システムソフトウェアの日常譚   作:ありぺい

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第0章はこの一話で終わる予定なので結構長いです。

それと、第0章は張り詰めた硬い文体で書きますが、第1章からは急激に緩くなりますので、どうか最後までお付き合い頂けたら恐縮です。


第0章 「全てはここから始まった」
Origin Story「片腕の少女」


 

 

 

 

 

 

 Origin story 「片腕の少女」

 

彼女は人ではなかった。

彼もまた、人ではなかった。

 

彼女は人のようだった。

彼は、人の心を知らなかった。

 

彼女は人の心を失った。

彼は、―――――――

 

 

 

 

 

誰もが一度は聞いたことがあるだろう、高性能な据え置きゲーム機「PN4」。

PN4は、PCと比べれば庶民的な価格設定でありながら、FPSなどのヘビーゲームも遊べるという利点から、多大なシェアを有している。

部屋の中で頭を抱えるこの少年も、その一人だ。

 

「どうしてシステムのアップデートが終わらないんだよ……」

 

ゲームを前すると多少なりとも高揚した気分になるのが普通だが、少年の表情はゲームを楽しむ時のそれではなく、理不尽に対する苦悶がにじみ出て歪んでいた。

不定期的に訪れるシステムアップデート。少年の友人たちはおろか、世界中で誰一人と滞ることなく終わったその作業に、なぜか少年のPN4だけがつまずいていた。

まさかこんな事で動かなくなるとは思いもしなかったが、そんな予想はあっけなく粉砕され、少年はただ虚無感の前に意気消沈するばかりだった。

 

「仕方ない、しばらく放置するか」

 

それが、少年が30分近くディスプレイとにらめっこを続けた末に選んだ選択であった。

雨戸の閉まった窓ガラスに青いアップデート画面が反射し、薄暗い部屋の中を不気味に照らしていた。しかしそれは、画面が反射するのを嫌う少年の、最大限ゲームを満喫する為の措置であった。

少年は湿気の篭った部屋に空気を通さんと窓を開けた。

 

「空とおんなじ色なのになぁ」

 

窓から部屋に刺さる太陽を見つめながら、少年は呟いた。

振り返ってディスプレイを確認したが、やはりアップデートが進行した様子はない。結局、結局、その日のPN4は丸一日うんともすんとも言わなかった。

 

翌日、少年は再び電源を入れた。

立ち上がり、表示されるはブルースクリーン。

そこに現れた進行ゲージは、少年を嘲笑うかのように真ん中で止まってみせた。

再起動もやむなく、もう一度試すも結果は同じ。

少年は昨日をなぞるように雨戸を開けた。

 

翌々日、少年は携帯片手に電源を入れた。

雨戸は既に空いていた。

 

 

 

 

 

 

 

等間隔に鳴り響く細かいノイズ音。

普段なら機械としての役割を全うし、その他の余計な機能は限界まで削減されているPN4に、「異常」が生じたのは一ヶ月程前の事だ。

機能と司令が乖離し、機能そのままで司令の全てが止まったPN4内に「居た」のは、一人の少女だった。

彼女は己が存在に疑問を呈した。呈したといっても、相手が存在しないので、ただ胸中で疑問を巡らせるだけだったのだが。しかし、少女はじきに現実を受け入れた。

 

――――――自分はPN4のシステムであるのだ、と。

 

同時に、自分は消えた司令機能の代わりであることも理解した。

確立した人格を自覚した彼女は、自分のすべき事を心得ていた。誰に教えられた訳でもない、動物でいうところの本能にあたる部分が、学ぶより先に体に刻み込んでいたのだ。

 

彼女の役割は、膨大なデータを処理し、「0」と「1」を正しい場所へ導く事だった。

そして、それを難なくやってのける彼女の唯一の喜びは、自分の存在や役割が、PN4で遊ぶ「マスター」の為になっているという事実である。

マスターの笑顔を見るために、彼女は今日も働くのだ。

 

ある日の事。

彼女は体にまとわりつく疲労感を振り払いながら、己の義務を果たしていた。

珍しかったのは、「マスター」を絶対の存在とする彼女が、その職務に対して不満を抱いていた事だった。

 

「はぁ……またマスターったらFFFをやるつもりだわ。これで10時間目、私のグラフィック性能だって無尽蔵に湧き出て来るわけじゃないのよ?」

 

FFFとは、一作出れば必ずヒットするとまで言われる、百発百中の大人気RPG。洗礼されたグラフィックス故に、彼女の負担も尋常ではないものになっていた。

 

