バカと天使とドロップアウト   作:フルゥチヱ

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バカテスト
問 以下の英文を訳しなさい
「Boy Meets Girl.」

姫路瑞希の答え
「少年は少女に出逢う」
教師のコメント
 正解です。これは物語の形体の一種で、主人公の男の子がワケありの女の子との出会いによって騒動に巻き込まれていく、といったストーリーを指します。女の子が主人公の場合は『Girl Meets Boy.』となります。また『月並みな話』という意味で用いられる場合もあるので、豆知識として覚えておくとよいでしょう。

工藤愛子の答え
「ショタとロリの初恋」
教師のコメント
 微笑ましい光景ですね。

土屋康太の答え
「ロリコンとロリの初恋」
教師のコメント
 一気に犯罪臭が増しましたよ。

吉井明久の答え
「ラブコメ」
教師のコメント
 意味的には間違いではないのかもしれませんが、和訳をしてください。

天真=ガヴリール=ホワイトの答え
「バカは天使に出会う」
教師のコメント
 ボーイ=バカ、ガール=天使の等式は成り立ちません。


第九話 ドロップアウトボーイミーツガール

「お前ら、明久をFクラスの教室に運んでやれ」

 

「了解です、坂本代表」

 

 Fクラス代表である雄二はクラスメイトの男子数人にボロ雑巾のように倒れた明久を教室に搬送するよう命じてから、堂々とBクラスに立ち入る。そして、さっきまでの強気は見る影もなく床に座り込む根本に対して、見下しながら言った。

 

「さて、それじゃ嬉し恥ずかし戦後対談といきますか。な、負け犬代表?」

 

 根本はギリッと奥歯を食いしばって、拳を床に振るった。

 

「クソッ! 坂本テメェ、イカサマしやがったな!?」

 

「イカサマ? なんのことだ」

 

「とぼけるな! なんでEクラスの教室から打った矢が俺に当たるんだ!」

 

 窓の外──新校舎と向かい合うように設置されている旧校舎を指さしながら、根本は言った。

 

「あそこは明らかに召喚フィールドの外だろ!? 教師の展開できるフィールドは半径十メートル程度しかねえはずだ!」

 

「それで? 俺たちが試験召喚システムに介入でもしたってか?」

 

「そ、そうだ! これは明らかに不正行為だ! ですよね、高橋先生!?」

 

 藁にも縋るような気持ちで根本は訴えたが、彼を見る立会人の高橋先生の視線は冷ややかだった。

 

「いえ、Fクラスは不正行為などしていません。そもそも、試験召喚システムは一生徒程度が改竄できるほどヤワなものではありませんよ」

 

「じゃあなんで!」

 

「なあ根本──『干渉』は知ってるよな?」

 

 雄二は、まるで我が儘を言う子供をあやす様な口調で言う。

 

「違う教科のフィールドを近くで複数展開すると、それぞれのフィールドが相殺されて消えちまう現象だ。さっき明久と胡桃沢が壁を壊した時、遠藤先生がフィールドを取り消しただろ? これは高橋先生のフィールドとの干渉を防ぐためだ」

 

「……それがなんだ」

 

「ああ、こんなのは一年生で習う文月学園では常識中の常識だ。だけど、こっちの方は意外と知られていないんだよな──同じ教科だと干渉は起こらない、ってことは。ま、俺も仲間がヒントを残してくれたおかげで気づいたんだけどな」

 

 その雄二の言葉に、根本ははっとなって顔を上げた。

 

「まさか……」

 

「そのまさかだ。Eクラスで鉄人に総合科目フィールドを展開してもらって、新校舎と旧校舎をフィールドで繋げたんだよ」

 

 あっけからんと告げる雄二に対し、根本の顔は次第に青ざめてゆく。

 土屋康太を失って、姫路瑞希を封じられて──それでもなお、勝利を諦めない執念。イカれたほどの試験召喚戦争への拘泥。もしかしたら、自分が敵に回した男はとんでもない奴なんじゃないかと根本は思った。

