彼の幼馴染は超勇者   作:織部庵

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『小鬼殺しの絶剣』

 その者風の如く 谷を林を一息に駆け

 

 燃ゆる刃で悪鬼を切り裂き 百の軍勢をひと呑みに

 

 小鬼殺しの鋭き致命の一撃(クリティカルヒット)が 小鬼王の首を宙に討つ

 

 おお 見るが良い 漆黒に輝くその刃 秘密の鋼にて鍛えられ 決して主を裏切らぬ

 

 かくて小鬼王の野望も終には潰え 救われし美姫は 勇者の腕に身を寄せる

 

 しかれど 彼こそは小鬼殺し 彷徨を誓いし身 傍に侍う事は許されぬ

 

 伸ばす姫の手は空を掴み 勇者は振り返ることなく立ち出づる……

 

 

 リュートの弦を爪弾いて生む音色に乗せて、抑揚に重きを置かぬ、けれど朗々たる声音で謳い上げられた、一風変わった叙事詩の一篇。

「辺境勇士、小鬼殺しの物語より山砦炎上の段、まずはこれまで……」

 吟遊詩人の女は、それまで物悲しくも勇壮な調べと共に物語っていた叙事詩をそう締め括った。

 そして、目前に立ち並んで詩吟に聞き入っていた老若男女の人々へ――良く言えば生真面目な、悪く言えば少しばかり芝居気に乏しい仕草で―― 一礼を贈る。

 物語に区切りがついた事を告げられた聴衆は、思い思いの形で賛辞を贈った。

 英雄譚に頬を上気させた若い娘の熱烈な拍手や、自らも辺境の勇士になったかのように気を大きくしたらしい男が鳴らした口笛、そして足元の皿に景気良く放られる小銭がぶつかり合う音色。

 そうした雑多な音達を聞き終えると、吟遊詩人はゆっくりと顔を上げた。

 ブーツの足首まで届く濃紫のローブの上、肩から羽織った深緑のケープのフードで半ば隠された面に煌めくのは、藍玉(アクアマリン)の瞳。

 フードの内から覗けるのは、短く切り揃えられた淡い灰色髪だ。

 厚ぼったい布地が被さるようになった全貌を窺い知れぬ覆いは、見る者にどこか()()()()と思わせてならない美貌を逆説的に高めている。

 隠された美貌を名残惜しそうに眺めていようとする者もいたが、詩吟の舞台が設けられていたここは水の街の大路であり、今は夕暮れ時。

 大路と言えど長く突っ立っていては道行く余人や馬車の通行の邪魔。加えて、食事や夜を迎える支度をせねばならぬ時間帯だ。

 その日一番の娯楽を楽しんだ観客らは、夕暮れより後の事を為すべくめいめい去っていった。

 吟遊詩人は、お捻りの貨幣が溜まった皿を見て満足気に「むふん」と鼻息を一つ漏らす。小銭も集まれば結構な額になるのだ。

 さて財布にしまうか、と彼女は革袋を懐から取り出して皿を拾い上げ……そのままふと動きを止めた。

 視線を感じたからだ。

 視線が投げ掛けられてくる方向を見遣ると、そこには観衆らが去った後だというのに人影が三つ横並びに佇んでいる。

 一つは吟遊詩人と同じように外套を頭からすっぽり被り、遠目にもしなやかな身体に草木を思わせる風合いの狩人装束を着込んだもの。

 背に負った大弓と腰の矢筒が、この人物が弓手、あるいは野伏であろう事を示している。

 一つは額のつるりとした白髪頭と長い白髭の下、見事な太鼓腹をこさえた短躯を東洋風の奇妙な衣服へ包んだもの。

 ずんぐりむっくりの固太りの肉体でありながら、一本歯の下駄で器用に立つ彼は鉱人(ドワーフ)

 彼の腰の膨らんだ大鞄には呪文遣いの為の触媒でも詰まっているらしい。

 また一つは、三者の中で最も巨躯であり、最も異質な、鱗に覆われた総身に見た事もない民族的な衣装を纏ったもの。

 奇妙な護符を長い首から下げる彼――あるいは彼女――は紛う事なき蜥蜴人(リザードマン)であるが、一見して職業は判然としない。

 と、詩人からの視線に気付いたらしい背高の蜥蜴人は挨拶するように小さく頭を垂れ、奇妙な手付きで合掌を一つくれた。

 これは僧侶の仕草に近しい。

「ねえ」

 不意に生まれた涼やかな声の呼び掛けは、一歩踏み出して詩人へと近付いた、外套の人物が発した物だった。

「今、歌っていた冒険者だけれど、ホントにいるの?」

 僅かに訝しむような問い掛けに、詩人は持ち上げた皿を傾けて革袋へ小銭の群れをざらりと浚いながら答えた。

「もちろんだとも」表情の動きに乏しい彼女は平坦な調子で続ける。「詩人の歌う武勲詩こそが真実……と、いうのが当節の習い」

 小銭同士のぶつかり合う小気味良い音をさせながら、詩人は革袋の口紐をしっかりと締めると懐へと大事そうに収めた。

「ここから西の辺境へ二、三日ばかり行ったところの街にいる。大きな冒険者ギルドもあるし、そこで聞いてみるといい」

「そう……」

 詩人からの返答に頷くと、外套の人物は被っていたフードをゆっくり首後ろへ脱ぎ、隠していた容貌を露わにする。

 現れたのは、細い肢体をぴったりとした狩人装束に包んだ女だった。

 西に去り行く夕陽に照らされ、艶を返すのは、芽吹いたばかりの柔らかな新芽を思わせる薄緑の髪。

 白粉いらずの抜けるような白い肌は、血の通うほのかな赤みを紅として化粧されている。

 そして、笹葉の如く長く伸びる両の耳は――森人(エルフ)の証だ。それも、本物の妖精の末裔――(かみ)の森人の。

 長い睫毛に縁取られた新緑色の瞳は、猜疑と好奇が綯い交ぜになって光っていた。

「……オルク、ボルグ」

 優美な形の唇を薄く開き、森人の女は不可思議な旋律を呟く。

 すると、彼女の隣にいた鉱人が、次は自分の番だとでも言うように詩人へと声を掛けた。

「のう、詩人の方よ。ちくと尋ねたいんだが、今の歌の最後の方、『秘密の鋼にて鍛えられ』……っちゅうとこについて、詳しく教えちゃあくれんか?」

 白い髭をしごくように撫でながら放られたのは、火と鉄に親しい鉱人らしい疑問。

 詩人は微かに笑み、鉱人の問いにふるふると首を横に振った。

「企業秘密……いや、商売の大事な秘密故、明かせない。あなたの目と手で確かめる事ができるよう祈ろう」

 にべもないとも取れそうな詩人の返事に、顎を撫でて、ふぅむ、と唸った鉱人だった。

 が、すぐに白く太い眉を下げ、呵、と胴間声で笑う。

「はっははは! それもそうだのぉ! ……鋼の秘密は深く、難しい。自らの手で探し求めてこそ、その一端を掴ませてくれるもんだかんの」

 愉快気に鉱人が太い腹を叩いて太鼓を一つ鳴らすと、シュウという鋭い発泡音と共に生臭い吐息が彼らの上方から生まれた。

「どうやら、件の人物の手掛かりを掴めたようですな」

 太く落ち着いた声音でそう告げる吐息の主は、詩人と他二人の間に、ぬう、と首を突っ込むようにした巨躯の蜥蜴人である。

「詩人殿、情報提供に感謝を」言い、奇妙な手付きで合掌して頷きを一つ。「では野伏殿、術師殿、早速参ろうか」

 そうして、背の終わりから伸びる長い尾を詩人の方へと向けるように踵を返した蜥蜴人が、街の城門目指して石畳の大路を大股に歩き始める。

「ほ」

 小さく息を吐きながら了承の意を放った鉱人が、短い足でどたどたと地面を踏み付けて鱗肌の尻尾を追いかけ始める。

「そらあ構わんが……ちとせっかちじゃねぇか、鱗の」

「夜討ち朝駆け、(つわもの)の芸の内、と申しますでな。それに、小鬼の奴ばらを長くのさばらせる理由もありますまいて」

 この広い四方世界において、戦達者で通っているのが蜥蜴人という種族である。

 こと戦闘について、彼らの言葉は重んじぬには鋭利に過ぎる。

「それもそうよねー」

 蜥蜴人の言に相槌を打った森人が、すらりと長い足を野を駆け回る鹿の如く跳ねさせて悠々と鉱人を追い抜く。

 そうして鈴を転がすような声音で笑う。

「それに、芸の内って言うなら食い溜めは鉱人の得意かしら?」

 鉱人の太っ腹を新緑の瞳で見下ろしながら、弓懸を兼ねる鹿革の手袋の指先で口元を隠した彼女は、ぷぷー、と小馬鹿にするように息を漏らした。

 言われた鉱人はと言えば、こちらも負けじと唾を飛ばさんばかりに胴間声を張り上げる。

「はっ! 寝溜めは怠惰な森人の得意分野だものなぁ!」

「なにおう!」

 己の寝穢さを野次られた誇り高き森人が長耳を逆立て。

「なんじゃあ!!」

 鉱人のたくましくも短い腕が掴みかからんばかりに振り上げられ。

 道の真ん中で取っ組み合いでも始めそうな二人の頭へ、シューッと蜥蜴人の鋭い息が吐かれる。

 種族も体躯も職業も異なる三者に共通するのは、首元で光る銀の小板――序列第三位、銀等級の冒険者の証たる認識票である。

 

 かくて、上の森人の弓手(ハイエルフアーチャー)鉱人の道士(ドワーフシャーマン)蜥蜴人の僧侶(リザードプリースト)――三つの異種族の冒険者で組まれた一党(パーティ)が辺境の街を目指し、旅立っていった。

 

 

 西の辺境――夕陽に向かって歩んでいく騒がしい三者三様の背中を見送った吟遊詩人は、一仕事終えたというように軽く首を回し、引っ被っていたフードを脱ぐ。

 現れたのは、どこか人離れた美しさを備えた、しかしどこか表情に欠ける女の顔だ。

「……さて、私も追い追いあちらへ行くとしよう」

 抑揚に乏しい、けれどもどこか弾むのが隠しきれていない声音で、薄い唇がそう呟いた。

 商売道具のリュートとお捻りの受け皿を抱え、長いローブの裾を揺らして彼女は歩き始めた。

 太陽が西の水平線へと去ろうとしている頃合いである。

 しかし、城門から伸び、街中を広がる大路を両側から挟むように立ち並ぶ屋台や石造りの建物の前には、人や荷車の動きが絶えない。

 それらの生む雑多な喧騒もまた然りだ。

 千差万別の品物に、その売り手と買い手。あるいは己の職の為すべきところに邁進する者も。

 朗々と口上を述べる只人に瓶詰めの果汁売りの圃人、鉱人の商人に森人の踊り子、辻説法する蜥蜴人、果ては店を構えた闇人までもいる。

 軽く目を瞑って胸一杯に空気を吸い込めば、露店や宿、酒場の厨房からでも漂ってきたらしい料理の匂いが混然として身体の内に満ちてくる。

 新鮮にして混沌にして華やかにして騒がしい――そんな世界を目と耳と鼻で味わいながら歩いていると、自然と彼女の唇の端が上がってきた。

 ここは水の街。

 法と正義を司る至高神に仕え、かの御方に愛されしと謳われる、中央より西の辺境一帯の法政を統括する大司教(アークビショップ)――剣の乙女のお膝元。

 

「折角の水の街、法の神殿も一目見ておこうかどうか……」と、思案を頭の隅で巡らせていた彼女の背中へ、声が掛かった。

「おいすー」

 気安い声だった。

 声の主は、いつの間にやら彼女のすぐ後ろに立っていた外套姿の男らしかった。

「あなたか」

 振り返りながら応じた彼女が、軽く片手を上げた格好の男を上から下まで眺める。

「おう、あなただぜ?」

 そう言いつつ笑声を上げる、安っぽい外套で頭から足元までをすっぽり覆う男の顔は、およそ窺えない――いやに白く並びの良い歯を除いて。

「わたしもいるよ!」

 そう可愛らしい声で存在を主張したのは、外套の男の背中からひょっこりと姿を現した小柄な愛らしい女の子。

 白と桃を基調とした柔らかそうなドレスを纏う少女は、二つ結いにした艶々とした桃色の長髪を揺らしながら、ニコニコと楽し気に笑んでいる。

「何か面白そうな事やるって聞いたから、ちょっと来ちゃった」

 てへへ(ティヒヒ)、と頭を掻くようにして小首を傾げた少女と、てへぺろ、などと少女の真似にもならぬ仕草をする外套男。

 そんな二人の姿に、何かを諦めるように目を閉じた詩人の口からは、細い溜息が漏れた。

「今回の物はまだまだ未完成。それでも構わないというのなら、楽しんでいってくれると嬉しい」

「「そうこなくっちゃあ!」」

 そう言葉を重ね、いえーい、と互いの掌を軽く打ち合わせる男と少女を見つめ、詩人はこめかみを人差し指の先で掻く。

 と、詩人の着込む長いローブの真ん中で、きゅぐぐぐごごう、と大きな腹の虫が鳴った。

 思わず三人ともしばし硬直したが、外套男が「……まあ、あれだ」と事態打開の口火を切った。

「まずはメシにしようぜぇー……って言いたいが、金の当てはあんのか?」

 ちなみに俺はなーい、と無意味に自信ありげに空の両腕を広げる外套男に、藍玉の目を細めて唇の端を上げた詩人が小さく誇るように胸を張る。

「安心してほしい――今日の私は富豪だ」

 彼女は懐から取り出したお捻りで膨れた革袋を掲げ、軽く振ってじゃらりと鳴らした。

「わぁ、いいねいいね!」愉快そうに胸の前で手を打ち合わせる少女。「あっ、わたし卵黄と油と檸檬のソースかけたあれ食べたい!」

 はいはいはい! とぴょんぴょん跳ねながら挙手する少女のリクエストに、詩人は僅かに柳眉を寄せて難色を示す。

「……あれはまだ今は登場していないはず」

 しかし、まだ見ぬ夕餉の豪華な食卓へ既に想像と食欲を膨らませているらしい少女は、滑らかな舌で言い募る。

「王都には多分今もあるからへーきへーき! 水の街は中央の文化も流入してくる立地だし、あってもおかしくないから。ね、ね?」

 お願いお願い、と掌を合わせた少女に小さく拝むようにされ、詩人も折れた。

「では、あったらあった、なかったらなかったで」

 掌で何かを転がすような仕草をする詩人からの回答に、「やったぁ!」と少女は飛び跳ねんばかりに全身と表情で嬉しさを表した。

 

 

 辺境の街、冒険者ギルドの大きな自在扉を押し開いてホールを進んだ先、受付カウンターにて。

「オルクボルグよ。いるんでしょう、ここに」

「…………樫の木(オーク)、ですか?」

「違うわ。オルク。オルクボルグ」

「『かみきり丸』と言えばわかるじゃろう」

「えっと、そういう名前の方も、ちょっと……」

「……おらんのか!?」

 淡い茶髪を三つ編みにした受付嬢へ妖精弓手(エルフ)鉱人道士(ドワーフ)がそれぞれ自信たっぷりに告げた探し人の名は、しかし、聞き覚えがないという風に窮した返事を呼んだだけであった。

 そこかしこで屯する冒険者達が生む喧騒に満ちたホールの中、短い沈黙がカウンターの一角で生まれる。

 望む答えを得られなかった両者はと言えば、互いに睨み合い、

「…………おう、耳長娘。()()みたいな胸しくさりおって。今わしの事を鼻で笑ったろう!」

「…………私としても、ここで種族間の因縁に決着をつける事はやぶさかでないわ」

 そのまま神代の頃から続く伝統たる森人と鉱人の喧嘩をおっ始めた。

 受付嬢としては目の前で喧々囂々限りない二人を何とか仲裁したいが、太古の昔より理由の定かでない二つの種族の喧嘩なぞ、簡単に止められるわけもなし。

「困ったなぁ……」と受付嬢が眉を寄せた笑顔を貼り付けたままでいると、森人と鉱人の後ろに控えていた鱗肌の巨漢――呆れた様子の蜥蜴僧侶(リザードマン)が長首を軽く下げた。

「……すまぬなあ。拙僧の連れが馬鹿で」

「いえ、まあ、冒険者の方々って皆さん元気ですから」

 受付嬢の応答、その前半は職員の建前を通す声音であったが、後半は秘すべき本音が滲んだ声音に。

「…………割と慣れてます、はい」

「いやもう、本当にすまぬ」

 受付嬢の困憊した様子に重ねて謝罪を行う蜥蜴僧侶は、このままではいつまでも進まない話を進めるべく大顎を開く。

「生憎と、拙僧も人族の言葉に明るいわけではないのだが、オルクボルグもかみきり丸も、その冒険者の字名でな。つまり……『小鬼殺しの絶剣』――そう呼ばれる冒険者を拙僧らは探しているのだ」

 蜥蜴僧侶が告げた名に、ただ一つの心当たりがある受付嬢は「ああ!」と顔を輝かせ、豊かな胸の前で手を打った。

 と。

 

「惜しい!」

 

 そこに放られる明るく弾んだ一声。

 三人が振り向けば、そこには黒染めの革鎧の下に目の細かい鎖帷子を着込み、肉厚らしい直剣を佩いた、長い黒髪の少女がいた。

 厚手の紫布と細い鉄板でできた長手甲を両腕に着けており、黒鋼の五指籠手を嵌めた左手にはこれまた黒い鉄兜の顎紐が握られている。

 腰の後ろに雑嚢鞄でも吊っているようで、小振りな革のベルトポーチがいくつか括ってある。

 そんな物々しく黒々しい彼女の出で立ちに、額上に当てて後頭部で結んだ臙脂の鉢巻きが少女らしい彩りとして存在した。

 どうやら、冒険者であるらしい。

 三人の注目を集めた剣士の少女はぴんと立てた右手人差し指を振り振りしながら、ちっちっち、と啄むような舌打ちを三度。

「小鬼殺し『と』絶剣、が正しい渾名だよ」

 言い、に、と白い歯を覗かせて笑う。

 少女剣士の天衣無縫な立ち居振る舞いに僅かに身を硬くしたのは、妖精弓手だ。

 鉱人との喧嘩の最中で十全に気を張っていなかったとはいえ、この少女は上の森人の野伏に気取らせる事なく背後に立ってみせたのだ。

 新緑色の目を細めて訝しみ、矢番えた弦を微かに引くような調子で妖精弓手は問うた。

「……あなた、何者?」

 そんな森人の狩人からの警戒をまるで意に介さず、少女剣士は芝居気のある見得を切ってみせた。

「天が呼ぶ地が呼ぶ人が呼ぶ! その名も超勇者、ユウキ! ……なーんてね」

 そして、悪戯っぽくぺろりと赤い舌を小さく出す。

「冒険者だよ。この辺じゃ絶剣なんて呼ばれる事もある、ね」

「……絶剣……」

 浅く眉を詰めた表情で呟く妖精弓手の隣、蜥蜴僧侶も鉱人道士もそれぞれ上下から目を凝らし、疾風の如く立ち現れた少女をしげしげと観察する。

「……かなり、()()ようですなぁ」

 武人として練り上げられた少女の細身を見、鱗肌の下に流れる尚武の血が騒いだらしい蜥蜴僧侶はちょろちょろと舌を出した獰猛な笑みを浮かべ、

「漆黒に輝くその刃、か……」

 彼女の黒い装備、とりわけ腰の鞘の剣に目を向けた鉱人道士は思案顔で髭をしごく。

 受付嬢がカウンターの磨かれた天板に両手を突き、

「よっ、と……お帰りなさい、ユウキさん」

 身を乗り出すようにして三人の間を縫って少女剣士の姿を認め、安堵の籠もった言葉を掛けた。

「たっだいまー! ちひろさん!」

 空の右手をぶんぶん振って応じた笑顔の少女剣士は「さってと」と言い、自らの背の方へと軽やかに身を回して声を上げた。

「お客さんみたいだよ、にいちゃんとボクに」

 少女剣士の呼び掛ける声と、それに釣られた森人、鉱人、蜥蜴人の注意が向かう先には、向かい来る冒険者と思しき人影が二つ。

「……ゴブリンか?」

 一つ。

 ずかずかと。

 遠慮だとか慎みだとか、そうした心配りのまるで感じ取れぬ無造作な足取りで真っ直ぐに歩いてくる男。

 薄汚れた鉄兜と革鎧、鎖帷子を身に纏い、中途半端な長さの剣を帯び、左腕に小振りな円盾を括り、腰に雑嚢鞄を吊った彼の姿は、駆け出しの新人よりもみすぼらしく見える。

 どこもかしこも、ひどく安っぽい。

 それでいて新人とも思えぬ異様極まりない風体の男に、森人らは何とも言い表し難い気持ちを面にした。

「ま、待ってくださいゴブリンスレイヤーさん」

 もう一つ。

 とととっと。

 両手で握った錫杖を小さく鳴らしながら、小走りで男を追いかける青と白の神官衣の年若い娘。

 彼女の華奢な体躯を包む神官衣と肩掛けの鞄は冒険の塵を被って少々くたびれており、「うん、これは普通の駆け出し冒険者だな」とよくわからない合意が森人らの中で言葉なく成された。