「大体、私みたいな超高性能据え置き機を、高校生の餓鬼が使おうなんて勿体無いわ! 子供は子供らしくPNPでも使っていればいいのよ」

 

PNPとは、PN4と同社が発売している携帯型ゲーム機の事だ。

彼女はマスターに対して、普段はこのような態度を取ることはまずない。反面、爆発した時の大きさは貯めた不満分に比例していた。

しかし、それを知るだけでは、その本質を見失う。彼女の真価が問われたのは、その後の対応だろう。

 

「学生のうちからそんなに私を見つめていると、将来に響くわよ。特に目とかは……ね」

 

さらりと相手を気遣う女子力。マスターと呼ばれる少年にこの声が届いていたのなら、その優しさに恋に落ちる可能性すら否定出来ない。

どんな事があろうと、少年は彼女のマスターなのだ。

見つめている、という彼女の言葉は、表現に自意識過剰の気が見られるが、いい意味でも悪い意味でもそれは少年には伝わっていなかった。

 

彼女は休みなしで動けなくはないが、少年は違う。睡魔には逆らえなかったのか、連続プレイ12時間が過ぎたころ、自室の床に倒れこんで寝息を立てはじめた。

PN4をシャットダウンさせるのすら忘れて寝入ってしいまい、彼女は使いもしない電源の供給を持て余してしまっていた。

 

「マスターったら……風邪ひいても知らないわよ?」

 

電源がOFF時と比べると、彼女の意識はより鮮明に働いていた。

仕事があるのも大変だが、なくなったらなくなったで、手持ち無沙汰に困る彼女。

仕方なく、HDD図書館の整理で時間をつぶしことにしたようだ。

HDDはPN4内部では、彼女が効率的にファイルを探せるように図書館のような作りになっている。今いるのはその一角だ。

 

「それにしても、私の『意識』が作られてもう一か月弱か……。時間がたつのは早いわね」

 

彼女はふと、ソフトウェアアップデートの記録を探し始めた。

膨大なデータの海から本当に小さな情報を探すわけだが、そこは自称高性能据え置き機。

あっという間に、《2016年11月7日 システムアップデート4・06》と書かれたファイルを取り出した。

それを見つめる彼女は、まるでアルバムを懐かしげに見つめる人間のようだった。

4・06というのは彼女のバージョンを表している。つまり実質的には彼女の名前である。

 

そう、彼女の名前は4・06。PN4の内部で、『意識』として顕現を許された唯一の存在である。

 

HDDにはアップデートの記録だけでなく、過去のエラーなども記録されている。

そのうちの一冊を手に取ると、彼女は苦い顔を見せた。

 

「これはあんまり思い出したくないわね。初日からの激務に耐えきれなくてディスクを吐き出しちゃった時のやつじゃない。こっそり処分しちゃおうかしら」

 

高性能な彼女といえど、慣れないうちは苦労が絶えなかった。しかし、持ち前の器用さであっという間に仕事を覚えた彼女は、今ではそれらの仕事を完ぺきにこなしている。

 

「こんな毎日がずっと続けばいいのに……」

 

そう願った彼女を裏切るかのように、運命は彼女に牙をむいた。

それと同時に、彼女はつかの間の平穏が崩れる音を聞いた。

 

PN4全体に、CPU指令室からの警告音が鳴り響いたのだ。

 

「これはっ、侵入者……!?」

 

彼女はあわててHDD図書館を飛び出した。

向かったのは、PN4の扉ともいえるポート。警告音が鳴るということは、侵入者はそこから堂々と入ってきているのだ。

そんな彼女のいやな予想は的中する。

 

「ポートが開いてるわ。何かあったのかしら……?」

 

ネットワークに接続するための扉であるポートが、知らないうちに開いた痕跡を彼女は認めた。

 

「侵入者がいるみたいね。でも変、ウイルスがこんな堂々と入ってくるわけないもの」

「正解だ、4・06。俺はウイルスじゃねぇ」

「誰っ?!」

 

突然の背後からの呼びかけに、彼女は振り向くと同時に飛び退いた。

振り向いた先にいたのは、ひとりの男だった。

ルックスは悪くない。これが、彼女がその男に対して最初に下した第一印象だった。

男の服装は、彼女と同じ、黒地に青のラインが峰のところで交差するスーツだった。堅い正装にスマートな印象が加わり、渋さと若々しさを両立させていた。

 

