キノの旅(✕フーと散歩) -the Wonderful Days- 作:水霧
私は陸。白くてふわふわした毛並みをした犬だ。いつもにこにこしているが、いつも楽しいわけではない。そういう顔付きなだけだ。
そして腰に刀を据えた緑色セーターの青年。私のご主人様であるシズ様だ。とある出来事からバギーに乗って旅をしている。
私達は山の中を走っていた。
木々が険しく、日の当たりが良いところはほとんどなかった。こうして快晴に浮かぶ太陽が燦々としていても、陰りが多い。
しかしそれがかえって良かった。蝉が五月蝿く鳴き始めるこの季節では日陰が恋しい。シズ様がバギーを走らせているだけでも、私が助手席にいるだけでも汗が滲み出るほどの暑さだ。
道はというと悪路と言う程でもない。後部座席に置いてある大量の荷物がカタカタと揺れるくらい。しかし舗装されたコンクリートの道路ではなく、何十人と通ったために草が剥げた獣道だ。
シズ様はいつもの緑色のセーターを着て、袖を大きくまくっていた。風が少しあるが、汗のためにゴーグルは着用していない。首元に提げているだけだった。
「シズ様」
「なんだい?」
私は少し気になって尋ねた。
「暑いのにセーターを着られるのですか?」
「確かに暑いか」
「そろそろ夏用の衣服にされてはいかがですか?」
ふふ、と微笑むシズ様は、
「この地帯が比較的暑いだけさ。ここから北に抜けていけば、その必要はなくなるよ」
提げていたゴーグルをしっかりと装着した。
シズ様は徐々に緩やかに速度を落としていく。ようやく国が見えてきたためだ。
国とは言っても立派な城壁や詰め所、最新武器を携帯した門番はいない。柵もなく門番もいなく、ただ木々に挟まれた道が国へと続くだけ。遠目から、国らしきところが見えてきた、という風に過ぎなかった。
しかしシズ様には見えている。
「とても長閑そうだ。何か掲げられているのが気になるが」
「?」
それは後ほど思い知ることとなる。
とりあえず、さらにバギーを徐行させ、入国審査なしに入国した。思った通り、物珍しさに住民が集まってきた。
「旅人さんだね?」
「はい」
一人の老婆が話し掛けてきた。おそらくこの国の長だろう。
「とても良さそうな国だ」
ぽそりと呟いた。私もそう思った。技術的な発展はないが、住民が穏やかで過ごしやすそうな国だ。おそらく、初見で気に入ったと思う。
シズ様はとりあえずバギーを村の端っこに停車させ、降車した。私も一緒に長の元へ付いていく。
「失礼しました。私はシズ。この子は陸です」
「ワシが国長ですじゃ」
握手を求めてきたので、シズ様は少し驚きながらも応じた。国長はとてもにこやかだ。
「して、どうしてこんな辺境なところに?」
ごもっともな質問だった。
シズ様は、丁寧に答える。
「私たちは安住の地を求めて旅をしています」
「!」
長の表情が一変した。
「ここの国はとても良さそうだ。良かったらそのあたりの話を、」
「駄目ですじゃ!」
「!」
国長だけではない。周りを見てみると、住民たちも険悪そうに私達を見ている。そして散り散りに去っていく。
「い、いったいなぜ?」
その迫力に、シズ様が思わずたじろぐ。
はっとした国長が申し訳ありません、と小さく謝罪した。
「こんな国に住もうなど、物好きな旅人さんですじゃ」
「でも、お世辞抜きに私が見てきた中でもとても良い国です。これほど長閑で平和そうな国は多くない。どうか相談だけでも、」
「なりませぬ」
「……」
国長は頑なに拒む。しかし、その表情は穏やかだった。
「ですが、その申し入れは嬉しく思います。……国に住むことは許されませぬが、少しの間滞在されるといいですじゃ」
「……分かりました。ありがとうございます」
シズ様は名残惜しそうに国長に付いていく。私はシズ様の後ろで付いていく。
こちらへ、と私達を案内してくれた。
おそらく切り拓いた場所なのだろう。ぽっかりと穴が空いたような光景に陽だまりができていた。その中に建物が並んでいる。しかし、商業施設や娯楽施設といったものは全くない。ただ古めかしい木造の家が散り散りにあるだけだ。
