バカと天使とドロップアウト   作:フルゥチヱ

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第六話 ランチタイム☆クライシス(後編)

「それじゃ、雄二やガヴリールには悪いけど、先に貰おうかなー」

 

 こんなにも沢山の料理があると、どれから食べようものか非常に迷う。

 まずは定番のおにぎりから行くか、それとも健康的にサラダから行くか……いや、せっかく姫路さんが作ってきてくれたお弁当なんだ。豪勢にエビフライから食べよう!

 そう思ってエビフライに手を伸ばす。

 

「…………(ひょい)」

 

「あっ、ズルいぞムッツリーニ」

 

 が、隣からすっと出てきたムッツリーニの手が、僕よりも先にエビフライを摘み取っていった。それをパクリと口の中に放り込み──

 

 バタン! ガタガタガタガタ

 

 まるで跳ねるように転倒し、不気味にも痙攣し始めた。

 

「……」

 

「……」

 

「……あら~」

 

 生気を失った表情で白目を剥くムッツリーニを見て、僕と秀吉は思わず顔を見合わせる。僕の上に座ったまま優雅にもティーカップを取り出し紅茶を嗜んでいた白羽さんも、顔を顰めて冷や汗を流していた。

 

「わわっ、土屋くん!?」

 

「…………(グッ)」

 

 姫路さんの驚いた声に、ムッツリーニは顔を上げて力強くサムズアップする。多分すごく美味しいのだと伝えたいんだろうけど、足は小鹿のように震えていて、僕には虚勢を張っているようにしか見えなかった。

 

「お口に合いましたか? 良かったですっ」

 

 両手をぐっと握って喜びを表す姫路さん。どうやらムッツリーニの虚仮の一心は功を奏したらしい。彼は満足そうな表情で、静かに倒れ伏した。

 ……さて。

 

「秀吉、白羽さん。どう思う?」

 

「……あれを演技とは思えぬな」

 

「だよね、ヤバいよね」

 

「……お二人とも、黄泉戸喫、というものを知っていますか?」

 

 小声で話す僕たちに、白羽さんが聞き慣れない単語を口にした。ヨモツヘグイ? なんだろう、響きからして食べ物に関連してそうだけど……。

 あ、もしかして、お肉の焼き加減のことだろうか。レア、ミディアム、ウェルダン、ヨモツヘグイ、みたいな。

 

「黄泉戸喫というと、あの世の飯を食べると、二度と現世には帰れなくなるというアレかの?」

 

 全然違った!

 

「はい。下界だと、古事記に登場する伊邪那岐命様と伊邪那美命様に関する逸話が有名ですが……姫路さんのこのお弁当からは、黄泉戸喫に似た、呪術めいたものを感じます」

 

 いつもの貼り付いたような笑顔はなく、至って真剣な表情で言う白羽さん。っていうか呪術って。姫路さん、君はこのお弁当に何を入れたんだい?

 

「難しいことはよく分からないけど、とにかく食べたらマズイってこと?」

 

「まあ、そういうことですね。……というわけで吉井さん、あーん♡」

 

「何ゆえ!?」

 

 お弁当からタコさんウインナー(のように見える何か)を箸で摘まんで、僕に向ける白羽さん。今食べたらマズイって言ったばかりじゃないか! さては僕を始末するつもりだな……!?

 

「いいじゃないですか。JK(女子高生)……いえ、JA(女子エンジェル)のあーんなんて中々体験できることではありませんよ?」

 

「食べたら天国送りなんて例え女の子のあーんでも嫌だよ!」

 

「あ、その点は大丈夫です。吉井さんは天国ではなく地獄逝きだと思いますので」

 

「もっと嫌だぁーっ!」

 

 確かに徳は積んでいないけれど! 最悪のカミングアウトだよ! しかも宣告したのが天使だから説得力あるし!

