左利きのキャッチャー   作:MAKOTO@

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2話_喧嘩

 歩純は栄純と初めてキャッチボールをした後、自宅に戻ってお風呂へ入った。歩純は考え方をする時にお風呂が1番落ち着く。2番目は父の足の上だったが、さすがに最近はしていない。

 栄純と出会って既に2年近く立っている。彼も順調な成長を送っている。むしろ、高校生の時と殆ど性格が同じと言えるこの状況は、歩純から悪い影響を受けていない証拠でもある。

 興奮していて正常な判断ではなかったとは先程の一投は出来すぎた。栄純に少なくない影響をたらすだろう。明らかに野球に興味も持に始めるだろう。あの一投後の栄純は2年間一緒に過ごした中でも見ないようなキラキラとした顔をしていた。顔に直撃を受けてトラウマとなってもおかしくないはずなのだが。その辺をまったく気にしていない様子は、それ以上に興味をそそられるものに出会ったということだ。明日から栄純に野球しようぜ、と迫られることは確定だ。歩純には簡単にその光景が眼に浮かぶ。憂鬱である。

 

 そもそも、歩純としては高校生となった栄純の投球ホーム再現のクオリティはもっと低いものだろうと想像していた。初心者の見ようと見まねで、簡単に出来てしまうほど野球は甘くないはずだ。だいたい、小学校前の子供である自分が高校生の体格の投球フォームを真似することは無理があるに決まっている。もし出来るとするならば、そいつがとてつもない、常識はずれの天才だ、ということである。出来ない前提で昂ぶる熱を抑えようとしたはずなのに、未だにマグマのように心の奥底で燻っている。

 沈んだ思考と呼応するように、体までズルズルと湯の中へ沈んで行く。ブクブクと、口元まで湯が来た所で、慌てて上体を起こす。考えごとをすると熱中しすぎる癖は質がわるい。しばらくすると、お父さんが心配してお風呂場まで見に来てくれた。どうやら、僕は思ったよりも長くお風呂にいてしまったようだ。急いで、頭と体を洗ってお風呂場から出ることにした。

 リビングに戻るとお父さんが牛乳を用意してくれていた。汗で水分が失われていたようで、冷めたい牛乳がいつもよりおいしい。そういえばキャッチボール後から何も飲んでいなかった。自分の自己管理の行き届いていなさと、水分不足に気付いていなかった事に若干落胆する。考え事に耽ると、その他のことがおざなりになる癖は早めに直して起きたい。

 コップを洗い戻して、二階の自分の部屋に向かう。祖母の家は築数十年らしいが、リフォームを行い、内装はとても綺麗だ。敷地面積の大きさと部屋の数に初めて来た時は驚いた。キャッチボールが余裕で出来てしまうだけの庭は、前世で住んでいた家よりもはるかに広い。小さな子供であれば、探検心をもって家の中を動き回るだろう。その証拠に僕はしなかったが、栄純は初めて来たとき走り回っていた。

 小学校に上がるということで、たくさんある部屋のなかでも、階段から1番近い一室を自分の部屋として貰った。自室には今はベットと勉強机があるだけだ。将来的には本棚があればいいなと思っている。ひんやりとしたベットに倒れこむと、まだ火照った体には気持ちいい。いつもならば、本でも読んで時間を潰すか、栄純と遊んでいる時間だ。今は本を読む気にはならない、正確には本を読んでも集中しきれないと言った方が正しい。ドロドロと溶けるような思考でまた色々と考えてしまう。

 

 バタフライ効果。初期値鋭敏性、長期予想不能性と予測不能性。カオス理論。エトセトラ、エトセトラ。すべての未来は不定形で観測不可能なものである。故にどのような行動が未来にどんな影響を与えるのか誰にも分からない。

 自分の行動が与える影響が主人公の未来にどのような変化をもたらすのか。原作のファンとしては、名場面、名シーンが起こらない可能性がある以上、出来るだけ可能性は小さくしたいと歩純は決めてた。結局のところは、歩純には選択肢があるようでない。なぜならば、2人が一緒にいることを辞めない限りは、未来が変わることは避けられない上に、いくら歩純が逃げようとも栄純からは逃げられないのである。幸か不幸か、既に歩純は栄純に気に入られてしまっている。歩純としても素直な栄純という存在は憧れでもあり、癒しである。2人ともお互いを避けるといことをしないのである。