 

「じゃあ、あの矢はなんだ!? あんな遠くから、しかも召喚獣で俺を狙い討ちするなんて」

 

「それについては運否天賦だった。まさか一発で仕留めるとは思わなかったが」

 

 そう、何度も言うようだが、召喚獣というのは操るのがとても難しい代物なのだ。

 しかも弓矢という武器は、同じ遠距離武器である銃と比較すると、狙いの精度を高めるのが極めて困難なもの。

 そんな二重苦の中で数十メートル先の小さな的を射抜くには、卓越した弓術と並外れた集中力、そして神に愛されるレベルの幸運が必要である。例えば──天使学校を首席で卒業するような、人智を超えた者でもなければ不可能な芸当だろう。

 

「……そんなギャンブル染みた作戦で、俺たちに勝つつもりだったのか?」

 

「どっかの誰かが余計なことしてくれなけりゃ、もっと楽に勝てたんだけどな。ま、冥土の土産に一つ教えといてやるよ──本気を出した馬鹿ってのは、なに仕出かすか分かったもんじゃねえぞ」

 

 ちらりと、雄二はBクラスの壁に空いた大穴を一瞥する。

 無残にも鉄筋がむき出しになったコンクリート。それはどこぞの馬鹿によって引き起こされたものである。今頃職員室は大騒ぎだろう。

 根本にはもはや言い返す気力もなかった。力なく項垂れる彼に対し、雄二は告げる。

 

「さて根本。本来ならこのBクラスの教室を明け渡してもらい、お前たちには素敵な卓袱台と座布団をくれてやるところだが、特別に免除してやってもいい」

 

 その言葉に、両陣営が共にざわつき出す。それを雄二は片手を上げて制した。

 

「俺たちの目的はAクラスだ。ここはあくまで通過点に過ぎん。だから条件を呑めば、Bクラスには手は出さないことを約束しよう」

 

「……条件はなんだ」

 

「それはお前だよ、負け犬代表さん。お前がAクラスに行って、試召戦争の準備ができていると宣言してこい。ただし宣戦布告はするな。戦争の意思と準備があるとだけ伝えるんだ──これを着てな」

 

 そう言って雄二が取り出したのは、Cクラスを挑発する際に秀吉も着た文月学園の女子制服である。

 

「ふ、ふざけるな! どうして俺がこんなものを!」

 

「ふざけてなどいない、本気だ。正直なところ、去年からお前は目障りだったからな。一つ恥を晒してくれや」

 

「恥ってレベルじゃないだろう! おい、お前らもなんとか言って……なんだその目は。よ、寄るな変態ぐふぅ!」

 

「とりあえず黙らせました」

 

「お、おう。ありがとう」

 

 Bクラスの男子生徒に腹部を強打され、根本は床に崩れ落ちた。他のBクラス生徒たちもそれで教室が守れるのならと納得の様子。これを見るだけで、根本が代表としてどれだけ傍若無人な立ち振る舞いをしてきたかが分かるだろう。

 せっせとファッションショーの準備に動くBクラスを横目に、雄二は投げ捨てられた根本の制服を拾い上げる。

 そして、遥か遠くを望むような、そんな表情で呟いた。

 

「……ようやく、ここまできたぞ。学力だけが全てじゃないと、俺が証明してみせる」

 

   〇

 

 気がつくと、僕はFクラスの畳の上で寝かされていた。

 ツンと鼻をつくようなかび臭さに不快感を覚えながら身体を起こそうとすると、全身を貫くような痛みが走る。

 

「つぅ……!」

 

 思わずそんな声を上げてしまう。

 僕らはさっきまで、Bクラスと試召戦争をしていた。その戦争で、僕は点数を全て失い戦死したのだ。この痛みはそのフィードバックによるもの。窓の外に見える景色が赤色に染まり始めていることから、戦争の決着より結構な時間が経っているみたいだが、痛みは全然抜けきっていなかった。

