そして、彼の死地と同じ光景が残る自分も……あの時、死んだ五千の一人なのだろう。
翔は、そう思った。
否定する材料はない。
この聖杯戦争が始まる前。
翔はこの光景を、夢で何度も見ていた。
───空が燃えている。
───家が燃えている。
───人が、人の形を保てなくなっている。
あの地獄のような光景。
あれこそが、人間だったトワイスの最後に見た景色なのだろう。
───そして。
自分も、その中にいたのだろう。
理由もなく、そう確信してしまう。
「死に際に見た焼け跡の光景。しかし
声は変わらない。
だがその言葉は、過去をなぞるように落ちていく。
そして景色が、わずかに揺らいだ。
70年代、ある地方で起きた民族紛争。
実際は、大国の代理戦争だった。
瓦礫、炎、倒れ伏す大人たち。
───思い出してしまった、地獄だった。
あらゆる物が、あっけなく崩れていった。
価値も、意義も、重さなど関係なく、ただ壊れていった。
命とは、本来そんなものだと語るように。
───だが……だからこそ、輝いていた。
生きているということは、それだけで奇跡なのだと。
幼い
「その後、
戦争を憎んでいた。
誰よりも戦争そのものに、殺意を持っていた。
だからこそ、当事者になろうとした。
───だが。
その核にあったものは、否定ではない。
否定では、なかった。
静かに、トワイスは続ける。
「なぜなら……
景色が断片的に挿入される。
──数倍の経験と物量を持つ敵に包囲されながら、それを撃退して帰還した新兵のチーム。
──熟練者ですら遭難するジャングルを、掃討から逃れようと入り込み、僅か二日で踏破した五歳の少女。
──瓦礫となった村を、文明の手を借りず、何十年とかけて復興した
生前の
その偉業は、全て戦争によって生まれた。
多くの発明、多くの救命。
あの地獄抜きには、なしえない。
爆炎の中、心停止まで三秒。
その瞬間、
否定ではなかった。
「
沈黙、風が吹く。
「ムーンセルは全てを観て、全てを記録する」
トワイスは、わずかに目を細めた。
「死に際の私の思いもまた、
そして時が経ち、私はその記録を元に、この世界でNPCとして生み出された。
ムーンセルの中枢。
聖杯の光が、静かに空間を照らしている。
人類史という、膨大な記録の墓標。
上層で稼働していた大勢のNPC達も、その記録の一部に過ぎない。
人間らしく振る舞い、笑い、怒り、悲しむ。
───だがそれは再現だ。
観測された挙動の、模倣、私もまた、その一つだった。
与えられた人格、与えられた役割、記録の再演。
しかし……
「ある時、自意識を獲得した。そうですね?」
レオの声が反響する。
トワイスは小さく頷いた。
「理由は分からない。接触した多くのマスターの影響か。霊子ハッカーとしての適性か」
それを証明する術を、私は持たない。
だが、自意識に目覚めた以上、私は私として在るしかない。
───トワイス・H・ピースマンとして。
生前の私が最期に見た夢。
実現できなかった理想。
「夢……てめぇ、まさか」
翔の声が低く落ちる。
トワイスは翔を見つめる。
「気付いているようだね。むろん、戦争だ」
沈黙が広がる。
「人類すべてに、等しく同じステージで殺し合いをしてもらう」
この未来は間違っている。
それがムーンセルの記録した人類史を見聞きしての結論だ。
1900年までは成長期だった。
消費と繁栄の均衡は保たれていた。
成熟へ至るはずの時代は訪れなかった。
未熟を脱し、ようやく訪れるであろう黄金期が……
───まるでなかったんだ。
「分かるだろう? 収益がまるで合っていないんだ。この星は」
精神は停滞し、文明は袋小路に入り込んだ。
まさに腐敗した果実そのものだ。
「そんな歴史は間違っていると思わないか?」
トワイスの問いは静かだった。
まるで医師が、診断結果を告げるように。
「それで、なんで戦争になるんだよ」
翔の声は、低かった。
怒鳴り声ではない。
だが、抑え込んだ圧が滲み出ている。
彼の問いは、真っ直ぐにトワイスへと向けられた。
「それが最も効率の良い前進だからだよ」
彼の質問に、トワイスは即答で返した。
「安定、停滞は種を保存するだけの話。そんなものが目的なら、人間は必要ない。動物であるには我々は罪深すぎる」
かつて、己の都合の為に多くの命と資源が費やされた。
何故か、決まっている、繁栄する為だ。
何のために繁栄するのか、そんな疑問に意味はない。
ただ繁栄する、それが命の意義だからね。
「君なら、同意できるはずだ。人間は成長する生き物であり、その為に、多くの夢を食いつぶすのだと」
トワイスの視線が、翔へと向いた。
「なんだと……?」
トワイスの言葉に翔は声を上げる。
声が荒れる。
だが、足は動かない。
衝動より先に、思考が走っている。
翔はこの戦いの全てを観察し生き抜いてきた。
無駄を削ぎ落とし、他者の思考を読み、先を見た。
夢も、理想も、綺麗事も、必要とあらば踏み越えてきた。
「彼らの無為を乗り越え、人間は初めて成長する。君がそうであったようにだ」
静かな断言。
「燃え尽きた芥の思想。食いつくした多くの過去。喪失はあまりにも大きい。それがこの程度の文明で終わるなど許されない」
トワイスの声には揺るぎがない。
「そうだろう? 今まで支払ったものに相応しい未来を築き上げなければ、人類はただの殺戮者だ。遥かな過去を生きた人間としてこんな未来は、決して認めない」
