Fate/Affection Doll   作:ラズリ487

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第35話 白衣の男

 エレベーターの移動は、これまでよりも明らかに長かった。

 時間の感覚が曖昧になるほど、沈んでいるのか、あるいは浮かび上がっているのかすら分からない。

 やがて、低い音とともに停止する。

 扉が開いた瞬間、直方体の箱は役目を終えたと言わんばかりに、白いノイズとなって霧散した。

 そこに広がっていたのは、アリーナとも回廊ともつかない空間だった。

 ただひたすらに、真っ直ぐ続く一本道。

 曲がり角も、分岐もない。

 

 ───この先に、聖杯がある。

 

 言葉にせずとも、三人は理解していた。

 一歩、踏み出す。

 それを合図にするように、周囲の空間が揺らぎ、映像が流れ始めた。

 それは、見覚えのある光景だった。

 同時に、見覚えのない光景でもある。

 志波白亜が、知らないマスターと戦う場面。

 レオのサーヴァントであるガウェインが、知らないサーヴァントと剣を交錯させる場面。

 翔とリップが、知っている相手と戦った記録。

 そして、誰の記憶にも残らなかったであろう、知らない者同士の戦い。

 

 ───勝者も、敗者も。

 

 ───願いも、絶望も。

 

 それら全てが、無言の映像として流れては消えていく。

 まるで、この一本道の先へと吸い寄せられるように。

 翔は、足を止めなかった。

 リップも、レオも、何も言わずに並んで歩く。

 ここは、裁きの場ではない、慰めの場所でもない。

 

 ───ただ、戦いという現象が、終着点へと収束していく場所。

 

 聖杯へと至る道。

 それは、今までの全てを、等しく“記録”した上で続いている。

 戦いが集結する場所。

 三人は、そこへ向かって歩き続けていた。

 

 

 

 

 無限とも思える、ひたすらに長い道。

 三人は、ついにその果てへと辿り着いた。

 広場の中心へと足を踏み出した、その瞬間。

 視界が、唐突に切り替わる。

 

 ───転移。

 

 気づけば三人は、広大な空間に立っていた。

 

「ここ……部屋、だよな?」

 

 翔が、思わず声を零す。

 だがこの規模を、部屋と呼ぶことには、どうしても抵抗があった。

 天井は遥か高く、壁も奥行きの感覚を失わせるほど遠い。

 それでいて、そこに置かれている物は、驚くほど少なかった。

 だからこそ、否応なく視線は中央へと引き寄せられる。

 

 ───そこに在ったのは、単眼のオブジェだった。

 

 ささやかに浮かび、静止している。

 形状そのものは、極端に奇抜というわけではない。

 だが、見ているだけで胸の奥がざらつくような、不快な違和感があった。

 それは造形の問題ではない。

 概念の違いがもたらす、生理的な拒絶。

 未知の文明が遺したアーティファクト。

 ムーンセルの中枢。

 このSE.RA.PH(セラフ)そのものを成立させている、大本。

 

 ───七つの海を描き出した、七天の聖杯(セブンスヘブン・アートグラフ)

 

 その聖杯を安置する、巨大な空間に、調和を乱すものが、存在していた。

 聖杯を取り囲むように、乱立する無数の石柱。

 どれ一つとして、真っ直ぐに立つものはない。

 傾き、捻じれ、崩れかけたまま、無秩序に積み重なっている。

 その光景は、なぜか寒々しかった。

 美しさではなく、理由の分からない終末を感じさせる。

 そして……

 

 ───その石柱の山の、最も高い場所に、一人の男が、腰掛けていた。

 

 年は恐らく二十代後半。

 まだ青年と呼んで差し支えない若さ。

 服装は簡素で、顔立ちは驚くほど印象に乏しい。

 

「あいつは……」

 

 ───だが、翔はその人物が誰であるかを、即座に理解していた。

 

 聖杯の前に、玉座もなく、敬意もなく。

 それでも、誰よりも自然にそこにいる存在。

 翔は、無意識のうちに息を整えた。

 戦いの果て、観測の終点。

 そして、願いの入口。

 この男こそが、聖杯の前に立ち続けてきた“最後の敵”なのだと。

 

「やあ。待っていたよ、寿々科 翔(すずしなしょう)。おめでとう。君が聖杯戦争の勝者だ」

 

 その低い声は、校舎で聞いた男の声そのものだった。

 聖杯戦争の開始、終了の宣言を行った存在。

 そして、志波白亜を一度倒した人物。

 

