傑は、野球をプレイするためにはある程度知識が必要だと思った。傑はそう考えてお年玉で貰った中無し2000円を使うことに決めた。
傑は家を急ぎ足で出て、書店までの道を自転車で飛ばした。久しぶりに風が気持ち良いと思った。
この、1年間、一度も気分が解放されたことはなかった。祐一への嫌悪と劣等感という重りをぶら下げていた。
しかし、祐一に打ち勝つものを見つけた今、少し重りが取れたような気がした。
本当に気持ち良い。
鳥の囀り。
野球というものを発見したおかげが心に余裕が出来た気がする。
これから何が起こるか自分でも分からないけど、しっかり野球をやりきると傑は心に誓った。
自転車で家から六分、近くの書店に来た。
相変わらず、ボロいな。傑はクスりと笑う。
昔から、全然変わってない。初めて行ったのは小3だった。
その時、どうしても欲しい漫画があった。
その時は漫画の一冊、一冊目を輝かせてたっけ。
まだ、一年も経ってないが、自分は成長しているんだと思った。
書店に入ると店頭には60代くらいの老人がいた。
「あ、あの。野球を始めたいんですけど。何か、野球が分かるようになる本ありますか?」
たくさんの本がありすぎて見つけるのに一苦労だ。
「君は、野球をしたいのかい?」
老人は優しそうな顔をして聞いて来た。
見知らぬ人だが、何故か声が安心出来ると感じた。
「野球で負けたくない奴がいて…」
「そうか…、君はまだ野球の初心者かな?」
「やったことないです…」
「それなら、この『分かりやすい 野球のルール』を読むと良い。野球をするには基礎が大事だからね」
優しい笑顔で老人は本を紹介してくれる。
「あ、ありがとうございます!」
「君は大物になりそうな目をしている。私も、若い頃は目を輝かやかせて野球を沢山やったもんだ」
そう言う老人の目は光輝いていた。
傑はこの人だと思った。
この人の弟子になろうと小4の身でありながらそう思った。
この人であれば、安心出来るし、野球が上手くなると。
何も根拠はない。
それでも、この人がいいと傑は思った。
「お爺さんは野球をしていたんですか?」
「してたさぁ。バリバリのピッチャーでね。中学生の時なんかはエースでね。あんな風に体を今も動かせたら、もう少し身軽なんだがね。高校生もね、弱小校だったが監督がこれまたいい監督なんだ。高校生になった私をまたピッチャーに起用してくれて。その時は嬉しかったな」
「おじさん…」
こういうことを言うには少しの勇気が必要だ。
「何だね?」
「俺に野球を教えてください」
傑は心の底から教えてほしいと願った。
「私に教える価値なんかない。私は普通の年寄りだから」
「いや、教えてください。俺は、爺さんとだったら野球が上手くなると思うんです」
そう直感で思ったのだ。
「でも、何故私なんだ?もっとうまいコーチは沢山いるだろうに」
「そう自分の心が言っていました」
本当にそう言ったのだ。
嘘ではない。
心が言ったからにはこの老人を信じないと意味がないと思った。
「でも…」
「俺は…負けたくないんです!いじめっ子に唯一勝てそうなスポーツなんです。お願いします!」
このチャンスを伸ばせば一生野球は上手くならないと傑は思った。
「…そんなに言われたら断れんなぁ。微力ながら自分の経験や教えられたことを君に教えよう」
ようやく老人は傑の弟子入りを許可したのだ。
「ありがとうございます!」
「君の名前は何て言うんだい?」
「長谷川傑です」
「宜しくな、長谷川少年!」
柔和な笑顔で老人は言った。
この出会いが長谷川傑の野球人生に大きく影響したと言っても過言ではないだろう。