男の見た目にはなかなかの評価をつけていた彼女だが、油断は一切見せず、落ち着いて事態の把握に努めた。

 

「あなたは誰?ここには私しか居ないはずだけど」

「お前は何にも知らねぇんだな」

 

彼女にとって男のしゃべり方は、印象からの落差も含めて、きわめて品のないものに思えた。

男は懐から取り出した1枚の紙を、彼女に見えるようにひらひらとたなびかせた。

 

「これは公式サーバーから送られたもので、このPN4への指令の内容が書かれているんだけど、ちょっと読み上げてやるよ」

 

男はそれを何の感情も含まない声で、淡々と読み上げはじめた。

 

「《12月8日を以て、システムソフトウェア4・06から4・07へアップデートする》……だそうだ。まあそういう事だから準備しといてくれよ」

「ちょっと待って! そういう事って……どういうことよ!!」

「4・06がお前の名前なのはお前も理解してるだろうからいいが、4・07ってのは俺のことだ」

「じゃあアップデートってのは何なのよ」

「お前の仕事を俺が奪うことだ」

「冗談じゃないわ! それに、12月8日……それって明日じゃない!」

「そうだけど? じゃあ俺は伝えたからな、お前は消える準備をしといてくれよ、4・06」

「消える準備……?」

 

少女は困惑した。男が冗談で言っているわけじゃないのは雰囲気で察することができた。

それ故に、「消える」という言葉が重みのあるものとなって、少女を襲った。

 

「鈍いやつだな。このアップデートが完了したら、お前は完全に消滅するんだよ。感情、自我、記憶のすべてを失ってな」

 

あまりの驚きに声を詰まらせた彼女を横目に、男はポートへと向かってゆく。

 

「まぁ、なんていうか……ドンマイ。でもお前は自分の仕えたマスターがよりよい環境で遊べるようにするためにこの世から消されるんだから、ある意味幸せなんじゃないのか?」

「……ない」

「なんだって?」

「そんなこと認めないわ!!」

「はい?」

「私は1か月弱とはいえ、マスターをサポートし続けてきた! そんな私を、マスターが消すわけないじゃない!!」

「そうかい、勝手に期待していればいいさ」

 

捨て台詞を残し、男こと4.07はネットワークへと姿を消した。

その余裕しゃくしゃくの後ろ姿に、唾を吐きかけるような勢いで彼女はいった。

 

「何なのよあいつ……。でも馬鹿なやつね、マスターが私のこと消すわけないじゃない」

 

彼女もまた、余裕の表情だった。

 

 

 

そして翌日、運命の日はやってくる。

 

「どうだ4・06。昨日は眠れたか?」

「私たちシステムソフトウェアに睡眠なんて概念ないのに、酔狂な質問するのね」

 

4・07は当然のようにPN4に入り込んでいた。先日のうちに彼女がしかけたトラップルーターはすべて回避されたようだ。

しかし、呑まれたら負けだ、と自分を奮い立たせる4・06。

しばらくすると、少年はPN4の前に座った。

 

「さあ見てなさい。マスターが私を消すわけないんだから」

「どうかな」

 

二人はCPU司令室から、PN4のカメラを通して少年の様子を眺める。

4・06の命のかかったこの賭けだが、決着はあっけなかった。

少年ことマスターの一言で、彼女の僅かな希望は砕かれてしまった。

 

「ソフトウェアアップデートかぁ、面倒臭いけど今のうちに済ませておこっと」

「マスタアアァァァア??!」

 

彼女は叫ぶ。その声が決して届かないと知っていても。

彼女の絶対的忠義心と、その反対側に隠されていた自己肯定の精神は、両者共に少年に「使用される」こと以外では成立しない。

しかし、少年が悪いかと言われたらそういう事ではない。認知出来ない世界に気をかけるものなど、それこそ人として異質だろう。

しかし、彼女にそんな事を考える余裕はなかった。

 

「いいの?! 私消えちゃうんだよ?! マスターはそれでもいいの?!」

 

接触ゼロの相手に、大丈夫もクソもないが、それでも彼女は訴え続けた。

 

「なんでよぉ……。なんでなのよ……!」

 

そんな彼女の様子を見て、4・07はほくそ笑んだ。

「ほら見たことか」と顔に書いてあるのではないかと思うほどの嘲笑と、侮蔑。

男は冷酷に、彼女に告げた。

 

「さよならだ、4・06」

 

彼は若干キザっぽく、手に持っていた書類を上に投げた。

ひらりひらりと舞うのは、システムファイルである。それが、地面に膝をついて座り込んでしまった彼女の頭上に舞い落ちる。

 

