Fate/Grand Ordar The lost memory 作:カラクリヤシキ
突然な話だが、皆さんは『うどん』と呼ばれている食べ物をご存じだろうか?
少し甘さを感じさせる鰹節が効いたつゆを大きめのお椀に入れて、コシの効いた食べ応えのあるうどんをそのつゆに浸したものだ。
それだけで『うどん』という食べ物になるが、そこに加えてサクサクと揚げたての天ぷらに新鮮なネギをそのうどんに乗せれば見栄えは勿論、美味しさがぐっと上がる大変美味な品になる。油揚げのあの甘味も素晴らしい。
もし、食べたことのない人が居るのなら今すぐ食べに行くことを勧めます。
因みに私は、旅先で見掛けたら食べないなんて選択肢は無いと言ってもいいぐらい食べています。大好物です。一番の食べ物と言ってもいい。
何故そんな話をするのか?なんて質問は、単純すぎて答える気にもならないーーーーなんたって答えは、私の目の前にあるんだから。
目の前にある大きな机に余すことなく置かれている椀の中に『うどん』が盛られている。
どれも出来たてで湯気から感じる匂いだけでも絶対美味しいであろうと察せられる。そんなうどんが全部私が食べてもいい、そんな贅沢なことがあるのだとしたら――――
「さいっこう――――!!!」
今の私は、超が付くほどの嬉びを胸に、その極楽に飛び込んだ。
――――
―――
――
―
「………」
目を開けて真っ先に映ったのは、木材で出来た天井だった。
外がちょっと騒がしいのが耳に聞こえるが、起きたばかりで頭がぼうっとしてしまう。
…なんだろう、この、虚無感のような…凄い幸せな夢を見てた気がしたんだけど思い出せない。何を見てたのかは忘れてしまったけど、凄く幸せだった気がする。
何?この残念な気持ちは…?
「…あれ、此処は?」
色々な残念な気持ちを抑えて、布団から起き上がった私の周り見れば見知らない場所にいる事に今更だが気付く。
部屋の造りは、木造のそれだ。
障子が開いている外を眺めれば地面から少し離れた二階建ての家にいることが分かる。
しかし外の景色に一切の見覚えのないし、此処に来て寝た覚えも無い。そもそも何で私が寝てしまっているのかも……あ
「…そっか、たしか黒猫殿の拳で倒れちゃってたんだ」
自分が起きていた時の事とそうなった原因をだんだんと思い出していき、この場所も想像がついてくる。
恐らく黒猫殿が私を担いで村か街にある宿まで運んでくれたんだろう。
外にいる人達を見れば食事処や雑貨、椀やらと様々な店が並んでいるのが見える。客寄せのための大声があちこちから聞こえ、子供達が走っていたりと結構賑やかな街だ。祭りか何かをやっているのだろうか?
布団の側に置かれている大小の刀を腰に差して部屋を出る。
それほど広くはなかったから変に迷うことなく階段を見つけることが出来た。
「この匂いは…」
階段の下から炭の匂い、それと一緒に腹を鳴らしてしまうようなとてもいい香りがする。
ギシっと木の階段を軋ませながら下り、匂いのする場所に行くと其所にいたのは…
「黒猫殿?」
両手に料理が盛られている皿を持って行っている黒猫殿の姿があった。
料理を運んで暫く経った頃、目を覚ました玄信さんに話し掛けられた。
手合わせの時に拳をぶつけた頭の痛みも無いらしい。日頃の鍛練のお陰だとか…
「ーーーー私が寝ている間にそんな事があったんですね」
「はい、それで今あの人の御店の手伝いをしていたんですよ」
そして、店にいた客人も帰り、落ち着いた店内の席に座りながら玄信さんが寝ている間の経緯を話した。
私が気絶した玄信さんを街まで宿を探していた事、宿が見つからず困っていた所をこの店の方に助けてもらった事を伝えると玄信さんもある程度予想していたようで、すぐ納得して頂けた。
「今日は、これで店仕舞いだよ。いやぁ黒猫さん。今日は、助かったよ!お陰で何時もより仕事が楽になったし、売り上げもかなり上がったよ!」
厨《くりや》(台所)から出て、私達に向かって来る。
「売り上げが上がって何よりです。玄信さん、此方の方が宿を用意して頂いたこの店の店主主の
「お侍様もちゃんと起きたみたいだね。怪我は、大丈夫かい?」
黒の長髪を後ろに青花の
「はい。お陰様で!それと、ありがとうございます。宿を貸してくれた事を黒猫殿から御聞きしました」
「良いって事さ。これでも飲んで待っててくれよ。すぐ夕餉を用意するから」
「え、ご飯も!?す、すみません!何か手伝えることがあったら私も何か…」
「無理しなくてもいいさ、旦那さんの話じゃ倒れちまったんだろ?そんな体で働かせちまったら、御父に怒鳴られちまうよ。黒猫さんもお侍様と話しながら待っててくれよ」
出来たら呼ぶと言いながら弥生さんは、湯呑を置いて
まさか夕餉まで用意してもらえるとは思わなかった…
「…気を遣われてしまいましたね」
「そうですね…なら言葉に甘えちゃいましょう。黒猫殿には、色々と話をしたかったところだし丁度良いです」
「話ですか?」
「えぇ、なにせ私と同じように飛ばされる人なんて今まで一度も会ったことがないもの。ゆっくり話せるなら遠慮なく話したいんですよ」
同じ…確かに私や玄信さんのように渦から違う場所に飛ばされるような人など、探して見つかるようなものではないでしょう。
