「ムーンセルの持つすべての情報と、その未来予知にも等しい演算機能があれば、確実に全人類規模の戦争を起こせる」
殲滅するためのものではない。
正しく行動すれば誰もが生き残れる生存の為の戦争が。
トワイスは、聖杯を見つめる。
「見えるだろう、あの門が。あの奥こそ月の中枢。フォトチュニック純結晶によって作られた檻。これまで予測した未来、無限ともいえる地球のシミュレート。その結果を光の束として閉じ込めた中枢」
あれを手に入れたものは、無限の仮説から未来を選び取り、望むままに地球を変えられる権利を有する。
観たいと思った通りに事象は書き換えられる。
「まさしく
不可能なことは存在しない、まさに無限の願望機。
翔の言葉にトワイスは頷く。
「そうだ。故にこう名付けられたフォトニック深淵領域。
トワイスは真摯に、信頼を込めてこちらを見つめている。
彼はこう言っているのだ。
───戦いを肯定しろと。
戦争そのものを憎みながら、戦争が生み出した成果を否定できなかった男。
彼は同士として、同じ“戦いで成長したもの”である翔に道を開いている。
「戦いは避けられない。てめぇはそう言いたいんだな」
「そうだ。地上の
トワイスの視線は揺らがない。
信頼、確信、委ねる者の眼差し。
翔はその光景を、数秒だけ黙って見つめた。
あの奥にある演算の海。
そこには無限の仮説があり、無限の未来もある。
戦争を起こすことも、回避することも。
全ては選択次第。
───だが……
「……違う」
翔は小さく息を吐き、呟く。
その声は、低かった。
だが、はっきりとその場にいる全員の耳に届くような声であった。
「俺は、戦いを肯定なんかしてない」
翔の言葉が静かに落ちる。
「確かに、戦いは人を変えてしまう。強くもしてしまう」
否定しない、事実は認める。
「でもな」
翔は一歩、トワイスの前へと出る。
「それは“正しいから”じゃない」
彼の視線が鋭くなるのを、トワイスは感じ取る。
「追い詰められたからだ、削られたからだ、失ったからだ」
声に熱が混じる。
だが、彼の理性は崩れない。
「俺は成長したかもしれない。けどそれは、戦いが尊いからじゃない」
拳が震える。
翔の脳裏に、戦った人達の姿が浮かぶ。
「間違ってる状況の中で、必死に足掻いた結果だ」
トワイスを真っ直ぐ見る。
「あんたは言った。失った意味を成果で埋めろってな」
その言葉の後に、翔は首を振る。
「違うだろ。失ったもんは、埋まらねえんだよ」
翔の言葉に、場がさらに静まり返る感じがした。
彼は目を閉じる。
今でも鮮明に覚えている。
シンジ、ダン卿、ありす、ユリウス、白亜。
みんな、翔の目の前で散っていった。
そして彼らが戻ることは決してない。
───失ったものは、決して戻らない。
そして目を開き、彼はまっすぐトワイスを見つめた。
「埋まらねえから、人は二度と同じことを繰り返さないように考えるんだ。それが進歩っていうんじゃねえのか」
一呼吸置き、翔は言葉を続ける。
「戦いが人を進化させるんじゃない。戦いを“間違いだった”って認めるから、次に進めるんだ」
聖杯の光が、わずかに揺れる。
翔は一歩、さらに踏み込む。
「必然だから肯定する? ふざけんな。嵐が来るからって、自分から街を燃やす奴がどこにいる? 俺の願いは、そんなんじゃねえ。てめぇの目的を果たすのは断る」
視線は逸らさない。
翔の言葉を、トワイスは最後まで遮らなかった。
怒りも、否定も、ない。
ただ静かに聞く。
「……なるほど」
小さく頷く。
「君の結論は理解できる。だがそれは個人の体験だ」
冷静な分析。
聖杯の光が揺らめく。
「君は戦いを間違いだと認識した。だからこそ次に進めた。だが人類全体が、同じように反省し、学び、繰り返さないと本気で思っているのか?」
