キノの旅(✕フーと散歩) -the Wonderful Days-   作:水霧

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第一話:たべたいくに -Eating is Myself!-

 薄い膜を張ったような雲が空一面に広がっていた。その膜が強い太陽光を拡散して和らげていく。

 遠くに山が薄く広がっている。昼ごろの太陽の位置から考えると南から南西方面にある。山肌を露わにせず、かと言って木々に覆われているわけでもなかった。黄緑色の背の低い草本が山を伝って生えていた。

 その緑の波は麓から平野にまで渡っている。しかしぽつぽつと水源が溜まっていた。つまり、ここは湿原だ。綺麗に生え渡っていると見せかけて、実は大地が泥濘(ぬかる)んでいる所が多い。

 加えて、穏やかな陽気でこの地帯に合っているかのような気候だ。

 ちりちり、きききき、ばしょん、と虫や動物たちが蠢いている。

 唯一、湿原を通るために舗装されたコンクリート道を駆け抜けていく。この道は周囲より浮き出るように作られている。高さは百五十センチほどか。また、長年の侵食のせいなのか、ひび割れを起こしていた。そこら中から水が染み出しているのが見える。

 一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)がそんな道を走っていた。後部座席にはキャリアを装着して、大きな荷物を載せている。

 運転手は急ぐように全開で走っている。

「ピーピーピー」

「どうしたの?」

 運転手は、眠たそうに返事をした。

 若い。運転手は十代中頃で、白いシャツの上に黒いジャケットを、前を少し開けて着ていた。腰にいくつかのポーチを、ベルトで付けている。

 (つば)と耳垂のついた帽子を深くかぶり、ゴーグルをかけている。

 右の太腿(ふともも)にホルスターがあり、リヴォルバータイプのパースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)が収納されている。背中には自動式のパースエイダーがグリップを上にしてしまってある。

「ピンチサインだね」

「なるほど。初めて聞いたよ」

 モトラドの“エルメス”は興味なさげに相槌を打つ。

「正直に言いなよ。こっちに来て後悔してるでしょ?」

「どうしてだい?」

「そりゃあちょっとでも操作をしくじれば、動物たちの餌になる状況だし」

 遠くで動物の呻き声と唸り声が聞こえた。

「いつものことでしょ」

「それに燃料が尽きそうだし」

「次の国に期待するさ」

「それに、このまま進むとさらにキノが太ることになりそうだし」

「あ、聞いてたんだ。あの話」

「キノを豚に仕立て上げる国と聞けば、誰でも心配するよ」

「大丈夫。自制するから」

「キノじゃなくてその国の方が心配だよ」

「そんなに食い意地張ってるかな?」

「多分、大食い大会で優勝できるくらい」

「それはまた違う気がするけど」

 暢気に話しながら、道を進んで行く。

 

 

 地平線の彼方から茶色い壁が見えてきた。もっと近づくと、キノが、

「面白い作りだ」

 感心した。

 大小太細な丸太が国を囲うように大地に突き刺さっている。地中深く打たれた杭のようだった。これが城壁の代わりと成している。高く、表面がとても滑らかなくせに先端が尖っているので、ここからの侵入は不可能に近い。

 陸続きである道の所には同じような丸太の門があり、左右に門番がいた。しかし彼らは武器を携帯しておらず、木製の盾を持っているだけだった。

「こんなとこじゃ、石とかコンクリートの方がいいと思うんだけどねえ」

 キノは門より手前で停車した。

「こんにちは旅人さん。この村に入国されたいのですか?」

 目を合わせるために、少し首を上げる。

「はい」

「ですよね。どうぞどうぞ、お通りください」

「……え?」

 何の気なしに、もっと言えば呆気なく門が開かれた。

「あの、入国審査は?」

「そんなもんしないですよ。怪しそうな人じゃないですし。それとも村を滅ぼしに来ましたか?」

「とんでもない」

「なら大丈夫。なんもないですが、ごゆっくりどうぞ」

「……」

 