 

「白羽さんが食べなよ! 僕は胃袋に自信ないけど、天使なら平気でしょ!?」

 

「なっ、聖なる存在である天使にこのような物を口にしろと!? なんて恐ろしいことを……!」

 

「そうそれ! それが今、僕が君に抱いてる気持ち!」

 

 メンチを切り合う僕たち。白羽さんが無理矢理にでも僕の口に箸を押し込もうとしたところで、

 

「へー、こりゃ旨そうじゃないか。どれどれ?」

 

 雄二登場。

 僕らが止める間もなく、彼は卵焼き(のように見える何か)を素手で掴み、口の中に放り込んでしまった。

 

 パク バタン──ドシャガシャ! ガタガタガタ

 

 そして、手に抱えていた缶をぶちまけて、盛大に倒れた。

 

「さ、坂本!? どうしたの!?」

 

 一緒にやってきた島田さんが、様子がおかしい雄二へと駆け寄る。

 雄二は倒れたまま首だけを動かして、僕らにアイコンタクトを送ってきた。──毒を盛ったな、と。

 毒じゃないよ、姫路さんの実力だよ。そう返してやると、彼は血の気が引いた表情のまま震える唇を動かした。

 

「し、島田……姫路……、悪いが烏龍茶を買ってきてくれないか……? さ、さっき買い忘れてしまってな……」

 

 もはや呂律さえ上手く回っていない。それでもなお財布を差し出すことができたのは、雄二の鍛え上げた筋肉の賜物か。

 

「それはいいけど、アンタ本当に大丈夫なの?」

 

「た、多分、足でも攣っちゃったんじゃないかな! ほら、まるで凍死寸前のように震えているじゃないか!」

 

 矛盾脱衣でも始めそうな勢いで身震いする雄二。

 これは姫路さんの必殺料理によるものなのだが、勿論真実は黙っておく。いつだって正論は誰かを傷つけてしまうのだ。僕は姫路さんを傷つけるくらいなら雄二を犠牲にすることを選ぶ!

 

「わ、ワシも抹茶が飲みたい気分なのじゃ! 我が儘を言うようじゃが二人とも頼むぞい!」

 

「しょうがないわね……じゃあ行こ、瑞希」

 

「は、はいっ」

 

「では私はカフェオレとサンドウィッチで!」

 

 雄二と僕と秀吉の機転によって渋々ながら二人の女の子を死地から離脱させることに成功。

 ……白羽さんはただ二人をパシリに使っているだけな気がするが、彼女なりの優しさなのだろう、うん。というか、このタイミングで逃げることもできただろうに、それをしなかったのは白羽さんの天使としての矜持なのだろうか。いや、単に面白いものを見れると思っただけだろうけど。

 これでここに残っているのは僕と秀吉と雄二(瀕死)とムッツリーニ(意識不明)と胡桃沢さんと白羽さんだけとなった。二人やガヴリールが来る前にこれを処分しなければ……!

 

「明久! 次はお前が行け!」

 

「無理だよ! 鍛えてる雄二だったからともかく、僕の場合最悪死ぬ!」

 

「ワシもさっきのを見てしまうと決意が鈍るぞ……」

 

「ではこういうのはどうでしょう? 全員一つずつ料理を持って、一斉に食べるというのは」

 

「全弾命中のロシアンルーレットじゃねえか!」

 

「大丈夫です。このウインナーさんはセーフだったので(もぐもぐ)」

 

「それ噛んでるフリだよね!? 明らかに口の動きが不自然なんだけど!?」

 

「何よ、あんたたち食べないの? じゃあ私もらうけど」

 

 僕たちが醜い言い争いをしていたところ──隅っこの方でじっとしていた胡桃沢さんが、から揚げ(のように見える何か)を摘まんでひょいと食べてしまった。むしゃむしゃと咀嚼し、ぐいっと嚥下するのを、僕らは固唾を飲んで見守る。

 

「うっ……!」

 

 瞬間、呻き声を上げる胡桃沢さん。やっぱり悪魔でも駄目だったか!

