ぼんやりとした意識が徐々に覚醒していく……
白い天井がはっきりと見えたころに体を起こす翔。
そういえばと、自分の記憶をたどる。確か保健室まで走り、扉を開けたと同時に倒れた所までは覚えている。
そして自分がここにいるということは、桜がここまで運んでくれたのだろうか。申し訳ない事をしたなと思う。だかこちらとて必死だったのだ。保健室ではなく、違う場所で倒れていたら間違いなく自分の聖杯戦争はそこで終わっていただろう。
しかし……身体を見つめる翔。全身から倦怠感が抜けない。間違いなくあのアーチャーから毒を貰ったせいだろう。
「あ、目を覚ましたんですね。突然、扉が開いてあなたが倒れてきたからびっくりしましたよ」
カーテンが空き、桜が入ってくる。自身の魔力を辿ればリップもまた近くにいるようだ。
彼女がいるであろう場所に『大丈夫』とアイコンタクトをしてから桜の診断結果を聞く。
桜からの診断結果は、自分が受けた毒が、イチイの木の毒だということであった。だが自然界から摘出された毒としては随分と凶悪なものらしかった。
そのような強力な毒を受けていたとは……良くここまで歩いてこれたなと苦笑する翔。
「とりあえず私の
「ありがとう、それのおかげだな。随分と体は動くぜ?」
まだ全身の倦怠感は気になるが、体は動くのだ。なら問題はないだろう。
こうやって彼女の治療を受けれたのはムーンセルのルールによって決闘以外の私闘が禁じられているからであろう。
この場を借りて少し休むとしよう。そうすれば万全な状態まで回復できるはずだ。
翔が休もうと思った時、保健室の扉が開かれ、予想外の来客を告げた。
その人物は真っ直ぐに翔の元へ向かう。
「なっ……お前……」
その人物は髭も髪も、混じり気もない白。身体、顔には刻まれた老いの印である皺が刻まれている。
そしてそこから衰えらしきものは微塵にも感じられない人物、それは紛れもないダン・ブラックモアであった。
「っ!」
霊体化を解いたリップが翔とダンの間に割り込む。その表情は険しく、翔に手を上げるようなことを少しでもすれば、たちまちその腕がダンに襲い掛かるだろう。良く見ればダンの後方にはあのアーチャーも霊体化を解いていた。
予想外すぎる敵マスターとサーヴァントの来訪。翔もいち早く体を動かそうとするが、力が入らない。
だがダン本人は、リップの行動を見るなり、静かに両手を上げる。
あの行動は、交戦する意思はないという事なのだろうか……
しかし彼は軍人だ。警戒する必要はあるだろうが……だが、あちらから交戦する意思はないというのを示すならば、今自分が持っている警戒心を少しばかり解いてもいいかもしれない。
「リップ、警戒を解いてくれ。彼らには戦う意思がないみたいだ」
翔の言う事を聞き、口を膨らませながら、間を開ける。
そしてダンがゆっくりと口を開けるが、その言葉の内容は翔とリップが予想していたものを大きく裏切っていた。
「イチイの矢の元になった宝具を破却した。宝具が消滅した時点でイチイの毒は消え去るだろう」
身勝手な言い分だが、これを謝罪としてほしい。そう言い、静かにあげていた両手を降ろすダンだが、そんな彼の言葉に翔は目を見開く。彼は今なんと言った……?
