C87コミックマーケットで、艦これ小説を一つ寄港させて頂きました。
12月30日(火)西あ39ab「東京組体操組」「フロンティアチャイルド」様です。
青葉と古鷹がメインのお話で、「あの夜を越えて」と題名をつけさせて頂きました。
全力を尽くさせて頂きましたので、よろしければお手にとってみてください。
どうぞ宜しくお願いします。
http://2style.net/tokyocpe/
伊勢神宮。
何故ここが日本で最も大事な場所の一つなのかと聞かれて、理由を説明出来る人も今では少なくなってしまっただろうか。
あるときまでは全くその通りだった。
人々は信心というものを失い、己を無宗教だと言って憚らず、物質的な文明を謳歌していた。
契機は深海棲艦の出現。およそ現行の兵器と戦術が通じない怪物を前に、人類は一度は捨てたオカルトの世界へ活を求めたのである。
結果として陰陽師や祈祷師、呪い師などが再び現れ、艦娘という兵科の出現へと至った。そして人々は神や精霊、妖怪などの、今まで「存在しない」と決めつけていたものの存在を見直し始めた。
世界的に文化の見直し、保護、復元運動が盛んになって暫く経つ。特に日本は元々あちらこちらに寺社仏閣や古墳、聖地、史跡が山ほど――あるいは山そのものも――あった。巡礼活動による観光収入、文化保護予算の増額、不審者や不審団体の頻出など、その界隈では蜂の巣を突っついたかのような大騒ぎである。
結局のところオカルトパワーの存在は確認されたが、神様や妖怪の実在までは確認できていない。しかしどうにもオカルトな世界では、日本を例に挙げると八百万の御加護が働いているとしか思えない術もあるそうだ。
そういうわけで日本では聖地巡礼がブームになっているし、外国もだいたい似たような状況なのだと。
「ごめんください、甘酒を頂けますか?」
「はい、いらっしゃいませ。しょうがは入れますか?」
「御願いします」
「かしこまりました」
伊勢神宮は、つまるところ全ての日本人の祖のようなものである。
というのも祀られている神様が、あの天照大神。全ての神社の上に立つ神社であり、皇室の氏神でもある。朝廷とも深い関わりがあるからか武士からも公家からも大切にされており、庶民の間でも、特に江戸時代にはお伊勢参りが盛んに行われたという。
つまるところ、いわば神道にとってのバチカンのようなものなのだ。
「はい、お待たせしました甘酒です」
「ありがとうございます。‥‥うわぁ、お煎餅が浮いてる」
使い捨ての容器に満たされた甘酒を手にとり、赤城は安堵の混じった吐息をついた。
十二月の伊勢は関東に比べると圧倒的に寒い。ホテルから出た瞬間に雪がちらつき始め、積もってこそいないが気温は恐ろしく低かった。財布から出した小銭に温もりを覚えるくらいに。
「あの、もしかして赤城さんですか? 空母の‥‥」
「はい、そうです。分かりますか‥‥分かりますよね、こんな格好ですし」
「お伊勢参り、お仕事なんですか?」
「えぇ、ちょっと事情がありまして。参拝のときは、この格好じゃないといけないので」
記念写真、撮っていただいてもいいですか? と無邪気な売店の少女に応えてあげながら、赤城は自分の格好を見直した。
角袖のコートと羽織を着てはいるものの、その下は完全に艦娘そのもの。特に赤い袴、これはいけない。先ず短いからどうしても寒いし、こんな目立つ袴を履いてる人なんて艦娘以外にはいないだろう。
この季節の平日、しかも外宮の方だから人通りは少ないが、ちらちらと視線を感じていたし‥‥。明日の内宮参りは上から普通に着物を着てしまった方がいいかもしれない。
どうにも自分は脇が甘い、と赤城は甘酒を啜った。
「ん、美味しい。すごく濃いですね。お粥みたい」
「ありがとうございます。よかったらこっち、座って下さい。お座敷になってますから」
「どうもすいません」
関東に比べると少し癖が強いが、味は柔らかくて優しい。そして飲む、ではなくて食べる、と言ってしまうぐらいしっかりとした食感があった。
