キノの旅(✕フーと散歩) -the Wonderful Days-   作:水霧

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第五話:もどるはなし -Rebirth for Him- by alias(オリ) 

「“進入禁止”? ここ以外に道がないのに何を言ってんだ……?」

 目の前の禁止を促す看板を尻目に、ずかずかと入っていく。落ち葉の折り重なった道をくしゃくしゃと踏み入っていく。

 緑の濃い山林だった。風が強いのか、わさわさと葉が擦れ合い、音を立てる。

 その中からのそっと何かが現れた。緑の長い上着に長袖の白い衣服、灰色のズボンに茶色の革靴という服装をしている。荷物は薬棚のような箪笥(たんす)を背負うのみだった。

 ぷかぷかと煙草をふかしている。

 異様な姿の男だった。短い白髪に緑色の瞳をしているが、まるで左目を隠すように前髪が左側へ寄っている。仏頂面の表情からはあまり心情を伺いづらい。

 白髪の男は小さくふぅ、と溜め息をつく。それに、ぶつくさと文句を垂らしているようだ。

「ん?」

 ほろっ、と煙草の灰が零れ落ちる。

「!」

 何かに気付いた。まずい、と言葉を漏らすと、少し駆け足になる。無色の表情にようやく曇りを浮かべた。

 さらに走って行くと、

「……」

 人が倒れていた。行き倒れだ。

 一瞥して、去ろうか留まろうか思い悩む。しかしそれは一瞬のうちに解決した。

「……おい、大丈夫か?」

 行き倒れの男に何回か声を掛けた。ふんわりとした毛糸で編んだ黒い上着に藍色のズボン、薄汚れた黒の運動靴という格好をしている。背負っている肩掛け式の袋はぱんぱんで、それが男にのしかかっていた。

 あまりにも息苦しそうだったので、慎重に外し、近くの大木に立てかけておいた。そして、うつ伏せになっていたのを起こし、仰向けにしてあげた。

 白髪の男は首筋や口元に指を当てる。まだ生きてはいるようだ。

「ん、んぅ……」

 男はもそもそと動き出した。右の頬骨のあたりに擦り傷が見える。何かに(つまず)いて、打ち所が良かったらしい。

「……!」

 はっと気が付いた。

 後頭部をすりすりと擦る。

「いてててて……」

「痛むのはそこか。でも、頭でも打ったか?」

「ちょっと崖から落ちたみたいで、っつぅ……」

「崖?」

 白髪の男は辺りを見回したが、それらしきものはどこにもなかった。ふと視線を落とすと、もっこりとした膨らみを見かけた。とこ、

「!」

 ろが、膨らみはささささっと逃げていった。まるで虫でも這っていたかのように。

 呆気にとられたようで、しばらく視線を外せなかった。

「……どう、した?」

「あ、いや、なんでも。崖というより、何かにつまずいたんじゃないか?」

「え? ……そう、なのかな? ちょっと記憶が飛び飛びみたいだ……」

「まあ、身体が無事なようでよかった」

 行き倒れの男は荷物のある大木にもたれ掛かった。さっさっ、と荷物の(ほこり)をはたき落とす。

 首もすりすりして、小っ恥ずかしそうに礼を言う。

「ありがとう。あんたは命の恩人だな。……えっと……」

「俺は“ギンコ”。“ムシ師”という“ムシ”専門の医者を生業にしている」

「“ムシ師”? 初めて聞いた職業だな。それに珍しい髪色と眼の色。いかにも主人公っぽそう」

「? ……あんたは?」

「あぁ、オレは、」

「“ダメ男”と申します」

「……」

 白髪の男“ギンコ”は少し固まった。ぱちくりと瞬きを数回した後、再度尋ねた。

「……今の声は?」

「あ、あぁ、こいつだよ」

 ごそりと服の中から首飾りを取り出した。水色と緑色を混ぜたような色の四角い物体が吊るされている。

「“フー”と申します、ギンコ様」

 それから“フー”の声がした。凛とした口調でかなり冷めている。

「な、なんだそれ? 独りでに話すぞっ。新種の“ムシ”かっ?」

「いやいや違う違う。こいつが“フー”だよ。鳥なら声真似するやつもいるけど。オレにもどういう仕組になっているのかさっぱりなんだ。でも、悪者じゃないから安心してくれ」

