キノの旅(✕フーと散歩) -the Wonderful Days-   作:水霧

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第六話:がんぼうのはなし -××× Holic- by alias(オリ) 

「ようこそ、我がお店へ。今日はどういったご用件で?」

「あの私、ここに用事はないんですけど……。気付いたらここにいて……。すみません、何言ってるのか分からないですよね」

「いいえ。それはアナタの“願望”がアナタのカラダを動かしたのよ」

「“願望”?」

「ええ。つまり、私とアナタがこの場で出会ったことは“ヒツゼン”ってこと」

「そんなはずは……」

「いいわよ。アナタの“願望”を叶えてあげましょう。それが私の義務でありこの店の役目なの。ただし、きっちりと“対価”を支払う必要があるけれども」

「……」

「何かあるのでしょう?」

「……とてもくだらないことかもしれないけど……」

「けっこうよ」

「今、読んでる小説があって、内容に疑問があるんです。どうしてもそれが知りたくて……」

「疑問とは?」

「この小説に出てくる主人公と相棒がいるんですけど、二人がどういう目的を持っているのかが知りたいんです。作中では知るヒントがほとんどなくて……」

「どれ? ……ふむ……」

「主人公はどうしても相棒に真相を聞き出そうとしないんです。でも、その相棒は確実に何らかの目的があって行動しているとしか思えないんです。もしかして、相棒には主人公に知られたくないことがあるのではって」

「なるほど。つまり“相棒は主人公にとってやってほしくないことをやろうとしている”、と?」

「そう! ……でも、それを知ったところでどうこうなるものじゃないし……」

「……これも何かの縁か……」

「え?」

「いいでしょう。あなたの願い、叶えましょう」

「本当ですかっ! ありがとうございます!」

「ただし、さっき言ったように、“対価”を払わなくてはいけないの」

「それはお金ですか?」

「いえ……“名前”をいただくわ」

「……え?」

 着物を着た黒い長髪の女が不気味に笑う。

 

 

 吸い込まれそうなほどに青い空。一点の曇りもない快晴に太陽が優しく煌めいていた。日差しが温かく、心躍るような気分にさせてくれる。

 春の気分を感じさせる気候の中、黒い木製の塀に囲まれた西洋風の一軒家。その家はとある国の、高層マンションに囲われていた。見る人が見ると、普通の空き地にしか見えないが、“見えない”人が見ると……。

「ふー! こりゃいい天気だねえ」

 家の縁側で背伸びする女がいた。黒いワンピースに長髪を垂らし、金のネックレスをしている。若く見えるが、実際の年齢は判断が付かない。言葉では説明のできない、ミステリアスな女だった。

 女の傍らには木製の丸トレイとブランデーのボトル、グラスが置いてあった。それに酒を注ぎ、グッと口に運ぶ。

「ふはー……」

 そこより離れた所では、

「なんでこうも毎日掃除する場所が増えてるんだよっ! ゴミ屋敷にでも憧れてるのかよっ」

 せいせいと励んでいた。眼鏡をかけた男子学生で、学生服の上に白い割烹着を着て、母親のように怒鳴り散らしている。

 男子学生がノートパソコンを持って、女の所へやって来た。

「しかも当の本人は朝から飲んだくれてるし!」

「いい、“ワタヌキ”?」

「?」

 “ワタヌキ”と呼ばれた男子学生は女にノートパソコンを手渡した。

 起動してすぐに操作をし始める。

「私はただお酒を嗜んでいるだけじゃないわ」

「は、はぁ……確か、昨日のお客さんから教えてもらった小説なんすよね? 俺も少し読みました。けど、いくら展開が気になるからって、それを知ることってできるもんなんすか?」