浮かべられた煎餅も半分は酒の中に浸かってふやけていて、食感が面白い。ほんの少しだけ加えられたおろし生薑もアクセントになっている。決して主張しすぎないが、個性を引き立てている絶妙なバランスが心憎い。
「これから外宮のお参りですか? 内宮も行かれますよね?」
「はい。でも内宮参りは明日にしようかと思ってるんです。ちょっと到着が遅かったので、今日は無理かなと」
「そうですね。この季節はいつもより閉まるのが早いので」
艦娘が艤装を運用するとき、それぞれの艤装には妖精さんと呼ばれる式神の一種が取り憑いて補助を行う。現代でも大きな艦船は一人では動かせないように、艦娘も自身だけでは十全に戦う事は出来ないのである。
それは戦艦の主砲などだけではなく、航空母艦である赤城が放つ艦載機もまた同じ。具体的には、それぞれの航空機はそれぞれの妖精さんによって操縦される。艦娘は艦艇であり艦長、妖精さんは乗組員のような存在なのだ。
彼女ら(妖精は基本的に少女をかたどられている)の運用そのものについては多分にオカルティックな技術を要するため、艦娘も巫女や祈祷師の一種である。そしてオカルトな職業の、特に神道に影響された部分の大きい艦娘にとって巡礼というのは非常に大きな意味をもつ。
「お参りって、やっぱり特別に手配されるんですか?」
「そんなの天皇陛下でもなければ無理ですよ。基本的には普通の人と一緒です。まぁ色々とやらなきゃいけないことは多いので、準備が大変ですけど。‥‥ごちそうさまでした、また来ますね」
「サインありがとうございました。お待ちしてます!」
店員にお礼を言って、店を出た。途端にものすごい寒風が吹き付けてくる。
せっかく暖まった手足がすぐさま凍り付いてしまいそうになるので、慌てて赤城はポケットの中に手を突っ込み、少し早足で歩き出した。
生憎と少し時間が経っても、人ごみが風を遮ってくれるなんてことはなかった。
「まぁ人が多くても、それはそれで面倒なんですが」
伊勢神宮は大きく二つの宮に分けられる。
天照大神をお祀りしているのは内宮の方で、今から行く外宮には豊受大御神がお祀りされている。正確には社宮の数は125もあって、それらを総称して神宮と呼ぶ。伊勢神宮と言うのは他の神宮と区別するためのものであり、流石は神道の総本山である。
そして基本的には外宮から内宮へとお参りしていくのが作法であった。外宮と内宮とは徒歩で一時間近くも距離があるが、バスが出ていて便利。しかし先ほど店員が言っていた通り、この季節はどちらも夕方には閉まってしまう。
赤城は鎮守府で色々と仕事を済ませてから慌てて新幹線に飛び乗ったので、既に外宮が閉まってしまうまでそこまで時間はない。
色々と面倒な手続きもあるので、やっぱり今日のお参りは外宮だけになりそうだ。
「さて、じゃあ面倒な色々を済ませに行きますか」
一般の人がお参りするなら、それこそ今では各々の心構えぐらいで済む。しかし艦娘となると、特別な場を設えこそしないが準備が必要だ。
例えば一般の人が簡単に柄杓で手を洗うだけで済ませるお清めも、禊という形でばっちりやる。そうなると流石に向こうにも用意をしておいてもらわなければいけないし、時間もかかるというわけだ。
まだオカルトが世間で市民権を得る前の時代も、一部の人はこのようにしっかりと手順を踏んでお参りをしていたと聞く。ネットが発達した今では誰も彼もこれを知っていて、自分から簡略化した禊の手順をふむ人もいると聞く。
社務所で担当の神職から聞き慣れた説明を受けながら、煩悩の数に悩みのある赤城は何とか頭から色々な雑念を振り払おうと集中を始めるのであった。
◇
「やれやれ、随分と時間がかかってしまいましたね」
一通りの仕事を終え、普段着へと着替えた赤城は十分に内宮の入り口から離れて伸びをした。
昨日の店員には一般人と大して変わらないと説明はしたものの、おそらく彼女が想像していた観光参拝とは違い、御垣内へと立ち入る特別参拝であった。しかも殆ど形だけのような一般人による特別参拝と違って、実際に力持つ神職者である艦娘がやるもの。
