バカと天使とドロップアウト   作:フルゥチヱ

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~特別コラム 鉄拳人生相談~

一年生 C咲=Tプリス=Sュガーベルさんのご相談
 西村先生、迷える私の悩みを聞いてほしいです。私には尊敬してやまない先輩がいるのですが、その人は今、自分のことを堕天したと自嘲してグータラダメダメの怠惰な生活を送っています。どうにかして先輩を昔の優しくて素晴らしい先輩に戻すことはできないものでしょうか?
鉄拳先生のアドバイス
 相談ありがとう。まず至極まともな悩みであることに感動している。さて、更生の為に必要なのは、健全な生活が第一であると私は考える。その先輩は、日頃の生活で夜更かしをしていないか、惰眠を貪っていないか、テレビゲームにのめり込んでいないか、部屋の整理整頓はしているか、毎日ちゃんと学校へ通っているか――少しでも心当たりがあれば、それとなく注意してみてほしい。後輩に言われれば、きっと先輩も悔い改めるはずだ。

二年生 T乃瀬=Vィネット=Aイプリルさんのご相談
 私には仲の良い女の子がいます。彼女は昔、それはもう優等生の鑑のような子だったんですが、今はネトゲに嵌ってしまい、すっかり見る影もありません。そこで何とか更生させたいのですが、私もついつい甘やかしてしまいます。私はどうすればよいのでしょうか?
鉄拳先生のアドバイス
 優しさも時には考え物だな……とだけ言っておこう。

二年生 Y井A久さんのご相談
 僕には軽蔑してやまない教師がいます。その人は補習と称して、可愛い生徒たちに体罰や拷問、洗脳などを行う卑劣な鉄人です。どうにかして奴を抹殺したいところなんですが、圧死と溺死と中毒死、どれがお好みですか?
鉄拳先生のアドバイス
 吉井、とりあえず歯を食い縛れ。
二年生 Y井A久さんの追伸
 卒業式には伝説の木の下で釘バットを持って貴様を待つ!


バカと天使と番外編
番外編 がんばれ!後輩天使タプリスちゃん


「──あっ、白羽先輩! おはようございますっ!」

 

「あらタプちゃん。おはようございます。今日も元気いっぱいですねー」

 

「はいっ! 今日はとてもいいお天気ですからねっ、なんだか良いことが起こりそうです!」

 

「良いこと、ですか……んふふ、確かに」

 

「? 私、なにか変なこと言いましたか?」

 

「いえいえ。ところでタプちゃん、もう文月学園には慣れましたか?」

 

「え゛っ。……あっ、だ、大丈夫です! 私クラスで浮いたりなんかしてませんし!? 全然イジメとか受けてないですよ!?」

 

「その返答はむしろ凄く心配になるのですが……」

 

「し、心配はご無用ですっ! 私は天真先輩の後輩として恥じない立派な天使になるんですから!」

 

「そこまで言ってもらえると、ガヴちゃんも先輩冥利に尽きるでしょうね」

 

「そ、そうですかね? えへへ……」

 

「そういえば、ガヴちゃんと言えばなんですが」

 

「? 天真先輩がどうかしたんですか?」

 

「最近ちょっと様子がおかしいんですよね。急に赤くなったり、もじもじしたり。あのガヴちゃんがまるで生娘みたいに」

 

「ええ!? まさか胡桃沢先輩が、また天真先輩に悪魔的行為を働いて!? なんて羨ま──憎らしい!」

 

「当たらずと雖も遠からず、といったところですかね。ガヴちゃんもサターニャさんもFクラス所属なので」

 

「Fクラス……って、成績最低のクラスじゃないですか!? 胡桃沢先輩は兎も角、なんで天真先輩がFクラスに!?」

 

「んー、なんと言ったらいいのか……ツンデレ駄天使ちゃんなりの精一杯のアピールなんですかね?」

 

「アピール……はっ! まさかそのおかしな様子というのは、天真先輩からのSOSのサインなのでは!?」

 

「SOS?」

 

「はい! 例えば、Fクラスの人たちに弱みを握られているとか! 誰にも助けを求められない状況で、先輩なりの必死の抵抗なのかもしれません!」

 

「…………ぷふっ」

 

「こうしてはいられないです! 早急に対策を練らないと! 絶対に私が助け出してみせますよ、天真先輩!」

 

「ぷくくっ。た、タプちゃん、そういうことなら一つ忠告をさせてください」

 

「忠告ですか?」

 

