彼の幼馴染は超勇者   作:織部庵

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『ボク達の幼馴染はゴブリンスレイヤー』

 例えば魔王。

 例えば邪神。

 例えば悪竜。

 例えば巨人。

 そんなものは『彼』の敵じゃあない――文字通りの、「敵ではない」、だ。

 彼が敵と断じ、戦い、殺し、殺し、また殺して、殺し続けるのは、最弱の怪物――小鬼(ゴブリン)だけなんだから。

 

 

 ここではないどこか。ずっと遠くて、すごく近い場所で。

 やいのやいの、わいのわいのとたくさんの神さま達が遊んで騒いでいました。

 彼ら、彼女らが囲んでいるのは様々な駒を載せた盤です。

 駒はヒュームやエルフ、レーアやドワーフにリザードマン、ゴブリンやデーモン、トロルにオーガなどの様々な者達で、盤は彼らの住む世界。

 彼らは冒険に繰り出し、勝ったり負けたりし、お宝を見つけ、幸せを掴み、生まれ、生き、死んでいきます。

 ごくたまに、そして伝説へなったりする者もいますが、まあ突き抜けた例外です。

 ころころころころと、駒達の運命を動かすサイコロを振って転がしては一喜一憂の声が上がります。

 駒も盤も、自分達の手でつくりあげたものですから、気持ちの入り様も一入です。

 そんな喧騒を、少し離れたところで微笑みながら見守る一人の女の神さまがいました。

 彼女はみんなに《もしも(IF)》と呼ばれています。

 彼女は他の神さま達が遊んでいるところを眺めているのがとても好きでした。

 それと同じくらい、他の神さま達がサイコロを転がして織り綴られる駒達の生き様――物語を知ることが大好きでした。

 そしてそれより好きなのが、その物語を――ついつい勝手に――二次創作(レクリエイト)してしまうことでした。

 

 

 ――攫われた女の子が助けを待ってるんです。これ以上、時間をかけるわけにはいきません!

 確固たる根拠のない自信と、足元を浮つかせた希望。

 それらに弾んだ声で快活な笑みと共に告げられた言葉を、冒険者ギルドの受付嬢は胸中で反芻していた。

 勇ましい言葉の主は、農村からギルドへ依頼されたゴブリン退治を請け負った新人冒険者一党の頭目、剣士の青年である。

 小振りな提灯袖の白シャツに、黒地のラペルに白のパイピングを施した菫色のベストを重ねた、清潔感のある制服をきっちりと着こなしている受付嬢の唇から溜息が漏れ出た。

 三つ編みにして身体の前に流した淡い茶髪が、瞑目しての吐息の挙動と一緒に微かに揺れる。

 均整の取れた肉付きの下半身をタイトスカートに包んだ彼女が座すのは、辺境の街は冒険者ギルド受付の一席だ。

 毎朝決まった時間に行われる掲示板への依頼張り出しと、その直後の冒険者達の依頼争奪戦と受付での受注ラッシュ。

 それらが一段落し、新人冒険者の登録などの他の通常業務をこなしていって人波が捌けた後、張っていた気を少しだけ緩める事ができる時間。

 そうしたふとした瞬間に、溜息が漏れていた。

 受付嬢の溜息を耳に捉えたらしい隣の席に座る細身の女性が、青みがかった銀の長髪を揺らして受付嬢の方へと顔を向け、

「なーに溜息吐いてるのさ、ちっひ」

 そう受付嬢へと渾名で気安く問い掛ける。

 彼女は受付嬢と同じくギルドの制服を纏っていたが、彼女のそれは受付嬢の姿と僅かに差異があった。

 胸元を飾る、天秤と剣を組み合わせた至高神の聖印がその正体である。

 彼女はギルド職員であると同時に、法と正義を司る至高神の司祭――監督官だ。

 普段はあからさまに司祭である印を見せたり、そのままの状態でカウンター業務に出る事はあまりないのだが、人手不足による混雑の解消や「ギルドは冒険者や依頼者の不正を見抜くぞ」と抑止力を主張する為に時折、表に出てくるのだ。

「いえ、さっきの新人さん達について……」

 監督官の問いに、ぽつりぽつりと、受付嬢は胸に蟠る思いを尻切れ蜻蛉気味に呟いていく。

 今朝の事だった。

 地母神系の神殿出身だろう、青と白を基調とした清楚な神官衣に身を包んだ十五歳の少女を『女神官(プリーステス)』として冒険者登録して、ほんの少し時間が経った頃。

 新人ほやほやの冒険者として送り出した彼女が、男女三人の若者に伴われて受付へと再びやってきた。

 女神官を勧誘して四人一組で即席の一党を拵えたらしい剣士が、頭目としてゴブリン退治の依頼を請けに来たのである。

 鉢巻きを締め、新品らしい長剣を鞘ごと帯で背負い、綺麗で薄っぺらな胸当てをした剣士。

 身体の線に沿った動きやすい道着を着込み、長い黒髪を頭の後ろで一本に束ねた女武闘家。

 三角帽を被ってマントと厚いローブを纏い、赤い拳大の宝石を嵌め込んだ杖を握る眼鏡の女魔術師。

 そして、地母神の聖印を兼ねた錫杖を手に、緊張と不安で一杯の表情をした女神官。

 思い思いの――受付嬢からすれば粗末な――傷も汚れもないぴかぴかの装備を纏った男女四人の新人冒険者達がそこにはいた。

 只人、森人、鉱人、圃人、蜥蜴人、戦士、呪文遣い、僧侶、野伏などなど――様々な種族、様々な職業の、新人(ニュービー)から熟練者(ベテラン)まで無数の冒険者(アドベンチャラー)を受付嬢は日々見てきている。

 そんな彼女の目から見て、彼らは非常に危うい存在と判断された。

 剣士と武闘家の前衛二名、魔術師と神官の後衛二名と一党のバランスは決して悪くない。

 だが、それでも四人という頭数で洞窟に巣食うゴブリン退治に赴くというのは、受付嬢の経験上、唯々諾々と受け付けるに憚られた。

 ゴブリン。小さな鬼。

 背丈、力、知性は人間の子供並で、夜目は利くものの単体では最も弱い怪物の一種だ。

 群れで行動し、人々の生活を脅かし、村を襲って女を攫うなどの被害をもたらす、この四方世界で最もありふれた怪物でもある。

 ゴブリンは怪物の中で最弱。なれども、その群れの持つ数の力を侮れば、待っているのは退治に向かったはずの冒険者達の無惨な末路だ。

 いつだってゴブリンの数は冒険者よりも多い。

 一匹、二匹ならば容易く殺せる怪物であろうと、凶器を手に手に五、十と同時に群がられて無事でいられる新人など、そうはいない。

 だからこそ、互いを守り合える仲間が一人でも多いかが死線を分かつ重要事項となるのだけれど。

 ――ゴブリンなんて、四人で十分でしょう?

 本当に四人で請けるのかと問い、

「もう少ししたら、たぶん、他の冒険者の方が来ると思いますが……」

 と、一党の人数を増やすようやんわりと助言した受付嬢に、剣士は心配される理由に思い至らないという表情で、笑ってそう言った。

 冒険者に、大丈夫、と言われてしまったら、あくまで依頼者と冒険者の仲介役のギルド側はもう何とも言えない。

 最弱の怪物退治の依頼は、悲しむべき事に頻繁に冒険者ギルドへと持ち込まれる。

 依頼主の多くは、不幸にもゴブリンの標的にされた地方の開拓村や農村だ。

 依頼の報酬として村中から掻き集めて差し出される金は、金貨に換算して平均で十枚前後。

 依頼に成功して報酬を受け取り、一つの冒険者一党の人数で分ける事を考えれば、ひどく安いと言える。

 故に報酬と怪物退治の労力が見合わぬと、新人を卒業した中堅以上の冒険者はゴブリン退治の依頼を請けたがらないのが通例だ。

 畢竟、報酬としても請ける人手としても、ゴブリン退治に挑む冒険者はほとんどが新人という事になる。

 かくして、新人冒険者は輝かしい夢と希望で一杯の胸に、最下級冒険者の証たる白磁の認識票を下げてゴブリン退治へ揚々と赴くのであるが……。

「はぁ……」

 と、また一つ小さな溜息が受付嬢の薄化粧の唇から零れ落ち、胃が引き攣るようにして痛みを訴える。

 そんな受付嬢に、「やれやれ」と小さく肩を竦めた監督官が少しばかり呆れたような、心痛を祓うような調子で慰めの言葉を(ほう)った。

「ちっひは彼らに少ない人数で依頼に挑む危険性は説明したし、他にドブさらいや巨大鼠狩りの依頼がある事も提示した。そこから先は自己責任……とまでは言わないけど、上手くいくいかないは彼ら自身に懸かってる。それが冒険者って職業なんだよ」

