演奏を聴いて思い出したと感じている音楽はすべて、あなたの内側から呼び覚まされているのだ。
──────ウォルト・ホイットマン
「……あれ、もしかして、違いましたか?」
花咲川キリスト教会。私達の街に唯一存在する、キリスト教会。そんな教会の中で一人ピアノを奏でていたのは、一人の、私達と同じくらいの年齢の男子だった。
今日は日曜日、つまりはキリスト教の日曜礼拝がある日だった。故に、彼は礼拝に来たが遅れてしまった人、そう勘違いしたのだろう。
首を傾げて、此方を見詰める彼。
まず最初に沈黙を破ったのは、最年少のあこだった。
「……おにーさん、すっごくピアノ上手だね!」
彼は更に首を傾げた。
思わず私達もキョトンとしてしまった。
彼が尋ねたのは此処を訪れた理由。ピアノの腕前の評価では無い。まるで一時停止のように空気が固まれば、燐子があたふたしながら、即座にフォローに入った。
「す、すみません!こ、ここの近くを歩いてたら、綺麗なピアノの音が耳に入ったので、興味を持って……!」
イマイチフォローになっていない気もするが、燐子なりの精一杯のフォローだったのだろう。
そして、斯く言う彼は、そんな二人の様子を見ては…柔らかく微笑みを浮かべた。
「……ふふ、拙い音色でしたが。お褒めの言葉、ありがとうございます。」
どうやら、上手く伝わったらしい。固まった空気が、緩やかに流れ始めた。
「立ち話も何ですし、座られてください。」
「あ、はい。ありがとうございます……?」
そして、そのまま流れ始めた空気に流されるように、彼の提案に、リサが返事を返せば、私達はゆっくりと長椅子に腰を下ろした。少し年季の入った木の香りが、ふわり、と香った。
彼も、ピアノ椅子を持ってきては、私達の前に置き、其処に腰掛けた。
「自己紹介、まだでしたね。僕の名前は、鏑木 空。この教会のピアノ奏者をしています。因みに、高校二年生です。」
雰囲気的に、私達より歳上かと思ったが、同い歳だった。そんな彼の自己紹介を皮切りに、またもやあこが先頭を切った。
「宇田川あこ!中学三年生!ドラマーだよっ!」
何処まで行っても、あこらしい自己紹介である。
「湊 友希那。貴方と同じ、高校二年よ。」
「氷川 紗夜です。同じく二年生です。」
「今井 リサ!二年生だよ!」
「白金 燐子です…。同じく、二年生です…。」
あこに続いて、それぞれが自己紹介を終えた。恐らく、あこが居なければこの流れに持っていくのは難しかっただろう。良くも悪くも、活発な後輩である。
「おや、殆どが同い歳ですね。宜しくお願いします。良ければ、好きなように呼んでください。」
彼の笑顔は一切崩れる事がない。それは不自然な笑顔では無く、極めて自然に見える。混じり気も裏も無い、そんな微笑み。
「先程、宇田川さんが"ドラマー"と言っていたのですが……もしかして、皆さんはバンドを組まれているのですか?」
「うん!あこたち五人で、Roseliaってバンド組んでるんだ〜!あ、あと"あこ"でいいよ、空さん!」
流石Roseliaきってのコミュ力の持ち主。早速下の名前で呼び始めた。然し、それで大分空気が和んだのか、幾分か話しやすい空気が生まれた。
「と言っても、まだ組み始めたばっかりなんだけどね!アタシ達の事も下の名前で呼んでよね、空!」
リサも早速下の名前で呼び捨て。……私は慣れるまで苗字で呼ばせてもらおう。
「えぇ、皆さんが良ければ。……では、改めて。先程は僕の演奏を聴いていただいて、ありがとうございます。」
彼が深々と頭を下げた。流石は教会演奏者、と言ったところだろうか。礼儀正しい。
「はいはーい!あこ、しつもーん!空さんがさっき弾いてた曲は何ていう曲なの?」
早速先制攻撃を仕掛けたあこ。どうやら、あこは先程の曲を知らないらしい。私を含めた他の四人は知っているのか、互いに顔を合わせて苦笑い。中学生なら、知らないのも無理もないだろう。
「先程の曲は、『Amazing grace』。イギリスが発祥の有名な賛美歌です。意味は、『素晴らしき恩寵』。結婚式何かでも良く使われる曲です。さっき弾いていたのは、近々此処で結婚式が行われるので、その練習を。」
あこでも分かりやすいように、優しい説明をする彼。なるほど、此処は教会だ、結婚式なんかも当然行われるだろう、その曲を弾いていたのも納得である。