「はい。どうやら噂では、二年Fクラスにはサターニャさんと双璧を成すほどの問題児がいるとか」

 

「あの胡桃沢先輩と同等……!? まさか、その人も悪魔なんですか!?」

 

「そうかもしれませんね」

 

「この学校にまだ他の悪魔が潜伏していたなんて……! こ、怖い人なんですか!?」

 

「ええ、とても恐ろしい人です。なにせ校舎の窓ガラスや壁を破壊したり、あのガヴちゃんを格闘(ゲーム)でボコボコにするほどの方なのですから」

 

「特A級の危険人物じゃないですかっ!」

 

「ヴィーネさんのような方は本当に少数派ですからね。だからタプちゃん、その人とは絶対に関わっちゃダメ(・・・・・・・・・・)ですよ?」

 

「わ、分かりました! 危ない人が近くにいたら、一目散に逃げます!」

 

「そうですか。それなら一安心ですね」

 

「ですですっ! では、私の教室はこっちなので」

 

「はい。今日も一日頑張っていきましょう、タプちゃん」

 

「がんばります!」

 

(…………さてさて、どうなることやら♪)

 

   ○

 

「ここが二年Fクラスの教室ですか。な、なんだか物々しい雰囲気です……!」

 

 午前の授業を終えて、今はお昼休み。

 朽ち果てる寸前の小屋を連想させる教室の前で、私は立ち尽くしていました。

 旧校舎三階、二年Fクラス。白羽先輩の話では、天真先輩はここに在籍しているとのことでしたが……。

 

(うう、こわいです、こわいですっ! なんだかすごく不気味な気配がします!)

 

 ただでさえ普段出入りすることのない二年生の階に一人でいるという状況です。思わずその場にへたり込んでしまいそうです。しかもこの教室からは瘴気が漂っている気さえします。

 私は扉に手をかけては離すことを何回か繰り返した後、

 

(いや、これも天真先輩のため! 私が先輩を助けるんです! いざ……っ!)

 

 震えながらも意を決して、扉を開け放ちました。

 ガラッ。

 

「これより異端審問会を開く。検察側、罪状を読み上げたまえ」

 

「はっ! 被告、吉井明久(以下、この者を甲とする)は、我々異端審問会の血の盟約に背いた疑いがあります。先日の放課後、我がFクラスの女子生徒である天真=ガヴリール=ホワイト(以下、この者をつるぺた天使とする)に対して、甲が強制猥褻行為を働いていたとの事案が同志ムッツリーニから告発されました。今後、甲とつるぺた天使の関係に対し十分な調査を行い、甲に対しては然るべき制裁措置を……」

 

「結論だけ述べたまえ」

 

「膝枕をしてもらえて羨ましいであります!」

 

「よろしい。被告、なにか言い残すことはないか?」

 

「なんで弁護の前に遺言なの!?」

 

「……それで? 天真さんの太ももはどんな感触だったんだ?」

 

「え? えっと……ほっそりしてるんだけど柔らかくて、温かくて、凄く安心できて。それになんだかいい匂いが」

 

「判決を下す! 有罪ッ! 死刑ッ!」

 

「「「異端者には、死の鉄槌を!!!」」」

 

「わああああーっ!? その出刃包丁で僕の身体に何をする気ぃ!?」

 

「余計な不安を与えぬようヒントしか教えないが……マグロの解体ショー、とだけ言っておこうか」

 

「丸わかりだよ! 捌くの!? 僕を捌いて活き造りにするつもりなの!? ちょ、待っ……ぎゃあああああ!?」

 

 ──暗い教室の中では、覆面にマントの異様な集団が一人の男子生徒を取り囲んで、サバトを執り行っていました。

 

「すすす、すみません間違えましたぁ!」

 

 ピシャリと扉を閉め、脱兎の如く廊下に飛び退く私。

 か、完全に悪魔の根城じゃないですか! こんなの私なんかじゃどうすることもできませんよ! 今すぐ天真先輩や白羽先輩に救援を……ハッ! そうでした! 天真先輩はFクラスの一員! あの天真先輩に限ってそんなことはないと思いますが、既にあの方々の手に落ちてしまっているのでは!? さっき先輩の名前が聞こえましたし!

 

(う、うぅ~……! これも天真先輩を助け出すため……挫けちゃダメです! 私!)

