次の日、アリーナの第二階層。
この聖杯戦争において、最後のアリーナへ向かった。
「よし、これで門前払いはなしだぜ、レオ……」
そして最奥部にあった、最後のトリガーを翔は見つけた。
この戦いの終わりに至る、最後の鍵。
決勝戦の相手となる、レオと戦うための条件は揃った。
リップと翔は、最後のアリーナに残るエネミー達と戦い、特訓していた。
やはり最終下層のエネミーと言うだけあってか、今までよりは手ごわい。
しかし、リップもまた数多なる強敵たちと戦い、その動きはより機敏に、そして自慢の腕による破壊力も戻って来ていた。
「何も対策がとれていない……」
だが……あの聖剣の威力を見てから翔はずっと考えていた。
───今のままでは、レオに完敗だと……
もう決勝戦まで時間が無いというのに……
なにも対策がとれていない、どうする。
正直に言えば行き詰まっている。
打開策など、そう簡単に見つかるわけが無い。
そんな考えが脳裏をよぎる中、リップの一撃によりエネミーが崩れ落ちた。
「っ!? 翔さん! 避けて!」
「うおっ!?」
リップの声が聞こえた瞬間、翔はその場から反射的に回避する。
そして彼の横をよぎるのは、一筋の閃光……間違いなくエネミーによる魔力弾だろう。
鋭い閃光は、壁を突き破り、大きな穴をあける。
あの攻撃を食らっていたらどうなっていたか……想像すると寒気がする。
リップはすぐさま、爪を振り払い、そのエネミーを引き裂いた。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、ありがとうリップ。この通り、怪我はないぜ?」
考えに集中し過ぎていたようだ。
今後は、別の事を考えながら戦うのは辞めようと心に刻む翔。
攻撃の回避には成功したものの、リップが気づかなければ確実に攻撃を食らっていた。
翔は彼女に心配かけまいと、笑顔を向ける。
そんな翔を見て安心したのか、リップも微笑み返す。
だが同時に、彼女は不安そうな様子も見せていた。
恐らく、今の戦闘で気付いたのだろう。
「翔さん……ずっと考えているのですね?」
「……あぁ、昨日からずっとな」
翔は、このアリーナに来てからずっとレオに勝つための策を考えていた。
だが、考えれば考えるほど、自分の無力さを実感するだけだった。
───ガウェインには勝てないと……
そう考えてしまった瞬間から、思考はそこで止まってしまう。
我ながら、らしくないと翔は感じる。
今まで、どんな逆境も強敵も乗り越えて来た。
それは翔の自信にもなっていたし、戦ってきた皆の想いも彼の力となっていた。
そんな自分が、今ここで立ち止まっているなど……
だが、それでもレオに勝つための策は浮かばなかった。
いや、正確には浮かんではいるのだが……そこに至るまでの過程が思いつかなかった。
「ぁ……翔さん、見てください」
リップは何かに気づいたようで、ゆっくりと歩みを進める。
足を進める場所は、先程エネミーの魔力弾により大きな穴が開いた場所。
そこをリップと共に覗きこむ。
「これは……」
その光景に翔は圧倒された。
そこには、青く輝く丸い惑星がはるか遠くにあるのが見えた。
どうやらこの映像は、
「あれが、地球……なんですね」
地球。
人類の故郷であり、青き母なる大地。
そんな神秘的な星を見て、翔は何を想ったか。
その美しさに見とれたわけでも、懐かしさを感じたわけではない。
いやむしろ、そんな感情は不思議と湧かなかった。
ただ……この景色が美しいと感じてしまった。
「なあリップ。ふと思ったんだけどさ、お前は聖杯に何を願うんだ?」
「え、私?」
「あぁ、もし俺達が勝って聖杯を手に入れて、願いが叶うなら……何を願うんだ?」
それは翔にとって、素朴な疑問であり今まで聞いていなかったことだ。
聖杯戦争に勝ち残り、どんな願いを叶える権利を得たとしても、それをどう使うかはその人次第だ。
だが、もしリップが何かを望むのであれば、自分はそれを叶えるのに相応しい人物でありたいと思っていた。
そんな翔の問いに対し、リップは少し考えた後こう答える。
「なんでも望みが叶うのなら、人間になりたいです!」
そう答えたリップの表情は、今までよりも晴れやかで……嬉しそうだった。
そんな彼女の笑顔を見て翔は一瞬、動きを止めた。
今までのリップには、見られなかった表情であったからだ。
だが、その笑顔を見て翔は確信した。
───自分はこの少女に、心惹かれているのだと……
思えばいつからだろうか?