宝具を封じた、自分の耳が正常であればダンはそのような事を言ったのだ。
「これは国と国の戦いではない。人と人の戦いだ。畜生に落ちる必要はもうないのだ。だが……失望したぞアーチャー。許可なく校内で仕掛けたばかりか、毒矢まで用いるとはな」
確固たる信念に基づいた何かを感じる。老騎士の双眸。
ダンは目を閉じ、手をアーチャーの前に出せば言葉を紡ぐ。
あれは令呪を使うのか。倦怠感が拭えない体を身構えながら翔はダンを見つめ続ける。
「アーチャーよ、汝がマスター、ダン・ブラックモアが令呪を以って命ずる。学園サイドでの『
「はあ!? おいおい!?」
「な……!?」
翔も、そしてアーチャーも驚愕するがダンの右手の甲から赤い光が輝き、そして消えた。
想定外の出来事に翔は驚愕していた。サーヴァントの宝具を学園サイドという限定的な場所ではあるが封じたのだ。
アーチャーが驚きの表情を浮かべながらダンに詰め寄る。
「ダンナ、正気かよおい! 負けられない戦いじゃなかったのか!?」
「無論だ。わしは自身に懸けて負けられぬし当然のように勝つ。その覚悟だ」
『だが……』と言葉を続けるダン。
「アーチャーよ。貴君にまでそれを強制するつもりはない。わしの戦いとお前の戦いは別のものだ」
ダンにとって負けられない戦いでも、アーチャーにとってはそうではない。何をしても勝てとはだれも言わない。あの老騎士はそのようなことを言っているのだ。
その言葉に納得のいかない表情をしながらも、アーチャーはその場から姿を消した。
あの輝きは命令が行使されたという事。
令呪、この聖杯戦争の本戦参加者に与えられた。3つの絶対命令行使権利。
今でも納得はできないが、ダンはそれを使ったのだ。
アーチャーに『正々堂々と戦え』と。
敵の目の前で自分たちの行動を阻害する行為。そして敵の宝具名まで明かされた。
今の情報はこちら側が優位に立てる行為であることは確かであった。
「……サーヴァントが無礼な真似をした。君とは決戦場で正面から雌雄を決するつもりだ」
そう言い残すとダンは踵を返し立ち去って行った。
翔がダンの行動に呆然としているとなにやら呻き声が聞こえる。
その声の発生源はリップのようであった。彼女が隣で何やら呻いている。彼女がこんな表情をするのは珍しい。
『どうした?』と、リップに声をかける翔。
「あのアーチャーって人、なんか見覚えがあるようなないような……すいません。なんか記憶がぼんやりしているみたいで……」
首を傾げる翔にリップが説明を入れる。どうやらリップは一度、あのアーチャーという人物に会ったような気がしているのだが、どうもその部分の記憶がぼんやりとしていて、確実に会ったという記憶がないみたいだ。
でも、あのアーチャーを見ていると嫌な気持ちにもなるらしい。
過去に彼と何かあったのだろうか。どちらにせよ、今のリップではどうやら分からないみたいだ。
付き添ってくれた桜にお礼を言い、保健室を出て校内を歩いている翔。彼が向かう先は図書館。ダンが言っていた
「確か、イチイは北欧とかケルトだと聖なる樹木の一種だったな……」
自分の記憶を頼りに、北欧神話の棚を調べてみれば、そこに祈りの弓について書かれた書物を見つけ出す。
祈りの弓とは、イチイの樹によって作られた短弓。イチイはケルトや北欧では聖なる樹木の一種でありこれを素材とすることで「この森と一体になる」……という儀式を意味している物らしい。
よくわからないが、ドルイドのようなものなのだろうか。
これだけではまだ真名にはたどり着かない。
「森の狩人ってところか、そうなれば確かに二つ矢とかできるのも納得はいくな」
ともかくあのアーチャーは森に関係していることが少しわかった。
今は、これぐらいの情報を入手できたことに感謝をしよう。
アリーナでの奇襲は考えられるが、
リップと翔はアリーナへと向かう事にした。
「いまだリップ!」
「やぁ!!」
翔の指示により放たれたリップの一撃がスタンしているエネミーを叩き潰し消滅させる。
慎二の戦いの時は突然、手にした『
だからこそもっとエネミーと戦い力をつけなければならない。次の戦いは老兵であるダン・ブラックモア。間違いなく生半可な戦いは通用しない。
エネミーの強さも変わってきている。気を抜けばエネミーに自分たちがやられるだろう。
「そういえば……翔さん、ラニさんの所に持って行く遺物……でしたっけ? これならどうでしょうか」
エネミーを倒し、一段落ついたころ、キューブ状にされたデータを腕の上で展開させるリップ。
