荀家視点
あいつは何なのだ。あいつとはこの前の親睦会で笑顔が可愛いやら私のことを天邪鬼やら言った男のことだ。私に対して正面からぶつかってくる男なんて今まで一人としていなかったのに、あいつは初対面から恥ずかしい言葉を堂々と言ってきた。何度考えてもむかつく男だ。それは私塾が始まっても同じだった。はじめはこの前の件はなかったことにして初対面で無関係を突き通そうと考えていたが、あの男はそんなことはお構いもせず笑顔で話しかけてきた。
「荀彧、おはよう!気持ちの良い朝だな!」
「…………。」
「うん?どうしたのだ。聞こえていないのか?おはよう、荀彧!」
「あーもう!朝からうるさいわね!何よ、なんか用なの!」
「おお、聞こえているじゃないか!それに用も何もただの挨拶じゃないか。」
「ええそうね、おはよう。これで用事は終わりね。どっか行って。」
「なにを言っている。今朝から不機嫌そうな顔で表情を曇らせている可愛い女子がいるんだ。当然ほっとけないので会話しようじゃないか!」
「完全に私情じゃないの!それに私が今不機嫌なのはあんたが話しかけてきたからなんだから、速く目の前から消えなさいよ、この猿!」
「また猿と言ったな!僕には朱治という両親からつけてもらった立派な名があるんだ!何回も言わせるな!」
「男の名前なんて覚える気もないわよ!あんたなんか猿で十分よ!」
「なんだとーーーーー!」
こんなかんじでいつも喧嘩になるわけではないが、顔を合わせると大体半分は喧嘩している気がする。ここまですると他の男とはさすがに違うことはわかるが、ほかの男と同じでむかつくことにはかわらない。あいつはなんなのだ、もう何回目かわからない考えにさらに不機嫌になる。
「あー、本当にむかつくわね。」
「何がむかつくのかしら?」
「
突然後ろから話しかけられて振り向いてみるとそこには年の離れた従妹が立っていた。凛花とは荀攸の真名であり、年こそ8つほど離れているが桂花は「姉さま」と本当の姉妹のように思っていた。その佇まいは同性の桂花から見ても美しく、将来は凛花のような女性になりたいと日々思っているのは内緒だ。
「それで何に怒っているの?」
「忌まわしきあの猿のことです!」
「猿?…………あー!朱治君のことね。喧嘩のたびに何回か言っていたわね。」
「そいつです!あいつが本当に鬱陶しくて、どうにかして懲らしめてやれないかと。」
「ふふっ、」
「何がおかしいのですか!?私は真剣ですよ!」
「ふふふ、ごめんね。おかしかったのではなくて少し嬉しかったのよ。桂花ちゃんの話の中に男の人の話が出たことなんて今までなかったもの。」
「……っ、!?茶化さないでください!私はただ日常に平穏を取り戻そうと、」
「そんなにむきになるところも怪しいわね。」
「姉さま!」
「ごめん、ごめん。あいかわらず桂花ちゃんがかわいらしくてね、つい。」
「まったく……。」
「それで朱治君に一泡吹かせてやりたいって話だったと思うけど、どうするつもりなのかな。彼は私が教えていてる中でもかなり優秀よ。」
「そこなのですよね……。」
そうそこなのだ。朱治は荀攸が教える私塾の中で桂花にの次に優秀なのだ。成績優秀、容姿端麗、人当たりがよく、笑顔が素敵だ、などと私塾の面々は朱治をもてはやす。習熟度をはかる目的で行った試験でも桂花には少し及ばない程度。荀攸も授業が終わると必ずといっていいほど質問をしに来る朱治には好感触を覚えていた。桂花はそれが気に入らない。自分のほうが上だったとしても男にあと少しまで迫られていることが許せない。そんなことはあってはならないのだ!
