本屋はすぐに見つかって、お互いがその時、ホテルで読みたい本を選んで購入した。
俺がどの小説にしようかと文庫本コーナーで物色していると、川崎は何度か雑誌や写真集などを持ってきては、「これとかどうかな?」と俺に聞いてきた。俺はうまく返答することができず、「まぁいいんじゃねぇの。」などと素っ気なく返してしまったが、何を見て判断しているのか、「これは違うかー。」などと小声で呟いては、どこかへまた探しに行った。最後に持ってきたのは、外国の有名な画家の画集で、不覚にも、川崎にイメージはないものの、今日という日にその画集を眺める川崎を見てみたいと思ってしまった。川崎はそれに気付いたようで、「これにしよう。」と楽し気にレジに向かった。あれ?そんなに分かりやすいの俺?あとで何を見て判断したのか聞いてみるとしよう。耳とか言われたらどうしよう。もうそれペットじゃん。やべぇ、川崎のペット悪くねぇ。。
川崎がレジに向かう姿に釣られて見えたのは、旅をテーマにした雑誌だった。普段なら絶対に買わないが、その時はなぜかピンと来てしまい、川崎を追いかけるように雑誌を手に取ってレジに向かった。
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部屋に着くと、最初に訪れた時とは違い、お互い程よい緊張感に変わっていることがわかった。それが何であるのかは分からなかったが、きっと川崎も同じような気持ちなんだろうと思えた。
「ちょっと色々していい?」
川崎は部屋のどこかを指差しながら俺に聞いた。
「色々が何かわからないが、どうぞ。」
俺の返事を聞いて、微笑みながら頷き、部屋の中へと進む川崎の後姿に、俺は見とれてしまった。ああいう笑顔もできるのか。きっと俺の笑顔には生まれてこの方一切の変化がないのに、川崎はこの数年で大きく変わった。いや、俺があいつを見ていなかっただけかもしれない。そう考えると、川崎との距離感が近くなったんだと思う。そして、俺はその距離感を、嫌悪していないと、はっきりと感じた。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい?あ、あと、本読むならソファかな?」
「コーヒーで頼む。窓際のテーブルよりかは、ソファが良さそうだな。」
「ん、わかった。ちょっと待ってね。」
そういうと川崎は、電気ケトルをセットした後、自分のバッグから何かを取り出して、別室に向かってしまった。その姿を見送って、俺はのそのそとソファへ向かって、勢いよく腰掛ける。わっ。思った3倍は沈んだぞ。一体どんなバネを仕込んでいるんだと数回座ったまま跳ねていると、車の中でも聞いた音楽が程よい音量で耳に届いた。
川崎はニコニコしながら別室から顔を覗かせて、
「音量どう?」
と、伺うような目線で聞いてきた。
「ちょうどいいくらいじゃないか?ってか、そういう設備もあるのかよ。」
「ベッド脇にスピーカーがあったのをさっき見つけて、いいかなって。どう?」
「あぁ、良い雰囲気だ。」
俺は自然にちょっと笑みを零していたことに気付かずに、応える。
「う、うん。いいよね。」
そう言いながら、なぜか顔を赤くし遠慮がちに歩きながら、川崎は目の前を通り過ぎる。先ほどセットしたケトルからは湯気が上がっていた。慣れた手つきでコーヒーと紅茶を作る。
「どうぞ。どうせ甘くするんでしょ?」
そういって川崎は、ミルクとスティックシュガーを数本持ってきた。
「わかってるな。」
「まぁね。」
そう言い終えると、紅茶を両手に持った川崎が、少し視線を泳がせる。川崎の中でいくつかの逡巡が起こったであろう後で、伏し目がちになりながら俺に聞いてきた。
「ねぇ、隣座っていい?」
「ここで断る奴はいないだろ。小さくないソファだし気にするな。」
「そ、そうだけどさ。」
そう言いながら川崎は、ローテーブルを回ってから紅茶を置き、静かに俺の隣に腰を下ろす。聞こえるかどうかくらいの声で「わっ」と漏らす。
「思ったよりも沈んで、ちょっと驚いた。」
「俺もさっき全く同じ感じになった。」
「わっ、って言った?」
「心の中でな。誰かさんみたいに声にはならなかったわ。」
そう言うと川崎は「バカ」と呟きながら、俺の肩にパンチをかましてきた。むず痒くなるほどの弱さだった。その瞬間、意識せずに胸が満たされる感覚に襲われて、胃の辺りに力がこもってしまう。震えそうな身体を何とか堪える。これが所謂胸キュンだと知ったのは、季節が冬になってからだった。
ごまかすようにコーヒーを甘く仕上げると、買った雑誌を袋から出した。川崎も同じようにして画集を手に取る。
「さて、読みますか。」
「うん。」
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旅をテーマとした雑誌の内容には、意外にもわくわくさせられた。高校の時には持てなかった選択肢がいくつもある今の自分を鑑みて読み進めると、一人でどこか行くのもありかもしれない、とさえ思った。雑誌の中には、旅と言うより、それもう冒険ってレベルじゃね、と思えるような危険を伴う紀行の話まで載っており、俺は落ち着いた雰囲気の中で、身体の内に興奮を伴わせていた。
感覚では、1時間以上経っているはずだ。キリの良い所で、川崎を盗み見る。画集の中の一つの絵を、真剣に眺めているようだった。考えもなしに話しかけてしまう。
「気に入ったのか?」
久しぶりに出した声は、始め音として貧弱なものであったが、質問自体は川崎に届いたようだった。こちらを向いて、どこまでも優しい表情で、一つ頷く。そして、喉を整えるように小さく咳払いをすると、ゆっくり話し始めた。
「この前のページの絵と、この絵を描く間にね、最愛の妻が亡くなってるんだって。普通だったら、なんか作風?が、寂しく変わって、暗い絵になるのかと思うんだけど。観てこれ。」
そう言って見せられたのは、一枚の活力ある風景画だった。前のページの絵と比べても、一際強く在ろうとする意志のようなものを感じることができる、魅力ある絵だった。直接絵を見てみたいと思えたのは、初めてだった。
「すごい、な。お前はこれを見て、何を思ってたんだ?」
そう言うと川崎は、画集を手元に戻して、いくつか考える様子を見せた。
「なんかね、なんだろう、まとまってないんだけどいい?」
「そういう時間、だろ。話してくれ。」
質問に返すのに、少し詰まってしまった。いや恥ずかしかったんじゃないからね?
