ふと、誰かに呼ばれた気がした。
普段はめったに通らないはずの3階の廊下だ。
なんも変哲のないただの廊下。なのにとても気になる。
翔は白亜と別れた後に、どうしよもない感覚に包まれてこの廊下を歩いていた。
自分はありすと戦う。そしてあんな幼い少女を自分の手で殺めなければいけないのだ。
覚悟はしたつもりだった。でもどこかで割り切れていない自分がそこにいる。
なので少し散歩をしようと思い、普段は歩かない場所を歩いていたのだが……そこで誰かに呼ばれた気がしたのだ。
目を凝らせばうっすらと遠くに人が見えている気がした。
それは白衣を着た存在の薄い男のようだった。
普段なら気にならないはずなのだが、その男はどうしても気になった。
ゆっくりと男は翔に近づき、直ぐ近くまで来たところで、消えた。
「あ、なんだありゃ……」
「サイバーゴーストですね。今のは」
「うお!? なんだレオか。脅かすなよおい……」
凛とした声で飛びのいた翔。いつの間にか隣にレオが立っていた。
間違いなく後ろから歩いてきて翔を見つけたのだろう。そして彼もまたあの白衣の男の幻を見たのだろうか。
「サイバーゴースト……?」
「はい。セラフには何千、それこそ何兆という生命の記憶があります。それは細菌から人間まで様々。原始海洋の有機物の中から単細胞の生物が生まれ生と死の連鎖が、やがて人を生み出した奇跡に比べれば、あらかじめ設計図が用意されているセラフの中で疑似的生命が生まれることは、それは不思議ではないかもしれませんね」
「……すまん、よくわからない」
「おや、わかりずらかったですか? 簡単に言えば生きた肉体を持たない死者の記録。無害のデータと言えばいいでしょう。気にする必要はありませんよ」
つまり、無害という事なのか。かつて人間だったころの記録。それがふと現れたという事か。
ならばなぜ自分を呼び止めたのかが気になる。生きている頃を思い出してふと声を掛けてしまった……?
ならばそれはそれで、自分はただ呼び止められた、ただの人間という事になるが。とりあえずこの考えはよそう。変なものまで連れてきてしまいそうな気がする。
「ありがとうレオ。あんなの見ちまったから、もしかしたらあっちの世界に連れて行かれるのかもって思ったぞ」
「ははは、面白いことを言うのですねあなたは。間違ってもそんなことはありませんよ。それではまたどこかで」
笑顔で、お辞儀をするとレオはどこかへ歩いて行ってしまう。その場所が気になるところではあるが、王の隣を歩くとか翔にとっては考えられないことだ。間違いなく自分の胃が張り裂けてしまうだろう。
それだけはごめんなので、翔もまたマイルームへと戻っていった。
「いやー翔くん。意外に普通なんだね部屋の中」
「悪かったかよ」
翌日、白亜がリップの使っているベッドに腰掛け、足をぶらぶらさせながらそのようなことを言う。
彼女から連絡があったのはつい数分前だ。
白亜曰く、翔の対戦相手の事で話があるらしく、自分の部屋を借りたいとの事であった。
彼女とはいつか戦うかもしれない敵同士ではある。だが今の段階ではあまりにも情報が少なすぎる。
本来であれば断っても良かったかもしれないが正直、情報が一つでも欲しいことは事実だ。
大丈夫ではあると思うがリップに警戒させ、翔はそれを聞くことにしたのだ。
「そんじゃあ翔くん。あの子と手合せして少しだけど……あの子の事、分かったわ」
リップと翔は目を細める。
白亜のいう事はこうだ。固有結界を使うと思っていたから、相手のサーヴァントはキャスターだと思った。
だが彼女が呼び出したのだは『ジャバウォック』。あの凶悪な性能は最早バーサーカー並だ。サーヴァント二人でも歯が立たないことから性能はバーサーカーの中でも上位に入るという事。
「つまり、ありすのサーヴァントはキャスターとバーサーカーなのか?」
「違う。ランサーも言っていたけどあのジャバウォックはサーヴァントじゃないわ。手ごたえが今までの敵と違ったそうよ。それに……」
白亜は付け加える。あの場には翔と白亜。そしてもう一つの令呪の反応しかなかったというのだ。
となると、彼女たちは双子のマスターではない。つまりどちらかが偽物という事だ。
「ムーンセルの記録をちょこっと調べてみたけど、過去の記録では見つけられなかったわ。あんな強力な怪物も使えて、固有結界も展開できるサーヴァント。それはそれで凄まじいけどさ、そのサーヴァントにちゃんとした魔力を供給できるマスターも規格外よね」