「無事に終わった」

 程なくカウンターへと辿り着いた男は淡々と、

「はい、何とか、無事に……」

 女神官はひぃふぅ息を小さく吐く疲れを見せるという対照的なトーンで受付嬢へと依頼からの帰還を報告した。

「はい、お帰りなさい! 三人ともご無事で何よりです」

 受付嬢はそんな彼らを優しく受け止めるように、業務用でない柔らかな微笑みを浮かべる。

「お客様ですよ、ゴブリンスレイヤーさんとユウキさんに! あ、報告の方は後で結構ですので」

 二階に応接室があるのでよろしければ、と弾んだ声の受付嬢に促されながら、ゴブリンスレイヤーと呼ばれた男がカウンター前に居並ぶ三人の冒険者へ、鉄兜をぐるりと巡らせた。

 腕組みして睨むような顔付きの森人の弓手、眇で白髭を捻っている鉱人の呪文遣い、不可思議な手付きで合掌する蜥蜴人の僧侶。

 三人の周囲では、ユウキと呼ばれた剣士の少女が異種族に興味津々という様子で、ぴょこぴょこと黒兎のように駆け回って「すごいすごい」と感嘆を漏らしている。

「ゴブリンではないな」

 そんなゴブリンスレイヤーの無骨な一言には、三種族とも閉口するしかない。

 その光景に、期間の長短こそあれど男の為人を見知っている受付嬢と女神官の二人は、いつも通りですねぇ、というように眉を下げた困ったような笑みになっている。

 黒鎧の少女が絶剣、となれば……この安っぽく薄汚れた装備の男こそが――辺境勇士、小鬼殺し。

「あー、拙僧らは貴殿らに用があるのだが……小鬼殺し殿、時間をもらえるかな」

「構わん」

 異種族の冒険者一党の纏め役らしい蜥蜴僧侶と二、三言葉を交わすと、ゴブリンスレイヤーは階段へ向けて歩き出そうとする。

「あ、あの……わたしも……」

 そこへ、慌てたように女神官が同席を打診したのだけれども。

 彼女の細い身体を観察し、疲労に身を浸しているのを見て取ったらしい男の言葉は、ぶっきらぼうなものだった。

「休んでいろ」

「ゴブリンゴブリン小休止ゴブリン小休止、って感じだったし……疲れも溜まってるよね。ちょっと行ってくるからさ、休んでよう?」

 足取り軽く女神官の後ろに立った少女剣士の手で、神官衣の下に着込んだ鎖帷子ごと肩を揉んでほぐすようにされる。

「ふ、ひゃいぃ……」

 いきなり味わったくすぐったさに身をよじらせた女神官の唇から、可愛らしい悲鳴混じりに返事が押し出た。

「ええ、ええ。とっておきのお茶もありますから、ね?」

 どうぞどうぞこちらへ、とホールの隅っこ壁際の椅子――ゴブリンスレイヤーの定位置――へカウンターから回ってきた受付嬢にエスコートされてしまい、女神官は大人しく薄い尻っぺたをちょこんと座面に乗せるしかなかった。

 女神官が目で追うのは、振り返る事なくずかずかと二階を目指して進む彼の背中と、彼の隣で振り返って軽く手を振ってくれる彼女の眩しい笑顔。

 それに続く長身の美しい妖精弓手、重量感たっぷりの短躯の鉱人道士、見上げるような巨漢の蜥蜴僧侶――三人とも、彼と彼女と同じ、銀等級の認識票が首に下がっていた。

 足手まとい、という言葉が不意に胸の底から浮き上がってきたが、ぎゅっと目を瞑った女神官は首を横に振り、首元の白磁の認識票を揺らしながら精一杯打ち消す。

 そこへ、温かな湯気を立てる紅茶の注がれたカップを載せたソーサー片手に、受付嬢が静かにやって来る。

「はい、どうぞ。熱いですから気を付けて」

「あっ、ありがとうございます……いただきます」

 女神官は紅茶の熱に気を付けながらカップを受け取り、一口啜り、こくりと細い喉を鳴らす。

 じんわりと染み入り、内から身体を温めてくれるのは仕上げに垂らした強壮の水薬(スタミナポーション)の効果だと受付嬢が以前教えてくれた。

 ほう、と心地良さそうな吐息をした女神官を見つめ、受付嬢が微笑んで言う。

「今は、待ちましょう?」

 優しい、けれど芯の籠もった言葉に、女神官も小さく唇を綻ばせた。

「……はいっ」

 女神官は、彼らが下りてくるまで待つ事に決めた。

 

 

 待つ、と決めたのは良いのだけれど。

 案外、していられる事がない、と女神官ははたと気付いた。

 美味しい紅茶はすぐに飲み干してしまい、空になったティーカップはその陶磁の肌から既に熱を失って、ソーサーの上で隣の椅子に大人しく載っている。

 勤務時間内の受付嬢は紅茶を淹れてくれた後はすぐに仕事に戻り、本日も冒険者で混み合うギルドホールの中を多忙を極める独楽鼠の如くあっちこっちと働いている。

 詳細な報告が後回しになっているゴブリン退治の依頼について、報告をしてみようかとも思った。

 が、ゴブリンスレイヤーという頭目(リーダー)……そう、頭目を差し置いての行為は、新人の女神官の身にはやはり憚られた。

 ゴブリンスレイヤーからも、少女剣士からも、受付嬢からも「休め」と明に暗に言われては、早々に彼らの言に背くような事もできない。

 魔術や奇跡を行使して体力を消耗した呪文遣いを休息させて、再び呪文を唱えられるようにするのは冒険者として優先すべき事。

 その事に、女神官も否やはない。

 ないが、手持ち無沙汰というのも、なかなかどうしてもやもやとしたものがある。

 先ほど味わった受付嬢の特製紅茶は、連日連夜のゴブリン退治で疲労の溜まった身体をぽかぽかと温めて癒してくれる逸品であった。

 そして疲労からの回復を目指す心身が起こすのは、睡眠への欲求。

 潮が満ちるかのようなゆっくりとした眠気の波が、女神官の瞼の裏に寄せては返していく。

「……ふぁ、あふ……」

 はしたない、と頭ではわかっていても、女神官は己の口が大きく開いてしまう欠伸が止められなかった。

 ――神殿にいた頃だったら、神官長様にはしたないって叱られてましたね……。

 口元をむぐむぐと動かし、瞼がそろそろと落ちてくる目を(こす)(こす)り、そんな事を考える。

 孤児だった自分を養育してくれた地母神殿で過ごした日々の事が、もう随分と遠い昔の事に思える。

 十五の成人を迎えて神殿を出て、冒険者になって……初めての依頼に挑んで――そして、彼と彼女と組むようになって、まだ一月ほどだというのに。

 ――……まだ一月なのに、新しい奇跡を二つ授かるというのは、どうなんでしょう。

 野に下った聖職者達は、その力量と位階によって神託と共に、新たな奇跡を神より賜るのだが。

 たかがゴブリン退治、されどゴブリン退治。塵も積もれば何とやら。

 ゴブリンスレイヤーと少女剣士との過密的な日程で繰り返される依頼で獲得された『経験点』は、駆け出しの女神官へ新たな奇跡が授けられるに相応しい力量へと彼女を引き上げていた。

 ――それに、お二人とも報酬を均等割りしてくださいますから、四、五回分の報酬を貯めたら防具や道具も買えましたし。

 女神官は神官衣の下、肉付きの薄い体躯を覆う鎖帷子の無骨な感触を、布地の上から軽く掌で確かめる。

 彼らの見立ててくれた防具を買い、装備してついでに神殿へ顔を出したら、

「地母神の神官が武装はまだしも、肌を覆い隠す防具を着るとは何事か」

 と、神官長からはお叱りを頂戴したのだが、小鬼の錆びた刃を遠ざける事には代えられないのだ。

 次いで彼女のほっそりとした指先は、俗に「冒険者セット」と呼ばれる道具類や少ないながらも水薬などを詰めた鞄の表面を撫でた。

 防具に薬。

 いずれも、お金がなかったり、時間がなかったり、そういった理由で初めての冒険の時には揃えられなかった物だ。

 あの時の自分達がどれほど恐ろしい真似をしていたのか、幾度もゴブリン退治を経た今では骨身に染みてわかっている。

 先日、神託を授かって神殿へ赴くと、神官長は神殿の一室を試練の場として快く提供してくれ、数日に亘る修行を無事成し遂げる事ができた。

 修行を経て新たに授かったのは《聖壁(プロテクション)》と、《沈黙(サイレンス)》の奇跡。

 前者は祈りを捧げる敬虔な信徒を不可視の力場で守護するものであり、後者は敵の術師の呪文詠唱を封じたり、自らの行軍の物音を消したりできるものだ。

 しかし、《聖壁》は先日のゴブリン退治――かつて森人の築いた古い山砦に巣食った小鬼の群れを討伐する戦い――において、彼の指示の下、火に掛けた砦を脱出不能の死地とすべく出入口を塞ぐ蓋として用いた。