トワイスは翔を見つめ続け、言葉を紡ぐ。
責めてはいない、これは確認だ。
「君は“個”の論理で語っている。私は“種”の論理で語っている。個人の理性に期待するには、人類はあまりに数が多すぎるのだよ」
トワイスの視線が、翔からゆっくりと横へ流れる。
「……では、そこのサーヴァントの君はどうだ」
その視線の先はリップへと向く。
石柱の間に、静寂が落ちる。
「君もまた戦いの中で変化した存在だろう。その変化は、闘争の成果ではないのか?」
リップは一瞬、言葉を失う。
彼女は、自分の両手を見た。
巨大な腕、かつて忌避された存在。
戦いの中で、確かに彼女は変わった。
強くなったし迷いも減った。
否定はできない。
───だが。
顔を上げる。
「……変わりました」
素直に認める。
「戦いの中で、私は変わりました」
トワイスは頷く。
そして次の言葉を待つ。
「でも」
リップの声が少しづつ強くなる。
「それは戦いのおかげじゃありません」
彼女の足は一歩進む。
そこは、マスターである翔の隣。
「翔さんがいたからです!」
はっきりと彼女は言った。
その言葉に目を丸くし、リップを見つめる翔。
「私は自分が嫌いでした。壊すたびに、何かを失っている気がしました。でも翔さんは、私を見てくれた」
戦力としてではなく。
道具としてでもなく。
人として、自分を見てくれた。
「戦いのせいで、私は何度も自分を見失いそうになりました。それでも……」
リップは言葉を続ける。
「翔さんが、手を引いてくれたんです」
優しく微笑む。
「私を変えたのは闘争じゃありません。人です。そして……」
リップは、翔を見る。
そしてトワイスを見た。
「翔さんです」
トワイスは二人の言葉を聞き、静かに目を細めた。
否定も肯定もない。
ただ二人を観察するような視線。
その横で、レオは翔とリップを見ていた。
かつて未熟だった少年、感情に振り回されていた少女。
だが今、前に立っているものは違う。
自らの意思で語り、選び、立っているものだ。
レオは小さく満足げに微笑んだ。
───やはり、人は変わる。
だが、その変化の証明が戦争である必要はない。
彼もまた、一歩前へと出る。
「古人の考えでも、容れる物はあるでしょうね。過去のものと言うだけでその全ては否定しませんが……」
その声は穏やかであった。
否定から入らず、彼は言葉を続ける。
「それでも、戦争と言う解はありません。あまりにもロスが大きすぎる」
一泊おき、レオの瞳は真っ直ぐにトワイスを射抜く。
「ただ一人の解脱者を生むために進む文明なんて僕は認めない」
レオはわずかに眉を寄せる。
「仮に戦いは必要だとしても、それは僕一人が体験し、その成果をもって皆を導けば済むことです」
この少年は本気で言っているのだ。
他者を犠牲にするのではない。
自分が背負うと……
「既に、この聖杯戦争で敗北から学んだものがあります」
一歩、一歩更に前へ。
敗北を知り完成した王。
彼が翔とリップの隣に並び立つ。
「世界の行く末に、あなたの手は要りません」
石柱に僅かな振動が走る。
声は穏やか……だが、決定的にレオは言い切った。
「……理解に苦しむよ。他の人間であるならともかく、私の思想の体現者である君が」
それは当然のこと。
同じ道を歩もうとも、同じ気持ちを抱くとは限らない。
おそらくトワイスと同じ場所で死んだ自分。
同じ絶望を見た。
同じ時点で死んだはずの存在。
───だが。
その死の淵で、彼とは異なっていた。
「だが残念ながら、君に帰る道はない。ムーンセルに侵入し、地上に帰還できるマスターは一人だけなのだから」
レオを視線から外し、翔とリップに向けて言う。