「そうねえ……」

 くいっとお猪口(ちょこ)を口へ傾ける。

「っていうか酒飲みながらかよ!」

「くはあっ。……寝起きの一杯はたまらんね!」

「やっぱりただの飲んだくれじゃねえかっ!」

 再び、ワタヌキは大掃除という作業に戻る、のを強引に呼び止められた。

 ワタヌキの顎に人差し指を添える。

「私はね、ある存在によって“待たされている”の」

「待たされてるって誰に……?」

「……昨日は天気雨、つまり“狐の嫁入り”が来たわね?」

「……!」

 はっとして、何かに気付く。

「また小狼(シャオラン)君たちに何かあったんですかっ?」

「いや、今回は別の世界からのお客様ね」

「え?」

「何かあったようなんだけど、ちょうど一日過ぎてる」

 そう言っていると、

「!」

 突然、ユウコの前方の空が歪み、粘液が落ちるようにどろっと滴った。

「これって……さくらちゃんたちが通ってきた……」

「やっと来た」

「……!」

 ワタヌキが口を手で覆っていた。

 黒塗りの人間が二人いた。一人は黒いセーターを着て、藍色のジーンズを通し、熟れたスニーカーを履いている。

 男と断定できる黒塗りの人間は横たわり、身体が下半身から斜めへ半分吹っ飛んでいる。左腕は健全だが、右腕がかろうじて繋がっている程度だ。

 どろどろと黒い何かが地面を黒く濁していく。それが何かワタヌキは理解していた。喉奥から熱いものを必死で抑えこむので精一杯だった。

「……」

 それを冷ややかな目付きで眺めているユウコ。

「ゆ、ユっコさん……これって……」

 どうにか漏らした声が言葉になる。

「お嬢さん」

 ワタヌキの言葉をひとまず置いてユウコが話しかける。その横にいるもう一人の黒塗りの“少女”。こちらは服装も身体的特徴も何も分からない。ただ人型の陰が、男の腹の上で泣いている。

 その涙と声だけが伝わっていた。とても綺麗で優しい声で、しかし今は絶望に似た悲しみで潰されていた。

「お嬢さん」

 強めに言い掛けると、ようやくユウコたちに気付き、周りの異変にも気付いた。

「こ、ここは……? あなた方は誰っ? 敵ですかっ?」

 男を庇うように、ユウコたちに相対する。その両手にはナイフが握られていた。格子状の小さい檻に刃を仕込んだような形の仕込み式ナイフで、隙間には薄い膜のようなものが張り合わさっていた。柄が少女の握る拳三つ半くらいの長さはある。

 かたかたと震えていた。

「落ち着きなさい」

 ユウコが少女の顎を人差し指でそっと持ち上げる。まるで魔女に魅入られたかのように、少女はすうっと力が抜けていった。

「あ! また女の子に毒牙をっ!」

「だから何なのよそれ、ってボケてる場合じゃないわ」

 少女に向き直す。

「率直に言えば、その子を助けるために私が呼び寄せたわ」

「……ユウコさんが?」

 驚いたのはワタヌキだった。

「助けてくれるのですか……? 見ず知らずなのに……?」

 少女が涙を落として見つめる。

「どういう形であれ、縁は結ばれた。そしてあなたはここに呼ばれた。強い願いと意志を持って。その二つが強ければ強いほど、願いは叶う」

「……あなたは一体……?」

「私は占い師のユウコ。次に起きてくれた時に覚えてくれればいいわ」

「?」

 少女の額に指が触れた。

 ぴしん、静電気のようなものが一気に貫き、呆気なく少女が倒れこんだ。

 はわはわ、とワタヌキがてんてこ舞いで慌てている。

「え、な、なんでって俺どうすればっ?」

「ワタヌキ、急いで買い出ししてきなさい」

「え? どうしてです?」

 にんまり、とワタヌキを見る。

「そりゃ蘇った後のどんちゃん騒ぎのためでしょーよ!」

 ずるっと滑った。

「こんな時におふざけしてる場合かよっ! でも必要なら行ってきますよっ!」

 怒っているのか燃えているのか、ワタヌキは全速力で向かっていった。

 どこからともなく、ふわりと黒い生き物が飛んできた。

「小狼たちとは全くの無関係な世界なのに、どうして起こった?」

「お客様が縁を紡いだのよ。架空の世界と人物をこちらへ引き込んだ」

 ちらりと男を見やる。ぱちんと指を鳴らすと、白い光が男と少女を別々に包み出す。

「全員からそれぞれの“対価”をもらっているから、何の問題もないわ。後で穴埋め作業が必要になるけど」

「……ワタヌキとあんまり関わらせない方が良いと思うゾ」

「そうね。でも、知っておくのもいいかもしれない。縁というものが良くも悪くもどれほど深いものかを」

 

 

「……ここは……」

 黒塗りの男が立っていた。何もない真っ白な空間で、身体も元に戻って。

「一体ここはどこだ。オレは確かあそこでたたか、……!」

 まるで一枚の絵を描き上げていくように、景色が創り出されていく。黒い鉛筆で走り書きした“あたり”から、道行く人々の大雑把な形、造形物の形へ。そこから細かく刻まれていく。金銀の装飾のされた豪華絢爛な建物、それがいくつも折り重なって街になっていく。ある隙間には木々が生い茂り、ある場所では広大な芝生と自然公園が。街がいかに豊かであるかが、スケッチのような景色で見せつけられる。

