「大悪魔サタニキアと!」
「……………………駄天使ガヴリールの」
「天魔小噺!」「……」
「ってちょっとガヴリール! タイトルコールくらいやりなさいよ! それとも、この私を前にして声も出ないのかしら?」
「はあ、なんで私の相方がサターニャなんだ。そもそも、このコーナー自体必要か?」
「フッ、これだから天使は。浅はかなのよね。いい? 天使と悪魔は古来より対立する運命にある。つまりこれは、大悪魔である私と天使であるアンタが決着をつける為の舞台! 今こそ雌雄を決する時よ、ガヴリール!」
「いや絶対違うだろ。小噺の意味知ってるか?」
「細かいことは気にしない、それが大悪魔の生き様よ!」
「お前は重要なことも気にしてないだろ。だから観察処分者にされたんだよ」
「どうやら私の悪魔的カリスマの前では、教師の連中も恐怖せざるを得なかったようね。奴らさえ屈服させれば、文月学園など支配下も同然! 人間界征服の日も近いわね! なーっはっはっはっは!!」
「聞けよ人の話。というか、鉄人がいる限りこの学園の支配とか絶対無理だろ」
「グッ……痛いところをついてくるわね、さすがはガヴリール! でも、今は無理だとしても、いつの日か必ずや鉄人に勝利してみせるわ! 大悪魔サタニキアの名に懸けて!」
「あほらし。勝手にやってろよ」
「クククッ、近いうちに目に物見せてやるわ。私とサタニキアブラザーズが手を組めば無敵! 首を洗って待ってなさい、鉄人!」
「……おい、なんだそのサタニキアブラザーズとかいうアホ丸出しのやつは」
「決まってるじゃない。この私の弟子にして眷属である吉井のことよ!」(※第八話参照)
「は?」
「かつてはラフィエルも所属していたわ、忠誠心が足りなかったから破門にしたけどね。その点、吉井は優秀ね! 人間であることが勿体ないくらいだわ。もし悪魔に生まれていれば、この私と共に魔界の頂点に君臨していたでしょうに」
「……」
「ガヴリール、アンタもこの私の軍門に降るというのなら、サタニキアブラザーズの一員に加えてやってもいいわよ? 頭を下げて今までの蛮行を詫びるというのなら許してあげなくもなぐふぅっ!?」
「少し黙れ。今、私は冷静さを欠こうとしている」
「なんてことすんのよ! 脳天かち割れるかと思ったじゃない!」
「そのつもりだったよこの石頭。明久は私の信徒なんだよ。アイツにちょっかい出したら滅ぼすぞ」
「その程度の脅しにこの私が屈すると思う? 今に見てなさい、この借りは必ず返して──」
「あ、今回もうお前の出番はないから」
「……はあ?」
「じゃあなサターニャ。補習がんばれよ」
「ちょ、どういうことよ! ……うげっ、鉄人!? ど、どこへ連れて行く気!? 離せぇー! 補習は嫌ぁぁぁー!」
エンジェル珈琲。
それは、駅前の通りに店を構える、個人経営の小さな喫茶店である。
豆に凝っているマスターの淹れる珈琲と店内の落ち着いた雰囲気の評判はとても良く、多くの常連客が通う密かな人気店だ。
そんな、地元の隠れ家的スポットである平和な喫茶は今──
「店員さん、オーダーお願いしまーす」
「はいっ!」
「こっちもよろしく頼むよ」
「うっす!」
「お嬢ちゃん、おしぼりを貰えないかな?」
「し、少々お待ち下さいっ!」
「天真くん! 三番テーブルにタマゴサンドとナポリタンを運んでくれるかな?」
「り、了解ッス!」
めちゃくちゃ大繁盛していた!
○
「──ガヴリール、大丈夫!?」
カランコロンとドアを鳴らしながら入店すると、そこには物凄く機敏な動作で勤労に励むガヴリールの姿があった。
ここはエンジェル珈琲という駅前にある喫茶店で、ガヴリールのバイト先だ。無言メールに添付されていた地図を元に、僕はここまでやってきたのである。
(よく来てくれた明久! 見ての通り今日は大繁盛なんだ! とてもじゃないが手が足りん! ヘルプに入ってくれ!)
うーん、喫茶店の制服姿もかわいい。
僕が見惚れていると、ガヴリールは接客をしたまま僕にアイコンタクトを送ってきた。普通に会話する時間もないほどに忙殺されているということだろう。僕は小さく頷いてから、アイコンタクトを送り返す。
(わかった! 予備の制服がどこにあるか分かる?)