私の場合は、今回で知る限り三度目の体験。多いのか少ないのかは定かではありませんが、少なくとも玄信さんより少ないのは話して分かった。
(ならば…)
私の体験は、良くも悪くも様々な所でとても濃い体験をしてきた。
中には、私の記憶に関する何かに触れて頭痛まで起きた。
記憶喪失から何十年も経つのにも関わらず殆ど思い出せない記憶が、オルレアンという国で出会った黒のジャンヌと会話した時に起きた頭痛で忘れていた記憶に触れそうになったと思う。
肝心の記憶は、思い出せずでしたが手応えはあった。
ーーーーもしかすると、この渦で飛ばされる先々で起こる体験をし続けていれば近い内に私の記憶が思い出せるかもしれない…等と、あの体験が原因でそんな淡い希望が浮かぶ。
それに、あらゆる時代に飛ぶのならば、元の場所にも戻れるかもしれない。
もし、またあの渦を見つけることが出来たならば積極的に利用してみましょうか…
「そうですね。私も玄信さんとは、ゆっくりと御話したいですね」
玄信さんが出会い頭に話したのものは、ほんの一部の体験でしょう。
ならば、私よりも多くあの渦で行き来してきた玄信さんの話を聞けば何かしらの記憶に関する収穫があるかもしれない。
「では、何から話しましょうか?」
だからこそ、私もこの機会を逃す選択肢も無かった。
それから30分余りの時間を黒猫と武蔵は、出会い頭に話したモノとは別の会話をしながら時間を潰していた。
武蔵の話を聞いた黒猫は、冗談混じりではあるが武蔵の道中の話をとても面白く感じながら話を聞く。
黒猫の話を聞いた武蔵は、話に出る猛者を想像し、胸を踊らせる。
二人の感心は、別々にあるが、もし時間潰しで話していた二人を端から見る者がいれば、とても良い雰囲気を感じ取れるぐらいに二人は、気持ちよく話をしていた。
「旦那さん、御侍様、夕餉が出来たから奥の部屋に来てくれ。廊下の突き当たりにある部屋だよ」
夕餉を作ってくれていた弥生さんが厨から大きな声で私達に伝える。
会話を中断し、弥生さんが言っていた場所まで共に廊下を歩く。
「部屋に入ってくれって言われたけれど、ここかな?」
「場所は、突き当たりの所にあると言ってましたからね。恐らくそうでしょう」
談笑していた所から少し離れ、廊下の突き当たりまで来た所に白地の襖があった。
他に弥生さんが言っていた部屋らしきものはなかったのを二人で辺りを見回して確認し、多分此処がそうだろうと頷く。
「それじゃあ、失礼します…?」
障子を開け中に入り、先に部屋の中に入った玄信さんが立ち止まる。
何かあったのだろうか?その様子を後ろで見ていた私も部屋に入り、部屋の中を見渡す。
畳が敷かれていて、その上に四角いお盆状の膳が二つあり、その上には、焼き魚、白米、漬け物と、とても美味しそうな馳走が皿に盛られてある。
弥生さんが用意してくれたものでしょうが、それよりも目に行くものが部屋にあった。
「これって刀掛け?」
玄信さんが壁の側に置かれている物に指を指しながら首を傾げる。
玄信さんの視線の先を見ると其処には、焦げた茶色の刀掛けと其処に鞘が掛けられていた。
店やこの部屋の風景からそんな物が部屋の壁に置かれているとは思いもよらなかった。
何故このような店に置かれているのか…
「何故このような所に…それに、何故鞘だけが?」
「鞘があって本身がないってのも変よね…しかも傷だらけ?」
鞘は、遠目で見ても擦り傷がそこかしこにあり、ひび割れている箇所も幾つも見える。
とてもではないが、もうこの鞘を武器として使う事なんて出来ないだろう。
「はい、お茶も持ってきたよって、二人共、突っ立ったままでどうかしたのかい?」
二人で鞘を見ている中、弥生さんが急須(きゅうす)を片手に持ちながら部屋に入る。
「あの刀掛けが気になってまして」
「刀掛け?あぁ、それのことかい。それは、御父の物さ」
「弥生さんの父君の物でしたか…?」
弥生さんの父君が持ち主…まだ会ったことがないのでわかりませんが、刀を所持し、食事の店を開いている所なんて初めて見る。
「このような店を持っていて刀とは…父君は、侍でも?」
「そうだよ、つっても私も詳しくは知らねぇから、それぐらいしか分からないよ」
「なるほど、しかし侍から食事処とは…」
この時代がどれ程前のものかは知り得ませんが、少なくとも刀の帯刀を許されていたであろう時代なのは、街の人々の服装や帯刀していた者達を見て分かる。
そのような時代ならば力さえあれば良い稼ぎとなると思うのですが…
「随分と変わり者ね」
「はは、御侍様にはよく言われてたね。始めの頃は、不馴れで大変だったらしいしね。躾は、厳しかったよ…でもそれ以上に御父は、優しかった。まぁ、私から見ても不器用だっだけどね。今でも此処まで育ててくれた事には感謝してるよ」
「良い父親なんだ…私の父親とは大違いな人なのは間違いなさそうね」
「玄信さんの?」
「うん、ひっっどい奴だったよ。あ、そうだ。弥生殿のお父さんにも挨拶してから食べた方がいいんじゃ…」
「あー、それならいらないよ。それよりも、二人のために作った料理が冷めちまうから早く食いなよ!ほら、座った座った」
「え?は、はい。わかりました」
弥生さんの父君の話を途中で止め、私達に早く座るように言う。
食事もこれ以上放ってしまえば冷めて台無しになってしまうのもあったからなのでしょう…?