 

 中に入ると、

「へえ」

 面白い光景が広がっていた。

 道を中心として、そこから橋を架けるように丸太の道が広がっていく。その先では広場になっていたり、家が建っていたりと村を形成していた。あるいは道に面して建物が建っている所もある。言うなれば木材の大地だ。

 家の下には大きい柱が突き抜けており、そこに(ねずみ)返しが付いている。高床式という表現が合っているかもしれない。

 道の末には出口の門が見えていた。

 キノはエルメスのエンジンを切り、押して歩いて行く。

「なるほどね。こんなとこじゃ建物の基礎も作れないのか。ならいっそ、杭を深く突き刺して、それを基礎に建物を作った方が早いってわけだ」

 一旦エルメスを置いて、丸太の道から身を乗り出し、

「変な気分だよ」

 下を見た。大きい木の杭が支えとなって大地へと食い込んでいる。ただし、大地は湿地続きなので泥濘みは激しく、湿地を好む草も生え渡っている。

 なるほど、と深く頷き、再び歩き出した。

 命を支える木材の大地は頑丈に作られており、紙も通さないほどにびっちりと敷き詰められている。しかし、丸太同士が擦れるように、きしきしと軋む。

 風の噂を聞きつけて、木の家から何人かやってきた。物珍しそうに、

「こんにちは旅人さん」

 女の子がほんのりと笑顔を見せて、声をかける。

「こんにちは」

 それに応えるキノ。

「よお旅人さん。こんなヘンピなとこに来るたあ物好きもんだなあ」

 今度は職人気質の男。少し上向いて、

「とても面白いところですね。良かったらどんな国なのか教えていただけませんか?」

 返した。

「そんな大層なもんじゃねえさ。ご先祖様がこの土地に対応した村作りをしたってだけのことよ」

「材料とか人手とかはどっから調達してきたの?」

 エルメスが気になって聞いた。

「ああ、実は俺ら住民は深い事情は知らなくてなあ。何でも行きずりの旅人が手伝ってくれたらしいぜ。まああんましこだわらないし、いいけどな」

「なるほど。……それと、道中で耳に入ったことなんですが」

「なんだ?」

「絶品の食べ物があると聞きました。この国のことなのでしょうか?」

「……ああ、あれのことかな……?」

 首を傾げつつも、その節があるようだ。

「もしや、そいつが食べたくて入国したんか?」

「……恥ずかしながら」

 帽子をきゅっとかぶり直す。

「“画期的で斬新な食べ物”だと」

「わっはっは。絶品ってほどじゃないが、画期的かもしれんな」

 馬鹿にしているわけではなく、可笑しくて笑っていた。

「何日か滞在するなら宿を案内しようか。どこでも食えるもんなんだ」

「一石二鳥だね、キノ」

「とてもありがたい話です。お言葉に甘えて……」

「その宿は……」

 

 

 男に案内された宿は他の建物同様に丸太で組まれたものだった。しかし数倍は大きい。位置としては北西方向、村で言うところの北門の近くだそうだ。

 キノは入ってすぐにチェックインを済ませ、部屋を案内してもらった。中は簡素なベッドにテーブル、椅子が二つのみ。全てが木製だった。

 部屋の最奥に窓があり、すぐ脇にベッドどテーブルがあった。一角に個室のような所があり、そこが浴室兼お手洗いとなっていた。

「排泄と湯浴みが一体化してるなんて合理的だ。発展はしてないけど、意外と頭のいい人が多い国かもよ」

 エルメスがのほほんと言い放つ。

「こればかりは仕方ないか」

 その表情には落胆の色が全くなかった。むしろとても楽しみなようで、ベッドに腰掛けるやいなや、そわそわし始める。

「キノ、楽しみにしすぎ」

「いいかいエルメス。旅人は食にこだわる人が多いんだ。そんな人があれやこれやと絶賛する料理なんて、絶対に美味しいに決まってる」

「キノってここまで食に対する執着心あったかなー」

 あのエルメスが心配して考えだす始末。

 