(奥のロッカールームだ! 詳しくはそこのマスターに聞いてくれ)
彼女が視線を送った先には、熟練された動きで珈琲を淹れ続けるダンディーなチョビ髭のおじさんの姿があった。あの人がこの店のオーナーであり、ガヴリールの言うマスターなのだろう。
(了解! すぐ着替えてくるからもう少しの間持ちこたえて!)
学生服のブレザーを脱ぎながら、僕はカウンターの方へと小走りで向かう。そんな僕の姿に気づいたのか、マスターは一度手を止めて温和な笑みを浮かべた。
「はじめまして。君が天真くんの言っていたヘルプに入ってくれる子かな?」
「吉井明久です! よろしくお願いします!」
「うん。こちらこそよろしくね。見ての通り、今日はとても忙しくてねえ、すごく助かるよ」
そんなマスターの言葉に釣られてもう一度店内を見回す。よく観察してみると、お客さんは中学生くらいの子とその母親らしき人という、親子連れの姿が多いように見えた。もしかして、文月学園の学校説明会参加者かな? この辺には他に喫茶店はないし、なるほど混雑するわけだ。
「僕の予備の制服がそこのロッカールームに置いてあるから、それを使ってね」
「わかりました。すぐ戻ってきます!」
珈琲をカップに注ぐマスターを尻目に、スタッフオンリーと書かれた扉を開いて中に入る。カバンと脱いだ制服を空いていたロッカーに投げるように突っ込み、置かれていた店員の制服を掴んだ。
「……ってあれ? この制服、僕にはちょっと大きすぎる……!」
マスターはかなりガタイが良かったので、制服がダボダボになってしまう。雄二ほどの体格があればピッタリのサイズだったかもしれないが、僕の身の丈にはあまりにも合っていない。
「こ、これはまずいぞ……! 店長に相談を──」
その瞬間、先程の忙しそうな二人の姿が脳裏を過る。ただでさえ時間がないというのに、これ以上手を煩わせる訳にはいかない。ここは僕が自分でなんとかしなくては!
まず、学生服を代用品として用いるという案を思いつく。が、それは即座に却下する。色や素材が別物で、店内の雰囲気にそぐわないからだ。お客さんとして訪れるのなら全く問題ないだろうが、店員がこの格好では浮いてしまい、空間の調和を見出してしまう。
次にベルトでズボンを締め付けてなんとかずり落ちるのを抑えようとしてみる。これなら確かに着ることはできた。だが、鏡に映る自分の姿はとてもだらしなく、店員としてはありえない格好であるとひと目で理解する。
くっ、ここは迷惑を掛けてでもマスターに声をかけるべきか──そう思った瞬間に、視界の端にあるものが見えた。僕は少しだけ躊躇してから、意を決してそれを手に取り、サイズを確認する。
「……これしかないッ!」
僕は自分のプライドをかなぐり捨て、ロッカールームの扉を開いた。
○
(吉井くん、ちゃんと着替えられただろうか。少し小柄な男の子だったからねぇ、私の制服ではサイズが大きすぎたかな?)