「それじゃ、まだ片付けがあるからゆっくり食べといてくれよ」
急須を置き、私達が座布団に座った後に弥生さんが部屋を出ていく。
少し早足で出ていったのを見るとまだやることが結構あったのでしょうか…
「黒猫殿、頂きましょう!」
「えぇ、そうしましょう。いただきます」
折角弥生さんが用意して頂いた料理を冷ますのも勿体ない。
考え事は、止めて食べる事に集中しましょう。
箸を手に持ち最初に手に付けた物は、皮がパリパリと焼かれた魚だ。
少し焦げ目が付いた皮と一緒に中にある白い身を一緒に口にする。
「これは…!」
「やはり、美味しいですね」
手伝いの時に幾つも運んでいた料理から感じていた想像通りだった。
焼き魚、これがとても良い味付けで程好い脂身が更に良い味を引き出し、さっぱりとした胡瓜と白菜の漬物、そして味噌汁が白米を更に進ませる。
思わずパクパクと次々と口の中に入れてしまう程に美味しかった…
玄信さんも美味しかったらしく、ご飯のおかわりが無いかと小さな声で言っていたのが聞こえた。
「明日には、此処を出るんですか?」
食事を終え、空になった椀を膳に乗せて腹を落ち着かせていた頃に黒猫殿が明日に店から出ることを提案してきた。
「出来ればそうしたいですね。流石に二日も厄介になるのは、気が引けますから」
「あー、確かにそうよね」
黒猫殿の言いたいことは分かる。只でさえ手伝いだけで寝床と食事まで用意してくれた弥生さんにこれ以上迷惑を掛けたくないんだろう。
私なんて倒れてたとはいえ何もしてないっていうのには、心苦しく感じていた。
――――此処のご飯、結構気に入っちゃって明日も厄介に…なんて言えるわけがない。
「でも、この辺りの事は詳しくないしなぁ…黒猫殿は、何処か行きたい場所とかあるんですか?」
「行きたい場所ですか…やはり、あの渦があるような場所ですね」
「渦がある場所ね…」
確かに黒猫殿も私と同じで、あの渦のようなものから移動してきたからそれしかないか…
「玄信さんは、あの渦の事で何かご存じですか?」
「うーん、あの渦って私が知る限りだと突然で、しかも何処から出てくるのかも分からないのよね…」
「そうですか…」
少し肩を落とし、手に持つ湯呑に視線を移す黒猫殿。
黒猫殿は、あの渦のようなものが気になっていたようだ。
私も気にはなっていたけれど、移動手段としてちょうど良かったからあまり考えてなかった…というよりも、そんな妖術の類のようなものなんて専門外だから考えても分からなかった。
「お茶のお代わり持ってきたよって話中だったかい?」
あの渦の話をしている途中で弥生さんがお茶のお代わりを持って部屋に入ってきた。
「いえ、大丈夫です。それよりも、ご飯とても美味しかったです。ご馳走様でした」
「私もご馳走様でした!それと、すみません。寝てただけなのにご馳走になって…」
「いいって、旦那さんが頑張って稼いでくれたからね。そのお礼だよ」
お礼をしたら逆にされてしまった…寝てる間に黒猫殿がかなり頑張ってくれたんだろう。後で黒猫殿にも言っておこう。
それにしても…
「夜になってだいぶ経つのにまだ騒がしいわね」
部屋の中でも聞こえるぐらいの人込みの雑音。耳を傾けなくても聞こえるくらいなのだから、外はもっと賑やかなんだろう。
「そりゃあ今年は、畑も山の幸も豊作だったからね。今時だけは、近場の村の人や商売人が集まってわんさかしてるのさ」
「へぇ、そうなんだ」
だから黒猫殿がいくら探しても埋まってる所だらけだったのか。
弥生さんの話を聞いて内心で納得する。
「この店も祭りは、稼ぎ時だからね。朝の内に食材の仕入れで外に行ったり帰ったりしてたよ」
「思ったよりも大変ですね…」
「慣れりゃそうでもないさ。それに今日は、見た通り良い働きをしてくれた旦那さんを見つけたからね。運も良いよ」
「見た通り?」
弥生さんの言った一言に黒猫殿が首を傾げる。
見た通り…どういうことだろう?黒猫殿が男性だからっていう安直な感じではなさそうだ。
「見掛けない顔に街の男連中よりもずっと高い身長ってだけでも目が行くしね。それに加えて御侍様も担いだまま宿探しであちこち歩いてら注目するよ」
「それで見た通りって…もしかして、私を運んでた黒猫殿の体力を見込んで手伝い前提の宿貸しの話を?」
「はは、まぁ他もあるけどね。そんなとこさ」
「なんと…」
黒猫殿もまさか宿探しから注目されてるとは思っていなかったようで少し驚いている様子を見せる。
私は、私で思ったよりも弥生さんが商売上手なんだと感心する。
弥生さんの見た目は、私よりも背が低く、二十はいってないだろう若さでそういった行動力を出せる人はそういないだろう。
「そういえば、この店って弥生さんの他には誰かいないの?」
「いないよ。私の目に叶う奴が街にいないし、そもそも下手に雇う気はないんだ。その点で言っちまえば旦那さんは、十分合格さ。どうだい?住み込みで働いてみるかい?」
「…それは、出来ません。玄信さんに明日で此処を出ようと話もしましたし…申し訳ありません」