 そんな街から外れるように、一つの家があった。豪華とは言い難い、良く言えばアンティークな家。しかし小さいし古い。

「……」

 男は口を開けて、立ち尽くしていた。

「はっ、はっ、はっ」

 声が聴こえる。小さくて精一杯の息切れ。たったった、と小刻みに聞こえる、軽く小さな足音。

 その正体を振り返って見ようとはしなかった。それどころか、俯いて歯を軋ませている。

 震えている。

 男をすり抜けていく小柄な男の子。ランドセルを元気良く揺らし、古めかしい家へ一直線に駆けて行った。

 それを追うように、ふらふらと歩き出す。男の子がその家のドアを開け、何かを言いながら一気に中へ入っていく。声が全く聞こえなかった。

 一歩、一歩と近づく度に油絵に水をぶちまけたように、周りの景色がどろどろと溶け出していた。その様子を本人は見えていない、気付くことができなかった。震えが止まらない。

 家に着き、ひたっと腫れ物を触るようにドアノブに触れて、握る。急に動悸がして反射的に手を引くが、その手が離れてくれない。他の部分は動くというのに、その瞬間だけはやたらと焦らしていた。死の直前が永遠かと思うように。

 遂に、思い切り力が入り、ドアをひっぱ、

「ダメよ」

 るのを、押し込む手があった。物凄い力でびくともしない。

 そちらを見ると、見たこともない女がいた。

「この先はあなたが何度も目にしてきたことでしょう?」

「……だれ?」

 男が睨みつける。

「私は占い師のユウコ。あなたの夢の世界にやって来た。夢というよりも三途の川の代わりかしら?」

「このさきのことをしってるの?」

「ええ」

「どうして?」

「私がタダものでないのは分かるでしょ? そういうこと」

「……」

 男は淡々と質問を浴びせる。

「なんのためにここへ?」

「願いを叶えるために」

「だれの?」

「……あなたの大切な人」

「!」

 瞠目する。

「その子が望まぬことを、あなたがやろうとしている。それを止めるために“対価”を支払ってまで、あなたの夢にお邪魔したのよ。だから、さっさと帰るわよ。いつまで迷惑かける気?」

「うらないしだかなんだかしらないけど、そいつに言ってやってくれ。余計なお世話だって」

 ぐっと男が全力を出した。びくともしなかったドアがぎちぎちと悲鳴を上げて、開かれようとしている。

「まだ言わなければ分からない?」

「な、何を?」

「……あなたは気付いたのでしょう? 仕組まれていたことに」

「!」

 ぴたっと手が止まった。

「とある出会いや別れが、誰の意図であるかに気付いてしまった」

「……」

「この世にグウゼンなんてものはない。全てが何かしらの目的をもってヒツゼンと成る。それに気付くのはとても難しい。でも、あなたは自力で気付いてしまった。本当なら、誰かに教えてもらって初めて分かることを。だから誰にも言わず、全て独力でどうにかしようとしている」