いつから、自分はこの少女に惹かれていたんだろうか。
けれど、そんなことはどうでもいい。
理由なんていらない。
ただ、確かに胸が熱くなる。
この思いに、嘘偽りなどないのだから。
翔は彼女の笑顔を見た瞬間、今まで感じていた重荷が軽くなった気がした。
青い地球を背に笑う彼女が、翔には世界よりも綺麗に見えた。
───ふと、翔の脳裏には一つの策が思い浮かんだ。
その策は、決して簡単なものではないだろう。
だが、今の彼ならできる気がしたのだ。
それは……とても単純なものだった。
しかし、単純だからこそ難しい。
単純で、無謀で、それでも……彼女の笑顔を守るためなら、やり遂げられる気がした。
───翔さんの横顔を見つめながら、胸が痛いと思った。
それは戦いの疲れでも、怪我の痛みでもない。
ただ、彼のことを考えるたびに、胸の奥で何かがぎゅっと締めつけられる。
私の腕は、抱きしめれば人を壊してしまう。
この爪は、痛みを与えるために作られた。
だから私は、優しくしたいと思うたびに、自分が怖くなる。
けれど翔さんは、そんな私を見ても怯えなかった。
笑ってくれた。
触れてくれた。
ずっと、私を……『怖くないもの』としてに扱ってくれた。
───どうして。
どうして、そんな風に笑えるんですか。
「人間になりたい」と言った時、翔さんが優しく笑った。
その笑顔が、焼きついたみたいに離れない。
見つめられるたびに、心が跳ねる。
手を伸ばしたら、届きそうで、届かない。
わかってる。
これは“エラー”なんだ。
この感情は、私には存在しなかったはずのもの。
あの時の私は、ただ誰かに“好きになってもらいたかった”だけ。
───でも、今は違う。
翔さんに、笑っていてほしい。
勝っても、負けても、私のことを忘れたとしても……
それでも、笑っていてほしい。
それだけで、胸の痛みが少しやわらぐから。
……これが『愛』なのかな。
私の知らない、本当の『愛』というものなのかな。
そう思った瞬間、涙がこぼれた。
頬を伝う涙の温かさを、私は確かに感じた。
そして、静かに呟いた。
「翔さん……私は、あなたに出会えてよかった」
二人がマイルームへ戻ったのは夜だった。
外の光景は、SE.RA.PH特有の青白い輝きが漂い、窓越しに電子の海がゆらゆらと光を反射している。
戦いの前夜にだけ訪れる静寂が、部屋全体を包みこんでいた。
翔はベッドの端に腰を下ろし、腕を組んで考え込んでいた。
その表情は昼間の戦いの時とは違い、どこか穏やかで、それでいて決意を秘めている。
リップはその横顔を見つめながら、声をかけるタイミングを探していた。
「なあ、リップ」
沈黙を破るように、翔が口を開く。
「はい、翔さん」
呼ばれただけで、リップの胸が高鳴ってしまうのを彼女は感じた。
けれど、悟られまいと、無理に表情を保つ。
「アリーナで一つ考えが浮かんだ。レオに勝つための、そしてガウェインを打ち倒すための策だ」
翔の声は低く静かだったが、どこか確信めいた熱を帯びていた。
その響きに、リップの胸の奥がざわめく。
「ただ、そのためにはお前の力が要る。しかも……おそらく、かなり危険な役割だ」
「危険……?」
「ああ。リップが、ガウェインの聖剣を受け止めている間、俺が決着術式を使い、ある宝具を使う。その間、お前が一人で奴の相手をしなきゃならない。聖者の数字が発動している奴にだ。できるか?」
全ての力が3倍になったガウェインは、恐らくリップの腕力を以てしても押し返される。
彼女にとっても、それはかなり危険な役割だ。
だがリップは、彼の言葉に力強く頷いた。
「……わかりました。けど」
リップは息を呑んだ。
思わず拳を握りしめる。
恐怖ではなかった。
だが、翔はどうだ?
実力差で言えば、レオのほうが圧倒的に上。
しかも、今まで戦ったどんな相手よりもだ。
「一つ聞かせてください。翔さんは、レオと戦うのが、怖くないんですか?」
翔はリップの言葉に一瞬、目を丸くした後、ふっと口元を緩めた。
「大丈夫だ。俺は、もう怖くない」
その穏やかな微笑が、リップの胸に突き刺さる。
あの笑顔……どんな敵を前にしても変わらない、強くて優しい笑顔。
どうして、そんな風に笑えるのだろう。
どうして、自分なんかに、そんな笑顔を向けるのだろう。
リップは、言葉にできない感情が胸に溢れてくるのを感じていた。
それが何なのか、彼女自身まだはっきりとはわからない。
けれど、その名を知らなくても……それは確かに、彼女の中で芽吹いていた。
「……リップ」
「はい」
「お前がいなかったら、俺はここまで来られなかった。だから、その……」
言葉を一度止め、翔は少しだけ俯いた。
考え込むような間。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「ありがとう。明日は、絶対勝つぞ」
リップはゆっくりと頷いた。
声に出せば、きっと涙が零れてしまうと思ったから。
翔は立ち上がり、マイルームの窓へと歩み寄った。
外は変わらず、SE.RA.PHの景色が彼の眼へと映る。
だが、静かに浮かぶその背景を見上げる翔の背中は、まるで遠い未来を見つめているようだった。
リップも同じようにその光景を見つめる。
彼の背中を見ているだけで、胸の奥が熱くなる。
触れたいと思った。
けれど、触れてしまえば何かが壊れてしまいそうで、手を伸ばすことができなかった。
言葉も、動作も、何もいらなかった。
ただ、同じ景色を見ているだけで、二人の心はどこかで繋がっていた。
電子の夜は静かに流れ、マイルームには、ふたりの鼓動だけが淡く響いていた。