「温泉」「ドライブ」の2つの単語を見て、俺は反射的に川崎から受け取った紙を再び折った。
そしてそのまま目を閉じ、左手の指先をこめかみに当てて状況を整理を試みた。
雪ノ下よろしくの仕草を俺がやることになるとは思っていなかったが、あいつの気持ちが少しだけわかった気がした。いつも俺が言ってることへの理解を頑張ってくれてたんですね。いや待て、それはないか、罵倒のインデックスから適した言葉を引いてただけ、か。豊富過ぎて時間かかってたんだろう。どんだけ取り揃えてんの?
一昨日、お互いの合意の上で「友達」となった俺と川崎。それは川崎自身が変わりたいという目的から取った手段だ。そして、「友達」としたいことし合ったりすることで、川崎は変われていない現状の打破を試みている。それが、まぁ現状のケースにおいては「俺」としたいこと、という風に考えた結果が、この紙だったわけだ。
極めて客観的に、冷静になって考える。
確かに俺も友達とドライブなんてしたことないし、温泉に行ったこともない。そう考えて、ふと戸塚の笑顔が脳裏をかすめた。
・・戸塚とドライブ?
・・戸塚と温泉?
行きたい、それは行きたい。この身が滅びようとも行きたいッ!ただ、それを戸塚に願えるかと言えば、ものすごくハードルが高いと感じる。もし断られたらと考えると、急に足がすくんでしまうような恐怖だ。そもそも誘っていいのか?友達ってそういうのOKなの?頭がショートしそうだ。
目を開いて川崎を見る。俺が急に目を閉じたせいか、不安そうな顔と上目遣いでじっと俺を見ていた。はいかわいい。かわいさにやられて俺はもう一度目を閉じてしまう。俺からの戸塚への想いには到底及ばないだろうが、俺にこの紙を提示することは、それこそ勇気がいることだったんじゃないか。
例えば、例えばと前置きをしても尚、差し出すことができる川崎を、俺は純粋な想いで感心した。すげえよ、変わりたいって想い、本気なんだな。
そうして俺の頭の中だけで考えを進めていると、川崎の気遣うような声色が耳に届いた。
「ね、ねぇ。」
俺を目を開いて手を膝の上に戻し、応える。
「なんだ?」
「その、その紙に書いたことはもちろんしたいことではあるんだけど、比企谷がしたくなかったらしなくていいことだからさ・・。あの、なんかそんな大事に捉えて欲しくないと言うか、ほら例えばだからさ。」
そう言って苦笑いする川崎は、よく見ないと気付けないが、それはそれはしょんぼりしてしまっていた。その姿を見て、俺はまた間違えてしまったと感じる。確かに俺でもいきなり目を閉じて考え込まれたら、好意的に捉えられていない、と考えてしまうだろう。
「いや、違うんだ。ちょっと驚いただけだ。お前もそうだから書いたと思うんだが、友達とドライブとか、今までの人生じゃ考えられなかったからな。」
「ああ、うん。サークルとかに入っているわけでもないし、機会はないね。」
「そうだ。ましてや俺だぞ?友達とドライブ、とか、八幡とクラブ、くらい関係のない言葉の羅列だからな。」
「うわ、確かにあんたとクラブはないわ。クラブがどんな場所かもよく分かってないけど、ないね。」
「だろ?だから驚いたんだよ。・・・で、一つ思ったんだが、いいか?」
「う、うん。なに?」
俺はテーブルの上で両手の指を重ねた。言い表せないようなむず痒い緊張が場に走る。
川崎の喉が、唾を飲み込んだように揺れた。
川崎が何を考えてこういうことを言っているのか、というは分かっているつもりだ。俺は、その変わりたいという全力の想いを、俺ができる限りで受けると言った。であれば、回答自体は決まっている。その上で、川崎のしょんぼりを根こそぎ奪ってやりたい。確かに怖い。怖いが・・・言ってみろ八幡。
「・・・ドライブして温泉行けばいいんじゃね?」
「・・え?」
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10ヵ月ほど前、大学1年生の夏休みのことだ。
俺はウキウキで実家へ帰省していた。
1人暮らしを始めて数ヶ月だったが、小町と会えないのは考えていたよりも俺にダメージを与えていた。
そんな折、小町(天使)から、お兄ちゃんと過ごしたいから2週間予定を空けてくれと、連絡を貰ったのだ。嬉しぎて吐きそうだった。やけに用意する荷物など指定が多いなーとは思っていたが、そんなこと気にもならないくらい小町とだらけるのを楽しみにしていた。
実家の玄関を開けると、小町が飛びついてきた。
「お兄ちゃーん!おかえりーっ!」
「おおっ!小町!小町か!?」
小町は、はいおしまーいと告げて離れた後、
「何それ、小町だよ。他の誰かが居るとでも思ったの?」
「あ、いやまぁそうなんだけど。」
久しぶりの再会だと言うのに、俺の扱いを忘れていない。というかもっと厳しくなっている。まぁそれも仕方がない。ここ数年で小町の可愛い成分は減ってしまい、綺麗成分が追加されてきたのだ。正直俺としても、お互いが中学高校くらいに当たり前だったじゃれ合いは、かなり恥ずかしくなっていた。変なあれはないからね?ほら、兄妹だし。千葉だし。・・あれ、まずいか?