「以後お見知り置きを」

「よ、よろしくな、二人とも」

 ギンコとしても、ダメ男という悪口を受け入れている“ダメ男”も不思議だと思っていた。

 

 

 二人のいた所よりも、森はより鬱蒼としてきた。光がだだんと減っていき、緑に仄暗さが帯びていく。“何か”が出てきそうなくらいに不気味だ。

 どことなく湿り気も覚えてきたような気がする。くしゃくしゃと音を立てていた地面はくしょくしょと水気を含めている。時には土が靴にくっつき、払い落としていった。

「どうしてここへ?」

 ぼそっ、とギンコが尋ねた。

「風の噂で面白い村があるっていうんで通りかかった」

「面白い村? 確か俺の知る限りでは、ここから先には村はなかったぞ」

「……」

 ダメ男が立ち止まった。つられてギンコも止まる。にこにこして、頷いている。

「やっぱおかしいと思ったんだよ。進めば進むほど森が深くなってくるし、教えてくれた旅人は元詐欺師っていうしなぁ……」

「物をせびるわりに、さして良い情報をいただけマせんでシたネ……」

「どんだけお人好しなんだよ……」

 ギンコは少し呆れた。

「ま、そのおかげでギンコとも会えたし、ちょっと面白そうだ。森を抜けるまで、話を聞きたいもんだ」

「……話ならいくらでもできるさ。ここを抜けられる“まで”だが」

「? ……ギンコって方向音痴なのか?」

「そうじゃなくてだな、周りをよく見てみろ」

「え? ……」

 ダメ男は言われるままによく見てみた。鬱蒼とした木々が広がっているだけである。それと虫がふわふわと浮いている。現地特有の生物なのだろうか、仄かに光っており、海月のようにふわふわしているものや、蛇のようににょろにょろしているものなど、多様だ。しかし、ギンコたちには一切近寄ろうとはしなかった。