「それはまあ……わかってますけど」

 わかってますけども、と受付嬢は唇を小さく尖らせる。

 以前、十ある冒険者の等級の内、上から数えて三番目に当たる銀等級の熟練冒険者にゴブリン退治についてインタビューした物を読んだ事がある。

 曰く、『冒険者のゴブリン退治は三種類に分かれる』

 続けて曰く、『楽勝で終わらせる奴ら』

 また曰く、『痛い目見て学ぶ奴ら』

 また一つに曰く、『甘く見て全滅する奴ら』

 今朝送り出した彼らが、いや、全ての冒険者が三番目の事案にならない事を祈るばかりだが、運命の骰子は神ならぬ人の身であってはどうしようもない。

 尤も、神でさえ覆しえないのが骰子の出目なのだが……。

「せめて、『あの人達』が来てくれれば……」

 目の前の仕事机の表面に軽く突っ伏した受付嬢の、祈りよ届けと言わんばかりのねだり声に監督官がまたぞろ肩を竦めている。

 と、受付カウンターの正面向こう、ギルドの大きな入口の自在扉がドアベルの音と共に雑に押し開かれ、武装した二人組の冒険者が新たに入ってくるのが監督官の瞳に映った。

「おーい、ちっひ」茶目っ気たっぷりに、にんまりとした笑みの監督官は受付嬢に呼び掛ける。「――噂をすれば、なんだよ」

「ふぇ?」

 監督官からの声に、受付嬢が机から身体を起こして顔を上げれば。

 ホールに満ちる若干の喧騒の中、彼女がようく見知った、一人の男と一人の少女が歩いてくるのがわかった。

 冒険者向けの酒場と宿泊施設を兼ねたギルドのホールには、多かれ少なかれ冒険者が屯している。

 毎朝の依頼争奪戦が終わった今頃は、請けた依頼の情報を吟味して戦略を立てる一党や、前日までの依頼で疲労した心身を休養に充てる冒険者達がそこかしこの卓を囲んでいる。

 その喧騒の合間を、ずかずかと遠慮ない足取りで突き進むみすぼらしい鎧姿の男。

 そして彼に寄り添うように小気味良いステップで歩く黒い革鎧の、遠目にも愛らしい顔立ちの少女。

 彼らが足を進める度、他の冒険者達から物珍しいものを見るような、あるいは無関係でいたいというような反応が細波の如く生まれていく。

 が、彼らにまるで気にした様子はない。

 そう遠巻きに見遣られる、何とも不似合いな印象をもたらす二人組の冒険者を、受付嬢の視界が捉えた。

 受付へと迷わず向かい来る彼らに対し、思わず受付嬢はカウンターから小さく身を乗り出すようにして声を上げていた。

「ゴブリンスレイヤーさん!」

 彼女がそう呼んだのは、薄汚れた鉄兜と革鎧、鎖帷子を身に纏い、全身の所々が赤黒く染まった男。

 中途半端な長さの剣を腰に帯び、小さい円盾を腕に括り、雑嚢鞄を腰に吊った彼の姿は駆け出しの新人よりもみすぼらしく見える。

「それにユウキさん! よく来てくれました!」

 続けて呼んだのは、紫水晶(アメジスト)を織り込んだかのような暗紫の長い黒髪と、細身ながらも武人として練り上げられた肉体が見て取れる少女だ。

 どこまでもちぐはぐな二人に共通している点が一つあった。

 それは、胸元で煌く銀の認識票――冒険者ギルドに所属する、十ある等級中の第三位の証だ。

 天上におわすという神様達に、受付嬢は心中で感謝の言葉を捧げる。

「おっはよう、ちひろさん! インデックスさんも! なになに? もしかしてこの『超勇者』に相応しいすっごい依頼でもあるのっ?」

 淡い柘榴石(ガーネット)を思わせるくりくりとした瞳を輝かせ、ユウキと呼ばわれた少女が底抜けに明るい声と共に受付嬢と監察官の元へと小走りに駆け寄った。

 彼女の左腰には肉厚らしい片手直剣が太い鞘に納まっており、しなやかな胴を包むのは目の細かい鎖帷子と、所々鉄板で補強された黒染めの革鎧。

 両の前腕から手の甲までを覆う厚い紫の布と細い鉄板でできた手甲(てっこう)を着けており、左手には黒鋼の五指籠手(ガントレット)が嵌まっている。

 五指籠手に握られた革の顎紐の先で、庇のないT字型に鼻当てが伸びた黒い鉄兜が揺れて鎧の鉄板とぶつかり、短い金鳴りが生まれた。

 額上の髪から耳の後ろを通し、後頭部までを環で結ぶようにした臙脂の鉢巻きが、物々しく黒々しい彼女の出で立ちに少女らしい彩りを加えている。

 ちなみに『超勇者』というのは彼女の自称する職業であり、ギルドは彼女を単に「只人・戦士・女」で登録している。

 彼らの姿を認め、先ほどまでの憂鬱な表情から打って変わってにこにこ笑顔になった受付嬢は、歯切れ良く言葉を発する。

「はいっ、ぴったりの物がございます! ――ゴブリン退治です!」

「えぇ……うーん」

 受付嬢から笑顔で告げられた依頼内容に、少女は形の良い眉を寄せて露骨にテンションを下げて唸っていた。

 対照的に、物言わぬさまよう鎧(リビングメイル)と見紛うばかりだったゴブリンスレイヤーと呼ばれた男が、心なしか活き活きとしたように見える。

「請けよう。どこだ、何匹いる?」

「はい、ありがとうございます、ゴブリンスレイヤーさん! 少々込み入った状態の依頼ですのでしっかりとご説明させていただきますね」

「聞こう」

 ゴブリンスレイヤーは素直にこっくりと鉄兜を頷かせる。

 彼は決して事前の情報収集と準備を疎かにしない。その事を受付嬢は知っている。

「まーたゴーブーリーンー……」

「まあまあ、ユウキさん。これも勇者的な社会貢献度(ポイント)高いですよ? ね、ねっ?」

 猫が香箱座りをするように、両手と白い顎をカウンターの磨かれた天板に置いてぶうたれる自称超勇者の少女剣士――ユウキを宥めるように微笑みかけながら、受付嬢は数年前の事を思い出す。

 彼が、まだゴブリンスレイヤーと呼ばれ始める前の事。

 冒険者登録してしばらくしての事だ。

 彼が日々一人で、時に他の新人冒険者と合力し、傷付きながらゴブリンを退治し、段々と彼なりの装備を整えていった頃。

 受付嬢も、己が身に「新人」という言葉がひよこの頭の殻の如く付いて回っていた時分。

 

 ある朝、冒険者ギルドの受付へと、一人の年若い少女――ユウキを彼が連れてきたのだ。

 暗紫の黒髪を無造作に伸ばし、洗い晒しのカーキの長袖シャツに継ぎ当てのオーバーオールを着込み、タン色の革ブーツを履いた姿は、如何にも農場の娘という風体だ。

 いつも無遠慮でどこか決断的な口調が彼の特徴だったはずだが、その日は妙に歯切れが悪かったのを受付嬢はよく覚えている。

「……冒険者登録を、したいらしい」

 本当にこうしていいのか、と迷うかのような調子で、彼はそう言った。

「うん。連れてきてくれてありがと、にいちゃん。ボクも冒険者になるよ」

 白い歯を覗かせた眩しい笑顔で、少女がそう宣言するのを彼と受付嬢は聞いた。

 聞けば、彼女は彼が下宿している牧場の主の姪なのだそうだ。

 ギルドの酒場はその牧場から畜産物などを仕入れており、受付嬢も牧場の事は知らないでもなかった。

 牧場主の壮年の男性相手に納品の確認印をやり取りした事もあるし、先日は彼のもう一人の姪御とも挨拶をした。

 ユウキは、彼女の双子の妹なのだという。

 ギルドの受付としては新たな冒険者の誕生に否やはない――受付嬢から見て少女が成人に達していないだろう点を除けば。

 なるほど、同年代よりも背丈は高かろう。女性らしい肉付きはお世辞にも良いとは言えないが、それは何かで鍛えられて引き締まった結果だろう。

 だが、受付嬢には同じ女性としてわかるのだ――微かに幼さの抜け切らない顔付きが。

 確かに冒険者ギルドは来る者拒まず、十五の成人前であろうと食い詰めた少年少女などが職と食にありつく為に、年齢を偽って冒険者登録する事ができてしまう。

 そうでなくとも、例えば田舎の百姓の次男坊三男坊が、年齢を誤魔化して都の軍の兵士に志願するといった事などがありふれている。

 冒険者として登録しても、赤字しか出せなければ男は農奴に、女は娼婦にでもなるしかないが、それでも冒険者として芽が出ればそれらの道は避けられる。

 そも、一年で一つ増す年齢というものなど、只人以外に物差しとしては当てにくい。

 けれども、である。

 成人前の子供を危険の伴う依頼の前に積極的に送り出したいかと言えば、受付嬢の心情としては否、だ。

「えっと、その……ユウキちゃんは、本当に冒険者登録したいんですか?」

 恐る恐るといった風に受付嬢が確認の言葉で問い掛ければ、少女ははっきりと頷いた。

「はい、そうです!」受付嬢の豊かな胸元をじっと見た少女が元気良く答える。「えと、千川、さん!」

 名札から受付嬢の名前をきちんと読み取ったらしい。

 本当にいいのか、と保護者の姿を求めるように彼の古びた兜頭を見遣れば、口を開く事はなく。

 すぅ、と一度深く息を吸い、受付嬢は努めて感情を排した声音で話した。

「……わかりました。それでは冒険者登録を始めましょう。文字の読み書きはできますか?」

 都での研修から辺境のギルドに配属されて今日まで言い続けてきた説明は、硬い表情をした受付嬢の舌で絡まる事なく為される。

「できるよ。にいちゃんのお姉ちゃんに、習ったから」

 小さく誇るように言い、小ぶりな鼻を腹にタコの浮いた人差し指で擦る少女の姿は何とも微笑ましい。

 少女の言葉を聞いた彼はぴくりとだけ短い身動ぎをしたが、少女に集中していた受付嬢は、気付かなかった。

「では、こちらの用紙の各項目に必要事項を書き込んでください」

 そう言って受付嬢がカウンターの向こうから天板に差し出したのは、一枚の薄茶の羊皮紙。

 金の飾り文字が躍るそれは、冒険記録用紙(アドベンチャーシート)と呼ばれる代物である。

「技量点と冒険履歴の所は空けておいてください。そこは私達で査定しますので」

 丸い目を更にまん丸くして興味深そうにしげしげと羊皮紙を眺める少女へ、受付嬢が補足するようにそう付け加える。

 冒険者になろうという者が記入すべき事項は、名前、性別、年齢、職業、髪、目、体格、技能、呪文、奇跡についてである。

 羊皮紙に綴られているのは、簡素極まりない項目の集まりのみだ。

 それらを天板の上の羽根ペンで書き込み、その内容を受付嬢が最下級冒険者の証たる白磁の小板――認識票に刻み込めば、もう新たな冒険者の誕生だ。

「えっとえっと」と書くべき内容を口ずさみながら、少女はインク壺に浸した羽根ペンの先を冒険記録用紙の上に走らせていく。

 その姿を見守っていた受付嬢の顔に貼り付けられていた業務的な笑みに罅が入ったのは、少女らしい丸っこい文字の進軍が呪文の項目に差し掛かった時だった。

「《稲妻(ライトニング)》に、《火矢(ファイアボルト)》、《火球(ファイアボール)》でしょ。《舞空(エアリアル)》、《矢避(ディフレクト・ミサイル)》……」

 少女がペンを持っていない方の手で指折り数え、んしょんしょと呟きながらちまちま書き加えられていく呪文の数に、受付嬢の処理能力が一時的に停止した。

 新人冒険者など、専門の呪文遣いや神官であっても使える術が二つもあれば十分以上だ。

 ――それを、職業の欄に『超勇者』などと奔放に書き込んでいるこの少女は、五つと?