白亜が言うにはサーヴァントが固有結界などを作ることに特化した英霊でも、結局その負荷……所謂、魔力消費はマスターにもかかる。
生きた人間では、それぐらいの負荷がかかれば脳が焼き切れてしまうらしい。
となれば、なにか秘密があるはずだ。たとえば、ありすの魔力を補助する何かがあるとかだ。
ふと、翔は今日、レオと話したことを思い出した。
なんで、そのようなことを今のタイミングで思い出したのかはわからない。
もし彼女が本来の肉体を持たないゴーストのような存在だとしたら……
そんなことはありえないだろう。でも、そんなことを考えてしまった。
だが、それもある意味疑問の一つだ。
「なあ、志波。もしサイバーゴーストとか、データだけの塊の場合はどうなる?」
「うーん、その場合は肉体による制限を受け付けないも同然だから、規格外の魔力も納得はできるんだけど……翔くんは、あの、ありすが元から死んでるとでも言いたいのかな?」
「いや、単に気になっただけだ。気にしないでくれ」
とりあえず、白亜の助言のおかげであのサーヴァントのクラスを掴むことはできた。
クラスはキャスター。あの黒い方のありす、という事で間違いないだろう。
となると次は、あのジャバウォックについて調べなければならない。
あのジャバウォックという化け物は、白亜のランサーと自分のリップ2人相手にしても、余裕だったのだ。
ジャバウォックに対して白亜のランサーの槍、その一本が通らなかったという、イレギュラーが発生はしたものの、白亜ではなく他の人物と一緒に共闘しても結果は同じであっただろう。
これは図書館辺りで調べるのが一番良い方法なのだろうか。
白亜が別れの言葉を言い、自分の部屋から出ていき、翔もまた図書館に行こうと部屋を出たところに、白いエプロンドレスの少女がこちらを見つけ走ってきた。
間違いなく彼女はありすだ。
「あ、お兄ちゃん! 今日も遊ぼう! 今日は、学校でかくれんぼがしたいな」
ありすの遊びに乗るか、どうしようかと悩む翔であったが、霊体化している状態のリップが自身の脳内に声を掛けてくる。どうやら、彼女に何か考えがあるらしい。
『翔さん、もしかしたらチャンスかもしれませんよ。あの子には申し訳ないですけど、こっちが遊ぶフリをして探りを入れるというのはどうでしょうか』
確かにそれはいい案だ。何せ相手は子供なのだ。その純粋さに付け込む……と言い方を変えれば悪くなってしまうが、良い情報が手に入るかもしれない。たとえばあの怪物を何とかする方法とかだ。
まあそれが一番欲しい情報ではあるのだが、果たして彼女がそれを言ってくれるかどうか……
リップの言葉に翔は静かにうなずくと、ありすに向き直る。
「ああ、いいぜ。となると前に俺がオニをやったから、ありすがオニになるのか?」
「違うよ。お兄ちゃんが鬼だよ! じゃあ
そういうと、こちらの意見を言う暇もなくぱたぱたと走り去ってしまうありす。
たまには隠れる側もやってみたかったというのもあるが、まあ年齢的に考えてこっちが鬼になるのは仕方がないだろう。
「しょうがねえ、行くぞリップ」
「はい!」
『学校でかくれんぼ』というならば、校舎のどこかにいるはず、アリーナに行ったりはしないだろう。
翔とリップは、ありすを探すことにした。
そして探し回る事、数十分……
見つけた……この学校というところには似つかわしくない、大きくフリルの広がった白のエプロンドレスみたいな姿。
間違いない、ありすだ。
「よっしゃ! ありす見つけた!」
「あ! 見つかっちゃった……」
アリーナの死角に当たるところに彼女はいた。まさかよく人が出入りするところに彼女がいたとは……このありす、できるなと翔は感心しているところに彼女から声が掛かる。
「じゃあご褒美に、お兄ちゃんの願い事何か聞いてあげる。何がいい?」
おお、これはいいチャンスだ。
二人のアリスについて聞こうと思ったが……これは除外しよう。
もう正体はわかっているようなものなのだ。となれば問題はあの怪物。ジャバウォックを何とかしてもらう事だ。
なんて言おう、『あのお友達を倒したいんだけど』。いや、これでは駄目だろ。
数分、悩みだした答えは……
「じゃあ、あのお友達をどかしてほしいな」
「お友達? それはあの子に聞かないと分からないわ」
あの子、というのは間違いなくあのキャスター。黒いアリスだろう。