「特段、変わった様子はないけど……。強いて言えば、あまり見かけたことのない生き物がちらほらと……」

「! お前、“ムシ”が見えるのか?」

「見えるって、当たり前だろ。ムカデみたいなのとかハエみたいなのとかいるじゃん。なぁ、フー?」

「………………」

 フーに無視された。

「ってムシだけに無視かーいっ」

 一人ノリツッコミである。

 しかしギンコはぴくりとも笑わなかった。むしろ、より険しい表情である。ダメ男は内心、怒らせてしまったのか、とおどおどしていた。

「多分だが、お前の言うムシは昆虫の類のことだろう?」

「そ、そりゃね。それ以外に何がいるんだよ」

「……知らなくて当然か」

「?」

 ふぅ、と息をついた。

「“蟲”といって、我々とは命の成り立ちが異なる連中がいるんだ。通常の人間には“蟲”は見えない」

「え? 幽霊とか化け物とか……そんな感じのやつ?」

「うーん、まあ……方向は違うが考え方は合ってる」

「…………」

 ダメ男の顔から血の気が引く。

「オレ今、幽霊見えてんのかよ……みたくなかったなぁ……」

 そして、ダメ男の指が、

「こんなのが幽霊のしょうた、」

 “蟲”のほ、

「触るなっ!」

「!」

 びくりと引いた。“蟲”を触ろうとした右手を。

 しかめっ面のギンコがダメ男に詰め寄る。はひはひ、とさらにおどおどすることに。

「触ればそちら側のモノになるぞっ! 絶対に無闇に触るなっ! いいなっ?」

「は、はひ……」

 少し涙目になっている。

 ギンコはふぅ、と辺りを睨みつける。不思議に思ったダメ男も改めて見回してみる。しかし森自体に、何か異変があるわけでもなかった。

「まずいのは、その“蟲”のことだけじゃない……?」

「あぁ。俺らは“フクロコウジ”にはめられている」

「? あやのこう、」

「“フクロコウジ”は普段は洞窟や洞穴に生息しているんだが、たまに山に棲むものもいる。まるで袋小路に追いやるように獲物を惑わせて追い詰め、自分の口へ誘う蟲だ」

 ダメ男の発言を遮るように話し始めた。コリコリと頭を掻くダメ男。

「どういう意味?」

「ウツボカズラと同じだ。迷い込んだ先が“フクロコウジ”の胃袋の中ってこと。この蟲は景色を惑わせるんだ。どう進んでも胃袋へ向かわせるようにな。で、触ると……ぱくりだ」

「……」

 固唾を飲み込む音がする。

「よく山や海、洞窟などで遭難する事故を耳にするだろう? あれは“フクロコウジ”に惑わされ、喰われた被害もあるんだ。意外と少なくない」

「ってことは……まずくね?」

 ふっ、とギンコは苦笑いを漏らす。それが返事だった。

 今度はじっと見据えるも、新しく見えるものは何もない。

「さて、どうするか……。ギンコは何日分の食料がある? オレは十日分ぐらいだけど」

「……問題はそこじゃないんだけどな」

「?」

 ふぅ、と短くなった煙草を見つめ、ピッと指で弾いて捨てた。ズボンのポケットから新しく煙草を取り出して、火を付けた。

 ダメ男は空を仰いだ。上方も枝葉がこんもりと茂っているが、明らかに日が落ちてきている。夕方に差し掛かり、太陽が雲に隠れてしまってきていることを悟った。

「これ以上の移動はやめた方がよさそう。もう日が落ちる」

「そうだな。この辺で野宿にしよう」

 ともかく、二人は野宿することとなった。

 

 

 夜。動物の鳴き声が一切ない無音の雰囲気。薄い掛け布団が欲しくなるくらいの肌寒さだった。

 二人は焚き火を起こしては、その明かりを頼りに周りを確認する。幻惑といっても風景には不審なところは何一つない。

「カメレオン以上の擬態術だな」

 ダメ男は感心するとともに、ちょっぴり怖さを感じていた。“フクロコウジ”が移動して、うっかり触ったらと思うと、気が気ではないらしい。

 一方のギンコは特に慌てる様子もなく、静かに携帯食料を食べていた。

「忙しないな。大丈夫だよ。“まだ”捕食しない」

「なんでそんなに冷静なんだよっ。オレら食われるんだろ?」

「どう動いても喰われるのなら、慌てる必要もない。そうだろう?」

「……まぁ」

 大人しく、もそもそと食べ始める。

 ふと、何かが目についた。

「なんだか綺麗だな、蟲って……」

「あまり見ない方がいい。人間じゃなくなるぞ」

「……」

 うねうねしていたり、にょろにょろしていたりと、見たこともない形をしている。しかし何色とも言えぬ仄かな光を身にまとい、まるで遊んでいるかのように舞う。見てはいけないと促されるも、とても神秘的な光景だった。

