俺の涙について公園で話した後、川崎が申し出た予定変更通りに、俺らは早めの昼食を済ませた。適当に見繕った定食屋に入ったは良いものの、頼んだ定食が届くまでの間、川崎はずっともじもじしていた。しかし、意外にも入った定食屋は当たりで、二人して美味しいと舌鼓を打ちながら、平和な昼食となった。
「栄養のバランスも取れてたし、量もあるし安いし、すごく良い店だったと思うんだけど!」
「そうだな。久々にうまい漬物食べた気がする。」
「うん、あの大根とかどうやって漬けてるんだろう。」
そんな会話を話しながら、スーパーへと向かう。昼食を作るつもりが夕食になったせいか、醤油以外にも相当買い増した。適当に俺が欲しいものも一緒に買うようにして、ざっくりお札を渡してバランスを取った。どうせ払うって言っても受け取らないだろうしな。そんな気遣いも見透かされてたのか、
「・・釈然としないけど、ありがと。」
「何も感謝されることはしてないぞ。」
「そうやってまたあんたは。」
「むしろ晩飯が楽しみだ。」
「・・頑張るから。」
「頼んだ。」
重い荷物は俺が率先して手に取って、帰路に着く。帰る途中には、俺が家近辺のマッ缶が売っている自販機の位置について詳細を話すと、呆れながらも川崎は相槌を打ってくれていた。時折川崎の顔を見ると、傍目から見てもとても幸せそうで、俺はきっと純粋に照れてしまっていた。くそ、なんでそんなほくほくした顔でマッ缶事情聞けるんだよ。もしかしてこいつも隠れマッ缶信者なのか?だとしたらいち早く伝えてくれ。あの糖分が身体に起こす奇跡について語りたい。
家に着くと、手分けして買ったものを冷蔵庫に詰めたり、所定の位置に配置したりした。作業が終わると、川崎がお茶を入れてくれた。にしてもこいつお茶似合うな。二人して部屋でローテーブルを挟んで向かい合って座り、一息つく。あまりに落ち着いてしまったせいか、俺に眠気が襲ってきた。口に手を当て、あくびをかみ殺す。
「何、眠いのー?」
川崎の間延びした言い方に、また新しい一面を感じつつ、正直に答える。
「あぁ、悪い。昨日あんま寝れなかったせいかもしれん。」
「朝から泣いて散歩してお腹いっぱい食べたもんね。少し寝れば?」
「おい。それじゃ赤ちゃんじゃねぇか。」
そう突っ込んでおいて、俺はまた一つあくびをかみ殺した。
「ふふ、確かに。分かった、先にベッド回りさっと片付けちゃうから、少し寝な。」
「・・マジでいいの?」
「頃合い見て起こすから、その時はさすがに起きてほしいけどさ。」
「それは大丈夫だ。・・すまん。正直すごく眠い。」
「はいはい。」
そう言って川崎は立ち上がると、ベッドメイキングを始めた。できれば天気良いし干したかったけどねー、などと独り言を言いながら、手際よくシーツや掛け布団をベランダではたいて敷き直し整えた。次に枕を持つと、川崎は一瞬止まった。俺が眠気眼でぼーっと眺めていると、
「枕カバーとか最近洗った?」
「あー、見ての通り枕カバーの上からハンドタオル敷いて寝るから、あんま洗わないのが現状だな。」
「うーん。もう昼過ぎだし、明日も天気良いみたいだから明日洗いなよ。明日は何かあるの?」
「夕方以降はバイトだが、それまでは暇だ。明日洗うわ。」
「・・・ふーん。そうしな。はい、どうぞ。」
変な間があった気がするが、今はそれどころではない。昨日ベッドで寝れてないせいもあって、今すぐにでも寝れそうだった。
「なんか悪いな。何かあったらすぐ言ってくれ。」
「ん、了解。おやすみ。」
「おやすみ。」
そういってベッドに潜り込む。はたいて整えてもらっただけでも、自分でやった後より随分と寝心地が良く思えた。そう思っているうちに、気付けば俺は眠りに落ちていた。
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今までとは違う、目覚めの予感がする。
起きるか起きないかの狭間で認識できたのは、とても優しい呼び声だった。呼び声というか、何か話してくれている感覚。俺はまだ起きていない。
「いつ起きんのかなー。まだ眠いんだよねきっと。」
俺の近くで誰かが話してくれているのが分かる。そしてとてもいい匂いがしている。
けど、まだそれは覚醒には程遠い場所での感覚。
「でも4時間は寝てるし、夜眠れなくなっても困るよね。」
いや、俺はいつでも寝れるからその心配はいらないぞ。
「食生活崩れてそうなのに、肌きれいだね。ほら。」
やめろ。鼻をつまむんじゃない。
「はは、ごめんごめん。でもそろそろ、起きてよ。寂しいじゃん。これはこれでなんか幸せかもしんないけど。」
