依頼:私を、変えて欲しい   作:クラウンギア

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知らない気持

日付を跨いで、時刻は午前10時。

 

座椅子にだらけた形で座りながら、俺は小説を読んでいる。いや、正直に言うと読めていない、心を落ち着けるために文字を追っているだけだ。いつもの休日であればまだ二度寝の最中だが、今日の俺は既にシャワーを浴び、外へ出てもいいように着替えを済ませ、ちょっと玄関を綺麗にしたりして、来たるべきその時を待っていた。

 

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昨日、川崎との相談を終えて家に着いたころには、俺は言い表せない心境になっていた。

 

川崎の相談に乗る形で、俺らは友達になった。川崎からの言葉が、俺を信頼してくれていることを明確に告げてくれていた。これまでの川崎との関係で、あいつがわざわざ嘘や欺瞞を使うやつじゃないことは知っている。

これは俺にとって、嬉しいのか、辛いのか、ワクワクしているのか、怖くて仕方がないのか、自分の感情が分からなかった。

ただ、川崎のためになるのなら、と受けた相談ではあったが、俺にとっても、とても大きな事象となるんじゃないかと、強い予感があった。だから昨日の夜も、逃げるように手を伸ばした小説の文章を必死に追って、時間を潰していた。

 

考えて考えても、やはり自分のことは分からなかった。

そして分からないこと自体には、言い知れぬ恐怖を感じていた。

 

気付けば俺は寝ていた。目覚めた時にはろくに睡眠を取った感覚もなく、とかく今日川崎が来るという事実に対して行動を起こした。

そして今に至る。昨夜に抱いてしまった、整理できていない感情は、全て一旦忘れることにした。

 

川崎の前で、このような得体の知れない気持ちが浮いてこないことを願って。

 

 

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そう。俺は今、俺んちに川崎が来るのを待っている。

一人暮らしのこの家には、未だに誰一人として入れたことがない。親の気遣いで小町が来たときは玄関までだった。上がっていくか?と気兼ねなく問う俺に対して、小町は意外にも「女の子をひょいひょい家に上げようとするなんて・・小町、お兄ちゃんの急成長になんか複雑なんだけど。帰るから。」と拗ねた様子で帰ってしまった。

その時のことを思い出すと、今すぐにでも涙が流れてくる。あぁ、小町。今度実家帰るときにはプリン買ってくから、どうか笑顔を俺に見せてくれ・・・。

 

とか小町への想いを再確認していると、部屋に呼び鈴が鳴り響いた。あぁ、こんな音でしたね。ってかちょっと待って、なんかものすごく緊張してきたんだけど。気にするな八幡。友達になろうとお願いしてきた女性が俺ん家に家事をしに来るだけだ。え、何それめっちゃエロゲっぽい。いきなりハードル高くない?

 

・・・んん!まぁなんだ、あいつのためだからな。恥ずかしい気持ちくらい、負ってやろう。気持ち新たに、俺は廊下を歩く。

 

「今開ける。」

 

そう言ってカギに手を掛け開ける。ドアをゆっくりを開けると、そこには美女(川崎)が立っていた。

 

「お、おはよう。」

 

「お、おう。おはよう。」

 

昨日の可愛らしい格好から一転、シンプルな白いVネックのインナーに少し丈の長い薄手の紺色のカーディガン、スラリとしたデニムを穿いた川崎が、買い物荷物を持って恥ずかしそうに立っている。というか、シンプルさが際立ってめっちゃモデルみたいな印象になってるな。あれ、こいつ無敵じゃね?服は素材によって良くも悪くもなると言うが、それを体現しているように思えた。

 

「・・・んあー、とりあえず上がるか?」

 

「うん。お、お邪魔します。」

 

そう会話を交わして、背後で川崎が靴を脱いでいるのを気配で感じながら、俺は廊下を通って部屋に向かう。

川崎は、この部屋を見て何を思うのだろう。何か変なところとかないだろうか。そういったセンス事はダメだからなぁ、俺。部屋に関して特にこだわったつもりはない。モノトーンを基調に、本棚、テレビ台とテレビ、ローテーブルに座椅子、ベッドがあるだけの部屋だ。余計なものはなく、1Kにしては広めの間取りのため、少し寂しい感じがある。が、この感じがお気に入りなのだ。

 