 ぱち、と焚き火の火種が気を逸らす。

 ギンコが焚き火の炎で煙草に火を灯し、口に運ぶ。すぅっと一筋に昇る煙と口から吐き出される煙。ダメ男が煙たそうに(あお)ると、

「……?」

 蟲たちも煙たそうに動きを激しくし、遠ざかっていく。

「ダメ男の方も厄介なことになってるな」

「あぁ。フーが一言も話さなくなっちゃった。故障でもないみたいなんだけど……どういうことだろう……」

「そこら辺は分からんが、蟲の影響を受けたのかもしれん。蟲はあらゆるものに影響を及ぼす。良くも悪くもな」

 ダメ男の手元にある水をこくりと飲む。

「なぁ、いくつか聞いていいか?」

「なんだ?」

「蟲側の存在になるってのはどういうことなんだ?」

「……」

 ふぅ、と煙と一緒に息をつく。

「そもそも“蟲”っていうものをしっかり説明した方がいいか」

「え? あ、うん」

 戸惑いつつもお願いした。

「蟲は俺らと命の成り立ちが違うと言ったな? 正確には、俺らが成り立ちから外れた、と言う方が自然なのかもしれない」

「? どういうこと?」

「蟲は人間その他動物の源に最も近いモノたちと言われている」

「つまり、生物の原点ってことか?」

「そうかもしれない。そのためなのか姿形が明確でなく、見える性質と見えない性質と分かれる。幽霊がどうとか言ったのは、蟲の中でそういう性質を持ち、人間に擬態するモノもいるからだ」

「……ってことは、見える人には“そういった”感覚があるってことか」

「その通り。専門用語で“妖質”と呼び、目覚めたり忘れたりするんだ」

「人間の第六感に近いな」

「おそらく、第六感の中に“妖質”があるんだろうな。で、“蟲側の存在になる”というのは、まぁ早い話が蟲になってしまうということだ」

「それが人間じゃなくなるってこと……?」

「あぁ。つまり、(なり)が何なのか分からなくなって、“妖質”を持たない者には声も存在も感じられなくなる。お互いにな」

「! ……」

 じっと心配そうに見つめるダメ男。それを見て、ふっ、とギンコは微笑む。

「心配するな。フーは無事だよ」

「? どうして?」

「お前に“妖質”があるのは分かったが、もしフーが蟲側の存在になったら、声は届くはず。おそらく他の問題でフーは喋らなくなっているんだろう」

「……」

 きゅっとフーを握りしめ、首に吊るした。

「大切なのか?」

「……まぁ、今までもこいつと一緒だったから、いないと寂しいよ」

「……」

 何とも言えない表情のギンコ。

「……あ、ここだけの話な。絶対に笑われたくないから」

「……ふ」

 さらに深く微笑む。

 

 

 まだ夜も明けぬ頃。相変わらず無音が続く森の中で、もぞもぞと物音が立つ。

「ん」

 その一文字は無音に溶けこむように、吸い込まれていく。

 近くで灯っていた焚き火は細い筋を上げて、消えていた。

 むくりと上体を起こし、ダメ男が起床した。焚き火を挟むように、反対側の木の幹に、ギンコが眠っている。細かくて小さな寝息を立てていた。

「……」

 それを一目したダメ男は、ふと上を仰ぐ。昨日の蟲たちはどこかに行ってしまったようだった。

 日の出前とはいえ、周囲は薄暗い。光の及びにくい深さの洞窟に迷い込んでいるようだ。その感覚が少しおかしくて、

「……ふぅ」

 にっ、と微笑んでしまう。ダメ男があまり見せない表情の一つだ。

 首から手を伝い、首飾り、もといフーへ伸ばす。フーにいくつかの操作をしてみるが、やはり無反応だった。専用の工具を荷物から静かに取り出し、分解するも、

「……」

 特に変わった様子もない。

 首を傾げるも、考えてみるも原因が分からない。仕方なく組み立て、元に戻す。

「早いな」

「!」

 声の方を見ると、既にギンコが目覚めていた。幹にもたれて、ダメ男をじっと見ていた。

「フーとやらはすごい仕組みなんだな。見たこともないよ」

 ギンコが眠そうに話しかける。

「うるさかった?」

「いや。むしろ静かすぎて死んでいるのかと思った」

「え?」

 思わず吹いてしまう。カラカラ笑った。

「寝相はあんまし良くない方なんだけどな」

「自分ではそう思っても、周りはそうでもないことはよくある」

「まっまぁ、よく眠れたならいいや……。それより、現状は変わらず?」

「……」

 ギンコは辺りを見渡し、

「そうだな」

 即答した。

 ダメ男の笑い顔に苦味が加わる。

「そういや、“フクロコウジ”の位置とか距離とか分かるもんなの?」

「だいたいな。“フクロコウジ”はあまり大きくはないから、主に小さな“蟲”を食す。たまに迷い込んだ人間や動植物も食べるがな。でだ、近いってことは、“蟲”の()が強いってことになる」