「朝ご飯食べてないでしょ?」
邪な考えを打ち消し、小町に応える
「ああ、そうだな。てか、なんか帰ってこいっていう時間早くない?まだ8時だよ?」
「まぁまぁ。小町の朝ご飯食べるの久しぶりでしょ?楽しみでしょ?」
少し腰に角度をつけて上目遣いで仕掛けてくる小町に、兄として俺は、
「あっはい、楽しみです。」
・・・一生小町に頭は上がらないな、と改めて感じた俺だった。
▽
朝ご飯が食べ終わり、さて早速ソファでマンガでも読もうかなと思ったその時、小町が机にいくつかの封筒を叩きつけた。
「さて、お兄ちゃん。これを一通り見て。何も言わずに。」
突然のことに驚いたが、小町が怖い顔をしていたので迷わず対応する。既に開けられた封筒の中身を出して確認していく。普通自動車免許の合宿申込書(コピー)、入金確認書、合宿概要、山形への新幹線のチケット、現金5万円・・・
「・・・おい、聞いてないぞ。」
「言ってないもん。」
「え?これマジで行くの?」
「決まってるでしょ!ここまでお膳立てされて、お金も払ってもらって、準備も出来てて、あとは行くだけだよ!お兄ちゃん!兄が免許持ってないとか、今後小町的に困る場面多いなーと思ったから、お父さんを籠絡したのです!」
「小町ちゃん、お兄ちゃんとアッシー君にするつもり?」
「古いよそれ。でもほら、免許持ってて損はないでしょ?」
「まぁ、いつか取るつもりでは居たが・・・。」
「そ・れ・に、合宿って出会いもあるらしいよ?」
にやにや顔で押し詰めてくる小町をかわしつつ、新幹線のチケットを確認する。
出発まではちょうど2時間前といったところだった。
「そういうことか。」
「そういうことなのだ。ほら!そろそろ行かないと!」
「・・はいよ。」
朝早く設定されていたのは新幹線に乗るためで、用意した着替えや洗面具は山形での生活のためですか。完璧に包囲されていることを確認すると、早めに諦めた。別に悪いことではないからな。こういう潔さには定評があるのだ。
「ではでは、行ってらっしゃーい!」
「うーい。」
実家には40分しか居なかった。小町はどんどん陽乃さんに似ていっている気がしたが、頭を振り怖すぎる未来をかき消した。
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そんな経緯もあり、俺は免許を持っていた。しかも、小町をいつ乗せても良いように、親父に借りて練習も欠かしていない。基本高スペックな俺は、運転自体は中々うまい方だ、と思っている。慢心は事故の原因だから、程よい緊張は持っているけどな。
川崎は固まってしまっていたが、気を取り直して俺の質問に回答する。
「えと、その2つは一緒に出来るかもね。でもほら他にもあるし、私がしたいこと書いただけだから、あんたがやりたいことも考慮に入れてさ。」
「川崎の言う通りだ。だけどな・・」
そう言って俺は、改めて川崎が書いた'したいことリスト'を開いて、コーヒーを啜りながら、そのそれぞれを眺めてみる。明日にでもできそうなこともあれば、少し準備が必要そうなこともあった。しかし、色んな面から考えてやはりハードルが高いのはドライブと温泉旅行の2つだ。
「昔から俺はやると決めたことは効率的に推進していくタイプだ。逆にやらないと決めたことはとことんやらないが。そして、俺は難しいところからクリアして他のことを気持ち的に楽にこなしたいタイプだ。宿題とか絶対数学から片付けてたしな。」
「・・その言い方だと行きたくないって言ってるように聞こえるんだけど。ドライブは数学ってことでしょ?」
「ああ悪い、いや、そうじゃないんだ。高校の時までは未経験・未体験に対して最初から嫌悪があったんだがな。まぁなんだ、知らないことにも期待できるようになってんだよ。だからあれだ、行きたくないわけではない。ハードルは高いけど。というか諸々考えないようにしてるけど。」
「何それ。」
そう言って川崎はアイスティーに刺さるストローに口を付けた。
少し考えるようにして、うん、と一人で頷く。
「じゃぁ、嫌なら遠慮なく断ってね。今からお願いすること。」
「おう、なんだ?」
川崎は一呼吸置いて、真剣味を帯びて様子で言った。
「私とドライブして、温泉行こうよ。」
お、おお。こうやって改まって言われると、とんでもないことやろうとしてないか?川崎とドライブして温泉?マジで?このことについて深く考えてしまうと、ドツボにハマっていくことは分かっている。あくまでこれは川崎からの依頼の延長線上にあるだけだ。逆にそのことを肝に銘じておかないと、大変なことになる。俺も深呼吸して、意を決して応える。
「お、おう。ふー、いっちょやってみるか。」
ほら、なんかもう心拍数上がり過ぎて悟空みたいな返事になっちゃったよ。
「なんか挑戦みたいになってるけど、大丈夫なの?いいの?」
「大丈夫だ。免許も持ってるし、バイトした金もある程度まとまってきたし。あと、純粋に温泉は魅力的だ。日頃の疲れと人生の疲れを癒したい。」
「あんたね、、まだ大して生きてないでしょ。・・・そっか。いいんだ。」
もう一度噛み締めるように、いいんだ、と言って、川崎は嬉しさを隠すように微笑んだ。
その仕草があまりにもかわいいから、ドライブ中には禁止しようと決めた。
次回からドライブ&温泉編です。