珈琲の抽出を行いながら、マスターは思案する。ガヴリールから紹介されてヘルプに入ってくれた吉井明久という名の少年についてだ。
マスターはまだ彼のことを殆ど知らないが、先程のちょっとした会話だけで、人当たりの良い礼儀正しい少年であると感じていた。
(天真くんは少し変わったところはあるが、とても優しい子だ。そんな彼女のお友達であるのなら、きっと彼も良い子なんだろう)
必死な様子でオーダーを確認している金髪少女の後ろ姿を眺めながら、マスターは柔らかい笑みを浮かべる。ガヴリールの友達である女の子たちが店を訪れたことはあるが、異性の友達がやってくるのは初めてだった。それもアルバイトのヘルプを頼める相手となると、結構仲が良いのだろう。
(若いってのはいいねぇ、青春だねぇ)
そんな感傷に浸っていると、ロッカールームの扉が開き、件の吉井少年が着替えて戻ってきた。
「すみません、お待たせしました!」
「ありがとう吉井くん。早速で悪いんだけど──」
注文を聞いてきてくれるかな、と続けようとして、絶句した。
男性であるはずの吉井少年が、女性用の制服を身に包んで現れたからだ。女性用なので、当然下はスカートである。
「あ、あれぇ!? どうしてそうなったのかな!?」
「任せてくださいマスター! 早速注文を伺ってきます!」
「あ、うんお願い……って違うよ!? いや確かにお願いしようとは思っていたけれど、その前に君は色々間違えているよ!?」
主に間違えているのは性別だ。
「明久! 二番テーブルのオーダー確認と、五番テーブルの清掃頼む! 私は注文の品を運ぶ!」
「了解!」
「いや天真くぅん!? 真剣に働いてくれているのは嬉しいけれど、そこは突っ込むべきだよね!? 平然と流していいところじゃないよね!?」
明久の格好をスルーして労働に勤しむガヴリールの姿勢にマスターは鋭いツッコミを入れる。そんなマスターに対して、ガヴリールはどこか悟ったような表情で返した。
「マスター、深く考えちゃダメっす」
「どういうことだい?」
「バカのしでかすことなんて、常人が理解しようとしても無意味ですから」
「そ、そうかい……」
にっこりと破顔するガヴリールの姿には、とても含蓄があった。
○
マスターが感じた不安とは裏腹に、明久が入ったことで店の回転率は大きく向上した。ホールが二人に増えたことによって、マスターが調理に集中できるようになったからである。
どうにか山場を切り抜け、お客さんが一段落ついた頃、空いたテーブルにカヴリールは突っ伏した。
「つ、疲れた……。もう一生分働いた気分だぞ」
「お疲れガヴリール。お客さんも減ってきたし、僕も慣れてきたから、休んできてもいいよ?」
「それがいい。天真くんにはずっと無理をさせてしまったからね。休憩にするといい」
「あーい……」
ノロノロとロッカールームの奥へ入っていくガヴリールを見送ってから、マスターは隣に立つ少年に向き合った。顔立ちは決して悪くない。目や鼻も整っているし、切り揃えられた髪型もよく似合っている。だからこそ、女装をしている姿がより強調されてしまい、巨大な違和感を生み出していた。
「なんとか捌き切れましたね、マスター」
「う、うん。そうだね。二人のおかげだよ」
「いや、僕なんて迷惑かけてばかりで……ガヴリールはやっぱり凄いです」
接客業に携わり二十年。その道のプロであるマスターから見ても、明久の動きは非常に的確なものだった。それに、ガヴリールとの息も非常に噛み合っていて、仕事の効率が何倍にも増しているように感じた。
(……本当に女装姿でなければ、完璧な接客だったのにねぇ)
至極残念極まりない。とはいえ、これは男性用制服のサイズを複数用意しておかなかった自分にも非はある。一生懸命働いてくれているこの少年を責めるなんてことは、心優しいマスターには出来なかった。
「ところで話は変わるが吉井くん。君も天真くんと同じ文月学園の生徒さんなのかな?」
「あ、はいそうです。ガヴリールとはクラスメイトです」
「そうかぁ。いやぁ、あの進学校に通っているなんて、君も天真くんも頭が良いんだねぇ」
「え、いや、えっとそれは……」
どう答えるべきか悩んでいる明久に対し、マスターは首を傾げている。言えない。落第寸前の最低クラスに籍を置いているだなんて。
──カランコロン
そんな時、店のドアが開き、二人のお客さんが入ってきた。
「どうやら新しいお客様のようだね。吉井くん、対応してもらえるかな?」
「はいっ、任せてください、マスター」
純朴な笑みを浮かべて頷き、お客さんの方へ掛けて行く少年の背中を見送る。
未来ある若者の姿。彼らが今この時、自分の店で働いてくれているという事実は、マスターにとって至上の喜びだった。
○
小走りでお客さんの方へ向かうと、見慣れた文月学園の制服に身を包んだ女子生徒二人が入店していた。
「いらっしゃいませっ」
「あの、二人なんですけど大丈夫ですか?」
「はい。それではお席の方にご案内します」
「……あら? 貴方は吉井さんではないですか?」
「いやいやラフィ、この店員さんは女の人よ? スカートを穿いているじゃない」
「ヴィーネさん、スカートを穿いていれば女性という短絡的な考えは捨てるべきだと思います」
「そうだよ月乃瀬さん。やむを得ない事情があって、女装しなくちゃならない人だっているんだから」
「あれっ!? 今のって私が責められる流れだった!? っていうか本当に吉井くんだし!」
入店してきたのは、よく知る同級生の女の子たちだった。
月乃瀬さんと白羽さん。共にAクラス所属の才女であり、ガヴリールの友達でもある二人だ。
「うふふ、吉井さんは本当に期待を裏切らない方ですね。一枚写真を撮ってもよろしいですか?」
「うーん……白羽さんの写真を僕に撮らせてくれるならいいよ」
「なるほど、等価交換ですか。妥当な所ですね。では、可愛く撮ってください♪」
「任せて! ムッツリーニから賜ったこのカメラテクで君を
「え、これってついていけない私がおかしいのかしら……?」
いや月乃瀬さん、君はまともだと思う。それはそれとして、白羽さんの可憐な姿をシャッターに収めなければ……! うまく撮れれば、ムッツリーニとの交渉に使える!
