あくまでもちょっと異次元の話ですから(^^;;;。
あってないような終業時刻まであと1時間くらいである。ほんと、何もかも放り投げて今日は帰ってやろうかと、ドスドス音を立てて歩いて行く作業着の若者だった。
「鈴木さん、どうでした?」
同じチームの田中が言った。わずかな期待と大きめの諦めが感じ取れる。持って帰ってきた紙束をバサリとデスクに置いた。イスを引いて、ギシッとバネの音をさせて座った。
「・・・現状維持だそうだ。業績の良い今、なにもリスクを背負うことはあるまい、だそうだ。」
「高岡部長、期待していたんだけどなぁ。」
さきほどの田中ではなく、その向かいの片野がそう言った。大きめのため息をこれ見よがしについている。
「いちおう、テクニカルセンターという看板上げてるんだから、もっと、こう・・・。」
「・・・言うな。コスト管理だけは厳しいからな、うちは。」
雑談の中で、一応たしなめる鈴木と呼ばれた先ほどのメガネの男だった。
「まあ、とりあえず、給料分の仕事をしよう。今日の材料試験、どうだった?」
数日前に購買が買った、高張力鋼板やら鋼材の強度偽装が見つかって、そっちの方の対応が今業務的には厳しかった。鈴木達もあからさまにおかしいとは思っていた。実際試験データとの乖離がひどく、しかも加工性も悪い。購買元の言うとおりの性能が出ていれば、今の日産車、5%程度は軽く作れたはずだった。この場合、鈴木達の提案で前もって、自社規格を辛め(厳しめ)に調整して、生産部門との協議の上、設計部門に通告し、お客様の安全に関わることなので多少重くとも丈夫には作っていた。華やかなデータを見せびらかしつつ、購買に売り込んでいた鋼材会社の営業は見る影もなくなっている。
今度、日本とアメリカ、中国で生産する中国と北米向けの大型セダンの設計変更の期日も迫っている。コンピューターシミュレーションで何でもある程度設計できるとしても、元になるデータがいいかげんでは、信用できる結果は得られない。出入りの情報システム屋さんと設計支援コンピュータ内データ更新の協議を始めてはいた。こういったシステムは、各メーカーによってかなり作り込まれるのが普通である。最後の最後は試作車によるテストとなるが、試作車一台数千万円程度かかるので、そうほいほい作るわけにはいかない。
侃々諤々と、今後の対応について話し合い、方針を決めて上司へ回議文書を回し、決済がかえって来た頃には、すでに夜のゴールデンタイムと言われる時間に大きく食い込んでいた。
「今日は帰るか。お疲れ様~。」
派遣業者から派遣されてきている派遣社員はすでに時間外の時刻で、すでに帰宅しており、自分たち正社員も昔ほどおおっぴらに残業手当も付かないし、労務管理も厳しいので遅くとも21時までには帰るようにしている。
鈴木達の事務室も順に照明を消し、最後に戸口で照明を消して鍵をかけて数人で出た。鍵は一回の管理守衛室に返さなくてはならない。足下の非常灯の白とも緑ともいえない光がぼんやりと廊下を照らしていた。今日は一応ノー残業デーらしい。いつもはまだ明かりがいくつか残る、ここテクニカルセンター第4棟もさすがに暗い。
「ちょっと、課外勉強会見て帰るわ。」
そう鈴木が言うと、そうですか、それではお疲れ様です、と他のみんなは帰っていった。鈴木は元々テストコースがいつもの居場所のような物だった。汗だくになって今は退職してしまった主幹ら数名と高額ではあるが日産を代表する高速AWDカーの足回りセッティングを決めた物だった。喧々諤々の議論をして、構築したモノコック車体も超高速では飴細工のように心許なくなる。ハイグリップタイヤに引きづられ、ボディとの結合部のブッシュはちぎれんばかりに変形する。時速300km以上を担保しようとすれば、通常使用領域が荒っぽい乗り味になった。しかも高速ギアチェンジを可能とするデュアルクラッチトランスミッションは、ギアチェンジ時の音、極低速域(車庫入れとか)にクルマのキャラクター上不具合とまではいえないが、かなり問題にはなっていた。
テクニカルセンター職員入り口から構内移動用の自転車に乗り、自分のクルマの駐車場を越え、一種大きめの整備工場を想像させる建物が見えてくる。まだ明かりは付いていて数名出入りしていた。
「こんばんは、お疲れ様。」
一声かけて入ろうとした。
「おお!良く来たな。こっちだこっち。」
