「う……」
ぼんやりとした視界が徐々に覚醒していく。ここはどこだろうか、輪部がはっきりしてくると自分が見詰めているのは白い天井という事に気付く。どうやらここは保健室らしい。
どうやら、自分は視聴覚室で起きた爆発で、意識を失ってしまったらしい。
自分がここにいるという事は、誰かが運んでくれたんだのだろうか。
「あ、翔さん!」
「……リップか」
霊体化を解き、自分のサーヴァントであるパッションリップが視界に移る。その顔は安心しきった顔そのものだ。
だが、翔は彼女の顔を見た時、視聴覚室での出来事を思い出し、顔を俯けてしまう。
自分は、取り返しのつかない選択をしてしまった……
リップは、令呪を使う必要があるものの、あの二人を救う手段を翔に教えてくれた。
だが自分はそれをしなかった。そしてあの二人を見殺しにしてしまった。
凛は生き延びただろうか、だが仮に生き延びたとしてもあの爆発の中では……
「幻滅したか? 俺の選択」
沈んだ気持ちが浮きだっていたせいか、ふとそんな言葉が翔の口から漏れてしまう。
それを聞いたリップは、あの時の事だと理解したのだろう。
だがリップは彼を責めることはせず、ただ静かに首を横に振るう。
「幻滅なんかしていません。私もきっと翔さんと同じ選択をしたと思います」
リップは静かに語る。
自分もあの戦いを見てしまって、勝てるのだろうかと思ったことを……
彼女もまた恐怖してしまった一人なのだ。
だが、それを口に出すことなく、翔に選択肢を与えたのだ。
凛を助けるのか、ラニを助けるのか、あるいはどちらも助けないのかを……
「そう……だったのか」
「だから、これも一つの選択肢だと私は思います。決してこの事で翔さんを責めたりしませんから!」
リップの微笑みに翔もまた笑顔を浮かべる。
そして、彼がリップの頭を撫でようとした直前、保健室の扉が開き、一人の少女と翔の視線が合う。
「……お邪魔しました!」
「待て志波!」
そして、ゆっくりと扉を閉めようとした白髪の少女。志波白亜を翔は呼び止める。
こっそりと扉を完全には閉めずに、続きを見ようとしていたのか、体の半分だけを、扉から覗かせていた白亜だが、やがて、扉を完全に開き、翔とリップの近くへと歩いて来る。
「いやーしかし、驚いたよ。ちょっと用事で視聴覚室覗いたら、翔くんが倒れていたんだもん」
どうやら、白亜が視聴覚室へと向かった際には、翔がすでに意識を失って倒れていたという。
それに驚いた白亜が、翔を保健室へと運んだらしかった。
どうやら、自分をここまで運んでくれたのはリップでは無くどうやら彼女らしい。白亜に礼を言う翔。
そして彼女が今来た理由とは、あの視聴覚室にあった機材についてらしかった。
「翔くん。視聴覚室の壊れた機材を見たんだけどさ。あれ、どっかの戦いを見てたってことでいいんだよね?」
「!?」
核心を突くような、彼女の台詞に翔は動揺を隠せずに言いよどむ。
その翔の反応を見た白亜は『やっぱりね』と言葉を漏らし、話を続ける。
どうやらなぜ翔が決戦場での戦いを見れたかを彼女は知りたいようだった。
決戦場のセキュリティレベルは最高だ。
それは例え令呪の奇跡があったとしても、戦いを見ることは不可能なはずだと……
以前、白亜も同様のことをしようとしたらしいが、決戦場の
「攻性の
「それだけ……? それは本当かい?」
白亜の問い詰めるような言葉に翔は静かにうなずく。
そして白亜は眼を閉じて考えるような仕草をした後、顔をあげ、再び翔を見つめる。
その顔は、とても疑問に満ちた目であり、一つの結論に達した顔だ。
「翔くん、君はいまだに記憶が戻ってないんだよね」
「そう……だな」
「そして本体の脳が焼かれても平気だった。それが何を意味するか、わかってる?」
翔に対して、疑問を投げかける言葉、それに翔は答えられずに言いよどむ。
ここに来る前に失った記憶、今まで他人から投げられた疑問の言葉。
本音を言うと、翔は次来るであろう白亜の、その先の答えを聞きたくはなかった。
白亜が無慈悲に言葉を放つ。この事から立証された仮説はこうだと……
「翔くん。今、君は本体がない状態よ」
その言葉に翔は固まる。
嘘だ。白亜の言葉なんて信じたくない。
だが言われてみればそうなのかもしれない。
記憶が欠落したままで、
他の人から見れば、自分は謎の存在であるだろう。
だが何を言っているんだ。自分はれっきとした人間だぞ……?
