俺は頭の中は今、結構忙しく稼働している。
俺から見えているその姿の正体が、単に調子が悪いなら、それ以上はない。
しかし、そうでもなさそうだ。
俺は、何か間違ったことをしてしまったのか。
本当は、そもそも今日のこの企画自体嫌だったんじゃないか。
少しだけ顔を左に向け、精一杯左に寄せた目線には、元気のない横顔が映る。
・・・隣に乗せた川崎は、とんでもなくブルーな様子だった。
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レンタカーの受付って裏で何をやってるんだろうな、と考えさせられるくらいには待った後、俺は一人でファミリーカーを転がして川崎が一人住む家へ向かっていた。
もう2週間ほど前になるか。川崎から、友達となった俺とやりたいことを告げられ、その内2つを一気に消化するドライブ&温泉の当日が、本日な訳だ。俺としては久しぶりの温泉となるわけで楽しみであることは違いないのだが、ふと自分を解放すると、今にでも叫びそうになってしまう。いや、仕方なくない?今から可愛い女の子迎えに行くんだよ?なんでこんなことになってんの?とは思ったが、どう考えても自分が蒔いた種でした。総じて自作自演(共演川崎)のこの喜劇は、一体どこに行き着くんだろうか。もしかして人生終着点がここなんじゃない?・・・めっちゃ安全運転で行こう、そう決めた。
今日のことをあのジャズ喫茶で話した時に決めたことは少なく、俺が車を手配して、それ以外は川崎が調べたりして決める、という事だけだった。なので、俺は具体的に何処へ行くかは知らないが、日帰りという事を考えると、近くの海沿いになるだろうことは予想できた。
ちなみにではあるが・・・
レンタカー自体は土曜日である今日と、明日の日曜日の夜まで借りている。
ふふ、聞いてくれて構わない。
え?なぜかって?
ふふふ、明日は戸塚と小町とドライブなのだよ!!!
もうこれ以上はない。最強のふたりだ。頭の中ではセプテンバーが流れている。この二日間はとんでもないことになる予感が、頭や心だけでなく指先まで感じ取れていた。
なんつーか、ちょっと前と随分人生変わったなぁ、なんて思っていると、川崎が住むアパート付近が近付いてくる、そりゃそうだよね、家も近いしレンタカー屋さんも近かったもんね。ちなみにこの道を既に3回通っている。き、緊張なんかしてないんだから!
いい加減にするか、と思い、道路脇に車を寄せて止めた。
川崎の電話番号を出してかけてみる。
「・・・もしもし。」
「もしもし、川崎か。近くに着いたぞ。」
「・・・分かった、今降りるね。」
川崎はそう言うと、俺の返事を待たずに電話を切ってしまう。ん?少し元気なかったか?と思いつつ、手持無沙汰のまま、静かな車内で意味もなくシートベルトを外して待つ。1分もしない内に、少し先に川崎の姿が見えた。俺にまた一つ緊張が走る。えー、ホントに今からドライブすんのかよ。いや、いいんだけどさ、たぶん帰ることが許されるなら真っ先に帰るくらいには、逃げたい気分だ。なに?世の中の男性はこんな緊張をみんな経て生きてるの?偉くない?
少し浮かない様子の川崎が、助手席のドアの前まで来て、ここいい?と聞くように助手席を指さす。俺は気恥ずかしくて頷くことしかできない。ドアが開いて、川崎が乗り込む。大きくない車のせいか、思っていたより近い距離感に、また一つ俺の緊張メーターが上がる。
「ありがとね。車。ちょうどいいんじゃない?」
「まぁ二人で乗るにはこれくらいでいいだろ、そこまで高くもないしな。」
「うん。あとで清算させてね。」
「ま、適当にな。」
挨拶の代わりに軽い会話を交わす。少し元気がなかったように見えた川崎は、それを隠すように普通に振る舞っていた。聞くべきか迷ったが、少し気に効いたことを口にして、話を進めることにする。
「天気も悪くないし、いわゆるドライブ日和なのかもな。」
「そうだね、ってかそういう発言似合わな過ぎ。」
知ってたよ!気に効いたことなんて言うんじゃなかった!