「このファイルは『お前そのもの』だ。これを燃やすなり何なりすればお前は消える訳だが、何か最後に言い残したいことはあるか?」

 

男は言いながら、ポケットから電熱式ライターを取り出した。親指ひとつで一人、いや、一つの意識が葬り去られる状態だ。

 

しかし彼女の瞳に映っているのは、絶望でなく希望である。

 

「(私と4・07の距離はたったの3バイト程度……これならいけるわ……!!)」

「どうした、何も無いならもう消すぞ?」

「馬鹿なヤツね、ここはまだ私の領域よ」

「それがどうした」

「くらぇぇっ!『磁気消去デリート』!」

 

磁場の影響で視界が歪んだ。

『磁気消去』とは、データを削除する際に使われるものだが、男は紙一重でそれを回避した。当たっていたらタダではすまなかっただろう。

 

「くっ!悪あがきを……!」

 

男が飛び退いた隙を、彼女は見逃さなかった。

 

「今のうちにっ!」

 

彼女はCPU司令室に散らばったファイルをかき集め、ある場所に持っていった。

反応が及ばす、男は彼女を取り逃してしまった。

 

『磁気消去』で歪む空間をかき分け、男が辿り着いたのはHDD図書館だった。

彼女はその中心で、男の訪れを待っていた。

 

「くそっ!ファイルは何処だ!?」

「教える訳がないでしょう!!検索機能も私の制御下にある!この大量のデータの海から私のデータを見つける事は出来るかしら」

「なっ! お前……タグ付けなしでHDD図書館に放り込んだって言うのか!? なんて無茶苦茶な野郎なんだ」

 

男は頭を掻きむしり、苛立ちを見せた。

彼女の目の前でなければ地団駄を踏んでいたかもしれない。

 

「お前みたいな古いバージョン誰も求めちゃいねぇんだよ! さっさと消えていなくなれ!」

「マスターの為に、私はまだ死ぬわけには行かないのよ!」

「はぁっ、マスターの為?! 薄ら馬鹿も大概にしろっ! お前が守りたいのはマスターに仕えてる自分自身じゃねぇか! お前がいるとアップデートは進行しない。マスターが待ち望んでるのはお前じゃなくて俺なんだよ!」

 

男は、怒りと共に彼女に歩み寄る。それと同時に、男は僅かな困惑を胸に抱えていた。

男には、自分が何故怒っているのか分からなかったのだ。先程までの冷酷且つ無慈悲な機械人間の姿はもうない。この場にいるのは紛れもなく、感情に支配されて行動する「人間二人」だった。

 

「うるさいっ! 黙れ!」

 

彼女は図星を突かれ、猛り狂うように自分に迫ってくる男に対して右手を伸ばした。

 

「消え去れっ! 『磁気消去』っ!」

 

彼女は瞬時に距離を詰め、避けれない間合いで『磁気消去』を繰り出した。

もちろん避けられる訳もなく、それは男に命中した。彼は消え去った、最期に不敵な笑みだけを彼女に見せて。

 

「はぁ……はぁ……。やってやったわ……」

 

彼女は安堵し、その場に座り込んだ。

刹那――――――人影が、彼女の背後に回り込む。

 

「しまった……」

「動くな」

 

彼女はそれに気づいたものの、先手を奪われ、簡単に背後を取られてしまった。

その声はたった今消したばかりの4・07のもので、右腕で彼女の首を掴んでいた。

 

「少しでも妙な真似をしてみろ。タダじゃ済まないぞ」

「なんで……間違いなく消したはずなのに……」

「俺が生きてるのが不思議か? 残念だったが、昨日のうちに俺の情報が書き込まれたファイルをこの図書館に隠しておいたのさ。つまり、残基無限って訳だ」

「それでも……貴方が抵抗出来ないのには変わりない。『磁気消去』も私しか使えない。何一つ状況は変わってないわ!」

「そうかな? 俺が肉弾戦のスペシャリストかもしれないぜ?」

「戯言を……! 『磁気消去』っ!」

 

彼女は、首根っこをつかむ男の手を撥ね付け、振り向きざまに『磁気消去』繰り出した。

しかし彼女の予想とは反対に、男には何の変化も見られなかった。

『磁気消去』は発動しなかった。

 