「あ、ごめん。脅かし過ぎたね。それはこういう意味だよ翔くん。みんなは魂をデータ化してここにきている。それは当然、肉体は外の世界に残っていることを意味する」
でも翔の場合は、データしかない状態だ。
だから
それはなぜか、答えは簡単、どこにも繋がってないから。
本体がないと言っても、単に繋がってないだけの事。恐らく予選を通過したときに何らかのトラブルが発生し、肉体とのリンクが途切れる。
それを修復できないままここまで来たという事だ。
なるほど、言われてみれば確かにそうだなと翔は思う。
自分の記録のデータベースの役割を果たす肉体とのリンクが途切れている。それならば今の自分の、記憶が曖昧なのもうなずける。
「つまり、俺は記憶は思い出せないんじゃなくて、肉体という引き出しから、俺自身の記憶を引きだせていないだけなのか?」
「そゆこと、つまりよ。途切れたリンクさえ見つければ、間違いなく翔くんの記憶を引き出せる」
「そっか……」
翔は微笑みながら、自分の手を見つめる。
良かった。これで記憶が戻るかもしれないのだ。記憶が戻れば自分が何者だったのかが理解できる。
なぜ自分がこの戦いに参加したのか、自分はどんな人生を歩んできたのか、知る事が出来る。
「やっと、俺も胸を張って戦えるのかな……」
自分の胸に手を当てる翔に、それを見ていたリップは静かに彼の表情を見て微笑む。
そしてその静寂を打ち破るかのように、端末の音が鳴り響く。
どうやら4回戦の対戦相手が決まったらしい。
「これは……」
「翔くん、どうやら次の戦い。めんどくさいことになりそうだね」
だがそこに書かれた内容は、対戦相手の発表の内容ではなかった。
端末を確認し、その内容を見て、白亜が、顔をしかめながら、翔にそう言い放った。
「これはこれは、またずいぶんと壊してくれたようだな。二桁以上のマスターの血だけでは足りないかね?」
この聖杯戦争の管理者である言峰が、血を流し絶命したマスターに触れながら、その先の人物を見つめる。
その言峰の視線の先にあるのは、ピエロのような格好をした人物。そして、黒い甲冑に血塗れのマントを羽織った騎士。
その成り立ちからまるで血に飢えたような狂気すら感じる。
「ウーン、ナカナカオナカニハイラナイ」
「マスターであるランルー、そしてそのサーヴァント、ランサー『ヴラド三世』。私とゲームをしないか?」
この返答はヴラド三世と言われた男の槍の突きであった。
言葉に言わなくともランサーのその行動で、どの様な返答なのかはわかる。
あれは間違いなく『断る』という返答なのだろう。
その突きを、まるでわかりきっていたかのように、言峰はレイピア状の剣のようなものである、黒鍵で受け流す。
「なに、単純な趣向だ。これから君達には複数のマスターによる『バトルロワイヤル』をしてもらう。君達が勝てばもちろん、報酬は用意させてもらおう」
「ほう」
それを聞いたヴラド三世が、槍を下ろし、言峰を見つめる。
言峰がランルー側に提案した報酬は……
『今までのペナルティの白紙化』
『分解処分の取り消し』
『対戦相手全ての情報開示』
『ムーンセル側より令呪3画の贈呈』
そしてバトルロワイヤルによって対戦相手が数名でもいなくなれば、ランルー側が自動的に聖杯へと近づくことになる。
まさに破格の報酬。だがランサーはそれに返答することなく、彼自身のマスターの返答をただ待つ。
「イイヨランサー。ヒトツクライハスキナモノアルカモシレナイシ」
「そうか。ならば……」
ランルーの言葉を聞き、ランサーはその条件を飲むことを言峰に伝える。
それを聞いた言峰は不敵な笑みを浮かべる。
「そうか。ならば数日後、残りのマスターにその詳細を伝える。君達も数日後、特設アリーナへと来るように」
そう伝えれば言峰は、ランルー達の前から姿を消した。
「マスター諸君、集まったようだな」
数日後、特設アリーナで声を上げる言峰、その中心に佇むのはランルーとそのサーヴァントであるランサーだ。
外野に集まるマスター達がざわざわと声を上げる。
翔は、中心に立つ彼らを見て、息を飲んだ。彼らは予選の時に乱入してきたものだ。
串刺しにされる人々、あれはNPCだったが、今思い出しても背筋が凍りつく。
「少し本戦から外れて私から少し違う趣向を用意させてもらった」