「……分かった」

 そっと手を話すと、

「あんたを殺す方が早いらしい」

 懐からナイフを取り出した。“仕込み式ナイフ”を左手逆手に持ち、ユウコに敵対する。

「本当はとっとと帰るんだけど、“対価”を受け取ったからには全うしないと」

 こき、とユウコの右手が唸る。

 男はナイフを左手に逆手で持ち、軽く伸ばす。相手に対して右脚を軽く引き、半身の体勢を取った。ゆらゆらと独特のリズムを刻む。

「その“ナイフ”だって本当は誰かを殺すために(こしら)えたんじゃない」

 ぐわ、と右手を黒塗りの人間にかざした。

「うるさい!」

 男は突進してきた。姿勢を低く、女の懐にあっという間に飛び込む。狙うのは胴体や頭ではなく、

「!」

 かざした右腕。しかし、胴体を抉る角度で右腕を薙ぎ払うように突き刺し、

「……えっ」

 ビタリ、と左手で刃を摘まれた。

「う」

 全力を込めても一切動かない。男の腕から全身が震えるだけ。

 押し込むことに気を取られた刹那、腹にそっと右手が覗く。

「そのナイフは、あなたを守るために作られた」

「!」

 どでかい鉄球が腹に衝突してきてきたかのように、轟音と共に吹っ飛んだ。ごろごろとボールのように転がっていき、やがて止まる、

「かっはっ……!」

 のを、勢いを活かして立ち上がった。しかし、吐血までは抑えられない。

 苦しそうに湿った呼吸を繰り返す。

「いつものあなたなら一直線で向かわないのに」

「いいかげんだまれよっ!」

 血を吐きながら男が急発進し、屈むように急接近。再び懐に“呼び込む”ユウコ。今度は脚。特に右太腿へ突き刺、

「っ」

 ピタッと止まった。フェイントだ。男の左手にナイフが無い。危機を察し、後ろに飛んで後退するも、追撃の小さいナイフが二本顔面へ。そして、その二本に隠れるように腹と足首へ。

 的を射る矢のような鈍い音が四回聞こえた。

「……!」

 しかし、ユウコの身体にはナイフどころか、傷一つ付いていない。

「悪夢から醒めなさい。あなたがこうして戦っている間にも、“対価”を払い続けているのよ」

「……“対価”?」

「そう。“彼女”はあなたを生き返らせる、その願いを叶えるために“対価”を支払った。後の人生を大きく揺るがすくらいの大きな“対価”をね」

「……デタラメどこの話じゃないな。あんた、どこか頭おかしいんじゃないか? なんだ? さっきから願いを叶えるとか夢を覚ますとか。馬鹿にしてんのか?」

 再び戦うリズムを整える。

「では、あなたの放ったナイフ四本はどこにいったか分かる?」

「外れたんだ。どっかいったんだろう?」

 すっと右手の掌を見せつけるように、男に向ける。軽く握り込み、離した。

「!」

 ユウコの右手に投擲用ナイフが四本きっちり置かれていた。しかも血の一滴もない。

「それに、最初にあなたをふっ飛ばした時も身体に一切触れてなかったの、気付いてたんじゃないかしら? いや、気付かないフリをしていた」

「……」

「とある話によると、あなたの戦い方は誰かに似ているそうだけど、果たして本当に独学で身に付けたのか。あるいは途中から独学だったのか。師匠なる人間が何らかのげん、」

「やめろ……」

 ずり、と後退(あとずさ)る。

「やめろっ!」

「今のあなたは本来の自分。だからどうしたって強者に勝てない」

「やめろおおっ!」

 全力でナイフを握り締めて突進してきた。ただ、何か考えがあるわけではなく、目の前の女に恐怖して闇雲に走り出しただけ。

「そう。今のあなたは“直感がほとんどない状態”なのだから」

 

 