部屋に入り、どうしたものかと少しキョドってしまった。ゆっくりと振り返ると、川崎が廊下を超えて部屋に足を踏み入れた。川崎は少し目を見開いたまま部屋をぐるりを見渡した。そして、静かに安堵したかのように一息つき、微笑んだ。

 

川崎は、何を考えているんだろう、と少し気になったが、こちらを見た川崎から言葉が続く。

 

「なんか、あんたらしい部屋だね。」

 

「そうか?まぁ気に入ってはいる。」

 

そう返すと、川崎はさて、と一つ置き、昨夜見せてくれた勝気な顔をした。

 

「よし。大掃除とはいかないけど、やらせてね。あ、あと冷蔵庫借りていい?お昼も作るつもりだから。」

 

買い物荷物はそのためだったのか。ちょっと待て。初めて女の子を家に入れて、しかも手料理まで振る舞ってくれんの?何それ?昨日から、あったはずの壁がどんどん粉々になっている気がするんですけど。俺付いていけてる?

 

「ああ、構わない。ってかいいのか?」

 

「何が?」

 

「昼まで作ってもらって。」

 

「別に気にすることないよ。やりたくて材料も買ってきたんだし。それとも、掃除終わったらすぐ帰ってほしいの?」

 

そう冗談交じりに問うてくる川崎の表情は、試すような、ちょっといじわるな笑みをしていた。この表情も今まで見たことないものだ。目が合わせたままでいることがきつくなった俺は、つい明後日の方向に目線を泳がしてしまう。

 

「いや、ありがたい。というか、楽しみだ。」

 

「っ!そ、そう。なら、美味しく作るから。」

 

「お、おう。よろしく。」

 

川崎は優しい微笑みをくれたあとで廊下に戻り、買ってきたものを冷蔵庫に入れ始めた。

 

川崎はまるで家族といるかのように、「え、何もないじゃん」とか「どうするつもりだったのさー」などと、明るく柔和な声色で、誰に問いかけるでもなく話している。

 

その一連に、俺は昨夜感じてしまった得体の知れない何かの片鱗を感じる。

 

続けて、どうしてか、俺は初めての感覚を得ることになる。

 

心が締め付けられるような、内側から何を押し出そうとするような、言い換えがたい心の感覚に、驚いてしまう。だけど、悪くない。むしろ、とても心地が良い。そう、昨夜得た感覚も、知らなかっただけで、気持ちの悪いものではなかった。

その気持ちのまま、ふと外を見ると、思っていたより晴れていることに気付いた。いつもほとんど締め切っている窓を全開にして、部屋に風を入れる。日当たりに恵まれたこの部屋に、光が斜めに差し込んできている。

 

いつもなら自分が取りそうにない行動を見返して、自分の感覚を問い直した。

けれどもそこには、にわかには信じがたい単純明快な答えしかなかった。

 

 

たぶん、俺は、今幸せっていうものを感じているのかもしれない。

もしくは、幸せの予感、みたいなものを心がキャッチしているのかもしれない。

 

 

おお、と川崎の感嘆の声が耳に届く。

 

「すごい日当たり良いんだね。洗濯物がよく渇き・・・ん、どうしたの?」

 

「え?」

 

川崎の表情が突然、俺の顔を見て変わる。

川崎を見て、いや、正しく見れていない、ぼやけてしまっている。

そして俺は、自分の異常を確認する。なんだこれ・・。

 

「なんだこれ。」

 

「何って、涙でしょ?私、何かしちゃった?」

 

そう言って戸惑いながらも近寄ってくる川崎を、俺は手で制する。

 

「待ってくれ。大丈夫、だ。俺でもよく分かってない。ただ、何か悲しいとかじゃないから。」

 

必死で、お前のせいではない、ということを言いたくて、言葉を重ねる。

 

「本当だ、だから気にしないでくれ。そうだな、よく晴れてるな。俺は洗濯した方がいいか。」

 

泣いてしまっていた事実が川崎を勘違いさせるのでは、という心配と、何故か零れた涙と見せてしまった気恥ずかしさと、自分への懐疑の想いから、思い付いた言葉を並べる。

 

川崎は何を言わず、こちらに近付いてくる。

 

「ねぇ。」

 

そう言って、俺の二の腕あたりに優しく触れてくる。

 

「あんたんち、醤油ないでしょ?ちょっと買いに行かない?」

 

予想外な提案が飛んでくるが、

 

「お、おう。」

 

今の俺では従うほかなかった。




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