国の中心部分に差し掛かると、
「!」
それがあった。
「……
あまりにも衝撃的なモニュメントだ。
大小それぞれの人骨が見上げるほどの大きさで十字を象っている。中には欠けていたり、ヒビが入っていたりと、かなりの年数が経っていることが窺える。しかし、なぜかぴかぴかだった。最高級の宝石のように光り輝いている。
「これは一体……」
怪訝そうに長を見た。国長はほんわかと微笑んでいる。
「実は我々にも分からないのですじゃ」
「分からない?」
「ええ……。ワシが子供の頃からこの十字架が掛けられていた。父や母が、この村の者たちが何事もないのように、この十字架を作っていたんですじゃ。おそらくはもっと前から、ご先祖様方からも」
「……」
シズ様はもう一度髑髏の十字架を見た。
「こんな物騒なものが掲げられている国に住もうとお思いか?」
結局、シズ様はこの村に一泊することにした。私はてっきりすぐにでも出立するかと思ったのだが、諦めきれないようだ。確かにこの国は国としては成り立ってはいないかもしれないが、この長閑な雰囲気が心を落ち着かせてくれる。
私達は少し離れにある空き家を案内され、そこで宿泊するように言われた。
木の板を張り巡らせただけの作りで、隅に布団が用意されている。一応、土禁のようなので、荷物を入れるために上がっている。バギーは空き家のすぐ脇に停車した。
その最中のこと。シズ様は熱心に語ってくれた。
「一番良い国とはどういうものだと思う?」
「生活水準が高く、住むことに何ら不自由しない国です」
「それも一つだろう。間違いじゃない。でもね陸、いいかい」
「はい」
「一番は、国民が何もしていないのに話しているだけで笑顔になれる国なのさ。陸の考えなら、この国の文化水準は低い方だろう。電気や機械はないし、買い物をするにも行商を手配しなくてはならない。だがその解決法はいくらでもあるんだ。ところが、国風というのは長い年月を必要とする。その風景や土地柄、文化形成と深く関わっているためだ。だからこういったところは争いがなく、恵まれた土地によって成り立っていると言える」
「つまり、それがシズ様の理想であるわけですね?」
「そうだ。ただ、俺がもし誰かと結婚して子供を連れていたら、多分この国には住もうとは考えないだろうね」
「え?」
「今度は子供の都合も考えなきゃいけない。教育機関がしっかりとしてそこそこ平和な国を探す」
「なるほど。それにしてもシズ様、大変お気に召したようですね」
「そうか?」
「これほどご多弁になることはそうそうありません」
「……そうだな。滅多にない」
くすりと笑う。
「どうにかして説得できないだろうか」
「国長が完全に認めていませんし、難しいと思われますが……」
昼も過ぎ、おやつ時の頃。シズ様は国を見て回っていた。
何かおかしなことをしているとは思えない光景だ。洗濯物を干したり談笑していたり、子供が駆けずり回っていたり。むしろ微笑ましくも思える。
国は広くはない。街の一区域ほどで、あっという間に大方は見ることができた。一体どうやって稼ぎをしているのだろう思ったら、男たちが木を切り倒し、それを換金しているのだという。その証拠に、斧やチェーンソウといった伐採機器がちらほらと目につくし、家の一角に
道具や食べ物は行商や商団を頼っているようだ。
「しっかりした国だ」
「はい」
感心していた。
不意に、旅人らしき男が目についた。やはり私達のように移住を考えてやって来たのだろうか。同じように案内されていく。ちょうど私達の泊まる空き家の隣、一回り大きい家へ入っていった。
「……ふむ……」
シズ様の一目がとても羨ましそうだ。ひしひしと伝わる。
シズ様は国の中心である十字架の場へ向かった。その前で二十代後半の女と小さい男の子が祈っていた。
「こんにちは」
軽く声を掛けると、シズ様を見てこんにちは、と返してくれた。
「この国に住みたがってる旅人さん?」
「はい」
「旅人さんは物好きな方が多いのかしらねえ?」