「あはは、冗談だよ冗談!そんな真に受けないでくれよって、え?旦那さん方、明日には此処を出るの?」
「はい。明日には出たいと思います」
「そっか…ま、仕方ないね。じゃあ旦那さんと御侍様の次の旅先とかも決めたのかい?」
旅先…少し言葉に詰まる。
というよりも私の目的としては、己の剣を空に到達する為の修行だ。
そして、手っ取り早くあちこちの猛者を相手がいる所に移動できるあの渦を見つけるのが私達の旅先と言ってもいいだろう。
しかしあの渦は、黒猫殿と話して分かる通り何処で現れるか分からないものだ。
こればっかりは、なるようになれと願うしかない。
「それが実は、まだ決まってなくて…そうだ。弥生さん、この辺りで変わった事とかありませんか?」
「変わった事?」
「摩訶不思議な事で、何か突然現れたといった感じで話に聞いた事がありませんか?」
街の住人である弥生さんなら何かしら知っているかもしれないと思っての質問だ。
この辺りの事を全く知らないで無闇に行くよりは幾分かマシだろう。あの渦に繋がるような話が聞ければ御の字だけど…
「…変わったといえばあの山だね」
「山?」
「この街を出て一里先にある山さ。山菜を採ったり兎を狩りに毎年よく行ってたんだけど、その山でちょっと変な話があったんだよ。何でも景色がこう、ぐにゃぁって歪になったとか…」
「景色が…」
山の景色が歪になる。そんな事は、旅をしていても聞いたことがないモノだ。
何かの錯覚か、只の誇張した噂話か……まさか
「玄信さん、それって…」
「あの渦かもしれないわね」
「渦?」
「あ、いや、何でもありませんよ!ははは…」
「はい。気のせいですよ。気のせい…」
小声で返事を返したのを弥生さんに聞かれて直ぐに誤魔化す。
黒猫殿と同じ体験をしていない人に言っても信じられない話だろうし、下手に言ったら頭の可笑しな人達なんて思われるのが関の山だろう。そんな事になったら目も当てられない…
「?あぁ、でも彼処には近寄らない方が良いよ。化け熊が出るかもしれないからね」
「化け熊?」
「何年も前にその山にいつの間にか住み着いていてね。普通の熊よりも大きくて凶暴な奴だったらしいよ…」
「いつの間にか…」
一里先とはいえ、そんな大きく凶暴な熊が人に気付かれずに住み着いていた…その事に少し疑問が浮かぶ。
そんな気性の荒いデカい熊がいれば足跡や食べ散らかした跡が少なくともあるはず…なのに、よく利用している人達でさえ気付かれないなんて普通ならあり得ないだろう。
山の話を繋げたら私達の通ったような渦で来たかもしれない線もなきしもあらず…忠告してくれた弥生さんには悪いけど、これは、ちょっと行ってみる価値がありそうだ。
「追っ払う事が出来たってのは、話に聞いたけどね…でも、用心に越したことはないよ」
「そうなんだ…ねえ、その山の事、もう少し詳しく聞いても――――」
「…話で出しといて悪いけれど、これ以上その話はしたくない」
「え?」
ーーーー突然の拒絶だった。
さっきまで明るく話していた彼女とは思えないような暗く感じさせるような低い声、あまりの突然な雰囲気の変わり様に思わず話を止めてしまう。
「…変な空気にしちまった。すまねぇ…食器片付けるよ。寝布団は、二階の押し入れに仕舞ってあるから好きに使ってくれ」
「…」
気まずくなってしまった事を弥生さんが謝りながら膳を重ね、さっと早足に部屋を出て行ってしまった。
なんとも言えない重い空気が残った部屋で呆然としてしまう…もしかしてだけど
「…何か私、やっちゃった感じ?」
「私から見ても特によろしくない事は言ってませんでしたよ。ただ、弥生さんのあの雰囲気は…」
「何か知っているんですか?」
「憶測なので、なんとも…」
何か思い当たる事でもあったのか黒猫殿は、弥生さんが出ていった襖を見る。
私のせいではない事にほっとはするけど…じゃあ一体、何が原因で?
「…あまり詮索するのもよくありませんね。玄信さん、二階に行って布団を敷きましょうか」
「……うん、そうしましょう」
スッキリとしない気持ちもあるが、これ以上の詮索なんて藪蛇もいいところだ。
食べた後の眠気も程よく来てるし、夜も更ける頃合いだ。寝て気持ちを切り替えるのが得策だろう。
立ち上がり、襖から部屋を出て二階に――――
「…うん?」
それを思い出し、部屋を出ようとした足を止める。
あれ?二階の部屋ってたしか私が寝てた場所の事だよね。確かそれ以外の部屋はなかったはずだ。
部屋の大きさもそれなりで、大の大人二人ぐらい平気で寝られるくらいの広さだと記憶している。
…まさか
「どうかしましたか?」
「いや、えっとさ、もしかしてなんだけど…」
私の想像が広がるに連れて、心臓の鼓動が早くなっていくのが分かる。
いや、断定するにはまだまだ早すぎるぞ私。兎に角、聞かないことには始まらない。
ゆっくり落ち着いて…そう、ゆっくり聞くんだ。
「黒猫殿も私が寝てたあの部屋に行くんですか?」
「はい」
想像通りの言葉であった。
――――マジか!?