 

 再び立ち上がり、勇気を振り絞ってもう一度扉を開きました。今度はそーっと、隙間から中を覗き込むようにです。

 

「し、失礼しまーす……」

 

「うん? やあ、いらっしゃい」

 

「マフラーがとってもキュートな子だね。新入生かな?」

 

「ゆっくりしていくといいよ。可愛らしいお嬢さん」

 

 さっきまでの暗い雰囲気はまるで嘘のように霧散していました。

 陽光が差し込む教室は畳に卓袱台というちょっと変わった設備ながらも、皆さん爽やかな笑顔を浮かべていて、私を快く迎え入れてくれました。

 ……な、なーんだ! さっきのは私の見間違いでしたか! そりゃあそうですよねっ! だって学校であんな処刑場みたいな光景を目にするわけありませんもんね!

 

「うん? なんだお前、一年生か? 誰かの知り合いなのか?」

 

「ひっ!?」

 

 そう言って私の前にやってきたのは、短く切り揃えた髪を獅子のように立て上げた、長身の男の人でした。

 一目見て確信します。この人はどう見ても堅気じゃありません! 絶対ヤンキーです! まさかこの人が、白羽先輩の言っていた胡桃沢先輩に並ぶ問題児なのでしょうか。とりあえずこの人の危険度をAプラスに設定です! さっきの黒魔術の儀式は幻覚だったとはいえ、今度はヤンキーに絡まれるなんて、今日の私もしかして不運絶好調なんですか!?

 

「い、いえっ、お構いなく! これは迷ったふりですので!」

 

「迷ったふり?」

 

「おいおい坂本、あんまり女の子を怖がらせちゃ駄目だぞ?」

 

「お前のブ男っぷりは、後輩にはちょっと刺激が強すぎるからな」

 

「よし、お前ら表出ろ」

 

 凄まじい殺気と共に、皆さんが教室から出ていく。

 私は教室に置き去りにされてしまい、その場で固まっていると──

 

「君、こんなところでどうしたの?」

 

「わひゃあ!?」

 

 別の人に声をかけられた。

 あ、新手ですか!? 今度はどんな危ない人が……!?

 

「もしかして、うちのクラスに用事? 僕でよければ話を聞くよ」

 

 しかし、そこにいたのは人のよさそうな笑みを浮かべる、茶髪の好青年さんでした。

 こ、この人、凄く目に優しいです! まさに人畜無害って感じです! 白羽先輩の言っていた危険人物はこの人ではなさそうですね。危険度はFでいいでしょう。

 

「えっとぉ……その……」

 

「あ、ごめんね。僕は二年の吉井明久。君は?」

 

「わ、私は一年生の千咲と申しますっ! よ、よろしくお願いしますです、吉井先輩っ」

 

 フルネームは千咲=タプリス=シュガーベル。それが私の名前です。

 

「うん。よろしく、千咲ちゃん」

 

 屈託のない笑顔で応えてくれる吉井先輩。こ、この人は信用してもよさそうです!

 

「あの私っ、先輩に会いにこの教室まで来たん……ですけど……」

 

「先輩? なんていう名前?」

 

「天真先輩、という方なのですが」

 

「ああ、ガヴリールなら──」

 

 と、親切にも天真先輩の居場所を教えてくれようと口を開いた吉井先輩の顔に、

 

「吉井っ! 歯を食い縛れッ!」

 

「そげぶっ!?」

 

 隣から飛び込んできた男子生徒の拳が、歯を食い縛る間もなくめり込みました。

 も、モロです! これ絶対痛いやつです!

 吉井先輩はゴロゴロと畳を転がり、身体をバネのようにしならせて起き上がります。な、なんで急にこんなバイオレンスな事態に!?

 

「いきなり何するんだ須川くん!」

 

「黙れこの二股クズ野郎が! つるぺた天使ちゃんのみならず姫路さんも誑かすなんて生かしておけねえ! 匿名の通報で、昨日お前が姫路さんにラブレターを渡してるのを見たっていう情報が入ったんだよ!」

 

「なっ!? それはその人の勘違いだよ! ラブレターは僕じゃなくて姫路さんの物で……!」

 

「ならばお前が姫路さんからラブレターを貰ったっていうのかあああああああ!!? ぶっ殺しゃあああああああ!!」

 

「誤解だぁぁーっ!!」

 

 バリィィン! というけたたましい音と共に。

 吉井先輩は四方八方から飛んできた文房具を避けつつ、窓ガラスを割りながら教室を飛び出してしまいました。

 ……え? ここ三階ですよね!?