───私たちはこんな社会の為に、命を浪費したんじゃない。
その言葉が、空間に沈む。
しかし、時間は不可逆だ。
戻ることができないのなら、進むしかない。
「だからもう一度、闘争の時代へ戻る。歴史を百年前からやり直す。誰もが当事者となる生存競争をもって、
トワイスの視線は翔から動かない。
「この願いは、いまや確信に変わった。聖杯戦争の勝者よ。君の存在こそが、それを証明してくれたのだから」
翔はトワイスの言いたいことが何となくだが分かってしまった。
だが、ここでは口にすることなく、静かに翔は彼を睨む。
「元々、聖杯戦争とはムーンセルの情報収集活動の一つに過ぎない。無論、聖杯戦争という名もなかった」
ムーンセルは最良のサンプルを必要としただけだ。
生存競争は、性能を競うトライアルに過ぎなかった。
「だが、今までの魔術師は自己解釈の末、ともに殺し合い脱落していった。醜い物だろう? 私が勝利するまで、この世界は屍の山で埋まっていったんだ」
リップの隣に、何かが落ちる音が聞こえた。
その音に気付き、彼女がその場所へ視線を動かせば、息絶えた魔術師の姿が映り、彼女は小さく声を上げる。
しかし刹那、魔術師は物言わぬ石柱へと姿を変えた。
音もなく、ただ記録へと還元される。
それが敗者の末路、この無数の柱は……その積み重ねだ。
「私はNPCとして彼らの戦いを傍観し、やがて自我に目覚め、最弱の身から幾度となく戦いを繰り返した。私はNPCだからね。君たちとは違って死んでも次がある」
何十と言う戦いの末、私はこの座に辿り着いた。
そこからは簡単だ。
私はここから表層のルールを操作し、聖杯戦争を作り上げた。
ただ一人の勝者だけが生き残る、苛烈な生存競争。
想像もできぬ域まで、人を押し上げる可能性の場に造り変えた。
「そして君が現れた。本戦の開始時には明らかに最弱のマスターでありながらついには世界の王を倒したものが。私のように初めから適正があったものじゃない。君は名もない一般人でありながらついには世界の命運を握る代表にまで成長した」
やはりか、と翔は思う。
こいつは戦争が正しかったと言いたいわけじゃない。
戦争が人を鍛えたと証明したいのだ。
その証明に、自分を使っている。
自分を、翔こそが人類の可能性なのだと言っているのだろう。
戦いが自分を鍛えたと、苦境がその血肉を鋼に変えたのだと……彼は切望していたのだ。
「さあ、聖杯に接続したまえ。君は地上に、その成長過程を知らしめる権利がある」
トワイスはそう言い、半歩引き道を空ける。
「そして声高らかに叫んでほしい。戦いは必要だと。人類はより早く進化できるのだと」
君はただ一言ムーンセルに入力すればいい。
───“止まるな”と
「その後は好きにすればいい。神になるのも、王になるのも君の自由だ。私はそれを祝福しよう。何であれ君の決断は戦いに帰結するだろうからな」
人類は、多くの戦争を経て、数え切れないほどの命を失い、その傷跡はいずれも深い。
しかし欠落は成果で埋めねばならない。
出なければ失った意味がない。
埋められずというのなら新たな欠落を。
埋めずにはいられない多くの犠牲を。
この上なく深い傷跡を、それが人類には必要なんだ。
「……なるほど。あなたの主張は理解しました。賛否は別にして」
トワイスの言葉が一区切りを終えた後、レオは一歩前へ進み出る。
彼の言葉を聞いた後も、レオは変わらず涼やかな表情を見せる。
「しかし、一つだけ疑問があります。あなたも過去の聖杯戦争では勝者だった。けれど聖杯の力は手にしていない。その理由が分かりません。なぜわざわざ彼に行かせるのですか?」
「当然の疑問だ」
レオの言葉にトワイスは答える。
「だが無理なんだ。残念ながら私が聖杯に触れることは叶わない。私はムーンセルにとっては不正なデータに過ぎない存在だからね。この辺りであればいくらでも誤魔化せるが、中枢に至ればNPCであった私の素性はすぐに見破られ、分解されるだけだろう」
それでは意味がない。
私には正規の勝者が必要だったんだ。
理想を体現し、聖杯へと至れる者が。
「不正なデータは分解……」
翔が、ほとんど吐息のように呟く。
その声を、リップは聞き逃さなかった。
だが翔は何も続けない。
一度だけ目を閉じる、何かを振り払うように。
そして再び、トワイスを真っ直ぐに見据えた。
「だからここに留まり続けた。中枢にいたる門の前で、長い年月……私以上の戦いの申し子を待ち続けた」
そうだなと、トワイスは言葉を続ける。
「思えば無意味な時間だったよ。この場からの情報操作でも地上に紛争の芽は作り出せた。しかしそれは遅く不確実で、規模も小さかったからね」
その言葉に、空気がわずかに変わった。
レオの瞳が細められる。
感情ではない。
思考の焦点が、合う。
彼の脳裏に、いくつもの報告が上がってきた記憶がよみがえる。
───無軌道にも見えるテロや争い。
───本来であれば接続しないはずの思想圏の衝突。
───説明のつかなかった情報流通の乱れ。
いずれも決定打には欠けていた。
だが確かに“誰かの指先”を思わせる不自然さがあった。
「世界情勢を不穏にする動きの中に、いくつか原因不明のものが存在していましたが……」
レオはゆっくりと息を吐く。
「そういう事だったのですね」
レオの言葉を、トワイスは否定せずただ、静かに目を細めた。