 ぼんやりとしていた視界と思考がだんだんと鮮明になっていく。時計を見て時刻を確認しようとしたところで──やっと、僕の側に誰かがいたことに気が付いた。

 

「あっ」

 

 向こうも僕が目を覚ましたことに気づいたのか、そんな声を零す。

 ぽかんと半開きの口と、窓から差し込む陽光を受けて輝くボサボサの金髪──ガヴリールである。彼女は手に持っていた黒くて細長い棒のようなものをさっと背中に隠してから、

 

「おはよう」

 

 と誤魔化す様に笑った。

 

「……ガヴリール、今なにを隠したんだ」

 

「別に? なにも隠してないけど?」

 

「嘘だ! 僕には黒光りするペンのようなものが見えたぞ!」

 

 ぴゅーぴゅーと口笛を吹いて目を逸らす駄天使。

 

「怒らないから出してみ?」

 

「……はい」

 

 そう言ってガヴリールが差し出したのは、黒の油性マジックペンだった。

 

「この駄天使! 油性ペンで僕の顔に落書きしやがったな!?」

 

「怒らないって言ったじゃん!」

 

「いや怒るよ!? 水性ならともかく、油性ならさしもの僕も怒らざるを得ないよ!?」

 

 油性インクなので、当然水で洗った程度じゃ落ちない。僕が抵抗できないからって好き放題やりやがって!

 ここじゃ確認できないけれど、一体なにを落書きされたんだ……大方、バカとかアホだろうけど。他には定番の額に肉か。どちらにせよ、今日は帰宅したらすぐにお風呂を沸かさねばなるまい。

 

「畜生! お礼にその無い胸揉みしだいてやろうか……!」

 

「上等だやってみろバカ」

 

「……」

 

 勿論そんな勇気があるわけなかった。

 僕が目を逸らしていると、ガヴリールがため息を吐くように言った。

 

「それで、怪我は大丈夫なの?」

 

「怪我?」

 

「血が出てたから、一応手当しといた」

 

「あ、そうなんだ。ありが」

 

 とう、と続けようとして、気づく。

 僕の右手は常軌を逸したレベルでグルグルガチガチにテーピングされていた。指が動かせない。

 

「保健室から持ってきたんだけど、やり方がよく分かんなくて」

 

「バカぁ! ほんとおバカ! ドラえもんの手みたいになってるよ! これキツすぎて指の感覚がないんだけど!?」

 

「右手にガーゼとテープ全部使っちゃったから、左手はありのままの姿だぞ」

 

「極端すぎるでしょ!」

 

 その中間を取ってほしかった。本当に女子力が壊滅的だなこの駄天使。

 

「まだ痛むのか?」

 

「怪我自体は大したことないよ。それより、フィードバックの方が辛いかな」

 

 観察処分者のフィードバックは百パーセント返るわけじゃないとはいえ、根本くんの召喚獣に切り裂かれた痛みは尋常じゃなかった。未だに身体のあちこちがジクジクと疼くし、油断したら吐き気を催しそうだ。多分しばらくこの感覚は忘れられないと思う。

 

「……」

 

「どうしたの? ガヴリール」

 

「目、瞑って」

 

「え?」

 

「いいから目を瞑れ。さもなくば私がお前の目を潰す」

 

「こわっ!」

 

 チョキで脅迫され、素直に目を閉じる僕。

 なんだいきなり。この前格ゲーでハメ技使ってボコボコにした恨みでも晴らされるのだろうか。

 僕が恐怖に震えながら待っていると、両手で頭を鷲掴みにされ、

 

「えいっ」

 

 と、そんな掛け声とともに引っ張られた。当然僕はバランスを崩し、畳に頭をぶつけることを覚悟する。

 しかし、やってきたのは畳のざらざらした感触ではなく、ふにんとした、柔らかなものだった。

 何が何だか分からず目を開くと、目の前にガヴリールのスカートがあった。な、なんだかいい匂いがする……!

