非常にきわどいコミュニケーションを交わしてしまったおかげで、部屋には形容しにくい緊張感が漂っていたが、二人してそれを噛み締めつつも時間が経過した。窓から見える空の色は、晴れ渡っていた空に少しずつ赤色を落としたいった結果、綺麗な茜色になっていた。端的に言えば、初夏の夕方だ。
雑誌を閉じて、ゆっくりを身体を伸ばす。初めて雑誌をいうものを端から端まで読んだな、と思った。雑誌の内容と乖離した巻末の広告まで勢いで読んでしまった俺だが、それは幾分か前に視線を川崎に向けたときに、静かな寝息を立てていることに気付いたからだった。
(それにしても、未だに気持ち良さそうに寝てるな。)
寝ていることに気付いてすぐ、慎重にソファを立った俺は、ベッドルームに向かって何かかけるものがないか探した。季節的には夏になりかけだが、自然が多い地域のせいか、部屋の中はTシャツだと少し肌寒い気温になっていたからだ。川崎の格好は、下は前と変わらずデニムで、羽織っていた薄手のシャツを脱いでいた。
そのため、白のノースリーブ姿だったのだ。
首元と肩口だけ生地が異なって少し装飾が施されている、ノースリーブ姿だったのだ。
大事なことなので2回言いました、と。惜し気もなく投げ出された腕の白さに、何度やられそうになったことか。でもそんな目で見ているなんて寸分も思われたくないため、自分を徹底して律した次第だ。偉すぎて自分を褒めたい。たとえ寝ていても、ちゃんと目線をずらす俺に賞賛を与えたい。うるせえ、そうだよ恥ずかしいだけだよ文句あるか。
結局適したかけるものを見つけられなかった俺は、俺が着ていたシャツを脱いで川崎にかけた。無意識だろう川崎が、俺がかけたシャツに包まって再び寝息を立てたとき、いや、あれ?川崎のシャツかければ良かったんじゃね?と気付いた。途端に恥ずかしさが俺を襲い、シャツを入れ替えようと試みようとしたが、川崎の寝姿を見て諦めた。いやだってなんかすごく幸せそうなんだもん。確かに、上質なソファに本読みながら微睡んでそのまま寝ちゃうの最高だけども、こう、俺のシャツを口元まで引き寄せて寝るのは可愛すぎませんかね?なんなの?萌え殺したいの?
そんなわけで、そのまま気にかけながら、夕方を迎えたわけだ。そろそろ温泉に入ったり、夕食を気にしたりする頃だろう。
意を決して川崎を起こそうとする。
「んん、川崎?」
「・・・」
返事はなく、聞こえている様子もない。えー、でも大きな声出して起こすのも悪いしなぁ。うん、しょうがない。俺はもう一度意を決して、川崎の肩を俺のシャツ越しに触れ、少し揺さぶりながら起こしにかかる。意を決しすぎて擦り切れそう。
「川崎、そろそろ起きるタイミングだと思うぞ。」
「ん・・・。」
川崎は目をうっすらと開けると、1秒もせずにカッと見開いて、周りを見渡した。まだぽーっとしているだろうに、覚醒し切ってる感じ出そうとするのかわいい。川崎は、自分がホテルのソファで転寝をしていた事実を容認した次に、かけられているシャツを手に取って眺めた。
すると、鼻から抜けるような笑みを浮かべて、まだ覚醒し切っていない口元を動かした。
「だからか・・・ん、おはよう比企谷。結構寝ちゃってたみたいだね。」
「ん?いや、1時間かそこらだから大して寝てないと思うぞ。」
何が'だからか'何だろうと思いつつ、事実を先に伝える。
「そっか。これ、かけてくれてありがと。おかげで良い夢見ちゃった。」
ほう、夢を見ていたと。
「どんな夢だったんだ?」
「比企谷んちで寝たときの夢見てた。寝ながら寝てた夢見るとか意味わかんないけど、このシャツ、比企谷の匂いがするから、そのせいだと思う。」
それを聞くと、反射的に川崎から自身のシャツを奪ってしまった。いや、なんていうか申し訳ないというか恥ずかしいというか、自分自身の匂いとかって分からないからな。俺の突然の行動にちょっとムッとした表情をする川崎。
「その、色々すまん。」
「なに謝ってんのさ。」
「いや、匂うシャツをかけたのはちょっと考えが至らなかったと・・・。」
「?別に嫌いな匂いじゃないって言うかむしろ・・まぁ、うん、とにかく気にしなくていいから。ありがとね。」
そう言うと川崎は、何かを隠すように腕を前に出して伸びをした。んーっと伸びをする川崎を見て、女性としての小町との差を如実に感じてしまった。普段、女性が伸びをしている姿なんて見る機会ないからだろう、小町のそれしか見たことが無かった俺はその差に驚く。しかもノースリーブだし、なんて言うかこう、大人を女性を感じた。・・あれ?なんだ?今、俺の右頬を拳が掠めたような?そうして思い至ったのは恩師である平塚先生(の拳)で、今の川崎を大人と表現すると平塚先生は・・・って言う考え方はやめよう。命がいくつあっても足りねぇ。どうしてるかな、平塚先生。