駄目だったか、翔ががっくりと肩を落とすと、ありすはなにか思い出したように、表情が明るくなる。
「あ、そうだ。じゃあ今度は宝探しね。『ヴォーパルの剣』を見つけられたら、きっとあの子もどいてくれるわ! えっと、特別にヒントもあげる! 『ヴォーパルの剣』はただアリーナに行っても見つからないわよ」
ありすが言葉を続ける。
「それは、どこにあるともしれない架空の剣。さあ、どうやって見つけたらいいでしょう。じゃあがんばってね! バイバイお兄ちゃん!」
別れを告げれば彼女はパタパタと走り去ってしまう。うまく情報は引きだせたようだ。しかし『ヴォーパルの剣』……架空の剣など、見つけるなんてできるのだろうか。
悩んでいれば霊体化を解除したリップが翔の目の前に現れる。
「良い情報ですよ! その『ヴォーパルの剣』を見つければジャバウォックも倒せますね!」
「見つけなきゃ話にならねえけどな?」
ともあれ目的が更新された。次の目的は『ヴォーパルの剣』を見つけることだ。
確か『ヴォーパルの剣』は鏡の国のアリスで出てきた剣の名前だった気がするが……架空の物をどうやって見つければいいというのだ。
とりあえず気になった時は図書館だ。あそこなら手がかりを得られるかもしれない。
図書館に入り、探してみて数十分、ようやく見つけた。
なにせセラフが用意した図書館だ。情報の宝庫過ぎてどこに何があるかわからない。
今回もまた運が良かったと言えるのだろうか。
そこにはこう書いてあった。
『荒ぶる思いで歩みを止めれば、燃え滾る炎を瞳に宿したジャバウォック。
鼻息荒々しくタルジの森を駆け下り眼前に嵐のごとく現れる。
一撃、二撃! 一撃、二撃!
ヴォ―パルの剣で切り裂いて、悪たる獣が死するとき、その首持って、意気揚々と帰 路につかん』
翔が手に取った本はルイスキャロルの有名な小説『鏡の国のアリス』。その中の一つ『ジャバウォックの詩』だ。
ジャバウォックはヴォ―パルの剣により命を絶たれた怪物。確かにありすの言った通り、そのヴォ―パルの剣さえ見つけ出せば、ジャバウォックを倒せるかもしれない。
だがそう簡単には見つからないだろう。なにせあれは架空の剣なのだ。どうやって見つければ……
「おや、お悩みの様ですね。なにかあったのですか?」
「お前は……レオか。ああいや、ヴォ―パルの剣を探していてな」
翔が頭を抱えていれば、レオが図書室に入って来て、翔に声を掛ける。
やはりハーウェイ家の次期当主といえど、調べ物をしにここに来たのだろうか。
どちらにしろ、彼がここに来たのは予想外であった。
「ヴォ―パルの剣……理性のない怪物に有効な
レオが翔に話していれば、彼の視線が別の方に向き、微笑みながら軽く手を振る。翔が目を向ければ、かつてロビンの情報をくれた少女ラニが奥にいるのが見えた。
「ちょうどあそこにいるのがアトラス院の方ですね。アトラス院は占星術と錬金術に通じていると言われています。一度聞いてみたらどうでしょうか?」
「ああ、そうさせてもらうさ。ありがとなレオ」
レオに別れを告げ、ラニのもとへと歩みを進める翔。しかしアトラス院というところが占星術のほかにも錬金術に長けているとは思わなかった。あのレオが言う事なのだ。間違いではないだろう。
ラニの元へ寄れば彼女が何やら本を読んでいる様だった。翔の存在に彼女が気づくと、本を閉じ、ぺこりとお辞儀をする。
「ごきげんよう。星は常に事象を照らす。私に何かご用ですか?」
「ごきげんようラニ。質問だけど『ヴォ―パルの剣』について聞いたことはないか?」
「ヴォ―パルの剣ですか、聞いたことがあります。特定対象のみ有効な魔術武装ですね。錬金に必要な素材……そうですね、例えば『マラカイト』などがあれば錬成は可能でしょう」
「その剣が必要なんだ。錬金術で作れないか?」
翔の言葉にラニは考える仕草をする。
ラニは、彼女が勝ち進み、翔が勝ち進めば、いづれ対戦者になる相手、マスターの一人なのだ。
例え『マラカイト』を持ってきてラニに、ヴォ―パルの剣を錬成する術があったとしても、こちらを助ける理由がない。
正直、賭けのような事だ。ここでラニが断れば翔は再びトリガーを探しつつ、あのジャバウォックを倒す方法を考えなければならない。
その時、不意に後ろから幼げな声が掛かる。
「あった! この本探していたんだ!」
「うお、ありす!?」
後ろを振り向けばありすが翔が持っている本を、目をキラキラさせながら見つめていた。