「祝祭の一つでもあげたかったが、あいにくここにはそんな機能は無くてね。勝ち抜いた甲斐はないだろうが、ここは私からの拍手だけで勘弁してくれ」

 

 男の言葉を聞きながら拳を握り締め、ゆっくりと一歩前へ出る翔。

 そんな彼を見ながら、男は言葉を続ける。

 

「でも、これだけは言える。私は誰よりも君を認め、君を讃え、君を誇りに思っている。君こそが行くたびも繰り返された聖杯戦争の中で、最も素晴らしいマスターなのだと」

 

 男の言葉を静かに聞いた後、翔は静かに言葉を放つ。

 

「おい、さっきからしらばっくれるんじゃねえ。てめぇ、マスターだろ」

 

 翔の言葉と同時にレオもリップも身構える。

 

「ええ、彼はNPCではない。マスターです。しかし、おかしいですね。聖杯の前に勝者ではないマスターがいるなど……理屈に合いません」

 

 翔とレオの言葉を受けても、男は驚いた様子を見せなかった。

 むしろ、興味深い玩具を見つけたかのように、わずかに目を細める。

 

「さて。この場所にそぐわないマスター、というのは……君にこそ相応しいと思うがね」

 

 彼の視線は、翔からレオへと写る。

 その言い草に、翔は舌打ちをする。

 

「なぜ敗北した者が生きてこの場にいるのか。その揺らぎは糾さなければならないが……」

 

 そこまで言葉を継ぎ、男は軽く笑う。

 

「……まあ、放置してもいい問題かな」

 

 その瞬間、レオの眉が僅かに動いた。

 

「放置、ですか」

 

 感情を抑えた声。

 だが、その奥には、明確な反発があった。

 男は、レオの言葉を否定しない。

 ただ、淡々と答えを返す。

 

「だが、ここから出られるマスターはただ一人だ。そのルールだけは、今も変わらない。どうあれ、君は消え去る定めだ。消滅の瞬間まで、好きにするといい」

 

 まるで、結果の確定した実験を語るような口調だった。

 翔の拳が、ぎり、と音を立てる。

 

「……随分と、上から目線だな」

 

 吐き捨てるように言いながらも、翔は目を逸らさない。

 

「だったら聞かせろ。ここまで仕切ってるてめぇは、一体何者だ」

 

 男は、その問いを待っていたかのように、ゆっくりと頷いた。

 

「いい質問だ」

 

 一瞬、間を置いてから、答える。

 

「確かに私はNPCだ。だが同時に、マスターでもある」

 

 その言葉に、空気がわずかに軋んだ。

 レオが、即座に反応する。

 

「……ですが、あなたは今はマスターではない」

 

 レオの言葉に、男は頷いた。

 

「よく分かる。そう……“あった”と表現する方が、より正確だろう」

 

「NPCでもあり、マスターでもあった。それは、つまり……」

 

 男の言葉に、リップがの視線が移る。

 その先は、翔へと向けられていた。

 

「……ああ。正しい理解を得るためには、説明が必要なようだね」

 

 男は、肩をすくめるでもなく、淡々と頷いた。

 

「悪いが少々付き合ってもらうよ。自己紹介が遅れてしまったが……私の名は『トワイス・H・ピースマン』。トワイスで結構だ」

 

 名が告げられた瞬間、レオの表情が、ほんの僅かに変わった。

 確信に近いものを掴んだ、そんな目だった。

 

「……なるほど」

 

 小さく息を吐き、レオは視線を上げる。

 

「今ので、ようやく分かりました。その『H』に入る言葉は……」

 

 一泊。

 言葉を選んでいるというより、確かめている沈黙。

 

ハーウェイ(H)……ですね」

 

「なっ!?」

 

 思わず、翔が声を上げた。

 

「『トワイス・ハーウェイ・ピースマン』」

 

 レオは、淡々と続ける。

 だが、その声音には、確かな重みがあった。

 

「ウィザードとしての才能を見込まれ、養子となり、ハーウェイの『H』と、ピースマンの名を与えられた人物」

 

 レオの視線が、男を射抜く。

 

「一族きっての鬼才として、記録に残っています。ハーウェイが所有する聖杯関連資料に、あなたの署名がありました」

 

 トワイスは、否定しない。

 肯定もしない。

 ただ、静かに聞いている。

 

