Fate/Affection Doll   作:ラズリ487

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最終話 Fate/Affection Doll

 白い光だった。

 ゆっくりと、意識が覚醒していく。

 どこか遠くで電子音が鳴っており、一定の間隔で響くその音は、不思議と耳に心地よさを残した。

 彼は、重たい瞼をゆっくりと持ち上げる。

 写るのは白い天井、見慣れない照明。

 そして、自分の身体へと繋がる幾本もの管。

 見覚えのない医療機器に病室。

 

「…………」

 

 言葉が出ない。

 身体が鉛のように重かった。

 指先を動かそうとすると、ようやく少しだけ反応する。

 その僅かな動きを確認するように、周囲の機械が小さく音を鳴らした。

 そして自分は、長い眠りから覚めたことだけは理解できた。

 

「意識を確認!」

 

「患者、覚醒しました!」

 

 慌ただしく部屋の扉が開く。

 白衣を着た医師たちが次々と駆け込んでくる。

 何人もの人間が自分を囲み、次々と質問を投げかける。

 

「名前は分かりますか?」

 

「こちらの声は聞こえますか?」

 

「指は動きますか?」

 

 彼は、ぼんやりと辺りを見回した。

 何が起きているのか分からない。

 けれど……

 

「……なんか、すげぇ人数だな」

 

 掠れた声でそう呟くと、部屋の空気が少しだけ和らいだ。

 医師たちは笑い合いながらも、涙ぐんでいた。

 それだけ長い時間、この瞬間を待っていたのだ。

 彼が目覚めてから、検査は数日に及んだ。

 身体機能や脳機能、そして記憶。

 どれも慎重に確認された。

 

 ───そして、彼は知る。

 

 自分が長い眠りについていたこと。

 治療法の存在しない病に侵されていたこと。

 未来の医療技術を待つため、冷凍催眠措置が取られていたこと。

 記憶障害で、過去の事は何も覚えていない事。

 家族も友人も、もういないこと。

 そして……眠っている間に、世界は大きく変わってしまったことを。

 

「……」

 

 検査が終わり、病室に戻った彼は静かに窓の外を見る。

 空中へ映し出される立体映像、見上げるほど高い建築物。

 どれも知らない世界、知らない時代、知らない人々であった。

 自分を知る者は、もう誰一人としていない。

 それでも、不思議と彼に恐怖はなかった。

 

「……そっか」

 

 思いに馳せた後、彼は小さく笑う。

 

「なんにも覚えてねえけど……きっと全部、変わっちまったんだな」

 

 ふとそのような一言が漏れる。

 だがその言葉には、諦めも絶望もなかった。

 ただ事実を、真正面から受け止める静かな響きだけがあった。

 その時、病室の扉がノックされる。

 

「お客さんか? どうぞ」

 

 そして扉が開き、一人の青年が訪ねてきた。

 金色の髪に、整った身なり。

 その立ち姿には、生まれながらの気品が宿っているのが彼には感じて取れた。

 

「失礼します」

 

 静かな声。

 少年は顔を上げる。

 

「えっと……どちら様ですか?」

 

 彼の言葉に、青年は柔らかく微笑んだ。

 

「初めまして。レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイです」

 

 レオと名乗った青年は一歩近づき、穏やかに続ける。

 聞きなれない名前に、彼は首を傾げた。

 

「ハーウェイ……?」

 

「ええ」

 

 レオは静かに頷いた。

 

「少しだけ、あなたと縁がありまして」

 

「縁? 俺とお前が……?」

 

 そんなもんあったけなあと、彼は首を傾げる。

 もちろん、彼に覚えはない。

 レオも、それ以上は語らなかった。

 もう一人の翔との約束は、レオだけのものだからだ。

 

「失礼ながら、これから先のことですが」

 

 レオは椅子へ腰掛ける。

 

「治療も、その後の生活も、すべて僕たちが支援します」

 

 レオの言葉に、彼は驚いた。

 

「え?」

 

「記憶が戻らなくても大丈夫です。失った時間を取り戻すことはできません」

 

 レオは言葉を続ける。

 

「ですが……この先にある時間は、あなた自身のものです。だから、これから歩いていけばいい」

 

 少しだけ、レオは笑う。

 

「僕も、その手伝いをしたいと思っています」

 

「どうして……そこまで?」

 

 レオは窓の外を見る。

 その視線の先には、青空が広がっている。

 彼の頭の中に思い浮かぶのは、一人の少年。

 最後まで笑っていた彼であり、最後まで誰かのために戦った彼。

 