「うーん。そうね~。象棋盤なんてどうかしら?近々授業でやろうと思っているわけだけど。」
「それよ!どんなに頭が良くてもあいつは所詮知恵を得ただけの猿!私があいつの盤面を完全に蹂躙してあげれば実力差もはっきりするはずだわ!ふふふふ、今から笑いが止まらないわね!」
「どうやら元気になったみたいね。」
「ええ、さっそく練習してくる!ただの勝ちでは生ぬるいわ。完全で完璧な勝利をみせつけてやる!」
そういうと桂花は自室へと全力で笑いながら走っていった。これからおそらくその授業の日まで鬼のように練習するのだろう。自分の発言がもとではあったが、凛花は朱治に心の中で謝ることにしたのだった。
その日は少し変わった日だった。私塾の学友と話しつつ、いつものように荀彧に挨拶をしに行くと荀彧はいつもの不機嫌そうな顔ではなく勝気な顔で待ってました!と言わんばかりにこちらを見ていた。
「おはよう、荀彧!今日はずいぶんと機嫌がよさそうだな!」
「ええ、おはよう。私も今日という日が来るのを楽しみに待っていたわ。」
「…………???それはどういうことだ?」
「まあ、今に見ているといいわ!今日こそあんたに私の力を見せつけてやるわ!」
「?????まじでどういうことだ?って、おい待てよ!」
荀彧は言いたいことは言い終わったと無言で席に戻っていく。朱治自身自分の及ばないところにいる荀彧のことは認めており、先ほどの言葉の意味がまるで分からなかった。だが荀彧の機嫌がいいに越したことはないな、と持ち前の明るさで忘れることにした。そしていつも通り荀攸先生の授業が始まった。
「おはようございます、皆さん。今日は象棋盤をやりたいと思います。象棋とはみんな知っているとは思いますが、昔から名だたる名将がたしなんできた遊びであり、その戦略性から軍師としての採用の基準にされたりすることもあります。今回は初めてやるという子もいると思うのでやりながら説明しようと思います。」
そんな説明の後、荀攸先生は荀彧を呼ぶとお試しとして駒の動きなどを説明しながら荀彧と対戦を始めた。説明しつつも盤面は荀攸先生が優勢であり、説明が終わると今まで力を抜いてやっていたのかあっといまに荀彧に勝ってしまった。それからおのおの対戦相手を決めていくことになった。見るより実践ということだろう。だが僕の対戦相手として荀彧が真っ先に名乗りを上げた。この時朱治は先ほどの表情と話がつながり、憑き物がとれたようにすっきりした。忘れようとした、とはいっても気になることはやはり気になるのである。
「なるほどな。さっきの勝気な表情はこれが理由だったのか。」
「そうよ!ここであんたのことをぎゃふんと言わせて、いかに私があんたより優れているのか見せつけてやるわよ!」
「優れているも何も荀彧のほうが優秀なのはみんなが知っていることだろ?それこそ僕も認めているし。」
「そ、そんな周りの評価じゃなくて私自身が納得できる確たる証が欲しいのよ。おとなしく負けなさい!」
言っていることだけ聞いたら子供の癇癪だな~、と最近朱治は荀彧の発言を温かい目で見るようになっていた。最初こそ本気で喧嘩していたが、今では喧嘩が一種の会話になっている気がすると楽しんでいた。実際荀彧より朱治は1歳年上であるため、少しじゃじゃ馬な妹に接しているような感覚であった。まあ、そんな目線がさらに荀彧をヒートアップさせるわけだが…………
盤面はやはり荀彧優勢で進んでいた。この日のために練習してきたというのも嘘ではないようで終始圧倒していた。朱治も人並外れた速さで上達はしているが、やはり少し届かない。
「あははは!やっぱり私のほうが強いわね。初めてにしてはよく守っているけどこのままじゃじり貧よね!」
「そりゃー、いきなり経験者が本気になってつぶしにかかってきたらこうなるだろ。だがただでは負けないよ。」
「言ってなさい、この負け猿!この盤面からは私が負ける未来が見えないわよ!さあ、おとなしく降参したら!」
「くそっ、負けてたまるか!」
といいつつもこのままだと負けるのは誰が見ても明らかである。軍略の面から見ても荀彧に勝てるわけもなく、普通に元から負け戦と考えるのが事実である。だが調子に乗っている荀彧を見ていると自然となぜか次の手が浮かんだ。普通ではしないだろう動きを想像した自分を不思議に思いつつも、朱治はこの手が間違っていないと直感で分かった。こんな時だからこそ朱治は今までにないくらい考えがまとまっていくのを感じていた。
__一手__
「そんなところを動かしてどうするの?もう勝負を捨てたのかしら?あはは、やっぱり私のほうが優秀なのは明らかだったわね!」