 

 夕方に差し掛かり、キノはパースエイダーその他の調整に取り掛かっていた。また、衣服の洗濯や掃除もやるようだ。

「この様子だと今日中に用事を済ませて、来るべき時に備えるようだね」

「まあそうだね。今日の夕食、明日の三食、翌日の朝食で五食分堪能できるわけだ」

「メンテナンスしながら考えてたの?」

「まさか。今終わったからね」

「頭の切り替えと回転が速いこと」

 道具一式を片付けていると、ノックがした。

 キノがどうぞ、と中へ招き入れた。やって来たのは緑のシャツとパンツを履いた男だった。受付の人と同じ服装なので、おそらく従業員だと推測できた。

「こんばんは、旅人さん。こちらが宿泊分の食事となります」

「……?」

 従業員がそう言うと、近くのテーブルに置いた。

「では、何かありましたらお気兼ねなく」

 キノに微笑みかけて、静かに出て行った。

「……」

 この間、十秒くらいしか経っていない。

 キノは目が点になっていた。

「え?」

 しかし、驚いていることはその事ではなかった。

 おそるおそる持ってきてくれたものを手に取る。

「……これって……?」

 五マスに連なったプラスチックの包みに、それぞれ白い粒が入っていた。

「“PTP包装”ってやつだね。紫外線や湿気、衝撃から中の物を守ってくれるプラスチック製の包装だ。つまり、」

「薬じゃないか!」

 ため息と一緒にその薬を投げるようにテーブルに置いた。

「しかも五個あるってことは、夕食だけじゃなくて五食分きっちり用意してくれたってわけだ」

「……」

「確かにこれは“画期的で斬新な食べ物”だね」

「……」

「キノ? キノさーん?」

 その後ろ姿には異様な哀愁が漂っていた。

 

 

 翌朝。キノは夜明けとともに起きた。

 小窓から外を見る。昨日は天気に恵まれていたのに、今日は曇り空。それもやや黒みを帯びている。誰しもが一雨降りそうだと予感させる天気だった。

「これはすごい」

 下をちらっと見て言い放った。

 キノは雨の心配をして、室内で訓練をすることにした。終えてからパースエイダーの整備をしてからシャワーを浴びた。

 そして、

「……」

 テーブルにある皿をじっと見る。白い錠剤がぽつんと乗せているだけの朝食。水なしでも飲めるそうなので、それをぱくっと口に放り込み、

「……」

 水を大量に飲む。

「……くふ」

 苦悶の表情。

「今日は何味?」

 エルメスが突っ込んだ。

「おはようエルメス。珍しく自分で起きたね」

「おはようキノ。いやあ、面白い顔してるからさ、思わず起きたよ」

「つまり起きていたんでしょ?」

「そうとも言う」

「……ボクが毎朝面白い顔をすれば、きちんと起きてくれるのかい?」

「んー、キノの腕しだい、いや顔しだいだね」

「それはいいことを聞いた」

 一方の口角だけを少しだけ上げて笑う。

「ところで、この味は……なんだろう。よくわからないけど、コーンスープと香ばしいパンと野菜サラダを混ぜてドレッシングで()えたような味だった」

「正確無比で的確な味利きだねえ」

 感心しているのか呆れているのか。エルメスはのほほんと言う。

「ちなみに昨日は何だったっけ?」

「昨日は……カレーライスに野菜スープをかけて青豆サラダにゴマをまぶして混ぜたような味だったかな」

「実物なら、そこまで変わったものじゃないね」

「実物なら、ね」

 

 