女がにこにこして笑う。
男の子は女の背後に隠れる。ちらっと私を覗き見ている。
シズ様がそれを見て綻んだ。
「陸、その子とお遊び。気になっているようだ」
私は無言で頷いた。
その子に鼻を突き出すと、おどおどしながらも触れる。面白い感触がしたようで、一心に私に戯れてきた。
「やわかいーい」
「あらあら、ごめんなさい。ウチの子が……」
「いいんですよ。私も少し話し相手がほしかったものですから」
立ったまま話し続けるのも申し訳ないと、シズ様は近くの木陰へ案内した。私達もじゃれ合いながら付いていく。
男の子は遊び疲れたのか、私を枕にして眠ってしまった。隣にいた女が私の頭を撫でながら微笑んでいる。
「ここはすごく長閑な国ですね。私以外にも住みたいという旅人はいたはずですよ」
「そうでもないわよ。こんな人も少ない辺境の地だし」
「割りとしっかりした国だと思いますよ。規模を拡大しすぎて滅んだ所はいくつもありますから」
「分相応って意味なら負けてないかもね。ふふふ……」
シズ様の話がおかしいのか、笑みを零している。
「そういえばあの十字架、丁寧に作られているみたいですね」
「うちの職人の手が込んでるからね」
視線の先にある髑髏に太陽の光が散光し、さらに輝いている。
「国長がおっしゃっていましたが、ルーツが不明だとか」
「そうなのよ。まあ特に知ろうとも思わないし、知ったからといって取り壊すわけにもいかないし」
「?」
「あの十字架には、家族のもあるのよ。人によっては職人さんに遺体を渡して、十字架の一つにしてもらう。まあお墓代わりってとこかな」
「ではあなたも……?」
「……私は夫」
「……!」
ぼうっと十字架を眺める女。
「ちょっとした事故でね。商人をしてたんだけど、数年前に突然の嵐に見舞われて崖から落ちて……」
「申し訳ない。お辛いことを……」
「ううん。……でも、不思議と綺麗な五体満足だったわ。けっこう高い所だったんだけど……。お医者様によると、打ち所が悪かっただけなんだって」
「……」
「火葬や土葬されるなら、いっそ十字架の一つになってくれた方がいい。私たちをずっと見守ってくれてるような気がするから……」
夕暮れになり、シズ様は礼を告げて女と別れた。男の子がじゃあね、と私の喉元を撫でて女と手を繋いで帰っていった。
その光景をシズ様が見送った。見送って、
「……」
綻んでいた。もしかすると、羨望の眼差しも含んでいたかもしれない。私の思い込みだが。
私達も戻ることにした。
「やはり、あの十字架はお墓代わりにしているみたいだ」
「感慨深いものがありますね」
「無縁仏……とは違うか。でも、寂しくならないように、という考えなのだろうな」
シズ様は考えに
空き家に戻ってから就寝の準備をしていると、若い男がやって来て、
「国長がご夕食を共にされたいそうだ。どうする?」
と、ありがたい提案を挙げてくれた。シズ様はそれに快諾する。
若い男が隣の大きめの家に案内してくれた。若い男は国長の親族や部下ではないらしく、そそくさと自分の所へ帰っていく。
大きめの家の扉にノッカーと呼ばれる金属製の輪っかが付いている。そこを持って、コンコンとノックした。
「どなた……あ、シズさん。お待ちしておりました」
「ご夕食に招いていただき、ありがとうございます」
「ええ、かまいませんよ。少し散らかっていますが、どうぞ」
中に入ると、意外な光景が広がっていた。
「……」
石床とでも言うのだろうか。灰色の硬い床に台所や本棚、テーブルといったものがぞんざいに置かれている。正面左右に二つのドアがあり、右は小部屋があるのか突出している。寝室か浴室といったところか。
テーブルにはこの地域で取れる山菜やキノコ類の
席に着くと、まずは食事をすることになった。
先に切り出したのは、シズ様だった。
「これは何の肉でしょう?」
「鹿ですな。行商から珍しい肉があると聞いて、早速取り寄せてみたんですわい。これがけっこう美味ですて」
「独特の匂いがしますが、美味しいです」