《沈黙》の奇跡も、彼の手に掛かればどのような使い道があるのかわかったものではない。

 ――地母神様は、どうしてわたしにこの奇跡を賜ったのでしょうか……。

 誰からも応えのない問い掛けを薄い胸の中で考え込んでいると、薄っすらと意識に靄が掛かり、微睡みの温もりに包まれ、また欠伸が一つ……。

「ちょっと、はしたないわよ」

「ふぁい!?」

 瞬間的に眠気が吹き飛び、腰掛けた状態で丸まり始めていた女神官の背筋が勢い良く伸びた。

 鋭い声で窘めの言葉の矢を放ってきたのは、気付けば目の前に立っていた眼鏡の女魔術師だ。

 赤毛の頭に鍔広のとんがり帽子を被り、豊かな胸を収める分厚いローブを着込み、手には拳大の柘榴石を嵌めた杖。

 無意識に口元を手の甲で拭いながら、女神官は瞼に残る微睡みを振り払うように何度も瞬く。

 意識をはっきりとさせると、多くの冒険者が行き交うホールの中で女魔術師だけでなく、青年剣士と女武闘家もこちらの方へ並んで立っているのに気が付く。

「くっ、くく……」

「慌て過ぎだってば……ふふっ、ふふふ」

 寝こけそうなところをいきなり起こされて大慌ての女神官の姿に甚く感動したらしく、二人とも笑いを噛み殺すのに精一杯という風情である。

「み、見苦しいところを……」

 かぁっと頬に熱が上がるのを感じながら女神官は腰を上げて立ち上がり、尻切れ蜻蛉気味に不調法を詫びる。

 そして、己が初めての一党を組んでいた三人の姿を改めて確かめ、

「あっ……」

 女神官は祝いの気持ちの籠もった声を上げた。

「革鎧! それに盾も! 買えたんですね!」

 心なしか胸を張って誇らしげな表情の青年剣士が布の服の上に着込んでいるのは、真新しい革鎧。

 そして左腕に括られているのは、これまた未だ傷一つない小振りな円盾だ。

 そういえば彼は背負うくらいの長剣(ロングソード)を得物としていたはずだが、女神官の記憶にあるそれより幾分刃渡りを減じただろう一振りが腰の鞘に納まっていた。

 女神官が胸中で浮かべた疑問に視線の向かう先で気付いたらしい女武闘家が、軽く握った拳に立てた親指で隣に立つ青年剣士を示しながら笑った。

「ちょっと聞いてよ。こいつ、こないだ下水道で鼠を思いっきり突いたら骨に当てたらしくって、長剣の先っぽ折っちゃったのよ」

「おまっ、笑うなって! ……磨り上げたからまだ使えるし、取り回し易くなったからいいだろ!」

 自らの失敗談を明かされて恥ずかし気に顔を強張らせた彼は、そうぶつぶつと自らを納得させるように言い繕う。

 彼の抗議に「はいはい」とあしらうように答える女武闘家の胸には、青年剣士が装備していただろう薄い胸当てが道着の上で着けられている。

 胸当ての表面には細かな傷や汚れが付いており、彼らが初めてのゴブリン退治以降も冒険と経験を重ねてきた事を示していた。

 装備を一党の中で融通し、お金を貯めて少しずつ更新していく。

 どの時代にもどこにでもある冒険者一党の伝統的な営みが、そこにはあった。

「言っとくけど、あなたの鎧と盾で装備貯金の大部分使っちゃったんだから簡単に壊したりなくしたりしたら……承知しないから」

 青年剣士らへじろりと眼鏡の奥の冷たい視線を向けた女魔術師が、本気のそれとわかる声音を発した。

 掌へ重みのありそうな杖の先を一度、二度と軽く、しかししっかと打ち付ける音を立てるおまけ付きで。

「……うす」

 女魔術師の脅しつけに、青年剣士は素直に頷きを返した。

「わかればよろしい」と女魔術師も頷き、やれやれというように短い溜息を一つ。

 そんな、出会った日と変わらない彼らの、互いに気が置けないやり取りに女神官は思わずクスクスと喉の鳴る笑いが込み上げてくる。

 ――いえ……変わらない、というのはちょっと違うかも。

 女魔術師ははっきりと物を言うが、相手の反応をしっかりと確かめている。

 青年剣士はお調子者だが、人の言う事をきちんと聞く姿勢を持てている。

 女武闘家は面倒見が良く、他人の気持ちを汲み取る事に磨きが掛かったかもしれない。

「皆さん、今日は……?」

 しっかりとそれぞれ武装してギルドにいるところを見ると、休息日というわけでもなさそうである。

 何か冒険にでも行くのかと思った女神官が問い掛けると、青年剣士が快活に笑って答えた。

「ドラゴン退治さ!!」

「ええっ!? ド、ドラゴンって……!」

 女神官が驚きで丸くした目を幾度も瞬かせる。

 ドラゴン――大きな(あぎと)を開いて猛火を吐き、生半な刃を通さぬ強靭な鱗に覆われた巨躯を以て闊歩し、住処に財宝を溜め込んで愛でるという怪物。

 ひとたび人々に牙を剥けば被害は甚大なものとなり、それ故、四方世界の言葉持つ者の領域を侵したドラゴンは多くが討伐の対象とされる。

 人々を苦しめる悪竜を退治した古き英雄譚は枚挙に暇がない。

 竜殺しはなるほど、多くの冒険者にとっての誉れ、偉業の一つだろう。

 しかし、白磁等級の新人が三人で何とかなる相手とはとても思えない。

 無謀も無謀、どうしたものかとわたわたと意味もなく身体の前で手を動かして混乱する女神官だった。

 が。

「こら!」「からかうんじゃないの!」

 鋭い叱責の声が飛ぶと共に、青年剣士の後頭部が左右の女武闘家と女魔術師の掌ではたかれ、気持ちの良い乾いた音を立てた。

「いっ、てぇぇ…………冗談だよ冗談!」

 いちち、と勢い良くはたかれた後頭部をさすりながら青年剣士はやれやれと言うように肩を竦める。

「冗談?」

 ぐるぐると回っていた思考が停止し、青年剣士の言葉を繰り返す女神官に、彼は悪戯に成功した悪童めいた笑みを浮かべる。

「そうそう。今日はってーか、今日も下水道で巨大鼠退治だよ」

「昨日はドブさらいだったけどね」青年剣士の言葉にそう付け加え、着ている道着を軽く嗅いで顔を顰める女武闘家。「どっちも臭いがキツいのがねぇ……」

「全く……あなたもよく考えなさいな。白磁(ひよっこ)の私達がそんな大物とやり合うような事なんて早々ないに決まってるじゃない」

 第一、そんな依頼は高い等級の冒険者向けで白磁じゃ請けられないわよ。

 冗談一つで右往左往しそうだった女神官への僅かな心配混じりの声で、女魔術師がそう言った。

「そうですよね……よく考えたら、はい……」

 女神官は反省するように浅く顔を下げ、恥ずかしい気持ちから、先ほどの失態を誤魔化すように「あはは……」と乾いた笑いを上げる。

 そうしていると、「んん」と女魔術師が小さく咳払いし、それまでと少し違った柔らかい声音で話し始めた。

「たまたま見かけたから挨拶しとこうって思ったの」

「……なかなか、ギルドにいる時間が合いませんでしたからね……」

 気付けば数日掛かりで依頼に挑んでいた事もある女神官は少しだけ遠い目をする。

「それと後衛用の防具を、あなたにちょっと相談したくって……」

 少し恥ずかしそうに目を逸らし、親指と人差し指の腹で赤毛を一摘みして弄る女魔術師に、女神官は小首を傾げた。

「え、と……防具でしたら、武具店の親方さんに相談した方が確実というか、正確な装備を見繕ってくれると思いますよ?」

「…………だって、あの武具店の親方、厳つくてなんだか怖いんだもの」

 唇を尖らせてそう言う彼女は、普段よりも少しだけ幼く見える。

 およそ初めて知るだろう女魔術師の表情に、女神官は思わず微笑んだ。

「大丈夫です。聞けばちゃんと答えてくださる方ですよ。ちょっと、職人気質というか……ええ、取っ付き難いところはあるかもしれませんけど」

 ゴブリンスレイヤーがゴブリン退治を終える度に、装備の細々とした補充や修繕を頼むあの鉱人めいた皺面髭面の鍛冶師の老翁。

 薄汚れた冒険者からの注文にぶつくさ言う事もあるが、己の仕事に真摯な生き方をしてきた人だろうと女神官は思う。

「でも、そうですね……わたしは鎖帷子を着ています。鎧ほどに守りは厚くないですが、鎧よりは重くなくて値段も控え目です」

「鎖帷子……」

 女神官の説明に、小さく目を見開いた女魔術師が呟く。

 彼女へ言うべきか少し迷ったが、初めての冒険で隣で共に襲い来る悪意と死の刃を見た仲だ。

 目元に少しだけ力を込めた女神官は、思い切るように言った。

「あと、これならゴブリンの短剣も防げますから」

「……嫌な事、思い出させてくれるわね」

 あの洞窟の暗闇の中を――己の腹目掛けて振り上げられた小鬼の刃を思い出したらしい女魔術師が、苦い顔で呻くように応じた。

「ええ、でも、ありがとう。とても参考になる」

 指で軽く眼鏡の位置を直した女魔術師が礼を言うと、青年剣士が羨まし気な声を上げた。

「鎖帷子もいいなぁ。あと兜も欲しい」

「あんたは鎧と盾揃えてもらったばっかりでしょうが」

 女武闘家が口を横にして、少々呆れたように突っ込みを入れ、続ける。

「それに、革鎧に鎖帷子、小っちゃい盾に兜ってゴブリンスレイヤーさんみたいな完成形になると思うけど」

 いいの? と、否定的なニュアンスは伴っていない調子で問う。

「いいんだよ。ていうか俺はゴブリンスレイヤーさんよりもユウキさんみたいになりてぇの!」

 ふん、と荒く鼻息を一つ吹き、剣を握らぬ無手を軽く振るって格好付ける青年の姿は、あの黒い剣士の少女とは残念ながら主に技量の点でかけ離れている。

 しかし、彼の願いを笑う事などできはしまい。

「その為にも、今日は鼠狩りだ!」

 そう吠える青年に、眩しいものを見るように女神官は自然、目を細めていた。

 憧れがある。なりたいものがある。目指す境地がある。その為に今日を頑張る。

 その姿勢は、とても尊いものだと思う。

 と、青年の主張に、ふぅんと頷くようにした女武闘家がにやにやとした悪戯っぽい笑みを零す。

「あたしはゴブリンスレイヤーさんもいいと思うけどなぁ~」

 え、と小さく声が漏れたのは女神官の唇からだった。

 拳だこの消えるくらいに長年鍛錬を積んできただろう滑らかな手を両頬に当て、女武闘家はちょっとした秘密を明かすように述べる。

「だってさだってさ、なんかこう、ストイックって言うの? 自分のやるべき事を黙々と一つずつこなしてく姿ってかっこいいと思うんだぁ」

 彼の姿勢に自分に通じるところがあると、そういう事だろうか。

 我知らず渋い物を含んだような顔付きになっている女神官は、何か言おうとして、言葉が纏まらないでいる。

「渋いわね……」と口を挟んだのは、レンズの奥の怜悧な瞳に年齢相応の若々しい、恋バナへの興味の火を灯している女魔術師だった。

「……死んだ父さんに、ちょっと似てるのかもね」

 照れるようにはにかんだ女武闘家は、髪を束ねた頭を掻いた。

 そのまま、「槍使いの彼は?」「美形だけどすっこし軽いかなぁ。大鎧のあの人とかは?」「騎士の人と仲が良いわね」などと女二人の歓談の花が咲き始める。

 そんな彼女達に言うべき言葉が見つからずに視線を彷徨わせた女神官は、ふと目が合った青年剣士のぎこちない笑顔に、己もまたぎこちない笑顔を返すしかなかった。

 どうしたものかと女神官が思い始めた頃。

「おうい、ガキども」

 駆け出し冒険者達の場に、切れ味良く上段から割り込んでくる声が来た。

 声のした方を見れば、引き締まった長身を青い甲冑で鎧い、業物だろう槍を携えた美丈夫が一歩、二歩と大股で近付いてくる。

 その名も轟く――少なくともこの近辺では――「辺境最強」の冒険者、槍使い(ランサー)だ。

「あっ、おはようございます!」「どうも」「どーも」「こっ、こんにちは」

 はきはきとした青年剣士、気安い女武闘家、愛想の少ない女魔術師、緊張しいしい女神官が四者四様に銀等級のベテランへと挨拶を送った。

「おう」

 槍使いは鷹揚に頷き、女神官と三人組を見比べると精悍な顔付きの中で少しだけ眉を詰めた。

「お前ら、仲が良いのは構わねぇが……神官のお嬢ちゃんが冒険帰りならしっかり休ませてやれよ」

 槍使いからの指摘に「あっ」と失敗に気付いたように声を上げたのは、術の行使によってもたらされる消耗を直に知る女魔術師である。

「ごめんなさい、つい話し込んじゃって……」

 手にしている杖を豊かな胸の前で軽く抱き締めるようにし、申し訳なさそうに謝る彼女に女神官は首を横に振る。

「いえ、大丈夫です。丁度手持ち無沙汰でしたし、久しぶりに皆さんと話せて良かったですから」

「そう言ってもらえると助かるわ」

 二人が互いに笑みを返す横では、

「坊主、お前も頭目ならこういうところに気ぃ配ってやれ」

 槍使いが青年剣士の真新しい革鎧の胸元を拳の甲で軽く叩き、

「うっす」

 真剣な顔で応える新人頭目の姿があった。

「ところでお前ら……鼠狩りがどうこうって言ってたが、下水道行くんなら急いだ方がいいんじゃねぇのか?」

 そんな槍使いからの不意の示唆に、新人三人組は「へ?」と気の抜けた返事を吐いた。

「下水道に潜る他の連中はもう行っちまったぜ」

 彼が拳に立てた親指で示したのは、ギルドの玄関である大きな自在扉だ。

 ホールの中を右に左に、奥に手前にと見回せば、自分達と同じような新人らの姿がいつの間にかまばらになっている。

 皆、下水関係の依頼達成を目指して出発していたのだ。

「獲物を取りっぱぐれても知らねぇぞ」

 にやりと笑って言う槍使いに、新人冒険者達は、わぁと慌てて各々装備を検め、今にも扉へ向けて走り出さんばかりの体勢になる。

 そんな彼らの姿に、女神官は喉の奥から笑いが上ってくるのが止められない。

「皆さん、落ち着いて、気を付けていってらっしゃい」

 そう言って両手を組み、「彼らの冒険に加護があらん事を」と地母神に祈り、己にできる送り出しとする。

 女神官の祈りの言葉を受け取り、三人は気持ちの良い笑みを返して礼とした。

「っし、待ってろよ鼠ども!」

「調子に乗って一人で飛び出すんじゃないわよ?」

 腕捲りするように気合を入れる青年剣士に、窘めるように女武闘家が軽く言う。

「気張れよ、ガキども」

 槍使いからの気安い励ましに、「うっす!」「はーい」「はい」と三人組の駆け出し冒険者は応じて一歩を踏み出した。

「じゃあ、またね。マゴット」

 駆けていく三人の最後尾、小さく手を振る女魔術師がくれたのは別れと再会を期する挨拶。

「はい。また」

 女神官も手を振り返し、彼らの背中を見送った。

 

 ――マゴット。かつて勇者を支える一党の一員として名を残した女僧侶と、同じ名前。

 自分の名は、彼女に肖って付けられたのだろうと今ではわかる。

 しかし、名付けてくれたのは、十年前に己を神殿の前に置いて行った、顔も思い出せない親か親類かそれ以外の誰かか。

 それとも深い慈悲を以て迎え入れてくれた神殿の人達だったのか。

 あまりに幼かった記憶は、神殿で過ごすより前の事を不鮮明にしたままずっと変わらない。

 名付け親を確かめる気は、起こらない。

 自分の名はそうであるという自覚が神殿で過ごし始めた時からあったし、神殿で地母神に仕える皆もこの名を呼んでくれた。

 きっと、それでいいのだ。

 

 ふう、と小さく吐息した女神官は再び椅子へと腰を下ろした。

 彼らが大怪我を負ったり死ぬ事なく、経験を積み、着実に装備を整えている。

 それを知れただけで、心身に溜まっていた疲労が少し軽くなったような気がする。

「俺にも鼠突き回してた時期があったねぇ」

 駆け出し達の背に懐かしい物を見る目をした槍使いが、呟くように言う。

 と。

「ここ、空いてるかい」

「え? あ、はい……ど、どうぞ」

 失礼。そう言って槍使いが女神官の隣の椅子にどかりと腰掛けた。

 華奢な少女と、細身なれど鍛え抜かれた美丈夫が並んで座る形となる。

「…………」

 女神官は無言になるしかなかった。

 少々、気まずい。

 ちら、と横目で隣の美丈夫を見遣る。

「辺境最強」の冒険者――槍使いの彼とは、さして接点があるというわけではない……はずだ。

 時たま、自分達が達成した依頼――と言ってもゴブリン退治がほとんどなのだけれど――の報告で受付嬢とゴブリンスレイヤーが話しているのを、穂先で貫かんばかりの視線で見てくるのを知っている。

 それと、槍使いが受付嬢に大層執心というか、懸想しているのも、まあ知っている。

 ――彼女が彼が寄せてる気持ちに多分応える事はないというのは…………言えませんよね。

 神殿へ祈りに来る者、治療を求める者、そうした様々な相手と長年接してきた女神官に、人見知りというものはない。

 人見知りをしていては神殿の業務をとてもやっていけない、という事もあるのだけれど。

 これまで知らなかった槍使い――銀等級の冒険者の事を知れるかもしれないと思えば、女神官は口を開くのに躊躇いを覚えなかった。

「あの、今日はあの方と一緒ではないのですか?」

 あの方、というのは彼が組んでいる同じく銀等級の冒険者――魔女(ソーサレス)と呼ばれる、肉感的な肢体に妖艶な雰囲気を纏わせている呪文遣いの女性の事だ。

「ん? ああ、今あいつを待ってるところさ。女の支度にゃ時間が掛かるもんだからな」

 槍使いは白い歯を見せて爽やかに笑う。

 強くて、引き締まっていて、顔の造形も良く、歯も磨く清潔な男の笑顔だ。高い等級は彼の人品も保証していよう。

 大抵の女性ならば心動かされても、何らおかしくはなかろう。

 けれど、女神官も受付嬢も、別の男をよく見ているからだろうか。少なくとも女神官はそういう気持ちにさせられる事はない。

「なあ、お嬢ちゃん」

 不意に笑みを解いて精悍な顔付きに戻った槍使いが、軽く天井を見上げるようにして口を開いた。

「どうだ、あの野郎と絶剣の嬢ちゃんと組んでて」

 それは気に掛ける響きを含んだ問い掛けであり、同時に顔見知りの冒険者へ景気を尋ねる程度の挨拶のようなものだった。

 あの野郎、とは辺境のギルドで知らぬ者のいない小鬼退治ばかりしている冒険者――ゴブリンスレイヤーの事だ。

 そして、並ぶ者絶無の剣技――故の絶剣。

 天真爛漫が肉体を得たような黒髪の少女がそう渾名されるのは、女神官が彼らと一党を組んでから日々を過ごす中で受付嬢から聞いたり、中堅以上の冒険者の口の端に上ったのが漏れ聞こえたりして知った事である。

 ――どうだろう。彼と彼女と、組んでいて。

 答えは、自然と口をついていた。

「……大変、ですよ」少しだけ困ったような笑みになる女神官。「でも……やっていけてます。しっかり、とは言えませんし、何とか、ですけど」

 意気の籠もった女神官からの返答に、意外を得たらしい槍使いは隣に腰掛ける華奢な少女をまじまじと見つめる。

「く、ははっ……悪ぃな。どうやら、野暮しちまったみてぇだ」

 そうして、辺境最強の冒険者は頭を荒っぽく掻いて苦笑した。

 一頻り笑声を吐くと槍の石突を床へと軽く打ち、槍使いは椅子から軽やかに立ち上がった。

「詫びに今度一杯奢らせてくれや」

 彼の視線の行く先を辿れば、冒険者達が行き交うホールの中、豊満な肢体をローブで包んだ呪文遣いの女性――魔女が杖を手に優雅に腰を揺らして歩いてくるのが見えた。

「これからあいつと冒険(デート)なんでな。ま、武運の一つでも祈ってくんな、お嬢ちゃん」

 相棒を迎えるべく、槍使いが悠とした足取りで人混みへ向かって歩き出す。

「あ、はいっ。あなた方のデート、じゃなくって……冒険に、ご武運を」

「おう」

 少し慌てた女神官の祈りを背で受けた槍使いは、ひらひらと気安く手を振って礼を返した。

 かくして新人(ルーキー)熟練者(ベテラン)、二組の冒険者一党を見送った女神官は、薄い尻を改めて椅子の上へと落ち着け、待つ事を再開した。

 ――ゴブリンスレイヤーさん達、どんな事を話していらっしゃるんでしょうか。

 上の階で行われているだろう、彼らと思いがけない来客との会談の光景に、想像を膨らませながら。

 

 

 辺境の街の冒険者ギルド二階、応接室の中央にて。

「ふぎぎぎぎ……!」「ふんぬぬにに……!」

 あかがね色の布張りのソファ、そして顔が映るほどに表面を丹念に磨かれたローテーブルを挟んで二つの唸り声が上がる。

 唸り声の主の一人は、上の森人としての浮世離れた天与の美貌を、その両頬を少女剣士の両手で横に引き延ばされて歪める妖精弓手。

 もう一人は、同様に妖精弓手の革手袋の両手に両頬を横に引き延ばされ、草原に花開く一輪の向日葵の如き愛らしい顔立ちを歪める少女剣士だ。

「ひゃなひにゃひゃいよ!」

「ひょっちふぁ!」

 向かい合い、互いに突き付け合うように片膝をテーブルの天板に乗り上げて取っ組み合いをする二人の姿は、はしたないと言われて然るべき光景である。

 森人と只人、少なくとも見た目はほぼ同年の二人の少女の間で一触即発どころか火の点いた感情のぶつけ合いが勃発するに至るには、少し時を遡る。

 

「拙僧は清き流れのウルキアガ。良しなに」

 蜥蜴僧侶が奇妙な手付きで合掌をしつつ。

「鉱人の術師、ネテロじゃ」

 鉱人道士が顎に蓄えた見事な白髭をしごきながら。

「……シノン。見ての通り、野伏(レンジャー)よ」

 妖精弓手が弓を担ぎ直して値踏みする声音と細目で。

 各種族で異なる歩幅を、ゴブリンスレイヤーを除く各人がぎこちなく合わせてギルド二階の廊下を進みながら、異種族三名と只人二人の間で簡潔な自己紹介が交わされる。

「ゴブリンスレイヤーだ」

 全身みすぼらしい装備の男は淡々と。

「ユウキでーす。よろしくー」

 黒染めの武具を纏う少女が軽快に挨拶を返した。

 そうして、応接室に入ってすぐの事。

 弓を肩から下ろし、そのまま流れるようにソファへ軽やかに腰を下ろしながら、その優美な唇から涼やかな声の嚆矢を放ったのは妖精弓手であった。

「あなた達、本当に銀等級なの?」

 声の向かう先はテーブルを挟んだ向かいに立つ、小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー)と称される男。伴うは猜疑の色を宿した鋭い新緑の瞳。

 薄汚れた革鎧と鎖帷子、呪われそうな古びた鉄兜で身を鎧い、左腕に使い込まれた小振りな円盾を括った男は、腰帯から中途半端な長さの剣を抜き取ってソファの座面端へ立てかけるとどっかと腰掛け、面頬の奥から声を発した。

「ギルドは認めた」

 返答は端的で静か――低く淡々とした声だった。

 腰を据えた男の傍で立ったまま「む!」と片眉を跳ねさせて唸ったのは、黒鎧の剣士の少女だ。

 彼女は男とは対照的に、明るくも抗議の意を込めた声を張り上げた。

「失礼しちゃうなぁ! にいちゃんとボクは正真正銘、辺境最優、銀等級の冒険者だよ」

 この認識票が目に入らぬか。そう言わんばかりに、少女は己の首元で光る銀の小板を右手の指先で摘まんで振る。

 しかし。

「端的に言って、信じられないわ」

 そう言って肩を竦めるようにした妖精弓手は一度少女剣士を見て、視線を薄汚れた冒険者の男へ戻した。

「だって、こんな子供と、見るからに弱そうな冒険者なんだもの」

「馬鹿を言うもんじゃあないぞ、耳長の」

 上の森人の疑念を鼻で笑う太い声が来たのは下――床に直に胡坐を掻く鉱人道士の白髭の口からだった。

 種々様々な冒険者が利用しうる冒険者ギルドの応接室ともなれば、家具調度に異種族への配慮がある。

 あれども、やはり只人(ヒューム)用の椅子は「小さき人」とも呼ばれる鉱人(ドワーフ)圃人(レーア)には大きすぎたのだった。

 蜥蜴僧侶も身に生えた長い尾がつっかえるのを嫌ってか、妖精弓手の座るソファの後ろで壁際へ寄りかかるように佇んでいる。

「わしの見立てによると」

 じぃ、と見開いた目で鉱人道士が二人の只人の姿を鑑定する。

「革鎧は動きやすさ重視。鎖帷子は短剣での不意討ち防止……兜で頭部の守りを厳重にし、小っこい剣と盾はせまっ苦しいとこでぶん回すのを考えてと見た」

 ゴブリンスレイヤーは答えない。

「娘っ子の方も大体一緒さな。左腕の五指籠手は……術の発動体も兼ねてっかね」

 ゴブリンスレイヤーが答えない代わりというように、笑顔の少女剣士は小さく拍手をして鉱人の述べた見立てが正解である事を讃えた。

 少女剣士からの拍手に気を良くしたらしい鉱人道士が、面白くなさそうな顔付きの妖精弓手へ聞こえよがしに言う。

「鎧兜がどろどろなのは手の込んだ臭い消し、娘っ子の汚れてない方は革だの鉄だのの臭いが綺麗に抜けるくらい大事に使い込まれとる。つまりはどっちも熟練者(ベテラン)つーこった」

 まったく、弓しか使わんから見聞が狭いんじゃよ、耳長の。

 勝ち誇るようにそう付け足された鉱人道士の言葉に、妖精弓手は柳眉を思い切り寄せて不機嫌を面にした。

 こと武具に係れば子供でも玄人裸足の鉱人と見立て比べをするというのは、森人にとっては酷な事でもあったのだけれど。

 鼻っ柱を折られる結果になった妖精弓手は歯噛みし、しかし態勢を立て直すように少女剣士へぴしりと指を突きつけて吠える。

「だいったい、超勇者って何よ超勇者って! 冒険者ってのは子供の遊びじゃないんだからね!」

 受付前での名乗りを子供っぽいと詰られる格好となった少女剣士だが、鼻を鳴らして舌を出すような調子で応じた。

「子供じゃありませんー。もう大人ですー」

 そんな少女剣士の言葉に、それまで不機嫌と勢い任せに表情を目まぐるしく変えていた麗しき上の森人は、獲物を見つけた猫のように目を細めた。

「へーぇ、大人ねぇ……あなた、おいくつかしら? ちなみに私は二千歳」

「…………じゅう――ハタチ」

 喉に詰まったのを引っ張り出すようにした少女の返事に、二千年の時を生きた森の麗人は浮かんでくる笑みを隠そうとはしなかった。

 定命に非ざる森人相手に只人がいかにサバを読もうとも、比べ物になどなりはしないのだ。

「あらあらあら、随分と大人なのねー!」

 口元に手を寄せてわざとらしく勝ち誇る二千歳の上の森人に、今度は少女剣士の方が歯噛みする番だった。

 が、少女の方もただしてやられている玉ではない。

 ふふんと張られる妖精弓手の薄い胸目掛けて、

「……おばあちゃん」

 ぼそりと呟かれた少女の言葉に、上の森人の長い耳が素早くひくついた。

「こ、んの……ちびっ子……!」

 花の(かんばせ)をさぁと怒りの紅に染め、妖精弓手は掌でテーブルを勢い良く叩く。

 前のめりに身を乗り出すようにした妖精弓手を落ち着かせようと鉱人道士が腰を浮かせかけたが、一手遅かった。

 少女剣士が言葉の刃の切っ先を妖精弓手へと既に抜き放っていた。

「金床!」

「あっ、あなただって変わんないでしょうが、このぺちゃぱい!」

「言ったなぁ!」

 互いが互い、聞き捨てならぬ言葉であった。

 少女剣士が脇に抱えていた兜をゴブリンスレイヤーの腰掛けるソファへ放ったのを合図として、手が出たのはほぼ同時。

 一度、二度と牽制し合うように空中で少女剣士と妖精弓手の手が当たると、遂に互いの頬をがっぷり四つにつねり合う体勢へ雪崩れ込んだ。

「ふぎぎぎぎ……!」「ふんぬぬにに……!」

 あかがね色の布張りのソファ、そして顔が映るほどに表面を丹念に磨かれたローテーブルを挟んで二つの唸り声が上がる。

 唸り声の主の一人は、上の森人としての浮世離れた天与の美貌を、その両頬を少女剣士の両手で横に引き延ばされて歪める妖精弓手。

 もう一人は、同様に妖精弓手の両手に両頬を横に引き延ばされ、草原に花開く一輪の向日葵の如き愛らしい顔立ちを歪める少女剣士だ。

「ひゃなひにゃひゃいよ!」

「ひょっちふぁ!」

 向かい合い、互いに突き付け合うように片膝をテーブルの天板に乗り上げて取っ組み合いをする二人の姿は、はしたないと言われて然るべき光景である。

 鉱人道士と蜥蜴僧侶は渋い顔を見合わせ、「これでは話がまるで進まぬ」とどうにか女二人の喧嘩を仲裁しようと口を開こうとした。

 しかし、彼らの動きより一拍早く差し込まれた低い声が、場を制した。

「ユウキ」

 表情を見通せぬ面頬の奥から発された、兜を転がすようなごろりとしたゴブリンスレイヤーの無機質な一声に、少女剣士の手からはゆるゆると力が抜けていき、妖精弓手の頬を解放した。

 目の前でつねっていた少女の顔から見る間に元気が失われていくのを瞳で捉えていた妖精弓手の手も、つられるように少女の頬から離れる。

「……ごめん、にいちゃん」

 肩を落として俯いた少女は隣に座る男に向き直り、萎れた声音で謝る。

「謝る相手は俺ではない」

 ゴブリンスレイヤーの突き放すような返事に顔を上げた少女が言葉なくむくれるも、それも僅かな間だけの事だった。

 改めて妖精弓手へと向き直った少女が、つねられた頬を赤くしたまま神妙な面持ちで頭を下げた。

「ひどい事言ったりほっぺたつねったりして、ごめんなさい」

 少女の真っ直ぐな謝罪に面食らった妖精弓手は要領を得ぬまま返答を迫られる形となり、

「えっと……」

「……ボク、ちょっと外すね。頭冷やしてくるよ」

 妖精弓手が言葉を探している間に、少女剣士は応接室の扉を開けて去ってしまった。

 ゴブリンスレイヤーは何も言わなかった。

 少女の背中、そしてソファに置き忘れられた黒い兜を短く見つめ、それから妖精弓手の視線が室内をあてどなく彷徨う。

「……あー、耳長の。今なぁお前さんが良くないぞ」

 こめかみを無骨な太い指で掻きながら、鉱人道士が探るような声を上げた。

「……なんでよ」

 ソファへ改めて薄い尻を下ろし、つねられた頬を片手でさすりさすり、ばつが悪そうに妖精弓手は唇を尖らせた。

「お前さん、兄弟や家族はいるか」

「……いるわ。ねえ様も――」

 そこまで言い、「あ……」と森人は小さく口を開けたまま眉を寄せ、端正な(おもて)を静かに曇らせた。

 そこに浮かび上がってくる感情は、後悔だ。

 先ほどまで逆立たんばかりに吊り上がっていた笹葉様の長耳は、萎れるように角度を下げていた。

「わかったか……(きろ)うたり憎んだりしとるわけでもない親兄弟を、よく知りもせぬ相手が悪し様に侮れば、声の一つも荒らげたくなるだろうよ」

 噛んで含めるように言う鉱人道士が見遣る先には、今しがた繰り広げられていた騒動の前と一切変わらぬ様子で静かに腰掛けているゴブリンスレイヤーがいる。

 室内に、束の間の沈黙が生まれた。

「――うん、決めた」

 その沈黙を破って放り投げるように、妖精弓手が愛用の弓を肩に担ぎ、勢い良く立ち上がった。すらりと長い足を伸ばし、そのまま応接室の扉へと向かおうとする。

「おい、どこ行くんじゃ耳長の」

「仲直り!」軽やかな足取りはそのままに、妖精弓手の手がゴブリンスレイヤーの隣に転がる黒い鉄兜の縁を掴んで拾い上げる。「ちょっと行ってくるわ! 話は纏めといて!」

 そうして、上の森人は少女を追って部屋から飛び出していった。

 鉱人道士は一度溜息を吐いて床に敷いている重い尻を再度落ち着け、蜥蜴僧侶はシュ、と短く息を漏らした。

 と。

「あやつも」

 髭をしごきながら、鉱人道士が口を開いた。

「故郷の森が小鬼どもの巣食った近くにあるらしくてな。まあ、気が立っちまっとる。すまんな、かみきり丸」

「構わん」

 淡々とした調子でゴブリンスレイヤーは言った。

「それで、やはりゴブリンか」

 鉱人道士の言葉から己の欲する情報を聞き取って推論を構築したらしいゴブリンスレイヤーが、確認の声を発する。

「いかにも」重々しく頷いた蜥蜴僧侶が応じる。「拙僧らは小鬼殺しと呼ばれる貴殿に小鬼退治の依頼に参った。話を詰めてもよろしいか」

「請けよう」

 小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー)と称される冒険者は、呼吸でもするようにゴブリン退治の依頼を了承した。