え、じゃあ私、黒猫殿と一つ屋根の下で夜を共にするの?しかも個室で?二人きりで!?
こ、これって剣の道往くものとしては駄目なんじゃ…いや、それ以前に男の人と一緒に寝る経験なんて一度もないから分かる訳が…
「玄信さん、どうかしましたか?」
「へ?あ、いや、なんでもございませんよ!?」
――――無い等と色々考えていたら黒猫殿が私の方を見る。
邪気を一切感じない黒い瞳だ。うん、変なことを考えてた私とは真逆だ。
今の私でもそれぐらい読み取れてしまったから変に大きな声を出してしまった…煩悩退散しろ私。
冷静になればそもそも共に旅をすると決めた時点でこういった事なんてよくあるって普通分かるだろう。
というよりも、会って間もない人に何てこと考えてるんだ私は…
煩悩退散、煩悩退散…心の中で呟きながら二階に上がり、私が寝ていた部屋に黒猫殿と一緒に入っていった。
――――
―――
――
それから翌朝。
昨日の聞いた話の場所に向かう準備を終えた黒猫と武蔵、そして二人の見送りをするために弥生が店の外に出ていった。
外の天気は、昨日と同じで快晴。移り変わりが激しい山に出掛けるならば良い天気と言えるだろう。
(…結局、変に引き摺ってあまり眠れなかった)
それに比べて今の私の状態は、逆だろう。目の下に薄っすらと隈が出来た状態で気怠げに呟く。
寝れなかった原因がなんなのかは言わずもがな昨日のアレだろう。
変に意識してしまったせいで寝るのに時間を掛けてしまった…少し寝足りないけれど、話したりして歩いてれば眠気も飛ぶだろう。
「…あの山に行くんだったら十分気をつけて行くんだよ」
「はい。弥生さん、御世話になりました。この御恩、忘れません」
「今度また会えましたら、お礼をさせていただきます」
「礼なんていいよ。もう十分貰ってるしね…あ、ちょっと待ってくれ」
お礼を伝えると何かを思い出したのか弥生さんが早足で店の中に戻っていく。すると店の奥で物音を立てて、弥生さんが何かを手に抱えて店から出てくる。
「これ、持っていってくれよ」
そう言って黒猫殿と私に手渡したものは、笠だった。
竹の皮と菅で編まれ、顔を覆うように深く作られた物が二
「山は、いつ雨になるかわからないからな。持ってて損はないさ」
「いや…こうも良くしてもらってばかりですと、流石に申し訳なさが凄く…」
「だから気にすんなって!暇で作った余り物だしね。受け取ってくれた方が助かるよ」
「…」
気にするな…とは言われたものの、やはり受け取る事に抵抗があるのか黒猫殿は、悩んだ顔で笠を見ている。
…黒猫殿の気持ちは分かる。
一宿一飯の恩は、店の働きで返せたと言われてたけど、私達にとってはとても大きいもので…その上で物まで贈られたら受け取り辛いだろう。
タダでそれらの恩を受けた私ですら肩身の狭さを流石の私でも感じてるんだから相当の筈だ…よし、此処は一つ助け船を出そう。
「黒猫殿、人の好意を無下にするのも良くないかと…」
「そう、ですね…かたじけない。笠、大事に使わせて頂きます」
「良いってことよ」
「弥生ちゃーん!」
笠を受け取った時だった。私達の所に白髪が混じった黒髪の老人が元気な声を発して弥生さんの事を呼びながら歩いて近づいてきた。
「お、じいちゃん、おはよう!今日も元気だねぇ。また狩りに行くのかい?」
「ああ、もう少ししたら行くぞ。まだまだ若いもんには負けられんからな!ん?其所の二人は…」
「旅人さ。昨日家に泊めてあげてたんだよ。今は、見送りをしてるんだよ」
弥生さんは、その老人と軽やかに話している。
じいちゃんと呼んでるくらい親しい関係なのだろう。傍から見ても分かる。
「…ん?よく見れば其処の御仁は、昨日御侍様を背負ってた人じゃないか」
「じいちゃんも二人を見たのかい?」
「そりゃあ見掛けない恰好だったからな。街の男よりずっと大きい男に、その上、背負っているのものが御侍様だったら誰だって嫌でも目に付くわ」
…気絶している間にまさかそんな注目が入ってるとは思わなかった。
よくて人を抱えてる男の人程度にしか見られていないって思ってたから、これはちょっと恥ずかしい…
「そっか。あ、そうだ。じいちゃん、狩りに行くついでに二人の道案内してくれないか?」
「道案内?別によいぞ。道が近けりゃ案内なんて赤子をあやすよりも…」
「…化け熊が出た山なんだよ」
「……なんじゃと?」
「…?」
先程までの陽気な喋りをしていたものが一転した。
それと同時に老人の雰囲気と目付きが何処か鋭くなっているのが目に映る。
この変わりようは一体…あの山の話から変わったのは火を見るよりも明らかだった事だけは何か訳があるのは間違いないだろう。
「御二方、本当にあの化け熊がいた山を登るつもりか?」
「そのつもりです」
「そうか…あの山なら儂もよく知っているからな。ついてきてくれ」
老人が私達に登る有無を確認すると、街の入り口に向かって歩いていく。
私達が行く山が相当危険だというのが分かるからこそなのだろう。やはりというべきか、この時も先程のような陽気な雰囲気はなく、何処か張り詰めた感じがした。