「こりゃすごいね」

「うん」

 キノは買い物のために外出しているのだが、足を止めて眺めていた。

 村の構造自体には全く異変はない。むしろ問題なのは、

「こりゃ脱帽だね、キノ」

 一際目立つことがあったことだ。

「……」

 丸太の床が触れるくらいのところまで、水面があった。まるで(いかだ)の上にいるかのような錯覚に陥ってしまう。

 水面をまじまじと見つめる。昨日生え渡っていた野草が海藻のようにふわふわと揺らいでいる。魚もいるようで、急に土埃が巻き上がっていた。

 水面を覗くキノが映って、ゆらゆら波打つ。

「海水ではないね」

「そうだね。今日は降りそうだけど今は降っていないもんね。どこから来たんだろう」

 不思議な光景を目の当たりにしながら、買い物を続行した。

 ところが、またしても驚愕してしまう。

 とある一軒家、同じ作りの家だが商品がたくさん陳列しているので店であろうが、そこには、

「……」

 食料品が一切置いていない。代わりに、宿で手渡された“薬”が店の一角を占めていた。他は雑貨類がほとんどだった。その雑貨類はかなり充実している。

 あまりにも気になって、必要な物を持って店主に話しかけることにした。

「あの」

「なんだね?」

「この国は食べ物の流通が悪いのですか?」

「あるよ。ほら」

 と言うと、あの一角を指差しで教えてくれた。

 話しながら商品売買が行われていく。

「ボクの印象では薬に近いのですが、薬とは違うんですか?」

「薬は薬さ。それに薬だって食べ物じゃないか」

「確かに」

「旅人さんも一週間分くらいどうかな? 今なら果物味とか野菜味とか、新鮮で刺々しくない風味もあるよ」

「いっいえ、ボクは手持ちがあるので……」

 キノは買い物を終えて、急いでその店を後にした。

 

 

 雨が今にも零れ落ちそうな雨空の下、キノは国全体を歩き回った。こんな特殊な構造だからか広くはなく、数時間で把握した。不思議なことに郵便局や銀行、役場なるものまである。決して大きくはない国なのに、やたらと行政がしっかりしていた。

「こういうところは他の国と合併して、任せた方がいいと思う」

「こんなところを引き受けてくれる国なんてないんじゃない?」

「でもこんな環境でも銀行があるくらいだから、それなりに経済は回ってるってことだ。魅力はあると思う」

「キノみたいな物好きな国があればやってくれるんだろうけど、何かあるんだろうねえ」

 難しい顔をしている。

「まいったなあ。分厚いステーキとか巨大なパフェとか食べたかったのに」

「なら名案があるよ」

「なに?」

「今すぐこの国を出発する。そのためには新しい部品に取り替え、」

「ならいっそのこと別のモトラドに乗り換え、」

「るのは止めといて。まあ明日出発なんだから、それまで我慢すればいいじゃん」

「そうではあるんだけど……」

 全く満足していないキノ。

 昼食。とある店で人(だか)りができていた。と言うより、オープンカフェのような店前に席が設けられていて、そこに客が入っている。テーブルや椅子もやはり木製だった。

「キノ! レストランじゃない? ってはやっ」

 見付けたと思った途端、既にその店の前にいた。いや、既に座っていた。脇にエルメスを鎮座(ちんざ)させて。

「どれどれ」

 キノはメニューを見てみると、

「……」

 言葉を失った。

「ふーん。ピザ“風味”にスパゲティ“風味”……あ、ステーキ“風味”なるものもあるねえ。良かったねキノ、ようやく望みのものが食べられるよ」

「“味”だけじゃなくてその本体も食べたいんだけどなあ」

 とりあえず、試しにいくつか注文してみた。すると、

「はい、どうぞ」

 なんと、店員のポケットから、それらしき錠剤を手渡された。やはりプラスチックの包装がされている。しかも二粒。

「……」

 後から、水を持ってきてくれた。ごゆっくり、の言葉を残して、笑顔で他所へ行った。

「素晴らしいね。外食特有の待ち時間が一切なく、すぐに食べられるなんて最高じゃん」

「料理の手間が全くないからね。全くっ」

 ぷち、と錠剤を押し出し、ぱくっと飲み込んだ。

「しかも、食事も一瞬だし」

「なおさら最高じゃん。旅人にとって食事は一番危険な時なんだし、手早くエネルギー補給できるなら心配することもないよ。まさに画期的だ」

「この状況ですら危険なのかい……」

 ちらちらと周りを見てみる。老若男女がいて、笑顔でお喋りをしている。あるいは新聞や本を読みつつのんびりしている。手元にはやはり、あの錠剤があった。

 ふと、ある男が食べようとしている。キノと同じように口に放り込んで、再び読みかけの本に戻る。その風味を鼻や舌でゆったりと嗜みながら、最後は水を流し込んでいった。彼の顔には不満や嫌気が一切ない。むしろまったりとして満足そうだった。