どうやらこの本が欲しいらしい。
まあ情報は分かったし、なにより少女の願いをかなえてやるのもいいだろう。
「これか? ああこれ、うん。ありすにあげよう。でもこれ借り物だからな。読んだらちゃんと返すんだぞ?」
「わーい! ありがとー!」
そしてありすがパタパタと後ろを向けて走れば、その姿が一瞬にして消えた。
その速さは霊子ハッカーとして考えると、桁違いの能力。慎二などとは比較にならないと言ってもいいだろう。
一瞬で自分達の目の前に現れ、一瞬で消える。それはきっと学園サイドのセキュリティなどすり抜けてしまうような感じさえする。
その行動はどう見ても……
―――
「今のが寿々科翔の対戦相手ですか? 生きた人間の電脳的揺らぎを感じ取れませんでしたが……」
「そうだ。彼女が対戦相手だ」
わかりたくないが、少しだけ、ありすの核心に近づいた気がする。
だがそれが本当なのかわからない。仮に当たっていたとしてもそうであってほしくない。
だってそれはあまりにも、残酷すぎる。
「いいでしょう。あの子供の星にも興味がわきました。『ヴォ―パルの剣』を錬成してみましょう」
「いいのか?」
翔の言葉にラニはこくりと頷く。トリガーも取らなければならない。
ここでラニの協力を得られたことが大きいだろう。
そして彼女は懐から緑色に輝く宝石を取りだす。
まさかあれがマラカイト……もう既に持っていたというのか……?
「あなたが来る少し前に、白い髪の女性から手渡されました。これを自分に為に使うか、他人のために使うかはあなた次第と、私はこれを寿々科翔に使います」
白髪の女性。となるとマラカイトを渡したのは白亜という事なのだろうか。
だがもし本当に彼女だとしたら……ふと違和感を覚える翔。
偶然なのかもしれない、だとしてもあまりに都合がよすぎる。彼女はなぜ自分にこんなに手を貸してくれるのだろうか……
今回もそうだ。まるで分かっていたかのようにラニに、マラカイトを渡したようにも感じたのだ。
「よし、トリガー一個目入手っと」
ラニに感謝の言葉を言い彼女と別れた後、アリーナにてようやく一個目のトリガーを入手した。
今回はトリガー入手がだいぶ遅れた。恐らく余裕もなく二個目のトリガーもすぐに生成されるはずだ。
だがひとまず、あとは帰るだけ。その時に一瞬で目の前に白いエプロンドレスの少女がやってきた。
また一瞬だ。そんな考えを遮るかのように、ありすが翔の所へ駆け寄る。
「あ、お兄ちゃん! お兄ちゃんお兄ちゃん。もっと遊びたいけど、今日はありすの話をするね」
「うん? 今日はありすの話を聞かせてくるのか。そりゃあ楽しみだ」
だが翔の聞く内容は、あまり明るいものではなかった。
ありすはずっとむかしは違うところにいました。
それはこことは違う国。
毎日楽しくご本を読んでいたのに……
戦車とか飛行機とか鉄のかぶとと鉄のてっぽう。
黒い四角の国がやってきて……
空はまっかっか。
おうちはまっくろになって、ありすはまっしろなおへやにつれていかれました。
そこはたのしくないばしょでした。
まいにちかわらない。たのしくあそべない。
おともだちもいない。パパとママもいない。
あるひがまんできないくらいいたいことがあって……
「気がついたら月の中にいたの。でもいいんだ。ここはとっても楽しいわ。それにお兄ちゃんがいる。お兄ちゃんはようやく出会えたありすの仲間だもの」
「ありす……」
ああ、わかってしまった。
彼女の謎の正体が見えてきた。
―――もうこの世に存在しない。
ムーンセルはなぜこんな少女を対戦相手に選ぶのか……
きっと隣にいる、ありすは、死んでいることに気付いてさえいないだろう。
ありすは長い夢を見ている。
それを覚まさせてしまっていいのだろうか。
翔は思い返す。今までの対戦相手を……
自分はこれまで相手が強大だったからこそ必死に戦えた。
ダン卿も、慎二も、自分よりはるか各上の相手だ。
だが今回は立場が逆だ。
「じゃあね。お兄ちゃん」
「ああ、またな」
アリーナから出た所で、ありすがパタパタと走って行ってしまう。
ダン卿も慎二も聖杯に願望を持ち、自分に立ち向かった相手だった。
だが、ありすは……?
彼女は聖杯戦争に自ら進んで飛び込んできていない。
彼女にとってそれこそ絵本の中の物語だろう。
自分に……あの子を倒す事などできるのだろうか……
翔は複雑な顔をしながら、走っている、ありすを見つめていた。