 

「──美味しい!」

 

「へっ?」

 

 思わず変な声が出てしまった。

 

「外はゴリゴリ中はネバネバ、辛すぎるスパイスの風味と苦すぎる下味をつけた鶏肉が絶妙にマッチしているわ!」

 

「さ、サターニャさん、本当に大丈夫なんですか? 自殺衝動に駆られたりしてませんか?」

 

「胡桃沢! お茶には殺菌効果があると聞く! 大事に至る前に飲むのじゃ!」

 

「胡桃沢さん、同じ観察処分者として君のことは忘れないよ……!」

 

「ああ、お前は文月学園の歴史に名を刻むだろうぜ……!」

 

 本気で心配する白羽さんと秀吉。涙を流して胡桃沢さんの最期を見守る僕と雄二。僕らの思いは一つだった。

 

「はあ? 何言ってんのアンタたち、普通に美味しいじゃないの。姫路の奴、この私ほどではないけど中々やるわね!」

 

「そうですか~。ところでサターニャさん、ちょっと『あー』と発音してもらえないでしょうか?」

 

「今度は何? まあ、いいけど……あ──」

 

「「オラァァァ!!」」

 

「もがぁーっ!?」

 

 無防備にも口を開いた胡桃沢さんに姫路さん特製ポイズンクッキングを詰め込む僕と雄二。やはり僕たちの思いは一つだった。こういうのには適材適所ってものがあるよね!

 

「お主ら、存外鬼畜じゃな……」

 

 秀吉がなんか言ってるけど気にしない。

 

「ぷはぁ──なにすんのよ!」

 

「すげえ、アレをほんとに完食しやがった」

 

「サターニャさんの味音痴もここまで来ると尊敬に値しますね……いえ、それとも悪魔には黄泉戸喫は効果がないということでしょうか」

 

 冷静に分析する白羽さん。

 すると、屋上を出入りするための扉がギィと音を立てて開いた。そこから顔だけを覗かせているのは、見慣れたボサボサの金髪、つまりガヴリールだった。

 

「……何やってんのお前ら」

 

 呆れたような視線を僕らに向ける駄天使。本当に何やってるんだろうね。

 

「あら~ガヴちゃん、今日もやさぐれ可愛いですねー」

 

「おいラフィ、胸を押し付けるな」

 

「じゃあ乗せちゃいまーす♪」

 

「コロス」

 

 笑顔の白羽さんとは対照的にガヴリールは非常にうんざりとした様子だ。

 

「…………!(パシャパシャパシャ)」

 

「む、ムッツリーニ!? いつの間に復活して!?」

 

「…………これが、おちおち寝てられるか……! 明久、お前も手伝え……!」

 

 尋常じゃないほどの鼻血を垂れ流しながら、僕に小型のデジカメを差し出すムッツリーニ。

 た、確かに(見た目は)天使の二人がぐんずほぐれつしているというのは、高校生男子にとってはまさに桃源郷だ! 後で僕にも一枚譲ってくれ!

 

「っていうか、なんでお前がここにいるんだ? ラフィはAクラスだろ?」

 

「なに……?」

 

 と、これに反応したのはFクラス代表坂本雄二。あ、そうか。僕らの試験召喚戦争の最終目的はAクラスなんだから、Aクラスの一員とは当然関わりが少ない方がいいのだろう。

 

「まさか、新学期初日から試召戦争おっぱじめた俺たちFクラスに宣戦布告でもしようってのか?」

 

 警戒するように一歩下がって告げた雄二に、しかし白羽さんはあっけからんとした態度で返した。

 

「いえいえ、そんなことをする気はありませんよ。私に蟻を踏みつぶす趣味はありませんので」

 

「そりゃつまり、俺たちは虫けら程度って言いたいのか」

 

「ああ、そんなつもりではなかったのですが……時に吉井さん、よろしかったら水飴でもいかが?」

 

「ほんと!? わーい数日ぶりの糖分だー!」

 

 白羽さんが小瓶から垂らした水あめを口でキャッチする。今日昼食食べ損ねちゃったからね! いつもの僕なら屈しないけれど、今日は仕方がない! 蟻のように地べたを這い蹲ってやる!

 

「本当に蟻になってどうするのじゃ……」

 

「明久、お前は本当に自分の欲望に素直な奴だな」

 

 皆の視線が僕に突き刺さる。な、なんだよ! お腹空いてるんだからしょうがないだろ! ちょっとしたカロリーも無駄にできないよ!