 

「クソが! 吉井の野郎が逃げたぞ!」

 

「今日こそ奴の息の根を止めて、うら若き乙女たちをあの犯罪者予備軍の毒牙から守り抜くんだ!」

 

「二手に分かれるぞ! 挟み撃ちであいつの臓物をぶちまけてやれ!」

 

「「「応ッ!」」」

 

 何故か武装して追跡を開始するFクラスの皆さん。もしかして吉井先輩って、恨みを買いやすい人なんでしょうか。確かに、運が良さそうな感じはしませんでしたが。

 そしていつの間にか二年Fクラスの教室はもぬけの殻と化して、その場にいるのは部外者であるはずの私だけになってしまいました。

 い、今って本当にお昼休みなんですよね? なんで誰一人休んでいないのでしょうか……?

 

「ん?」

 

 ふと、私は窓際の畳に何かが落ちていることに気づく。近づいてみると、それはストライプ柄のハンカチでした。

 しゃがんでそれを拾い上げると、刹那、そのハンカチに込められた持ち主の思いのようなものを感じ取ることができました。まだ未熟とはいえ、私も神様から神聖なる力を賜り受けた歴とした天使なので、物に触れるとそこに宿る念を知ることができるのです!

 そして──このハンカチは、持ち主さんからとても大事にされているのだということが分かりました。それに見た目だって、綺麗に折りたたまれていて、ほつれや汚れ一つありませんし。

 なんだか私まで嬉しくなってしまう。物を大切にする人は好きです。好感が持てます。

 

「って、そうじゃありませんっ。これを持ち主さんに届けないと……」

 

 恐らく、先ほどFクラスから出て行った誰かの物だと思うのですが……そういえば、さっき吉井先輩が窓から飛び降りてましたね。窓の近くに落ちていましたし、もしかして、これは吉井先輩の物なのでは?

 

「ハンカチがなくて困っているかもしれません。天真先輩のことも気になりますが……天使として、迷える子羊を救うのは当然の使命ですよね!」

 

 私はそのハンカチをポケットに入れてから、軽くぎゅっと拳を握り、Fクラスの教室を後にしたのでした。

 

   ○

 

「あのーすみません、ちょっとお伺いしたいことがあるんですが……」

 

 私は渡り廊下を抜けて、新校舎にいた一人の先輩に声を掛けてみました。おでこと三つ編みが特徴的な女子生徒です。

 

「ん? なにかな?」

 

「えーっと、吉井明久先輩を見ませんでしたか? 探しているのですが」

 

「えっ!? 貴女もアキちゃんを!?」

 

「……ん? アキちゃん?」

 

 大いなる違和感。

 明久という名前からアキを取った渾名なのでしょうか? でも、男性につけるニックネームにしてはなんだか乙女っぽいというか、可愛らしい感じです。

 しかし吉井先輩の顔を思い出してみると──確かに童顔だから似合いそうな渾名でもあった。

 首を傾げていると、その人は私の肩をがっちりと掴んで、ぐいっと顔を押し付けて捲し立てる。

 

「アキちゃんはね、とっても可愛いの! 可愛くて、ちょっとだけおバカなの! でもね、毎日がすっごく楽しそうで、一緒にいるだけで幸せになれちゃう太陽みたいな子なの! 可愛くて可愛くて──性別を忘れちゃうくらいっ! しかもねっ、そのアキちゃんととっても仲が良い女の子がいて、その子はガヴちゃんっていうの! いっつも気だるげな感じでぐーたらしてる子なんだけど、でもアキちゃんと一緒にいるときにふっと零す笑顔が最ッ高に可愛いの! アキちゃんが太陽なら、ガヴちゃんは月みたいな子かな! しかも、いつもはダメダメなのに本気を出したときはすごいんだよ! 私見ちゃったの! BクラスとFクラスの試験召喚戦争で、物凄く真剣な表情で召喚獣を操るガヴちゃんを! これがギャップ萌えってやつなのかな!? 見惚れちゃったよ! すっごく格好良くて、もう私惚れちゃった! 惚れ直しちゃった! でも、最近そんなマイエンジェル二人に会えてないんだ……もう我慢できないのに! ああ、なんでもっと早く二人に気づかなかったのかなあの時私! 試験召喚戦争の真っ只中なら多少騒動を起こしてもバレなかったっていうのに! だから、今はDクラスは宣戦布告できないけど、ペナルティ期間が終わったら今度はこっちからFクラスに挑むつもりなんだ! そして今度こそ、アキちゃんとガヴちゃんを私の物にドロップアウトさせてみせるの! そして思う存分、私の作った可愛い服で可愛い二人を着飾って可愛くイチャイチャしてもらうのっ! それで、私もたまに混ぜてもらうの! う、浮気じゃないんだよ!? 私はちゃんと二人を平等に愛してあげるからね! ──で、その夢の実現には情報収集が必要不可欠だから、今こうして私も二人を探してたんだ! 貴女もそうなんでしょ!?」