 

「☆●◆▽◇♪◎×!?」

 

「落ち着け明久、ここは人間界だぞ」

 

 もがもがと慌てる僕とは対照的に、ガヴリールの冷静な突っ込みが入る。でも、そんなこと言われても落ち着いていられるわけがなかった。

 だってこの体勢は──いわゆる膝枕というやつなのだから。男なら誰しもが憧れを抱く、片方が膝を折った体勢で座り、もう一人が横になってそこに頭を乗せるあれだ。

 な、なんだ!? こんなことをしていったいなにが目的なんだ!?

 

「……」

 

 しかし、ガヴリールは何も言わない。

 お金をせびられるわけでもなく、物を要求されるわけでもなく、ただその行為そのものが目的であると言わんばかりだ。

 

「ガヴ──」

 

 彼女の名前を呼ぼうとして、思わず固まってしまった。

 何故なら、ガヴリールの顔があまりにも赤くなっていたから。夕陽に照らされていたのもあるのだろうが、それでも熟したリンゴみたいに真っ赤で、釣られて僕も顔に熱が集まってしまう。

 ガヴリールは拗ねたように口を尖らせた。

 

「……なんだよ。あんまり人の顔をジロジロ見るな」

 

「いや、だって……」

 

「いいから。怪我人は大人しくしてろ」

 

 そう言って、彼女は僕の目元に包むようにして手を押し当てた。高校生にしてはあまりにも小さな手が僕の視界を遮る。儚いほど白く、でも血が通っている温かい手だった。

 その温度を感じて落ち着いたからか、僕はひどくほっとして、まるで罪を許された被告人のように深く息を吐く。

 不思議な感覚だった。

 だけど、記憶にある感覚でもあった。

 

 まだガヴリールが堕天する前。始めて彼女にあった時──高校一年生になる春のことだ。今でも鮮明に思い出せる。

 隣に引っ越してきた彼女の荷解きを手伝って、自分の家に戻った後、僕はドアをバタンと閉じて、そのまま扉に背中を預けてその場に座り込んでしまったのだ。

 あの時は長居しすぎちゃったなどと自分に言い訳をしていたが、それは違う。彼女の家に僕のような奴が留まっていることが、とても罪深いことのように思えたのだ。だから僕は逃げるように自宅へと戻った。

 

 ──もしあの時。

 ガヴリールが引っ越してきたのが、僕の家の隣じゃなければ、彼女が堕天するようなこともなかったのではないか。時々、そんな想像に苛まれる。意味のない妄想だ。だけど、どうしても拭い去ることができずにいる。僕の軽率な行動が、彼女の人柄も、性格も、人生さえも捻じ曲げてしまったのではないか。そんな己の内でぐるぐるし続ける悔恨を、僕は未だに抱えている。

 抱え続けながら、ガヴリールと仲良くしている。

 

 ……最低だな、僕は。

 だって、彼女の堕天の原因である僕が、自ら彼女から離れてしまえばいいのだから。だけど、その決断もできないまま一年が経過してしまった。ガヴリールと一緒にいると楽しくて、自分の内側のドロドロした部分を忘れられたから。

 自分勝手な自己矛盾である。

 これじゃ、皆から馬鹿と言われてもしかたない。いや、馬鹿というよりもただの愚か者だ。

 

「ごめん……」

 

 ぽつり、と。

 器から溢れた水が外に零れ落ちるように、そう漏らしてしまった。自分自身、何に謝罪したかったのかよく分からない。でも、紛れもない本心からの言葉だった。

 

「ふーん」

 

 ガヴリールは興味なさげ。実際、彼女にとってはどうでもいいことだろう。だってこれは、結局僕の自己満足なのだから。根本くんに対して湧いた怒りも、試験召喚戦争で壁を壊したこともそうだ。自分の暴走する感情に決着をつけるための、ただの八つ当たりである。癇癪と言っていいかもしれない。

 だって僕は正義の味方でもなければ、天使でも悪魔でもない。どこにでもいるような普通の高校生で、大人にも子供にも成りきれない愚か者。それが、正真正銘の吉井明久という存在なのだ。

 この怪我も、痛みも、全部自業自得で──

 

「あのさ、明久」

 

 思考の渦を遮るかのように、ガヴリールが言った。

 

「お前に考え事は似合わないぞ」

 

「そこは悩み事じゃないの!?」

 

 その言い方だとまるで僕が普段なにも考えていないみたいじゃないか! 悩み事が似合わないなら励ましの言葉かもしれないが、考え事が似合わないはただの悪口だ!