真ん中には、シートをかぶったクルマらしき物がタイヤや足回りを取り外され、二柱式のリフトに乗っていた。シャーシからは太い電線らしき物が伸びている。そのクルマの向こうから腰をかがめた男が手招きしていた。足の踏み場は限られている。時にはタイヤをまたいで、その隙間に足を入れ、ほこりをかぶった会議室用テーブルに手をついて、よっと段ボール箱を積み上げた物の隙間をくぐると傷んだホワイトボードとパイプイスがいくつか並び、奥には湯沸かし器もあるスペースが現れた。最後にその広場に身を入れるときに、作業着の上着に会議室用テーブルの突き板が剥がれた物が引っかかり盛大にびよよよん、と音を立てた。
「そこに引っかからずに、入ってこれると一人前だけどなぁ。」
「うるさいですよ、管財課からさっさと片付けろって何度も通告されているでしょ?」
ちょっとむっとしながら、そう答える鈴木である。パイプイスの真ん中にはくたびれた石油ストーブがある。たくさんの正体不明の物に囲まれたこのスペースなので、その広場にたどり着けばそこそこ暖かい。ほいっと某社制の缶コーヒーが飛んできたのを受ける。かなり熱い。
「もうそろそろ来る頃だろうと思ってな。」
ニカッと屈強な男がそう言った。
「明石先輩、なかなか思うようになりませんねぇ・・・」
盛大にため息をつきながら、勧めてもらったパイプイスに座り込む鈴木だった。懐かしい顔ぶれである。ここで、鈴木は入社以来ずっとグリスと油、ゴムの臭いにまみれてやってきた。昨年7月に異動し今のテクニカルセンター主任を拝命していた。
この鈴木の言った、課外勉強会場とでも言うべきところは、過去にパイクカーと言われながらも大ヒットを飛ばしたクルマの試作をしたり、893運動(89年3月に世界一のクルマを作る運動)の拠点になった場所だった。今は亡き伝説のスカイライン&ローレルの主管であった櫻井真一郎氏や、その後を継ぎ、7台目スカイラインをまとめ上げ、88年に発売されるや、日産にグループAのレースカテゴリーで勝利を定期的に運んできた、ほぼ20年ぶりに復活のスカイラインGT-Rを生み出した伊藤修令氏もここで多くの時間を過ごした人物である。さすがに鈴木の歳では経験がないが、まだお酒がいろいろな意味で緩かった頃は、大きな声では言えないが、始終飲んでは議論をしていた。鈴木もほんの数回だけ、櫻井氏の言葉を聞いたことがある。
「いやあ、2台目のスカイラインの時に、エンジンを始めシャーシなどのメンテナンスフリー化を大幅に進めたんだ。知ってるか?昔は、こう、グリースガンでな、サスペンションやプロペラシャフトのグリースニップルにグリスを圧入して、出てきた汚えグリスを拭き取ってたんだ。3000kmも走りゃぁガソリンスタンドや整備工場でやってたんだ。道も悪かったしなぁ、それをやらんでいいようにほとんど取っ払っちまったワケよ。今で言うゴムブッシュに変えたんだ。」
薄くなった頭をかきかき、伝説の主管はそう言った。
「そしたらよー、あっちこっちのガソリンスタンドや整備工場から、俺らの仕事取るな!ってお怒りの電話がなー・・・。」
櫻井氏がそこまで言って、伊藤氏の顔を見る。
「この人、朝のうち2,3回電話取って、すぐいなくなるんですよ。それはともかく、あのときは大変だった。でも俺達は悪いことしたとは思っていないわけ。」
そりゃそうだろう、このクルマ以降、難しい整備が無くなっていき、誰でもが自動車を運転できるときが来るのである。その時代ほとんど皆無だった女性ドライバーも増えることだろう。
「プリンスの時代にはなぁ、G15型なんか営業に言われて、88馬力ってフロントグリルに貼ったけど、ベンチでは余裕で100馬力越えていたし、G7型も3台目スカイラインに積んでやりたかった。あれも中村さんが研究したっていう倒立型12気筒の流れをくんでいたんだけどなぁ。」
ふわりと、粒のそろった燃焼音を響かせながら今までに無い速度で突進していく機体の幻影が
鈴木にとっては、遠い過去の話だった。しかし、生き生きとして仕事をしていた時代の話は聞いているだけで楽しかった。そう言いながら、そっとKGC10型スカイラインのプロトタイプの写真も見せてもらっていた。わずかにボディラインが柔らかく気品のあるクルマに見えた。そして、どこからともなく声が上がる。OBが来ていることを誰かから聞きつけて、いまはパイプイスどころではなくて立ち見まで一杯だった。