 なるほど、と(うな)った。

「ああやって食べるんだ」

「食べ物というより煙草とか酒とか、嗜好(しこう)品に近いね」

 同様にキノも食べてみる。

「……」

「どう?」

「……うん。風味はすごいよ。まさに生の肉を食べてるかのような」

「でも?」

「やっぱり物足りない……」

「本当に満足なのかねえ。まるで満足に食べてないから娯楽に逃げてるようにも見えるよ」

「聞いてみようか」

 キノが立ち上がってエルメスを押し、

「突然すみません」

「?」

 相席した。相手は満足気に食べていた三十代前半の男。黒いベストの下に白いシャツを着ていた。

「ボクはキノ、こっちは相棒のエルメスです」

「こ、こんにちは」

 読んでいた本をテーブルに置き、不思議そうにキノを見る。

「実は入国したばかりで分からないことがたくさんあるんです。いくつかお尋ねしてもいいでしょうか?」

「ああ、新人さんかあ。いいよいいよ。てっきり襲われるのかと思った」

「ほんと、ぶっきらぼうだよねえ」

 ガツン、と陰でエルメスを叩く。

「皆さん、この薬を飲んで生活しているそうですが、お腹が空いたり満足できなかったりしないんですか?」

「まさか。そんなことは全くないさ。むしろ、食事してる方がストレスを感じるくらい」

「そうなんですか?」

「だって食事してるだけなんて楽しくも面白くもないじゃない。もし、食べなくても生きていけるなら、皆が皆食べないでしょ? 食べないと生きていけないから食べているだけでさ」

「ですが、食感や味といったことを楽しんでいる方もいますよ?」

「さすがキノ、突っかかるね」

 と言いつつも、気になるエルメス。

「それは否定できない。人それぞれ好みがあるからね。ただ、まずいものを食べるより美味しいものを食べた方がストレスを感じないのは確かだ。栄養満点のまずい食事とうまい食事、旅人さんならどっちを食べたい?」

「美味しい方で」

 食い気味に、そして迫るように即答した。

「でしょ? 潤滑に栄養補給を行うためにストレスをできるだけ減らす、この試みが料理や味付け仕込みといった作業なのさ。でも、この栄養補給というのが厄介極まりない。十分に栄養を補給しきれてないのに満腹感が満たされたら、欠けたまま生活することになるよね?」

「少しくらいなら大丈夫かと」

「でも何年何十年という単位になったら、もう無視しきれない差になるはずだ。だから病気になったり怪我をしたりする羽目になる」

「確かにその通りですね」

「だからこいつの出番なのさ」

 男が“薬”をテーブルに出した。

「でもさ、満腹感が欠けたまま生活するのも良くないんじゃない? モトラドなら燃料を常に半分にしたまま走らせるようなものだよ?」

「エルメスにとって燃料補給は食事だったのか」

「あったりまえでしょ」

 無駄に威張っている。

 しかし、なるほど、と男が頷いていた。

「満腹感というのは脳の快感の一つなんだよ。ここの住民はその快感が別のものに成り代わっているのさ。ほら、私は読書が好きだから食べながら読書してるし。それにその満腹感が満たされないことが食料戦争に繋がることもある。現にこの国では犯罪がないらしいよ」