見ればそれは折れた矢のようなものが腕の上にあるのが確認できる。これは間違いなく、校庭で襲撃してきたアーチャーの矢だろう。
どうやら真っ二つにした矢をリップが回収していたみたいだ。確かにこれを見せればあのアーチャーの何かが分かるかもしれない。
「それならなにかわかるかもしれない。ラニに会うときにそれを見せてみようか」
翔の言葉に頷くリップ。これで敵の真名にたどり着けばいいのだが……
アーチャー、そして敵の宝具名である『
ラニにあの矢を見せることで最後の手掛かりをつかめればいいのだが……
何の気があったわけでもない。むしろここにこんなものがあったのかとさえ驚いてしまっているほどだ。
この辺りは今まで、歩いてもいなかったから分からなかったが、改めて思い直すと自分の探索範囲が限りなく狭かったと感じてしまうほどにだ。
あのアリーナの戦闘から数日後、翔は昼に教会に訪れていた。だが何か目的があったわけではない。ただ何の気もなしに教会に訪れてたのだ。
昼という事もあってか、生徒も多いと思ってはいたのだが、ここには人の気配があまり感じられなかった。
教室の騒がしさから一転、まるで音が吸収されたみたいに静かだ。翔の耳を通り抜けるのは一筋の風の音のみ。
そんな中、誰かが翔を見つけ軽くお辞儀をしてくる。それは緑色の服に身を包んだ老人。ダンであった。
「昨日はすまなかったな。あの傷が命に関わらなかったことだけは不幸中の幸いとは思うが……」
ダンの謝罪。それに反応したのかリップが姿を現し、ダンを見つめている。
「……やっぱり私、理解できません。どうして令呪まで使ったんですか?」
「そうだな。自分でもどうかしていたと思っていたところだ」
3つしかない令呪をあろうことか、敵を利するために使ってしまうとはな、ダンはこう呟いた。
翔は左手に刻まれた自分の令呪を見つめる。
令呪、それは聖杯戦争参加者に与えられる3つの命令権。これはいわば物凄い魔力の塊と言ってもいい。
聖杯の可能範囲ならば、3回まで、絶対の実行力として行使される。万能の例外。
もし、もしだ。自分が令呪を知り合いとはいえ敵のために使用する場面があるとしたら……自分はどうなるだろうか。
迷うことなく助ける?
それとも……
いや、この考えは辞めた方がいいだろう。
少し経った頃だろうか、老騎士は静かに口を開く。
「だが、あの時はそれが自然に思えた」
そして続けて老騎士は口を開く。
「この戦いは、女王陛下からたっての願いという事もあったが、わしにとっては久方ぶりの……いや、初めての
「
リップが首をかしげながら老騎士に聞き返せば、彼は静かに首を縦に振る。
リップが、気になる疑問をダンに投げてみれば、それもまた老騎士は首を縦に振った。
「だがあいにくと今のわしは騎士でな。そう思った時、妻の影がよぎったのだよ。妻は、そんなわしを喜ぶかどうかとな」
「妻……ですか。でも、その感じですと大切にしていたのですね」
「老人の昔話だがね。今は声も顔も忘れてしまった。面影すら思い返す事が出来ない。それも当然の話だ。軍人として生き、軍規に徹した。そこに
ダンの言葉を聞く翔。今、この老騎士はどのような気持ちで戦っているのだろうか。
もしこの老騎士が妻の面影を思い返すとしたら、それはどの瞬間になるのだろうか。
それは翔にはわからない。老騎士のみぞそれを理解し知ることができるのだから。
「君も気をつけたまえ、結末は全て過程の産物にすぎない。後悔は轍に咲く花のようだ。歩いた軌跡にその実を結ばせる」
故に、だ。そう言い一拍おくとダンは言葉を続ける。
「少年。己に恥じない行為だけが後顧の憂いから自身を解放する鍵なのだよ」
それは誤りだったと感じた過程からは何も生み出すことはない。
自身の誇れる道程の先にこそ、聖杯を掴む道がある。
いや、聖杯だけではない。これからもきっとそれはある。
「……らしくない。つまらぬ話に付きあわせた。老人の独り言だと思ってくれ」
「いや、そうは思わないさ。ありがとう、ダン・ブラックモア」
翔がダンにお礼を言うと、心なしか彼の表情が少し和らいだように感じた。
そしてダンは翔たちに背を向けると、再び目をつぶった。
それは何かに対して祈りをささげている様だった。
誰に祈りをささげているのだろうか。信仰するものにか、それとも……
ともかく静かに祈りを捧げている彼を邪魔しては悪いだろう。
翔とリップは静かにそこを立ち去ることにした。