「……あの、ユウキちゃん。手を止めなくていいので教えてくれますか。それらの呪文は、一日に何回使えるのでしょう?」

 平坦な調子で問う受付嬢に、少女が手を止めて紙面から顔を上げ、思案するように瞳を上向かせた。

「五回か、六回くらい? 師匠(マスター)の教え通りに鍛錬してるんだけど、まだそれ以上は疲れちゃうんだよね」

 子供のフカシかと思ったのだが、実感の伴った自称超勇者の声に、受付嬢の胃の辺りが悲鳴を上げ始めた。

 ――こんな規格外の取り扱いについてなんて、都でも赴任先のここでも研修で習わなかったですよ……!

 そうして。

「……お、お疲れ様でした……。これで登録は終わりです」

 銀の尖筆で白磁の小板に新人らしからぬ記入項目を刻み込んで疲労困憊の態の受付嬢に、彼女から手渡された認識票を首から下げて嬉しさ一杯という状態の少女が明るい声で礼を述べる。

「ありがとう千川さん! ボクすっごい冒険者になるからね。でも、なんで職業は戦士なんですか?」

 不思議そうに小板を摘み上げながら尋ねる少女に、受付嬢は至極あっさりとした調子で答えた。

「……冒険記録用紙に記入された『超勇者』という職業は前例がありませんので、勝手ながらこちらでユウキちゃんの技能から、適性職として戦士で登録いたしました。悪しからずご了承ください」

 お役所仕事だぁ、と不満そうに頬を膨らして抗議する少女に、お役所ですから、と受付嬢は受け流す。

 そして、一息吐いた受付嬢が少女の淡く深みのある赤い両瞳を見つめ、疑問を口にした。

「ユウキちゃんは、どうして冒険者に?」

 本来、ギルド職員が冒険者志願者に志望理由を尋ねる必要も理由も、ない。

 それでも訊いたのは、受付嬢が新人で未熟で、冒険者達の人生について割り切る事ができなかったからだ。

 ――自分がベテランになれば、割り切る事ができるようになるのだろうか?

 時間と経験だけが解答をくれる――かもしれない――問いは自分の胸の底に沈めて。

「そりゃあ勿論、にいちゃんと一緒に冒険したいから!」

 にいちゃん。そう、少女が陽だまりのような笑みで親愛の籠もった声を上げ。

「……む……」

 彼は僅かに居心地悪そうに小さく唸る。面頬の奥を見通せぬ兜の下で、彼がどのような表情をしているかは見えなかったが、受付嬢にはどんな表情かわかるような気がした。

「それにさ、にいちゃん大体一人で冒険しに行ってるんでしょ?」

 彼と受付嬢の二人を視界に収めて覗き込むように、一歩身体を下げて後ろ手を組んだ少女が確認するように小首を傾げて問う。

「ええ、まあ……本当はちゃんと一党を組んでいただいて、安全性を上げて依頼を請けてもらいたいのですが」

 困ったものです、と言う風に頬に片手を当て、ここぞとばかりに受付嬢はこれ見よがしに溜息を吐いた。

 普段は冒険者や依頼者相手に不安を見せるような事は禁物なのだが、この場面ではこれが正解だ、と受付嬢の直感が告げていた。

「ボクがにいちゃんと一緒に冒険するようになったら千川さんの言う通りになるもんね。まっかして! ボクの剣と魔法が唸って光るよ!」

 ふふん、と肉付きの薄い胸を張り、緩く素振りの動作をしてその場で身を回した少女に、受付嬢は微笑みと共に追従する。

「はい、是非にお願いします、ユウキちゃん」

 そして笑みを消し、真剣そのものの顔付きと声音で彼へと告げる。

「ユウキちゃんを、しっかり助けてあげてください。どんなに能力査定(ステータス)が優秀であろうと、今の彼女は未経験の新人冒険者の一人に過ぎません」

「ああ。あの人とも、約束した。必ず無事に帰す。最悪は、命に代えても」

 当然だ、と言うように言い切る彼に、受付嬢は――――瞬間的に憤慨していた。

 

「……何を! 言ってるんですか! あなたも、あなたも生きて帰るんです! 何もわかってないじゃないですかぁ!」

 

 バンッ、と白い両手が赤らむほど天板を強く叩いて腰を浮かせた受付嬢の姿と怒号に、「なんだ」「どうした」と受付奥やカウンター近くにいた者達から驚きと興味が向けられる。

 受付嬢は周りの反応などお構いなしで、目の前の、たった一人でゴブリン退治を繰り返す冒険者を睨むように見据える。

 顔に熱が昇り、視界が滲んでくる。震えそうになる声を、ぐっと唾を一飲みして抑え、言う。

「あなたに死んでほしくなんかないから、生きて帰ってきてほしいから、ユウキちゃんはここまで来てぇ……どうして、冒険者さんは……うっ、うぅぅ」

 死して屍拾う者なし――それが冒険者の生き様を端的に表した言葉の一つだ。

 ――それでも。

 都で研修している時から、辺境の街のギルドに配属されて受付として働き始めてからも、ずっと感じて降り積もっていた感情。

 ――朝に笑顔で送り出した人達が、ひどい怪我をして戻って来たり、あるいは不意に二度と帰ってこなかったり。それは、とても、とても――。

 それが、この二人と出会った今、受付嬢の中で爆ぜてしまった。

 何とか堪えようとしたが、駄目だった。受付嬢の目元からぼろぼろと大粒の涙が零れ、天板に透明の雫が幾滴も浮かべられていく。

 俯き、このまま泣きじゃくってしまいそうになる受付嬢の頬を、そっと触れる温かい掌があった。

「ユウキ、ちゃ……」

「大丈夫だよ」

 柔らかな声が受付嬢の耳に届き、濡れた瞳を、ユウキの穏やかな瞳に見つめられる。

「大丈夫。にいちゃんは死なせない。にいちゃんもボクを死なせたりなんかしない。ちゃあんと、帰ってくるよ」

 ――だから、安心して?

 彼女の優しい何もかもに甘え切ってしまいたくなる。

 が、受付嬢は鼻を啜り上げ、濡れた目元を強引に袖口で拭い、自らを奮い立たせた。

 ――いくつも年下の子にここまで言わせて、何が大人、何が職員、何が都出の才媛ですか。

「……見苦しいところをお見せました。申し訳ありません」

 腫れぼったい赤い目元と崩れた薄化粧のまま、毅然として彼女は少女らに深々と頭を下げて謝罪した。

 それから、豊かな胸に手を当てて薄い唇を開く。

「冒険者ギルド一職員として、あなた方お二人を含め、全ての冒険者の手助けに全力で取り組む事をここに改めてお約束します」

 その宣言が終わると同時。

 彼女の上役らしい年嵩の女性職員が受付で起こった小さな波瀾を調査しに来たらしく、それを視界の端で捉えた受付嬢の顔色が決然としたものから蒼白へと急変。

「きょ、今日のところはこれでお引き取りくださいっ! 多分このままだと面倒事になります!」

 わたわたと慌てて右往左往する受付嬢の姿を見ながら、少女は頬を掻きながら困ったような笑い声を上げるしかなかった。

「あははは……」

 男の方は、黙念として何某かを言う事はなかった。

 だが、それは何かを噛み締め、必死に飲み込もうとしているように見えた。

「……じゃあ、またね! 千川さん。さっ、行こ、にいちゃん」

 右手を振って別れの挨拶とし、左手で男の右手を握った少女が身を軽く翻してギルドの入口の方へと歩き出していく。

 二人の背中を見送りながら、受付嬢の顔には自然と力みのない笑みが浮かんでいた。

 ――何かが、吹っ切れたような、でも見つけるべきものを見つけたような、そんな気がする。

 と。

「千川さん、何がどうしたのか聞いてもよろしいかしら?」

 齢を重ねた堅くも柔らかい手が肩に置かれ、少し低い声で上司が丁寧に問うてくる。

「……はい」

 その日、受付嬢はギルド職員室でこってりと絞られ、ギルドの受付とは何たるかを上司から再度叩き込まれた。

 

 

 冒険者ギルドを出てすぐ、街道と辺境の街を繋ぐ門の前で一組の男女の冒険者が街から発とうとしていた。

 朝という時間を過ぎようとして空を昇っていく太陽の下に立っているのは、ゴブリンスレイヤーと少女剣士である。

 新人が請けたゴブリン退治の様子見、あるいは助勢、もしくは全滅した場合の『引き継ぎ』――受付嬢は小さく「0506案件」と呟いていたか――を受付嬢に頼まれたのだ。

 新人一党の人数は四人。装備は恐らく不十分。ゴブリンの脅威への認識は甘い。

 受付嬢からもたらされたその一党に関する情報は、何とも不安を生むもののオンパレードだ。

 だが、そうであってもゴブリン退治を成功させる新人冒険者は、少ないが、いる。

 ゴブリンが最弱の怪物である事に間違いはないのだから。

「じゃあ急ごっか、にいちゃん」

 黒い鉄兜を被って顎紐をしっかりと締め、鎧の各所、背嚢の結び、剣の帯、鉄手甲、五指籠手の握り具合を点検しながら少女剣士がゴブリンスレイヤーへと声を掛ける。

 彼女と同じく全身の装備を手早く検めたゴブリンスレイヤーは頷く。

 が、彼の視線がある一点で固まる。

 視線の先にあるのは、自らに向かって差し出された、少女剣士の五指籠手に包まれた左手だ。

「ほらほら、早く手ぇ繋いでよにいちゃん。《舞空(エアリアル)》が掛けられないじゃん」

 急かす彼女の声に、ゴブリンスレイヤーはゆっくりと彼女の掌を握り。

「もっとぎゅっと握ってくれないと危ないってば」

 彼の革籠手の五指と彼女の黒鉄の籠手の五指が、噛み合わされるようにしっかと握り直された。

「よぉーし! 準備完了! にいちゃん、道案内(ナビゲート)はよろしく!」

「ああ」

 張り切る少女剣士の真っ直ぐな瞳が見据えているのは、伸びる街道の水平線の向こう。

 そして少女の化粧っ気のないほの赤い唇が紡ぎ上げるのは、世界の理を改竄する、真に力ある言葉の端々。

「《気ままな風精(シルフ)よ風精。望むがままに風鳴る舞を、我と一差し共にせん》!」

 少女剣士が詠唱を完遂すると、彼女目掛けてどこからともなく無数の風が渦巻いて吹いてきた。

 彼女と手を繋いだゴブリンスレイヤーにも風が纏わり付きながらも流れていき、鎧った全身が、ともすれば浮き上がってしまうと錯覚しそうなほどに軽くなる。

 風の如く身を軽くする、《舞空》の魔術の効果だ。

「目的地、ゴブリンの巣穴! 目標、新人一党四人の安否確認並びにゴブリンの殲滅!」

 ぎゅう、とゴブリンスレイヤーの存在を確かめるように少女剣士が左手の力を強め、僅かに前傾姿勢を取る。

 次いで大きく叫んだ。

「――位置に着いて……よーい、どんっ!!」

 その直後。

 街道の最中、ある農村の方へと通じる野路を、土煙を派手に蹴立てながら走り抜ける黒い疾風が生まれた。

 

 

 ――依頼を請けたのが失敗だった。

 そんな遅すぎる後悔の言葉が、女神官の胸の内で冷たい泥のように染み入ってくる。

 ほんの少し前まで、自分達は村人を苦しめるゴブリンを退治するのだ、と農村の近くの洞窟へと乗り込んでいた――そのはずだった。

 だが、今の状況はどうだ?