 2人が離れないのならば、歩純がこの先で選べるのは、腹をくくって、栄純ともに同じ道を歩くことである。歩純も栄純と出会った時から選択肢は無いということは感じていた。あの押しの強さに自分が押し切られる。とても分かりやすい未来予想図だ。だが、今はまだ決めきれないという想いが強い。2人の自分はこういう時に限って大人しい。野球をするかしないか、早急に決めなければいけない問題だ。

 

 もう一つ歩純を悩ませる問題がある。それがこの右手に感じた違和感だ。利き手と反対の手を同じように使うとすれば誰しも違和感がある。訓練されたものならば、もう片方の手も同じくらい使いこなせる。それでも生まれながらの両利きでない以上、利き手と使う時との僅かな違いは感じるだろう。歩純も訓練された右手を持っていると言っていい。だが、先程投げる時に感じた違和感は別だ。あの時は違和感を全く感じないことに違和感を覚えたのだ。心と体はお互いに影響し合い、2つで1つの存在である。だが歩純は前世から心だけを持ってきている。よくある転生モノの話でいうなら、生まれるはずだった人格を殺して歩純が生まれてきた可能性がある。その証拠に本来の持ち主は右利きだったから、右手を使うことになんら違和感を覚えないと考えれば消えた違和感に説明がつく。体は右利き、心は左利きそんなことは普通はありえない。普通はあり得ないことも、生まれ変わりがあることを加味すればなんら不思議ではない。

 

 あれから栄純のキャッチボールしようぜコールは続いた。

 案の定、次の日に家に来ては真っ先にゴムボール片手に言いのけた。僕としてはこれ以上野球では栄純と関わらないようにしたい。だから、普通に断った。断られたくらいで飽きらめる性格ではないことは2年過ごした中でよくわかっていたが一応である。困ったことにキャッチボールに関しては栄純はしつこかった。

 そもそも僕が断るとも思っていなかったらしい。この日から、僕が栄純を捕まえるために追いかけていた構図は、栄純が僕を追いかけるという構図へと変わった。

 追いかける、追いかけられると基本的なことは変わっていないので側から見れば全く同じことであるが、僕としては大分違う。野球はやりたくない。だが、捕まってしまうと野球をさせやれる。捕まるわけにはいかないデスゲームの開始である。幸いにも、栄純を撒くのは簡単だ。今までも簡単に捕獲できていたのだから、行動は読みやすい。

 やりすぎると拗ねるので調節しなければいけない。どちらにせよすこし面倒くさいのには変わりない。

 

 ほどなくして、小学校入学を僕らは迎えた。両家揃って相変わらず喜んだ。沢村家としてはこんなに頼もしいお目付役が側にいるなんて、といった感じもあった。栄純のキャッチボールコールは小学校に入学してから対処しやすくなった。まず、授業中なら別の意味で騒がしいが、キャッチボールしようとはならない。なお、栄純を静かにさせるのは僕らしい。先生ははやくも歩純に任せた方が良いと判断したらしい。僕らが通う赤城小学校は幼稚園から見知った顔ぶれが多い。幼稚園の数も少なければ小学校の数も少ないのである。たまに、小学校入学に合わせて稀に転校生が来るらしいが今年はなかった。別の幼稚園、保育園の子供もいるが、人見知りの無い栄純がその程度で大人しくなるはずもなかった。

 放課後になれば、グランドでキャッチボール以外に目を向けさせるか、もしくは図書館に逃げるのが良い。最近はクラスメイトと鬼ごっこが1番のお気に入りらしい。あとは適当に遊んばせておけばいいだろう。そうすれば疲れて帰宅の時間になる。なおボール類がしまってある用具庫を低学年が使用することはできず、ボムボール・軟球を使う遊びは出来ない。非常に助かる校則である。

 