「よ、吉井くん……? お客様をお席にご案内してもらってもいいかな……?」
マスターの困惑が混じった声で、僕はようやく意識を白羽さんの姿から外す事に成功した。
「あ、すみません。じゃあ、月乃瀬さんと白羽さん、この席を使ってね」
「ありがとう吉井くん」
「ありがとうございますっ♪」
「違うよ白羽さん。僕はこの席を使ってと言ったのであって、僕を席として使えって言ったわけじゃないんだよ?」
なんだかデジャブを感じる流れだ。
僕はまたしても白羽さんの椅子にされていた。この姿勢もすっかり板についてきたものである。
「よ、吉井くん!? 確かに案内しろとは言ったけど、そこまでしろとは言っていないよ!?」
「あ、違うですマスター! 誤解なんです! これは白羽さんの趣味で──」
「吉井さん、飲食店の店員さんが床に手を付くというのは衛生的に如何なものかと……」
見上げると、白羽さんはいつの間にか普通の椅子に着席していた。しかもまるで僕を汚物でも見るかのような目で見下しながら。
「なんという変わり身の早さ! くそぉ! 手を洗ってきます!」
「い、いってらっしゃい……」
「……アンタ、あんまり吉井くんを弄りすぎるとガヴに怒られるわよ?」
「すみません。分かってはいるのですが、こればっかりはやめられませんしとめられません♪」
「スナック菓子感覚なの!?」
○
月乃瀬さんと白羽さんの注文の品をテーブルまで運び終え、僕の仕事はなくなった。
一応勤務中の身であるため、お客さんである二人と話すわけにもいかない。さっきまでが激務だったこともあり、とても手持ち無沙汰だ。
そんな、一旦僕もロッカールームに戻って、ガヴリールに二人が来店したことを伝えに行こうかとした時である。
カランコロンという、今日だけで五十回は聞いたであろう音が耳に届いた。
「いらっしゃいませー」
殆ど条件反射でそう返す。やってきたお客さんを見ると、これまた二人だった。
「……二人です、空いてる?」
「翔子! いい加減この首輪外しやがれ! 俺は茶ぁ飲むくらいで逃げたりしねぇ!」
「……ダメ。そうやって油断させるのが、雄二のいつものパターン」
いや、正確には一人と一匹かもしれない。
そこにいたのは、よく知る悪友の坂本雄二と、その幼馴染である霧島翔子さんだった。
「やあ、霧島さん。また会ったね」
「……吉井? このお店で働いてたの?」
「うん、今日だけのヘルプだけどね。あ、席はこちらになります。どうぞごゆっくり、お似合いのお二人さん」
「……ありがとう。吉井は良い人」
「いや待て翔子! 働いているのはいいにしても、まずこいつの格好にツッコミを入れるべきだ!」
「良かった! 同じ考えの人がいた!」
雄二のツッコミに対してぐっと拳を握る月乃瀬さんの姿が視界の端に映る。残念だけど月乃瀬さん、このゴリラ男はぶっちぎりで頭のおかしい奴だから、あんまりアテにしないほうが良いと思うよ。
「はあ、雄二さぁ。せっかくの霧島さんとのデートなんだから、僕なんかの相手してないで、彼女をもてなそうっていう甲斐性はないの?」
「……彼女だなんて(ポッ)」
「さっきまでの姿を見ておいて、よくもまあ上からそんなことが言えるもんだな……! てかデートじゃねぇ!」
照れで頬を赤らめる霧島さんと、怒りで頬を赤らめる雄二。方向性は違えど、やっぱりお似合いだよなぁこの二人。
まあ、とはいえ後日雄二に死の裁きを与えることは確定した訳だけど。本当は今この場でその喉を掻き切ってやりたいところだが、霧島さんの淡い恋心に免じて許してやる……!