「……!」

 蝶の刺繍入りのベッドから、男が飛び起きた。

 ぽとりとタオルが落っこちる。手に取ると、温かみを持って湿っていた。

「……ここは……」

「起きたわね」

 すとん、と(ふすま)を開けて入ってきた。

「あんたは?」

「……私はこの店の主ユウコ」

「それ、どこかで聞いた……」

 にこりとユウコが妖しく微笑んだ。

「そう。ここは願いを叶える店。私はその願いを叶えることができる占い師。この店に訪れたということは、あなたに願いがあるということ」

「願い、……!」

 男が突然、頭を下げる。

「助けてもらったようで悪いんだけど、急がないといけな、いっづ……!」

 下半身を貫き抜ける電撃痛。何もなく、脂汗が滲み出てきた。だが、確かに両脚はあるし、しっかり動く。神経痛とは違う不思議な激痛だった。

 ユウコがタオルごと男に押し付け、横にさせた。

「今は眠りなさい。真実を知るのはまだ先よ。今ではない」

「……! あれ、さっきおきた、ばっかり……」

 瞼が半分閉じかかり、

「ま、まだきくっことが……あ……」

 意識を手放した。

「元気かどうか分かれば十分。もし今知れば、私を殺すでしょうからね」

 寝室を出てから縁側を通り、客室用の和室へ向かう。

「随分痩せたわね」

 少女が両脚を伸ばして座っていた。祈るように手を組み、静かに目を閉じている。

 すぐ隣でワタヌキが心配そうに見つめていた。

「あと三日っすよ。その前に力尽きちゃうんじゃ……」

「彼を元通りにするには、莫大な“対価”が必要なのよ。命や記憶でも払えないとすれば、もう欲求を一つ潰すくらいでないと吊り合わない」

 二人の会話にピクリとも反応しない。とても静かに、精神を研ぎ澄ませている。

「一週間の水すら絶つ絶食。あとは彼女の“鱗”。これでようやく過不足無い“対価”となった」

 懐から何かを取り出した。透明度の高い緑色の膜だった。まるで鋼鉄のように固く、名刀のように鋭い。不用意に“縁”を触れば指を抉るほどだった。

「もし“これ”がなければ、一生食欲を消すことになっていた。それでも彼女にとっては苦渋の決断だったでしょうね」

 ワタヌキにそれを見せた。

「どう見える?」

「……」

 何とも言えぬ複雑な表情。

「縁が深そうな柔らかいものと、アヤカシで見るような黒いものが両方見えるっす」

「でも本人が誰かを呪おうとして仕込んだものじゃないのよ」

「?」

「無意識的に悪夢が呼び起こされるのよ。その時の苦痛や憎悪がこうやって染み付いてしまうことがある。曰くつきの人形や骨董品なんかがそうね」

「じゃあ縁の方は?」

「……恩人と知り合える切欠になった」

 

 

 夜。月のない空がどんよりと広がり、肌寒さを一層際立たせる。真冬の一夜かと錯覚してしまいそうだった。

 ワタヌキが帰り、ひっそりと縁側にいるユウコが眺めていた。

 すとん、と誰かが横に座る。

「事情は黒いへんてこなヤツから聞いた」

 男だった。

「もう回復したの?」

「四日くらい経ってるから早い方じゃないだろう?」

「あの怪我じゃ、二週間はかかると思ってたのに」

「……オレなんかのために一週間飲まず食わずで、その分のエネルギーをこっちに寄せてくれてたそうだな。……どういう理屈なのかさっぱり分かんないけど、感謝するよ」

「……」

 すすっとユウコが男に寄越したのは、ボトル酒と小さい (さかづき)だった。一瞬だけ難色を示したが、ありがたく頂戴することにした。軽く啜ってから、咳き込む。

 すうっとキセルを吸い、漏れ出るように吹いた。

「……ナイフのこと、本人から聞いたの?」

 ゆらゆらと盃を傾けて回し、見つめる。

「いえ。私は占い師だからね。あなたの名前を聞かずともいくらかはお見通し」

「占い師より魔法使いのお姉さんって感じがする」

「あらー、もっと言ってくれてもいいのよ?」

 きゃぴきゃぴ喜んでいた。

 くっ、と盃を口元で傾ける。

「ふぅ……。あの時、オレに言ってたよな。“あなたを守るため”って」

「ただの口上よ」

「え?」

「武器というのは相手を殺すために作られた。言い換えれば、それは自分を守るためとも言えなくはない。ただあなたが自分から白状しただけよ」

「うわっ、なんだよインチキじゃんかっ!」

「ふふふ……」

 狐が化かしたように、怪しげに微笑む。

 自棄(やけ)になって盃を飲み切ると、そこへ間髪入れずにユウコがまた注いでいく。だんだんと男の表情が引きつってきた。

「酒攻め?」

「そっ」

「……」

 諦めがついたようにため息をつく。

 男は懐から自分のナイフを取り出した。それをユウコに渡す。

 じっくりと品定めし、外へ掲げた。光の薄く暗い夜中のはずなのに、薄っすらと温かく白い“何か”が見えている。まるで柔らかいシルクの帯が棚引(たなび)くよう。

 男には見えずとも、“それ”を感じ取っていた。

「そいつはちょっとした人から借りたものなんだ。だから壊すわけにはいかなくって」

「そう。でも、そう簡単に壊れないでしょ?」

「……分かるの?」

 盃をそっと側に置いた。

「ええ。普通の存在でない人物が自分の身を一部捧げて作り上げている。誰かのために純粋に一生懸命に……。それに、」

「それに?」

 ふわっ、と白い帯が男の方へ揺らめいている。

「鼻の下伸ばしてると、へそ曲げちゃうようね」

「……へ?」

 ユウコから返してもらうと、心なしかずっしりと重みを感じる、気がする。

 苦笑いしながら、セーターの中に戻した。

「一つ聞いていい?」

「どうぞ」

 男がきちんと向き直した。

「願いってのはオレのも叶えられるものなのか?」

「もちろん。あなたたちはコチラに呼び出されたけど、この店に入れることとは別。とても強い願いを持っているから入れたの」

 そっか、と息を整えながら言葉を返す。

 ふぅ、と息を切った。

「……両脚を元通りにできる?」

「それがあなたの願い?」

「うん」

「そのために旅をしていたの?」

「……そうだよ。不本意で失くしたのを聞いてさ。その……どうにかできないかって……」

 持っていたグラスをボトルの隣に置く。

 一言、できるわよ、と呟くように伝えた。

「ただ、せっかく彼女が治してくれた脚と、彼女との縁を失うことになるわよ? 記憶を失い、すれ違っても絶対に知り合うことすらない関係になるわ。それでもいいのかしら?」