 

「…………………………はいっ! そうですね!」

 

 私の思考回路は停止していました。

 ただ本能が、今この場から迅速に離れろとだけ叫び続けています。

 

「……あっ、ごめんねっ、ちょっと興奮しちゃって」

 

「そ、そうですか。では私はこれで──」

 

「ところでさ! よく見たら、貴女もアキちゃんやガヴちゃんに負けず劣らず可愛いねっ!」

 

「…………はい?」

 

「お名前教えて!?」

 

「え、えっと……ち、千咲、です」

 

「千咲ちゃん! じゃあチサちゃんだね! チサちゃん、その髪留めもマフラーもよく似合ってるよ! でもね、貴女のポテンシャルはまだまだこんなもんじゃないと思うんだっ! 私ならチサちゃんを原石から立派なダイヤモンドに磨き上げることができるよ! とりあえず、一緒に保健室に──」

 

「失礼しますっ!!!」

 

 天使の脚力をフルで発揮して、風を巻き上げながら逃走。神秘性もなにもあったもんじゃありません。この時、私はただ自分の身を守るだけで精一杯だったのです。

 

   ○

 

 私は逃げるのに無我夢中で──正気に戻った時には、自分がどこにいるのかが分かりませんでした。

 端的に言えば、迷ってしまいました。

 私が文月学園に入学してから早いもので一週間が過ぎようとしていますが、この学校はとても広く、また教室も多いため、未だに内部構造を把握しきれずにいます。

 

「ここ、どこですかぁ……」

 

 へなへなとその場に座り込みながら、そんな弱気な声を漏らしてしまう。

 廊下は疎か、教室を覗いてみても、そこは閑古鳥が鳴いていました。今は昼休みですから、ここの階の学年はもしかして午前授業で終わりだったのでしょうか……?

 急に、どうしようもないほどの孤独感に苛まれる。そして同時に、走馬灯のように、過去の記憶が次々に頭の中を駆け巡りました。

 思い返してみれば、私は下界にやってきてから失敗続きです。

 堕天してしまった天真先輩を更生させることは叶わず、その原因であるとされる胡桃沢先輩には敵わず、学校でも上手くやれていない。

 天真先輩は、自分のことを駄目な天使……駄天使と自嘲していましたが、ならば私も同じく駄天使と言えるでしょう。むしろ、昔から駄目な天使である私こそ真の駄天使なのではないか、とさえ思えてくる。

 昔、まだ私と天真先輩が天使学校に通っていたころ、泣いてる私をあの人が慰めてくれたことがあった。

 でも、今この場には天真先輩はいない。あの、優しかったころの先輩は、もう……いない。

 

 ──じゃ、じゃあ、天界の天真先輩は……!

 

 ──ああ、あれは偽りの姿ってことだな。

 

 下界で再会した時の天真先輩の言葉が、脳裏で何度も繰り返される。

 頭ではちゃんと理解している。天真先輩は変わってしまったけれど、過去の出来事を忘れてしまったわけではないと。その本質さえも違う、別人になってしまったわけではないのだと。

 でも、私の思考とは違う何かが、それを認めようとしてくれない。

 受け入れたくないと拒絶してしまう。

 

「なんなんですか、もう……」

 

 わからない。

 なにがわからないって、自分という存在がわからない。

 どこにも自分の居場所はないんじゃないかという気さえしてくる。そうやって、負のスパイラルに陥っていると──

 

「おいおいなんだよ、こんなところで蹲って」

 

「ぴぇ!?」

 

「お前一年生か? ここは俺たち三年生の階だ。とっとと帰んな」

 

 顔を上げると、そこには二人の男の人がいました。坊主頭とソフトモヒカン頭の先輩です。ま、またヤンキーじゃないですか!? やっぱり今日の私の運勢最悪です! 厄日です!