「それで、ご注文は?」
「……私はエスプレッソ」
「俺はウィンナーコーヒーだ。とっととしろ」
「かしこまりました」
注文を受けて、それをマスターに伝える。するとマスターは丁寧かつ繊細、それでいて無駄のない動作で珈琲をドリップしていく。珈琲特有の深みのある香りが、鼻腔いっぱいに広がった。
さっきまでは忙しくて気にしている暇がなかったけど、本当に良い香りだ。たまに眠気覚ましに飲むインスタントコーヒーなんかとは比べ物にならない。ここまでくるのに、どれだけの時間を掛けたのか、僕なんかでは想像もつかなかった。
「はい、エスプレッソとウィンナーだよ。吉井くん、お客様にお出しして」
「了解です!」
あのガヴリールがここでのアルバイトを続けられている理由が、なんとなく分かった気がした。
「あの、マスター」
「ん? なんだい吉井くん」
「……ガヴリールはちょっと、いや、かなり生意気なところもありますけど、でも優しい子で、半端な覚悟で働いているわけじゃないと思うんです」
ふむ、とマスターは静かに目を閉じる。
「だから、えっと、その……なんて言ったらいいのか……」
「大丈夫だよ。天真くんは本当に頑張ってくれている。吉井くんが不安に感じていることなら、何も心配いらないよ」
「そ、そうですか、いらない心配だったみたいですね、ははは……」
照れくさくなって、思わず頬を掻いてしまう。なんだか僕の考えることなんて全部お見通しって感じだ。これが大人なのかな。
「吉井くんと天真くんは、本当に仲が良いんだねぇ」
「どう……なんですかね。僕もそう思いたいです。でも僕は、ガヴリールに取り返しのつかないことを──」
そうだ。一年前の春。あの日のこと、あの時のこと。僕はずっと忘れていないし、ずっと後悔し続けている。許されたいわけじゃない。ただ、僕は……。
「……清濁併せ吞んであげるのも、友達の役目だと思うよ? 吉井くん」
「えっ?」
「人は多角的な生き物だからねぇ。言葉や数だけでは表せないよ。色んな天真くんがいて、色んな吉井くんがいて、それでいいんじゃないかな?」
あ、勿論勉強は大切だけれどね? と、付け足すことも忘れずに。マスターは目を細めて優しく笑った。
「……なんか、生まれて初めて負けたって思いました」
「んん? どういうことだい?」
その言葉に笑い返すだけで、僕は何も答えなかった。いや、正確には答えられなかった。マスターのような人に対して凄いと口にするのは、逆に失礼な気がしたからだ。
僕はトレイを持って、雄二と霧島さんのテーブルに向かう。雄二は苛立たしげに、人差し指でテーブルを叩いていた。
「遅ぇぞ明久。お前みたいな頭空っぽのバカが生意気にも人生相談か?」
「……吉井、悩みがあるなら聞く」
「ありがとう霧島さん。でも大丈夫だよ」
結局これは、悩みなんかじゃなく、僕の独り善がりに過ぎないのだから。
珈琲カップをテーブルに置くと、霧島さんはそれを優雅な所作で受け取り口に運ぶ。うーんなんて絵になる美少女っぷりなんだろう。
「……美味しい」
「確かにこりゃいけるな。うまいうまい」
優雅さも気品も欠片も足りていないゴリラが、呷るようにして珈琲を啜っていた。
「明久、おかわりを頼めるか? これ中々いけるわ」
「…………まえを……ろうか」
「あ? なんだ?」
「お前をウィンナーにしてやろうかァァァ!!」
「うぉぉ危ねぇ! お前そのボールペンの先端で俺に何をする気だっ!?」
「黙れ類人猿……! 貴様がいるとこの空間の調和が乱れるんだよッ! 大人しく息を引き取るがいい……!」
「はぁ!? いきなりなに訳のわからんことを言ってやがる! ってか、そんな格好のテメェに言われたかねぇ!」
「……今のは雄二が悪い」
「あらあら、いつものが始まってしまいましたね♪」
「全く、よく飽きないわよねあの二人も」
「……白羽に月乃瀬、いたんだ」
「はい。お二人の逢瀬の邪魔をするのは悪いと思いまして、隅っこで静かにしてました♪」
「……逢瀬(ポッ)」
「ねえ霧島さん。今度は木下さんや工藤さんも誘って、皆で来ない?」
「……楽しみ」
「吉井くぅん!? 飲み方は人それぞれだよ!?」
「休憩もらいましたー。……ってナニコレ? なんで休憩終わったらFクラス開幕してんの?」
「あー……まあ、ガヴの想像通りよ」
こいつだけは生かしておけない! 絶対に息の根を止めてやる!