 栄純が眠そうな日は図書室に限る。

 体育があった日や給食のお代わりをたくさんした日など意外とチャンスは多かった。さすがの栄純でも図書室で騒ぐのは良くないと理解したらしく、早い段階で黙らせることに成功していた。図書室に入って5分もすれば、栄純がウトウトし出す。高校時代なら、漫画の中で本を読むシーンは多かったが、今は睡魔に勝てないようだ。赤城小の図書室には机と椅子だけでなく、畳の上で本を読むスペースがある。寝るにはピッタリである。ちなみに、司書さんには最初目をつけられたが、栄純の寝顔と僕の小学生っぷりを活かした全力のお願いで許してもらえる事になった。しだいに、栄純の暴れっぷりが知れ渡ると、大変だね、張ってねというお言葉とブランケットまで用意してくれるようになった。有難いのだが、これでいいのだろうか。図書室はこれからも利用したいので司書さんと険悪な関係にならなくて良かった。

 やはり本は良い。漫画も好きだが小説、情報誌、図鑑、新書、専門誌も読みたい。児童向けの本ばかりではなく、実用書も多いみたいだ。学校に貯蔵する本は司書さんも選ぶ権限があるらしく、読みたい本があれば教えてね、と言われるくらい仲良くなった。人生はコネが大事らしい。そうこうしている間に僕らの誕生日が来た。

 

 僕と栄純の誕生日は2日違いだから、誕生日パーティーを両家合同でやる。その方が栄純が喜ぶらしいね。歩純としても、祝ってくれる人が多いとそれだけで嬉しい。沢村家の男性陣の話は聞いていて面白い。栄徳さんの昔話や栄純の父栄治さんのミュージシャン時代の話はいつも盛り上がる。うちのお父さんはどっちかというと聞き役だな。出世しそうな聞き役っぷりだ。女性陣は2人で盛り上がっている。こっちもこっちで男どもの愚痴を言いあっているので聞いてて面白い。本気で嫌がって言ってるわけでもなさそうなので、聞いてても苦にならないのがすごい。うちのお父さんが毎回聞き耳を立ててることに、気付いてわざと嬉しそうに愚痴を言うお母さんには敵わないらしい。

 お誕生日会の主役の栄純と僕は隣同士だ。この日だけでなく基本いつも隣なのだがどこに座っても栄純が隣へ座る。両親達も特にそのことに関して触れることはない。いつもよりテンションの高い栄純を見るのは楽しいが、やりすぎないように諌めるのも一苦労だ。でも今日は誕生日だからしょうがないか。

 

 いつもより気合の入ったご馳走を満腹まで食べる。健康な体づくりには栄養がいるのである。子供の体は高校生の時よりもよく食べなければならないらしい。体の大きさと食べる量の比率を表した時、圧倒的に前より今の方が倍率が高い。この差が男と女の体の違いせいか、もしくは小学生と高校生の体では基本的な燃費が違うせいかは分からない。個人的には、漫画の世界に来てしまったのだから、漫画特有の小柄なキャラの大食い補正あたりだったら感動する。歩純の属性に満腹キャラが追加されたらしい。

 さて、誕生日ケーキのご登場だ。今年で7歳になるわけだが、パッとみたらケーキにはロウソクが14本刺さっている。なるほど、2人分というわけか。去年は普通に6本だった気がするが。もしかして、栄純が去年、何度もロウソク消しをやり続けたせいかもしれない。結局、5回くらい付け直してたはずだ。今回は、本数を立てることで消す行為自体の満足感を高めると同時に、見た目のインパクトで押し切るつもりだな。非常に良い作戦である。僕は例年通り、吹いたふりしておいた。

 このまま何事もなく終わると思われたお誕生日会だが、まさかの波乱が待っていた。両家の父親が席を立ち、包装されたプレゼントを息子達に渡してた。僕としては、プレゼントなので何を貰っても嬉しいし、全力で喜べる自身はある。磨かれた猫かぶり技術の見せ所である。育てられた子供心としてはプレゼントに文句などつけたくは無い。欲しいもの、欲しくないものないものなど関係ないのである。気持ちが大事だと思っている。