「…ありがとう、じいちゃん。黒猫の旦那さんに御侍様、くれぐれも熊には十分気を付けておくれよ!」
「はい、弥生さんも元気で!」
「お世話になりました」
別れ際に手を振りながら弥生さんに礼を言って、老人の後を追っていく。
――――思うところはあるけれど、何も分からない今は話に出た山の事に集中しよう。
そう自分に言い聞かせながら黒猫殿と共に街を出て行った。
「ところで御二人方。街の祭りはどうだったかの?楽しかったか?」
街からそれなりに離れた道なりを歩いて山に向かう道中、老人が唐突に話を振ってきた。
祭りか…私と黒猫殿は、参加してないから楽しいかどうかは分からないのよね…
「祭りには行けませんでしたが、とても賑やかで楽しそうだと思いましたよ。機会があればまた立ち寄りたいです」
「今度は、遊べたらいいですね。弥生さんの料理、とても美味しかったし」
「そうかそうか、そう言ってくれて嬉しいのぉ。あの弥生の料理はな、父から教わったもんじゃからな。弥生も聞けば誇らし気に喜ぶじゃろうな!良い土産話が出来たわ」
老人は、かかっと笑いながら歩いていく。
祭りというよりも老人は、弥生さんの土産話が出来て喜んでいるようだった。
まるで自分の娘の事のように喜んでいる姿は、陽気な人だと街で見た時と変わらない印象だ。
「あの料理の腕が父親から受け継いだものだったとは、てっきり母親から教わったものだと思ってたから驚きです」
「弥生の母親は、弥生が物心付く前に死んじまったからな。父親が教えるしかなかったんじゃよ」
「弥生さんの母が…」
「あやつが子守りに四苦八苦してる姿は、今でも忘れんなぁ」
昔の思い出を懐かしむように老人は語る。
弥生さんの母が既に他界…通りで弥生さんの話で母親が出てこなかった訳だ。男勝りな行動と言葉使いも恐らく父親を真似て育ったんだろうと自然と頷く。たぶん、良い父親なんだろう…
「弥生の父親も死んじまわなけりゃ今だって一緒に店をやっていたろうに…残念じゃよ」
「……え、死んだ?」
老人の話から予想もしていなかった話を耳にして歩いていた足を一瞬だが、止めてしまう。
「弥生の父親も死んじまったよ…弥生から聞いてなかったのかい?」
「…はい、弥生さんは何も…」
「…そうだったか。あの娘はまだ…」
弥生さんが言わなかった事に何か心当たりがあるのか、老人は小さな溜息をつく。
まさか弥生さんの父が既に亡くなっているなんて…いや、弥生さんとの話を思い返せば変なところは幾つかあった。
だけど、まさか父も母も死んでいたとは正直そこまでは考えてなかった。
「…弥生の父はな、これから行く山に棲んでる化け熊に殺されたんじゃよ」
化け熊。
弥生さんからも聞いたものと同じ奴だろう。
何故あの山の事を話したくないと弥生さんが言ったのかが漸く分かった。街でその話を聞いた老人の雰囲気が変わったと感じたのもそれが原因か。
「寒空の真っ只中の霜月じゃった。儂と弥生の父を含めた街の男達でウサギや鹿を狩りに山に入って暫く探していた時じゃよ。あの化け熊が儂等の前に現れたのは…」
それから程なくして、老人が語り始めた。
話の内容は、これまで何度も耳にした化け熊の事だった。
姿形は、見慣れているそれではない赤黒い毛に延びに延びた鋭利な牙、牛三頭並べても優に超える程の大きさだったと言う。
「しかもその化け熊は、他の熊と比べものにならない程に獰猛でな、儂らを見るなり襲って来よったんじゃ」
当然、襲い掛かって来る獣に何もしない筈がなく、手に持つ狩りに使う弓矢で戦ったようだ。
しかし、持っていた弓矢では歯が立たず、その巨体で突進されただけで老若関係なしに無惨に轢き殺されたそうだ。
それに恐怖した者が逃げようとするも、その巨体では考えられない速さで直ぐに追い付かれてしまう。
逃げることも出来ず、倒すことも出来ない絶体絶命だったらしい。
「しかし御老人が生きているという事は、その熊から逃げる事が出来た事になりますね。
そのような獣から闇雲に逃げるのは至難の筈…誰かがその熊の注意を引きましたか」
黒猫殿は、話の結果が見えているようだ。
たぶん、私と同じ予想だろう。弓矢が効かない相手にそれが出来るとすれば、それよりも強い武器を持っている人物…
「刀を持っている弥生さんの父君くらいですか…」
「…旦那さんの言う通りじゃよ。
街で腕っぷしが強かったあいつが儂等を逃がす時を稼いでくれた」
そして見事、まだ息をしてる人を老人と若者が街まで必死に運び終えるまでの時間を稼ぎ、そのお陰で大怪我を負っていた人達を死なずに済んだ。
…しかし、その代償はあった。
「傷を負った奴等を運び終えた後、直ぐにあの化け熊が現れた山に戻ったが…手遅れじゃったよ」
老人が助けに行った時には既に化け熊と弥生さんの父の姿は無く、残されていたのは地面に夥しい血の跡と散らかされた肉片。
そして、ひび割れた刀の鞘だけが落ちていたらしい。
…運良く逃げれたなんてことは流石に無いだろう。