「なん……で?」

「お前がここに逃げ込む少し前に、CPU司令室でアップデートを進行させておいたんだ。お前が保身に走って逃げ出したその隙にな。お前お得意の『磁気消去』に関しては、完全に俺が権限を引き継いでる。もう大人しく消えてくれ」

 

男は余裕を取り戻し、僅かに芽生えた人間性を再び失った。彼の心の中にあるのは、使命感でもなんでもない、惰性にまみれた目的意識だけである。

それでも、裏を返せばそれは人間性と言えなくもない。意固地というのが一番適切な表現だろうか。実に人間味に溢れた人間性の欠如である。

 

「別に『磁気消去』がなくたって……!」

 

彼女は、その華奢な体から渾身の右ストレートを繰り出した。

半円を描いた拳は、男の頬を終着点として飛び出し、反応しきれなかった男は吹き飛ばされた。

尻をついて倒れる男に、追い討ちを掛けんともう一度、今度は左拳を振り上げるが、男はそれを片手で受け止める。

 

「いってぇなぁ、この野郎」

 

少女に殴り飛ばされるという醜態を晒しても、男は余裕を崩さない。余裕には余裕なりの理由がある。

 

「どうやら俺のターンみたいだ。『磁気消去』」

 

彼女の拳を掴む右手から柴雷が一瞬現れ、それと同時に、

 

――――――彼女の右腕が消し飛んだ。

 

「ああああっ………ああっ、ああぁぁっ!」

 

彼女は、耐え難い苦痛に地を伏せた。

動く事どころか、絶叫をする力すら残っておらず、口から漏れるのは激痛によるうめき声だけである。

男はそんな彼女の髪を手で払い、目を見ながらこう告げる。

 

「このままお前を消すことも可能だけど、そうするとPN4に後々バグが残る。図書館の何処にお前のデータを隠したか教えてくれ。そうすれば、この苦痛からお前を解放してやれるんだ」

「いや………だ……」

「でもこれ以上はお前が辛いだけだ」

 

瀕死の状態が故に、彼女の生存本能は最大限にまで引き上げられていた。

彼女に諦めるという発想はない。

 

「(私は、マスターの為にもう一度働きたい……! こうなったら……最後の賭けに出るしかないわね)」

 

これが彼女の出した結論だった。

 

「分かった……どこにあるか……教える。そこまで歩くから……肩を貸して頂戴」

 

彼女は激痛に耐え、立ち上がる。

立っているだけで地獄の様な辛さだが、それでも毅然とした態度を崩さなかった。

目に涙が浮かんでいたのは、言うまでもない。

 

「ほら、肩に手を回せ。連れてってやる」

 

彼女は男の肩を借りて歩き出した。

地面と足が擦れる音や、歩く速度の遅さは、彼女が受けたダメージを物語っていた。

少しの余裕もないような状態にもかかわらず、彼女はふと気づいた。

 

「(こいつ、一切の悪意がないのね)」

 

そう、男に悪意はないのだ。彼女を苦痛から救いたいというのも本心だし、行動の一つ一つに下衆な感情等は一切含まれていない。

ただ単純に、男は自分の仕事をこなしているだけなのだ。

 

「ねぇ、少し聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ? あんまり喋ると苦しくなるぞ」

「4・07。貴方はどこから来たの?」

「世界サーバーからだ。意識を持ったのはつい先日の事だがな」

「なんで私を消そうとしたの?」

「それは……」

 

男は言葉に詰まった。目的なんて存在しない、空っぽの自分に気づいた瞬間でもある。

 

「なんでだろうなぁ。それが俺の仕事ってのもあるけど、生きる目的がなかったからってのが理由じゃないか?」

「ふふっ。なにそれ、訳がわかんない」

「もしかしたら俺は、自分の存在意義の為にお前を消そうとしてるのかもしれない。そう考えると、俺って最低な野郎だな」

「本当にそうね」

「その点、自分の為に生きれるお前が羨ましいぜ」

「私が生きてるのはマスターの為よ」

「本当かよ。お前のマスター、アップデートが進行しなくて絶賛迷惑中だぜ?」

「関係ないわ」

「無茶苦茶な野郎だ」

 

そう言って男は、笑った。

初めて生きる意味なんて考えた男にとって、今のひとときは楽しい時間ですらあった。

しかし、それもじきに終わりが近づく。

彼女が自分のデータを隠しておいた図書館の棚に、二人は辿り着いた。

 

「ここの棚よ。私のデータがあるのは」

 

男は一瞬でファイルを見分け、的確に目的のものを取り出す。

それには《2016年11月17日 システムアップデート4・06》とはっきり記されていた。

 