 

「明久はバカなんだから、なにも考えず私を崇め奉ってればいいんだよ」

 

「いったい何様のつもりなんだ!?」

 

「天使様」

 

 そうだった。

 

「私はお前より偉いんだ。だから私のことでお前が責任を感じる必要はないよ。……む、むしろ、感謝してるんだからな。下界のことを何も知らなかった私に、その、色々教えてくれて」

 

「え? 今なんて……」

 

「ああああああ! ななななんでもないっ! お、お前は聖なる天使様を堕としたんだぞ! その罪をしかと胸に刻んどけよな!」

 

「あれ!? さっきと言ってること違くない!?」

 

「うるさい! 私が白と言えば黒い物でも白なんだ!」

 

 なんて邪知暴虐な天使なんだろう。聖なる要素が微塵も見当たらない。

 だけど……彼女の言葉は、ストンと胸の中に納まったように感じる。そして、雁字搦めになっていたくだらない自己矛盾を、優しく紐解いてくれる気さえした。やっぱり僕は単純な奴なのだろう。

 

「ガヴリール」

 

 彼女の名前を呼ぶ。

 これまで、その名前から連想されるのは二人の女の子だった。金髪サラサラの天使みたいな女の子と、金髪ボサボサの駄天使みたいな女の子。だけどこの時は、その二つがピタリと重なっていた。

 

「ありがとう」

 

「……もっと感謝していいぞ。だって天使ですもの」

 

 そして僕らは、目を合わせて二人で笑いあう。

 なにがおかしいのか、馬鹿みたいに。

 多分、理由なんてないのだ。

 一緒にいるとなんとなく楽しい。一緒にいるとなんとなく安心する。それがきっと僕らの関係だった。

 

   ○

 

 あの後、ガヴリールは膝が痛い、疲れたと僕を置いてそそくさと帰宅してしまったので、僕は未だに痛みの残る身体に鞭を打って、Bクラスの教室へと向かった。

 Fクラスには僕とガヴリール以外誰もいなかったから、多分みんながいるのはここだろうと思っていたが、ビンゴだった。

 そこではFクラスとBクラスの合同で根本くんの女装ファッションショーが開催されていた。

 ……いや、根本くんの制服が欲しいと言ったのは僕だけど、なにがどうしてこうなったんだ。

 

「明久! 目を覚ましたのじゃな!」

 

 と、僕の元へいの一番に駆け寄ってきてくれたのは、学園トップクラスの美少女と名高い秀吉だった。

 

「お主が今世の罪を懺悔し始めた時は正直もう駄目かと思ったぞ……」

 

「ちょっと待って!? 僕そんなに危険な状態だったの!?」

 

 冗談だよね? まさか試験召喚戦争で死人なんて洒落にもならない。

 

「うむ。天真が甲斐甲斐しく看病したことで事なきを得たようじゃがな」

 

「そうなんだ……」

 

 ガヴリール、君はマジ天使だよ。

 

「お、明久。やっと起きたか」

 

「…………もう始まってる」

 

 秀吉に続いて人込みから出てきたのは、Fクラス代表の雄二と、補習室から帰還したムッツリーニだった。雄二はその手に男子制服を一着抱えていた。

 

「ムッツリーニ! 良かった、無事だったんだね!」

 

「…………脳内をエロで塗りつぶして、なんとか洗脳されずに済んだ」

 

「さしもの鉄人も、こいつのムッツリっぷりを染め上げることはできなかったってわけだ」

 