 

 

 辺境の街の空は青く、その中に白い棚引きとして幾筋も雲が伸びている。

 大気を膨らませる日差しは暖かく、風の流れは穏やか。

 応接室を去った少女剣士を追い、妖精弓手が目当ての人影を見つけたのは冒険者ギルドの裏手、そんな空の下だった。

 緑の葉を繁らせた一本の木から少し離れた位置。

 浅く踏み込み、右手で腰に帯びた剣の柄を握り、左手を鞘に添えて構えている少女の背に、妖精弓手は声を掛けるのを待った。

 多くの人々が住まい、生活する辺境の街の中。

 ごく僅かな切れ目の如き、瞬くほど間の静寂がそこに存在した。

 不意に強い風が吹き抜け、木の枝から葉が一枚落ちて風に乗って舞う。

 それを、少女剣士が恐るべき速さで抜き打った黒剣が真っ二つにした。

 森人の優れた動体視力は、鞘から滑るように放たれた漆黒の刃筋へと、葉の方から吸い寄せられていったのを確かに捉えていた。

 吹き抜けてきた風に薄緑の髪を撫でられた妖精弓手は、鞘に剣を納める少女へと足音なく地面を踏み締めて歩み寄りながら問うた。

「風を、読んだの?」

「風の精霊さんが教えてくれるだけだよ」

 振り返り、事もなげに少女剣士は答えた。視線を合わせる両者の顔に、応接室で生まれていた険は最早ない。

 ――これが絶剣。

 確かに、『子供の遊び』で銀等級になれはすまい。

 心中で己の言行を反省し、眉を下げた妖精弓手は努めて表情を引き締めた。せめても、僅かでも、少女に食って掛かった先だっての失態を挽回したかった。

「これ、忘れ物よ」

 言い、抱えていた黒い鉄兜を少女剣士に手渡した。

 投げ渡すのもいいかと少しだけ思っていたが、森人という種族に投擲――それも重量物――の適性は乏しい。

 他人の大切にしている装備を明後日の方向に暴投でもしたら目も当てられない。

「そう言えば忘れてた……ありがと」

 丁寧な手付きで受け取る少女剣士の言葉に、被せるように妖精弓手は芯の籠もった声で言った。

「さっきは、ごめんなさい。あなたにも、あなたのお兄さんにもひどい事を言ったわ。それに、その、ほっぺも」

 長耳を垂らした妖精弓手からの謝罪に、一瞬きょとんとした少女剣士だったが、すぐに柔らかな笑みで頷いた。

「ん、じゃあお相子って事で」

 妖精弓手の胸の内で滞留するようだった気分を吹いて散らすかのように、少女剣士の所作はたおやかな風めいていた。

 知らず相好を崩した上の森人は長耳をふるりと揺らし、目の前にいる冒険者の少女について湧いてきた興味を確かめる。

「ユウキ、でいいかしら。ユウキは、剣を握ってどれくらいになるの?」

「んー……十年、かな」

「十年……」

 少女剣士が気負いなく告げた言の葉を、妖精弓手はゆっくり含むように繰り返した。

 十年。

 定命に非ず、数千年とて軽々と生き続ける森人にとっては、瞬くほどでなくとも、長いとは言えぬ年月だ。

 しかし、おそらくは二十に届かぬ齢の彼女の生――その半分以上を剣と共に過ごしてきた者の言葉は、決して軽くない。

 胸の内に少女の言の葉を飲み込むように、妖精弓手は微かに頷いた。

「ねえ、シノン達はにいちゃんとボクにどんな用事があるの?」

 そう不意に投げかけられた質問は、少女剣士の聞きたい事であり、妖精弓手の話すべき事であった。

 すっかり失念していた事を誤魔化すように、大きく瞬きをした妖精弓手は小さく咳払いを一つ。

 それから真剣なそれへと面持ちを研ぎ直して凛とした声を放つ。

「もちろん、依頼よ。都の方で悪魔(デーモン)が増えているのは知っていると思うけど」

「フーム……そうなの?」

「そうなの。その原因は、魔神王の復活。奴は軍勢を率いて、世界を滅ぼそうとしているわ」

「そっか……ヤバいね」

「ええ、とっても。今、秩序の勢力に危機が迫っているの。このままじゃ、悪魔の軍勢が押し寄せてくる」

 妖精弓手が語って聞かせる世の趨勢の一つ一つに、少女剣士はふむふむと素直な頷きを返す。

 その姿に知らぬ間に気を良くして長耳を揺らしていた上の森人であるが、先だって相まみえた度を超えた偏屈が人の形を取ったような男にも……というか、主にその男へ依頼を持ってきた事が何をもたらすのかを、彼女はまだ思い知っていなかった。

「混沌の勢力に対抗する為に、世界の命運が懸かった会議が開かれる。私達森人の長に鉱人の長、蜥蜴人の族長、只人の諸王が一堂に会して秩序の勢力として結束するべく、ね」

「ひゃー、スケールが大きくなった……」

 淡い柘榴石を思わせる瞳を瞬きでくりくりとさせ、少女剣士は感嘆の乗った声を漏らした。

「そうね……いずれ、大きな戦になると思うわ」

 未だ来たらざる軍勢同士の激突の予感に思いを馳せる妖精弓手が呟く。

 そうして、妖精弓手が一頻り前置きを話し終えた事で訪れた短い沈黙。

「えぇっと、それで結局、にいちゃんとボクに頼みたい事って」

 その沈黙を切って落とすように、小首を傾げて問うた少女剣士に対して。

「オルクボルグに依頼しに来た事はもちろん――ゴブリン退治よ」

 肉付きの薄い胸を張った妖精弓手は、きっぱりと言い切った。

「やっぱりゴブリンだったかー……」

 がくりと肩を落とし、力なく項垂れる少女剣士。

「ゴブリンゴブリン小休止ゴブリン小休止で、またゴブリンかぁ……」

 四方世界の命運を巡る情勢に、それに付帯するだろう大戦(おおいくさ)

 そんな大層な前置きをしておいて、妖精弓手らが依頼として携えてきたのは最弱の怪物たるゴブリン退治だ。

 少女ががっかりとする気持ちも、妖精弓手にわからなくもない。

 けれども。

 果たさねばならぬ怪物退治なのだ、これは。

 それは秩序の勢力が一丸となる為であり。

 けれども。それだけではなくて。

「ゴブリンの」沈み込むような声音で吐き出された言の葉。「大きな巣穴が見つかったの……私の故郷の森の近くに」

 自然と俯いていた妖精弓手の瞳には、少女剣士の表情は映らない。

 だが、

「そっか」

 と、妖精弓手の砕けそうな言葉を抱き留め、包み込む響きで以て少女剣士が応じた。

「じゃあ、シノンが安心できるようにゴブリンを残らずやっつけないとね」

 間を置かぬ快諾の声に妖精弓手がゆっくりと顔を上げれば、に、と白い歯を覗かせる眩しい笑みを浮かべた黒鎧の冒険者の少女の姿があった。

 その光景に、上の森人は小さく息を吐くと、くすりと微笑んだ。

 ――二千年を生きた私が、生まれて二十年も経たない女の子に心配されるなんて、まったく……。

 あの鉱人が知ったら、笑うだろうか。笑うだろう、おそらく嫌味は伴わずに。

 

 森人の里の有する軍兵は精強。ゴブリンの大きな巣穴一つ程度、揉み潰すのに苦労はすまい。

 だが、只人の諸王は森人を含む異種族を同格と認めても、同胞とは認めていない。

 森人が勝手に軍隊を動かせば、自領の背後で異種族の軍が好き勝手に戦う格好となる只人の王に「何を企んでいる」と難癖をつけられてしまうだろう。

 そうなれば、秩序の勢力としての足並みは絶対に揃わず、混沌の勢力への対抗もできない。

 故に、森人は軍を出動させられないのだ。他種族の軍もまた然り。

 しかし、一種族の危機に他の種族が手を携えて救援に赴いたとなれば、連合の結束は強まろう。

 故に連合する全種族――森人の手で、鉱人の手で、蜥蜴人の手で、そして只人の手で以て果たさねばならぬ怪物退治なのだ、これは。

 いずれの種族も軍隊は動かせず、政治のしがらみからも遠い腕っこきを要する。

 となれば――在野の冒険者(アドベンチャラー)の出番だ。

 

 二人で笑い合うと、「ところでさ」と前置きした少女剣士が言った。

「……さっきの話、にいちゃんの前でしなくて良かったねー。にいちゃんだったら」

 面頬の如く両掌で口元を覆い隠し、努めて淡々とさせ、くぐもらせた声音で続ける。

「『知らん。そうか。興味がない』、『世界の危機より、ゴブリンだ』――ってなってたよ」

 ボクは興味あるけどね。彼女は、口元を解放してそう結ぶ。

「……何それ、本当……?」

 信じられないものを聞いたように、困惑した表情の妖精弓手は呆れ声を上げていた。

 ゴブリンの前では、世界が滅ぶかどうかという危機すら些事――そんな事を言い切る只人がいるなど、妖精弓手の理解の範疇を超えている。

 ほんとほんと。眉の下がった、少しだけ寂しそうな笑みで、少女剣士は言う。

「……きっと、ボクが剣を振り続けてきたのと同じくらいの間、にいちゃんはゴブリン退治について考え続けてきた」

 左脇に鉄兜を抱える少女の空の右手が、腰の剣の柄を優しげに撫でた。

「今この時も、変わらずに」

 少女剣士の確信然とした言に、何かを言おうとして唇を開きかけた妖精弓手は、何も言えなかった。

 すると、黒鎧の冒険者の少女は柔軟体操をするように軽く屈伸運動や身を回す動きをした。

 はてどうした、と妖精弓手が新緑の瞳をぱちくりさせたところで、少女剣士は駆けっこのスタートを切るように鋭く地を蹴っている。

「早く合流しないと、にいちゃん一人で行っちゃうよ!」

「……は? 一人で?」

 ギルドの正面入口の方へと跳ねるように駆けていく少女の背中を、呆気に取られていた妖精弓手は慌てて追いかけた。

 たった一人でゴブリン退治を遂行せんとする小鬼殺しの専門家に、その男と組む年若くして絶技を修める剣士。

 いずれも、今の自分には理解できない、未知の存在だ。

 追い求めて森を出た()()が、目の前にいる。

 その事に、妖精弓手は唇の端を上げて楽しげに笑んだ。

 

 

 蜥蜴僧侶らの持ってきた依頼――ゴブリン退治の概要を聴取したゴブリンスレイヤーは一人応接室を後にし、ずかずかと無造作な足取りで階段を下りて受付へと向かった。

「待っていました」

 受付に到着した薄汚れた装備の男へ、開口一番そう言ったのは小走りに駆け寄ってきた女神官だ。

「そうか」

 ゴブリンスレイヤーの応答は端的だった。

「ええ、あなたの事を待っていらっしゃいました」

 にこにこ笑顔の受付嬢が、口を結んだ小さい麻袋を三つ並べてカウンターの天板へ置きながら、ゴブリンスレイヤーへ言い聞かせる調子で女神官の言葉を補足した。

「前回の依頼達成報酬、いつも通り三等分の物です。報告の方はまだですけど……ま、ゴブリンスレイヤーさん達なら良いですよね」

 内緒ですよ? そう付け足して、受付嬢の瞳が目の前に立つゴブリンスレイヤーの上から下までを一度眺める。

「お急ぎのようですし」

「助かる」

 ゴブリンスレイヤーの応答は、やはり端的だった。

「……そんな事がわかるんですか?」

 そんな光景を目の当たりにして思わず、といった風の女神官の問いに、受付嬢はその豊かな胸を張るようにして自慢げに答えた。

「普段よりもちょっとせかせかしてますから。まあ、五年も担当していれば、って奴です。それで……」

 そうして受付嬢が向けようとした水を引っ手繰るような無骨な声が、ゴブリンスレイヤーの兜の奥から発せられた。

「ゴブリンだ」

「やっぱり余所からの依頼だったんですね」

 確認の最中も、羽根ペンを握る受付嬢の手は淀みなく羊皮紙の上を走って事務手続きを推し進め、ついには完了させた。

「はい、報酬をどうぞ。無事に、帰ってきてくださいね?」

 ついでと言うように、受付嬢から念押しをもらう。

「ああ」

 ゴブリンスレイヤーの手が二つ麻袋を取り、一つを懐にしまうと、もう一つを女神官へと突き付けるように差し出す。

「お前の分だ」

「あっ、ありがとう、ございます……」

「残りはユウキに渡しておいてくれ」

 ゴブリンスレイヤーはそう受付嬢に告げ、女神官がおっかなびっくり麻袋を受け取るのを見届けると、踵を返してゴブリン退治へ出発しようとする。

 だが、その薄汚れた背中へ引き留める声が掛かった。

「ゴブリンスレイヤーさん!」

 振り返った先。声の主は、報酬の入った麻袋を胸元で抱くようにしている女神官。

 薄赤い彼女の表情は不安と抜け切らぬ疲労に彩られていたが、澄んだ青い両瞳には気力が宿っている。

「俺はゴブリン退治に行く」

 己の選択を、ゴブリンスレイヤーは女神官へと宣言した。

 ――お前はどうする。

 そうした意図も添えた宣言であったのだが、女神官へ正しく伝わるには、言葉が致命的に足りていない。

「せめて、こう、決める前に相談とか……」

 決定事項の伝達でもされているかの如き心境になったらしい女神官は、渋い物でも含んだように眉間に皺を寄せたのだが。

「しているだろう」

 兜を傾げ、心底不思議そうにゴブリンスレイヤーは言う。

「あ、これ相談なんですね……」

「ああ」庇の奥の表情を見通せぬ鉄兜が頷きによって上下する。「来るのか。来ないのか。好きにしろ」

 彼にとっては、これが相談であった。

 はあ、と。女神官の唇から溜息が一筋零れ落ちるのも、無理からぬ事である。

「……選択肢があるようでないのは、相談とは言いませんよ?」

 口の端を上げながら、女神官は軽く窘めるように告げる。

「そうなのか」

「―― 一緒に行きます」

 そんな女神官の決断の声が上がるとほぼ同時。

 ばぁん、と勢い良くギルド入口の自在扉が外から押し開かれ、頑丈そうなブーツで床板を踏む音も高らかに入ってきたのは少女剣士であった。

「にいちゃん! ボクも行く!」

 受付目掛けて駆けてくる黒い疾風の後ろには、弓を担いだ麗しき上の森人がすらりと長い足の大股で続いている。

「放っておけませんから、あなた達」

 小鬼殺しと絶剣――似て非なる両者の姿を目にして花開くような頬笑みを浮かべた女神官に、しばし沈黙したゴブリンスレイヤーは「そうか」と短く答えた。

 彼は、女神官と少女剣士が己と共に行く事を拒まなかった。

 それから、ゴブリンスレイヤーに遅れて階段を下りてきた鉱人道士、蜥蜴僧侶も受付で合流し。

 

 かくして、種族も職業も異なる六人の冒険者一党(パーティ)が結成されたのである。

 

 

「二人とも、ごはん食べる? すぐに用意するけど」

「いや、すぐ出発する」

 ゴブリン退治の依頼から三日ぶりに帰ってきた幼馴染と妹を母屋に迎えた牛飼娘の気遣いに、薄汚れた装備で身を鎧った男は首を横に振って答えた。

「おそらく、一週間は帰らん」

 辺境の街を出て東に行ったところにある牧場、その納屋にゴブリンスレイヤーは五年前から下宿している。

 牛飼娘が、辺境の街目指して街道を歩む者達の中から、記憶の中に残る幼馴染の少年の姿を見つけ出した日からの事だ。

「そっか……やっぱりお仕事?」

 妹と同じ暗紫の黒髪――短めに切り揃えられたそれを小さく揺らし、牛飼娘は努めて声の張りを落とさぬようにして訊ねた。

「ああ。ゴブリンだ」

 牛飼娘の胸中を知ってか知らずか、ゴブリンスレイヤーの声は普段と変わらぬ淡としたそれのまま。

 そんな中、戸棚をごそごそ漁っていた黒鎧の少女が、見返り気味の姿勢で誇らしげに牛飼娘へ報告する。

「ねえちゃん! 今回は余所の冒険者の人達がわざわざ依頼しに来たんだよ、にいちゃんの活躍を聞いたんだって!」

 それから「あったあった」と呟く少女の手に握られたのは、乾燥果物(ドライフルーツ)を保存する袋が一つ。

 中身は甜瓜(メロン)を一口大に切って窯で水分を飛ばして作ったそれだろう。

 牛飼娘も、妹がギルドの酒場で仕入れてきたのを同じ袋から幾度か摘まんだ覚えがある。

「へぇ……君も有名人、って奴かな?」

 ゴブリンスレイヤーが辺境の冒険者ギルドのある種好ましからざる――その括り方こそ牛飼娘にとって好ましからざるものだが――有名人として知られているのは、知っている。

 初心者向けの安いゴブリン退治の依頼ばかり好んで遂行する、変わり者の冒険者。

 その彼がどういう形か、名のある勇士として余所で取り沙汰されるほどになるとは。

 でも、彼の『活躍』と言えば、きっと間違いなくゴブリン退治だ。

「知らん」ゴブリンスレイヤーは興味もなしという様子で鼻を鳴らす。「俺はゴブリンを殺すだけだ」

 ゴブリン退治への出立前に彼が牧場へ寄ったのは、牛飼娘への連絡と、納屋に置いてある『仕事』道具をいくらか補充する為だ。

 

 母屋の内、玄関扉の前で旅支度を整えた格好で並ぶ幼馴染と妹に、布包みのチーズとサンドイッチを牛飼娘は手渡す。

 ゴブリンスレイヤーと少女剣士が納屋に行って戻ってくる間に用意した物だ。

 妹によれば何でも、彼の一党の一員として牛飼娘が知っている女神官の他に、三人の冒険者が今回の依頼には臨時に仲間として加わるのだそうだ。

 とても珍しい事だと思う。だから、牛飼娘は少し奮発してチーズを塊で包む事にしたのだ。

「チーズはみんなで仲良く食べてね。あとこれ、パンに色々挟んどいたから、早めに食べちゃう事」

 サンドイッチの包みを隣の少女剣士に持たせると、ゴブリンスレイヤーは雑嚢鞄の口を開け、雑多な道具類を詰め寄らせて隙間を作り、そこへ無造作にチーズをしまい込んだ。

 それから、兜の庇の奥で口を開いた。

「……アキ、すまん」

 食事をすっぽかす事、仕事を終えてまたすぐ別の仕事に行く事、他にも色々な事について集約された「すまん」という彼の一言を、牛飼娘は受け入れた。

「そこは、ありがとうの方が嬉しいかなぁ」

「……そうか」鉄兜が微かに頷く。「ありがとう」

「はい、どういたしまして。それじゃあ……」

 深く息を吸い、牛飼娘は目の前に立つ彼と妹を力一杯抱き締めた。

「ちょ、ちょっと苦しいってばねえちゃん……」

 降参、という風に姉の背中を掌で軽く叩いてくる妹の声はあえて聞き入れない。

「苦しくしてるからねー」

 彼らの鎧に当たって形を変える自身の大きな胸が痛むくらいに。痛いくらいに。

「無事に帰ってきてね」

「そのつもりだ」「うん」

 抱き締めた二人の頭の間に自分の頭を埋めるようにして、俯き気味の牛飼娘は囁く。

「待ってるから」

 彼がゴブリン退治に行くのに、妹や彼が助けた神官の少女のようについていく事はできない。

 彼がゴブリン退治をするのに、受付嬢のように支援する事はできない。

 だからせめて、自分は彼と妹が帰ってくる場所で待とうと、そう思うのだ。

 