 松明一本しか暗闇を祓う灯りがない荒い岩肌に覆われた洞窟の中――その唯一の灯りも女神官の目からは遠い――で、新人冒険者一党の四人は、全滅の憂き目に遭わんとしている。

 一本道の洞窟内を会敵する事なく進んでいた最中、通り過ぎた背後からは来るはずのないゴブリンどもの奇襲を受けたのだ。

「ああ……あああ! この、離せッ! こ、のぉ!」

 手に手に粗雑な武器を握った、子供程度の体躯をした醜悪な怪物――ゴブリンに掴まれ、引き倒された女魔術師がろくにない膂力で藻掻き、足掻いている。

 彼女の近くの地面には、ゴブリンに奪われ、半ばからへし折られた彼女の杖が転がっていた。

 女魔術師を囲む一団から外れたところで、一匹のゴブリンが黒焦げの頭の躯を晒しているが、彼女がゴブリンに取り付かれる前に放った一発の《火矢(ファイアボルト)》で焼かれたものだ。

 そして一匹仕留めたのが誤差としか思えないほど、女神官達にとってゴブリンの数は多かった。

「やめなさいっ! 彼女から、離れなさい!!」

 女神官は震える声で精一杯叫びながら、ゴブリンどもに向けて錫杖をとにかく振り回して威嚇するが、僅かに怯ませるに留まっている。

 女魔術師も女神官も初めて目の当たりにする醜い化け物と、その剥き出しの欲望に、恐怖が止まない。噛み合わぬ奥歯が鳴り、目に涙が溜まっていく。

 いずれ女神官も飛び掛かられ組み伏せられ、ゴブリンの餌食になるのは目に見えていた。

 それでも抵抗を続けなければ、待っているのは即座の死――あるいは惨くおぞましい行為だ。

 隊伍を組んでいた頼りになるはずの前衛――剣士と女武闘家とは、洞窟を進む内に距離が空いてしまっていた。

 平時ならばどうという事のないこの距離は、この場所この事態においては、致命的だ。

 加えて、彼らと女神官達の間には他のゴブリンどもが割り込んでおり、合流を阻むべくじりじりと歩を進めて剣士達に襲い掛かる機を図っている。

 絶体絶命――絶望的な状況に、剣士の持つ松明の火で僅かに見える視界さえ真っ暗になりそうだ。

「GROORB……GOR!」

 女魔術師を乱暴しようとしていた一匹のゴブリンが、振り回される彼女の足に顎を蹴飛ばされ、怒り狂うままに女魔術師の無防備な腹へと手にしたナイフを突き刺そうと、振りかぶった。

 その様を見た女神官は、悲鳴を上げ、神に祈る事しかできなかった。

 ――誰か、誰か助けて……神様……!

 その瞬間。

 人の世界の明かりが一切届かぬ、小鬼の拵えた悪意に満ちた暗闇の真っただ中に。

 

「――助っ人さんじょぉぉぉっ!」

 

 まるで夜明けの陽の如く底抜けに明るい大声が突き抜けて――――来た。

 ――真新しい松明の灯りに照らされた、黒紫の風が吹き荒んだ。

 ゴブリンに襲われ、半恐慌状態の駆け出し冒険者の女神官には、それしかわからなかった。

 女魔術師の腹目掛け、突き立てられようとしたどす黒く汚れたナイフ。

 それを握り、振り上げていたゴブリンの細腕が、あらぬ方向へ斬り飛ばされていた。

 次の瞬間、なくなった腕を見ようとしたゴブリンの首が胴から落ちていた。

「一つ!」

 聞こえるのは、何かを数えた、先ほどの女性の声。

 片腕と頭部を失った小鬼の身体から勢い良く噴き出た血で、女魔術師のローブの布地と女神官の端正な白い顔が赤く黒く染まる。

「あ……う、ぇ……?」

 女神官も女魔術師も、言葉にならない声が漏れるだけで、何が来て、何が起こったのか理解できていない。

 互いにへたり込んだまま、起きゆく全てを茫然と見ているしかできない。

「GROB!? ORG――」

 女魔術師を組み敷いていたゴブリンどもは同胞の突然の斬殺死に驚き――そして死んでいった。

 ()()()()()()()()()があってなお暗い闇の中から、染み出るように聞こえてくる低い男の声と共に。

「二」

 洞窟の暗闇にあって煌々と燃え盛る松明が棍棒の如く振り下ろされ、一匹の頭蓋を砕いて殺した。

「GRRO!」

「三」

 暗がりの向こうから素早く突き出された中途半端な長さの剣が、振り向いた一匹の喉を刺し貫いて殺した。

「GUIR――」

「四」

 喉を突かれて息絶えたゴブリンの躯を蹴り飛ばして剣を引き抜き、その躯に圧し掛かられ腹這いで倒れる格好になったゴブリンに飛び掛かり、後ろ首に剣先を叩き込んで捩じり、殺した。

 そうして、女魔術師と女神官の二人を取り囲んでいたゴブリンは皆殺しにされた。

 その事実を数秒の時間をかけてようやく飲み込んだ二人の少女は、暗闇からずるりと抜け出るように姿を現した――否、やっと認識できた人影をまじまじと見つめる。

 薄汚れた鉄兜と革鎧、鎖帷子を纏い、全身に怪物の赤黒い返り血を浴びて立つ男。

 赤く燃える松明を握る左手には使い込まれた小振りの円盾が括られており、付着した脳漿を焼き焦がして不安定に揺れる松明の灯りが、男の姿を揺らめいて照らし出している。

 右手はゴブリンの延髄に刺さったままの剣の柄を逆手に握っており、男はゴブリンの頭を足蹴に剣を引き抜いた。

 肉と液体が地面に零れる音と共に、あまりに中途半端な長さの安っぽい作りの剣が、その刃に血と脳漿をべっとりと纏わせて男の手に戻った。

「……五か」

 俯くようにした古びた鉄兜から出た、感情も抑揚も聞き取れない無造作な声が、何かを数え足し。

 ぐるりと。

 鎖帷子と鎧が短く擦れる音を立てながら、兜の正面が女神官と女魔術師へと向いた。

 異様。

 その一言に尽きる得体の知れぬみすぼらしい男が、庇と面頬で見通せぬ兜の奥からこちらを見ている。

「ひっ……あ、やっ……」

 空の手を身体の前に振り回す女魔術師のもつれにもつれた舌が、悲鳴じみた言葉にならない何かを唱える。

 呪文遣いたる彼女の誇りであり魔術の発動体でもある柘榴石の杖は、残骸と化して地面に転がったままだ。

 およそ初めて味わった死と汚辱に落ちゆく恐怖と、間髪入れず目の前で繰り広げられた惨殺劇。

 ともすればゴブリンと同じか、それ以上に正体不明の怪物に思えてしまう相手との遭遇。

 それらが女神官と女魔術師の心身に与えた打撃(ダメージ)は大きかった。

 彼女達のそれぞれの股座から漏れ出た生暖かい液体が下着と内腿を濡らしていたが、気付く余裕も気にする余裕もありはしない。

 白い手指がなお白くなるほど、女神官の両手は錫杖を思い切り握り締めていた。

 錫杖が両の掌に返してくる温く硬い感触だけが、今この世界で唯一確かなものに思えてくる。

 それでも女神官は、身体の芯から来る震えで鳴り止まぬ歯をぐっと噛み締めてから、震えるか細い声で誰何した。

 光なき闇の中で死に瀕していた自分達を――助けてくれた人を。

「……あの! あなた、は……?」

小鬼を殺す者(ゴブリンスレイヤー)

 男はただ一言、そう答えた。

 ――竜や吸血鬼ではなく、最弱の怪物たる小鬼を。ゴブリンを。殺す者。

 体を表す名という存在を、女神官達は見て聞いて、思い知る事となる。

 

 突然背後から大勢に襲われた格好となった剣士の青年は、浮足立っていた。

 一本道の洞窟を順調に前進している――そう思っていた彼は、入口以来ほとんど背後を警戒していなかったのだ。

 濁った吠声の群れが後方から湧き出し、女魔術師と女神官の悲鳴を耳にして初めて後背へと注意を向けたのである。

 見れば、組んでいた隊伍はいつの間にか己と女武闘家の前衛と、女魔術師達の後衛で別れてしまっている。

 女武闘家と話し込んで進む内、後ろの二人と足並みが乱れていたのだ。

 だが、今はそんな事を悔やんでいる暇はない。

 ゴブリンどもは自分達の倍以上の数が押し寄せてきており、四匹が女魔術師達を襲い、五匹がこちらに雄叫びを上げながら走り寄ってくる。

 剣士は松明を素早く地面に放り投げ、背負った自慢の長剣を鞘走りの音も高らかに引き抜き、両手でしっかと柄を握る。

 そして駆けるべく一歩を踏み出して雄々しく叫び、

「おのれゴブリン……! みんなを――」

 離せ。

 そう続けようとした時。

「――助っ人さんじょぉぉぉっ!」

 この暗い死地に不似合いにもほどがある陽だまりのような声が、火の玉となって飛んできた。

 火の玉――燃える松明を手にして駆けてくる、薄らいだ闇にあってなお黒い人影が、無手に見える右腕を振るった……ような気がした。

 見えなかったのだ。

 瞬きを一つする間に、女魔術師の腹を抉らんとしていたゴブリンの凶刃が腕ごと吹き飛び、首もついでというように飛んだ。

 と、呆けている場合ではない。

 目の前に五匹のゴブリンが迫り、更に奥ではまだ三匹のゴブリンがいるのだ!