ん?俺は寝ているのか?ああ、そういえば確か川崎が寝るの許してくれて、それで・・・
「ねぇ・・・八幡。」
途端に意識が覚醒していく。その呼び声に、俺は完全に覚醒した。目を開くと、傍にはベッド脇に座り込んでいるのだろう、川崎の慈愛に溢れた顔があった。目があった途端に、川崎に表情が一変する。もたれかかっていた姿勢を起こし、俺に告げる。
「お、おはよう。よく眠れたんじゃない?」
「ん、ああ。おはよう。すごく良い目覚めだわ。うん、起きてる、完全に。」
俺は体を起こしてベッドに腰掛ける。
「おお、よく効いてるね。京華とかにもやる起こし方なんだけど。」
俺は起きる寸前にあったことを忘れてしまっている。何かとてつもないきっかけで起きた気もするんだけど。寝ているときのことは分からん。
「ん、何か特別な起こし方でもあるのか?ってかどんくらい寝てたんだ俺は。」
「4時間くらいかな。今の時間が17時くらい。それとね、起こし方だけど、私が思い付いた方法でさ。弟や妹が寝起き悪いんだよ。普通に起こすとその後30分くらいぼーっとした感じなの。でも、いきなり起こすんじゃなくて、近くで適当に話して、徐々に起こすと、寝覚めいいんだよね。」
「マジでか、結構寝たな。すまん。気持ち良すぎた。それと、たぶんその起こし方のおかげですっきりしてる。」
「ふふ、なら良かったよ。寝癖ついちゃっているから、洗面台いきなよ。」
「ああ、すまん。そうする。」
そう告げて、俺は洗面台へと向かう。鏡を見たときに、その違いに驚く。
か、輝いているじゃねえか。
つられて至る所に目を向けると、全てが綺麗になっていた。寝癖を簡単に直すと、洗面台から離れる。近くのキッチンでは、川崎が何やら鍋の中身を混ぜていた。何やら起きたてで色んなことが混ざってしまっている。整理が必要だ。
「なんか色々言いたいんだが・・・。」
「ん?なに?」
「まず、それはなんだ?」
「ビーフシチュー。すごく美味しいから。まだ完成してないけどね。」
「すげぇ良い匂いだな。」
「でしょ?もう少しだけ待って。」
そう言って鼻歌交じりに蓋をする川崎。そのまま、「お茶と水どっちがいい?」と聞かれ、「水。」と応えると、ささっと用意して二人して部屋へ向かう。自然に座ったが、今度は川崎が左隣に腰を下ろした。
「まだ詳細に確認できていないが、掃除、大変だったろう。洗面台とか全てが綺麗になってたぞ。」
「おー、気付くんだ。嬉しいね。でもそんな大変じゃなかったよ、たまに掃除してたでしょ?」
「まぁ、普通の範囲ではしてたが、見違えるほど綺麗になっててビビった。」
「なにそれ、褒めてくれてんの?」
「いや、褒めるだろ。パッと見ただけで、このテーブル自体も周りも綺麗になってるし。」
「掃除機はかけられなかったからね、大したことじゃないよ。」
そう言ってお茶を啜る川崎は、満足そうにしていた。
「悪いな、眠いからって眠ったまま掃除や飯までやらせちゃって。何?このまま飼い殺すつもりなの?」
「あ、それも良いかもね。」
「良くねえよ。今度その掃除スキル分け与えてくれ。専業主夫希望が廃る。」
「あんたまだそれ言ってたんだ・・・。」
「いや、さすがに半分くらいは冗談になってきた。」
「いやもう半分さ・・・。いいよ、次やるときは一緒にやろうか。」
「おう。マジでありがとうな。」
実際、本棚とかも埃一つないんだろうなと思う。俺が寝てる間、俺を起こさないように綺麗に掃除してくれた挙句、手の込んだ料理まで仕込んでくれているなんて、こりゃもう頭上がりませんわ。八幡脱帽。
「いいって。これも私ができることやっただけなんだし。しかもお礼の一部だしさ。」
「なんか俺に出来ることあったら言ってくれな。」
「うん。ありがと。さて、そろそろいいかなー。お腹減ってる?」
「実は匂いが良すぎて食べたくてしょうがない。」
「ふふ、ちょっと待ってね。」
そう言って川崎は立ち上がって夕食の準備を進めてくれる。ここまで来て目覚めてから初めて、一人になる時間が訪れた。いや、マジでよく眠ってしまった。しかもめちゃ寝言地良かった。きっと日の光とかも気にして、カーテンが閉じられているんだろう。外はまだ少し明るかった。そうして俺は、目覚めの瞬間を思い出す。何かすごいことが起きたような気もするが、忘れてしまった夢ほど、そうやって誇張されて残るからな。その一端だろう。