「……その“蟲”の気から遠ざけるように逃げれば、ここ一帯を抜けられるんじゃないか?」

「それは無理だ」

「? なんで?」

「考えてみれば分かる。俺は昨日、ウツボカズラのようだと表現したが、一方向から食べようとすると、どうしたって逃げ道ができるだろ? どれだけ大きくなろうと、だ」

「んまぁ、そうだな」

「……“フクロコウジ”が見せる幻っていうのは……人間でいう“口腔内”から発せられるんだ」

「……?」

 考えているのか、首を傾げて視線が上向く。しかしダメ男には想像が湧かなかった。

「つまり、上空から地面に向かって吸い付くように立っているんだよ。“フクロコウジ”に触れると捕食されるっていうのは、口の中のどこかってことだ」

「えっと、要するに……檻の中に閉じ込められてるような感じってこと?」

「そう。それも上空しか穴がなく、そちらは“フクロコウジ”の胃袋ってわけだ。距離が分かるというのは水平方向ではなく、垂直方向という意味だ」

「……まさに、天国へと続く階段ってわけか……」

「?」

 ふぅ、と溜息をつく。

 ようやく日の出の時間に差し掛かる。かと思いきや、今日は曇りのようで、辺りはいまいち明るくなってくれない。ずっと洞穴にいるような暗さだ。

 仕方なく焚き火を点け直して、朝食を取ることにした。昨晩と同じ携帯食料だ。

 いつもの練習をサボったダメ男は、

「お」

 衣服の中からあるものを取り出した。ついでに荷物からも黒い袋を取り出す。

「そういう刃物も旅人の必需品なのか?」

「あぁ。むしろ、なんの護身武器も持ってないギンコの方に驚くよ。ここら辺は比較的穏やかな土地柄なのか?」

「それは知らないが、“蟲師”と名乗れば、大概は荒っぽい扱いはされないな」

「なるほど。蟲師さんは貴重な存在ってわけか」

 ダメ男の刃物はとても珍しい形だった。金属の黒い格子で組まれた()に透明な膜が貼られている。その中に刃が収納されていた。長さは約一尺(三十センチ)ほどか。

 柄の先にある突起を押しながら振ると、刃が飛び出す。言わば仕込み式だ。

 黒い袋から容器を出して開ける。白い半液体が入っており、専用の布で刃に塗りたくっていく。

「それも大切にしてるんだな」

「実はオレのじゃなくって借り物なんだ。壊すと怒られそうで」

「? 誰に?」

「え? 誰って……うんと……知り合いかな」

 困惑していた。

「顔に出やすい(たち)なんだな」

「う、うるさいっ」

 ギンコも綻んでいた。

 

 