「それは良かったですじゃ」
にっこりと喜んでくれている。
くしくし、確かに動物臭が強いが、悪くない。
「シズさんはお若いのにこんな所にまで旅をしておられるのかな?」
「はい。住みやすい国はないものかと、日々探しています」
「住むのなら故郷が一番ですじゃ。……もしや、何がしかの理由でなくなってしまったので?」
「ええ。……こればかりは仕方ないことです」
「そうですか。なら、その亡き故郷や国民のためにも一つ、祀って差し上げたほうがよろしいですのう」
「あの十字架に捧げるということですか?」
「このような風習はここ数十年でできたものですて。行きずりの人の願掛けに近い意味合いもあります。シズさんは大変苦労なさっておられるよう」
「……」
「この国に訪れたのも何かの縁。少しばかりお力添えをして差し上げたい」
「……では、あの十字架の秘密を教えていただけませんか?」
「!」
国長がはっとして気付く。
「死者に捧げる十字架の風習の変容を知っているなら、以前のも知っているはずです」
「……どちらにしても、案内せざるを得ないことですじゃ」
食事が終わってから、
「どうぞこちらへ」
案内されたのは左の部屋だった。
「!」
まるで禁断の箱を開けてしまったかのような心境だ。まず目に付くのは夥しい血痕。壁に染み付いてしまって取れなくなっているようだ。そして、異臭。鼻に突き刺さる血の臭いと動物臭、少しの腐敗臭がする。
真ん中にある台には首を切り離された胴体以下が放置されている。死体を囲うように、様々な機器と道具が並んでいた。メスやチューブといった、医療器具があった。
死体の首は何かの溶液に満たされた瓶に浸され、部屋の隅にある台に置かれている。毛髪は綺麗に剃り上げられていた。
「こ、これは……」
さすがのシズ様も鼻と口を覆った。
「見ての通り、
なぜか嬉しそうに話す国長。まるで自分の仕事に生き甲斐を持っているかのように。
「今からどうするつもりですか?」
「まずは頭の皮膚を慎重に剥がし、筋肉や臓器などを剥いでいきます。その後洗浄して数日防腐剤に漬けておくんですじゃ」
「……」
シズ様の表情が険しくなり、右手が腰に向かう。
「こんな残虐なことをして、よく笑顔で話せますね。人道的に何も思わないんですか?」
「あ、いや、確かに今の説明では勘違いされても仕方がない。もっと事情があるんですじゃ。さ、お戻りに」
「……」
国長は紅茶でもてなしてくれたが、シズ様は一切口にしなかった。疑いは地中の根のごとく深く張り巡っている。
「村の皆には事情は知りますまい。何せ私以上に年を取った人間はいないですから」
「……つまり、先祖のことは禁忌に?」
「ええ。……話してもいいのか迷いますがな……」
「?」
「あの十字架はこの国で狩った人間で立てられました」
「!」
すすっと国長が飲む。
「ここは人間狩りをして生きていた国なのです」
「人間狩り……」
「でも、それは快楽的あるいは娯楽的な目的ではなかった。真意は……芸術だったのですわい」
「芸術?」
「例えば動物の毛皮で小物や道具を作ったり、何かを表現したりするでしょう? それと同じ。我々はその素材がたまたま人間、とりわけ頭蓋骨だっただけ。ほら、頭蓋骨の絵を描いた衣服があったりもするでしょう? そういう風に捉えてもらうとありがたい」
「では、今でも人間を狩っているのですか?」
「絶対にありません。私の職人としての魂と誇りをもって誓います」
「なぜそう言い切れるのです?」
私も全く同じ意見だ。国長が誓っても他の住民にまでその誓いが反映されているとも思えない。それなのに、国長は自信満々に言い切った。
「ずばり、芸術の流行が変わったからなのですじゃ」
「どういう意味ですか?」
「昔は特に若く生き生きした人間の頭蓋骨が主流でした。しっかりとした骨組みと
「……対象になるような者はご老体か大病に
「いかにも。しかし誰にも強制はしない。強引にすると身体中が強張って、筋肉や皮膚が頭蓋骨にびっちり付いてしまうのです。こうなると処理は大変だし、出来たとしても見た目が良くないことが多々あります。よって同意を得た上で、安楽死させてから作業に入るのです」