 本を手に取って、キノたちに見せつけた。

「でもどうしてこんなにも食事を嫌うようになったのですか?」

「嫌うというより、選択肢がなかったんだよ」

「? どういうことですか?」

「一つは、」

「おーい、もう時間だぞー」

 後ろで呼ぶ声がした。そちらには同じくらいの年齢の男が二人いた。二人とも作業着を着ている。

「あ、もうお昼はおしまいか。……すまないね、もう時間だ」

「えー! これから良いところだったのに!」

 エルメスがブーブークラクションを鳴らす。

「エルメス、落ち着いて」

「むー」

「もっと話を聞きたいなら私よりももっと詳しい人がいると思うよ。……この国には長がいないから……案外旅商人が知っているかもしれないね」

「? 長がいない……?」

「それじゃ」

 男はキノに別れを告げて、颯爽と立ち去っていった。

 

 

 その後、男の捨て台詞が気になって、午後いっぱいかけて国長を捜すことにした。しかし、

「それらしき建物も人物もいない……」

「聞いてみてもおんなじだったねえ。国長なんかいないさって」

「どうなってるんだか」

「でも面白い国だよ」

「そうだね」

 男の言うように、住民や公務員らしき職員たちも口を揃えてそう告げた。代役や役員など国を執り仕切る人物もいるか聞いたが、やはりいない。

 こうして夕方に差し掛かり、

「あ」

 雨が降り出してきた。仕方なく、ここで引き上げることとなった。

 宿に戻ってから、キノは食事を済ませて、食事を済ませて、明日の準備に取り掛かる。

「残り一錠になったね、キノ」

 ゴミとなった空の包装を切り取って近くのゴミ箱に捨てた。

「いらだってるいらだってる」

 なんだか嬉しそうだ。

 キノはかけていた洗濯物を触るが若干湿っている気がして取り込むのをやめた。明日の朝まで干すようだ。

 そして今日仕入れてきた物をバッグに入れたりキャリーに括りつけたりする。合わせて荷物の点検もした。忘れ物や不足分はない。

「ねえキノ」

「……」

 黙々と旅支度をしていく。

「怒ってる?」

「……怒ってない」

「ゴキゲンナナメなキノに面白いこと教えてあげようか?」

「? ボクのこと?」

「どっちがいい?」

 仏頂面だった表情に眉をひそめて考える表情が加わる。

「ボクじゃない方で」

「キノじゃない方はっと……この国には、おデブさんやガリガリの人はいなかったってことさ」

「あの人の考えに沿えば、生活習慣がきっちりしてるから、その類の病気にもならないってことか」

「それはそのままそっくり、医療費削減に繋がるんだね。しかも犯罪がないってことは生活満足度や幸福度がとても高い証拠だ。つまり警察はいらないだろうし医者も数人で済むってわけだ」

「もしかすると旅医者だけでも事足りるかもね」

 ふふ、と笑う。

「ボクの方は?」

「キノはきっと身体のどこかにトラブルを抱えてると思うってこと。例えば胃袋とか」

「エルメスのガソリンタンクも穴が空いてそうだなあ。すぐ空っぽにな……あ」

 何かに気付いてはっとした。

「エルメスの燃料!」

「やっと気付いたの? どんだけ夢中だったのさ!」

「……確か燃料は……」

「大丈夫、この国にはなかったよ」

「よかった……見逃したわけじゃなかった。ちょっと不覚を取ったよ」

 キノはクシクシと頭を掻いて、綻んだ。

「全然だいじょうぶじゃないっ! むしろ燃料を見逃してたほうがマシだよっ! どうすんのっ?」

「うーん……旅商人が来るって話だしそれまで待つか、残りの燃料とエルメスの省エネ走行に期待して次の国を目指すかかな」

「燃費は運転手によるでしょっ」

「疲れてくると運転が荒くなるからね。その疲労回復にはきちんとした食事が重要だ。だからボクは満足に食べないといけないんだよ」

「なんだそれー! 穴だらけの“弾丸走行”じゃんか!」

「……あ、“三段論法”か」

「それそれ」

「あながち間違いじゃないから分かりづらかったよ」

「でもキノ、この国に留まるってことはさ、旅商人が来るまであの“薬”を食べ続けなきゃいけないってことじゃない?」

「…………!」

「その顔なら何の苦もなく起きられるよ、キノ」

 この世のものとは思えない驚愕の顔をしていた。

 