 お父さんがくれたものは大きめの箱で外装からは中身は判断出来ない。お母さんからはいつも本が貰えるので今年も本だろう。お母さんの子供の欲しがっているものを見極める力と本選びのセンスが合わさって毎年面白い本をくれる。だから、今年も楽しみだ。ワクワクとしながら包装紙を丁寧に開ける。ビリビリと破る栄純とは違うのだ。やはり読み通り本が入っていた。どうらや本自体もプレゼント用の包装がしてあり、中身がわからないがサイズは図鑑とハードカーバーの2冊だと思われる。こちらの方は一旦置いておいて、おそらくお父さんの方を開ける。

 期待するような目で見てくるので、さっさと開けておきたい。先程から視線だけだが痛い。よほど自信があるプレゼントなのだろう。包装を解き終えると思わず固まった。お父さんは何時ぞやのように嬉しさのあまり魅入ってしまったとおもっているようだが、違う。箱の大きさはおなじだった。だから、おそらく栄純にもまったく同じ物が渡っているのだろう。

 

 プレゼントの中身は左利き用のグローブだった。大きな波乱の予感である。

 

 

 

 

 お父さん曰く、僕がキャッチボールを頑なに避け続けていたのはグローブがなかったから、というのが両家の認識だったようだ。加えて、実は左利きだったため、右利き用のグローブだったことを嫌がったと思われていたようだ。事実はまったく別である。お父さんに利き手を間違えてられたことを謝罪された。これでやっとキャッチボール出来るな!とニコニコするお父さんに一体どんな返事を返したか覚えいない。ちゃんと笑えていただろうか。お礼は言っただろうか。その日の記憶が薄い。また一つ栄純に関わる野球の歴史が変わってしまったかもしれない。

 沢村栄純の高校以前に関する情報は、僕が生まれ変わる前の漫画内ではほとんど紹介されていなかった。中学時代もコミックの半分ほどで終了し、赤城中の生徒は若菜以外に名前すら出ていない。当然に栄純がどのように野球を始めたのか、グローブを始めて手に入れたのかは不明だ。むしろ、分かっていたならたとえ栄純にどんなにせがまれようと断われる。実は栄純が初めてグローブを手にしたのは小学生1年の春だったりしないかな。そしたらこんなに悩まなくて良いのに。僕の悩みのタネはなかなか尽きないが、今回のは特別に厄介だ。

 

 このグローブが元で僕と栄純は初めて大ゲンカした。

 

「もう歩純なんか知らねえ!あっちいけ!」

 

 拗ねる栄純によく言われるセリフだ。

 新しいグローブを手にしてより一層張り切る栄純に対して、以前と同じように出来る限り野球から離れ続けたい歩純。2人ともまったく譲らなかった。栄純としても、なぜそこまで嫌がるのかを理解できず、理由を聞いてもはぐらかされる。歩純としても、本当の理由が実は生まれ変わって云々など話すことは出来ない。ただ理由もなくやりたくないといえば、栄純が癇癪を起こした。この歳にしては滅多に愚図らない栄純も癇癪を起こす頻度がどんどん高くなっていた。お互いの不満が限界まで達したのは夏休みの直前だった。

 

 その日は、七月の半ば、気温も高くなにより湿気のせいで、ベタつく1日だった。不快指数の高い天候は人の判断を鈍らせ、募り募ったわだかまりを爆発させる。いつもより長く感じた授業も終わったが、退屈さだけはいつも通りだ。放課後は学生にとって天国だ。こんな暑い日でも遊ぶことをやめない。栄純もいつものようにキャッチボールに歩純を誘う。最近の栄純が放課後に放つ一言目は決まって同じである。いつも同じような言っているつもりでも僅かながらの棘が目立つ言い方であった。

 

「おい!歩純!はやくやろうぜ!!なんでやらねーんだよ!意味わかんねー!」

 