 ――みんな俺が倒してやる!

 そう、思ったのだが。

「せぇあぁぁぁぁッ! 二! 三四、五ぉ、六!」

 裂帛の気合と刃鳴りが重なり合いながら響いた。

 剣士達へ迫っていたゴブリンどもの背中に追い付いた黒い影が、腕の数が増えたかと錯覚するほどの神速で突き、抜き、振り、返し、払い――その度に、ほどけるようにゴブリンの暗緑色の身体が切り裂かれていく。

 気付けば、岩肌の地面をブーツの足裏で削り飛ばした黒い鎧兜の戦士が、剣士と女武闘家の目の前で急停止していた。

 正体不明の戦士の駆け抜けた後には、小鬼の屍と血の道が築かれている。

 ここまで近付かれた事で、戦士の右手に握られていた物がようやく見えた。

 微かに血を滴らせた、刃も剣身も柄も、全てが黒い肉厚の直剣だった。

「うっ、うわああああ!?」

 瞬く間に――本当に瞬き一つの間にゴブリンを鏖殺した目前の存在に驚いた青年剣士が、自分でも訳がわからず叫ぶ。

 両手で握り締めていた長剣が振り抜かれ、ガッと鈍い音を立てて洞窟の岩壁に突っかかり――岩肌を叩いた反動で剣士の手から長剣が跳ね飛んだ。

 剣士が手にして以来、初めての刃毀れを得た長剣が、乾いた金属音を立てて地面に力なく寝そべる。

「うひゃぁっ! あっぶなー……ボクはゴブリンじゃないってば!」

 長剣の届きえた刃先よりも遠くへ身軽に飛び退いていた黒い鎧兜が、少女の驚声を発した。

「……女の、子……?」

 ゴブリンを前にして反射的に拳を身体の前で構えていた女武闘家が、張り詰めていた力が抜けるように肩を落としながら問う。

「そうだよ? 君達がゴブリン退治を受けた新人四人組であってるかな?」

 五指籠手に包まれた左手に持った松明を女武闘家らへ向けた戦士が、首を小さく傾げた。

 頭に被った黒い鉄兜から伸びる面頬と鼻当てで顔は半ば隠れてこそいるが、開けた目元と口元は確かに只人の年若い女性のそれと見える。

「あ、ああ……あの、君は……?」

 戦士の確認に剣士がこくこくと素直に頷きながら、誰何の声を上げる。

「ギルドの方から来ました、超勇者ユウキでーす。詳しい話は後でするから、今は後ろの子達と合流するのが先だね。ほらほら剣を拾って! 駆けあーし!」

 歯を見せて眩しく笑う黒鎧の少女――ユウキに引っ張られるように、剣士と女武闘家は女神官と女魔術師の元へと退却を始めた。

 小鬼の死体で作られた血溜まりの中をなるべく見る事なく、足早に駆けながら。

 

「何匹いた?」

「五匹」

「何匹殺した?」

「五匹」

「そうか。魔術師の仕留めていた分と合わせて、十。この規模の巣穴ならば、残り半分といったところか」

「斬った中にホブはいなかったね。まだ奥にいるかもだけど」

「入口と横穴近くにトーテムあり、シャーマンがこの群れの頭目だな」

 全身みすぼらしい装備の男――ゴブリンスレイヤーの淡々とした声と、黒と紫に身を鎧った自称超勇者の少女の明るい声が素早く確認と情報交換とを行っていく。

 二人に死の淵から無理矢理引き戻される格好となった新人冒険者達はと言えば、各人お互いの無事を確かめた後は恐縮しきりだった。

 その理由は、光に乏しい洞窟内でも二人の首下に鈍く輝く、銀の認識票。

 ゴブリンスレイヤーという男とユウキという少女の正体が、銀等級――在野最優と目される等級の冒険者と知れたからだ。

 駆け出しの自分達とは格が違う。

 得た情報を纏め終えたらしいゴブリンスレイヤーが鉄兜を巡らせ、一塊に身を寄せ合って立っていた剣士らを見た。

 びくっと小さく肩や頭を跳ねさせた剣士らに、ゴブリンスレイヤーは何ら気にした様子なく決定事項を伝えるように平坦な声音で言った。

「一度洞窟の外に出る。剣士(ソードマン)、ゴブリンの死体を一つ担げ」

「へっ?」

 予想外甚だしい命令に、剣士は狼狽せざるを得ない。血の飛沫いた岩肌の地面に倒れ伏す、最早動く事のない小さな躯の一つを彼はちらと見遣る。

「え、な、なんで、です、か……?」

 引き攣った顔と声で、剣士はゴブリンスレイヤーへ意図を問うていた。

 怪物の死体を弄るおぞましさの一端へ、己が手を染める理由が欲しかったから。

「決まっている」

 ゴブリンスレイヤーは右手の中途半端な長さの剣を腰帯に納め、空いた手で女魔術師の呪文で顔を焼かれて死んだゴブリンの首を掴み、持ち上げた。

「ゴブリンを殺す為だ」

 男は、決断的な口調でそう言った。

 

 

 人骨を組んで作った玉座に腰掛け、木と骨でできた杖を握り持つゴブリンシャーマン――巣穴の酋長は苛立っていた。

 洞窟の最奥、寝起きし、食い、女を犯す為の一番広い空間には、整理整頓という言葉と無縁に、あらゆる物が散乱している。

 食べ残しのまま腐った肉の欠片、うず高い排泄物の小山、方々から盗んできたガラクタの数々、そして攫ってきた女ども。

 よく臭う鉄と革の臭気のお陰で、冒険者が巣穴に入ってきたのはわかっていた。

 己の作り上げた完璧な巣穴を襲って荒らしに来た冒険者を痛め付けて殺すべく、酋長は群れの同胞の半数近くを差し向けた。

 しかし、その中に群れの用心棒――『渡り』のホブゴブリンの姿はなかった。

 巣穴の奥で『お楽しみ』の真っ最中だったからだ。

 ゴブリンらしからぬ巨躯を誇るホブゴブリンは、腐った吐息と共に醜い唸り声を上げ、裸の只人の女に圧し掛かって腰を打ち付けていた。

 汚液で全身薄汚れている女は既に巣穴の数多くの同胞に犯し尽くされ、反応はほとんどしていない。

 他の女どもも似たような調子だ。近々また女を攫わねばなるまい。

 ホブを用心棒に引き込む際の条件に、「好きな時に女を使わせろ」というのがあり、酋長はこの決め事を大いに苛立ちながらも辛うじて守ったのだ。

 ――あのでかぶつ(ホブ)め。この巣の主は俺だぞ。

 さっさと行けと手にした杖で思い切り打擲したくなるが、機嫌を損ねた用心棒に叛かれて巣の長の地位を奪われでもしたら、それこそ最悪だ。

 そうこうする内、どうやら汚れた欲望を発散し終えたらしいホブゴブリンがぐったりとした女を無造作に放り、得物の石斧を担いで立ち上がった。

 酋長は、ホブゴブリンに尖兵集団と合流して冒険者を殺すよう怒鳴りながら言い付ける。

 そしてホブの他、護衛に残していた六匹の同胞の内、四匹に共に行くよう杖を振り回して尊大に命じた。

 

 斥候役をホブゴブリンに押し付けられた一匹のゴブリンは、粗雑な槍を握り、息を殺して身を屈めていた。

 洞窟内の横穴から暗緑の醜面を覗かせ、周囲を用心深く見回す。

 一本道の洞窟、その岩肌の通路の脇には最奥の空間から延びる横穴を掘り穿ってあるのだ。

 横穴の反対側の岩壁に長の作ったトーテムを置いておけば、間抜けな冒険者はそちらに気を取られて横穴には気付かない。

 そうして冒険者が通り過ぎ、奴らの背後を取ったら横穴から一挙に奇襲を掛ける。

 それがこの巣穴の長が考えた、冒険者を仕留める為の作戦だ。

 先に十匹の同胞が襲撃に向かったはずだが、通路内に戦いの気配はない。

 もしや既に全員殺したか、と思った斥候の暗所も見える目が捉えたのは、しかし、地面に転がる、消えかけて舐めるように燃える松明と血に塗れた同胞達の死体であった。

「GROB! ROGB!」

 後方で待ち伏せの姿勢を取っていたホブゴブリンらに斥候は呼びかけ、冒険者の姿がない事を伝える。

「HUUBUU……」

 斥候に続き、待ち伏せをやめたホブらが横穴から一本道の方へと出た。

 同胞の死体がいくつもあり、ゴブリンらは口々に喚いて冒険者への怒りを洞窟内に撒き散らした。が、不意に鼻に届いた匂いに、揃って厭らしく口元を歪めた。

 女の小水の匂いだ。

 横穴から一本道を奥へ進んだところから強く匂っており、そこから戻って出口の方へ続いている。

 同胞の死体の数を数えてみれば、襲撃に向かった頭数よりいくつか少ない。

 さては、殺されなかった者が冒険者の女を捕らえて巣の外で楽しんでいるのか。

 ゴブリンは全てを都合良く考えて生きているし、自分こそが最もおいしい思いをするべきだと本気で考えている。

 故に、脳と下半身を欲望で一杯にしたホブゴブリンはこうしてはおれぬと鼻息荒く子分に号令をかけ、女の匂いを辿って洞窟の外を目指して走り始めた。

 どたどたと隊列も何もあったものではない進軍を経て、辿り着いたのは巣穴の出口。

 女はどこだ、と眩しい「夜」の陽光に目を細めながら首を巡らせるも、見つかったのは薄汚れた装備を纏った弱そうな男の冒険者一人。

 それと、冒険者の傍で臓物をぶち撒けながら地面に躯を晒す、二体の同胞の姿だけだった。

 その光景に、ゴブリンらの頭は瞬く間に怒りに沸騰し、濁った吠声を上げながら男目掛けて駆け出した。

 

 