そんなこんな話をしていれば、教会の奥の方から、男の子と女の子が、扉から ひょこり、と顔を出していた。此方の様子を伺っているのか、じっとこっちを見ている。
女の子と目が合ってしまった。ビクッ、とその女の子が跳ねれば、顔を引っ込めてしまった。
然し、男の子の方は、真っ先に彼の方へ走っていった。
「空兄ちゃん!お腹空いた!」
「あれ、もうそんな時間かな?待ってて、直ぐに作るから。食器、お願いするね?」
「うん!並べておくね!」
とてとて、と奥の方へ駆けて行った。彼の弟だろうか。
いや、その前に、完全に食事の事を忘れていた。彼の邪魔になるだろうし、そろそろ此処を出なければ。紗夜の方を見て目配せすれば、紗夜が立ち上がった。
「ごめんなさい、鏑木さん。そろそろ私達は行きますね。」
「おや、もう行かれるのですか?どうせなら昼食もご一緒に…と思ったのですが。」
「……いえ、気持ちは嬉しいですが、私達もこれから話し合いがありますので。」
紗夜もこれ以上迷惑は掛けられないと思っているのだろう。目配せして正解だった。
「そうですか。なら止めてはいけませんね。……また、気が向いたら遊びにいらして下さい。僕の演奏でよかったら、何時でも弾きますから。」
── そんな風にして、私達Roseliaは、花咲川キリスト教会を後にした。
「かっこよかったね、空さん!」
あの後、ファミレスを訪れた私達。それぞれ食事を取りながら、談笑を楽しんでいた。
あこが、教会での出来事を楽しそうに話している。
「かっこいい、と言うより、綺麗、だったかも…。」
「うん、そうだね、アタシもそう思うかな!」
各々が感想を述べていく。確かに、彼の見た目は何方かと言えばモデルに近い。美しいという言葉が似合う様なルックスをしていた。
ただ、そんな話は一先ずどうでも良かった。私が一番気になっているのは……
「皆さん、彼の演奏をちゃんと聞いていたんですか?」
どうやら、紗夜は気がついているらしい。
「……鏑木君の演奏。彼は私達の目指す先のモノを持っていたわ。あれこそ、今の私達に今必要なモノじゃないかしら?」
彼の演奏は、まるで歌劇のような演奏。ピアノ一つであるにも関わらず、一気に惹き付けられ、聴く人を夢中にする音色、表現力。私達のバンドに足りないものは、まさにそれだった。
確かに、今までの…それこそライブハウスでライブをするレベルであれば、今のままで十分なのかもしれない。しかし、私達が目指すのは、あくまで最高の音楽。最高のバンド。故に、私達はあのレベルの演奏を目指さなければならない。
「何が足りないのかは分かったわ。後は、それを目指す為の努力が必要……明日からの練習、今まで以上に意識を高くして、練習していきましょう。」
「うん!あこも空さんみたいにカッコよく演奏出来るようになりたい!」
「わ、私も…頑張ります…!」
「あははっ、みんなやる気だねぇ!うん、アタシもしっかり頑張っていくよ!」
「ええ、彼のように…いや、彼以上の演奏を目指して、頑張りましょう。」
みんなの意見が纏まった。
これで、明日からの練習は、身になるモノになりそうだ。
────────数日後。
その日は祝日で、今日は午後からの練習。
少し早めに、スタジオへ向かう道中。街中に、教会の鐘の音が鳴り響いた。
そう言えば、彼は近々結婚式が行われると言っていた。この鐘の音はそれを祝福する音だろうか。
……まだ時間には余裕がある。少し様子を覗いてみよう。私はそう考え、例の教会へ足を運んだ。
予想通り、其処では結婚式が執り行われていた。
素敵な花嫁衣裳の新婦に、黒く美しいタキシードの新郎。そして、それを祝福する、沢山の人達。幸せの一時とは、まさにこの時のことを言うのだろう。皆が笑顔であった。
既に誓いの儀式は終えたのだろう。新郎新婦が、彼等の友人達であろう人たちからのライスシャワーを浴びている。
私も、いつかはこんな結婚式を挙げてみたい……珍しく女子らしい事を思い浮かべてしまった。
そして、遂に彼…鏑木君の姿が見えた。
黒い、新郎とはまた違うタキシードに身を包んだ彼。その美しい立ち姿に、思わず目を奪われてしまった。
勿論、その表情は前と変わらぬ微笑み。
……ただ、何故だろうか。
────何度か見たはずの、変わらないその微笑みは、とても空虚に見えた。
空っぽの心が奏でる音色は、何色なのか。