 どちらも体格が大きいのに加えて、私はその場に座り込んでしまっていたので、凄い威圧感に震えるしかありませんでした。

 

「ご、ごごごごめんなさいっ! す、すぐにどっか行きますので!」

 

「ったく、俺たちは忙しいってのによお」

 

「全くだぜ。新入生ってのは気楽でいいよな」

 

「うう……」

 

 先輩たちの嫌みたっぷりの言葉に、私は小さくなるしかない。

 そういえば、三年生は受験勉強に集中するために、午後の授業がない日があるという話を聞いたことがある。だから誰もいなかったんですね。……あれ? じゃあなんでこの人たちはここにいるんでしょう?

 

「あ、あの」

 

「ああ? なんだ一年坊主。俺たちは忙し──」

 

 その時でした。

 廊下の天井から、何かがバコンと外れる音が響いたのは。

 私たちの視線が一斉にそっちを向くと、

 

「おい先輩方、なにやってんだよ……!」

 

 その人は開いた通気ダクトの中から飛び出し、廊下に着地した。

 ……え? なんでそこから……?

 現れたのは、埃まみれの制服に身を包んだ吉井先輩でした。

 

「なんだこいつ!? どこから出てきて……!?」

 

「くたばれえええええ!」

 

「どわああああ!? いきなりなにすんだテメエ!?」

 

 そして、二人の先輩に殴り掛かっています。

 ……え? えっと、なにがどうなっているんですか!?

 

「問答無用! 二人掛かりで一年生の女の子を襲おうなんていうゲス共を見過ごせるか!」

 

「はあ!? なに言ってんだお前!?」

 

「見ろ! 彼女の制服ははだけていて!」

 

 それはさっき怖い三つ編みの先輩から逃げるために全力ダッシュしたからですね。

 

「しかもその場にへたり込んで涙を流していて!」

 

 それは昔を思い出してちょっと悲しくなっちゃったからですね。

 

「しかもアンタらの髪型は坊主とモヒカン!」

 

 それは……そうですね。

 

「これが強制猥褻行為の現場じゃなかったらなんだって言うんだ!」

 

「ちょっと待て髪型は関係ないだろ!?」

 

 ……もしかしてこの人、とんでもない勘違いをしていませんか!?

 

「おい誤解するな! 俺たちはただ教科書を取りに戻ってきただけで──」

 

「死にさらせ変態コンビ!!」

 

「こいつには聴覚という器官が存在しないのか!?」

 

 吉井先輩はどこからともなく千枚通し(!?)を取り出したかと思うと、それでペットボトルの蓋に穴を開け、中身を勢いよく噴射させた。

 

「汚物は消毒だぁー!」

 

「だから聞けって──ギャアアアアア目があああああっ!?」

 

「夏川ぁー!? テメェ! なにしやが──これ塩水じゃねえか!? ち、畜生! 鼻に入りやがったッ! 痛ええええ!?」

 

 塩水まみれになりながら顔を押さえてのたうち回る二人の先輩たち。

 え、ええ……? なんなんですかこの状況!?

 

「千咲ちゃん! 今のうちに逃げるよ!」

 

「ま、待ってください! 吉井先輩、貴方はとんでもない勘違いを」

 

「しっかり掴まっててね!」

 

「して……って、えええええええええ!?」

 

 誤解を解く前に、吉井先輩は私の肩と足を支えて、ひょいっと抱え上げてしまいました。

 こ、ここここ、これっていわゆる、お、お姫様だっこの体勢じゃないですか!? なんで!? どうしてこのような事態に!?

 私は理解が追いつかぬまま、ただ吉井先輩の腕の中でジタバタしていると、彼は転がる二人の先輩を尻目に窓をガラッと開け放ち、そこの窓枠に足を乗せて、

 

「よよよ吉井先輩!? ここ四階ですよ!?」

 

「だぁぁーっしゃぁーっ!」

 

「お願いですから人の話を聞いてくださ──きゃああああっ!?」

 

 勢いよく踏み込んだかと思うと、躊躇なく窓から飛び出してしまいました。なんてダイナミックな飛び降りなのでしょう。

 というか普通に死ねます! 私、高校一年生にして死んでしまうんですか!? 天使なのに!?

 思わず目を瞑る──が、一向に衝撃はやってきませんでした。

 恐る恐る目を開くと、吉井先輩は校舎裏の大きな木の枝に着地していました。

 

「へへっ。いつでも鉄人から逃げられるように避難経路は幾つも確保してあるんだ。千咲ちゃん、怪我はない?」

 

 そう言って。

 吉井先輩は私を抱えたまま、やっぱり屈託のない笑顔を見せた。

 思わず顔に熱が集まる。

 な、なんなんでしょう、この気持ちは……胸がすごくドキドキして、頭に血が駆け巡って、拳をこの人の顔に叩きつけたくなる気持ちの正体は──これ怒りです!