したがって早朝から始めた内宮参拝は非常に時間のかかる大掛かりなものになってしまった。外宮の方もなんだかんだ結局は日が暮れても終わらず、やっぱり艦娘は色々な意味で特別扱いであると自身の浅慮を反省することになってしまったのであるが、今日は輪をかけて大変だったのである。
お清めも塩ではなく水で。しかもこの季節であるから、肌を突き刺すように冷たい流水である。あちらの神職も、相手が艦娘であるのだからと遠慮容赦一切なし。一挙一投足すら厳しく指導され、まるで艦娘候補生学校へ逆戻りしたかのような気分だ。
あと艦娘としての制服は参拝に適しているのか否か、という点で神職の方々の間では大いに議論が紛糾していたので、鎮守府に戻ったら足首までしっかりと覆う袴の採用を提督に申し出なければいけないだろう。
空母は全体的に問題ないだろうし、駆逐艦の制服も大丈夫だとは思う。しかし伊勢型、金剛型、扶桑型はさておき、長門型は門前払いを喰らってもおかしくないのではなかろうか。島風も相当に顰蹙を買うだろうことは間違いない。
「さて、お腹もペコちゃんですし、早く食事をする場所を見つけなきゃいけませんね!」
内宮を出てすぐ右へと進路をふれば、観光客向けのお土産物を売っている通りが広がっている。
とはいっても伊勢は観光名所という感じはしない場所だ。神宮にしても美しく文化的な、いわゆる観光客が好む場所ではなく、純然たる宗教施設である。
しかし境内の持つ雰囲気、尊さは巷にある観光名所などとは比べ物にもならない貴重なものだ。それに追従するように、お土産ものを売る通りも景観を保つ努力を怠っていなかった。コンビニや銀行までも、昔ながらの造形なのだから徹底している。
「いらっしゃい、お嬢さん! ウチは松坂牛の串焼きがあるよ! 食べていってくれ!」
「松坂牛? そういえば伊勢のすぐ近くに松坂がありましたっけ。一本下さい」
「まいど! 熱いうちに食べてくれよな!」
少しお高めだが、串焼きを貰い歩きながら食べる。子どもの頃、はしたないからやめなさいと怒られたが、どうにも魅力のある行為である。
「うん、やっぱりお肉は焼きたてに限ります。お行儀よく口のなかで溢れてくれるなんて、伊勢様のお膝元らしいお上品な串ですね」
松坂牛というふれこみはなるほど、納得できる。少し筋張っているような食感はあったが、噛み付いたときの柔らかさに吃驚するほどだ。塩と胡椒で簡単に味付けをしてあるが、しっかりと肉の奥の方まで味がしみ込んでいる。よい肉だ。
「お肉を齧ると、なんだか野性的な気分になってくるんですよね」
住み着いているらしい野良猫をからかいながら、なおも通りを進んだ。
干物の専門店や、編み物の専門店、さんまの姿寿司など様々な名物が並んでいる。どうも伊勢の食べ物はどれも美味しそうで困る。下手に串焼きなんて食べたものだから、腹の虫が「美味いものをもっと寄越せ」と喧しい。
「そういえば伊勢といえば、伊勢湾。松坂牛も美味しいけど、やっぱり海の幸も気になりますね。横須賀の魚も不味くはないですけど、やっぱり故郷に近い海の恵みを摂取したいというか」
伊勢といえば海老。伊勢海老は誰もが思いつく伊勢湾の名物の一つだろう。
しかし多数の大きな川が流れ込む豊かな伊勢湾の恵みは他にも数えきれないほどにある。例えば志摩の名物である河豚。そして牡蠣。はたまた鮫の干物なんて珍味や、アサリなどの貝類も有名だ。
赤城は呉にほど近い山奥の町の出身だが、それなりに瀬戸内の魚介にも親しみがあった。関東とこちらでは魚の味も随分と違う。
「あれ、随分と立派なお店がありますね。‥‥てこね、すし?」
看板に文字だけで、簡素な紹介。
手こね寿司、と書いてあった。この通りでもひと際立派な建物だ。屋敷、と言ってもいいぐらい。実家もこのぐらいの大きさだったので、少しノスタルジックを誘う。
後ろを流れる大きな川‥‥五十鈴川に面していて、通りに面した軒は観光のために拵えた新しいものではなく、経た年月を感じさせた。