 暑さ。湿気。騒音。精神年齢で言えばとっくに成人を迎えているが、近年幼児化している気がする。きっとここで耐えるのが正解だと思っていても、ついやってしまった。ついに耐えられず歩純は勢いよく立ち上がり、その拍子に椅子が大きな音を立てる。歩純は大きな音で機嫌の悪さを示す幼稚さをすでに押し殺せない。それすら忘れるほどの子供っぽいことをしてしまった。そばの栄純を一瞥し帰路につく。栄純が酷く悲しい顔をしていた。慌てて栄純が後をついてこようとするが、歩純には一言も話すことはなかった。

 

 あれから、1日目、2日目はまだ周りは歩純と栄純が珍しく喧嘩したことに対して暖かい目で見ていた。今まで、大人びた雰囲気を醸していた歩純の子供らしい一面が見られ、むしろ大人達には安心感を与えた側面があった。あまり子供らしさのない歩純が実は我慢ばかりしているのではないのかと心配していた。特に栄純のお世話を意図的にさせていたことが我慢の1つに起因するのでないかと。しかし、子供の喧嘩というのはよく起こるものだ。2、3日もすればまたいつもの様に2人で仲良く遊び出すだろうと、皆考えていた。

 

 3日目にして、栄純が仲直りしたがる様子が見られたが、歩純には一切それが無かった。5日目、流石に回りも2人の喧嘩を気にし始め、それとなく2人に探りを入れ始めた。このころから、毎日、目を腫らす栄純の姿が目撃され、あまりに痛々しい佇まいに動揺が走る。そして、1週間もの間、2人が一度も口を聞いていないことを受け、やっとただ事では無いという認識が広まった。

 

 喧嘩を始めて7日目の今日から夏休みが開始していた。歩純としては、今日は栄純の姿を見ることが少なく落ち着ける。歩純は珍しく少し遠い市立図書館にまで足を運んでいた。歩純とて栄純のことが嫌いなわけではなく、むしろ好感度を測れるならメーターはきっと振り切れているだろう。歩純はただ困惑していた。これほど意味の無い行為に意地を張る自分に対して、どうしてここまで理性的な行動ができないのかと。栄純と喧嘩するメリットなど皆無に等しい。前世を含めて、ここまで感情を剥き出しにして喧嘩をしたこと無かった。謝れず、近寄れず、どうする事も出来ず、ただ目をそらすために図書館に通っていた。

 

「もぉ、早く仲直りでもしてよ。栄純ずっと泣いて、困ってるんだから。というか歩純、よくそんな難しい本読めるね」

 

 まあね、と適当な相槌でも彼女なら許してくれる。今日は珍しく連れがいて、若菜である。彼女には最初に女の子と間違えられて以来、どうやら僕は男として認識されていないらしい。まだ小学生一年生に男も女もないかもしれないが女子の輪に混ざっていると少し懐かしい。女の子の成長は早いもので、今の歳でも誰々が好きとか嫌いとかの話に花を咲かせいる。よくその会話に僕も何故か参加させられる。やはり男として見られていないらしい。前世でもその手の話題は聞き役が殆どだったから、機嫌を損ねない相槌の打ち方さ熟知している。

 若菜ちゃんとの会話の中でよく話題に上がるのはやはり栄純についてである。いつもは栄純がうるさいとか、しっかり掃除しないとか怒りながらも頬が赤く染めながら話す。本格的な恋の悩み相談ではないが将来的にそうなりそうだ。今日は件の喧嘩について問いただされていた。ただ僕に答える気がないと分かれば、早々に話題を切り替えてきた。なんでもない世間話ではあるが気が休まることは間違いない。だが、今日は僕の手元にある本について調べるためにわざわざ市立の図書館まで来ていたのだ。

 手元にある本は2冊である。この2冊の本は、グローブの印象ですっかり忘れていたが、誕生日プレゼントにお母さんから貰ったもう1つのプレゼントだ。一冊は町の本屋さんでもみかけるような分かりやすいイラストで野球のルールや基本動作などが図鑑大の大きさで纏められている。初心者の小学生に薦める本としてはポピュラーな部類だ。

 問題なのはもう一冊のほうで、明らかに小学生に渡すには読解困難な専門書である。野球に関するコーチング、マネジメント、トレーニング、戦略などが緻密に描かれている。明らかに、高校の監督や大学以上の野球選手が読み手と設定されている文章の書き方だ。