 

 辺境の街を出てより、瞬く間に三日が過ぎた。

 初対面の者、それも一癖も二癖もある者同士が馴染むには、瞬く程度には時間が必要だった。

 赤と緑、二つの月の輝く星空の下、どこまでも続く広野。

 その真ん中で、六人の冒険者が焚き火を囲む形で円陣を組んで座り、往路最後の夕食を摂っていた。

 調理を担当したのは、蜥蜴僧侶と女神官の二人。

 メインメニューは香辛料をたっぷりまぶした干肉の串焼きと、数種類の乾燥豆を混ぜて煮込んだスープだ。

 今回の依頼の目的地――ゴブリンの巣食う場所は、森人の里の近郊に発見された古代の遺跡である。

 ゴブリンの数は不明、巣の規模は大規模としかわかっておらず、上位種のシャーマンや田舎者(ホブ)の有無も確証が取れない。

 蜥蜴僧侶らから提供された少ない情報を素早く吟味したゴブリンスレイヤーが選択したのは、強行軍であった。

 曰く『ゴブリンの巣に時間を与えればそれだけ数が増える』

 拙速になろうともゴブリンに時間を与えるべきではない――ゴブリンの専門家と言える男の主張に、異を唱える者はいなかった。

 いなかったのだけれども、この強行軍に少々割を食う事となる者はいた。

 鉱人道士である。

 行軍して一日当たりの移動距離を稼ぐ事が優先される以上、削られる時間は出てくる。

 その内で顕著なのは、食事に纏わるものだった。

 翌日に歩き続ける体力が回復するのに要する休息時間を割り出し、後はできるだけ行軍に割り振る。

 自然、食事は調理の手間のかからぬ携帯糧食などの粗食で済ませがちになる。

 武具、そして飯と酒にうるさい鉱人としては、ずっとは甘んじたくないひと時であった。

「旨い! なんじゃいな、この肉は……!」

 そうして三日ほど口寂しさを味わった鉱人は今、蜥蜴僧侶の焼き上げた串焼き肉を頬張っては噛み締め、口中に広がる見知らぬ滋味に舌鼓を打っている。

「拙僧らの故郷、沼地の獣の干肉だ」

 鉱人道士の食い付きっぷりに牙を剥く笑みを浮かべた蜥蜴僧侶は二本、三本と新たな串の肉を火に掛けた。

「ええ~? 沼地~?」

 旨い旨いと串焼き肉に齧り付いている鉱人道士と対照的に、聞かされた肉の産地に顔を僅かに顰めたのは妖精弓手だ。

 彼女の膝の上には、女神官の拵えた温かな豆のスープがたっぷりよそわれた椀が載っている。

 肉を受け付けない妖精弓手には、こちらの方がお気に入りである。

「それにしては臭みもないのう。ピリリと辛口で肉の汁もたまらんわい」

 指についた脂までも舐め取って鉱人道士は味の良きを表明する。

 調理の手を休めた蜥蜴僧侶は、焚き火で炙られて脂を滴らせた食べ頃の串焼きを一本取り、

「香辛料もこちらにない物を使っておる故、珍しかろう」

 牙の居並ぶ大顎で刮ぐようにして食んで郷土の味を自賛した。

 探索や戦闘の直前ないし最中に腹に物を詰め込むべきでないというのは、この一党の銀等級の冒険者らは経験で知っている。

 白磁等級の女神官も、以前ゴブリンスレイヤーから言い付けられたのを覚えていた。

 強行軍の甲斐あって明日にも乗り込める位置に目標の遺跡を捉えた以上、十分に飲み食いできるのは今夜が一旦最後となる。

 故に、食事も休息もこの機会にしっかりと、だ。

 武具、そして飯と酒にうるさい鉱人としては、待ち侘びたひと時である。

「あっさりしてて優しくて……ほんと良い味」

 スープを匙で掬って口に運んでは機嫌良さそうに長耳を小さく上下させていた妖精弓手。

「私もお返しにっと……」

 彼女は一旦椀を脇に置くと、自らの荷物に手を突っ込んで光沢のある幅広の葉の包みを引っ張り出した。

 茎でできた紐の結びをほどけば、かさりと軽い音を立てて姿を現したのは薄く小さなパン。

 一行に一つずつ配ると、少しだけ勿体ぶったような調子で上の森人は言う。

「森人秘伝の保存食。本当はあまり人にあげてはいけないのだけど、今回は特別」

 一口齧ると何とも不思議な風味が満ちてくるそれに、女神官は「美味しい!」と声を上げ、鉱人道士も思わず唸る。

「ふぅむ! 森人の秘伝が出たとなると、わしもこいつを出さねばなるまい」

 ――飯は味わった。となれば次は。

 森人の秘伝の残りを平らげた鉱人道士は陶器の大瓶を持ち出し、皆に見せつける。

「鉱人の穴蔵で造られた火酒よ!」

 ――酒である。

「耳長娘に鉱人の酒が飲めるかの?」

 と、鉱人道士のわかりやすい挑発にあっさり乗って一口呷った妖精弓手が白い顔を真っ赤にしてひっくり返ったのは、それからすぐの事だ。

 茹で蛸のように赤ら顔で脱力している妖精弓手に水を飲ませたりだのなんだのという介抱は女神官に任せ、鉱人道士は酒杯をゴブリンスレイヤーへと向けた。

「ほれ、かみきり丸。お前さんも飲まんかい」

 杯を受け取ったゴブリンスレイヤーは、兜の隙間から澄んだ酒精をがぶりと呷り、黙って杯を返した。

 彼は兜の隙間から黙々と食事を摂り、それからまた黙々と自らの武器、防具、雑多な道具類の整備と点検を行っている。

 隣に座る少女剣士も、兜こそ脱いでいたが、彼に倣うように同様にしている。

 彼女の性格ならば、食事時にもっとはしゃぐだろうと思っていたが――事実、この日の昼食まではそうだった――今、彼女の所作は静謐に染まっていた。

 ――緊張……いやさ、自分を研ぎ澄ます、集中だぁな。

 明日の遺跡攻略に、備えているのだ。

 鉱人道士の見遣る先、揺らめく焚き火の明かりに照らされる少女剣士の顔付きは、波紋一つない夜の湖面のように澄み切っている。

 そうして時が過ぎるのを待つ事幾ばくか。

 手入れを終えて一息を吐いた少女剣士へ、鉱人道士が意を決した太い声で告げた。

「ユウキの嬢ちゃん、ちいと頼みたいんじゃが……お前さんの黒い剣を見せてもらえんか」

「うん? ボクの剣を?」

 申し出に少女剣士が軽く疑問すると、

「鉱人ったら、ここのとこなーんかそわそわしへると思ったら、ユーキの剣のこぉらったのね」

 女神官に介抱されて横になった状態から首だけを起こした妖精弓手が、赤ら顔のまま呂律の回らぬふわふわとした声で笑った。

「……武具は戦士の魂じゃい。見知らぬ相手に軽々に触らせるもんじゃあねぇかんな」

 この三日の旅路で、「見知らぬ相手」という括りからは脱したとは思うが、どうだろうか。

 けれど、鉱人道士の考えを杞憂と述べるように、少女剣士の行動は軽やかであった。

「はい、どーぞ。よく斬れるから気を付けてね」

 そんな事を言いながら、鉱人道士の前まで足取り軽く歩いてきた彼女は鞘ごと剣を渡してくる。

「忝い」

 捧げ持つように受け取る鉱人道士の仕草と声に、妖精弓手も唇を閉じ、落ちそうな瞼を瞬かせて剣と鉱人を見つめた。

 食器を拭いて片付けをしていた蜥蜴僧侶も、鱗肌の手を止めて注目する。

 蜥蜴人は父祖に纏わる武器や鍛え上げた自らの肉体を駆使して戦う事を尊ぶが、他種族が工夫と経験を込めて作り上げた武具を軽んじる事は決してない。

 鉱人道士の太い腕の中、音もない滑るような鞘走りで黒い鞘から現れたのは、握られた柄も含め、刃も剣身も、全てが漆黒の肉厚の直剣。

 両刃を備えたその剣は少女剣士の腕一本、指先から肩口までほどの長さで長剣とも短剣ともつかないけれど、彼女が片手で振るう事ができ、その戦闘機動によく馴染む一振りだ。

「……綺麗……」

 焚き火の炎に照らされた剣身の表面は磨き抜かれた黒曜石の結晶を思わせ、妖精弓手が感嘆の息を漏らした。

 鉱人道士は刃毀れ一つない剣を端から端まで丹念に検め、太い指先で剣の腹を一度弾いた。

 澄んだ金属音が響くように鳴り、皆の耳に届く。

 そうして、鉱人道士は剣を鞘へと戻し、受け取った時同様、捧げ持つようにして少女剣士へと返却した。

「ありがとうな」

「どういたしましてー」

 笑顔でそう返した少女剣士はするりと己の座していたところへと戻った。

 鉱人道士は深く息を吐き、掌を額に当てるとそこから瞼、鼻、唇と、拭うようにゆるゆると下ろしていき、顎の白髭をゆっくりとしごいた。

「……同胞の良い仕事を見せてもらったわい」

「やっぱり。鉱人の作った剣だったのね、それ……」

 鉱人道士の感嘆に、上半身を起こした妖精弓手が応じた。どうやら、少し酒気が抜けたらしい。

「へぇ、そうだったんだ」

 と、初めて知ったという風に呟くのは黒剣を納めた鞘を抱える、持ち主たる少女剣士であった。

「そうだったんだーって……ユーキは知らなかったの……?」

 薄赤い顔の妖精弓手がそう問い掛ければ、

師匠(マスター)からもらって、それからずっと使ってただけだもん」

 少女剣士はけろりとした顔付きで答える。

「あなた、ある意味凄いわ……。それで鉱人。どんな名剣魔剣なの?」

 己の手に馴染みのない武器、それも武具を鍛えるに名高き鉱人の手になる物とくれば、妖精弓手が興味津々となるのも無理からぬ事であった。

 そしてギルドの裏で抜かれた瞬間と、今しがた焚き火の炎越しに軽く眺めただけであるが、妖精弓手の目にも決してただの剣とは思えぬ漆黒の輝きがその一振りにはあった。

「もしかしてぇ……勇者の聖剣とか?」

 まだ深く酔いが残っているのか、冗談めかしてそんな事まで宣う。

「大外れじゃわ」

 厚い下唇を突き出して鉱人道士は上の森人の見立てを大きな溜息付きで否定した。

「何の魔力も宿しておらん、聖別もされておらぬ()()()よ」

「嘘……数打ちって、あーいうのでしょ?」

 信じられないという顔をした妖精弓手が指さしたのは、少女剣士の隣、ゴブリンスレイヤーの脇に抜き身で置かれている中途半端な長さの剣。

 長さの事を除けば、まさしく何の変哲もない鋼剣である。

「ただし、気が違うほどの鍛冶師に打ち鍛えられた最高の――っつう枕が付くがの」

 杯に手酌でよそった火酒を傾けた鉱人道士が腹の太鼓を鳴らし、

「一廉の使い手が握れば、折れず曲がらず鈍らず、手入れを欠かさねば幾年幾度とて敵を断ち切る事ができよう」

 そう太鼓判を押す。

「……なぁにそれ、壊れない剣なんて魔法じゃないの」

 そう妖精弓手が唇を尖らせるのも無理はなかった。

「かぁーっ、高度に熟達した技術は魔法と見分けがつかんという言葉を知らんのか、耳長娘よ」

 背高でいつも上段から口を挟んでくる上の森人をやり込められて、鉱人道士としては実に火酒が旨い。

「まあ、壊れんつーても達人が振るうのが前提じゃからな。技量の伴わんもんが振り回せば、あっと言う間になまくらよ」

 最高の数打ち。

 それが黒剣を打ち鍛えた、名も知らぬ鉱人の鍛冶師が見出した鋼の秘密――その一端だったのだろう。

 不壊の剣を構成している鋼鉄の材料比に火の入れ方、鍛え方、何もかもが一見した程度では推測もできない代物だ。

 ――まさに『秘密の鋼』よ。使い手が剣を裏切らぬ限り、剣も決して主を裏切らぬ。

 鉱人道士が水の街で聞いた吟遊詩人の詩吟を思い出しながら酒を舐めていると、妖精弓手がふらふらと鎧姿の男女の方へ近づいて行った。

 どうやら彼女の興味は数打ちの剣からもう離れたらしい。

「あんた達は食べてばぁーっかり! オルクボルグもユウキも何か出しなさいよ~」

 何か持ってんでしょお。絡む妖精弓手の緩んだ優美な唇からは、火酒の残り香が薫っている。

 酒の抜けきっていない麗しき酔っ払いの催促に対し、

「チーズだ」

 ゴブリンスレイヤーは面倒臭そうに雑嚢鞄から布包みをごろりと転がし、

「一口干甜瓜(ドライメロン)~!」

 少女剣士は同じく雑嚢鞄から取り出した袋を高々と掲げてみせた。

「いいもの持ってるじゃない!」

 布を取り払い、塊のチーズを抱えた妖精弓手はホルスターの黒曜石のナイフを抜き、危なげない手付きで人数分に切り分けて見せる。

「ほ! どうせなら火で炙った方が旨いわ」

 家畜の乳を発酵させて固めたチーズは古来より酒の肴の一つ。

 新たな美味の気配に軽く腰を浮かせた鉱人道士は「かしてみ」とチーズを串に刺して火熱に当てた。

「はいはいー干甜瓜ー干甜瓜はいらんかねー」

 焚き火の煙で軽く燻され、熱でほど良く蕩けるチーズのほの甘い香りが漂う中、少女剣士が干甜瓜を配って回る。

 太く鋭利な爪先で摘まみ上げた、巨漢には小さきに過ぎる一口大の乾燥果物を蜥蜴僧侶が大顎の内に放り込んだ。

「うむ、凝縮された甘みが舌に優しいですな」

 噛むほどに甘みが出てくる乾き物に目を細める蜥蜴人の姿に、唇から干甜瓜の端を覗かせる妖精弓手が珍しい物を見るように呟く。

「……蜥蜴人って果物も食べるのね」

「はっは。見た目故、肉食のみと誤解されがちであるが、我らの祖先には草食む者も随分とおりましたでな」

 鱗肌の巨漢はぐるりと目を回し、獰猛とも取れる笑みを浮かべた。

「いける口、というものですぞ。ちと量が物足りませぬが」

「へへぇ、嬉しいねえ」少女剣士が鼻先を掻く。「うー、う、る、き、あ、が……」

 只人に蜥蜴人の名前の発音は些か難しい。少女は一音一音、幼子がするように確かめと挑戦の意気を込めた声を発した。

「無理をする必要はありませんぞ、絶剣殿。呼びやすいよう、お好きに」

「フーム……」言われた少女は小さく唸り、手を打ち合わせた。「じゃあウッキーで!」

「ウッキー」

 少女剣士からの渾名を蜥蜴僧侶は鸚鵡返しに呟くと、愉快そうに舌を出して鼻の頭を舐め、奇っ怪な手付きで合掌を一つ。

 どうやら、気に召したらしい。

「ほぅれ、できたぞい」

 ほんのり形が崩れるくらいまで柔らかく温められたチーズの串を、鉱人道士が手際良く皆に渡した。

 一口含めばもちもちとろりとした食感とふっくら広がる乳の風味に、皆の顔が綻ぶ。

 ただし、食事中も兜を被りっぱなしのゴブリンスレイヤーの表情は定かではなかったけれど。

 顕著であったのは、目を見開き、尻尾を地に打ち鳴らして快哉を叫ぶ蜥蜴僧侶。

「う、む。おお――――甘露ッ! 甘露! 甘露ォ!!」

 恐るべき竜の末裔の咆哮は、広野の夜空によく響き渡った。

 蜥蜴人にとって獣とは育むものではなく、狩るものだという。家畜の産物であるチーズを見たのも初めてであったらしい。

 初めてのチーズが美味とは、何とも幸せな経験であろう。

 

「そう言えば、みんなはどうして冒険者になったの?」

「んなもん食った事もない美味いもんを喰う為に決まっとろうが。耳長はどうじゃ」

「だと思った。……私は、外の世界に憧れてってところね」

「拙僧は異端を殺して位階を高め、竜となる為だ」

「えっ」

「異端を殺して位階を高め、竜となる為」

「あっはい。えと、まあ、宗教はわかります。わたしも、地母神の信仰を広める為ですから。人助けは一番身近で地道な宣教ですし……前途多難ですが」

 そろそろ眠って休もうかという頃合い。

 見張りの順番を取り決めた後に妖精弓手が放った質問への各々の回答は、不意にそこで止まった。

「む?」と妖精弓手がまだ答えていないゴブリンスレイヤーと少女剣士の方を見つめれば、少女が隣の微動だにしない薄汚れた鉄兜の前で掌を動かしている。

「……にいちゃん、寝ちゃったみたい」

 苦笑し、少女剣士は慣れた手付きで毛布をゴブリンスレイヤーに掛けた。

「ネテロさんのお酒、結構がぶがぶ飲んでましたもんね」

 つられて笑った女神官も、ゴブリンスレイヤーの毛布の裾を軽く引っ張り、具合を整える。

「……つまんないの。まあ、何となくわかるからいいけど……」

 少女剣士の言、そして辺境に謳われる勇士の詩を鑑みれば、ゴブリンゴブリンまたゴブリンに相違なかろう。

 妖精弓手は、彼と共に冒険者稼業を続けてきた少女剣士へと水を向けた。

「ね、ユウキは?」

「んっとねー」

 彼女は立ち上がり、車座になっている皆の背後を、ハンカチ落としの遊びでもするようにぴょんぴょんとステップを踏んで回った。

「ねえちゃんの作る料理も好きだけど、食べた事のない美味しい物を食べてみたいし」

 鉱人道士の背中を通り。

「朝に見る太陽とか、たまに降る雨とか、夜の星と月とか眺めてさ、それから見た事もない景色も見てみたい」

 妖精弓手の背中を過ぎ。

「剣の腕を磨いてもっと強くなりたいし」

 蜥蜴僧侶の背中を、長い尻尾を踏まないように一跨ぎ。

「頑張ってる人を見たら応援したいし、困ってる人がいたら助けたい」

 女神官の背中を通り。

「そんで、毎日一生懸命生きてる人達を邪魔しようとする悪い奴がいたら――ぶっ飛ばす」

 ゴブリンスレイヤーの背中を過ぎたところで一度立ち止まる。

 少女剣士が顔を上げれば、視界一杯に広がる無数の星々と二つの月が浮かぶ果てのない夜空。

 それを抱き寄せるように、両腕を広げ、ブーツの爪先を軸に身を回す。

「この広い世界を冒険したいんだ。にいちゃんと一緒に、ね」

 そうして彼女は、夜の帳に不釣り合いな、陽だまりのような底抜けに明るい笑みを浮かべた。

 

 