「手でこねる、ってことですよね。でも寿司をこねるって、なんか妙な感じ。寿司って握るもの‥‥あ、ちらし寿司は違いますけど」
この門構え、間違いなく老舗だろう。味は期待出来る。
それに何故、と思ってしまったらこっちの負け。もう正体が知りたくて仕方がない。ネットで検索をかける? いやいや、そんな無粋な答えを得たらせっかくの謎が陳腐に成り下がってしまうじゃないか。
「ご、ごめんください」
開け放たれた戸をくぐり、少し遠慮がちに声を上げた。
中は広い。呉服屋さんみたいで、レジも番台のようになっている。殆ど木造で、黒々と艶かしく触ると滑らかだ。
まるで実家にかえってきたみたいだな、と赤城は少しセンチメンタルな気分になった。
「あら、いらっしゃい。ごめんなさい、ウチまだ準備中なんですわ」
「そうだったんですか、こちらこそ失礼しました。外、なにも書いてなかったから勘違いしちゃって」
「えぇんですよ。あと‥‥三十分ぐらいかしら。もう暫くしたらご案内できますんで、もう少し待ってもろうてもえぇですか?」
「大丈夫です。その辺り、観光して回ってますから」
「ごめんなさいね、おおきに」
また軒下をくぐって、外に出た。女将さんは申し訳なさそうにしていたが、成る程、まだ昼にはほど遠い時間だ。こんな時間から押し掛ける方が迷惑というもの。
くるりと反転して、観光を続けることにしよう。
見れば目の前には「おかげ横丁」と書かれた看板が見えた。どうやら土産物や食事処が集まった通りらしい。
「ここを暫くぶらぶらして時間を潰しますかね」
この横丁、中心に大きな櫓があって、その周りをいろんなお店が取り巻いている。洋館や芝居小屋もあって、ちっちゃなテーマパークの様相を呈しているらしい。ソフトクリーム‥‥は流石に寒い。今日は特に風邪が強くて、コートの裾が背中にくっついてしまいそうだ。
子どもの玩具や、土産用のお菓子、民芸品。とにかく賑やかな様子だが、どのお店もまだ開店の準備をしている。
「へぇ、煙管なんて今どき売ってるお店があるんですねぇ。うちの鎮守府は喫煙者が全然いないけど、提督は喜びそう。何か一つ、買っていこうかしら」
世にも珍しい煙管専門店。一応他にも普通の煙草も扱っていて、コンビニみたいになっている。土産としては、この木彫りのライターケースなんていいかもしれない。
百円ライターを入れるためのケース、と店員さんに説明してもらった。いい年してジッポも持ち歩かないで百円ライターで済ませるズボラな提督には丁度いいだろう。
「あ、お客さんちょっとごめんなさいね」
「え?」
ちょうどいいから提督へのお土産に、とライターケースを手に取ったら、店員さんが表へと出て行く。
見れば横丁のお店の人達全員が外に出ていて、突然、太鼓が鳴り響き、全員で柏手を打って、お伊勢様の方へと一礼。
「‥‥あぁ成る程、そういうしきたりになってるんですねぇ」
あの櫓の上に据えてあった太鼓、こういう時に使うものだったのか。
にわかに横丁が活気で賑わっていく。パフォーマンスの一環なのだろうか。テーマパークみたいな場所だから、どうにも他のところでどうしてるか分からないけど、そうすると鎮守府の朝のラッパも、一般の人達には同じように見えているに違いないのだ。
‥‥まだあの寿司屋が開くまでには時間がある。もう少しだけ小腹を満たして戦闘態勢にしておいた方がいい。
「このコロッケ、びっくりするぐらい柔らかい。衣もすっごく薄いのに存在感がある。あ、ぜんざいも食べておきたいですねぇ」
テーマパークなんて言いはしたが、不思議なことに横丁には肉屋まであった。流石に肉を土産にする人はいないと思うが、とりあえずコロッケを一つ買って早速ほおばる。
熱々のコロッケにスーっと染み通るソースの味がたまらない組み合わせだ。このコロッケだけでご飯一杯はいけそう。
そんなことを考えながらも冬の風はひたすらに冷たく赤城を打ち据え、たまらず近くの茶屋へと転がり込んだ。
「すいません、おぜんざい一つ下さい」