 はっ、そうだ。明日からはまた月乃瀬さんにお弁当を作ってもらうようにお願いしなくっちゃ! 彼女には本当に申し訳ないけど、でもまた姫路さんがお弁当を作ってくるなんて言い出したら最悪だ!

 それに、姫路さんの必殺料理の威力を見た後だと、彼女の素朴なお弁当が滅茶苦茶恋しくなっていた。

 

「この気持ちをメールにして伝えないと……!」

 

 カチカチと携帯のボタンを打つ僕。文面はすぐに思いついた。

 

【月乃瀬さん、明日から僕のために毎日お弁当を作ってくれないか】

 

 これで問題はないはずだ!

 

「よし、送信!」

 

「明久、その書き方だとヴィーネに誤解されるんじゃ……」

 

「? 何か言った、ガヴリール?」

 

「……いや、お前がそれでいいなら、私は何も言わないけどさ」

 

 そう言って、ガヴリールはぷいっと顔を背けてしまった。

 ??? 僕、何か変なことしただろうか?

 

「じゃ、私は教室に戻りますね。Fクラスの皆さん、楽しいひと時をありがとうございました。次の標的がBクラスなのかCクラスなのかは知りませんけど、私個人としては応援してます♪」

 

 そう言い残して、白羽さんは屋上を立ち去る。

 だが、扉に手を触れる前、ちらっと僕らを一瞥して、

 

「──ですが歯向かってくるのなら、蟻さんといえど容赦はしませんので」

 

 まるで天使のように微笑み、彼女はAクラスへと帰っていった。

 

   〇

 

 二年Aクラス。文月学園第二学年における成績上位者五十人が集うこのクラスの教室は、通常の教室の六倍近くの広さがあるだけではなく、生徒個人にはノートパソコンや個人エアコン、冷蔵庫にリクライニングシートまで支給されており、まさに至れり尽くせりな環境と言えた。

 この教室は、成績上位者へのご褒美や成績下位者への見せしめとしての側面もあって、勉強意欲を向上させるためのものであり、Aクラス生徒はこれらを使用することに対し遠慮をする必要は全くない。

 ないのだが──彼女だけは、授業中も気も漫ろな様子で、なんだかずっとそわそわしていた。

 

(り、リクライニングシートなんて、初めて座ったわ……なんだか落ち着かない!)

 

 庶民派悪魔こと、月乃瀬=ヴィネット=エイプリルである。

 

(勉強なんて紙とペンがあればできるのに……むしろこんなに誘惑があったら、勉学の妨げにしかならないんじゃないかしら……?)

 

 ヴィーネの考察はある意味当たっていた。Aクラスは優秀な生徒五十人が配属されるクラスだが、その中においてもまた、学力の差というものは存在する。

 定期試験のランカーたち──誰に言われることなく常に学習意欲が高く、その意識も別格の学年主席霧島翔子や学年次席久保利光を筆頭とする上位十数名。対して、振り分け試験の対策を練りに練り、Aクラスに入ることだけを目標としてやってきたBクラスに毛が生えた程度のその他の生徒たち。彼らも決して意識が低いわけではないのだが、前者と比較するとその差は天と地ほどあった。実際、後者のグループは、早速与えられた豪華な設備の虜になっている。

 

(個人用のエアコンとか冷蔵庫とか……こ、これって電源切っても良いのかしら……? えっ、えい!)

 

 ただでさえ安い学費で通わせてもらっているというのに、これだけの設備を与えられることに(節約的な意味で)とうとう我慢できなくなってしまったヴィーネは、エアコンや冷蔵庫のプラグを次々とコンセントから抜いていく。その姿は周りから見ると異様な光景である。

 ブウウン……という悲し気な音を立てて、機械は停止した。

 

(ふう、やっぱり落ち着く)

 

 これでも一応、彼女は悪魔なのである。

 やがてプラズマディスプレイに表示された数式をカリカリと解いていると、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 

「では、こちらの問題は宿題とします。午後の授業は移動教室なので、遅れないように」

 