 

「なに考えてるんですか!?」

 

「へ?」

 

「へ? じゃないですよ! バカなんですか!? 先輩、バカなんですか!?」

 

「この子先輩に対して二回もバカって言ったぁ!?」

 

「言いましたとも! もっと言ってあげましょうか!? 先輩のバカ! バカバカバカバカバカバカバカバカバ!!」

 

「途中からカバになってるよ!?」

 

「そうです! 吉井先輩はバカでカバなんです!」

 

「違うよ!? 僕は人間だよ!?」

 

「いいえ違いませんっ! 先輩はカバーです!」

 

「遂に生き物ですらなくなった!?」

 

 私は両手でポカポカと先輩の胸を殴りつけながら、そんな罵倒を繰り返します。正直、自分でもなにを言ってるのかを理解できていません。ただ渦巻く自分の感情を暴走させて、癇癪を起こしていました。

 そんな私を、吉井先輩は困ったように笑いながら、それでも支え続けてくれる。さっきは大暴れしたかと思えば、今度はそんな余裕を見せて……本当になんなんですかこの人は!?

 

「い、意味不明ですっ! 理解不能ですっ! なんであんなことしたんですか!? 説明を要求します!」

 

「説明って……理由なんかないよ」

 

「それでも何かしらのきっかけはあったはずでしょう!? 先輩がバカだから以外で!」

 

「き、きっかけ。うーん……それは多分、君が泣いていたから、かな」

 

「…………へ? それだけですか?」

 

「うん」

 

 色々なものでぐちゃぐちゃになっていた頭が、一瞬で真っ白になった。

 それだけ?

 つまり、顔見知りとも言えないような人が泣いているのを見て、自分の損得勘定を無視して飛び込んできてくれたってことですか?

 あの怖そうな先輩たちに目を付けられたかもしれないのに? あんな風に身体を張って?

 

「……やっぱり、先輩はおバカさんなんですね」

 

「あはは、よく言われるよ」

 

 拍子抜けしたからか、なんだかどっと疲れが押し寄せてきました。

 もう、さっきの重大な誤解を解くことさえ面倒になってしまうほどに。

 私は自分のポケットに手を突っ込んで、そこから一枚のハンカチを取り出し、先輩に押し付けます。

 

「あの、これ、落とし物です」

 

「え? ああっ、僕のハンカチ! 探してたんだよ! ありがとう見つけてくれて!」

 

「い、いえ」

 

 そうやって吉井先輩は、また子供みたいに笑う。

 こ、この人、やっぱり目に悪いです。何故だか心拍数が上がってしまうので。

 それに全然人畜無害ではありませんでした。この人の危険度をAプラスに修正です……!

 

「と、ところで、吉井先輩……そろそろ下してほしいのですが……」

 

 高校生でお姫様抱っこというのは正直、かなり恥ずかしいのです。

 吉井先輩は気まずそうに目を逸らしてから言った。

 

「……うん。そうしてあげたいのはやまやまなんだけどね」

 

「?」

 

「さて、どうやってここから降りようか……」

 

「考えてなかったんですか!?」

 

 さっき避難経路がどうとか言ってませんでしたっけ!?

 この人やっぱり思考回路に重大な疾患を抱えているのでは!?

 

「くっ、こうなったら紐なしバンジージャンプを敢行するしか……!」

 

「なに血迷ったことを言ってるんですかぁ! やっぱり先輩、ただのバカですね!?」

 

「大丈夫! 人間本気になれば割となんとかなるものさ!」

 

「う、嘘ですよね? 冗談ですよねっ? ま、まさか──きゃあああああああああ!?」

 

 今日、私は生まれて初めて、高所から二度もドロップしました。

 

   ○

 

「えーっ!? 天真先輩、今日学校にいなかったんですか!?」

 

「ネトゲでどうしても外せないイベントがあってな」

 

 放課後。

 私は上の空で午後の授業を乗り切った後、ダッシュで天真先輩のお宅を訪れていました。そして今、衝撃の事実を明かされて打ちひしがれているところです。

 

「おおふ……」

 

「ケータイで連絡してくれればよかったのに」

 

「あ、いえその、携帯電話を家に置いてきてしまいまして……」

 

「ケータイなんだからちゃんと携帯してやれよ……お前ほんとドジだな」

 

「うぅ……すみません」

 