 

 三日目の朝。つまり出国の日の朝。いつものように起床してすぐに外を見た。昨日の雨が嘘のように晴れ渡り、気持ちのいい青空が広がっていた。次に洗濯物を調べた。ほんのわずかに湿り気を感じるが、許容範囲ということにして、取り込むことにした。

 キノは軽めに体操をした後、朝食を済ませてチェックアウトした。

「ご利用いただき、まことにありがとうございました」

 受付員が軽く会釈をする。

 キノはちらりと目線を上に傾けて、

「ありがとうございました」

 礼を告げた。去り際にもしや、と残して。

 朝早いためか、住民はあまりいなかった。しかし、目につく人たちをよく観察するキノ。

「結局、出発するんだ」

「ちょっとしたアテがあるんでね」

「アテ?」

 意味深な発言だったが、エルメスはお楽しみに残しておくことにした。

 十分に納得して、キノは入国した門の逆、つまり進行方向だった方の門へ向かった。いわゆる出門とでも言うか。

 門は同じように木で固く閉ざされている。その手前に女の門番が一人いた。入国の時の門番と違い、装備が目立たない。ただ、右腰にホルスターベルトがあるのをしっかりと確認した。

 適当に挨拶して、出国の手続きをする。

「はい……キノさんですね? 確かに署名をいただきました。出国手続きは完了です。滞在のほど、ありがとうございました」

「あの、一つ伺ってもいいでしょうか?」

「いいですとも」

 一息つく。

「旅商人の一団はこの先の道からやって来ますか?」

「そうですねえ。そこしか道がないものですから、他の道は無理があると思いますわ」

 開門した。ぎぎぎ、と木同士で擦れ合うような乾いた音とともに。

 先には地平線まで伸びていく道と左右に広がる湿原、そしてそこに満ちている水。太陽の光を受けてキラキラと反射している。

「そうですか。ありがとうございました」

 

 

「キノがアテにしてるのは旅商人だったのかあ」

 好天候に穏やかな陽気の中、キノとエルメスは湿原を割るように突っ走っていた。

「でもそう都合よく燃料を持ってるかねえ」

「間違いなく持ってるよ」

「その確信はどこから来るのさ?」

「自分たち用ってのもあるけど、売りつけるために相当多めに持ってるんだよ」

「どういうこと?」

「あの国には乗り物がなかっただろう? だから必要なのさ」

「話がよくつかめないよ、キノ。ちゃんと説明してよ」

「つまり、こういうことさ」

 ふふん、と上機嫌なキノ。

「あの国は中継地点だったんだよ。あそこにいる人たちはボクらのような旅人のためにお店を営んでいるんだ」

「でもなんであんな場所に作ったんだろう」

「むしろ、あそこに必要だったんじゃないかな。この先、たぶん大きい国がほとんどないんだ。だから、昔の人が大掛かりで国を作り上げた……たぶん」

「じゃあキノが食べた“あれ”はあの国名物の料理だったってわけだ」

「まあ……そういうことになるか……うん」

 微妙な反応に、エルメスがおかしくて小さく笑う。

 走ってから数時間経った頃、

「あ」

 商団と思われるトラックとすれ違った。荷台には大量の荷物に雨除けの緑色のシートが掛けられている。

 キノは急いでUターンして、クラクションを、

「プップー」

 と鳴らした。相手もそれに気付いたようで、徐々に速度を落としてくれた。

 キュッと、トラックの後ろにエルメスを停めた。

 トラックから二人の男が降りてきた。一人は三十代後半くらいでたっぷりと無精髭と脂肪を蓄えた男。もう一人は彼より若く、太めの男だった。

「申し訳ありません」

「どうしたんだい? 旅人さん」

「実は燃料を売ってほしいんです。ありますか?」

「ああ、たんまりあるよ。今入れていくかい?」

「助かります」

 キノは商人と物々交換や売買を行いつつも、エルメスに燃料を入れてもらった。

 無精髭の男はちょうどだし、ということでお茶会に誘ってくれた。各々で自分のカップに自分のお茶を淹れる。スペースがないため、できるだけ端っこに車を停め、雑談をすることに。