「なるほど。生きるのに辛い人間がここにやって来ることもある、ということですね」
「そう。厳しい時代となった今、むしろそういう若者が少なくない。ここは長閑な国だから、せめて死後でも魂を安らぎたいと。お墓も要りませんし、皆一緒ですから寂しくもないでしょう」
「……」
「そういう方のためにも、私は心血を注いで作り上げています。そしてこの身が朽ちれば、私もあの十字架の一つになるのです。それは私だけではない。この村のどの人間でも……」
「……?」
「私も一人だからよく分かります。誰だって一人は寂しいものです」
「シズ様」
「なんだ?」
夜。シズ様は
「まだ迷われているのですか? 正直、私はこの国にはいたくないです」
「いや、俺はこの国を諦めたよ。そしてどうして国長が俺を受け入れないのかも分かった」
「え?」
「きっと誰かにあの事情を知ってほしかったんだと思う。ここの住民以外にね」
「あの国長は身を裂くように話していましたね」
「多分……悪しき伝統は終わりにしたい。でもこのまま埋もれていくのは寂しい。俺はそう受け取った。国長のその覚悟を、無下にしてはいけない。俺にもよく分かるから……」
複雑な経緯で故郷を失われていることもあって、深く共感しているのかもしれない。私はそう受け取った。
翌朝。シズ様は早起きし、出発の準備を始めていた。持っていた荷物をバギーに積み、戻ってきてはまた積む。その作業を、私はそれを眺めているだけだ。
この国では調度品や燃料は手に入らなかった。少し待てば行商がやって来るかもしれない。しかし、シズ様は、
「決心が鈍らない内に早めに出よう」
とのことだった。今のシズ様にとって、この国は自分の理想に合った国ということだ。それでもシズ様は国長の意志を汲み取ることを優先している。たとえどちらになろうとも、私はシズ様に従うだけだが。
出発の支度が終わり、あとは時を待つだけだ。シズ様はその前に国長と朝食を取りたかったようで、国長の家に向かった。
控えめにノックをする、
「あれ?」
が、何の応答もなかった。
「まだお休み中では?」
「それもそうか。早すぎたか……」
と言っても、既に住民はちらほら目につくし、仕事に出掛けている者もいる。国長はご老年であるから、ゆったりしているのかもしれない。
シズ様は残念そうにバギーに乗り込み、エンジンを付けるが吹かさず、できるだけ静かに徐行する。ちょうど入国してきた道を戻るように。
見掛けた住民が気さくに話し掛けてくれた。
「旅人さん、もう行っちまうのかい?」
「ええ。十分休養を取れたので、そろそろかと」
「残念だなあ。でも忙しいなら仕方ないもんな」
「もし良ければ、どこか国があるか教えてもらえませんか?」
「んーっと、ここを出て南東にあったかな? うちらが世話になってる商人がそっちに行ってるとかなんとか聞いたことあるぜ」
「ありがとうございます」
住民たちに頭を下げると、一人の男がずいずいと押しのけてきた。息を荒げていた。
「引き留めてすまない。少し話せる時間はあるかい?」
「ええ。どうしましたか?」
「実は妻が見当たらなくてね。何か知っているかと思ったんだ」
「……つまり、私があなたの妻を殺したのではないかと?」
シズ様ははっきりと言い切った。
男は言いづらそうに俯くだけで、否定はしなかった。
「……」
部外者だからそう思われても仕方ない。しかし、言いがかりにも近いので怒鳴りつけてもこちらも仕方ない。
シズ様は、
「私は違います。国長とお話しさせてもらってから、ずっと空き家で休んでいました。信じてもらえるかはご主人次第ですが……」
丁寧に述べた。
良くない雰囲気になってしまうが、それを消してくれたのは、
「パパー、これすっごいよ! かっこいい! あ! 昨日のお兄ちゃんとワンちゃん!」
男の子だった。その子は昨日、私とじゃれ合っていた子だ。ということは、あの母親のことか。