「あなたという存在が、この方から始まったのなら……」

 

 一度だけ目を閉じる。

 

「僕にとって、この方を見捨てる理由にはなりません」

 

 彼は意味が分からないまま、それでもその言葉の温かさだけは理解できた。

 

「えっと……ありがとう……ございます」

 

 彼は、レオに自然と頭を下げていた。

 そして時が経ち数か月後……彼の退院の日。

 病院の自動扉が静かに開き、彼を迎えたのは頬を撫でた柔らかな風だった。

 目の前には、彼の知らない街並みが広がっており、そこを人々が笑いながら行き交う。

 子供たちが駆け回り、その上には青空が広がる。

 

「未来って……すげぇな」

 

 思わず彼の顔に、笑みが零れる。

 知らない世界に、知らない時代。

 それでも彼は、歩いてみたいと思えた。

 

「これから、どうしますか?」

 

 レオが隣で尋ねる。

 彼は少しだけ考えた後に、笑う。

 レオには、その顔が月で出会った彼の面影を感じた。

 

「さあな」

 

 彼は空を見上げる。

 太陽が照り付け、思わず顔を腕で覆う。

 

「でも、歩いてみるさ」

 

 彼は、未来へ向かって一歩踏み出す。

 その背中を、優しい風が押した。

 

 

 

 

 そして、彼が空を見上げた、その頃……

 電子の海を抱くムーンセルの中では、光の海が、静かに揺らいでいた。

 分解は、確かに始まっている。

 翔の身体は粒子となり、輪郭を失っていく。

 

「……?」

 

 ふと、その崩壊が止まった。

 止まったというよりも、何かに引っ掛かったようだった。

 ムーンセル全域へ、無数の演算光が走る。

 

 ───照合、検索、認証。

 

 翔の周囲を包む光が、何度も何度も彼を解析していく。

 

「……なんだ?」

 

 翔が眉をひそめる。

 その時、静かな電子音が、世界へ響く。

 

 ───個体情報、更新。

 

 ───聖杯権限によるデータ書き換えを確認。

 

 ───対象を違法データから除外。

 

「……え?」

 

 翔が思わず声を漏らす。

 リップも同じように目を見開いた。

 次の瞬間、崩壊していた二人の身体が、ゆっくりと元へ戻り始めた。

 ほどけた粒子が集まり、失われた輪郭が形を取り戻していく。

 

「な……」

 

 翔は、自分の手を見る。

 確かに自分は消えるはずだった。

 だが消えておらず、存在が維持されている。

 

「どういうことだ……?」

 

 答えは、考えるよりも早く流れ込んできた。

 ムーンセルへ願いを書き込んだ瞬間、翔という存在は“違法データ”ではなく“聖杯が正式に処理したデータ”へと更新されたのだ。

 

 ───願いを実行するにはその存在が必要だった。

 

 削除すれば、その人物の願いそのものまで消してしまう。

 だからムーンセル自身が、違法データだった翔を正式な記録へ登録した。

 その瞬間から、寿々科翔という人格は、削除対象ではなくなったのだ。

 そしてリップは翔のサーヴァントだ。

 翔へ紐付いている。

 彼が削除されないなら、その契約情報も保持される。

 

「……そういうことか。」

 

 翔は苦笑した。

 

「俺を消そうとしてた本人が……俺を登録しちまったんだな」

 

 その答えに、翔は肩をすくめ、リップが、涙を浮かべる。

 

「翔さん……!」

 

「リップ。どうやら俺たち……もう少し、一緒にいられるみたいだ」

 

 翔は笑った。

 今までで一番、肩の力の抜けた笑顔だった。

 リップがその言葉を聞いた瞬間、彼女は何も言わず、ただ翔へ飛びついた。

 今度は離れないように。

 今度こそ失わない様に。

 その腕で、翔を強く抱きしめた。

 リップは何度も頷きながら、翔を抱きしめる。

 

「翔さん……翔さん……!」

 

 涙が止まらない。

 嬉しくて、苦しくて、信じられなくて、ただ涙を流すリップ。

 翔もそんな彼女の背中へ、ゆっくりと腕を回した。

 そして、小さく笑う。

 

「……なあ、リップ」

 

「はい……?」

 

 翔は少しだけ困ったように笑った。

 

「どうしていいかわからなかった。ずっと言えなかったんだ」

 

 彼は、一度言葉を切る。

 リップと翔の視線が合わさる。

 