「いきなり追っかけてくるからびっくりしたよ。襲われるんじゃないかって」

「すみません。商団を探していたものですから」

「? そりゃ一体どうしてだい?」

「この先にある国についても伺いたいからです」

 ああ、と妙に納得した様子だった。

「これからあの国に向かわれるんですか?」

 自分が来た道に目を追った。

「そうだよ。俺ら旅商人にはオアシスのような場所さ。特に雨上がりは最高なんだ。大陸にいるのに急に海の上にいるかのようさ」

「では、あの国は中継地点だったんですね」

「ん~、まあそういうことになるか」

「?」

 引っかかるような言い回し。キノはもう少し尋ねる。

「では、あそこはどんな……?」

 リーダーらしき男が、あの“食べ物”を見せてくれた。

「あ! それ! キノのだいっきらいなやつ!」

 エルメスが声を上げた。

「旅人さんもこの薬を飲んだんすか?」

 若い男が逆に尋ねる。

「はい。三日間、五食分ですが……やはり薬なんですね」

「なかなか薬以外には見えないだろうな」

 小馬鹿にしたように笑うが、悪意はないように感じた。

 キノは特に気にせず、聞いた。

「して、その効果は?」

「食欲減退効果があるんだ」

「食欲減退(げんたい)効果?」

「つまり、食べる気が失せる効果があるってこと」

「……本当に?」

 エルメスが怪訝そうに尋ねた。おそらくキノを見ながら。

「その証拠に、あの国民は食欲が全く無いだろう?」

「ええ、まあ……」

 自分の腹を少し(さす)るキノ。

「全く問題ないよ。あれは一週間ほど服用し続けないと効果はない。それまではただの栄養補助食品さ。変な成分は混ぜちゃいないから安心してくれ」

「そ、そうですか……」

 内心ほっとするキノ。

「じゃあおっちゃんたちはあの国民を使って薬の効果を試してるんだね?」

 エルメスが突き刺すように言い放った。

「その通り」

 悪びれる様子は全くない。

「こいつは年頃の女によく売れると見込まれてるんだ。お気軽にダイエットしたいっていう馬鹿な女にさ。でも効果は嘘じゃないし、害は全くない。なぜならこの一粒……まあ三粒でなんだけど、一日の必要摂取量が入っているからさ」

「つまり、一粒で一日の必要量の三等分ということですね?」

「そう! 人間は一回の食事で吸収できる量がおおよそ決まってるんだ。それ以上は排出されたり余計なところに溜められたりする。一粒で一日じゃ、身体は持たないし害になるしでいいことがないんだ」

「なるほど。あと、あの国で出会った男性に“選択肢がなかったから、使わざるをえなかった”という趣旨の話を聞きました。これについても何か知っていますか?」

「ああ、お察しの通りだと思うが、こんな所じゃ食べ物が全く作れない。その解決策にもこの“薬”が使われてるのさ」

「満腹感を鈍らせつつも、しっかりと栄養を摂取することができる……」

「そう! あの国はとても重要だけど、兼ねて実験をしているってわけさ」

「簡単に言えば“口減らし”ってわけだね」

「言い得て妙だな」

 容赦なくエルメスが言い放つ。

「ところでおっちゃんたちは太ってるけど、その薬は使わないの?」

「こんなもん使うなら、俺はたらふく食って死んだ方が幸せさ。旅人さんもそう思うだろう?」

「半分は思います」

「半分? もう半分は?」

「ボクなら、たらふく食べて、死なないほうが幸せですね」

 

 

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