「はいはい。番号札もって、待っててや。お茶はそこにあるから、よろしくやで」
それにしても、と赤城は一人ごちた。
こうしてお参りをするのも仕事の一環とはいえ、艦娘がオカルトな能力を行使する仕事とはいえ、果たして今回のお参りは意味のあることだったのだろうか。
深海棲艦との戦いは激化する一方。深海棲艦に奪われた人間の勢力圏は次第に取り返しつつあるが、それに比して深海棲艦からの攻撃も加速度的に激しくなってきている。
特にネームドシップ、姫と呼ばれる上位個体は昨年、一昨年に比べれば考えられないほど出現しており、その撃破のために費やした労力と犠牲も決して少なくはない。
赤城が所属する鎮守府は精強で知られるが、それでも一度の出撃で姫を倒すことは不可能。まるでコンビニのように次の艦隊を矢継ぎ早に送り込み、五度も六度も、下手すれば一ヶ月も二ヶ月も戦い続けて漸く猫の額ほどの海域を得る。今の戦況はそんな調子である。
出撃に費やす時間に比べれば、こうしてお参りに来ている時間なんて誤差みたいなもの。しかしお参りは意味のある行為と定義されている一方で、お参りによってパワーアップしたという報告も艦娘からは上がっていない。
いや、一部の艦娘は激しくテンションが上がって普段以上の戦果を得るというのも確かだが、少なくとも自分はそれを実感することは出来なかった。
ではやめてしまえばいいじゃないか、という意見には、しかし賛同しかねるのだ。パワーアップが感じられなくとも、こうしてお参りする、という姿勢を放り投げた途端にパワーダウンする可能性の方が大いに現実味のある話なのだ。
「鼬ごっこ、では断じてありませんけど。確実に我々は戦果を上げていますけど。この調子では最後にジリ貧になるのは私達人類の方じゃないか、そう思ってしまいますね‥‥」
艦娘の艤装も進化している。工廠では絶えず新たな装備の開発が行われ、艦娘自体も修行を積んでいる。
戦闘経験だけではなく巫女、陰陽師、祈祷師としての修行も平行して積み、その成果なのか何なのか、改二と呼ばれる新たなステージに突入する艦娘も増えて来た。
しかし深海棲艦は尽きることなく現れる。倒しても倒しても、猫の額ほどの海域を得て、次の深海棲艦は現れる。より強く、より凶悪に進化して。
この戦いに終わりはあるのだろうか。そんな倦怠感がないわけではない。
「神様が、その辺りの答えを出してくれればいいんですが――」
「番号札十番でお待ちのお客様ー?」
「あ、はーい。私です、私です!」
さて、と意気込んで善哉に向かう。オーソドックスな、小さめのお餅が二つはいった善哉だ。
濃過ぎることもなく、薄過ぎることもなく。そして甘ったるいこともなく、ちょうど良い上品な味わいだ。汁はドロドロというよりはサラサラな方で、添えてある梅干しと煎った小魚の塩気が嬉しい。
「やっぱり寒い時はお汁粉、ぜんざいに限りますね。この季節、自販機に汁粉缶が売ってると自然と手が伸びるのって、何故なんでしょうか」
やはり外宮より内宮の方が人が多いのか、殆ど屋外のような東屋から見る横丁も次第と観光客が増えて来た。
本来ならば外宮も内宮もお参りするのが正式で、片参りは由とされないのであるが‥‥昨日は遅い時間だったので人が少なかったのだろうか。
しかしあちらこちらの観光名所と違い、のんびりした空気が流れているのはお伊勢様のお膝元だからなのかもしれない。あるいは単純に唇も凍り付くぐらい寒いから、みんな動きがゆっくりしているからか。
「むむ、いけない。そろそろお寿司屋さんが開く時間ですね」
お代わりのお茶を啜っていると、いつの間にか三十分をとうに過ぎてしまっていた。
これはいけない、と赤城は急いで片付けを済ませて歩き出した。あのお店、間違いなく名店。下手を打てば満員御礼で入れないなんてことになる。そんなの寂しすぎるじゃないか。
「ごめんください」
「あぁいらっしゃい。お待ちしてました。どうぞお座敷の方に上がってくださいな」
思った通り、まだ混んではいないが開店直後でもしっかりとお客さんが入っている。