 学年主任兼Aクラスの担任教師である高橋女史がそう告げてから出ていくと、教室はにわかに活気づく。

 お昼休みなので、仲の良い友達数人で学食へ向かったり、お弁当を持ち寄って一緒に食べたり、といった具合だ。

 ヴィーネは几帳面にペンの芯を収めてから、それを一本一本大事そうに筆箱へしまっていると、彼女の席に二人の女子生徒がやってきた。

 

「やっほー月乃瀬さん。一緒にお昼食べない?」

 

「工藤さん、木下さん」

 

 先日仲良くなったばかりの二人だった。

 人当たり良さそうな笑顔で手を振っているのが、工藤愛子。色素の薄く明るい髪を短く切りそろえた、ボーイッシュな女の子である。

 その後ろで困ったような笑みを浮かべているのが、木下優子。気の強そうなツリ目と、濃い茶髪に黒いヘアピンが印象的な女の子だ。

 ヴィーネが微笑むと、それを了承の証として受け取った愛子は隣のシステムデスクに座った。

 

「ごめんね月乃瀬さん。愛子が勝手に決めちゃって」

 

「気にしないで。私も二人と、もっとお話ししたかったし」

 

「おー、月乃瀬さんは優しいね!」

 

 快活に笑う愛子を見ていると、あの赤髪の悪魔を思い出す。成績は月とすっぽんだろうけど。

 筆箱を片付けて、鞄からお弁当を取り出す。見ると、愛子の昼食は市販のお弁当、優子のはコンビニのサンドイッチだった。

 

「月乃瀬さんのお弁当美味しそうだねー。お母さん、料理上手なの?」

 

「自分で作ったの。私、一人暮らしだし」

 

 ヴィーネの母親は現在魔界で専業主婦をやっている。冬休みに定時報告で魔界に帰郷して以来、しばらく会っていないが、ちゃんとペットのチャッピー(イフリート)のお世話をしてくれているだろうか。

 すくすくと育ち──育ち過ぎてしまったチャッピーへ思いを馳せていると、愛子と優子の声によって意識を引き戻された。

 

「「えっ!?」」

 

「ど、どうしたの!?」

 

 何かおかしなこと言っちゃったかしら!? と悪魔らしくもなく狼狽するヴィーネだったが、二人は逆に羨望の眼差しを彼女に送る。

 

「すごいね月乃瀬さん! 高校生で一人暮らしって、羨ましいよ!」

 

「そ、そうなの?」

 

 興奮した様子の愛子に対し、ヴィーネはそんなもんだろうかと淡泊な反応を返す。というのも、彼女の周囲の連中は、自分以外にも単身で生活をしている者たちばかりだからだ。例えば、同じ悪魔であるサターニャ、天使であるガヴリールとラフィエル、それに吉井明久も一人暮らしをしている。

 だが実際のところ、高校生で一人暮らしというのはかなりのレアケースだろう。最もポピュラーなのは高校の寮生活だろうが、文月学園に寮は存在しない。なので、文月学園の生徒たちは実家から通う者が大多数だ。

 

「ほんと、アタシも早く自立したいわ。家にいると弟と喧嘩してばっかで……!」

 

 怒りを顔に滲ませ、ぐっと拳を握る優子。ヴィーネの知る優等生な彼女からは想像できない姿だったが、ストレスでも溜まっているのだろうか。

 

「……木下さんって、弟さんと仲悪いの?」

 

「……うーん。仲が悪いわけじゃないみたいだけど、弟クン、Fクラスだったんだって」

 

「……あー」

 

 納得である。

 木下姉弟は性別の壁を飛び越えてしまうほどに瓜二つだと聞いたことがある。そんな自分とそっくりな弟が、まさか学年最底辺のFクラスとなれば、完璧主義者の優子からしてみればこれほど目障りなものはないだろう。

 

「そういえば、ガヴとサターニャ、あと吉井くんもFクラスだったっけ」

 

 同時に、今日はお弁当は大丈夫だとガヴリールからメールが来ていたことも思い出す。なんでも、Fクラスの女の子が皆にお弁当を作ってきてくれるのだとか。懇篤な子もいるもんだとヴィーネは考えるが、それに自分も当て嵌まることには気づいていない。

 

「吉井クンって、あの観察処分者の吉井クン?」

 