彼らは予選の時から警告を無視し続け、破壊、殺戮を繰り返してきた違反者。
言峰は聖杯戦争の管理者として彼らに
「ただここで、私が彼らを処分してもつまらないのでね。君達にはマスターランルーとそのサーヴァントであるランサーを対象にした
当然、この二人を仕留めたマスターには報酬を与えよう。言峰はそう言葉を続けた。
だがその言葉に他のマスター達のブーイングが起こる。それはそうだ。これは本戦とは関係ないルール。
彼らを満足させるには、それに見合った報酬が必要だ。
「当然、それに見合った報酬は用意してある。それはムーンセル側より令呪一画の贈呈だ」
その言峰の言葉にさらに、他のマスター達がざわつく。
令呪、それは奇跡を可能にする代物。そんな存在が一つ、自分の手持ちに増えるのだ。
「あや、寿々科翔。あなたも来ていましたか」
穏やかな声が翔にかかる。この声に聴き覚えがある。
三回戦の終わりにも声を掛けてくれた少年を翔は忘れるはずもない。
「レオか」
「ええ、ここであなたに出会えるとは……しかし、マスターランルー。彼女がなぜ異常な行動に出るのかはわかりませんが、彼女が持つ魔術回路は天性のものです」
近寄りがたい……レオは静かに言葉を続ける。
いや、それよりももっと気になったことがある。レオは今、あのランルーと呼ばれた人を何と呼んだ……?
「おや、気づいていなかったのですか? マスターランルーは女性ですよ?」
まじか……あの見た目をして女性なのか……
世の中何があるかわかったもではないなと翔は頭を抱える。
どうやら、戦いは始まっていたらしい。顔をあげれば、すでに何名かのマスターと、あのランルーのサーヴァントは交戦を始めていた。
そして傍観するマスターもいる。その数は今のところは半々といったところだろうか。
「この戦い、傍観するマスターもいるようです。あなたはどうしますか、寿々科翔」
「そう……だな」
あのランサーとマスターを見て翔は考える。
複数のマスター相手に戦い慣れしている動き、それを相手にするにはかなりのリスクがある。
しかし、それを覆す報酬。報酬のために戦うか、リスクを回避するために、今はただ逃げるか……
その選択を覚まられた時、ランサーのマスターの顔が翔に向く。
その刹那、言いようがない悪寒が翔の背筋を駆け巡った。
単純な殺意や殺気とは違う。絡みつくような、まるでそれに捉えられたら逃げられない蜘蛛の糸のような視線。
「ランサー、アレ、ホカノヒトト、チガウ。キニイッタ。スゴク、スゴク、オイシソウ」
「リップ!」
翔が叫び、霊体化していたリップが直後に姿を現し、翔に迫るランサーの槍を自身の腕で受け止める。
その一撃を受け、顔をしかめたリップが後退、自身の腕を構え、その腕に紅い魔力を纏わせる。
「『微笑むサロメ』―――!」
自身の纏う魔力を変え、その爪を振るうリップ。あの魔力は自身の攻撃を増幅させる魔力だ。
おそらく、あのランサーの前では、今の自分では防御は崩せないと判断したのだろう。
正にリップが攻め、ランサーが攻める攻防。彼女の攻撃を受け流しながらランサーは『やっと骨のあるやつが出てきたか』と言葉を漏らす。
対するリップは、そのもどかしさに顔をしかめていた。
自身のスキルを使って、彼を攻めても、その槍捌きの前に、難なく躱されてしまう。
この人物は、間違いなく不利な状況すらも自身の勝利へと覆す人物なのだろう。
それ故に、懐に入り込む事が出来ない。
「聖杯戦争の進行が止まっては困る。ここは僕も出ましょう。ガウェイン」
「はっ」
レオの一声に、彼の隣に立っていたガウェインがランサーとリップの間に割って入り、その槍を自身の剣で難なく受け流す。
どうやら、ガウェインの介入により、不利と感じたのだろうか、すぐさまマスターの隣へ後退するランサー。
「ランサー。モウアレ、ツカッチャッテモイイヨ」
「御意のままに」
ランサーが槍を新たに構え直した時、翔の背筋が震えるのを感じた。
あの技は……前に見たことがある。
予選の時に目の当たりにした技、大量の生徒が串刺しにされた。悪夢の宝具。
「リップ! 下がれ! 敵の宝具が来る!」
「妻よ! これなる生贄の血潮をもってその喉を潤したまえ! 『