男の子は私を名残惜しそうに撫でた。すっかり懐かれてしまったようだ。
「……」
「……申し訳ない。少し荒ぶっていたようだ……」
「いえ、奥さんが行方不明ならば誰でもそうなります。それに私はただの旅人、真っ先に疑われても仕方がない」
「旅人さんは妻のことを知っておいでのようだ。……迷惑かもしれないが、旅先で妻を見かけたらここに連れて来てもらえないだろうか。名前は“アンナ”って言うんだが……」
「かまいませんよ。ですが一つだけ尋ねてもいいでしょうか?」
「はい、なんでも」
「ご主人は奥さんと再婚されたんですか?」
「ええ。元夫が事故で亡くされて落ち込んでいるところを見て、なんとかしてあげたいと思って……。元気付けている内に、いつの間にか惚れ込んじゃって。この子とは血は繋がっていないが、私の息子なんだ」
「……そうですか」
私は陸。白くてふわふわした毛並みをした犬だ。いつもにこにこしているが、いつも楽しいわけではない。そういう顔付きなだけだ。
腰に刀を据えた緑色セーターの青年。私のご主人様であるシズ様だ。とある出来事からバギーに乗って旅をしている。
そしてもう一人、白い髪にエメラルドグリーンの瞳の同行人、ティーだ。複雑な経緯で私達と旅を共にするようになった。
私達はとある国の有名な館に入館していた。何でも、世界中から集められた珍品や美術品が展示されているとのことだ。シズ様がたまには違った趣向で楽しんでみよう、という試みから、私達は展覧に来ている。
さすがに有名なだけあって、入館するだけで三十分もかかってしまった。長蛇の列もすごく、入館制限までかけられているほどだ。一応、犬も入館して良いことになっている。良かった。
そうやって中に入れたのはいいものの、
「……」
ティーの反応は今ひとつ。ティーにはまだ芸術を理解するのは早かったか、虚ろな目付きで流し見していく。
やっとこ興味を示したものが、
「これ、うりものか」
手榴弾の金型だった。
幾つかのブロックに分かれていて、絵画や骨董品、国宝品などとなっている。私達はどれも見て回り、残りの近代芸術のブロックに差し掛かっていた。
このブロックは名の通り、近年作られた芸術品を展示する所のようだ。絵やツボなど一緒に展示されている。
ここでもティーの反応は鈍い。しかし、
「ん?」
その中で、私達が目についたものがあった。
「これなんだ」
人の形をした作り物。しかも骨だけしか残っていない。まるで天へ両手を掲げて見上げているようなポーズを取っている。
「これは人体模型だね」
「じんたいもけい?」
「医者を志す者が骨がどうなっているのかを勉強するために使うことがあるんだ。実際のものを模して作っているから、かなり精巧に作られているらしい」
「ほんもの」
「え?」
「ほんものじゃないのか」
「本物ではないとは思うけど……検体と言って、医学の発展のためにご遺体を提供することもあるようだね」
「そうか。ならほんものだな」
「いや、本物かどうかは別問題だと思うよ」
ティーがじろじろとすみずみまで見回した後、何かに納得したかのように急に歩き出した。シズ様はティーに振り回されるように付いていくのだった。
もしや、何か感覚的に感じたものがあったのでは。いや、でもこれに感じたものがあっても困りものだ。
しかしさすがに芸術展。医学で使うようなものを芸術品として出展す、
「……!」
ふと、私は昔のことが頭に
シズ様は芸術品に反応するティーの方に気を取られて気付かなかったのかもしれない。だが、よく見ると左右の骨のバランスがおかしいのだ。一方は太く大きいのに、一方は少し細い。長さも違うのだ。ほんの少しの違いだが、観察すればするほど異様さが目立ってくる。
思い知ることになったのは直後のこと。私は人体模型なるものの近くにあった物を見て愕然とした。
このことはシズ様に教えない方がいいだろう。随分前の話だ。ティーと出会うもっともっともっと前の……。
そのプレートにはこう書かれていた。
【愛し憎しのアンナよ、我が身と共に】