 ケラケラと笑う雄二に、笑い事じゃないと呟くムッツリーニ。

 僕たちは四人でハイタッチを交わした後、見る者の精神を汚染しそうな光景に目をやった。

 

「で、アレは結局何なの?」

 

「根本の野郎が前々から女装に興味があったそうでな。Fクラスも大々的に協力してやってる」

 

「おい待て坂本! 俺はこんなものに興味なんてげふぅ!?」

 

「黙ってキリキリ歩け! これから撮影会もあるんだからな!」

 

「き、聞いてないぞ!?」

 

 女装姿のまま廊下へと連行される根本くん。自業自得とはいえ、ちょっとだけ同情した。

 

「んで明久。目的のブツはこれだろ」

 

「あ、うん」

 

 雄二から根本くんのものであろう制服を受け取る。さっきの光景を見てしまうと思わず拒否したくなったが、この中には大事な物が入っているので受け取らないわけにもいかない。

 ごそごそと制服を探ると、指にくしゃっとした感触。可愛らしいウサギのシールが貼られたピンク色の封筒だった。

 僕はそれをブレザーのポケットに慎重に仕舞って、姫路さんを捜しに行こうとしたところで──雄二とムッツリーニに肩をガッチリと掴まれた。

 

「なにするのさ二人とも。僕これから行かなきゃいけないところがあるんだけど」

 

「ああ悪ぃ悪ぃ、すぐ済むからよ。ムッツリーニ、例のものを」

 

「…………了解」

 

「む? なんじゃ?」

 

 ムッツリーニはコンパクトサイズのノートパソコンを起動させ、その画面を僕らに見せる。そこには何枚もの写真が表示されていた。

 夕陽でピントがボケていて見難いけれど……そこに映っているのは何故かローアングルから撮られたFクラスの教室だった。

 

「…………これだ」

 

 その中から一枚の写真を拡大させるムッツリーニ。さらに画質は荒くなったが、そこには金髪の人物と、茶髪の人物が映っているのが分かる。って、これってまさか……!

 

 ダッ!(←脱兎の如く逃走を図る僕)

 ガシィ!(←そんな僕を拘束する雄二)

 ヒュン!(←僕の喉をカッターで貫こうとするムッツリーニ)

 

「あぶなあああああああ!!」

 

 すんでのところで刃を回避する。こいつら躊躇なく急所を狙いやがった!

 

「さーてどういうことか説明してもらおうか明久」

 

「その台詞は危害を加える前に言ってよ!」

 

「これに映ってるのは明久と天真かの? 膝枕とはなんともお熱いではないか、明久よ」

 

「…………万死に値する……!(ギリィ)」

 

「お、落ち着いてよムッツリーニ! これは事故みたいなもので……そ、そう! フィードバックでふらついちゃってさ! 偶然こうなっちゃっただけなんだ! でもすぐに離れたんだよ? だから誤解なんです!」

 

「数分後の写真でも同じ体勢のままのようだが」

 

「……」

 

「……」

 

「さらばっ!」

 

 自らの肩の関節を外して拘束をすり抜けることに成功し、僕は疾風のようにBクラスから脱出した。

 

「ホシが逃げたぞ! 総員、何としてでも奴を始末しろ!」

 

「「「イエッサー!!!」」」

 

 雄二の号令でBクラスにいたFクラス男子が一斉に僕を追いかけてくる。クソが! ほんと敵に回すと厄介な奴らだな!

 

「吉井ブッコロス!」

 

「密かに天真さんを狙っていた俺の純情を返せェ!」

 

「泣いたり笑ったりできなくしてやるァ!」

 

 怨念で染まったかのような漆黒のフードを身に纏うクラスメイトたち。皆ちょっと常識が歪んでると思う。

 

「っていうか雄二! なに率先して僕を始末しようとしてるのさ! さっきハイタッチを交わした僕らの友情はどこへ行ってしまったの!?」

 

「明久、お前は知らなかったみたいだな。俺はお前の幸せが大嫌いなんだよ」

 

「知ってるよバカ! ガッデム!」

 

 一陣の風となって廊下を駆ける。こうなったら全員相手してやらああああああ!