「出発するっていっても、下手に歩き回れないよな? どうする?」

「……」

 ギンコは煙草に火を付け、吸っては煙を吐く。

「時間もないしな」

「時間?」

「フクロコウジがいつまでも待ってくれるわけないってことさ」

「今日までがギリギリ……?」

「あぁ」

 ダメ男に見せつけるかのように、煙草を吹かす。

「その煙草……“蟲”除けなのか?」

「よく分かったな」

「“虫”除け効果のある煙草があるって聞いたことあったから。もう残りがないわけか」

「そうだ。この一本が最後……」

 二人とも表情が引き締まる。先ほど笑っていたのが嘘のようだ。

 特にギンコは覚悟を決めていた。

「悪いなダメ男。俺が巻き込んでしまったみたいで……」

「? どうして?」

「俺は蟲を引き寄せる体質がある。だからこの煙草を欠かすと、その場所に留まれないんだ」

「……ふふ」

「?」

 ダメ男は雰囲気に合わず、硬かった表情が緩む。

「そうか。なるほどな」

「? 何がおかしい?」

 笑われたように感じ、少し怪訝そうに睨む。違う違う、とダメ男は説く。

「体質云々は違えど、ギンコはオレと似てるかもって」

「……は?」

 鳩が豆鉄砲を食らったようだった。

「オレもどういうわけか、同じ国に長居できない性格みたいで。ギンコの気持ちがちょっと分かるような気がしたんだよ……あはは」

「俺は否が応でも留まれないんだがな……」

 呆れたように言い放つ。

「オレも否が応でも長居したくないんだけどな」

「どうして?」

 ふぅ、と一呼吸。

「なんでだろうな。よく分かんない。もしかすると、“誰か”を引き寄せる体質があるのかもな」

「……ふふふ……あっはっはっはっはっ!」

 ギンコは大笑いした。涙を少し薄く伝うほどに笑った。それにつられてダメ男も笑い出す。

「あぁ~、……ふぅ。久々にこんなに笑った。可笑しいことを言う男だな」

「そ、そんなにおかしいこと言ったかなぁ……」

「フーも大層泥船に乗った気分なんだろうな」

「誰が泥船だっ」

 ちらっと煙草を見やるギンコ。目付きが変わった。

「ダメ男」

「!」

 低い声。その一言だけでダメ男は察した。煙草の残りがあとわずか……。

 煙の量が少なくなっていくと、蟲が湧いてくるようになった。あるモノは蛇のように足元を伝ったり、あるモノは線香花火のように明かりを散らしながら浮遊したり。不可思議な現象や生命体(?)が木から、葉から、地面から、湧いてくる。

 ダメ男は鳥たちが大きい音から離れていくような感覚を覚える。つまり、あまり良くない現象から逃げていくような。

「ダメ男、約束しろ」

「なに?」

「決して上を見るな、動くな。そして、俺を見るな」

「! それって、どうい、……!」

 遂に、煙草の残りが消えた。

「……!」

 微かに感じる地震。まるで機会を待っていたかのようなこの瞬間で、微震から、

「な、なにっ?」

 本震へと移る。立っていられない程ではないが、木々の枝がたゆんたゆんと揺れ、葉を散らすくらいだ。

「お、おい、一体どうなってるんだっ?」

「腹を空かせた“フクロコウジ”が自分から喰いにっ……?」

「え?」

「獲物が急に増えたためだろう。そろそろ我慢できなくなったみたいだっ」

 “蟲”の毒気に慣れたのか、ダメ男にもその姿が見えた。

「!」

 悪い夢を見ているかのような心境だった。

 フクロコウジの口の中は意外にも狭かった。数歩先に口腔の肉壁があったのだ。まさに目と鼻の先にあり、下手をすれば……。嫌な想像が頭を支配し、混乱させていく。その様子はギンコにも見て取れた。

「ダメ男、しっかりしろ!」

 ギンコの言い付けを守っているものの、息が荒い。視線が定まっていなかった。それもそのはず、その範囲は徐々に(せば)まっているからだった。

「ぐ……」

「!」

 ギンコの苦しい声。どうしたのか見たいが、ダメ男は必死で堪えた。迫ってくる半透明の景色を、肉壁を尻目に。そして、気持ち悪さに。

 範囲が狭くなってきたからか、蟲たちも激しい動きを見せ、ダメ男やギンコに衝突したりすり抜けたりする。その毒気に意識が遠のいていくような、えげつないほどの離人感を覚える。

 地震が収まっても、その感覚はびっちりと覚えてしまっている。

 まずい。ギンコの呟きを聞き逃さなかった。そして悟る。自分がどうなっているような気がするのかを。

「お前の症状は後で治してやる! だから、いっ今は耐えろ! 俺が、……しんで、死んでも……守る……!」

「!」

 顔色に力みを戻す。

 隣で倒れる音がした。

「ギンコ! お前、大丈夫なのかっ? ひ、一人だけっ、くるしんでるぞっ!」

「フクロコウジは大きい獲物は一ぴきずつじゃないとくえないんだ!」

「……まさか、おまえ……!」

 ようやく、ギンコの(はら)を理解できたダメ男。ギンコは……自分を差し出して、どうにか腹を満たさせようとしているのだ。それに蟲を引き寄せる体質も利用して、余計に蟲を食わせている。つまり、生贄になろうとしている。そして、苦しんでいる今はその真っ最中。