伸びを終えて、はてなマークを浮かべながら俺を見る川崎に、応えるように話しかける。
「んんっ、さて、いい時間になってきたと思うんだが、どうする?」
川崎は右手に付けた黒く細いベルトを見た。二重巻になっているそれを車で見たときに上品だなとは思ったが、時計だったのか。今まで付けてたっけか。
「あー、ちょっと寝過ぎちゃったかも。夕食が19時にホテルの中にある和食?のお店だから、温泉に入るとギリギリかもね。どうしよっか?」
「え?夕飯ついてんの?」
「これもお母さんの計らいだね。何か別に食べたいものでもあった?こんなホテルだし、不味いってことはないと思うけど。」
「いや、食べたいものは特別ないが・・。至れり尽くせりだな。」
そう言って俺はさきママにいくらくらい払えばいいのだろうと思案する。結構するよな。ま、仕方がない。たまにしかない贅沢ってやつだ。
「そうだねぇ。もう私は諦めて乗っかってるけどね。ねぇ、温泉入るなら急いだ方がいいかも。」
そう急かす川崎は、おそらく温泉に入りたいんじゃないだろうか、と推測して、俺も時計を見る。夕飯の時間まで1時間強ある。男性なら十分な時間だが、川崎はどうなのだろうか。小町で考えると、長いときはかなり長かった気がする。
「温泉は何度入っても良いだろうから、川崎が時間的に問題ないなら温泉に入って夕食、か?」
そう言って確認するように川崎を見ると、それそれ、と言いたそうな嬉しそうな表情で、
「私は大丈夫。じゃぁ早速行こうか。ちょっとだけ待って。」
とスパッと言い切り、ソファから立ち上がる。自分のバッグからいくつか荷物を出すと、未だソファから離れない俺を見て駆け寄ってくる。
「どうしたの?行くよ。」
そう言われて立とうとするんだが、思ったよりもそのソファを気に入ったダメな俺が立つことを拒否している。動け・・・!俺の脚・・・!
「川崎。ダメな俺がソファから離れたくないと言っている。」
「は?なにそれ。はい、ほら。」
そう言って川崎は手を差し伸べてくる。いや、そういうわけじゃ、とか何とか述べてみるが、
「はーやーく。」
と、もう一度仕切り直して手の平を差し出してくる。これで立ち上がってもなんか微妙になりそうだしな、仕方ない、これは仕方のないことなのだ、と自分を納得させ、川崎の手に俺の手を重ねる。ギュッと握られたかと思えば、その感想を抱く間もなく、引っ張られる。さすがに俺の体重を引き上げるのは無理だろうから、俺は脚に力を込めて立ち上がる。すると、立ち上がり際にも関わらず、力を緩めなかった川崎にぶつかりそうになってしまう。
「おっ、と。」
そう言いながら前屈みになっている体制を起こすと、思っていたより近くに川崎の顔があった。川崎は目を丸くしびっくりした顔をしたが、それも一瞬、すぐに笑顔に変えると、
「温泉、行こう?」
と、俺と目を離さず口にした。
「お、おお。」
俺の情けない声を聞いて、なにそれ、と言いながら、踵を返した川崎は玄関へ向かった。自然と離れた手を見て、少し物足りなくなったのは、俺だけだっただろう。
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めっちゃいい湯だった。
浴衣を受け取るカウンターで川崎と別れた俺は、無論一人で温泉を満喫した。入っている途中、自分の中でここ最近のあれこれを思い出しては、ちょっともどかしい気持ちになっていたが、嫌なことではなかったので、お湯と共に流しておいた。最も、俺の頭の中は『夕飯食べた後、どうすんの』という、おそらく人生で一番の山場について考えを巡らせていた。
いやね?そりゃもちろん何も起こらないし、いや起こさないし、川崎は一度おれんちで寝ているわけで、大したことないと何度も思おうとしたさ。それでもよくよく考えたら、おれんちの時とは全然違くね?と気付いてしまったのだ。一緒にホテルに泊まるわけだし。何その字面。俺の人生でこんなことが起こると思ってなかったわ。
温泉と言う目的も果たしたわけだし、夕飯食べたら眠くなって、気付いたらソファで朝を迎えてて、少し寒かったな、なんて思いながら川崎が起きてくるのを待つのだ。よし、シュミレーション完了。間違いなく(色んな意味で)こうなる。フラグ立てたわけじゃないぞ。やめろ、あまり考えるな俺。フラグがフラグフラグするだろうが。なんだそれ、意味分かんねぇ(分かる)。