「一般にムーンセル……聖杯の噂が流布した際にも、あなたの名が挙がっていたと記憶しています」

 

 そこで、レオは一瞬だけ言葉を切った。

 

「電子上での名を騙ることは容易です。ですから、当時は愉快犯の仕業だと判断していましたが……」

 

 レオは、ゆっくりと首を振る。

 声が、僅かに低くなる。

 

「それでも、理にそぐわない。戦争を憎み、科学者でありながら、あえて戦地での救命活動に尽力したあなたが……」

 

「私はそういう風に記録されているのか。戦争を憎む……ああ、確かにそれは事実だね」

 

 トワイスは小さく息を吐く。

 笑っているのか、呆れているのか判別のつかない、曖昧な声音だった。

 

「私は戦争を憎んでいるし、決して許しはしない。それはハーウェイであろうと例外はない」

 

 その言葉に虚勢はない。

 淡々としているが、否定の余地もない確固たる断定だった。

 

「しかし、それはあくまで表層の事実でね。このムーンセルと同じように、機能の一端が知れ渡り、それが本質と認識されたようなものだ」

 

 翔は眉をひそめる。

 レオは何も言わない。ただ視線を外さない。

 

「そして、正確に言うと私は『トワイス・H・ピースマン』の記憶から生まれたAIだ。生前の彼の本質を語らせてもらうとしよう」

 

 一瞬、場の空気が沈む。

 トワイスの語り口は穏やかだ。

 だが、それは懺悔でも告白でもない。

 ただ、事実を整理する研究者の声音だった。

 

「彼は、病的なまでに戦争を嫌悪した。いや、言い直そう」

 

 ───トワイス・H・ピースマンは、実際に病気だった。

 

 動悸、と言ってもいい。

 戦争の映像を目にするたび、心臓が締め付けられるように痛み、

 血液が過剰に巡り、呼吸が浅くなる。

 (かれ)は戦争の映像を見るたび、言いようのない焦りに襲われた。

 それは怒りではない。

 正義感でもない。

 もっと原始的で、もっと説明のつかない衝動だった。

 以降、(かれ)に募る焦燥は、日に日に重くなり、

 持て余すほどの痛みとなった。

 科学者となってからも、(かれ)を戦地へ向かわせたのは、その胸の痛みだ。

 

「それだけなんだ。生前の(かれ)を突き動かしたのは、正義感でも義務感でもない」

 

 トワイスの声は変わらない。

 感情の波はない。

 だが、その無機質さが逆に異様だった。

 ただ、疑問だけがあった。

 

 ───なぜ、自分だけがこんなにも戦争を憎むのか。

 

 何度も自問した。

 答えが出るまで考え続けた。

 

 ───けれど、その答えが出てくることはなかった。

 

 そもそも、(かれ)自身が戦地に赴く必要などない。

 後方でできる救助など、いくらでもある。

 なのに、なぜ戦争を体験しようとするのか。

 なぜ戦争を知ろうとするのか。

 それは“戦争への憎しみ”だけでは説明できない。

 生前の(かれ)は、その不合理さに疑問を抱きながらも、戦地へ向かうことをやめなかった。

 

「君たちに、そんな人間の末路を見せてやろう」

 

 トワイスが指を軽く振る。

 それだけで、空間が崩れた。

 視界がノイズに侵食される。

 床は粒子へと変え、空は歪みを帯びる。

 

 ───書き換え。

 

 世界そのものが、構築される。

 気づけば、そこは街だった。

 高層ビル群、巨大な交差点、整然と並ぶ道路標識、遠くに伸びる鉄道。

 そして、どこにでもある都心の景色。

 風の流れまで自然なその再現度は、異様だった。

 ビルのガラスに映る光の反射角まで、破綻がない。

 完璧すぎる現実。

 この光景には、その言葉こそ相応しい。

 

「都市データの再構築ですか」

 

 レオが静かに呟く。

 その視線は、街を分析している。

 だが、次の瞬間。

 翔の呼吸が、乱れた。

 

「……っ」

 

 胸の奥が、締め付けられる。

 知らないはずだ。

 自分に記憶などない。

 白亜は言った。

 

 ───記憶なんて初めから……なかった。

 

 ───肉体からのリンクが無い、ではない。肉体そのものが無いのだ。

 

 ───ここにいるNPC達はムーンセルが地上の人達を参考にして再現された所謂AI。あなたもそういう存在だった。

 

 理解している。

 納得もしている。

 それでも……それでも、だ。

 

