあなごはあまり食べる機会がなかった。うなぎも、冷凍ものなのかそんなに良いものではなかった気がする。

 喜ぶから入れるけど、本当はそんなに美味しくないし高いんだよね、とつまみ食いに言ったら話してくれた記憶があった。

 

 

「うなぎは柔らかくてふっくらしてるけど、この穴子はすごい噛み応えがありますね。皮も香ばしくて、ぱりぱりしてる。すごい好みです」

 

 

 佐世保にいたときは鰺や鯛、イカが美味しかったが、瀬戸内海は穴子や貝類、なまこやタコが美味しい。流通の便がよくなったから日本全国どこでも同じようなものが食べられるが、やはり転勤族の醍醐味は、こうやってその土地その土地のものにふれることだ。

 艦の食事がいくら美味しいとはいっても、出港中常に食べられるわけでもない。任務海域に突入すれば母艦から離れ、艦娘だけの艦隊を編成して航海する。その間はあじけのないレーションや缶で暖めた糧食で腹を満たす。時には潮をかぶりながら。

 食事は大事だ。人間が一生に食べることができる食事の数には限りがある。だから一食一食をかけがえのないものだと認識して、大事に食べることが肝要だ、と赤城は独りごちた。

 

 

「すいません、ノンアルコールのビールください」

 

 

 たまらず飲み物を頼んでします。うれしいことに缶ではなく瓶だ。ジョッキもいいけど、休日のお昼ご飯に頼むという背徳感と瓶ビールは抜群の相性だ。もちろん単車で来ているからアルコールは入れられないが。

 海上自衛隊の前身たる大日本帝国海軍は大英国海軍を手本に形作られた。昔は酒保もあり、艦内でも酒が飲めたらしいが、戦後は艦内飲酒は厳禁である。一発で昇任が遅れ、同期と差が付く大問題だ。だからか最近はノンアルコールのビールが人気だった。

 横須賀だと、軽空母の千歳や重巡洋艦の那智などが〈しらね〉の私室にダンボール箱で持ち込んでいた。夜な夜なDVDを観ながら、娯楽室で寂しく柿ピーを摘まみながら飲んでいる。艦の記憶が懐かしい、というときの大概は乗員たちが愉しく停泊地で飲んでいたときのことだ。

 

 

「魚には日本酒、だと思うんですけど。アナゴもウナギも、不思議とビールですね」

 

 

 噛み応えのあるアナゴとビールの相性は最高だ。味付けはそんなに濃くはなく、アナゴ自体の味をしっかりと感じる。それにご飯もふっくらと出汁の味と香りがして、これだけでもおかわりしたいくらいだった。

 もく、もく、ごくごく、とテンポよく食べ、飲み進めていく。上品な器はそんなに量はなく、ノンアルビールのためにある程度セーブしていたのに、すぐに空になってしまった。

 最後の一口は、切ない。

 いつの間にやら漬け物も、無意識のうちに最適なタイミングで食べてしまったのだろう。多すぎてもいけないけど、もう少し欲しくなる。赤城はスーパーで買った寿司を楽しむために、わざわざガリを別に買っておくタイプの食いしん坊だった。

 

 

「ここは日帰りどころか、お昼を食べに来るくらいでもちょうどいいところだし。また来ればいいんですよ、また来れば」

 

 

 恨みがましげに味噌汁を啜り、手を合わせる。ごちそうさまでした。美味しいものを食べるとき、満足を得る一方で、すぐになくなってしまうことへの恨みを感じる自分は業が深い。

 お会計を済ませる頃には既に他の客が並び始めていた。開店直後で正解だった。

 

 

「今からゆっくり戻っても、日が落ちる前に下宿に戻れる。夜は加賀さんでも誘って、オサケでも嗜みに行きましょうか」

 

 

 じきに春も終わり、梅雨が来る。雨は海と陸の境界線を朧げにし、深海棲艦も活動を活発にする。

 前が見えなくなるほどの強い雨は多くの艦娘にとっては悪い気持ちを誘う光景だった。陸だけではない。海の底とも繋がってしまいそうな雨は、轟沈した艦の記憶を持つ殆どの艦娘を憂鬱にさせるのだ。

 でも、怯えてばかりではいられない。記憶や過去、歴史に引きづられてはならない。

 かたちある物はいづれ壊れ、死に、消えていく。戦い、殺し、沈めることが使命ならば、殺され、沈むこともまた運命なのかもしれない。艦のままならば、そうだったのかもしれない。

 しかし自分たちは艦娘なのだ。人と、艦が結びついた存在なのだ。

 艦の魂と共に沈み、慰めるのではなく、共に戦い、乗り越える。そしてこの戦いをいつか終わらせる。それが自分たちの本当の使命。赤城はそう信じていた。

 だから戦う一方で、こうやって生を謳歌する。絶対に負けない。

 愛車を傾かせ、風を感じながら、ただただ赤城は強い意志をもって、今この瞬間こうしていることの意味を、強く強く叫ぶのであった。

 

 

 

 


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