「・・言うな。それで、どこ行くんだ。」
「あ・・・、うん。ナビに入れる。」
そう言うと、二人の間にあるナビを触ろうとしたところで、ナビの前に壁があったかの如く固まった。
「ん、どうした。」
「・・・ちょっと向こう向いててくれない?」
「は?」
「いいから!た、楽しみってことで。」
そう言われては仕方ないかと思い、別段川崎がナビを入力するところをじっと見たいわけでもなかったので、右の窓から空を見た。季節は夏の入り口。日差しが直接当たると少し暑く感じるが、まだまだ夜は冷えるような今日この頃。
雲一つない空に、得体の知れない不安感を感じ始めた頃、
「・・じゃぁ、この通りに進んでくれればいいから。」
そう言った川崎の指示に従って、
「はいよ。」
車を目的地へ発進させた。
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そして、冒頭である今に至る。
出発してから約1時間と20分。下の道を少し走らせて高速に乗って、高速を降りる。実にこの間、会話がゼロ。俺には安全に運転するという絶対守るべき使命があったため、存外早く過ぎたが、高速を降りてからは会話がなかった事実に気が付くと、途端に焦りを感じ始めていた。
赤信号のついでに川崎の様子を見た後に、ナビを見る、目的地までは残すところ15分となっていた。思っていた通りで目的地は海沿いの温泉街だろう。視界に収まる範囲で青信号に変わったことを感じて、前を見る。
アクセルを静かに踏み込んだ瞬間、
「ねぇ、比企谷。」
川崎がその重い口を開いた。続けて、
「どこでもいいから、車停めてくれる?」
「・・・わかった。あそこのコンビニでいいか?」
「うん。」
その会話の最中に俺の頭の中で巡った思考は多岐に渡った。川崎が何を目的で停めてと言ったかは分からないが、いくつもの選択肢の中で、喜ばしいことは一つもなかった。
川崎が何を言おうとも、俺は受け入れようと覚悟を決めた。
広いコンビニの駐車場のなか、店舗から一番離れた端に車を停める。存外駐車を1発で決めることができたが、それによってこの雰囲気が変わるわけではない。適当に流したFMだけが、合わないテンションで喋り続けている。
「聞いていいか。」
俺はその雰囲気に耐えることが出来ずに、川崎に了承を得ようとする。
「・・・だめ。」
この回答は予想外だった。
「・・・そうか。」
俺がそう返してから数秒しない内に、川崎が力強くこちらを向いたのがわかった。
「一旦、外に出るのはあり?」
「別に悪くねえよ。俺もか?」
「うん。お願い。」
二人ほぼ同じタイミングでドアを開いて外にでた。車の前まで進むと、川崎と相対した。川崎のブルーな顔が、より一層深くなる。自分を責めるような顔だった。そして、その顔は俺がさせたくない顔だった。
言いづらいのなら、俺から言おうと口を開く。
「・・まぁ、貴重な経験だったかもな。ここまででいいんじゃないか。」
「え?なにが?」
「ドライブ。」
思ったより口が動かず、目線が偏ってしまう。
川崎はそれを聞いて背中を丸めて額を抑える。その姿を見て気付いたが、今日の川崎は今まで見たどんな姿よりも着飾っていた。それに気付けなかったのは、ずっと車にいたからだろう。それでも、どんなに着飾っていても、元気がないことの方がよっぽど俺には濃く映った。
だから、俺は伝えたのだ。
無理はして俺と居なくていいと。
「・・・あぁ、ごめん。そう捉えちゃうよね。」
だからダメだって思ってたのに、と、一人ごちる川崎を見て、俺の中で謎が生じる。
「よく分かってはいないが、お前が元気ないのは分かるぞ。」
「・・・そうだよね。そう思うよね。」
だから早く言えばよかったのに、と一人ごちる川崎を見て、俺の中で生じた謎が深まる。
「独り言拾って悪いが、何を早く言えば良かったんだ?正直、このまま帰っても収まりが悪いから、教えてくれると助かる。」
そう言った途端、川崎はナビの時と同様、いきなりマスターハンドで抑えられたかのごとくビクッと固まった。そして何か一つ覚悟を落としたように息をすると、背筋を伸ばして、凛々しく俺の目を見た。
「・・・比企谷。懺悔があるんだけど。」
「・・・お前、懺悔好きだな。」
「いや好きなわけないでしょ?でもだからこその懺悔。」
そう言うと川崎は、何から話していいのか迷うように、何度か話そうとしては詰まる。
「えーと、何から言うのが良いのか、ずっと考えているのに思い浮かばなくて、こう、自分の気持ちとか、こうなった経緯とか、言えなかった理由とか、なんていうかその・・・」
「一つ一つでいい。情報をくれれば、俺の中で処理するから。」
「それはそれでおかしな方向行きそうだから、と思う部分もある・・・」
「それでも、伝え始めなければ、このままだぞ。」
「あーー、なんでこんな自分になっちゃったんだろ。半端なの嫌いなのに。」
そういうと川崎は、また一つ大きな息を吐いた。
それまでブルーだった川崎が、その理由と話そうとすることが、表情や伴う熱気、緊張感、あらゆるものから伝わってくる。俺は思わず唾を飲み込んだ。
そして、
「比企谷、今日の行先、どこだか分かる?」
行先?と俺は予想外の質問に少しうろたえてしまう。が、予想自体はあった。
「ここらへんの海沿いであることは予想してたぞ。温泉あるだろうし、日帰りで行くには距離的にもちょうどだとも考えてたが、どこの温泉かはさっぱり分からん。昔一度来たことある程度だし。」
「うん。・・・うん。そうだよね。そう思うよね。だけどごめん、違う。」
「は?」
そう言うと川崎は、ちょっと待って、と一言告げて、車の中の自分の荷物を漁る。そう言えば、少し苦労して助手席から後部座席に置いてたな。ん?と一瞬違和感が走るが、考える前に手に冊子を持った川崎が車の前に戻ってくる。
「今日、ここに行く。経緯とか、色々話すから聞いてほしい。」
そう言って見せられたのは、この地域の名前を冠としたホテルの名前だった。
理解しようと頭を働かせるが、心臓の音だけが跳ねていく。
「今日、そこを'宿泊'で取ってある。」
「はい?」
川崎の目は、真剣だった。
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