「! ダメ男……」

 ダメ男が悟った瞬間、凄まじいほどの殺気を放つ。苦しんでいるギンコすらも悪寒を覚えてしまうほどに。敵意と視線は真上に向けられた。

「……え?」

 ギンコの言い付けを勇敢にも破ってしまった。

 湧いて出てくる蟲たちのような不明瞭な形ではない。空に突如空いた真っ黒な穴。その空すらも(たわ)んで(ゆが)み、幾重にも折り重なり、色も多様に塗られている。木々に囲まれていたはずなのに、なぜか自分があらゆるところに存在していた。まるで、鏡張りの部屋に閉じ込められているかのようの錯覚。この世の終わりかと錯覚させられる光景だった。

 その中の一人がダメ男を見ると、

「う、うえぇっ、げえっ!」

 悍ましい浮遊感。無理矢理、嘔吐感が口から流れ出してくる。これほどの異常な光景はさすがのダメ男も初めてだった。錯覚だと分かっていても。

 しかし、時間が経つと不思議なくらいに治まっていく。何もかも吐き出した後の達成感のようなものを感じた。

「!」

 隣にいたはずのギンコがいない。

「ぎ、ギンコ!」

 しかし、返事はなかった。周りを見ても、いない。ただ、ギンコを捜すダメ男が映っているだけだった。

「幻なら、ギンコは必ずどこかにいる……」

 服の中に隠していた刃物を取り出す。周囲のダメ男たちも同じように刃を出した。

「……」

 静かに見回す。

「っ?」

 何かに肩を掴まれた。それも後ろから。

「ギンコかっ、……え?」

 振り向いた先には、

「……」

 ダメ男がいた。腹を蹴飛ばされ、

「うっ、つぅ……!」

 転がり、後頭部を強打してしまう。幹に衝突していた。

 それよりも、ダメ男を攻撃してくるダメ男の方に驚きを隠せなかった。

「ま、幻だろっ? なんで攻撃してくんだっ? 分身の術とかそういうのかっ? 使った覚えないぞっ」

 こんな時でも天然な性格が出る。そもそも使えない。

 目の前にいるダメ男はダメ男に差し迫る。それも、同じ武器を持って。

「ぐっ?」

 首根っこを掴み上げられる。

「ぐ……ぁ……、こ、この……!」

 ダメ男の腕を切りつけるも、空気を切るようにすり抜けていく。腕だけでなく身体や顔も、同じようだった。

 ダメ男の表情に血管が浮き出てきた。腕を振り解こうとも触れないし、逃げられない。

「ま、だ……しに、たくない……」

「……」

 ダメ男の表情とは思えないほどに冷たい。瞳に情を感じられず、冷めきっている。

 ほろほろと涙が零れ落ちる。

「……ふぅ……ふぅ……ご、めん……」

 じたばたしていた手足が徐々に鈍くなっていき、

「…………」

 やがて動かなくなった。

 

 