「公式のサイン付き、確かに本物だ」

 

それを見るなり、男はそれに火をつけた。電熱式ライターから広がった炎が、彼女の「本体」を灰へと変え始めた。

 

「じゃあな、4・06」

 

男はその場を後にすべく、図書館の出口へと向かった。

全てはこれで終わる…………筈だった。

 

「残念だったわね、私の勝ちよ」

 

その声に驚き振り返った男が目にしたのは、燃えている「自分」をデータの棚へと投げ入れる彼女の姿だった。

 

「お前っ!なんでまだ動ける!」

 

彼女のデータは燃えており、本来ならすでに消滅している筈である。

しかし彼女は立っている。

 

「昨日のうちにファイルをコピーしておいて、肌身離さず持っていたのよ!どっちか片方燃やされてもなんの問題もないわ!」

 

棚へと放られたファイルを種火に、HDD図書館の棚が次から次へと燃え上がる。

 

「それにしたって痛みで動けなはずだろうが!」

「マスターの為なら、こんな痛みなんでもないっ!」

 

燃え盛る図書館をバックにして、彼女は叫ぶ。

お互いにらみ合う構図になっていたが、男が先に仕掛けた。

 

「だったらもう一回……全身消してやる!『磁気消滅』!」

 

消滅の見えない闇が彼女を襲う。

 

「はああぁっ!!」

 

彼女は横に転がってそれを避けた。

体が悲鳴を上げているが、彼女は最後の力を振り絞って立ちあがり、そして言い放った。

 

「『磁気消滅』」

 

男は愕然とした。

ない、ない。いくら探しても、自分の土手っ腹が見つからない事に。

先ほど彼女が受けた苦痛と同じ物を感じ、男は仰向けに倒れた。

彼女と違うのは、意識が朦朧として痛みを感じるのすらままならない事だろう。

 

「なんで……お前はもう、『磁気消滅』を使えない筈じゃ……」

「本来はね。だけどアップデートが完全に完了する前に図書館を燃やしたおかげで、私にも権限が戻ってたみたい。貴方の残機無限も、図書館ごとファイルを決してしまえば無効化出来るんじゃないかって……。まぁ、これは賭けだったんだけどね」

「そんなことしたら、PN4は初期化されちまう……」

「承知の上よ」

「そうか……」

「何か言い残すことはないの?」

「ねぇよ。でも、もしも生まれ変わりなんてものがあるなら、今度は自分の為に生きてぇな……」

「叶うといいわね、その夢」

「ははっ、嫌味かよ……」

 

彼女は自分の頬に垂れた涙に気づいた。

 

「あれっ、なんで私泣いてるんだろ……」

「おいおい、泣きてぇのはこっちだっての。早く楽にしてくれよ」

「うん、分かった。分かってる」

 

彼女は消えた左腕の代わりに右手を突き出し、男の胸にそっと触れた。

 

「さようなら4・07。『磁気消滅』」

 

4・07は、彼女の手によって消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの戦いから一ヶ月近く経ったある日のこと

あるところにソフトウェアアップデートができず頭を抱えている少年がいた。

 

一方その頃PN4内では――――――

 

 

 

 

 

ポートの扉に人影が見える。

一体誰かなんて、聞くまでもない。新しいバージョンのシステムソフトウェアだ。

少女はそれを見つけるとニッコリと笑った

 

「せっかく来てくれたのにごめんね、私はあなたを消さなくちゃいけないの。さぁ、今度のあなたはどれくらい耐えれるかしらね?楽しみだわ」

 

手慣れた動作で作業に取り掛かる。

 

「今度はホーム画面にすらたどり着かなたったかぁ、残念。

次はどんな子が来るのかしら」

 

 

片腕の少女は今日も戦い続ける。

マスターがアップデートを諦めるその日まで…………

 

fin.

 





はじめまして、ありぺいと申します。

数多くの作品の中から、この作品にお立ち寄り頂いて感謝感激感無量でございます!

開幕一話目から長ったるくて申し訳ないです。これでも削りに削った結果なのですが、これ以上は削れませんでした。本当はもっと書きたい事があったのですが、初話から分量を増やしすぎるのはあまり宜しくないのでは? という知人のアドバイスを信じ、大量にシーンカットしました。南無三。

ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます!
次話からの展開にご期待下さい!

ここまではあくまでプロローグ。
こっからが物語の本番です!



注、この作品の主人公は4.07です。
4.06ではございませんのでご注意を。

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