「……リップ」

 

 声が震える。

 視界の端に映るビル、横断歩道の白線の幅、歩道橋の錆びた手すり。

 その光景一つ一つが、呼吸を浅くする。

 理由もなく、鼓動が速まる。

 

「なんでだろうな、俺……この街の光景に、見覚えがある」

 

 自分で言っておきながら、否定したくなる。

 あるはずがない。

 だって“元”が存在しないのだから。

 そう定義されたはずだ。

 そう、説明されたはずだ。

 

 ───なのに、胸の奥で、何かが確かに頷いている。

 

 知っている、と。

 

「俺は、この街に生まれて……この街に、住んでいたんだ」

 

 ぽたり、と涙が落ちる。

 懐かしいわけじゃない。

 思い出したわけでもない。

 知らないはずのものが、当然のようにそこにある。

 その矛盾が、痛みになる。

 

「翔さん……」

 

 リップが戸惑いを隠せずに翔を見る。

 一方で、レオは街を一瞥し、次に翔を見る。

 分析の視線。

 だが、そこに困惑はない。

 ただ、思考している。

 

(この都市は、間違いなく1999年の極東の地方都市。いや、それよりも)

 

 翔の反応。

 偶発的とは思えない。

 彼は本当に、この街を知っている可能性がある。

 

「……翔さん」

 

 レオが静かに呼ぶ。

 

「あなたは、この街を“知っている”のですか?」

 

「……」

 

 問いは穏やかだ。

 だが、その目は鋭い。

 翔は、答えられない。

 知っている。

 だが、知るはずがない。

 その矛盾を、説明できない。

 高層ビルの窓ガラスに映る自分の姿が、ひどく不安定に見えた。

 

 ───場面が、高速に流れる。

 

 都心の風景は歪み、ガラス片のように砕け散った。

 代わりに現れたのは、無機質な白、大きな総合病院の廊下だった。

 蛍光灯の光、磨き上げられた床、消毒液の匂い。

 その廊下を早足で歩く男がいる。

 目の前で語っている男と、瓜二つの姿。

 白衣を翻し、迷いなく進むその背中には、まだ疲労の影は浅い。

 トワイスは医師として、この都市に招かれていた。

 

「トワイス先生。患者のカルテです」

 

 看護師が差し出したファイルを、彼は受け取る。

 手慣れた動作でページを捲る。

 

「……脳症の進行を止めるために冷凍催眠させているのか。冷凍催眠は不安定な技術と聞いていたが……よく政府の許可が下りたものだ」

 

 眉がわずかに寄り、小さく息を吐く。

 だがその目は諦めていない。

 

「必ず助けてやる」

 

 それは誓いではなく、当然の前提だった。

 カルテの最後のページへ視線を落とす。

 

「患者の名前は───」

 

 その瞬間。

 

 ───世界が、白く染まった。

 

 音が消える。

 次いで、圧力。

 窓ガラスが内側へ弾け飛び、衝撃波が廊下を貫く。

 光、熱、轟音が響き、天井が崩れ落ち、書類が宙を舞い、白衣が炎に呑まれる。

 名前は、最後まで読まれなかった。

 

 ───景色が巻き戻る。

 

 瓦礫も炎も消え、再び単眼のオブジェの部屋へと戻った。

 そして、石柱の上に座る男。

 

「1999年、極東の地方都市で、ある脳症が発生した。以前の症例から、原因は化学兵器と推察された。その都市では、幾度かテロが発生していたからね」

 

 静かな声だった。

 まるで講義のように彼は言葉を進めていく。

 

(かれ)は医師として招かれ、そして都心で起きた大規模なテロに遭った。記録によれば、死者は公式発表で五千人」

 

 数字を言い終えた後、彼はわずかに肩をすくめる。

 

「正しくは、ムーンセルの記録で八千二百人。政府もおざなりだ……まったく、三千人はサバを読みすぎだよ」

 

 その目元が、僅かに緩む。

 笑っている。

 犠牲者の数を、統計の誤差のように語る。

 それが皮肉なのか、乾いた諦観なのか、判別はつかない。

 

「生前の(かれ)……いや、私の元となった人間のデータは、そこで終わりだ。トワイスも、その被害者の一人だったワケだ」

 

 彼は静かに言った。

 風が吹く。

 だがそこには、もう病院の匂いも、炎の熱もない。

 残っているのは、死を記録として扱う、AIの声だけだった。

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