「……」

 男は、

「いいよ。それで元通りにできるなら」

 即答した。

 にぃ、とユウコの口角が上がった。そしてにやにやと小馬鹿にした笑みを零し始める。

 男が何のことだが理解できない内に、

「もう一杯」

 と、ユウコの飲んでいたグラスに()いで、男に渡した。

「な、なんだよ。笑えることじゃないでしょ?」

「いやはや。彼女にはお見通しだったわけね」

「?」

 

 

「あの、一つだけお願いがあります」

 少女が準備に入る前にユウコに話す。

「何かしら?」

「きっと私が“対価”を払っている間に、あの人は目覚めると思うんです。その時に、この脚について願い出たら、断ってくれませんか?」

「なぜ? 願ってもない願いなのに」

「……昔には戻りたくありません……。あの人からいただいた“脚”で生きていたいんです……」

「縁を深めるために、ね?」

「……はい」

「分かったわ。伝えておく」

「……これも新たに“対価”を支払う必要はありますか?」

「いえ。個人的なお願いってことにしときましょうかね」

「ありがとうございます」

「きっと“対価”を支払いきることができるわ。あなたは死んではいけないのよ」

「はい。気合と根性で乗り切りますよ」

 

 

「……」

 男は話を聞いて深く考えていた。

「占い師さん、オレ、……!」

 ピッ、と話そうとする口に人差し指を当てる。

「その言葉は、あなたが“帰った”時に言いなさい。あなたの無事を何よりも願っているのはその人なんだから」

「……」

 力強く首を縦に振った。

「さて、彼女はもう少しここにいなければならないけど、あなたはどうする?」

「戻れるのか?」

「戻れるというよりも、その時が近づいてる」

「……!」

 男はふと思い出し、表情が締まる。

「行くよ。ちゃちゃっと終わらせてくる」

「その意気ね。さすがに人魚の子孫を手玉に取る度胸があるわ」

「て、手玉って! ……え?」

 夜闇の中、男の周りを白い光が包む。

「戻れば“あの時”から始まる。集中なさい。万が一、不意の一撃で死ぬのは情けないから」

「……うん」

「分かっているとは思うけど、この世界とあちらの世界が交わって今回の出来事が起こった。彼女もそちらに送ったら、二度と行き来することはできない」

「誰かの強い願いがあったから、か」

「そう。でも消えるわけじゃない。縁は繋がっている。扉の隙間から細い糸が手繰られるように」

「うん」

 光がカーテンのように男を閉じていくにつれ、黒塗りがぱりぱりと剥がれ、

「!」

 素顔が見え、

「あのお手伝いくんによろしく言っといて。そっちも色々大変そうだし」

「直感が“戻る”のも厄介ね。それ“も”伝えておくわ」

 にこりと微笑み、光と共に消え去っていった。

「……」

 男がいた所を凝視するユウコ。

「“八百比丘尼《やおぴくに》”……か」

 

 

 数日後の昼。

「ふぅ……ふぅ……」

 渇ききった汗腺から、絞り切るようにして滲んできた汗が粒となってようやく一滴となる。

 少女の精神と身体は限界を軽く超えていた。肉は細り皮がたるみ、力も残されていない。しかし集中して維持し続けることで、どうにか堪えていた。瞬きするという行為だけでも崩れてしまうほどの極限状態。

 ワタヌキもじっと少女を見守っている。彼はさすがに別室で食事を取っていたが、一日に一食以下、補助食品で賄っていた。空腹よりも、自分よりも年下“らしき”少女が“対価”を払っていることに胸が締め付けられている。