 落陽を迎え始めた茜の空の下。

「高度に熟達した技術は魔法と見分けがつかない、だったかしら? 鉱人」

 白石造りの遺跡入口で見張りをしていた小鬼二匹を一矢で纏めて、狼一匹を矢継ぎ早の一矢で射殺す絶技を見せつけた妖精弓手がそう言った。

 弓矢を取っては四方世界に並ぶ者なき名手たる種族に勝ち誇られた鉱人は、ぶすくれて髭を捻るに留める。

 遺跡から離れた茂みから音もなく放たれた妖精弓手の木芽鏃の矢は、見張り役にその役目を果たさせなかった。

 少し待ち、遺跡からの新手や巣に戻るゴブリンが現れないのを確かめて一行は入口へと歩み寄る。

 そして、ゴブリンスレイヤー達は遺跡へと――踏み込まない。

 先頭を行くゴブリンスレイヤーがゴブリンの躯の傍で立ち止まって屈み、ナイフを抜いたからだ。

 それを見た妖精弓手は興味津々の表情になり、女神官は強張った笑みを浮かべ、少女剣士は遠い目をする。

 これから起こる、只人の娘二人にとって既知の事は、上の森人にとっては未知の事であった。

「奴らは臭いに敏感だ」

 ゴブリンスレイヤーはそう言いながら躊躇いなくゴブリンの腹を刃で引き裂き、革籠手の手を中へ突っ込んだ。

「なっ、何してるのよ!? いくらゴブリンだからって死体をそんな……!」

 ぎょっとして止めようとする妖精弓手の言葉を、ゴブリンスレイヤーは全く取り合わない。

 血に塗れた革籠手がゴブリンの肝を引き摺り出し、それを手拭いに包んで引き絞った。

 瞬く間に布地が吐き気を催す異臭のする赤黒い汁に染まる。

 その色合いは、ゴブリンスレイヤーの薄汚れた装備の表面の色に、よく似ていた。

「特に女子供、森人の臭いには」

 ゴブリンスレイヤーの淡々とした仕草と声に、これから起こる事に思い至った妖精弓手の恐怖がいや増す。

「嘘でしょちょっと!! 嫌よ! ちょっ……コイツ止めてよ!!」

 肝入りの手拭いを片手に無造作に近づいてくるゴブリンスレイヤーに、腰の引けた妖精弓手が助けを求める悲鳴じみた声を上げながら後ずさる。

 が、

「慣れますよ」「慣れるよ」

 僅かに後退したところで、右から女神官が、左から少女剣士が妖精弓手の腕と肩を捕まえ、しっかりと拘束した。

 望みを絶たれた妖精弓手が右、左と振り返って両者の顔を見れば、そこにはひどく穏やかで、それでいて曖昧な笑みだけがあった。

「臭い消しだ」

 ゴブリンスレイヤーと呼ばれる男は、徹底的だった。

「浴びろ」

 

 見張り役の死体を藪の中へ隠すと、一行はゴブリンの巣穴と化した遺跡へと踏み入った。

 陽光の入り込まぬ遺跡内部には、明かりの火を灯していただろう煤の残る灯台が壁にいくつも据え付けられていた。

 しかし、灯火が絶えて幾百年か。

 今、通路を歩く者達にとって明かりになるのは、手に握る松明しかない。

 松明の火も、近郊の森人の里で張られているだろう火除けのまじないの影響で勢いを弱めていた。

 松明を持つ先頭のゴブリンスレイヤーが、手にした剣の先で床や壁を軽く叩き、時に紐で括った石を転がしては引き戻して罠の有無を確かめる。

 そうして慎重に探索を進める中。

「うぇぇ……臭いぃ……気持ち悪いよぉ……」

 長耳を垂らした妖精弓手は一人ぐずぐずめそめそとしていた。

 頭から森人伝統の狩人装束までもゴブリンの血と臓腑の絞り汁を念入りに塗りたくられては、さもありなん。

 同じく、青と白の清楚な神官衣を赤黒く斑に染めた女神官が「す、すぐに気にならなくなりますから」と慰めの言葉を掛けるも、効果はあまりない。

「なんでユウキはいいのよぉ」

 妖精弓手の非難の泣き言が向かうのは、ゴブリンの生き肝の汁を引っ被る事なく進む少女剣士であった。

「ボクにはこれがあるからねー」彼女はそう言い、首元に下げた小袋を見せる。「ゴブリンの鼻も誤魔化せる香袋。街でお買い求めください」

「ずるいぃぃ……私も絶対買うぅぅ……」

「帰ったら、そうしましょうね……」

 女神官はそうぎこちなく笑い掛ける。

 彼女もゴブリンの臓腑を浴びての臭い消しは無論好むところではないが、駆け出しの身としては香袋を買うお金があるなら水薬などを揃えたい。

 それに、妖精弓手一人をゴブリンの臭いに塗れさせておくのも、忍びなかった。

「戻ったら覚えておきなさいよ……!」

 そして、いくらか元気が戻ったか――あるいは慣れたか――妖精弓手が噛み付くように吐いた気炎に、ゴブリンスレイヤーはぶれのない返事をする。

「覚えておこう」

「……いよっし! 野伏の仕事、見せてあげるわ」

 気合を入れるように鼻息を吹いた妖精弓手がゴブリンスレイヤーの前に位置取り、探索行が再開される。

 進むごとに地の底へ緩やかに埋没していくような、平衡感覚に作用してくるこの遺跡の構造は、螺旋状か。

 長らく同じような通路が続き、言い知れぬ不安感の累積と警戒感の麻痺を、駆け出しの女神官がぎりぎり認識できる際。

 遂に下り道が終わり、目の前には突き当たりで左右に分かれるT字型の道が続いていた。

 女神官は思わず惰性で足を進めそうになる。

「――止まって」

 しかし、耳を澄ませ、目を凝らして警戒していた先頭の妖精弓手が鋭く言い放ち、皆の足を射抜くように止めさせた。

 妖精弓手は腹這いになり、革手袋の指先で目の前の床を慎重に検めた。

 注意して見てみると、他の箇所と違って僅かに浮き上がっている。

「鳴子か」

 立ち止まったまま手にした松明だけを軽く下げ、夜目の利かぬ只人の己の目にもよく見えるようにしたゴブリンスレイヤーが言った。

 踏めば機構が作動し、奥に巣食うゴブリン達に侵入者の存在を音で知らせる警報の罠だ。

「ええ。真新しいから気付けたけど、踏まないよう気を付けて」

「ぐるぐる回らせて集中力が切れたところに鳴子を踏ませる、か……ふん、小鬼どもめ、小癪な真似をしおるわい」

 不愉快そうに髭を捻りながら、鉱人道士が鳴子の床を避けて前に出る。

「ほんで、次の問題は分かれ道のどっちを行くかじゃが……」

 鉱人はT字路付近の床をつぶさに観察し、右の道と左の道の手前をそれぞれ軽く踏んで感触を確かめた。

「床の減り具合からして……奴らの塒は左じゃな。左から来て、右か入口の方へ向かっとる」

「確かか」

 ゴブリンスレイヤーの確認に、鉱人道士は太い腹を叩いて応じる。

「そら、鉱人だもの。石、金、酒なら任せい」

「そうか」とゴブリンスレイヤーは頷くと、兜の奥で短く考え込むようにした。

「……如何した、小鬼殺し殿、絶剣殿」

 蜥蜴僧侶がそう問うたのは、黙ったゴブリンスレイヤーの考えが気になったのと、暗く薄気味悪い道行きにあっても陽気を絶やさなかった黒鎧の少女の表情から、温かさが失せていたからだ。

 まるで言葉なきさまよう鎧と、人の形をした冷たい黒い剣でも見ているかのように錯覚しそうになる。

「こちらから行くぞ」

 ゴブリンスレイヤーが中途半端な長さの剣の先で示したのは、塒の反対側――右の道だった。

 一歩、また一歩。

 ゴブリンスレイヤーと少女剣士に先導されて道を進めば進むほど、耐え難い粘ついた臭気が全身に纏わりついてくる。

 その事に、女神官も妖精弓手も、鉱人道士も蜥蜴僧侶も、揃って顔を歪めた。

「意識して、鼻で呼吸しろ。すぐに慣れる」

 足を止めないゴブリンスレイヤーは、振り返る事もなく言い放つ。

 行き止まりに据え付けられていた腐りかけの木戸を、ゴブリンスレイヤーは躊躇なく蹴破って室内へ。

 臭気の源が開放された事で、一党の中で一等敏感な妖精弓手が大きくえずきかけ、口で小さく呼吸した。

「……!? ……う、ぇっ! 何よ、ここ?」

 押し入った先に広がっていたのは、ゴブリンの糞尿やがらくた、食べ滓や死骸が積もった汚物の山、山、山。

「ゴブリンの汚物溜めだ」と油断なく剣と盾を構えて周囲を見回すゴブリンスレイヤー。

 赤黒い汚れで埋め尽くされている室内、その奥の壁際。

 裸の女の森人が一人、腱を断たれただろう傷付いた手足を錆びた鎖で繋がれていた。

 彼女の右半身は目を背けたくなるほど無惨に痛め付けられ、全身を凌辱の汚濁に浸してこそいたが、項垂れた薄汚れた金髪の下で微かに胸が上下している。

 まだ息がある。

「……う、ぇえぇぇぇ、げぇ……ッ!」

 妖精弓手は、その場に跪いて嘔吐した。

 傷付けられた同胞の痛みも、穢された同胞の悲しみも、思いが及ぶ。

 だが。

 囚われていた森人の女の左半身は、憔悴しながらも美しい容貌を留めていた。

 それが何を意図しての所業か――美しい森人という生き物を、中途半端な醜さに叩き落として嘲笑う為だ。

 そこにあるのは、ゴブリンの悪意。

 理解など、微塵も能わぬ。

 腹の奥底から込み上げてくる気持ち悪さに堪えられず、妖精弓手は嘔吐したのだ。

 遺跡に踏み込む前に口にした少ない糧食だった反吐が、床の汚物と混ざり合う。

「……すぐに、治療を……!」

 二人の森人を痛ましげに見つめ、抱えた錫杖を鳴らして虜囚へ駆け寄る女神官に、蜥蜴僧侶らも続いた。

「要救助者、一人」

 少女剣士は握った黒剣で細糸でも千切るように錆びた鎖を断ち切り、森人の女を縛めから解き放つ。

 鎖の支えを失って床に倒れ込みそうになる森人の身体を、彼女は女神官と二人でしっかりと受け止めた。

 汚濁が鎧に、聖衣に付くのも構わず、二人の只人の少女は横たえた森人の傷を検め、介抱に掛かる。

 蜥蜴僧侶も鉱人道士も、ゴブリンスレイヤーと少女剣士が押し黙っていた理由を察した。

 凄惨の一言に尽きるこんな光景が待っているなど、言うだけ気分が悪くなる。

「もう、大丈夫ですよ。今、癒しの奇跡を地母神様にお願いしますから、大丈夫です」

 女神官の優しい呼び掛けに、血走った瞳の森人の女は力なく頷き、微かな声を震える唇から漏らした。

「――――」

 彼女の言葉は、すぐ傍にいた女神官と少女剣士、そして聴覚に優れる上の森人の耳に届いた。

 ――ころして。ころ、してよ。

 妖精弓手が唇に残る反吐も拭わずに顔を跳ね上げて見た先。

「……大丈夫」

 少女剣士が、森人を縛めていた鎖の近く、汚物の山の一つを黒剣の切っ先で示した。

「にいちゃん」

「わかった」

 言うが早いか、ゴブリンスレイヤーは中途半端な長さの剣を逆手に握り、飛び掛かった。

「オルクボルグ!?」

 森人が介錯されるかと思い、妖精弓手が思わず悲鳴を上げた瞬間。

「――GROORB!?」

 ゴブリンの濁った断末魔が汚物溜めの中に響いた。

 ゴブリンスレイヤーが汚物の山を飛び越え、踏み付けるようにした足元では、刃に首を貫かれたゴブリンが一匹。

「一匹、隠れとったか……!」

 鉱人道士は手斧を握り、「不覚」と蜥蜴僧侶は短く吐き捨てて改めて周囲を睥睨。

 末期の痙攣をするゴブリンの手からは、毒塗りらしいどす黒く汚れた短剣が零れ落ちていた。

 どうやら、ここに潜んでいたのは一匹だけらしい。

「これで三」

 ゴブリンの血に濡れた剣を引き抜いたゴブリンスレイヤーは、淡々と遺跡の入口で殺した数に足して言った。

「……《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください》」

 ひとまずの安全を確かめた女神官は、錫杖を胸に手繰り、森人の傷へと白い手を宛てがって奇跡を嘆願する。

 地母神のもたらしたもうた《小癒(ヒール)》の淡い光が女神官の手から傷口へ移り、浅くも確かに塞いでいった。

 少しだけ楽になったらしい森人の女は、

「あい、つら…………みんな……ころしてよぉ!」

 身体の内に残る少ない生命力を全て吐き出すかのように、呪詛の如き懇願を皆に捧げた。

 その言葉に間断なく応じられる者はいなかった。

「言われるまでもない」

 森人に請われようと請われまいと、そんな事は決定事項だという風に、決断的に述べる小鬼を殺す者(ゴブリンスレイヤー)以外には。

「一匹や二匹ではない。ゴブリンどもは、皆殺しだ」

 

 

 事情を認めた手紙と共に、容態の落ち着いた森人の女を遺跡から里へ移送する役目を果たしたのは《竜牙兵(ドラゴントゥースウォリアー)》――蜥蜴僧侶が紋様を刻んだ小さな牙を触媒に、祈祷を以て生み出した竜の骨身を持つ兵士だ。

 森人を抱える竜牙兵を見送って探索と討伐(ハックアンドスラッシュ)を再開し、ゴブリンの塒を目指して一行が行き当たったのは大きな回廊だった。

 天井のない吹き抜け構造。夜の月明かりが差し込んでくる上方は、地上まで続いているらしい。

 そして回廊の底、広場になっている空間には、ざっと五十は下らぬ数のゴブリンどもが『夜明け』前の眠りに就いていた。

 大半が眠ってこそいるが、無策でただ殺しに掛かれば、断末魔なり物音なりで目覚める者が多く出るだろう。

 さてどうしたものかと顔を見合わせた三人の異種族の銀等級冒険者に対し、

「問題にもならん」

 ゴブリンスレイヤーはまるで気負ったところなく淡々と言った。

 その様子に、二人の只人の少女は顔を見合わせ、何かを諦めるように小さく溜息を吐いた。

「俺達はゴブリンと戦わない――――ただ殺すだけだ」

 

 底で群れるゴブリンから離れた回廊の上部。

「《呑めや歌えや酒の精(スピリット)。歌って踊って眠りこけ、酒呑む夢を見せとくれ》」

 瓢箪の酒水筒(スキットル)を傾け、口に含んだ触媒の酒を霧状に吹き付ける鉱人道士が唱えるのは、眠りへ誘う《酩酊(ドランク)》の呪文。

「《いと慈悲深き地母神よ、我らに遍くを受け入れられる、静謐をお与えください》」

 発動体たる錫杖を手に、魂削る祈りを以て女神官が天上の地母神へ嘆願するのは、《聖壁(プロテクション)》と共に授かったもう一つの奇跡――《沈黙(サイレンス)》。

《酩酊》と《沈黙》の合わせ技がもたらすのは――ゴブリンどもの死だ。

 鉱人道士らが呪文を維持している間に、眠りに落としたゴブリンを残りの四人の手で沈黙の帳の中、始末していく。

 ――眠らせ、音を立てさせず、ただ殺す。

 それがゴブリンスレイヤーの立てた作戦であり、恐ろしいほどに効果的であった。

 三匹目の寝首を掻いたところで疲労を隠せなくなった妖精弓手は、拭いきれぬ血脂に鈍った黒曜石のナイフをホルスターに収め、額から流れる汗を拭った。

 広場から見上げれば、必死に祈りを継続している女神官の姿が上の森人の瞳に捉えられる。

 ――お水です。口を濯いでください。吐いた後にそのままですと、喉が、焼けますから……。

 汚物溜めを出て、顔を強張らせながらも革水筒を差し出してきた女神官の言葉を、妖精弓手は思い出していた。

 神官衣を小鬼の臓物と汚濁に染めた彼女の挙措は、慣れていた。

 あの光景を、知っていた。

 駆け出しの娘がああも慣れざるをえないなど、どのような冒険をしてきたのか。

 そして、妖精弓手の視線はもう一人の少女、その黒い兜から覗く表情へと移った。

 ――揺らぎも波紋もない、凪いだ湖面。

 それが、新緑の瞳が抱いた印象だった。

 怒りもなければ哀しみもなく、喜びもなければ楽しさもない。

 ゴブリンの喉を裂き、心臓を突く。

 ――その淡とした手付きに怒りの強張りはなく。

 ゴブリンの喉を裂き、心臓を突く。

 ――刃を引き抜く鋭さに哀しみの揺れはなく。

 ゴブリンの喉を裂き、心臓を突く。

 ――憎き者どもを屠る喜びもなければ。

 ゴブリンの喉を裂き、心臓を突く。

 ――怨敵を手練に掛ける楽しさもない。

 その機械的な挙動は、ゴブリンから奪った刃を握る薄汚れた装備の男も同じで。

 そこにはただ一切の許容もなく、慈悲もなく。一匹、また一匹とゴブリンを殺す二人の只人がいた。

 ゴブリンスレイヤーらに倣い、妖精弓手もまた殺したゴブリンから粗雑な武器を奪い取り、新たなゴブリンの首を掻き切った。

 二十分足らずで、回廊にいたゴブリンどもは皆殺しにされた。

 血の海と化した回廊の底で鉱人道士、女神官と合流し、皆が息を整えたのを確認したゴブリンスレイヤーは、奥に続く道を剣先で示した。

 ゴブリンから奪った剣を握る彼の薄汚れていた鎧兜は、ゴブリンの大量の返り血で汚れ、最早臭い消しのヨゴシの跡も見えないほど。

 返り血を浴びているのは、多かれ少なかれ誰も同じだったけれど。

 ここまで全員、傷は負っておらず、呪文の消費は女神官が二つ、鉱人道士が一つ、蜥蜴僧侶が一つ。

 まだ余裕はある。そして、この遺跡に巣食うゴブリンは隅々まで探して、殲滅しなければならない。

 ならば、進むだけだ。

 ゴブリンスレイヤーを先頭に皆が進みかけたところで、少女剣士の足が止まった。

「…………」

 眉間に浅い皺を作って道の先を睨むようにした少女剣士に、ゴブリンスレイヤーが問う。

「どうした」

「なんか、ちりちりする」

 少女の黒剣は、既に前方へ突き付けるように構えられていた。

「……そうか。全員、構えろ」

 ――ユウキがこう言う時は、大抵ゴブリンではない何かが出てくる。

 その事を、今この場ではゴブリンスレイヤーだけが知っていた。

 

 

 森人の里近郊、白石造りの遺跡深部。

 回廊の奥、遺跡最奥にして最大の空間を自室として占有している者がいた。

 それは、青黒く筋骨隆々たる巨体を誇り、額に角を生やし、手頃な石棺を椅子代わりに腰掛ける人喰い鬼(オーガ)だった。

 魔神王の配下たる魔神将の一角から、森人の里近郊の遺跡を根城に小鬼を増やして戦力を蓄えろと命ぜられてより、幾ばくか。

 近頃は迷い込んできた冒険者を倒して喰らう楽しみもないので、オーガは退屈していた。

 その腰布には、オーガに挑んだ――あるいは不幸にも遭遇した――冒険者達の頭蓋骨と、認識票が戦利品として括り付けられている。

 ――何か暇潰しになるような事はないか。

 小鬼どもに芸でもさせようにも、元々の頭の出来のせいでどうにも程度が低い事くらいしか奴らはできない。

 小鬼を叩き潰す事も、手勢を増やすという命令に反する為、あまりできない。

 早々にオーガの暇潰しの方法からは小鬼を使う事は除外された。

 だが。 

 ふと、いつも小うるさい小鬼どもが騒いでいないのに気が付く。

 どうした事かと思うも、僅かに大気に漂ってくる血の臭いを嗅ぎ取り、オーガは自然、牙を剥く獰猛な笑みを浮かべていた。

 ――小鬼どもを一声も上げさせず討ち取るような強者が、我らの砦に密やかに挑んでいるのか。

 オーガは、傍らに立てかけていた愛用の巨大な戦鎚を手繰り寄せ、ゆっくりと立ち上がった。

 戦鎚を握っていない方の掌が、震えている。

 これは、未だ知らぬ強者への恐れか、あるいは彼の者を屠らんとする狩猟本能か。

 掌を短く見つめ、力強く握り締めたオーガは、後者であると断じた。

 ――魔神将より軍を預かる一廉の将、それがこの我だ。

 自尊心を確かめると共に、オーガは重量のある足取りで石床を一歩ごとに震わせながら、臭いの強くなる方向へ歩いていく。

 無論、小鬼は質の低い雑兵だ。

 だが、数だけは多いし、秩序の者を襲うのに何らの躊躇いもない。盤面にざらりと広げるには都合が良い駒と言える。

 この命令を見事に遂行すれば、魔神将よりもっと大きな命令か、褒美でも賜る事になるだろう。

 そんな事と、無聊を慰める娯楽として侵入者を叩き潰す事とを考えていたオーガの機嫌は、決して悪くなかった。

 