「四、ホブ一。シャーマン、弓なし」

 ゴブリンスレイヤーは洞窟の入口からこちらへ突撃を始めたゴブリンどもを、およそ感情の読み取れぬ淡とした声で分類した。

 手にしていた中途半端な剣を逆手に持ち替え、振りかぶる。

 そして一等大柄なホブゴブリン目掛け、槍投げの要領で投擲。

「HUBURB!?」

 投げ撃った剣先が太い喉を見事に刺し貫き、がぼごぼと己の血に溺れながらホブゴブリンは前のめりに倒れ、死んだ。

「十一」

 ゴブリンスレイヤーが数を一つ足した。

「ORG!?」

 一番強い同胞が討たれた事に四匹のゴブリンは動揺した。

「GRROORB!」「GORB!」

 だが、ゴブリンスレイヤーの武器がなくなったのを見て取り、吶喊を再開する。

 ゴブリンスレイヤーは何ら慌てる事なく腰に差していた短剣を二本抜き、ゴブリンの頭から喉の間目掛けて撃ち放った。

 二匹のゴブリンがそれぞれ喉に短剣の柄を生やして倒れたが、まだ二匹残っている。

 味方を弾除けにして敵を殺そうとするなどゴブリンにとっては当たり前の事だ。

 生き残ったゴブリンらは槍と棍棒をそれぞれ握り、ゴブリンスレイヤーに飛び掛からんとする。

 だが、ゴブリンスレイヤーの背後、林の藪から飛び出してきた人影が二つあった。

「うっ、うおおおおっ!!」

 一匹は長剣で胸を深々と切り裂かれ。

「せ、りゃあッ!」

 もう一匹は鋭く速い手刀で首をへし折られ、二匹のゴブリンは息絶えた。

 奇襲にてゴブリンを屠ったのは、剣士と女武闘家だ。

 そして完全に敵影がなくなったのを確認した後、藪から女神官、女魔術師、少女剣士の三人が姿を現した。

 各々錫杖、折れた杖、黒剣を構えており、油断はない。

 新人冒険者四人組の真新しくぴかぴかだった服と防具は、赤黒いものでどろどろに汚されている。

 汚れの正体は、ゴブリンスレイヤーがゴブリンの死体から引き摺り出した内臓を布で包んで絞り、彼らにこれでもかと塗りたくった汁である。

 吐き気を催す異臭――ゴブリンの血と臓腑の臭いが装備と身体に染み付くのに、顔を歪めない者はいなかった。

 だが、

「臭い消しだ。ゴブリンは鼻が利く。特に女の小水の臭いにはな。このままでは奴らに気取られる」

 と、洞窟を出たところでゴブリンスレイヤーに当然の事のように言い付けられては、抗うのも憚られた。

「ゴブリン退治をやるのか、やらないのか。別に臭い消しをしなくても構わんが、それならば帰れ。邪魔だ」

 そうも言われては、ゴブリン退治に揚々と勇んで来た手前、何の成果もなく「お綺麗」なまま街に戻る事は彼らにできなかった。

「……だいじょうぶ、慣れるよ?」

 曖昧な笑みでそうフォローになるか微妙なフォローをくれる少女剣士だけが、その場における救いだった。

 

「これで十五」

 巣穴の外に出てきたゴブリンを鏖殺したゴブリンスレイヤーはそう言い、殺したばかりのゴブリンの死体を漁り始めた。

 倒れたホブゴブリンにめり込んだ剣は回収不能であり、彼はそれを気に掛けずに他のゴブリンの死体が握っていた粗雑な手槍を奪った。

 ゴブリンにとっては長槍でも、只人が持てば手槍の長さだ。

 ついでと言うように棍棒も取り上げて腰帯に挟む。

 その様をこわごわと見つめていた剣士に、ゴブリンスレイヤーは呟くように言った。

「その剣はゴブリンの巣穴では長すぎる。ゴブリンどもの武器を奪って使え」

 その剣――戦闘を終えても剣士が未だ両手で握り締めている長剣の事だ。

 ――助言してくれている?

 薄汚れた鉄兜の面頬で覆われた彼の表情は、全く見えない。

 初めての武器という事で思い入れがあってか、剣士は逡巡するように返事を言い淀む。

「……それか、その長剣を『槍』として使え。頭の鉢巻きを剣の半ばに巻いて握れるようにして、柄との両手でとにかく突いて手元に戻す動きをしろ。狭い洞窟で考えなしに長剣を振れば、岩肌につっかえる。死ぬぞ」

 洞窟内で黒鎧の少女に向かって剣を振り回した挙句、取り落とした己の失敗を思い出し、顔色を赤くしたり青くしたりしながら剣士は言葉なく、しかし何度も頷いて了承の意を示した。

「刃の切れ味が鈍ったら躊躇わず手放せ。奪った別の武器を即座に握れ。鈍った剣は敵を殺せず、自分を殺すぞ」

 そうして、剣士達はゴブリンの躯から使えそうな武器を取り上げ、装備した。

 ゴブリンの臭いを纏い、死体から装備を奪い取り、住処を襲って敵を殺す――そんな自分達は、まるでゴブリンみたいだ。

 新人冒険者一党の皆がそう思ったが、誰も口に出そうとは思わなかった。

 口にすれば、本当にゴブリンになってしまうような気がしたから。

「巣穴から燻り出し、誘き出し、始末する。それが一番楽だ。巣穴に踏み込むのは巣穴ごと潰せない時か、確実に皆殺す時だ」

 雑嚢鞄から新たな松明を引き抜き、火を灯したゴブリンスレイヤーが洞窟の入口へと遠慮ない足取りで歩き始めた。

「踏み込むぞ」

 つまりは、皆殺しだ。

 ゴブリンスレイヤーの選択を冒険者達は追いかけ、巣穴へと再び乗り込んだ。

 

 ゴブリンスレイヤーを先頭に隊伍を組んだ冒険者達は、注意深く周囲を探りながら洞内を進み、骨と木を組んで作られたトーテム――その傍に隠れるように掘られた横穴の地点へと到達した。

 先頭にゴブリンスレイヤー、その背に付くように剣士の男女二人、中衛に女神官と女魔術師の呪文遣い二人、後衛に女武闘家を置いた隊列だった。

 女魔術師が隊列の中央でもう一本の松明を焚いている。

「あのゴブリン達は、ここから……」

 新人冒険者の誰かが、唾を飲んで呟いた。

 暗い穴の向こうと、隣の一本道の半ばで累々と屍を晒すゴブリンどもへと視線を行き来させる。

 光の届かぬ洞窟の中ではあまりに頼りない、けれど煌々と燃える松明の灯りを手に、奥へと踏み込んでいく。

 緩やかな下り坂――只人の領域を外れて地の下に棲まう者達の世界へ身を進めていく中、言葉を交わす者は自然少なかった。

 少ない内の者は、ゴブリンスレイヤーと少女剣士だった。

「奴らは自分達で拵えた毒を武器に塗る。喰らうな。喰らうと息が詰まり、舌が震え、全身が痙攣し、熱が出て、意識が混濁し、そして死ぬ」

「まあ解毒剤は持ってるんだけど、攻撃を貰わないに越した事はないね」

「女神官は《聖光(ホーリーライト)》を唱える準備をしておけ。《小癒(ヒール)》は物の役に立たん。無駄に使うな。魔術師は《火矢(ファイアボルト)》一回きり、冷静に温存しろ。指示したら躊躇わず撃て」

「呪文は大事大事。呪的資源(リソース)は切らすな、そして躊躇わずズドンッと」

 その言葉のほとんどは、新人冒険者らに向けた、生き延び方とゴブリンの殺し方であったのだけれど。

「……この先だ」

 不意にぴたりと足を止め、静粛さを求める響きの言葉をゴブリンスレイヤーが放った。

 少ない灯りで暗闇を歩き続けたお陰で、只人の瞳でも暗所適応が僅かながら為されている。

 ゴブリンスレイヤーの声が示した先には、突き当たりと、そこから折れるように通路が繋がっている。

 一同は黙して手の内のそれぞれの得物を確かめるように握り直す。

「女神官、来い。《聖光》を準備しろ。俺が突入する。残りはユウキの合図でかかれ。いいな」

「……はいっ」

 錫杖を鳴らさぬように気を付けて握り締めた女神官が小さく返事をし、二人は先行を始めた。

 突き当たりの手前、岩壁を遮蔽にしたゴブリンスレイヤーが手槍の石突きを地面に打ち鳴らし、声を上げた。

「行くぞ、やれ」

 石突きが地を鳴らした音を聞きつけたらしいゴブリンの唸り声が、暗闇の向こうから小さく届く。

 それに臆する余裕なく、女神官は魂削る祈りを以て天上の神々に奇跡を嘆願する。

「《いと慈悲深き地母神よ、闇に迷えるわたしどもに、聖なる光をお恵みください》……!」

 果たして、乙女の真摯なる祈りは聞き届けられた。

 闇へ迷う事なく突入していくゴブリンスレイヤーの背を追うように突き出された錫杖の先が、太陽の如く燦然と煌く光を灯したのだ。

 ゴブリンスレイヤーの薄汚れた背中が照らされ、そしてその先に満ちていた暗闇が一気に打ち払われる。

 突き当たりの先は洞内の一番大きい空間であり、ゴブリンはそのまま広間に流用したらしい。

「GAUI!?」「GORRR?」

 広間の入口からした物音に注意と視線とをしっかりと向けていたゴブリンどもは、地母神のもたらしたもうた聖なる光に目を焼かれる事となった。

「二、シャーマン一。残り三」

 突如として闇の帳から放り出され、甲高い声を上げて狼狽するゴブリンを、ゴブリンスレイヤーは何らの感情なく残敵数として確認する。

 この場にいるゴブリンは二匹。その他、杖を持ち椅子に座り頭巾を被った者が一匹。

 広間にはゴブリンの他に、攫われて凌辱の限りを尽くされただろう女が数人転がされていた。

 それを痛ましげに見るのは女神官と、少女剣士に続いて広間に突入を敢行した新人冒険者達だった。

「OGAGO……GAROA……」

 光の眩しさから一早く復帰したシャーマンが玉座から立ち上がり、杖を振りかざして得体の知れぬ呪文を唱え始める。

 が、それを見過ごすゴブリンスレイヤーではない。

「させん」

 短く言い捨てながら、握っていた手槍をシャーマンへと投げ飛ばした。

 風を切って飛んだ槍の穂先が小鬼の厚くない胸を貫通し、背中まで勢い良く飛び出る。

 そして口と貫かれた胸からぼたぼたと赤黒い血を垂れ流しながら、シャーマンは槍に押されるように背中から頽れた。

 長が瞬く間に血の海に沈んだのを見て、残りのゴブリンどもはどうするべきか迷い、

「おぉおッ!」

「はぁっ!」

 答えの出ぬ内に、地を蹴って吶喊した剣士二人の二本の剣にそれぞれ突き殺された。

 