「学校も何回も休んでていいのかしら?」

「ゆ、ユウコさん」

 すとん、と襖を開けて入ってきた。

「ワタヌキも痩せたわね。豪勢な料理を作る体力はあるの?」

「その時は嬉しさで忘れてますよ」

「……そ」

 ニコッと笑う。

 ワタヌキが少女を見つめた。

「……縁って誰かと関わっていれば自然とできるものだと思ってました」

「……」

「でも、一緒にいたいだけなのに簡単に千切れてしまうこともあるなんて。もっと強くするために“対価”を払って……でもまた切れそうになるからより強くするために……」

 じぃっとワタヌキを見るユウコ。

「旅人は並の人よりも出会いと別れを繰り返していき、そしてあっさりと死んでいく人種。だからこそ相棒同士の縁はとても大切なの。彼らは縁を結び直すわ。何重にも」

 ぐらり、

「!」

 と少女が倒れ込んだ。

「大丈夫っ?」

「……ふぅ」

 ユウコの顔から緊張が取れ、思わず溜め息をついた。

「ユウコさん?」

「少し早かったけど、完了したってことね。やり遂げてくれたわ」

 みるみるワタヌキの表情に活力が漲り、笑みが零れた。

「ワタヌキ、頼んだわよ」

「はい!」

 ユウコに少女を預けて、ドタドタと走っていった。

「単純ねえ。でも、分かりやすくていいのかも」

 少女を見やる。

「う、うら……な、いしさん……」

「よく頑張ったわね。これで終了よ」

「あ、あのひとは……?」

「無事に向こうへ送り届けた。あなたはまだここでゆっくりしなさい」

「で、でも……あのひとは……あっちで……」

「向こうは向こうで片付ける、心配ない。仲間もいるでしょ?」

「……よ、よか……った……」

 優しく微笑むと、糸が切れたように意識を失った。

「この三日は静養して、たっぷり食べてもらわないとね」

 

 

 奥深い地下の中、等間隔に立てられた石柱の空間。しかし今は何らかの影響で崩れ落ちていた。上を見ると、上層階が曝け出している。

 そこで一人の男が、

「こんなものか?」

 一人の旅人を蹴り上げていた。

 旅人は力なく勢いのまま転がり、石柱に激突する。

 しばらくして、痙攣を起こしているかのように、身体を震わせながら立ち上がった。

 旅人はふわふわとした茶髪と優しい目付きが特徴的だった。しかし今は戦いの痕か、顔に擦り傷や打撲、枯草色のセーターがほつれたり欠けたりしている。しかも疲労と激痛で虚ろな目になっていた。こふ、と血の混じった唾が滲む。

 蹴られた腹回りを押さえていた。

「お前が頑張らないと連れて行かれるのだぞ? もっと頑張ったらどうだ?」

「はぁ……はぁ、……っ!」

 意識が失いそうになるのを、必死で繋ぎ止めていた。

 もぞもぞとセーターの左胸ポケットから顔を覗かせた。そちらを一目して、

「大丈夫。ぼくは、っ……なんともないから……」

 血を含んだ笑顔を見せる。

 そっと両太腿に備えられている銀色の銃に触れ、一瞬目色に力が戻る。

 ふっ、と音も立てぬ早さで撃ち抜い、

「ぐぁっ!」

 右肩に何かが突き刺さった。真っ直ぐ貫通し、穴から血が吹き出す。男が銃を抜き、正確に旅人の右肩を抜いていた。

 ところが、

「な、なに……?」

 男は脇腹を取られていた。旅人の左手に銀銃が握られている。

「き、貴様、オーバーアクションでわざと……!」

 優位に立っていた男もさすがに膝を地に着けた。

 逆に旅人は立ったまま、サバイバルナイフを左手に取った。 装填する暇もなく、そもそも弾薬が尽きていた。

「右腕がもがれたって行かせない……! 絶対に!」

 旅人が走り出し、走り出し、

「……!」

 ぐらぐらと足元が覚束無くなり、男の直前で前のめりに倒れこんだ。衝撃でサバイバルナイフが前へ滑り転がっていく。

「う……く……」

 それに手を伸ばすも、手が動かない。電池が切れたように震えているだけだった。

 口から血を垂らしながらも、頬が吊り上がる。

「最後のイタチっ屁ってやつだ。オレに一矢報いるだけで身体が精一杯だったのだ。が……オレも軽くは、ない……」

 強がっていても、脇腹がどんどん赤く染み出している。

 くく、と急に鼻で笑う。

「やっと来たか……遅いぞ、×××……」

 

 

「あちらは大丈夫そうね。一時はどうなることかと思ったけど、なるほどねえ。そんな名前だったか。……なるほどなるほど。あーなってこうなって、結構深い事情を抱えてるのねえ」