「ふふ、そうだね。ありがと。そもそも、この絵自体はすごく綺麗だなって思って目に留まったから、解説まで読んだのね。それで、これを書いた画家は、奥さんの死を乗り越えるように、絵を描いたんだろうなって思う。暗い絵にもならず、明るすぎる強がった絵にもならず、こんな素敵な絵を描いた。事実世間的な評価もすごく高いみたいだし。
・・・でも、なんだろう。少し寂しいな、とも思う。もういっそ暗すぎる絵になってもしょうがないじゃん、って思ったんだよ。何より、この絵を奥さんが観れないのは、切ないなーって。
でもね、きっとその奥さんが居なかったら、この絵も生まれてないんだよね、と思うと、奥さんの存在ってすごいな、とも思う。なんか、ごちゃってしてごめん。」
川崎のいう事はどれも理解できた。言わば、視点の違いだ。画家本人から見れば、その時の状況によって絵を描いた、そして良いものが描けた。まぁ、本人がどう思っているかわからんが。奥さんの視点からすれば、寂しいかもしれないし、むしろ天国というものがあるならば、そこから夫の所業を讃えたかもしれない。讃えつつ、どこか寂しいかもしれない。
画集を見ている俺らからすれば、それ計り知れない二人の感情や想いを一手に受けるしかないのだから、様々なことを思わせられるのは、当然なのかもしれない。
「難しいな。いくら考えても、当事者にしかわからんものだろう。」
「・・・うん。そうだよね。あー、なんかそわそわする。」
少し考えて、川崎のそわそわを俺なりに解き明かす。作品と相対するのは、その人と対面で話すより高度だ。それを、そわそわしてしまうまで考えてしまう川崎の感受性と優しさと思いやりに、俺は、らしいな、と微笑んでしまう。
「な、なに?」
「いや、らしいな、と思っただけだ。・・まぁなんだ、お前が思いたいように思っていいんじゃねえの?」
「どういう意味?」
俺は、すっかり冷めたコーヒーの残りを一気に飲み干す。
「どこまで考えたって、当事者の正解には辿り着けないだろ?そうやって色々考えるのは大事なことだと思うが、そわそわするくらいなら、お前の解釈だ、って決め切っちゃうのも、必要なことなのかもしれん。ちなみに俺は決め切った。この絵は綺麗だと思う。実物を見たいとさえ思えた。それで、いいんだと思う。」
「決め切る・・・かぁ。」
そう言って川崎は、背もたれから離れていた身体を、一気にソファに預けた。ふかふかのソファが歪み、川崎の体の形に変形するのが見て取れた。頭まで預けて、天井を見ながら考える様子は初めて見た姿だった。白磁色した首が、必要以上に艶めかしく光を反射している。
「そっか。そうだね。この二人の物語は、この二人にしか分からないもんね。決め切る、・・・うん。決めた。」
そう言うと背もたれから離れ、少し残った紅茶を飲み干す。
すっきりした様子で、こちらを向いて、一際情感あふれる表情を保ったまま、
「比企谷に、ありがとう、って言うよ。」
と、言い放った。
理由は分からないまま、俺は加速していく心臓音を認識する。
「は?何で俺なの?」
「だって、比企谷が本読もうって言ってなかったら、あと、私がこの本を比企谷に見せたときにそれだよって言ってくれてなかったら、今こうして私は色々考えられてないわけでしょ?だから、ありがとうって。」
「いや、俺そんなこと言ったっけか?」
俺は言葉は発していなかったと、明確に思い出しながら聞いた。
「言葉にしてなくても、表情がそう言ってたじゃん。」
「なに、お前。俺のこと好きなの?」
少し加速した心臓と、手拍子で返した言葉を放った後に後悔をした。少なくとも、全くの冗談では済まされない気がしたからだ。きっとこれもボッチ故の意識なしの限界突破なんだろう。く、軽く流してくれ・・。
しかし、川崎は意外にも、目を細めて微笑んだだけだった。そして、こう続ける。
「かもね。まだ、決め切ってないけど。」
そう言うと川崎は、何事もないように、「もう一杯飲もうか。」と言って、自分と俺のカップも手に取って、ソファから離れた。
後姿の髪の隙間から見えた耳は、赤くなっているように見えた。
それよりも赤いのは、俺の顔だった。