「その、GC10やGC110型以降、しばらく2000ccクラスはL型エンジンでしたが、新型エンジンの検討はされていたんですか?」
伝説の主幹2人は顔を見合わせて苦笑している。ひじを動かして、次はおまえだろう?いえいえ、あなたこそ、みたいなやりとりをしていた。たしか時代的には、5世代目のスカイラインで(GC210)名ばかりのGTは道を空ける、と日本の環境悪化からの排出ガス規制で、看板の直列6気筒エンジンは、パワーダウンを余儀なくされ、重く長いデメリットばかりが目立ち始めたところを大手ライバルの旧式とはいえDOHC車に攻撃されていた。
「サニーの下のクラスとして開発された前輪駆動のチェリーは知っているか?」
その場の何人かが頷いている。鈴木もかろうじて日産最初のフロントエンジン・前輪駆動車の姿が思い浮かぶ。しかし何かのレース雑誌だかで星野一義選手が砲弾のようなカタチの初代日産チェリーでコーナーをクリアする写真をおぼろげながら思い出すのみだった。その場にいたテストドライバーの名札を付けた誰かが手を上げて言う。
「A10型エンジンの下にミッション置いた、FFですよね。独特の音がしていました。」
我が意を得たりと、目尻を下げる伊藤修令氏である。
「最初はサニーの下のクラスと言うこともあって850cc位を想定して開発していたが、途中からサニーも排気量を上げたので、A10型の後期エンジンを載せたんだ。今で言う、イシゴニス型のFF機構を採用したのは、ドライブシャフトを同じ長さにして、トルクステアやハンドルの重さをなるべく逃げたかったためだった。このクルマを嚆矢として、サニー・ブルーバードとFFになっていった。実はスカイラインも、今後FFにすることを検討せよと内々に圧力はかかっていたんだ。」
確かに、1980年代はそんな年代だった。比較的小さなライバル社は純粋な後輪駆動車を整理してしまって、前輪駆動か、それに付加する形の四輪駆動車しか作れなく合理化してしまった。
「俺は、やはり駆動と操舵は別の方が良いと思っていた訳よ。プロペラシャフトがないFFは軽く作れて、リア周りの設計自由度が大きかった反面、タックインとか過重なハンドル操作力とか操縦性に難もあったしな。」
櫻井真一郎氏が、持っている缶コーヒーに口を付け一口飲んだ。
「もちろん、レースの経験から燃焼室はコンパクトでペンとルーフ型が良いのは分かっていた。G型エンジンもクロスフローで素性は良かったが、上の意向で廃止されL型エンジンに換装されていった。ことあるごとに、新型エンジンの開発はかけあっていたよ。GT-Rの復活も含めてな。」
櫻井真一郎氏は、悲しそうな顔をしてうつむく。伊藤修令氏がその話の続きを継いだ。
「当時、キャブレターだっただろ?偉いさんがアイシングを恐れてな。冬場にエンジンがかからなかったらどうすると・・・。それに、新型レシプロ・エンジン開発は大規模な投資の失敗の直後で銀行の融資もOKが出なかった。」
わざわざ新型レシプロ・エンジンと言い換えた伊藤氏の言葉を理解した何人かがハッとした表情になる。
「ロータリーは速かったなぁ・・・。レースでなS20を積んだうちのスカイラインが、こうバックストレートを立ち上がってくるだろう?そしたら、そのすぐ後ろに付けたサバンナが、金切り声みてぇな聞いたことの無い音をさせてするすると抜いていこうとするわけだ。こっちは音で判断しても8500は回ってるのによ。ドライバーの高橋が、あと1000、いや500回して良いかって聞いてくるんだ。もぅ無理だって分かってるだろうによぉ。」
皺を刻んだ櫻井真一郎氏の頬を涙が流れていく。良い仕立てのジャケットが汚れるのもかまわず、ぐっと袖口で涙を拭う。
当時生まれたばかりの、ロータリーエンジン。過大な燃料消費やオイル消費の問題は抱えていたが、動弁系がなく偏心回転運動で動力を取り出すため、低振動で小さく軽く作れることは、非常に魅力的で全世界の自動車メーカーが注目するところだった。
「オイルショックとアメリカのマスキー法案さえなければ、GT-Rももう少し延命できたかも知れないし、ロータリーももう少し煮詰めてスカイラインのボンネットに収まっていたかも知れない。」
とはいえ、この時代に一生懸命排ガス規制の対策をしたために、アメリカを出し抜き、品質が高く、クリーンな日本車はかのアメリカで売れに売れた。今では死語となった、光化学スモッグや大気汚染、四日市ぜんそくなどの矢面からクルマは逃げおおせた。