かくして思考の渦にハマった俺は、夕食所に訪れて通された個室で一人待っている。これ自体は川崎の指示なので、問題ない。それにしてもまた立派な所だ。懐石とか書いてあったぞ。さきママどんだけ奮発したの?川崎のこと好きすぎでしょ。温泉でもここでも人にあまり会わないのは、シーズンから少し外れた平日だからだろう。ここらへんは大学生であることを活かせていると感じる。
そんなことを一人ぽーっと考えていると、案内の仲居さん?の声が聞こえてきた。
引き戸の外から呼び掛ける声が届く。
「失礼いたします。お連れ様がいらっしゃいました。」
え?あ、はい。ってあれか、返事をしないといけないのか。
「あ、どうぞ。」
やべぇ、ちゃんとした礼儀とか知らないからこれが正解なのかわからんぞ。
「失礼いたします。」
そう返ってきて開いた戸の奥には、浴衣姿の川崎が立っていた。
「ありがとうございます。・・・ごめん、待った?」
「いや、大して待ってない、ぞ。」
俺は川崎の問いかけに、ほぼ思考ができないまま応えていた。いや、しょうがないだろ。浴衣姿の川崎はそれはそれは似合っていて、湯上りのせいか少し火照った顔をしながら、乾いたばかりの髪に優しく触れながら目の前に座った。
「すごくちゃんとしたところで、緊張しちゃったんだけど。」
温泉から続けてこちらに来たせいか、興奮冷めやらぬ様子で俺に話しかけてくる。仲居さんがいるので、俺にだけ聞こえるような声音が、むず痒く耳に届いた。
「俺も同じこと思ったわ。」
そう返すと、少し動きを見せた仲居さんを二人して見た。戸の前で綺麗な正座を作ると、深々と腰を折って頭を下げると、途中まで戻した状態で顔をこちらにむけ、
「それでは、御夕食のご説明を始めさせて頂きます。」
と、はきはきと申し上げた。その言葉に、何故か二人して唾を飲んだ。マジでどんだけ格式高いんだよここ。。
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はい、もう何も入らないくらい食べました。
それも出てくるもの全部美味しくて、川崎と二人して緊張しながらもうまいうまいと箸を動かし続けた。
今は夕食所を出て二人して部屋に戻っている最中だ。
人の気配もほとんどないロビーを通って、エレベーターに乗り込む。
先ほどから会話のない二人だが、それには、深ーーーい訳があった。
きっと川崎も同じことで黙ってしまっているはずだ。
それは夕食も終盤に差し掛かったころのことだった。
・・・・・・
今日のことを万遍なく話しながら進んでいた夕食のゆったりとした時間は、川崎によって打ち切られた。
「ね、ねぇ。」
「ん?なんだ?」
最後に出てきた小ぶりのあんみつを持ちながら、俺は応える。
「今から言うこと、ちょっと聞いてほしいんだけど。」
何故か手を大腿に乗せて、かしこまった川崎は緊張の面持ちでそう言った。
温泉に入って美味しいものをたらふく食べた俺は、その時はまだ油断していた。
「なんだ?」
「部屋に帰ったら、なんだけどさ、」
そう聞いた瞬間、温泉での一人相撲であり思考の渦が蘇っていた。
「私、したいことが'2つ'あって、その、比企谷がいなきゃできないことだから、協力、してほしいんだけど・・・。」
そう言う川崎にはただならぬ雰囲気が漂っていて、俺は用心深くなった。
「2つ?協力?」
「うん。2つ。協力。」
「・・・内容による。」
そう言うと、川崎の表情がころりと変わって、活き活きとした笑顔になった。
淡々と会話が進んでいく。
「本当!?」
「いやまて、内容によっては協力できないかもしれん。」
「でも、聞いてはくれるってことだよね?」
「まぁ、そうだが。」
「まずはそれでもいいの。一個目の壁はクリアだから。」
「何、なんかゲームでもしてるの?」
「いいの、こっちの話だから。・・・うん、よし、うん。」
川崎は小さくガッツポーズして何かを我慢するような顔をしていた。
その瞬間、俺に一つの啓示が降りてきていた。
これ、温泉で立てちゃったフラグ、折れるやつじゃね?と。
・・・・・・
新年明けましておめでとうございます。
本年、投稿し始めて2年目になりますが、何卒よろしくお願い致します。
お読みいただき、ありがとうございます。
感想、評価、UA数、どれも私にはもったいないものばかりで、
恐縮するばかりですが、今後も書かせて頂きたいと思っております。
2次創作ではないところで、文字を扱う活動を行っておりまして、
機会が来たとき、こちらでも皆様に公開できたらと考えております。
繰り返しになりますが、今後とも、よろしくお願い致します。