雪駄を脱いで上がれば、暖房が効き始めたばかりなのか店内はまだ少し寒い。
案内されたお座敷は広く、目の前に川の流れがばっちりと眺められる特等席。横丁の東屋から此処に来るまでの短い距離でも冷たくなってしまった指先も、温かいお茶で温度を取り戻す。
「ご注文は如何いたしますか?」
「この‥‥手こね寿司、を下さい。ご飯大盛りに出来ますか?」
「はい、かしこまりました。少々お待ち下さいませ」
食べ歩きがしたいから、少しだけ、少しだけ抑えめにしておこう。
そう思いながら赤城はお茶を煽る。お手洗いが近くなってしまいそうなぐらい、今日は水分を撮り過ぎだ。
周りを見回すと単純に物見遊山とおぼしき観光客に混じって、どうも赤城と同じくお参りに来たらしい、フォーマルな格好の人も何人かいる。
よくよく注意すれば、確実に同業者のオーラを漂わせている人もいた。常人には見えないが、式神らしき影が行ったり来たりしていて、こちらに気づいたのか軽く会釈。
艦娘は最もメジャーだが最も特殊なオカルト職業。艤装がなければ何も出来ないに等しいので一部の術者からはバカにされているが‥‥流石にそこまでは分からなかったらしい。
やっぱり着替えてきて正解だったようだ。
「お待たせしました、手こね寿司です。ごゆっくりどうぞ」
手乗りサイズの、靄みたいな鳥の式神と戯れていると、いつの間にか女将さんがお盆を持ってきてくれた。
たちまち式神は霧散する。障害物に遮られたからだろうか。そこまで高級な術者というわけでもないらしい。
『手こね寿司』
→桶に盛りつけられた茶色い酢飯の上にヅケ鰹がたっぷり。
『赤だし』
→お汁。海藻? かぐわしい香り。
『小鉢』
→ひじきの煮物。シメた昆布もついてくる。
すごい、の一言だった。
桶に盛りつけられた山盛りの酢飯もさることながら、その上に鎮座まします漬け鰹。これが宝石のように輝いている。
艶かしい、とすら言えるぐらい美しい。流石は伊勢の海の幸だ。
「では――いただきます」
おそるおそる鰹を箸でとり、先ずはそのまま一口。
赤城は一番好きなものは箸で二つに割って、最初と最後に食べる流儀である。具体的にはショートケーキの苺を無理して二つに割るタイプである。
幸いにして鰹は何枚もあるから、順番に苦労することはない。思う存分。
「‥‥美味しい、美味しいですね! 流石は伊勢の海の幸です、そんなに分厚く切ってあるわけじゃないのに、ぷりっぷり」
宝石のように、というのは一分も間違った表現ではなかった。舌の上を滑るように踊り、噛みしめると弾けるように歯に抵抗する。
新鮮なことが直ぐに分かる弾力と、その一方で芯までほどよく染みて決して濃くないヅケの味が、ご飯へ手を伸ばすことを強要した。
「この酢飯もあっさりしてますね。思ったより酢の味が主張しないから、ヅケに丁度いい。それに鰹が温くならないぐらいの、ちょうどいい温かさ」
わし、わし、とはしたなくも飯を頬張る。
老舗の風格にそぐわしい内装とお上品な器に反して、盛りつけ自体は非常にワイルド。そして自然と食べ方もワイルドになってしまう。
手ごね寿司というのは漁師が船の上で魚を醤油漬けにし、それを酢飯と豪快に手で混ぜたのが発祥の料理だという。といっても流石にこのお店の寿司は魚と飯が混ぜられているということはないのだが、漁師飯の雰囲気というものはしっかりと残してあるということだろう。
「むむ、刻み海苔が喉に。失礼してお汁を頂きますか」
お椀を見れば、そこにはびっしりと何かが浮いたお汁。
味噌汁だろうか。澄まし‥‥てはいない。澄んではいない、少なくとも。
かぐわしい香りがする。どこかで嗅いだことのある香りだ。こんなに温かい香りではなかった気がする。
「あっ、これ赤味噌だ。それに‥‥海苔? 独特の味がします、これは味噌の方の香りなんでしょうかね」
海苔、ではなく石蓴。あおさ、と読む。沖縄ではアーサーと呼ばれる海藻である。
関東だと殆ど馴染みがない。若干似ている食べ物はといえば、それこそ海苔の佃煮ぐらい。そして海苔を味噌汁に入れる風習もあまりない。