__三手__
「ちっ、最後の抵抗ってわけね。いいわよ。簡単に勝っても張り合いがないものね。」
__五手__
「嘘!?そんな切り口から攻撃してくるなんてあんたどういう発想をしているわけ!?」
__七手__
「盤面が…………」
__九手__
__十一手__
__十三手__
…。
……。
…………。
勝負が終わった直後、二人とも放心しているのか黙り切っていた。その静寂をぶち壊したのはいち速く冷静になって負けたことを悟った荀彧だった。
「な、なによこれ!どうして私が負けているの!ありえない、ありえないわ!これは悪夢よ!きっとそうに違いないわ!」
「あれっ、僕が勝ってる……?」
「そうよ、盤面を何度見ても私が負けているの!あんた、どんなイカサマをしたのよ!」
「イカサマもなにも……、俺にもちょっと状況が読み取れてないというのか……。」
「どうしたのですか、二人とも。」
「「荀攸(先生)!」」
騒ぎを聞きつけて荀攸は近くにきた。またいつもの喧嘩か何かだと思ってきてみると少し様子が違うみたいだ。そこで象棋盤を見てみて、驚愕する。朱治が荀彧を詰みにさせたのだ。これは普通ではありえない。荀彧はまだ荀攸には及ばないものの特別弱いわけではない。それこそつい先ほど習ったばかりの素人に負けるようなものではない。
「荀攸!こいつがイカサマで私に勝とうとしたのよ!そうでもないと私がこんな汚物にまみれたような猿に負けるわけないもの!」
「また猿と言ったな!しかも負けたらイカサマだと!さすがにその一言は看過できないぞ!」
「二人とも落ち着いて。朱治、私からしても身内びいきなしでもこの結果は信じられないけどいったいどうしたの?」
「はい、先生。実は僕もよくわからないのです。調子に乗る荀彧を見ていたらなぜか次に打つ手が頭に浮かんできまして。そこからは荀彧がどこに置くのか、どんなことを言ってくるのか自然と読めてきました。そしたら気が付いた時には勝ててました。自分でも何を言っているのかわかりませんが、事実なのです……。」
これには荀攸も考え込んでしまう。朱治が嘘をついているというにはさすがに稚拙なものである。だが言っていることすべてを鵜呑みにするなら朱治は未来が見えている、とでもいうしかないことをしている。話を聞いただけではどちらとも判断しかねた。
「…………。」
「先生?」
「すみません。今聞いた話だけだと今回の件は判断しかねますね。そこで今度は私と勝負しませんか?実際にどのようなものだったのか見てみたい。」
「姉さま!?」
「今は荀攸です。それでどうです?実際にもう一度やってみませんか?朱治君自身も何が起こったのか理解できていないみたいだし、ちょうどいいと思いますが。」
「はい、お、お願いします!」
…………
結果からしたら荀攸の勝利に終わった。だが盤面を見るとわかるが、ギリギリ競り勝ったといえる辛勝だった。これには荀攸も苦笑いをするしかなかった。勝負が終わった後、向こうのほうではいつも通り荀彧と朱治の喧嘩が始まっており、再戦を要求する荀彧と疲れたから休ませてくれという朱治とで平行線なようだった。だが荀攸はそんな場合ではない。対面して初めて分かったことだが、終盤に近づくにつれて朱治の打ち筋が鋭くなっていったのだ。そしてこの時の朱治は盤面をほとんど見ておらず、終始荀攸の姿を目で追っていたのだった。挙動からしてまだ、無意識。だがあれは明らかに
「(あの様子からして盤面でイカサマをしたわけではない。それこそ後半は盤面をほとんど見ていなかった。ここから推測すると朱治君は相手の表情からうち筋を見極めていたということになる。これは一般的な読心術に近いけど、表情だけで相手の打ち筋を完全に見極めるなんて明らかに次元が違うわよ!?)」
「ああもう、話にならない!荀攸からもこの猿に言ってやってよ!」
「だれが猿だ!しかも荀攸先生を巻き込むな!」
「はいはい、ふたりとも落ち着こうね。それこそ今日の授業はもう少しで終わりだから、対戦するならまた次回ね。」
結局荀攸の思考は事の当人たちによって止められることになる。これが朱治の軍師として名をとどろかす最も大きな理由となることを今は誰も知らない。
少し間が空きましたが、第六話でした。この話で現在のストックがなくなるので更新頻度が減ります。ご容赦ください。
軍師といってもそれぞれ得意なことがあります。例をあげると荀彧は軍略よりも政務のほうが得意、などですね。そんなわけで朱治君の得意なことが見えたお話でした。
ちゃんと私の意図が伝わっているといいな(不安)
ではまた次回。