 がくりと項垂れる私を、天真先輩は不憫そうな目で──見ていませんね。先輩の視線は常にノートパソコンの画面に固定されています。

 

「っていうか、お前なんでそんなに汚れてんの?」

 

 そう言われて、私は自分の身なりを見下ろす。文月学園指定の制服にマフラーを巻いただけの極めてシンプルな格好です。でした。

 つい先ほどまで新品同然だった制服は、今やワイルドさ溢れる物に大変身していました。

 

「えっと、これには深い事情がありまして……」

 

「ふーん。原因はFクラスか?」

 

「なんで分かったんですか!?」

 

「だって見覚えがありすぎるし」

 

 そんな天真先輩の言葉に、私は驚愕を隠せませんでした。まさか二年Fクラスではあれが日常茶飯事なんですか!?

 天真先輩は床に転がってパソコンに集中しているので、手持ち無沙汰な私は部屋の掃除を行う。まあ月乃瀬先輩が毎週のように整理整頓し、天真先輩が毎週のように跳梁跋扈するこの部屋は、そんな謎のサイクルが形成されてしまっているので、私はゴミの片づけをするくらいですが。

 しばらくそうしていると──ピンポーンと、部屋のチャイムが鳴った。

 

「おお、やっと来たな」

 

「なにがですか? 天真先輩」

 

「助っ人。タプリス、悪いけど出てくれ」

 

「はあ……」

 

 私は廊下を抜けて鍵を開けるとそこには、

 

「ごめんガヴリール! 須川くんと決着をつけてたら遅くなっちゃ──あれ? 千咲ちゃん?」

 

 また会いたかったような、会いたくなかったような、そんな複雑な感情を抱く相手、吉井先輩がいました。

 

「なっ……! よ、吉井先輩……!?」

 

「遅いぞ明久! 私はもう腹ペコなんだ! 早く栄養プリーズ!」

 

「オッケー!」

 

 そう言って、弧を描くようにして吉井先輩から天真先輩の手に渡ったのは、凄く見覚えのあるペットボトルでした。

 

「よ、吉井先輩! まさか天真先輩に塩水を飲ませる気じゃありませんよね!?」

 

「うん? ああ、大丈夫だよ千咲ちゃん」

 

 そう言って朗らかに笑う吉井先輩。良かった、あの塩水は攻撃用(?)のものだったんですね。

 

「ガヴリールは女の子なんだから、ちゃんと砂糖水が入ってるよ!」

 

 前言撤回です! この人は女の子を舐め腐っています! 女の敵です!

 しかし女子力が皆無な天真先輩は砂糖水をごくごくと流し込みながら、私たちをちらりと一瞥して言いました。

 

「なに? お前ら知り合いだったの?」

 

「今日の昼休みにちょっとね」

 

 アレはちょっとというレベルを軽く超越している気がします。

 

「って! そんなことはどうでもいいんですよ! なんで天真先輩の家に吉井先輩が!?」

 

「隣人」

 

「…………はい?」

 

「だから、こいつの家はここの隣なんだよ」

 

 私はダッシュで玄関を飛び出し、お隣さんの部屋の表札を確認します。

 そこには『吉井』と刻まれていました。

 

「……ふふふふ、ふふっ」

 

 自分でも、ちょっと驚くくらい低い嗤いが漏れてしまいました。

 私は覚束ない足取りで天真先輩の家へ戻り、吉井先輩の元へ向かいます。

 

「……吉井先輩」

 

「ん? なにかな、千咲ちゃん」

 

「貴方を処刑しますっ!」

 

「なんで!?」

 

「あ、間違えました。貴方を断罪しますっ!」

 

「多分同じ意味だよねそれ!?」

 

「うるさいです! 先輩への積もりに積もったこの恨み! 必ずや晴らさせていただきますっ!」

 

「僕が君に何をしたっていうんだ!?」

 

「貴方は私の敵ですっ! 天真先輩を更生させるという私の目標にとって、吉井先輩は間違いなく障害となる存在です! 今日は大人しく退いてあげますが、次は容赦しませんので! 覚悟しておくことです、抱き枕カバー先輩!」

 

「抱き枕カバー先輩!? ちょ、ちょっと待って! その呼び方だけは勘弁してぇ!?」

 

「うわあああああんっ!」

 

「ち、千咲ちゃん! 待ってくれ千咲ちゃーん!」

 

「……最近の若者は、なに考えてるのか分かんないッスね」

 

 この日、私は家に着くと、下界で初めてバタンキューというものをやってしまいました。

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