考えられるとしたら、恐らくその化け熊に…もう手遅れと思ってもいいだろう。
「長話をしてればだ、着いたぞ。此処が話にしてた山だ」
老人が立ち止まり、その山を見上げるのを見て私達もその山を見る。
その山を一目見て感想を言うのであれば、普通の何処にでもある山と変わりはなかった。
小鳥の囀りが聞こえる緑豊かな大きい山だ。
化け熊が暴れ回って滅茶苦茶になっているかと思ったけど、そうではないようだ。
「あれっきり化け熊が現れる事は無かったが念の為じゃ、遠回りになるが、この道が一番安全に登れるが…本当に行くのか?」
老人が道を指さしながら危険が少ない所を大まかに教えると、最後にまた山を登るのかを私達に尋ねる。
化け熊に襲われた経験をした身として私達の事を心配してくれてるのだろうか、私達が登るのに抵抗がある様子が見える。
「はい、今の所唯一の手掛かりですから…御老人、此処までの道案内、誠に感謝します」
「探し物が見つかるかもしれないからね。それに修行の身である私にとっては丁度いい山です」
でも私達は、この山を登ることにした。
あの渦で移動してきたばかりだから、この辺りどころか、何時の時代かもよく分かっていない私達にとってその渦が出るかもしれない話は、かなり重要なんだ。行かない手はないだろう。
「……わかった。これ以上は言わんよ」
達者でな。そう最後に老人は言い残し、踵を返して街に帰っていく。
私達は、此処までの道案内と気を配ってくれた礼を離れていく老人の背に向けて手を振って、山を登って行った。
「黒猫殿は気付いていたんですか?彼女の事…」
老人と別れて山道を登り続けている時にふと思った事を口にする。
思い返せばという程度だが、黒猫殿は、弥生さんの親が死んでいることを老人に聞く前から察したような事を口にしていた。
あの時は、憶測の類だとかで言ってなかったけれど、やはり薄々でも勘付いていていたのだろうか。
「昔、似たような方々を…彼女は、戦で親を亡くした子供と似ていました」
「戦…黒猫殿が戦場に行ったことがあるの?」
「…はい、もう昔の話ですが…」
――――なるほど…だからか。
矢が飛び交い刀同士がぶつかり合う戦国、殺し合いが常の世ならば、そういった子供を見ても別に不思議ではない。
私もその時代で生まれた身だからこそ分かる。
確かにそう言われれば、そういう子と雰囲気が似ている…戦に行ってないからそれ程深く関わることはなかったから、あの時では薄っすらとしか思い出せなかった…
…けど、そのお陰?というべきか、もう一つ納得したことがある。
(黒猫殿も、私と同じ戦国時代から来た人なのだろう。それも恐らく幾つもの戦場で戦った…)
それならば、あの鍛え上げられた身体と身のこなし、手合わせで見た圧倒的な強さに納得できる。
なんせ何処から攻撃が飛んできても可笑しくはない文字通りの殺し合い。一対一なんて約束はないから複数人に囲まられたら、否が応でも、まとめて一人で相手をすることだってある。
御約束なんて存在しない。老若も、強い、弱いも関係なく問答無用に命を刈り取るのが彼の戦だ。
――――そんな戦場を黒猫殿は、駆け抜けたのだろう…通りで強いわけだ。
「あの時に誘ったのは正解だったわ」
「玄信さん?」
「いえ、なんでもありませんよ。気にしないで!それよりも、話に聞いた歪んだ場所って何処かしら?」
「まだ登ってそれほど経ってないですからね。なんとも…?」
歩いて『それ』らしきものを二人で探していたその時、黒猫殿が何かに気付いて立ち止まり、それに釣られて私も足を止めて、黒猫殿の視線を追う。
「自然に折れたって感じじゃなさそうね…もしかしなくても、これが話に聞く化け熊の?」
「そう見ていいでしょうね」
追った先にあったのは、折れた大木が数本。
別に折れた木なんて珍しくもないものだが、その大木の折れ方がおかしかった。
その大木は、何か強い衝撃で砕かれたかのように中心からバキバキに叩き折られていた。
――――とても自然で折れたようには見えない壊れ方だ。普通の人ではとても出来ない…化け熊の仕業だと思って間違いないだろう。
「話に聞く通りの気性の荒い熊のようね」
「そのようですね。一応、此処からは周りの警戒もしていた方が…」
「?」
何か気になった事があったのか、黒猫殿は、折れた木々の所にしゃがんで木の破片を一つ拾い上げる。
「…あの御老人、何故この道が一番安全と言えたのでしょう?」
「え?」
「襲われてから一度も遭遇していないと言っていた筈…なのに、その熊がこの道をあまり通らない事を知っている言い方でした」
「…」
――――遠回りになるが、この道が一番安全に登れる。
そう私達に老人が言っていたのは覚えている。
行き慣れているであろう老人が、この山を熟知しているのは普通だ。街にいた人達が教えてくれたとしても何も引っ掛かることはない。
でも、この山には化け熊がいる。
そんな熊に何時、何処で遭遇するかもわからない山に好き好んで行く街の人がいるかだろうか?