 

   ○

 

 昨日の仲間は今日の敵となったクラスメイトたちを全員撃退して、僕は命からがら屋上にたどり着いていた。級友に当然のように刃物やスタンガンを向けてくるこのクラスはやっぱおかしいと思うんだ。まあおかげで武器を奪って大立ち回りを演じられたんだけども。気分は武蔵坊弁慶である。

 階段を昇り重い扉を開くと、解放感のある夕焼け空が僕を出迎えてくれた。

 

「よ、吉井くん……?」

 

 そこには一人、先客がいた。

 桃色の髪を夕陽で赤く染めた女の子、姫路さんである。

 まさか逃げ回った先に姫路さんがいるなんて、今日の僕はちょっとツイてるかもしれない。

 

「姫路さん、ちょうど良かった。君を探してたんだ」

 

「え……? 私を?」

 

「うん。はいこれ」

 

 制服のポケットから封筒を取り出して、姫路さんに手渡す。

 すると、彼女は目を丸くした。まあ、根本くんに盗られた物を僕が持っていたら、普通は驚くよね。

 

「……なんで」

 

「廊下で拾ったんだ。この封筒のウサギのシールを見て、姫路さんの物なんじゃないかって。違った?」

 

 本当は根本くんを女装させて取り返した物だけど、そんなこと伝える必要もないだろう。というか伝えたくない。姫路さんはそういう世界を知らない純粋な女の子でいてくれることを願うばかりだ。

 

「ウサギ……」

 

「姫路さんって、いつもウサギの髪留めしてるでしょ? だからそうなんじゃないかなと思って」

 

 まあ、その髪留めをプレゼントしたのは、他ならぬ小学生時代の僕なんだけどね。昔のこと過ぎて、姫路さんは覚えていないかもしれないけど。

 

「…………そっか。ありがとうございます、吉井くん」

 

 姫路さんは、まるでガラス細工でも扱うかのような手つきで、封筒を受け取った。そして、それを抱きしめるみたいに、大事そうに胸に押し当てる。

 

「姫路さん、その手紙ってさ……」

 

 ラブレター? と続けようとしたが、姫路さんが先に答えてしまった。

 

「これは……不幸の手紙です」

 

「えっ?」

 

 一瞬、理解が追い付かなかった。

 

「私が、ずっとずっと、この手紙を出せずにいたから、Fクラスの皆に迷惑をかけてしまいましたね。本当にごめんなさい」

 

「あ、謝らないでよ姫路さん!」

 

「でも、どうしても自分が許せないんです……土屋くんは私を助けてくれたのに、私は役に立てなくて。その上吉井くんにもそんな怪我を負わせて……」

 

 この怪我はどちらかと言えば、クラスメイトたちにやられたほうの比率が大きいと思う。

 

「違うよ! 姫路さんのせいじゃない。これは全部僕の我が儘なんだ! 自業自得なんだ! 僕はただ自分のために」

 

「……優しいですね、吉井くんは。本当に優しい。でも、そんな優しさに甘えたくなってしまう自分じゃ、やっぱり駄目なんです」

 

 そう言って。

 姫路さんは何かを諦めたような、だけどもどこか清々しいような、そんな表情で。

 ピンクの封筒を、中の手紙ごとバラバラに破いてしまった。

 

「私、時々、自分がFクラスで浮いた存在なんじゃないかって思うことがあるんです」

 

 細切れになってしまった手紙を両手で包んで、姫路さんは、

 

「──だから私、Fクラスに似合う女の子になります!」

 

 目に涙を浮かべながら、手紙だったものを夕焼け空にばら撒いてしまった。

 桃色に輝きながら宙を舞う紙片は、まるで桜の花びらのよう。

 それは風に乗って、屋上から遠く彼方へと流されて行ってしまった。

 

「えへへっ。悪い子ですね、私」

 