 人骨で組み上げられた椅子の傍で、ゴブリンシャーマンが槍の柄を胸から伸ばしながら仰向けに倒れている。

 それにゴブリンスレイヤーは近付き、腰帯から手に持ち替えた棍棒を振り下ろし、頭蓋を叩き割った。

 ぐしゃりと果実か何かを潰したような音と、小鬼の脳漿が広間の中で飛び散る。

 そうしてシャーマンが死んでいるかを確かめたゴブリンスレイヤーが言う。

「これで十八」

 最早見える範囲で生きて動くゴブリンはいない。

 その事に武器を構えたままびくびくと視線を彷徨わせていた新人冒険者達は、安堵の一息を吐いた。

 そして、戦闘の緊張と高揚が去った後、圧倒的な現実が彼らを襲った。

 洞内一杯に充満した、噎せ返るほどの血と臓物の臭い、臭い、臭い。

 不意に見下ろした地面に転がっていたのは、小鬼の「食べ残し」とわかる、人間の男の腕。

 黄ばんだ骨の覗く肉には白い蛆が幾匹も蠢いている。

 それから逃げるように目を逸らせば、汚液に塗れ、ぴくりともせず虚ろな瞳をしている女が代わりに映り込んでくる。

「――う……ぐ、げぇぇ……」

 自分達がなりえた未来の光景に、一人が嘔吐し、二人目が吐き、三人目が続き。

 結局、新人冒険者全員が跪いて胃の内容物を広間の地面にぶち撒けた。

 そんな彼らの反応に関心を払う事なく、ゴブリンスレイヤーは空となった玉座を乱暴に蹴飛ばす。

 骨――無数の人骨が地へ散らばり落ちる不吉その物の音を奏でながら玉座が崩れ、そして後ろの岩壁に据え付けられた腐りかけの木板が現れた。

 ゴブリンスレイヤーの影を踏むように立つ黒鎧の少女剣士は、無音でゆるりと剣を構えている。

 口元に残る反吐を拭い取った新人冒険者達がその扉を見た時、奥の方からがたごとと物音がした。

 彼らがぎょっと驚き手の内の武器を握り直す間に、ゴブリンスレイヤーが扉を引き剥がす。

 甲高い悲鳴と共に扉の向こうの空間――略奪品があるのを見るに隠し倉庫といったところか――の奥にゴブリンの子供が四匹潜んでいるのが見えた。

「子供も……殺すんですか……?」

 ゴブリンスレイヤー達の背中を見つめるしかできない女神官が、どこか現実感のない声音で問い掛け。

「当たり前だ。奴らは一生恨みを忘れん。それに巣穴の生き残りは学習し、知恵をつける。生かしておく理由など一つもない」

 シャーマンの脳漿滴る棍棒を握り締めるゴブリンスレイヤーが淡々と答え。

「《カリブンクルス(火石)》」

 少女剣士が倉庫の方へ翳した左手の五指籠手の掌で微かな光が生まれ、裏返るように炎へ転じ。

「ぜ……善良なゴブリンが、いたとしても……?」

 最早訳もわからず涙と汗で顔中ぐしゃぐしゃにした女神官が震える声で問い掛け。

「善良なゴブリン。探せば、いるかもしれん。だが」

 ゴブリンスレイヤーは心底不思議そうに呟き、答え。

「《ファスキス(集束)》」

 少女剣士の手の中で荒れ狂う赤い炎が橙から白、そして蒼へと色を変えて球形の渦を巻き。

「…………」

 女神官は、何も言えなかった。

「人前に出てこないゴブリンだけが、良いゴブリンだ」

 ゴブリンスレイヤーは言った。

「《ラディウス(射出)》」

 蒼い炎熱の螺旋が少女剣士の五指籠手の先から迸り、倉庫を空間ごと焼き尽くした。

 灰も骨も、断末魔さえも残さず、《火葬(インシネレート)》の呪文でゴブリンは死んだ。

 広間の大気全てが熱風と化して肌を打つ中、女神官は背を向けている少女剣士の顔を見る事は叶わなかった。

「これで二十二」

 小鬼を殺す者(ゴブリンスレイヤー)は、小鬼殺しの完遂を宣言した。

 

 

「それではっ! 君達のゴブリン退治の成功を祝して……かんぱぁーい!」

 天真爛漫が肉体を得たような少女剣士――ユウキが高々と杯を掲げ、乾杯の音頭を取った。

 冒険者ギルドに併設された酒場、そのテーブルの一つで小さな祝宴が開かれている。

 テーブルを囲む参加者は、新人冒険者四人組にユウキとゴブリンスレイヤーを加えた六人である。

 ユウキは黒い鉄兜を脱いで黒紫の長髪を背に流し、ゴブリンスレイヤーは常の通り兜も鎧もそのままの姿だ。

 街への帰還を果たし、汚れた全身をとりあえず身綺麗にした後、ギルド受付で報告を終えるとユウキに引っ張られるように酒場になだれ込んだのだ。

 ユウキの掛け声にゆるゆると上がる他の杯の中身は、いずれも僅かに湯気を残す黄金色の透き通った酒――蜂蜜酒のお湯割りだ。

 元気良くホールを飛び回っていた獣人女給を捕まえて頼んだ六杯である。

「新人まんまな湿気た注文だね」

 と彼女は不満そうに唇を尖らせていたが、流石に洞窟で血の海を渡ってげぇげぇやっていた彼らに葡萄酒の類を飲ませるほどユウキは鬼ではない。

 この酒場の扱っている蜂蜜酒は甘くこってりとした味わいの、旨い安酒である。

 が、ゴブリンスレイヤーは味わいだとか旨さだとか、そういった事を気にする素振りなくジョッキを呷った。

 兜の口元、庇の隙間から流し込んで、がぶり、がぶり、ごくり。

 あっと言う間に飲み干された空ジョッキの底面が、磨かれたテーブルの上に着地して乾いた音を小さく鳴らす。

 ゴブリンスレイヤーの飲みっぷりに見入りながら、新人冒険者達も飲み慣れぬ酒をちびちびと飲んでいく。

 空っぽになっていた腹の底にゆっくりと流れ落ちていく温かい酒精に、顔をほの赤くした新人冒険者達が誰からともなく、ほうと溜息を漏らした。

「ん」彼らの様子を見ていたユウキが小さく頷く。「じゃあ、そろそろ報酬の話をしよっか」

 にいちゃん、とゴブリンスレイヤーにユウキが呼び掛ければ、彼が雑嚢鞄から小さな麻袋を取り出し、卓上に置いた。

 ちゃり、と金属貨幣同士が当たる金鳴りが生まれ、緩く開いた袋の口から金色の丸い輝きが幾枚か零れ出た。

 新人冒険者らの視線が一挙に吸い寄せられる。

 街に帰り着くも疲労困憊の様相を呈していた剣士らに代わり、ゴブリンスレイヤーが受付でゴブリン退治の依頼達成を報告して預かっていた、報酬の金貨十枚だ。

「……あの、これは……」

 ごくり、と唾を飲み、何かを堪えるようにして言おうとした剣士を、ユウキの掌が押し留めた。

「君達が自分の命を懸けて戦って、村の人達の命を守った報酬。それがこのお金なんだ」

 えらいえらいと幼子を褒めるように、柔らかな笑みでユウキが噛んで含めるように告げる。

「もっちろんボクとにいちゃんも頑張ったから、その分はちゃーんと貰うけどね!」

 に、と白い歯を覗かせたユウキが、細くもしっかりとした指の先で二枚の金貨を手繰った。

 二枚の内、一枚をゴブリンスレイヤーの前へと滑らせ、彼女は残った一枚をポケットへと大事にしまい込んだ。

「あとはお前達で分配しろ」

 そしてゴブリンスレイヤーに取り付く島もなく言い放たれては、剣士らは言い返す事ができない。

 一様に困ったように眉を寄せた顔を合わせ、彼らは一人二枚ずつ金貨を分け合った。

 ――命懸けの仕事で一人金貨二枚、あるいは三枚がいいところとは、ゴブリン退治の依頼は実際安い。

 新人冒険者達は、しみじみとその思いを心身に沁み込ませていった。

 金貨をそれぞれ財布や鞄に大事そうにしまう彼らを見ながらジョッキを傾けていたユウキが、不意に訊ねた。

「ねぇ、ボク達と一党を組まない? 色んな冒険を一緒にしようよ!」

 まあゴブリン退治もたくさんやるんだけどね、と頭を掻いて付け足した彼女に、しかし、新人冒険者達の反応は芳しくない。

 銀等級の冒険者が、白磁等級の駆け出しを善意で仲間に誘うのだ。滅多にあるような事ではない。

 けれど。

 剣士は唇を固く引き結んで軽く俯き、女魔術師は視線を右下へ逸らして小さく顔を背けている。

「ええっと、その……お誘いは、本っ当に嬉しいんです、けど……」

 女武闘家が、申し訳なさで一杯という表情で両者の心情を代弁した。

「……私達じゃあ、ついていけないと思います」

 言い、額をテーブルに擦りつけんばかりに頭を下げた。

 偏に、彼らの瞳に焼き付いたユウキの剣と魔術の冴えが原因だった。

 剣士と女魔術師の心が折れかけているのだ。その事を察した女武闘家がこうして頭を下げている。

 彼らの有様を見ては、ユウキも強く言う事はできない。

「……そっか。うーん残念。君はどう? にいちゃんとボクの前衛二人で組んでて、治癒師(ヒーラー)は有り難い存在なんだけど」

「ふぇっ? わ、わたしですか!?」

 水を向けられた女神官は、ほの赤い頬の上、疲労と酒精の温もりで瞼が下がりつつある目をぱちくりさせる。

「わたし、は……」

 彼女は、迷っていた。

 剣士達とこのまま一党を組んでいても、冒険者はできるだろう、おそらく。

 だが、洞窟で追いかけ続けたゴブリンスレイヤーとユウキの姿が、女神官の心に焼き付いて離れない。

 ――守り、癒し、救え。

 地母神の三聖句だ。

 孤児の己を養育してくれた神殿で、幾度も繰り返し学び、唱えた言葉。

 傷付いた人々を癒し、地母神の教えを全うするべく冒険者となった彼女は、それを実行していくつもりでいた。

 だが、蓋を開けてみればどうだ?