 さらに気になるのはこの本にはよく読み込まれた後があることだ。

 初めは古本でも買って来たのかと思ったが、どうしても気になることがあったので図書館までやってきた。

 自宅でも、インターネットは使えるがなんとなくお父さんにはバレてはいけないような気がしたため、わざわざここを選んだ。この本を調べて行くと、発行年は十数年前で現在は絶版となっており、現在、状態の良いものであればプレミア価値がつくほど人気のようだ。

 スポーツにおいては情報とはどんどん更新され、常に新しいやり方が模索されるにもかからず、未だに価値を見出されているこの本が異常だ。筆者は元プロ野球選手のようだが、どこかで見たことのある名前な気がする。記憶力には自信があったのだが、思い出せない。本を出した出版会社が倒産し絶版になった後、筆者が世界で活躍するプレイヤーにまで成長したために、多くのファンがこぞってこの本を集めたという経緯らしい。

 しかしなぜこの本を両親は選んだのだろうか。この本をだれかから譲り受けたものならば、なんの説明もなくプレゼントとして渡すことはないだろう。ただの偶然か、とも考えたがどうにも違和感が消えない。違和感の正体は掴めないままだ。たとえ古本屋で買ったとしても、もっと簡単で初心者向けのものだっていっぱいあるはずだ。だからこそ謎が深まる。この本でなければならない理由があるはずである。

 思考に詰まった時には発想を変えることが大事である。勘違い、思い違いや見落としがないか、物事を捉えるのは多角的に。パラパラと本を捲ると、本にはところどころマーキングしてある。色とりどりの蛍光ペンできっと重要な箇所にマークしてあるのだろう。これを読んでいたのはやはり学生と思えて来た。10年前で学生なら今は20代半ばから30代である。やはりこれを読んでいた人も、とても野球に打ち込んでいたのだろう。ボールペンで書き込みを加えてあるが、どこかアホっぽい書き込みだ。栄純みたいなコメントの仕方だなと素直に思う。今は喧嘩をして話せていないこともあって、すこし寂しくなる書き込みだ。

 だからこそ、ふと気がついた。知らず知らずのうちに思い込んでいた事実とあるないと思っていた可能性に気がついた時に違和感の正体に気がついた。

 本を一先ず閉じれば、いつのまにか横にいた若菜ちゃんと目があった。まずい、なぜか怒っている。考え事に集中しすぎたせいで、話を1つも聞いていなかった。素直に謝っておいた。その後、しばらくして帰る彼女は「ちゃんと仲直りしなさいよ」と捨て台詞のように吐いていった優しさが心地よかった。

 先程見つけた可能性の事実確認をするために、歩純はもういちどPCを叩く。前世の学校ではプログラミングの授業があった。クラスの中でもそこそこのタイピングスピードを誇っていた。慣れない子供の小さい手にも五分で慣れた。調べることが多いため、なるべき早く事を済ませなければならない。夕暮れ時、あれからどれだけの時間が経ったのか分からないが、歩純はPCを使って事細かに調べていった。

 

 なぜ、あの本だったのかといつことに関しては概ね理解できた。加えて、まさかの事実の発見も出来た。その後は、件の本、タイトルを『野球魂』を読んでいた。直情的なタイトルとは裏腹に論理的な文章で読みやすい。そしてなにより、この本自体がとても良く出来ていて面白い。おおよそ小学生に向けたものではないが、歩純には読み辛さも無い。この本を通して伝わってくるのは、野球は楽しい、というダイレクトなメッセージだった。小難しいことも多かったが、作者が野球を愛しているのだろうとよくわかる一冊だった。野球の楽しさを栄純から図らずしも奪ってしまった、今の僕に自分がいかに醜いことをしているかを指摘されているようだった。

 

 楽しそうな栄純の顔を潰してまで、原作を守る必要があるのかと。

 

 歩純はリュックの中に荷物をしまい帰路につく。図書館を出ると向こうから栄純が息を切らして走って来た。夕日に照らされていることもあり、栄純の火照った頬が更に赤くなっている。歩純の前で止まると、既に泣いているのか目まで赤い。