冷徹な真実の提示。
だがそれはとんだ見当違いだ。
このムーンセルから生きて“帰る”ものは翔ではない、トワイスでもない。
───それは、隣にいるレオなのだから……
この戦いに、真の勝者は存在しない。
しかしそれでも、もしわずかでも誰かの未来につながる可能性があるのなら……
「洗脳と言う手段は、自己崩壊により死に至るという意味でも、ベストな選択ではない」
淡々と医師のように理論の続きを述べるトワイス。
「はっ、今更強行手段か?」
翔が吐き捨てるように言う。
だが、トワイスは揺るぐ事は無い。
「抵抗しても構わない。君も、自らの願いをかなえるには私を倒すしかないのだからね」
そこに立ちふさがる最大の壁、本当の最後の戦い。
選択肢は無し、思想は交わらない。
ならば残るは証明のみ。
「実に因果だ、結局のところ、行きつく先はこの結論か」
自嘲でもなく、感慨でもなくトワイスは呟いた。
彼の視線が三人を見渡す。
「では、最後の聖杯戦争を締めくくろう。ただ一人の勝者が全てを手に入れる。それが変えようのない私たち人間の在り方と言うことだ」
生死のかかった戦いでこそ、人は精神を成長させうる。
人類にとって私は悪である、だが生命とは転輪するもの。
全てを生かす為に、個に救いをもたらす為に、私はこの力を授かった。
「見るが良い、凡百のサーヴァントよ。ムーンセルがその蔵書から私に与えた救いの姿を!」
声が響く、光が爆ぜる。
「来たれ、救世の英霊! この世でただひとり、生の苦しみより解脱した解答者よ!」
重力が軋んだ。
その名前が、世界を裂く。
爆ぜた光が、収束していく。
音が消える、風が止む。
まるで重力さえも、静止したかのように。
───それは、座していた。
「あいつが、志波を倒した……」
翔の言葉が漏れる。
絡み合う緑の蔓が王座を形作り、蓮華のように重なる葉の中心。
赤き衣を纏い、黄金を戴く存在。
武器はない、構えもない。
瞳は閉じられ、ただ両手を静かに重ねている。
戦場に現れたというのに、
その姿は、あまりにも穏やかだった。
───だが。
その静寂は、優しさではない。
嵐の前触れでもない。
それは、完成された存在。
生の苦しみを識り、欲を断ち、執を断ち、それでもなお“ここに在る”もの。
翔の喉が、無意識に鳴る。
リップの巨大な腕が、わずかに震えた。
レオでさえ、その気配を測りかねて目を細める。
トワイスは、ただ静かに見上げていた。
───その瞬間。
閉じられていた瞳が、ゆっくりと開かれる。
光を放つでもなく、威圧するでもなく。
すべてを見通す視線。
そして、声が響いた。
「それが人類の悟りを得て真如へと至る道であるならば、我は衆生を救済すべく、
怒りもなく、断罪もない静かな声。
だがその言葉が落ちた瞬間、空間が従った。
石柱が軋み、演算空間の光が屈する。
救済の形をした、絶対の意志。
慈悲という名の断定。
そこに立つ三人へ向けられた“解答”。
嫌でもわかる、この存在は強い。
いや、違う……強いという尺度の外にいる。
───だが今は、この戦いを……志波白亜ですら超えられなかったこの戦いを。
レオは下がり、翔とリップは一歩前へ出る。
本当の最後の戦いを、
ここで止まれば全てが“正しい”ということになってしまう。
戦争が、淘汰が、救済と言う名の断罪が正しかったと。
そんな結論は認めない。
隣を見る、リップの横顔がうつる。
彼女の巨大な腕が静かに構えられる。
その腕は震えている、だが彼女は引かない。
恐怖がないと言えば嘘になる、だが逃げない。
翔は叫んだ。
「全て終わらせるぞ、リップ!」
「はい! 翔さんの隣で……戦います!」
それは決意であり反逆。
そして、彼らの選択。