 初めての冒険で死にかけ、守られ、己も誰かも癒すほどの傷を負う事もなく済み、命を救われた。

 小鬼を殺す者と、彼に寄り添う彼女に。

 そんな彼らを守れるのか、癒せるのか。

 彼らを、小鬼の屍山血河の巷から、救えるのか。

 ――わからない。

「……わたしなんかで、宜しければ」

 それでも、女神官は了承の言葉をはっきりと発していた。

 ――このままではきっと、ずっと何もわからないままだから。

 そして、必然的に一党から抜ける事となる剣士達へ向けて、「すみません」と頭を下げて謝る。

 女神官に謝罪された剣士達は、とんでもない、と首を振った。

「……俺達の方こそ、ごめん。この人達が来てくれなかったら、君を一緒に死なせてた。……俺達さ、もっと、強くなるよ。ちゃんと色んな人の言う事聞いて準備して、ゴブリンに後れを取らないくらいには、さ」

 剣士は、鼻の頭を掻きながら恥ずかしそうにそう言い、年齢相応の笑顔を浮かべた。

 

 

 酒場での一杯だけのささやかな祝勝会を終え、ゴブリンスレイヤーとユウキは街外れへ向かう夕闇の街道を歩いていた。

 彼らは、街外れの牧草地に居を構える牧場に住んでいる。

 帰り道、という奴だ。

 彼はあまり喋る性質でないので、ユウキが喋る事が多かったり、あるいは何も話さないで歩く時間が長い。

 だが、それで何も不足などユウキは感じない。

 夜へ移り行こうとしている空の中に炊煙を見つけ、根元を辿れば牧場の母屋が目に入る。

 ユウキが歩調を速めると、彼も無言で彼女の速さに合わせてずかずかと足を進めていく。

 窓越しに屋内の灯火が明るい母屋の戸口で、よく日に焼けた壮年の男が壁に背を預けるようにして立っていた。

 顔付きも身体付きも巌もかくやというものだが、その表情は一抹の憂いを含んでいる。

 そんな男の元へ、ユウキは笑顔で跳ねながら走り寄っていった。

「伯父さん! たっだいまー!」

 彼女が底抜けに明るい大声で男――伯父に帰宅を告げると、硬い表情が僅かに和らいだ。

「お帰り、ユウキ。君も」ゴブリンスレイヤーへも言葉をかけ、男は二人に向けて問うた。「……今日は、何をしてきたんだ?」

「ゴブリン退治を」

 淡々と事実を答えるゴブリンスレイヤーの姿に、男の口元が苦い何かを含んだように僅かに硬く歪む。

「……そうか」

 そんな二人のやり取りに割って入るのは、情感たっぷりにユウキが語る冒険活劇だった。

「大ピンチの新人さん達を間一髪! こう、剣をしゅぱんっと振って助けたんだよ! にいちゃんとボクで、襲い来るゴブリンどもを千切っては投げ千切っては投げの大っ活躍だったんだから」

「そうか……立派な事を、したな」

 えっへへーと胸を張るユウキの頭を撫で、ゴブリンスレイヤーを見つめながら、男は言った。

「さあ、家に入りなさい。食事にしよう。アキが作ってくれた夕飯が待ってる」

 二人は、今日も家に帰ったのだ。

 

 

 姉の作ってくれたシチューをお腹一杯食べ、部屋に戻って一通り装備を脱いで藁敷きの寝台に寝転んだ。

 疲労と満腹感で瞼がそろそろと落ちてきそうになる。

 自分は、ここではないどこかで、今とは違う何かをしているべきなのではないかと、前触れもなく感じた事がある。

 だが、果たしてそれは本当に正しいのだろうか?

 全てを天上におわす神々が骰子を振って決めていくこの世界で、今ここに自分がいる事が、間違いだとは思わないのだ。

 

 

 ボクとねえちゃんとにいちゃんが住んでいた村は、十年前の夏に滅んだ。

 ゴブリンに、滅ぼされたのだそうだ。

「そうだ」と伝聞のカタチなのは、ボクとねえちゃんは村がゴブリンに襲われた時、そこにいなかったから。

 辺境の街の外れで牧場を営んでいる伯父さんのところへ、二人で牛のお産を手伝うという名目で遊びに連れていかれていた。

 ボク達が村を離れた次の日に、ゴブリンが村を襲ったのだという。

 村に、生き残っていた人間はいなかった。

 人伝いに伯父さんがそう聞いた事を、また伯父さんから噛み砕いて説かれた。

 壊されて焼かれて、廃墟その物になった村の跡地で、父さんと母さんのお葬式もしたが、空っぽの棺が墓地に埋められるところは、随分と実感に欠けていたと思う。

 幼かったボクとねえちゃんには、二人がいなくなってしまった、という感覚が強かったんじゃないかな。

 でも、ボクはそれから毎日わんわん泣いて、ねえちゃんと伯父さんを困らせた。

 寂しかった。二人がいないのは嫌だった。にいちゃんがいなくなってしまったのも、寂しかった。

 にいちゃんとは、伯父さんの牧場に行く前日、ねえちゃんと一緒に喧嘩をしたのを覚えてる。

 多分、発端は村から出て街の牧場に手伝いに行くんだと、にいちゃんにボク達のどっちかが自慢するようにした事……だと思う。昔の事で、ちょっと記憶が曖昧。

 泣いて過ごしていたある日、牛の病気が流行りかけていたという事で、伯父さんが伯父さんのお父さんの古い知り合いを牧場に招いた。

 それが、ボクと師匠(マスター)の出会いだった。

 師匠(マスター)――クワイガン爺さんは在野のまじない師で、薬師の真似事もできると言っていた。

「お前には素質がある」

 森人もかくやという長身の老人が、そう言ってボクに木の棒を握らせ、毎日振らせた。

 重い棒を振ると疲れるし、掌が豆だらけになって痛くてたまらない。

 最初は嫌で嫌で仕方がなく、べそをかきながらやっていた。

 すぐに伯父さんに泣きついたが、伯父さんも泣いてばかりのボクに参っていたんだと思う。助けはなかった。

 でも、その内にボクは師匠との修行に夢中になった。

 正確には、棒振りを終えた後に彼が語って聞かせてくれる外の世界の話――冒険のお話に。

 いくつかの魔術――理に働きかけ、世界の一部を改竄する奇跡の力――の手ほどきも、師匠はしてくれた。

 掌から迸る青白い《稲妻(ライトニング)》を手始めに、《火矢(ファイアボルト)》と言った攻撃呪文、他にも《矢避(ディフレクト・ミサイル)》による防御、《舞空(エアリアル)》という風のように身軽になる魔術も教わった。

 が、軽業めいた戦場剣術(アクロバティック・セーバーコンバット)を嬉々として教えてくれたのは、どう考えても彼本人の好みがそっちにあったからだろう。

 齢六十を越えたとか言ってたけど、今思えば動きのキレは若い名うての戦士と何ら遜色ない水準だよ、あれ。

 師曰く、

「この四方世界に遍く満ちる『流れ』を感じ取るのだ。今お前と私の目の前にも、遥か地平線の彼方にも流れは存在している。柔らかな身体と心でその流れに乗り、時に流れの向きを自らの意で変え、地を跳ね宙を蹴り、自在の剣を振るえ」

 との事。

 実際はもっと神秘的で持って回った言い回しだったんだけど、ぶっちゃけ半分以上よくわかんなかったです。

 師匠はよくこう言ってお話を締め括っていた。

骰子(ダイス)と共にあらん事を」

 この世界はたくさんの神様達が天上におわしてあらゆる人、物、事を、骰子を振り合って見定められている――そんな素朴な信仰がポピュラーなのだ。

 師匠も冒険者で、牛の治療と予防を終えてからは牧場の納屋に間借りして、街へ依頼を請けに行っていた。

 認識票は見せて貰った覚えがないけれど、多分結構な等級だったんじゃないかな?

 そんな生活が五年くらい続いた頃、師匠は「ちょっと遍歴してくる」と言って旅立ってしまった。

 突然でかなり驚いたけど、ボクはどこか納得もしていた。あんな元気な人がひとところに半隠居し続けられる訳がない。

 伯父さんは慣れた様子だったので、何度か経験した事なんだと思う。

 そして、師匠の出立と入れ替わりのように色んな事が起き、色んな事を知った。

 五年ぶりに彼と……にいちゃんと再会した事。彼が冒険者をしているという事。

 ねえちゃんはよくぞ街道を人波に紛れて歩いてたにいちゃんを見つけて捕まえてくれた。

 ただ、にいちゃんは、彼は昔と少し変わっちゃってた。

 

「ゴブリン退治をする」

 

 その一点張りで、ロクに休息を取ったりボク達と交流しようとしないもんだから、困った……うんにゃ、ちょっと、腹が立ったんだと思う。

 故郷の村では、彼を頭目に冒険者一党になり、勇者の剣に見立てた枝切れを片手に日々冒険へ繰り出したものだ。

 ドラゴンを調べると言って林の中で蜷局を巻いていた蛇をつついてみたり。

 コカトリス退治と称して雄鶏を追いかけ回したり――怒ったらしい鶏達に逆に追い回されて、退治は失敗したんだけど。

 ……本物の冒険者になったにいちゃんは、一人でゴブリン退治に行って、一人でボロボロのどろどろになって帰ってきていた。

 それが我慢ならなかった。

 ボクだって、にいちゃんと一緒に冒険者をやっていたじゃないか、と!

 そんなこんなで、年を誤魔化してボクは冒険者登録をし、彼と――ゴブリンスレイヤーと後々呼ばれるようになる人と一党を組んで、何年も冒険者をやっている。

 

 彼は、なくしてなんかいない。冒険への憧れを、なくしてなんかいるもんか。

 ボクは、あの人と冒険がしたいのだ。

 明日も、明後日も、その先もずうっと!

 

 

 

 

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