「死ね明久ァ!」
「くたばれ雄二ィ!」
「二人共!? 店内で暴れるのはやめておくれ!?」
「「表で決着つけるぞオラァ!!」」
「ちゃんと聞いてくれるんだ!? そういうところは律儀なんだね!?」
僕のエンジェル珈琲での初バイトは、最終的に血の味がした。
○
「あの、すみませんマスター。制服汚しちゃって……」
「構わないよ。友達との殴り合いの喧嘩だなんて、いかにも青春って感じで良いじゃないか」
「いえ、アイツは友達なんかじゃありません。僕がこの世で最も憎んでいる相手です」
「そ、そうかい……」
闘争心をむき出しにする明久の姿に、マスターは若干引き気味な対応をする。彼の身体に刻まれた生々しい傷跡には手加減というものがまるで見て取れなかった。
「ね、マスター。だから言ったでしょ。バカのすることなんて、常人には理解できませんよ」
「う、うん。そうかも知れないね」
先程、人は多角的な生き物だと言ったのは自分だが、まさか身を以て体験することになるとは思わなかった。
「くそ、雄二の奴め。次こそは必ず始末してやる……!」
「馬鹿正直に正面から殴りかかるから勝てないんだよ。そこは睡眠薬とか盛ってからさ、お前が得意とする卑怯な手段で殺らないと」
「天真くぅん!?」
学生同士の喧嘩に睡眠薬を持ち出すのはリアリストが過ぎる、という言葉をマスターは飲み込んだ。ガヴリールの目の色が冗談には見えなかったからだ。マスターは底の知れない恐怖を覚えた。
「ま、それは置いといて。マスター」
「な、なんだい天真くん?」
「今日の分のお給料ちょーだい!」
目を輝かせて両手を差し出すガヴリールの姿は親戚にお年玉をねだる小学生のようだ。その目は見事に金欲一色に染まっている。
「あ、ああ、勿論。はい、どうぞ」
「っしゃぁ! これで課金が捗る!」
封筒を受け取って、飛び跳ねるようなガッツポーズを決める駄天使である。
「はい、吉井くんも」
「いやいやいや! 服も弁償しなくちゃいけませんし、受け取れませんよ……!」
「いいんだ。君は本当に頑張ってくれたからね」
「そうだぞ明久! 貰えるものは貰っておけ! そして私に恵んで!」
「……わかりました、ありがとうございます。あ、ガヴリールには恵まないからね?」
「何故だ! 私の信徒なら、天使たる私に献上すべきだろ!?」
「信徒になった覚えはないよっ!」
ギャアギャアと言い合いを続ける二人。そんな彼らをマスターは少し離れて見守っている。
「早速買いに行くぞ明久! 私、ちょうど欲しいゲームがあったんだ!」
「えっ、僕このお金は食料に充てようと思ってたんだけど!?」
「バカ! 食事なんて一瞬で終わっちゃうだろ! 何百時間も楽しめるゲームの方がずっと有意義だ!」
「うぅ、また僕の水道水と調味料だけの生活が始まってしまうのか……」
口調では落胆しつつも、その表情は楽しげな明久である。給料を受け取って帰ろうとする二人に、マスターは声を掛けた。
「吉井くん。今度はお客さんとして訪れるといい。狭い店だけど、自慢の珈琲をご馳走するよ」
その言葉に、明久はパッと笑う。
「はいっ、楽しみにしています!」
「おー。奢りとかマスター太っ腹っすね」
「奢りとは言っていないよ!? いや、奢るけどね!?」
そんなやり取りを最後に、二人は帰っていった。店の外からは、彼らの話し声が微かに聞こえていたが、やがてそれも聞こえなくなる。
「……随分、静かになってしまったねぇ」
先程までの喧騒が嘘のように、店内には静寂のみが広がっている。
「天真くんも、あんな風に笑うんだねぇ……」
しみじみと呟く。
マスターは知らない。二人がどういう過去を歩んできたかも、どんな事情を抱えているかも。
それでも。
「……いやはや、青春だねぇ」
自分で淹れた自慢の珈琲を、誰も居ない店内で飲む。
今日の珈琲は、なんだか少し甘い気がした。