「俺はこのまま、消えると思ってたから……でも今は、ちゃんと伝えたい」

 

 リップの瞳が大きく揺れた。

 翔は照れくさそうに頭を掻く。

 彼は言葉を選びながらゆっくり話した。

 そして、小さく息を吸い、真っ直ぐ彼女を見る。

 リップは黙って、頷いた。

 その眼差しは、優しく、まっすぐだった。

 

「俺は……」

 

 翔は、深く息を吸い込む。

 彼は、何度も死地を超えてきた。

 なのに、この一言が一番緊張した。

 それでも笑って彼は口を開く。

 

「俺は、リップが好きだ」

 

「翔さん……」

 

「お前の笑顔も、泣き顔も、怒った顔も……全部、全部好きだ! お前を、世界で一番幸せな女にしてやりたい! だから、俺と……これからも一緒に生きてくれ!」

 

 その言葉に、リップの瞳が潤んだ。

 小さく、息を呑み、そっと笑う。

 

「……その言葉を、ずっと待っていました。翔さん、私も同じ気持ちです。あなたの笑顔だけじゃない。あなたの強さも、不器用なところも、全部大好き。だから今度は、私があなたを世界で一番幸せな男にしてあげたい」

 

 静寂の中で、二人の言葉が重なる。

 互いに寄り添い、支え合い、これからを生きていくための誓い。

 離れていた二つの影が、ゆっくりと重なり、一つになる。

 電子の海は静かに輝いていた。

 その光は、終わりを照らすものではない。

 二人が、これから歩いていく未来を、静かに祝福しているようだった。

 翔とリップは、しばらく何も言わず、そのまま寄り添っていた。

 やがて、電子の海が静かに波打つ。

 祝福するように周囲を満たしていた光が、ゆっくりと上昇し始める。

 それは終わりではなく、送り出すための光だった。

 

「……帰ろうぜ、リップ」

 

 光を見て、翔が穏やかに言う。

 リップは少しだけ名残惜しそうに抱きしめる腕へ力を込め、それから笑顔で頷いた。

 

「はい」

 

 繋いだ手は離さない。

 光が二人を優しく包み込み、世界はゆっくりと白へ染まっていく。

 そして、そこに広がっていたのは、見慣れた電子世界だった。

 ムーンセルは何も語らない。

 ただ静かに、二人の存在を受け入れるように、無数の演算光だけが流れ続けていた。

 翔はリップを見る。

 リップもまた、翔を見る。

 二人は自然と笑い合った。

 そこに言葉はいらなかった。

 これからどこへ向かうのか、何をして生きていくのかは、まだ何も決まってはいない。

 それでも一つだけ、確かなことがあった。

 

 ───もう、一人ではない。

 

 二人は並んで歩き出す。

 戦いの終わった先にある、新しい未来へ。

 これが古いSE.RA.PH(セラフ)での最後の記憶。

 翔が成しえた勝利に対する最大の報酬だ。

 あまりの幸福に目蓋を閉じたが、今度こそ、失われるものは何もない。

 月の物語は終わったが、翔とリップの物語は続いていく。

 それを噛みしめて、彼はゆっくりと目蓋を開けた。

 目を開くと、欲しかったものは未来に広がっている。

 もう、この夢が欠けることはないだろう。

 

 

 

 

 二人は、造られた命だった。

 一人は、月で生まれた人格。

 一人は、月で生まれた少女。

 どちらも、本来なら“本物”ではなかった。

 けれど、恋は教えられるものではなく、愛は与えられるものでもない。 

 誰かを想い、誰かに想われ……共に歩みたいと願ったその瞬間から、造られた心はもう誰も人形とは呼べなかった。

 

 ───人形が恋を知り、人形が愛を知った。

 

 二人が出会い、笑い、涙を流し、傷付き、それでもお互いを選び続けた末に育まれた本物の想いだった。

 その愛情は、造られたものではなく二人が自らの意志で掴み取ったものだから。

 

 ───それはきっと……世界で一番、人間らしい奇跡だった。

 

 電子の海の彼方に、二人は歩いていく。

 終わりではない……それは、新しい未来への第一歩。

 月の物語は終わった。

 それでも二人は、未来へ歩いていく。




Fate/Affection Doll、これにて完結となります……!
途中何度かエタりかけてしまい、気付けば8年近く経ってしまいました……
ともあれ、無事に終わることが出来ました。
長い間、この作品を追いかけてくださった読者の皆様、お付き合いいただき、本当にありがとうございました!
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