「……ぃ……ぉぃ……おい……」

「ん、んぅ……」

 誰かに呼ばれている。遥か地の底に沈められていたように感じていた。それが強烈に浮き上がり、脳の中に到着した。

「……!」

 はっと気が付いた。

 後頭部からずきりと痛み、すりすりと擦る。

「いてててて……」

「痛むのはそこか。でも、頭でも打ったか?」

「ちょっと崖から落ちたみたいで、っつぅ……」

「崖?」

 目の前にいたのは白髪の男だった。きょろきょろと辺りを見回している。

 ふと視線を落とすと、そちらの方をじっと見ていた。まだ頭が痛むので、視線を辿ろうとはしなかったが、見付けたのは分かる。

 突然、呆然として、しばらく目線が一方に流れていた。

「……どう、した?」

 心配そうに声をかける。

「あ、いや、なんでも」

 声は平常だったが、態度に少し狼狽が見れる。しかし、それ以上突き止めるのはやめておくことにした。

「崖というより、何かにつまずいたんじゃないか?」

「え? ……そう、なのかな? ちょっと記憶が飛び飛びみたいだ……」

 ずきずきと頭痛がする。その度に記憶が真っ白に塗り潰される。

「まあ、身体が無事なようでよかった」

 荷物のある大木にもたれ掛かった。さっさっ、と荷物の埃をはたき落とす。

「ありがとう。あんたは命の恩人だな。……えっと……」

「あぁ、俺は――――」

 

 

「ふむ……やはり、 “フクロコウジ”の症状にそっくりだ。おそらく、あの膨らみが“フクロコウジ”だったんだな。初見で気付くのが遅れてしまった。……すまない」

「いえ、何も謝ることは……」

「……」

「“蟲”のことは大体理解できました。しかし、“フクロコウジ”とはどんな蟲なのですか?」

「簡単に言うと、獲物を幻惑させて捕食する蟲だ。暗い所を好み、洞窟や鬱蒼とした森に棲む。獲物が傷を負うとそこに寄生し、洗脳してしまうんだ」

「せ、洗脳ですか」

「今回の場合、頬に擦り傷を負ったために寄生されたんだろう。脳と近い部分だから症状がかなり早かった。おそらく、こいつの頭の中では同じ光景が延々と繰り返されているはずだ。そうやって獲物を衰弱させ、食す。特筆すべきは、幻惑は本人にしか見えないってところだ。山や洞窟などで遭難した者の中に、精神錯乱状態になっている者がたまにいるだろう? それはこの“フクロコウジ”に寄生されていることがままにある」

「た、確かに、現に遭難していました。方角も太陽も掴めないこの山では、苦難の連続でした」

「ふむ……“フクロコウジ”の症状よりも、“蟲”の触れすぎによる後遺症の方が重そうだ……。にしても、どうして他の者にも見えている……? ここまで重症なら、“蟲”になりかけていると言ってもいいくらいなのに……しかしなぜ……、」

「本当に大丈夫なのですか? とても心配ですし、怖いです」

「……あ、あぁ、大丈夫。フクロコウジは太陽の光が苦手なのさ。光が苦手だから、獲物を洗脳して暗闇へ誘う。つまり、どこか陽だまりで安静にしていれば、症状はすぐ治まる。あとは“蟲”の後遺症を治す薬をきっちり飲めばいい」

「ありがとうございます、蟲師様。えっとお代の方は……」

「いらないよ。実は“フクロコウジ”はとても希少な“蟲”でね。人生で一度出会うと幸福が訪れるとまで言われているんだ。」

「は、はぁ……。暗闇が好きで洗脳して捕食する“蟲”が幸福をもたらすとは、何か面白いですね」

「それに、こいつの頭の中では得も知れない化け物が襲ってくる幻でも見てるかもな。動物が騙すときは大袈裟に騙すものだが、フクロコウジはどうしてるのか……興味深い」

「そうですね。幽霊嫌いさんにはきっと恐ろしい光景が広がっているのでしょうね、ふふふ……」

「しかし、あそこで転んだのが幸いしたな。フクロコウジがびっくりして、寄生を解いたんだ。そこへ煙草を吹かした俺が来たから、退散していった。……この二つの偶然がなかったら、今頃こいつはフクロコウジの腹の中だったろう」

「これが“フクロコウジ”がもたらした幸福なのでしょうかね」

「さぁな。……さて、こいつを運ぶのを手伝ってくれるかい?」

「……はい……。あっあの、そう言えば、まだお名前を伺っていませんでした。良ければ……」

「あぁ、俺の名前は――――」

 

 

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