そもそも関東は白味噌‥‥合わせ味噌が主流で、赤味噌なんて殆ど味噌には使わないのである。
「東の人達はお味噌汁はホッとする味ってイメージばかりですけれど、やっぱり赤味噌の方がお味噌汁を飲んでるって感じがしますよね。白味噌は柔らかいんですけど、赤味噌は刺激が強いというか。でも海藻の分だけ穏やかになってる感じ」
匂いもかなり強い。赤味噌というのはこれほどに主張するものだったかしら。
しかし悪くない。決して悪くない。やはり慣れ親しんだ味だ。最近は舌が白味噌に慣れてしまったから意表を突かれたが、やはり故郷の味に近いから心が安まる。
「このひじきの煮物も、薄めに味付けされてて良い感じです。お味噌汁によく合う味付けです。お寿司の方と合わせると、ちょっと物足りないかな」
小鉢が二つも三つもつくセットもあったが、こちらにしておいて良かった。過ぎたるは及ばざるが如しという。
量という点では少々物足りないけれど、全体の調和が大事だ。これはこれで丁度良い。
「飽きないですよねぇ、不思議。鰹だけしか乗っかってないのに」
もり、もり、とひたすら頬張り、次第に米も減っていく。
手桶も底はそんなに深くはないらしい。しかし十分な量はあった。
残った二枚の鰹を前に、悩む。この二枚をどう食べるか、で自分の品格すら問われる気がした。
「一枚はそのまま食べよう、一枚は」
残った米を鰹で集めて食べたい。鰹をそのまま食べて味わいたい。
しかし鰹をそのまま食べてから米を集めるべきか、米を集めて鰹と一緒に食べて、そして最後に鰹そのままを頂いて締めるか。
鰹が二枚ある状態で、ご飯が殆どなくなってしまったのは自分にあるまじき大失態である。このペース配分の乱れは妙に進んでしまう赤味噌が犯人だろうか。
大問題だ。悩む。この酢飯がいけない。普通の米なら躊躇せずに口に入れてしまうけれど、酢飯だとありがたがってしまって判断を困難にする。
「‥‥よし、鰹の存在感が大きすぎるから、ご飯で締めましょう」
一枚、鰹を口に運んでじっくりと味わう。やはり美味い。
そういえばガリが残っていた。こいつはいい。口の中がリフレッシュ出来た。
「うん、やっぱり酢飯と鰹の比率はこのぐらいが丁度良いあんばいですね。よかった」
最後に残った鰹一枚。これを使って桶の隅々から米粒をかき集めてくる。
一粒のお米には七人の神様。
お伊勢参りをしたあとに、神様を蔑ろにしただなんて天罰が下ってもおかしくないのである。
「――ごちそうさまでした」
味噌汁ではなく、温かいお茶で人心地。
夏は味噌汁がないと、冷たい水では身体が冷えてしまう。その点では冬こそご飯が美味しいとも言えるのだろうか。
出身は広島だから故郷の味が一番。しかし北はご飯が美味しいなぁ。
「さて、このあとはどうしましょうかね」
いつの間にか、先ほどの術者は姿を消していた。きっと先に食べ始めていたのだろう。見回せば、店に入った時に比べると随分と人が増えた。
お伊勢参りと言えば朝だろうが、観光ツアーなどを使っていると昼頃からのお参りになるのかもしれない。そんなことを考えながら、赤城はふらふらとおかげ横丁の方へと吸い寄せられていく。
舌は満足したけれど、お腹はまだ食べられると意気軒昂。伊勢の名物を網羅したわけでもなし、まだまだ満喫したと言えはしない。
「あ、加賀さんへのおみやげは何にしましょうかねぇ。やっぱりお餅ですかね、名物ですし」
さっき食べた善哉のお店、あそこはあんこで包んだ餅がお土産に買えたはず。
お餅と言えば場所によっては主食であったぐらい腹持ちが良い。陸自の赤飯も餅米十割の高級品である。
あれなら加賀も満足してくれるのではあるまいか、と思って赤城は踵を返した。
出張が多いと、どうにも土産物に費やす予算が増えて困るが、これを我が家のエンゲル係数に入れていいのだろうか。
無論、エンゲル係数について語るならば土産物なんて誤差の範疇であるなんてことは、赤城は全く気づいていないのであった。