…無いだろう。
そう疑問を浮かべれば、何故老人がそんな事が言えたかなんて直ぐに思いつく。
「……あの老人は、化け熊の居場所を知っていた?」
「でなければ、そんな一番安全なんて断言出来るはずがありません…しかし、何故?」
私達に安全な道を教えてくれた老人が言っていた事に偽りがあった事に気付いた。しかし、何故そんな嘘を言ったのかが分からず、黒猫殿が首を傾げる。
老人の嘘、化け熊がいる危険な山を登る理由なんて…
「…敵討ちじゃないかしら?」
「敵討ち?」
「襲われて殺された街の人達と弥生さんの父親の敵討ちだと私は思います」
失った人達と老人の関係はわからないが、共に狩りをする仲間。
それに弥生さんの父の話をする時は、付き合いの長い友人の事を思い出すように懐かしんでいた。
…もし、私の想像通りに仲が良かった人達だったとしたら、そんな人達を目の前で殺されたとしたら…それしか理由は思いつかない。
「復讐のようなものですか…あり得ない話ではありませんね。しかし、それが本当なら…」
「…いずれ、その化け熊と戦う事になるでしょうね」
敵討ちが本当だったとしたら遅かれ早かれ、必ずそうなるだろう。
今は、機を伺っているんだろう。けど、もしそうする事がなくなれば…
「どう転ぼうと只では済まず、下手をすれば老人が殺される…そんな事になればーーーー」
「…」
弥生さんが悲しむでしょうね…黒猫殿は、そう最後に口には出さない。でも、その結末を予想している私には、ありありと伝わった。
そして、暫くしない内に木の破片を拾って眺めていた黒猫殿が視線を私に向ける。
「…玄信さん、少し寄り道したい所が出来たのですけど、良いですか?」
「寄り道?」
「はい。この道を外れて、其処の獣道を通ります」
「獣道を…」
突然の寄り道で登る所を変えたいと言われ、指差した先にある獣道を見れば、少し通りづらそうだが、行けなくはない道だ。
寄り道は問題はない…けど、その事に疑問が浮かぶ。
…なんでいきなり寄り道なんて言ったんだ?それも獣道を…まぁ、別に私達は、目的地が決まってる訳じゃないから、寄り道なんて幾らでも…
…いや、待った。
思考していた中で一つだけ、その疑問が消える答えが浮かんだ。
「黒猫殿。その寄り道って、まさか…」
「最近、肉の類いを食べていないのもありまして、玄信さんも一つどうですか?成功すればとても良い油の乗った熊のお肉が食べれますよ。それも大量に」
熊肉が大量に手に入る寄り道、そんな寄り道なんてもうアレしかないだろう。
…やっぱり、そうだ。
この人の寄り道の目的は…思った通りだけど、黒猫殿の口から直接聞きたい。そう思い、口にする。
「一文にもならない、人に見られないから称えられる事はないんですよ?」
「ええ、ただの食料調達ですからね」
我ながら変な事を聞く。
「どれ程の強さかもわからない相手ですよ?」
返ってくる言葉は、もう心でも頭の中でも想像通り…だけど、聞かないといけないと思った。
これからも旅を共にする者として、黒猫殿という人物を見極める機会。
「恩人が苦しむような事を、見て見ぬ振りで放っておいて恩を仇で返すほど零落する気はありません」
そして私との相性がどれくらい良いのか…
なーんて考えちゃってたりしていたけど、全く問題なさそうだ。
普段見るお人好しさも、こういう時にも出るんだから、これがこの人の素なんだろうな…
自然と口元が緩んできちゃったじゃない。
「あはは、熊ですか。そんな、黒猫殿、私を戦闘狂か何かと勘違いしてません?でっかい熊を斬るなんて…
是非、お供させて頂きます」
返事は、即答だった。
鯉口を切りながら話すのを見れば、もう斬りたくて仕方がなかったようだ。
もう一度言おう。返事は、即答だった。
「それではいきましょう。彼方の方から少し強い生命力が感じます」
「おー、そんな気配を感じるのと似たような事が出来るんですね。なら、其処に向かって行きましょう!」
黒猫の力を間近で(物理)で堪能したからか、気配察知を自然と受け入れる武蔵であった。
今ここに二人の初、共同作業コンビが出来上がった。
とにかく斬りましょうな担当、武蔵。ありとあらゆるモノをスッパリと切り落とす事が出来る凄腕の剣客。
ひとまず殴りましょうな担当、黒猫。ありとあらゆるモノを色々と壊す事が出来ちゃうぞな記憶喪失者。
この二人がタッグを組み、今正に新鮮な肉を狩りもとい調達しにその在処へと共に歩んで行くのであった。
因みに、その目的である化熊と黒猫達の遭遇までの時間は、それほど掛からなかった。
街に怖れられた熊にわざわざ対峙するこの二人は、無謀だったかどうかは…想像に任せよう。
街のある日のこと、老人が山に登った。
老人にとって山登りに行く目的は、化け熊を見張る事だった。
しかし、山に登り続けて何時もと違う事に気がついた。
静かだった。あの忌々しい獣の声が聞こえない。
ゆっくり化け熊の巣穴のあるところまで歩いていく。
すると其処には、目を疑うモノが見えた。
なんと、巣穴の前にあの化け熊が死んでいたのだ。
弓矢を通さなかった分厚い毛皮は、何か鋭利な刃物で此処彼処を引き裂かれ、胸にぽっかりと向こう側が見える大穴が残された無惨な姿だった。
しかし、それ以上に老人が目に入るものがあった。
熊の前に刀が突き刺さっていたのだ。とても、見慣れた友人の刀だった。
化け熊の死骸に恐る恐ると近づき、その刀を抜き、すぐに街に向かって走って行ったそうだ。
街の人々は、この事に大層驚かれる事だろう。
そして、持っていった刀も…ある家族の、あるべき場所に落ち着かせたそうだ。