 

「お、俺、いつもほずみにはめーわくかけてばっかで、わがままいってばっかでごめん!!俺、あやまるからぁ……」

 

 ボロボロと泣き出して最後の方はよく聞き取れなかったが、おそらく許して、と言っていたと思う。大人気ない態度を取ってしまい、謝らなければいけないのは歩純も同じだ。ゴシゴシ、目をこする栄純の手を止め、ポケットから取り出したハンカチで涙を掬ってやる。すると、なぜか驚いたようでもっと泣き出した。優しくすればなき出すし、喧嘩をしてもなき出す。まったく困った幼馴染である。また目を擦ろうとするので、ハンカチを握らせたあと上から栄純の手を握った。

 

「僕の方こそ、ごめんね栄純。1週間も無視しちゃってほんとにごめんね。栄純がいいなら、仲直りしよ?」

 

 優しく言い聞かせるようにゆっくり伝えた。歩純の言葉を聞いて、栄純は頭をブンブンさせて全身で肯定の意思を示す。どうやら相当不安にさせていたようだ。栄純からすれば意味の分からないまま無視され続けていたので、本当に辛かっただろう。ほんとうに申し訳ないことをしてしまったと思う。贖罪のつもりではないが、1つ栄純に提案してみた。

 

「栄純、明日キャッチボールしないか?ボールの投げ方を教えてあげるよ。」

 

 まだ本格的に野球を教える決心はつかないし、教えるられるだけの知識もない。でも、キャッチボールくらいなら許されるだろう。栄純が涙を流すくらいなら、やってあげるほうが100倍良い。そう決めた。歩純がそう言うと、栄純の涙はピタリと止まった。悲しいオーラを放っていたのに、今は心なしか嬉しそうだ。だが、

 

「俺、歩純がやりたくないならやらなくていい。だって、ほずみと友だちでいる方がだいじだから。」

 

 ついつい言葉の1つ1つで嬉しくなってしまう。先ほどまで喧嘩をしていたことはすっかり歩純の頭の中には無い。もし、あの本を読むまでなら、嬉々としてこの提案を利用しただろう。なるべく原作通りに物事を進ませるために。だが、栄純に野球を楽しんで貰うためにはここでそんなことをしていては意味が無い。だから、力強く否定しておこう。

 

「栄純、よく聞いて。僕も本当はキャッチボールしたかったんだ。でもちょっとくだらないことで、やりたくないってずっと言ってたんだ。ほんとうにごめんね。でも安心して、僕と栄純はずっと友達だよ。だから僕とキャッチボールして欲しいんだ。」

 

 言い切ったところで、栄純が嬉しそうに泣き出した。本当にこの男は泣き虫である。ただ笑顔のまま泣いているのでつい笑ってしまった。

 

 

「覚悟しててね栄純。明日から嫌ってほど()()()()()()()してあげるよ。」

 

 キャッチボールのための下半身づくり。キャッチボールのためのストレッチ。キャッチボールのために学校の宿題。キャッチボールのために大人しくしような栄純♡。言外にいい含めればすこし怯えたようなそぶりが栄純に見られる。おそらく栄純はそのままの意味で捉えているだろうが、これほどに上質な餌をただでやるわけにはいかないだろう。つい明日からの光景を思い浮かべてニヤニヤしてしまう。あのイケメンキャッチャーもこんな気分だったのだろうか。だとすればこんなに楽しいものはない。

 

 その日は、2人で手を繋いで帰った。とてもくだらないことを帰るまでにいっぱい話した。家につけば、みんな暖かく迎え入れてくれた。心配をかけすぎたみたいだ。2人で手を繋いでいるのと、栄純のニコニコ顔のお陰で仲直りしたことはすぐ伝わった。手を離してくれないので、その夜はずっと一緒にいた。結局、眠りに落ちるまで手を離してくれなかった。

 




主人公の女子力皆無すぎる。
なので、次回は料理とかお菓子づくりでもさせてみようと思います。2/27 編集 3/9編集

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