 客室にあるベッドで、空間に開いた穴からその様子を見ていたユウコ。指で切るように振ると、穴が塞がっていった。

「それよりもユウコさん」

「なに?」

「あの二人の名前、最後まで聞かなかったっすね」

「前も言ったでしょ? 名前はとても大事だって。名前が刻まれることで対象に性質と力を与えるのよ。特にあの二人は“真名”を隠さなければいけない事情がある」

「事情? なんすかそれ?」

「詳しくは実際に読んでみなさいな。あ、原作の方がいいわよ。こっちは二次創作だし」

「知るかっ!」

 くすくす、と笑っている。

「それより、もうお客さん来るっすよ」

「はいはい」

 遠くから女の子の声がし、ユウコたちのいる部屋へ招かれたのは一人の“客”だった。

「どう? 以前言ったように、一週間後くらいに内容が更新されているでしょ?」

「はい! ありがとうございます! でも……少し変なんです」

「変、とは?」

 “客”は自分の携帯電話を操作し、ユウコに見せる。

「冒頭の台詞、私がユウコさんにお話ししたこととそっくりなんです。それに、お二人ともこの話に登場しているような……」

「!」

 慌ててワタヌキも見てみると、確かにそのようなことがつらつらと記されていた。

「しかも内容は占い師さんとそちらの男の子が、主人公たちをこちらの世界に呼び出し、治療する。その間に確かに重要な事が書いてありましたが、なんだか薄気味悪くて……。どういうことなんです? 実際に執筆者と会ってきたんですか?」

「私はただ、あなたが知りたかった“相棒が主人公にとってやってほしくないことをやろうとしている”ことを教えただけ。それ以外は特に何もしていないわよ。それに良かったじゃない。あなたも登場しているようだし、発起人だし」

「わ、私はただ知りたかっただけですっ。まるで私が皆さんに酷いことをしたような印象になるじゃないですかっ!」

「でもそのおかげで“縁”ができた」

 ユウコが振り向くと、そこには心配そうにひょっこりと少女が出てきた。

「あの、占い師さん、お話って……?」

「……あれ、どこかで見たことがあるような……」

 “客”が少女の方へ歩き、ぺたぺたと触り始める。

「あ、あの、何でしょう?」

 そして核心を持ち始めた。

「もしかして、私が読んでる小説の主人公……?」

「? ……?」

 少女は話していることの意味がよく理解できていないようだ。

 ユウコが割って入り、事情を説明し出す。

「実は、このお客様はあなたのファンみたいでね。ちょっと教えてほしいことがあるの」

「……占い師さんは恩人ですから、何なりと」

「あなたが考える“あなたの望まないことと相棒が望むこと”を改めて教えて。そうすればお客様の願いが叶い、晴れて元の国に帰れるわ」

「逆に言えば、教えないと一生帰れないということですね?」

 こくり、と無言で頷く。

「……私はあの人に死んでほしくありません。ですが彼は目的を達成するために、時に死を懸けることもあります。それをやってほしくないんです」

「目的って?」

 “客”が興奮しながらも尋ねる。もちろん、客の目からも少女は黒塗りのままで姿は特定できない。

「!」

 急に少女が白い光に包まれ出した。

 ワタヌキがユウコの仕業だろうと見てみると、表情が一変している。恐ろしく目付きが鋭くなり、事態の行き先に緊張の一線を張っている。

 不慮の出来事だった。

「ユウコさん、これって……?」

 不安に見えた表情に、思わず聞く。

「また何かあったようね。本人は死んでないのは感じる」

「な、なにかって……?」

 少女も聞かずにはいられなかった。

「悠長なことは言っていられない。すぐにそっちへ送り届けるわ」

 ぱちん、と指を鳴らす。勢い良く光のカーテンに囲われていき、羽が生え始めた。

「ありがとうございました! 絶対に忘れません!」

 少女を守るように覆い被せる隙間で、

「!」

 ぱりぱりと黒塗りが剥がされていく。

「……え?」

 爽やかな水色の瞳が綻び、

「またいつかっ!」

 直後に光を撒き散らし、どこかへと消えていった。

「……」

 ワタヌキたちが呆然と光の飛び立つ軌跡を眺めていた。

「なるほど。あんな美人さんなら、誰だって夢中になるわね。……さて」

 ユウコが“こちら”へ振り向き、笑みを浮かべた。

「あなたが“対価”を支払い、真名を失った。しかし、既に“偽名”を持っているようね。……話していた“目的”は聞けなかったけど、これで願いは叶えられたかしら? “××××”さん?」

 

 

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