「ゴブリンどもがやけに静かと思えば、雑兵の役にも立たんか……」

 だが、小鬼どもの寝床にさせていた広場で侵入者と出くわしてみれば、どうだ。

「貴様ら……ここを我らの砦と知っての狼藉と見た」

 五十を超えるゴブリンの躯と血溜まりで彩られた広場の中。

「…………やはりゴブリンではないな」

 薄汚れた安っぽい武具を纏った弱そうな戦士が、心底面倒臭そうに言い放ったのを、オーガの耳は決して聞き逃さなかった。

 角の生えた額に太い血管が浮き上がり、怒りの熱に頭の中が沸き立ちそうになる。

「オーガよ! 知らないの!?」

 木っ端戦士の隣で上がる、弓矢を構える森人の小娘の悲鳴のような反応が、あるべきなのだ。

「知らん。初めて聞いた。上位種がいるのはわかりきっていたが……」

「貴様……魔神将より軍を預かるこの我を……」

 侮っているのかッ! 戦鎚の一撃を以てそう憤怒を露わにしようとしたオーガだったが、握り締めた戦鎚を振り被る直前。

 よく通る少女の声が制した。

「やぁやぁ我こそは超勇者ユウキなり! さぞかし名のある《祈り持たぬ者(ノンプレイヤー)》とお見受けいたぁす! 負うべき名あらば――名乗られよ!」

 オーガのぎょろりとした金色の瞳が口上の主――黒い剣を突き付けて見得を切るように構える黒鎧の少女の姿を認める。

 戦の作法を知っている者もいる。その事に、オーガは目を細めて獰猛に笑った。

 少女剣士は街の吟遊詩人が以前謳っていた口上を真似ただけなのだが、それはオーガの知りえぬ事であった。

 ゴブリンどもが夥しい血と躯を晒す広場には、人族の戦士が二匹、神官が一匹、森人が一匹、鉱人が一匹、蜥蜴人が一匹。

 各々、武装している。

「――冒険者か。ただ紛れ込んだわけではない、となれば――」

 オーガの吠声は広場の大気をびりびりと震わせ、回廊の遥かな最上部を越えて地上までも届くかというほど。

「――このカーズの元より、生きて帰れると思わん事だ!」

「お前が、ゴブリンどもの親玉か」

 怯んだ様子のない少女剣士の勇ましい問い。

 は、と裂けた大口から腐臭のする太い息を吐き、オーガはそれに答えてやる。

「小鬼どもなぞこの我に相応しいと言えぬ雑兵ではあるが……そうだとも」

「そうか。なら――ぶっ飛ばす!」

 黒剣を握る少女の柘榴石を思わせる瞳に燃え盛ったのは、激情の炎だ。

 

 

 ――二足、二腕、一頭。人型。であれば、推測される脆弱な部位は。首、血管、脇の下、目、喉……。

 偶発的遭遇をしたゴブリン以外の怪物へ少女剣士が名乗り上げて注意を引いている間も、ゴブリンスレイヤーは剣と盾を構えて考え続けていた。

 姿勢を低くし、得物を手に、どのようにも動けるよう構えているのは、皆同じだった。

 ――闘争か逃走か(ファイト・オア・フライト)

 逃走――この入り組んだ遺跡の深部から入口まで、あの巨躯の怪物と追いかけっこ。背中から纏めて狙い打たれる可能性。危険。

 であれば、自ずと選択は定まる。

 弓矢を持つでもない、術や奇跡を持つでもない、只の人(ヒューム)戦士(ファイター)が後ろに下がって何になる。

 戦う(アタック)戦う(アタック)戦う(アタック)

 それしかできないが、それをする事ならばどうとでもしてやろう。

 そして――「ぶっ飛ばす!」――少女剣士が宣戦して、戦端は開かれた。

 ゴブリンスレイヤーは、じり、とブーツの爪先を前方へ擦らせる。

 僅かに背を丸めて脇を締め、ゴブリンから奪った剣の切っ先を前へ突き出し、使い込まれた小振りな円盾を括った左腕を左胸の前へ。

 伸ばされた剣先は彼我の間合いを惑わし、構えられた円盾は心臓を抉らんとする刃を阻む――そういう構えだった。

 みすぼらしい冒険者の戦闘姿勢(ファイティングポーズ)は、オーガの失笑を買ったようだった。

「フッ……フハハハハ! そんななりでこの我と戦おうと言うのか!? 意地かやけか知らぬが、その蛮勇は買ってやろう。潰れて死ねぃ!!」

 オーガが吠え、太い戦鎚の先端をゴブリンスレイヤーらに向けて振り下ろした。

 大上段から落ちてくる致死的な一撃が、白亜の石床を容易く砕き割り、回廊を震動させる。

 その一撃を、冒険者らは間一髪、戦鎚のもたらす割砕に弾かれるように飛び退いて回避していた。

「ふん……ちょこまかと。纏めて焼き殺してくれるわ!」

 生意気な冒険者らへ鼻を鳴らし、オーガは追撃の一手を放つ。

 ゴブリンスレイヤーらへ翳されたのは、オーガの巨大な掌だ。

「《カリブンクルス(火石)》……」

 オーガの重々しい詠唱が始まると、掌の上で微かな光が生まれ、裏返り、赤い炎へと転じた。

「……いかん! 術が来るぞ!」

 熱を高めて蒼へと色を変えるオーガの掌の超常的な炎を認め、素早く警告を発したのは一党で最も呪文に親しい鉱人道士である。

 どうする、散らばるか、散らばって躱し切れるか――そんな相談が皆の間で声もなく共有された瞬間。

「――《カリブンクルス(火石)》!」

 世界の理を改竄する真に力ある言葉の一節を力強く唱え、黒鋼の五指籠手に包まれた掌をオーガへ向けて前に出た者がいた。

 オーガの手の内に燃える炎と同じ物を掌の先で燃え盛らせた少女剣士だ。

「人族の小娘が、我に術比べを挑むか……よかろう!」

 己が勝つに決まっている――傲慢たる自信を醜面に漲らせた人喰い鬼は、呪文の詠唱を続ける。

「《クレスクント(成長)》……」オーガの掌の蒼い炎は膨れ上がって巨大化し、少女剣士の掌の炎は圧し潰されるように球形に縮む。「《ファスキス(集束)》」

 見上げるほどに膨らんだオーガの火球を前に、散らばったところで一網打尽になる確率が高い事を冒険者らは直感した。

 次の瞬間、少女剣士の隣に並び立つように細い身体で進み出た者がいた。

「皆さん、わたしの後ろに!!」

 錫杖を胸に手繰り、足と声を震えさせながらも懸命に立つ女神官だ。

 敵味方、二つの呪文の炎が対峙する傍で生み出されるのは、一息吸うだけで喉が嗄れ、肺腑が焼け付きそうなほどの熱気。

 それを肌で感じながらも、女神官の胸中に染み出てくるのは太い氷柱を突き込まれたかの如き冷たさだった。

 その正体は、初めてのゴブリン退治で味わった、彼方から間近に這い寄ってくる死の気配だ。

 身体の芯から起こる震えを、女神官は両手でしっかりと握り締めた錫杖の石突を瓦礫の散る石床に打ち付け、堪えた。

 しゃら、と錫杖の遊環が鳴る。

 聞き慣れたその音は、恐怖に震えて乱れそうになる女神官の心を僅かに鎮めてくれた。

 ――わたしは、もう喪いたくないから。地母神様……どうか、どうか、皆を守り、癒し、救う力を、わたしにお貸しください。

 女神官の深く強い祈りに寄り添った微かな違和感は、天上に直結した少女の胸の内、魂削る祈祷の中に溶け消える。

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》……!」

 奇跡嘆願は聞き届けられ、ここに慈悲深き地母神の守護が発現する。

聖壁(プロテクション)》――不可視の壁が、オーガと一行の間に立ちはだかった。

「ヤク――」「《ラディウス(射出)》!!」

 熱気で乾いた少女剣士の化粧っけのないほの赤い唇が、《火葬(インシネレート)》の呪文の詠唱をオーガの《火球(ファイアボール)》に僅かに先んじて完遂した。

 聖なる守りの内側、少女剣士の五指籠手の先で渦を巻く蒼い球形から熱線が迸る。

 螺旋を描く蒼の炎熱は、オーガの手で今まさに投じられんとしていた猛火の塊へ真っ直ぐに飛び込んでいった。

 閃光。

 次いで、轟音。

「なぁっ――!?」

 微かに、驚愕するオーガの叫びが広場に響き――掻き消えた。

 ぐつぐつと煮え滾って炸裂の瞬間を今かと待っていた巨大な火の玉が、過剰な熱量を得てオーガの手元で爆ぜ散ったのだ。

 錫杖を突き出す女神官が祈りを捧げ、必死に維持する不可視の壁は爆発の余波に軋み、ひどく罅割れ――――しかし、致命的な炎と熱から、背後の皆を守り抜いた。

 振り返り、己の嘆願した奇跡が皆を守った事を見届けると、女神官は錫杖に縋り付くようにがくりと膝を突く。

「……良かった……」

 少女の祈りが途絶え、役目を終えたというように《聖壁》は消失した。

「上手く凌げたから良かったけど、ちゃんと相談しなさいよねあなた達! びっくりするでしょ!」

 額に冷や汗と大気の熱から来る汗を浮かべた妖精弓手の叱咤が、少女剣士と女神官に飛ぶ。

 女神官が日に唱えられる奇跡は三度。

 緊張を絶やせぬ死闘の最中にそれを使い切り、精神と体力を消耗してふらつく少女の細い肢体を、妖精弓手はしっかりと抱き寄せて後方へ飛び退る。

 向かう先はオーガから遠い位置に鎮座する大きな瓦礫、その陰。女神官を座らせ、妖精弓手は凛とした声を張り上げた。

「でも、ありがとう、お疲れ様! 後は任せなさい」

 吹き荒れた熱風で大気の乾き切った広場の中、《聖壁》の及ばなかった場所では、流したばかりの血に溺れていたゴブリンの無数の死骸が干からび、あるいは炭と化していた。

 この敬虔な小さな娘のもたらした奇跡がなければ、自分達がどうなっていたかは明白だ。

「ごめんなさい! でも言うより先に動いてた!」と少女剣士。

 彼女の放った熱線も、どうだ。オーガの《火球》がそのまま投じられていたら、女神官の《聖壁》は耐え切れただろうか。

 仮定の思考は、中断を余儀なくされた。

「おのれ、人族の小娘どもめ……小癪なァ!」

 爆発で巻き起こった粉塵と煙が晴れた先。

 火の玉を抱えていた左手から太い親指と人差し指を欠けさせ、憤怒に染まった顔面を始めとして巨体に火傷を負いながらも、オーガが健在だったからだ。

「俺とユウキが切り込む。あれの注意を引き付けられるか?」

 女神官と妖精弓手の後退を確認し、剣と盾を構えたままのゴブリンスレイヤーが言う。

「承ォ知!」

 蜥蜴僧侶は咆哮し、懐から取り出した小さな牙を奇妙な手付きの合掌の内に封じた。

「《伶盗龍(リンタオロン)の鈎たる翼よ。斬り裂き、空飛び、狩りを為せ》!」

 合掌された牙はぶくりと沸き立ち、瞬く間に蜥蜴僧侶の手の内で見事な曲刀へと変じた。《竜牙刀(シャープクロー)》の祈祷である。

 蜥蜴僧侶は腰の鞘からも小刀を抜き、二刀の鋭利な刃を身体の前で雄々しく交差させ、

「《おお、気高き惑わしの雷竜(ブロントス)よ。我に万人力を与えたもう》!」

 続けざまに恐るべき竜たる祖霊の加護を願う。

 祈りを捧げている間にも、蜥蜴人の纏う民族的な衣装の各所が内から破れるほどに筋肉が急伸的に膨張する。

 遥かな古に地の覇者であった偉大な祖先に近しき膂力を、末裔の血から引き出す《擬竜(パーシャルドラゴン)》の奇跡だ。

「人喰いの悪鬼よ! 恐るべき竜の末裔と、力比べと参ろうか!」

 挑発(プロボック)と共に二刀を振るって躍り掛かった鱗肌の武僧に、オーガは戦鎚を向けて応戦の体勢を取った。

「吠えるな! 沼地の蜥蜴風情がッ!」

 蜥蜴僧侶の刃は、鈍い金属音を立てながら太い戦鎚の腹に受け止められる。

 そのまま弾き飛ばされそうになるが、一党一の巨漢は打ち負けなかった。

 オーガの膂力に押し返されそうになるのを、シュウッと鋭い気合の息を吐きながら蜥蜴僧侶はさらに押し込むようにする。

 白亜の石床が、筋肉の膨れた鱗の両脚の踏ん張りによって罅割れる。

 打ち合った竜の刃と悪鬼の鎚の迫り合いが続くかと思われた瞬間、割って入るものがあった。

「下がれィ、鱗の!」

「応!」

 蜥蜴僧侶が飛び退き、オーガの横合いから殴りつけるように鉱人道士が叫ぶ。

「《呑めや歌えや酒の精。歌って踊って眠りこけ、酒呑む夢を見せとくれ》!」

 瓢箪の酒を含んだ鉱人道士の口から勢い良く噴き出された酒精の靄が、太い手指の結ぶ印に導かれてオーガの頭部へ流れ、滞留する。

「何を――む、おぉっ!?」

 大きな口と鼻で呼吸した瞬間、猛烈な酩酊感がオーガを襲った。

 先だって鉱人道士が広場でゴブリンどもを眠らせたのとは少し異なる手妻。

 戦闘中に相手を無力化する、あるいは、眠気を誘って戦力を削ぐ――《酩酊》の術の代表的な使い方だ。

「なかなかやるじゃない、鉱人!」

 僅かに足をふらつかせたオーガに、広場から一段上の回廊に移動していた妖精弓手はすかさず射込んだ。

 高所より放たれた森人の木芽鏃の矢は狙い違わずオーガの顔面、左目を射抜く。

「ッぐおおおア!?」

 酔いに巻かれたでかぶつの急所を射抜くなど、弓矢を持った森人にとっては欠伸が出るほど容易い事だ。

 左目を指の欠けた左手で押さえて苦鳴の大声を上げ、オーガが右手に握った戦鎚を出鱈目に振り回す。

 盲打ちと言えども、当たれば必死の威力。

 戦鎚の先端が石床を打つ度、回廊全体が揺れ、大小の瓦礫が散らばり、風圧で粉塵が立つ。

 そんな嵐の如き暴威から逃れるべく、太い短躯を転がすようにして大きく距離を取った鉱人道士が胴間声で笑う。

「お前さんもな、耳長娘!」

 回廊の上下で快哉を上げる森人と鉱人に、オーガは砕けんばかりの歯軋りを以て苛立ちを表した。

 頭の中に残る重い酩酊感を振り払うように太い首を横に振り、吠え猛る。

「小賢しい妖精どもめ……必ず、叩き潰してくれるぞ!」

 オーガの右半分となった視界には、姿勢を低くして斬り掛かる機を図っている蜥蜴僧侶と、鞄に手を突っ込んだ鉱人道士、枝矢を矢継ぎ早に降らせてくる妖精弓手の姿が捉えられていた。

 故に、

「ィイッヤァァァァッ!」

 甲高い鬨の声と共に飛び掛かるように二刀を振り下ろしてきた蜥蜴僧侶――その足元を駆け抜ける二つの影を、オーガは見落とした。

 影の一つ、ゴブリンスレイヤーがすり抜け様にオーガの左足、踝の裏――腱を狙って素早く斬り付ける一撃は、

「む……!」

 岩の如き皮膚に弾かれ、一筋浅い傷を付けるに留まる。

 だが、右足を狙った少女剣士の黒剣の一振りは、足の腱を見事に切り裂いた。

「……ぐ、うっ!? ちょ、こざいなぁっ!」

 足元に湧き上がる痛痒に呻いたオーガは、蜥蜴僧侶を憤怒の剛力で弾き飛ばし、戦鎚をそのまま強引に背後へ振り抜いた。

 当たれば、只人如き回廊の端まで飛ばして壁に叩き付ける――そういう一撃だった。

 二人の只人の戦士は、即座、前方へ転がるようにしてその場を飛び退いていた。

 ゴブリンスレイヤーと少女剣士が寸前までいた場所を、致命的な速度と質量を持った戦鎚の一振りが通り過ぎる。

「っひゃあ! 危ない……!」

 少女剣士は小さく悲鳴を上げながら、ゴブリンスレイヤーは黙然として崩れた体勢を立て直す。

 金属鎧に勝る、革鎧と鎖帷子の柔軟性と軽量性あればこそ、そしてオーガが酩酊し、片足の腱を断たれ、万全でなかったが故に成った緊急回避であった。

 左目、そして巨体の各所に木芽鏃の矢が突き立ち、足の腱に確かな一太刀を受けた人喰い鬼は、しかし、冒険者どもの必死の攻撃を嘲笑う。

「ふん! この我を、ゴブリン風情と同じに思うな」

 左目に残る矢を三本指の左手で握り込むようにして引き抜き、手の内でへし折り、放り捨てる。

 潰れたはずの瞳が泡立ち、瞬き一つで何事もなかったかのように再生した。

 そして身体に突き立つ無数の矢柄を戦鎚で払って叩き折り、森人の弓矢が何ら痛痒(ダメージ)にならぬと示してみせる。

 少女剣士が切り裂いたはずの足首もまた、既に傷が塞がっている。

「精々、無駄な抵抗をして我を興じさせよ。貴様らの手が尽きれば、男は喰らって女は孕み袋にでもしてくれよう」

「……化け物……!」

 恐怖の滲む瞳で吐き捨てる妖精弓手に、オーガは腐臭のする息をして裂けた唇を吊り上げた。

「まさしく、だ」

 勝ち誇るオーガの哄笑が、回廊に響き渡る。

「……どうしますかな、術師殿」

「さぁてな。術はまだ二、三いけっけど、倒せるかっつうとな」

 油断なくそれぞれ牙刀と呪印を構えながら、蜥蜴僧侶と鉱人道士は抑えた声で相談する。

 今この場から全員無事に逃げるというのは、能うまい。

 だが、誰かは逃し、森人の里にでもオーガの存在を伝えてもらわねばならぬ。

 となれば、奇跡の尽きた女神官を身軽な妖精弓手と少女剣士に護衛させ、遺跡から脱出させるべきか。

 そうするにしても、『無駄な抵抗』で時間稼ぎはせねばなるまい。

 そう考えを纏め、蜥蜴僧侶らは瓦礫を遮蔽に退避している女神官の方をちらと横目で見た。

 女神官の表情は強張り、濃い疲労の色に染まっている。

 けれど、決して諦めの暗さを宿していない青い瞳が真っ直ぐに見据えられていた。

 彼女の瞳の見据える先。

 黒鎧の少女と並び立つ、薄汚れた鉄兜と革鎧、鎖帷子を身に纏い、ゴブリンから奪った剣を持ち、左腕に小振りな円盾を括り、腰に雑嚢鞄を吊った姿。

「再生能力」

 ゴブリンスレイヤーの声は、常と変わらず淡々と。

「以前、似たような手合いを仕留めた覚えはある」

 ゴブリンの粗雑な剣はオーガの足への一撃でひしゃげており、彼はそれを何らの思い入れなく放り捨てた。

「ユウキ。《燃える水(ガソリン)》を奴に投げろ」

 ゴブリンスレイヤーは空いた手で素早くベルトポーチから陶器の瓶を取り出し、握り込んだ。

「合わせる」

「ほい来た!」

 少女剣士が同じくポーチから引っ張り出した陶瓶は、下手投げで放物線を描いてオーガの頭上へと飛んだ。

 そして、同じ物が目にも留まらぬ早撃ちでゴブリンスレイヤーの手から投げ撃たれ、瓶同士がぶつかり、砕け、詰まっていた黒々とした液体がオーガの巨体へと撒き散らされる。

「……なんだこれは。目眩ましでもしたつもりか?」

 興覚めた様子のオーガが、額に血管が浮き上がらせながら怒気を吐いた。

 そのまま粘り気と鼻奥に来る臭気を持つ液を鬱陶しそうに手で拭い取ろうとするが、滑るだけで上手くいかない。

「チッ……まあいい。まずは貴様から打ち殺してくれるぞ、雑魚が!」

 獲物を嬲る狩猟者の笑みを浮かべたオーガが次に見たもの。

 それは、己が雑魚と呼んだ弱そうな冒険者の男が、火の点いていない真新しい松明を手にしている姿だった。

 ――なぜ奴は松明など持っている。

 そう思うオーガの右腕が戦鎚を振り上げる間に、黒い鎧を纏う少女が左手を松明へ翳し、

「《インフラマラエ(点火)》」

 ――素早くただ一言、世界の理を書き換える。

 松明の先、油の染み込んだ乾いた布は超常の火で燃え上がり、

これでも喰らえ!(テイク・ザット・ユー・フィーンド)