その後、運ばれてきた食事は、たっぷりのビーフシチューにバケット、栄養満点そうなさっぱりとした和風サラダ、締めに杏仁豆腐と、家庭的かつ豪華な食事であった。そのどれもが美味しくて、都度感想を言うごとに川崎は嬉しそうにしていて、本当にこいつは良い嫁になるなと感じた。俺が親父ならマジで外に出したくないレベル。彼氏とか連れて来たら発狂するわこんなん。
「ごちそうさま。いや、ホントにうまかった。」
「もういいって。シチュー、明日も食べれるから、温めて食べて。」
「おう。明日も食べれるとか、早く明日来い。」
「そんなに?もしかして今まだ食べれるの?」
「いや、今はもう無理だな。」
「だよね。おかわりまでしてたし。」
そんなやり取りをしつつ、川崎が用意してくれたお茶をすする。うむ、うまい。
「ふう、掃除も料理も満足してくれたっぽいね。」
「ああ、大満足だ。お前にしちゃ、お礼としてやってくれているかもしれないが、十分すぎて余ってるくらいだ。」
「そう?なら何かに取っておいてよ。」
「ああ、分かった。」
そうしてまた二人でお茶をすする。時刻は19時過ぎ。
適当に流しているTV番組を見ながら、そこからまた少しの時が経つ。
ふと横に居る川崎を見ると、今にも船を漕ぎそうになっていた。我慢して目を開けようとしているときが可愛すぎて俺が死ぬかと思った。
とその時、また俺の心に温かい何かが通り過ぎる。
川崎はたくさん考えて、自分の想いを口にして、自分できること考えて、今日俺んちで掃除や料理をしてくれた。対して俺は、川崎からのお願いを聞いて了承してやっただけだ。まだ何もやれていない。そのことを不甲斐なく思うが、それ以上に、今現在こうやって頑張ってくれた川崎に、できることがないか考える。
ふと、今日のことを思い出して、恥ずかしいことを思い付いてしまう。
いや、でもさすがにそれはまずいんじゃねーか、と俺の中の俺が囁くが、別に取って食おうってんじゃない。こんな俺でも良ければ、できることがあると思えてるんだ。提案くらいはしてみてもいいじゃないか?
「川崎。」
「・・ん?ああ、ごめん。」
「いや謝ることじゃない。眠いか?」
「んー、私も昨日あんま寝れてないのもあるかも。」
言ってみろ、俺。
ダメで元々だ。
「・・・良かったら、寝てけよ。その状態で帰るのもめんどいだろうし、その、良いこともあるかもしれん。」
「・・・え、いいの、っていうか、良いことって?」
川崎は、半分眠っているだろう意識を引き寄せながら、俺の話を聞いているようだ。どこか期待した目線に俺自身が戸惑う。
「あー、別に泊まってけって言うんじゃない。ただ寝たい時に寝て、起きたい時に起きた時、誰かが居るってのは、その、まぁ悪くないんじゃないかと思ってな。まぁ、それが俺ってのが申し訳ないが。夜中に起きたなら、送っていくし。」
川崎は目を丸くして俺のことを見る。
「なんだよ。」
「それってさ、今日あんたが起きた時私が居て、嬉しかったってこと?」
・・・一番聞いてほしくなかった質問が飛んできた。
「ん、んー、そうだな。それもある。それと、お前も家で一人は寂しいと感じるときがあるんだろ?もし、俺なんかで寂しさを埋められるんなら、少なくとも今日くらい使ってくれって思ってな。」
「・・それってさ、私が今帰ったらあんたも寂しいってこと?」
何なの?眠気も混じって攻めモードに入ったの?
「ん、んー。なんなの?俺いじめて楽しいの?」
「ううん。知りたいだけ。友達でしょ?」
自分で組んだ腕に顔を乗せ、微笑みながら問うてくる川崎に、不覚にもドキりとしてしまう。
「んー・・・。」
そうか。そう言われて気付いてしまった。
俺はきっと川崎が帰らない川崎のための理由を探していたんだ。しかもそれが筋が通る形で見つかったから、俺自身を言い聞かせて、提案した。けれども、それはもっと根底に別の想いがあって、それを達成する手段として採用しただけに過ぎないんじゃないのか。そう思えば思うほど、俺が川崎にした提案はどこかかっこ悪く思えてしまう。どこか、形作られたまがい物に思えてしまう。
なら、俺はどうするのか。
・・・はぁ、一日で2回もぶっちゃけることになるなんて。
知らないからな。
「引くなよ。」
「引かないよ。」
「俺はまだお前に帰ってほしくない。たぶんってか絶対寂しさを感じてしまう。そして、ここまでしてくれた川崎に、起きたら誰かが居る嬉しさを、俺があげれるなら、あげたい。」
目の前の川崎に迷いなく伝える。この姿勢は、昨日川崎から教えてもらった姿勢だ。
「・・・ちょっと待って。」
そう言って川崎は自分の腕の中に隠れてしまう。
俺はどう考えても赤くなった顔を冷ますために、手で顔を煽いだ。
川崎は隠れたまま、なかなか戻ってこなかった。
あれ、川崎さん?