魔槍より放たれる静粛の一撃。その槍は周囲の地面より生え、アリーナそのものを地獄へと変えていく。
そしてガウェインが立っていた場所には、何者かを閉じ込めるように、そびえ立つ大量の槍。
今でこそわかる。あれは間違いなく彼の宝具。
そして、あれが出来るのは一人しかいない。その正体は、ルーマニアに名高い英雄。ワラキアの独立をトルコの侵攻から保った、キリスト教世界の盾とまで言われる高潔な武人。
そして彼は、かの有名な吸血鬼『ドラキュラ』のもとになった人物。
その名前は串刺し公『ヴラド三世』。
「この程度の不浄、私には通りません」
何者かを閉じ込めるように、そびえ立つ大量の槍が一筋の炎により、難なく崩され、再びガウェインがその姿を現す。
見た所外傷はなし、まさに無傷と言ったところだ。
宝具をまともに受けたというのに傷一つ追わないとは……ガウェインもまた相当な化け物であることは間違いないだろう。
ガウェインは健在、リップもまた宝具を受ける前に後退、被害は最小限に済んだ。
あの二人が健在である限り、あのランサーに勝てるという希望がある。
今の状態なら勝てる。傍観を決めていたマスター達もこれで参戦してくることは間違いないだろう。
それをランサーは不利と感じる。
「妻よ。ここは一時引きますぞ」
「ハーイ」
故にここは撤退の選択肢を取った。
それを追っていくマスター達。そしてそれを何も言わずに見つめているガウェイン。
「あなたは行かないんですか?」
「マスターより追撃の命令は出ていません」
リップの質問にガウェインは顔を変えることなく返答する。
まさに彼は、物語の騎士そのものの存在だ。
ランサーを見届けたレオは、考える仕草をし、翔がいる方向へと顔を向ける。
その翔へと向ける視線は、まさに興味深いと言った視線だ。
「寿々科翔。僕はあなたの成長がとても興味深い。あれを倒すのはあなたに譲りましょう。僕はもっとあなたの力を見てみたい」
「全く、見せ物じゃねえんだぞ?」
しかし、撤退したのなら、わざわざ追わなくてもいいだろうか。
だが、仮にそのままランサーが生き延びた場合、自分はどうなる。
ただえさえ、先ほどの戦闘でもわかった様に一人では厳しい相手なのだ。
ランサーが生き延びて、彼らと再び一対一で戦うことになった場合、限りなく勝率は低いのは確かだろう。
となれば、今このタイミングで、他マスターと協力、ランサーを倒すというのが最も効率がいい選択肢だ。
「寿々科翔。あなたは本当に面白い人だ。あなたの成長、見せてもらいますよ」
翔が特設アリーナから出る姿を見つめながら、レオは静かにそう呟いた。
まるで、この先、何が起こるかわかるような、そんな瞳を翔に向けて……
「ここは……」
ランサーを追いながら走る翔は、ある廊下についたとき、ふと昔のことを思い出した。
昔と言ってもつい最近のことであるだろう。だが翔にとっては随分前のようにも感じられた。
ここは予選の時、かつて自分がランサーに襲われた場所だ。
あの時は、白亜に助けてもらった。自分はランサーに、そして間違いなく戦い抜いて来るであろうレオに勝てるのだろうか……不安がよぎる。
「翔さん、大丈夫です。今は私がついています。私があなたの剣になりますから安心して下さい」
その心を読み取ったかのように、リップが翔に優しく語りかける。その声に、言葉に、翔は安心する。
あの時の自分はただ逃げる事しかできなかった。だけど今は、きっと立ち向かう事が出来る。手にする事が出来る剣がここにある。
「……追ってきたか」
教室の扉を開ければ、ランサーの言葉、彼とそのマスターであるランルーが、こちらへと向く。
この教室も、かつて自分がいた所。まさかここで戦うことになるとは、運命というのは分からないものだ。
「ようやく見つけたよ! あの時の決着、ここでつけさせてもらうわ!」
ランルーでも翔でもない、女性の声が響いたと思えば、翔の隣に立つ白髪の女性。
彼の隣に立つ人物こそ、最初に出会った女性である志波白亜その人であった。
「翔くん。一人じゃきついでしょ。だから助太刀するよ」
白亜の掛け声と共に、彼女のサーヴァントであるランサーが、実体化する。
予選時に出会った彼らが、再びこの地にて出会う。それは同時に二幕目の幕開けの合図でもあった。