 ゴブリンスレイヤーの言葉と共に松明が勢い良く投擲された――未だ火傷の残るオーガの分厚い胸元目掛け。

「そんな物――が、あああおぉああああ!? 火がぁ!?」

 松明の火がオーガに到達する寸前。

 ボ、と先ほどの火球の爆散に比べればごく大人しい爆発的燃焼音が上がり、オーガの全身を激しい炎が包んだ。

「消えん、消えんっ!?」

 戦鎚が取り落とされて白亜の石床に重音を立てて落ち、火達磨になったオーガは空いた両手で巨体を掻き毟るようにして暴れる。

 松明の点火に呪文を使うなど、真に力ある言葉の無駄遣いも甚だしい。

 だが、怪物の目の前で火打道具を取り出して火花を立てるよりも早く確実に火を付けるならば、これが一番だ。

 少女剣士と共に燃え盛る人喰い鬼から距離を取り、蜥蜴僧侶、鉱人道士と合流したゴブリンスレイヤーは、治癒力のある怪物への対処法を続けて言った。

「火に掛け、傷口に武器を突き刺したままにする」

 幸い、武器は広場のそこら中にゴブリンの持っていた物がある。

 彼は足元にあった剣を拾い上げ、切っ先を前に突き出し、左腕の円盾を掲げて戦闘態勢を取った。

「そして、死ぬまで殺すだけだ」

 小鬼退治を依頼しに来た三人の銀等級冒険者の瞳に、安っぽい装備の冒険者の薄汚れた背中が妙に頼もしく映った。

 身を包む猛火に耐え兼ね、ついに威厳も何もかなぐり捨てたようにオーガが巨体を床に転がして火消しにかかる間に、冒険者らは改めて態勢を整える。

 まずは少女剣士が持ち味の剣技を活かすべく、オーガとの近接戦に堪えるよう自己強化を図る。

「《気ままな風精(シルフ)よ風精。望むがままに風鳴る舞を、我と一差し共にせん》!」

 少女剣士目掛け、回廊の上端を吹き抜けた先、天上から無数の風が渦巻いて吹いてきた。

舞空(エアリアル)》に呼ばれた風は彼女の全身を包むように流れていき、暗紫の長い黒髪が毛先から一度浮き上がる。

 次いで少女剣士は、五指籠手の指先で黒剣の腹を滑るように撫でた。

「《アルマ(武器)……トニトルス(雷電)……オッフェーロ(付与)》」

 流れるように彼女の唇が唱えたのは、《雷与(エンチャント・サンダー)》の呪文。

 指の滑りに従って魔術の電熱を付加され、青白い光を纏った剣身が、回廊内を舞う塵や埃を灼いて羽音にも似た大気の震えを奏でる。

 それを手首の動きで滑らかに振るって身体の左、右とそれぞれ一度ずつ円を描き――五指籠手の左手を柄に添えた八双に構えた。

 彼女に剣を教えた師が最も得意とした(フォーム)――その起点となる構えだ。

 師匠譲りの軽業めいた戦場剣術(アクロバティック・セーバーコンバット)で暴れる準備は、これで完了だ。

「拙僧らが祀る恐るべき竜の力は確かなれども、人喰い鬼を切り裂くにこのままでは些か不足」

 少女剣士と前衛を構成するべく、《擬竜》の奇跡で筋骨隆とした鱗肌の足で進み出た蜥蜴僧侶が重心を落とした野性的な構えを取り、問う。

「術師殿、何か手はありますかな」

「おう、あるぞ」鉱人道士の手が大鞄から火打石を取り出し、鈍く打ち鳴らす。「《踊れや踊れ、火蜥蜴(サラマンダ)。尾っぽの炎をわけとくれ》」

 まじないと共に小さな鬼火が空中に灯ったかと思うと、蜥蜴僧侶の握る牙刀へ吸い込まれるように飛び、刃が鮮やかな赤熱に染まった。

 冒険者らが攻撃準備を済ませるとほぼ同時。

 身体を苛んでいた火炎を無様に床に転がって何とか消火したオーガが立ち上がり、これまでで一番の咆哮を以て憤怒した。

「――ク、ソがあああああああッ! 殺す! 絶対に、絶対に殺してやる! 四肢を砕き、千切り取り、死を懇願するまで痛め付けてから、頭蓋を噛み砕いてくれるぞォ!!」

 青黒かった巨体はぶすぶすと黒煙を上げ、広く焼け爛れた肌の肉が不定に痙攣している。

 青と赤の斑となったオーガの身体において、頭部を包んだ炎熱で沸騰しかけた金色の瞳が激しい憎悪の光を湛えていた。

「ほ! おお、怖や怖や……しばらく保つから思いっきりやれ、鱗の!」

 鉱人道士は機敏に後退し、太い手指で大鞄をまさぐって次の手を練り、

「有り難く! 行きますぞ、絶剣殿!」

 蜥蜴僧侶が地を蹴り、オーガに肉薄せんとする。

「了解、ウッキー!」

 青白く輝く電光剣を手に驚くべき速度で突進を開始した少女剣士は蜥蜴僧侶に続き、追い抜き。

 いざ尋常に、オーガが握り締めて振り被る戦鎚と――――打ち合わない。

 只人の少女とオーガでは膂力、重量の差がありすぎる。掠っただけでも吹き飛ばされ、暴威の嵐の中で引き裂かれる一枚の木の葉となろう。

 少女剣士は唸りを上げる戦鎚の一撃を紙一重で躱し、電熱を宿した剣で焼け爛れたオーガの腿の肉へ切り込んだ。

 常であればすぐに塞がるはずの傷口は、高熱の刃で焼灼され、治癒が阻まれる。

 失血による死こそ望めないが、オーガの肉体に確実に傷と痛痒は堆積する戦い方だ。

「ク、グゥゥ、がアッ!」

 オーガが苦鳴混じりに強引に少女剣士目掛けて振り下ろした戦鎚は、またもぎりぎりで空を切った。

 少女剣士の姿は見えている。己の手の届く範囲内に果敢に飛び込んでくる。

 戦鎚が当たれば二撃も耐えられずに死ぬだろう。それでも、当たらない。

 風にでも殴りかかっているかのような手応えのなさに、オーガは我知らず焦りを覚えていた。

「イイッヤァァッ!」

 少女剣士に攻撃を絞れば、蜥蜴僧侶が忘れてくれるなというように赤熱した牙刀でオーガの体側へ一撃を入れる。

 切り返すように振られた戦鎚を剛腕の握る二刀で蜥蜴僧侶が受け止めれば、瓦礫を踏み台に飛び上がった少女剣士ががら空きになったオーガの脇腹を鋭く裂いた。

「せいやぁっ!」

「が、ぐッ! おのれ、おのれェ……!」

 怪物の攻撃がどれほどの威力を誇ろうとも、当たらなければどうという事はない。

 なかろうが、当たらないよう機動する事ができたとしても、オーガの攻撃を受け止める事も受け流す事もできない身で実際に接近戦を行うという決断は、恐ろしいほどに勇気に満ちている。

 そして、オーガが少女剣士と蜥蜴僧侶の動きを纏めて掣肘せんとした瞬間に飛来するのが、ゴブリンどもの使っていた粗雑な武器だ。

「ぬ、う、うぅ……! 鬱陶しいぞ!」

 頭部や火傷の激しい部分を狙って投擲される諸々を、オーガはうるさい蠅を追い払うように三本指の手で幾度も打ち落とす。

 オーガ相手に誰がそんな事をしているかと言えば、ゴブリンスレイヤーである。

 柄が半ばから折れた槍、片手で握れる石、錆びた短剣とゴブリンスレイヤーは広場を足早に動き回りながら、武器を手当たり次第拾い上げてはオーガへと投げ撃っていく。

 焼け爛れて露出した皮下に突き刺さって痛痒になれば儲けもの、傷にならずとも呪文を唱える集中力を削げればまた良し。

 オーガの戦鎚の威力が届かず、自らの投擲が威力を発揮する距離を付かず離れず維持するその立ち回りは、ある種病的に徹底されていた。

 これが投擲能力と持久力という只人の種族的特性を活かした戦い方だなどと、彼は言ったりはしないだろうが。

 次なる弾を求めてゴブリンスレイヤーが女神官の傍まで駆けて来た時、彼女は意を決して彼の背中へ声を掛けた。

「ゴブリンスレイヤーさん! わたしに、何かできる事はありますかっ!」

 オーガから視線を外さず、中途半端な長さの剣を拾った彼はいくつか短く女神官へと言い付け、再び走り出した。

 

 しゃん、しゃん、しゃんと一定の間隔で鳴らされる錫杖の音。

 オーガが暴れ回る回廊の中で正確にそれを聞き付けたのは、上の森人の長耳だ。

 ひくりと長耳を揺らし、音源たる女神官の居場所へ視線を巡らせれば、瓦礫の後ろに身を隠してこちらを見る彼女が錫杖を軽く突き上げ、合図するように先端を宙に回しているのが見えた。

 おそらくは、自分に向けた合図。

 そう判じた妖精弓手は、回廊の手摺を馬手を支えに身軽く乗り越え、回廊を支える白亜の円柱の表面を垂直に滑り降りた。

 身軽さという点において、上の森人に勝る種族というのはそうはいない。

 妖精弓手が身を低くして足早に女神官のところを目指していると、彼女の方も背中を丸めて駆け寄ってくる。

 砕けた白亜の石床の上を転げるように進み、妖精弓手の傍へ辿り着いた女神官は抑えた声を上げた。

「シノンさん! ゴブリンスレイヤーさんから伝言です……!」

 奇跡を使い尽くし、けれど未だ体力を消耗し尽くしてはいない女神官にゴブリンスレイヤーが任じたのは、伝令だ。

「壁や柱に矢を立てられるか、との事です」

「はぁっ? それが何に……」

 突然の不可思議な問いに妖精弓手は疑問の声を上げそうになったが、その瞬間閃きが森人の脳裏に起こる。

 ――矢。壁。黒い疾風の少女。

 予想だにしなかった強敵を前にして冷や汗が浮いて止まらないような戦況の最中で、妖精弓手は不敵に笑ってみせた。

「――そういう事。全く、誰に物を訊ねているのかしら、オルクボルグは! やってみせるわ!」

 返答として矢筒の残り少ない木芽鏃の矢が、文字通り矢継ぎ早に番えられては射られていく。

 オーガを射倒すにはてんで的外れな連射は、オーガの背後――老朽化やオーガの攻撃で生まれた壁や柱の欠けや罅割れ部分へ次々に射込まれた。

 上の森人の優れた身体能力を以てすれば、壁や柱を垂直に駆け上がる事は容易い。

 しかし、風精の助力を得ながらも只人の少女の身、そして鎧を纏った身体では何の支えもなくそれらを駆け上がる事は難しい。

 けれども、僅かにでも足場となる物があれば、風のように身を軽くした少女剣士にとって話は別だ。

 例えば、上の森人が古き言葉で木々に語りかけ、伸びた枝葉から譲り受けた矢など。

「一、二、三……!」

 柱と壁に突き立った森人の矢の矢柄を階段として、黒い疾風となった少女剣士が天へと駆け上がった。

「洞窟ならば、俺は百匹のゴブリンを相手にしたとて殺し尽くしてみせるだろう」

 オーガの気を散らすべく、またも礫を打ち込むゴブリンスレイヤーが、小さく独り言ちる。

「こうした広くて閉じた場所は、ユウキの独壇場だ」

 

 

 そう言えば、あの黒い格好をしたすばしっこい人族の娘が見当たらない。

 生半な刃を通さぬ己の身体を易々と切り裂いたあの娘には注意が必要だったのだが、乱戦で姿を見失ってしまった。

 どこだ、どこにいる、と見下ろした視線を巡らせる最中。

 

「とぁぁぁぁぁあっ!」

 

 空から降ってくる裂帛の気合に、オーガは天を仰いだ。

 オーガの金色の瞳が最後に見たのは、己の誇る巨躯、そのさらに頭上から逆落としに落ちてくる黒鎧の少女――その手が握る青白い電光剣の切っ先だった。

 次の瞬間、致命的一撃(クリティカルヒット)がオーガの眼窩を貫き、脳髄へ到達し、剣の纏う電熱が人喰い鬼の頭を内側から焼き潰した。

 意識が途絶え、制御を失った巨体が、オーガの醜面を足蹴に剣を引き抜いて飛び退いた少女剣士の動作に押され、ゆっくりと傾ぐ。

 自らの振るった戦鎚で無惨に砕け散らせた石床へ、背中から大の字に倒れたオーガの重い肉体が大音と共に回廊を揺らした。

 くるりと蜻蛉を切った少女剣士は危なげなく着地を成功させ、に、と歯を覗かせて笑った。

「いよっし、大っ勝利!」

 

 

 ゴブリンは石器や棍棒程度は作っても、それ以上の工作というものはしない。

 食料も、衣服も、武器も、必要な物全てを略奪で賄う。それがゴブリンの生態だ。

 ゴブリンどもが略奪した様々な武器。オーガが冒険者を殺してゴブリンどもにくれてやった武器。

 それらが、オーガの焼け爛れた巨躯の随所に突き立てられている。

 太い手足に。喉に。腹に。胸に。目に。額に。

 無数の武器が、元の主人に代わって報いを受けさせんとするが如く。

 人喰い鬼と小鬼らに全てを奪われた、名も知らぬ彼ら彼女らの墓標の如く。

「お前なぞより、ゴブリンの方がよほど手強い」

 脳を焼かれたオーガは仰向けに倒れ、意識こそなかったが、治癒可能な傷を恐ろしいほどの生命力で癒さんとしていた。

 故に、冒険者達は人喰い鬼を死ぬまで殺した。

 そしてついに事切れ、ゴブリンスレイヤーの声は最早聞こえてはいない。

 聞こえていない方が、オーガの誇りに傷は付かなかっただろう。

 そうして鬨の声も剣戟の音も止んだ広場にて。

「手間ばかり掛かった」

 面倒臭そうにそう呟くゴブリンスレイヤーに、つるりとした額に流れていた汗を手の甲で拭った鉱人道士が言う。

「しっかしかみきり丸。お前さんよく火を使う事に決めたな。森人の火除のまじないがあるかもしれんつーのに」

「ユウキも、あの何とかいう怪物も」

「オーガね、オーガ。金等級が相手にするような化け物よ、化け物」

 平らな瓦礫の上に肉付きの薄い尻を乗せ、長い足を投げ出すようにして休む妖精弓手が呆れた声を上げた。

「どちらも火の呪文を妨げられた様子はなかったからな。それに、火が点かなくとも、また別の手はあった」

 淡々と述べる薄汚れた装備の男に、妖精弓手と鉱人道士は言葉もなく口元を僅かに歪めた顔を見合わせた。

 砕けた石床に跪く女神官は、オーガとゴブリンに敗れた冒険者の形見である認識票を回収し、彼らと、この広場に屍を晒す全ての者への鎮魂を静かに地母神へ祈っている。

 オーガの巨大な躯の傍に立つのは、蜥蜴僧侶と、彼のしようとする事を興味深そうに観察している少女剣士である。

 恐るべき竜の末裔を称する蜥蜴人の僧侶が手にするは、父祖より賜った奇跡の産物である竜牙刀。

 鉱人道士の《着火(ティンダー)》の効果でまだ赤熱するそれを、蜥蜴僧侶はオーガの胸の中央に刺した。

 そのまま刃を引き、巌の如き硬さを誇っていた人喰い鬼の肌を熱したチーズのように裂いてみせる。

 そして、父祖より受け継いだ爪を備えた鱗肌の手を突き込み、胸骨を捉え、砕く。

 べきり、ぼき、ごきりと、粘り気のある鈍い音。

 さらに奥深く手を進ませ――目当ての物を掴み取った蜥蜴僧侶は、勢い良く握り拳を引き抜いた。

 血飛沫を彼の顔や衣服へ撒き散らしながら高々と掲げられたのは、先ほどまで鼓動を刻んでいたであろう、オーガの赤黒い大きな心臓である。

「よもやオーガの心の臓を喰らう機会に巡り合うとは。父祖と皆に感謝を」

 血の飛沫いた鱗肌の顔が、感慨深げにそう呟く。

 戦いを尊ぶ蜥蜴人の部族は、討ち斃した強敵の心臓を喰らい、己が血肉とするが最上の礼儀。

 己が恐るべき敵に討ち斃されたとしても、それも弱肉強食という世の理の内。躯は朽ち、大いなる循環へといずれ還る。

 自らが敗れても、心の臓を喰らわれ、強敵の血肉となるならば、もう言う事はないのだ。

「……生で行くの?」

 若干引いた表情を浮かべる少女剣士の問い掛けに、

「無論、無論」

 父祖への祈りか、蜥蜴僧侶は心臓を挟むように奇妙な手付きで合掌を一つ。

 そして、大顎を開け、居並ぶ牙を見せる獰猛な笑みで言った。

「――生で」

「生かぁ……」

 異文化だ……。少女剣士は、また一つ未知の光景を目にする事となった。

 

 

「こんなのは、冒険じゃない。ゴブリンの駆除……作業よ」

「かもね」

 里から来た森人の御者が手綱を取って一定の速度で進む馬車、その幌の中で腰を据えて弓を抱える妖精弓手の沈むような声に、少女剣士が短く応じた。

 妖精弓手の新緑の瞳が向いた先には、「少し眠る」とだけ言い残し、荷台の隅で中途半端な長さの剣と片膝を抱えて静かに座るゴブリンスレイヤー。

 俯いた兜の奥から、微かな息の音がするのが長耳に捉えられる。

 ゴブリンスレイヤーだけでなく、皆一様に疲れ切った身体を思い思いの姿勢で休息させていた。

 

 オーガを討った後、一行は最奥まで探索を進めたけれど、主を失ったらしい広い空っぽの空間が残っていただけで最早ゴブリンの影も形もなかった。

 そうしてゴブリン退治の依頼を完遂し、遺跡の入口まで戻った冒険者達を待っていたのが、武装した森人の戦士達と迎えの馬車であった。

 赤と緑、双つの月明かりに照らされた激闘の夜は過ぎ去っており、太陽が再び昇り始めていた。

 早朝の陽光を受けて輝く煌びやかな森人の武具は目に眩しく、全身が怪物の返り血と自らの汗に塗れた冒険者らとはひどく対照的だ。

「同胞を助けていただいてありがとうございます! 急いで救援とお迎えに上がりました!」

 彼らは森人の里に辿り着いた竜牙兵らから手紙を受け取り、大慌てで出撃してきてくれたらしい。

「それで、中の様子は? ゴブリンどもはどうなりましたか?」

「皆殺しにした。だが、討ち漏らした可能性もある。油断するな」

 ゴブリンスレイヤーの端的な説明に、美形の森人の戦士は真剣な表情で頷いた。

「わかりました。我々は念の為、遺跡の探索に入ります。どうぞ皆さんは街までゆっくりとお休みください」

 そして、礼を言い切るのも億劫になりながら、疲弊し、薄汚れた冒険者達は幌の中へと乗り込んでいった。

 

 青い空から地平を白く照らす早朝の陽光を遮る幌の中は薄暗く、車輪が不整地を踏む音と揺れを生んで進む馬車は、小鬼の巣穴と比べ物にならぬほどの快適さだった。

「別の街に行く隊商(キャラバン)の護衛とか」

「あら、いいじゃない」

「街道の脇からゴブリンが出てきたけどね」

「……ゴブリンじゃないの」

「新しく見つかった遺跡の調査とか」

「そうそう、そういうのも……」

「巣穴から焼け出されたらしいゴブリンが棲み付こうとしてたから、斬ったね」

「…………ゴブリンじゃないのよ」

 ゴブリン退治以外の依頼の経験について、妖精弓手が問うては、少女剣士の返答に半眼になるやり取りが続いていた。

「……にいちゃん、少し眠るって言ってたけどさ」

 少女剣士が仕方のない人を見る瞳と声で、溜息を漏らすようにして言う。

「これで、もう休んだーって言って家に戻ってねえちゃんに会って、ギルドに行ってちひろさんに依頼完了の報告して、またゴブリン退治に行こうとするんだろうなぁ」

 ぷう、と頬を膨らして黒剣を納める鞘を抱え直す少女剣士の頭を、細い手が乱暴に撫でた。

「む? 何さ?」

「ん、ちょっと撫でてあげたくなっただけ」

 どん、と薄い胸を拳で叩き、妖精弓手が力強く請け負った。

「――いいわ。絶対、あなた達に冒険をさせてあげる。お姉さんに任せなさい!」

「お姉さん、のう。わしからすりゃあどっちがどっちかわからんわい」

 不意に鉱人道士が、小樽のような身体を横にしたまま茶化すように言った。どうやら、少し目が覚めたらしい。

「年長者を敬いなさい、鉱人」

 寝入っている者を起こさぬよう、抑えながらも鋭い声音で二千歳の上の森人が鉱人の軽口を窘める。

「へいへい」

 ごろりと寝返りを打ち、鉱人は太い声で笑った。

「まあ、わしも若造に美味いメシを食う楽しみを教えてやらんとな。今回みたいに食事が手のかからんもんばーっか続くのは勘弁だわい」

「……それは、私も同意見ね」

 

 種族も職業も異なる六人の冒険者一党を乗せた馬車は、一晩かけて広野を抜け、辺境の街へと到着した。

 

 

「たっだいまー!」

「無事に、戻った」

 帰ってきた妹と幼馴染を出迎え、彼女は屈託なく笑った。

「お帰り、二人とも。ごはん、食べる?」

 

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