 小さくなっていく手紙の行方を見守りながら、姫路さんは嬉しそうに、同時に切なそうに目を細める。

 そんな彼女の姿が──僕には、とても大人に見えた。

 大人にも子供にも成りきれない僕にとって、姫路さんは気高く尊い存在のように思えたのだ。

 Fクラスにおいて彼女が浮いていないと言えば嘘になる。だけど、それでも間違いなく彼女は僕らのクラスメイトなんだ。例え振り分け試験で倒れてしまった結果でも、彼女が仲間であるということは紛れもない真実なのだから。

 そう思っているのはきっと僕だけじゃない。他のFクラスの皆だって、同じことを言ってくれるはずだ。

 それを伝えると、姫路さんはほっと胸を撫で下ろしてから、こんなことを言った。

 

「明久くんは、私が悪い子になってしまっても、私のこと……覚えていてくれますか?」

 

 その言葉は、姫路さんにとっては何気ない問いだったのかもしれないけれど。

 僕にとっては、心の奥底に触れられたような、誰にも知られたくない部分を見られたような、そんな気持ちになった。

 それが傷つけられたら、もう二度と立ち直れなくなってしまうような、そういう大事なもの。

 だけど、薄く笑う姫路さんからは、僕を傷つけようなんていう意図は感じられなくて。むしろ、冷たい氷をじんわりと溶かしていくかのような、そんな接触だった。優しくて、温かかった。

 

 ──何故だか急に、泣きそうになった。

 

 別に悲しかったわけじゃない。でも、気を緩めれば涙が出そうだった。

 泣いてもいいんだよと、僕の中の悪魔が諭してくれた。泣くなよ男だろと、僕の中の天使が励ましてくれた。

 僕は一つ鼻を啜って、自分にできるこれでもかという笑顔を作ってみせる。

 

「覚えてる! 絶対忘れないよ!」

 

 涙声になってしまったのが少し恥ずかしい。だけど同時に、誇らしさを覚えてもいた。

 きっと、これが今の僕に必要なことで、姫路さんが求めてることだと思ったから。

 ちょっとだけ……本当にちょっとだけ、僕も大人になれたのかもしれない。

 

「嬉しいですっ」

 

 気恥ずかしさやら何やらで、もうお互いの顔を見れたもんじゃなかった。

 だけど、確かに僕たちはここにいる。

 お互いを認め合って、自分も認めることができる。

 すると不意に姫路さんが、

 

「えいっ」

 

 そんな可愛らしい掛け声と共に、携帯電話のカメラで僕を撮ろうとしていた。慌てて逃れようとしたが、既にフラッシュが焚かれていて、回避することは叶わなかった。

 

「ひ、酷いよ姫路さん!」

 

「ごめんなさい明久くん。でも私、悪い子ですから」

 

 そう言って姫路さんは、ウサギのように軽く飛び跳ね、ふわりと着地した。

 

「それに、明久くんは気づいていないみたいなんで、教えてあげないとと思って」

 

「……? 何を?」

 

「可愛い女の子の悪戯です」

 

 姫路さんは僕に携帯の画面を見せてくれた。

 そこに映っているのは、不格好に笑う僕である。

 その僕の頬には、黒いマジックペンで『おつかれ』と落書きされていた。

 

「あいつ……」

 

 そう呟いて、僕は自然と笑うことができた。

 もう、涙は引いていた。

 

「ガヴリールちゃんって、可愛いですよねっ」

 

 微笑ましそうに笑う姫路さん。多分、僕も同じような顔をしていたのだろう。

 ……ああ、知ってるよ。あの子は天使で、駄天使で、そして最高に可愛い女の子なんだ。

 ふと空を見上げると、散り始めた桜の花びらが、僕らの側を通り抜けていくのが見えた。そして散った桜は、来年の春にまた満開の姿で僕らを迎えてくれるのだろう。

 それまでしばらくお別れ。僕は微かな寂しさと大きな期待を胸に、茜色に染まる街を眺めていた。


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