「月乃瀬さんって、彼と交流あるの?」

 

 ほほうと意味深な視線を送る愛子と、げえっとうんざりした感じの視線を送る優子。学園初の観察処分者という不名誉な肩書を持つ彼を、優子は快く思っていないらしい。

 

「うーん……交流というかなんというか」

 

 自分と吉井明久の関係について考える。

 彼とはガヴリールを通じて知り合った。明久はガヴリールと同じマンションに住む男の子で、部屋も隣で歳も同じとあって二人はすぐ打ち解けたらしい。

 ヴィーネが明久と初めて会ったのは、ガヴリールが堕天した後のこと。いつものように彼女の部屋を掃除しに向かったところを、バッタリ鉢合わせした。彼はガヴリールに昼食を作ってあげる約束をしていたとのことで、ヴィーネも相伴に預かることになったのだ。明久は下界の伝統料理のパエリアという料理をご馳走してくれて、とても美味しかったのを覚えている。

 しかし、彼はそんなにも優れた料理の才能があるというのに、食費をギリギリまで切り詰めてゲームやサブカルチャーの為の資金に充ててしまうという悪癖がある。カップラーメンを小さなサイコロ状に裁断してその一欠片を今日の食事と言い張っているのを見た時は泣いて止めたほどだ。その時、あの駄天使と彼がとても仲が良い訳がなんだか分かった。類は友を呼ぶ、というやつだと。

 ……まあ、とにかく。

 彼との関係を一言で例えるのならば、そうだな。友達の友達、というのも今となっては違うような気もするし。

 

「ご飯を食べさせてもらったり、食べさせてあげたりする程度の仲かな」

 

 言ってから、あれ? なんだかこの言い方だと別の意味に捉えられてしまい兼ねなくないか? と気づくも、時既に遅し。

 愛子は興味津々といった感じで目をキラキラさせ、優子は驚愕に目を見開いていた。

 

「え!? えっ!? それってつまり、二人は付き合ってるってこと!?」

 

「ち、違うの! 今のは言葉の綾というか!」

 

「月乃瀬さん! 貴女には観察処分者なんかよりもっと相応しい相手がいるはずよ! 目を醒まして!」

 

「──工藤さん、木下さん、落ち着いて。月乃瀬さんが困っているじゃないか」

 

 二人に肩をぐわんぐわんされているところに助け舟を出してくれたのは、爽やかな短髪と誠実そうな顔立ちが特徴的な眼鏡男子、学年次席の久保利光だった。

 

「あ、ありがとう久保くん」

 

「気にしないで。……いや、それにしても知らなかったな。君と吉井くんは仲が良かったんだね」

 

 眼鏡に指を当てながら言う久保。なんだか威圧感があってちょっと怖い。

 

「ふ、普通の友達よ? 工藤さんが期待してるような関係じゃなくてね?」

 

「なーんだ」

 

「そうか……よかった、吉井くんはまだフリーなんだね」

 

 後半は小声で聞き取れなかったが、何故か久保はほっと胸を撫で下ろしていた。

 と、そんな時、不意にヴィーネの携帯の着信音が鳴る。

 

「あ、ごめんね」

 

 メールを開くと、送信者は件の吉井明久だった。なんだろう?

 

【月乃瀬さん、明日から僕のために毎日お弁当を作ってくれないか】

 

 その文面を読んで絶句した。いや、別に彼に他意はないのだろう。昨日と同じように、ヴィーネとガヴリールの分のついでに、自分のお弁当も用意してくれないか、ということだ。

 そういうことなら構わない。全然構わないのだが──今の話の流れでこの文面、絶対に誤解される!

 

「や、やっぱり! 二人はそういう関係なんだね!?」

 

「月乃瀬さん! 今ならまだ間に合うと思うの! 病院に行った方がいいわ!」

 

「そんなぁ吉井くぅん! 君の心はもう月乃瀬さんのものだっていうのかい!?」

 

「だ、だから違うんだってぇ! もう、吉井くんのバカぁー!」

 

 ヴィーネの叫びが教室中に響き渡る。彼女が苦労から解放される日は遠い。


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