今回は本編にあるお話のうちの子視点です。
Special Thanks
駄ピンさん、ティピロス(以下略)さん、ヴィクセンMk-II さん、速水さん
直刃少女の長い一日
今日はなんて日だろう。
したたり落ちる汗と血を拭いもせずに、少女は思う。
途中まではいつも通りだったはずなのに、ここまで乱されてしまうのはなぜなのだろうか。
心も、身体も。
その原因を探るべく、彼女は今日という始まりの一日をさかのぼっていく―。
◆
その日、彼女はこの町に来て初めて友人である空木山茶花に会いに行くついでに、彼女が働いている甘味処で舌鼓を打とうと足を運んでいた。
その際にふと目に映った『廃剣』と呼ばれる賞金首の手配書に、彼女は特別な感慨もなくただ
「そんな人もいるのだな。まぁ私には関係のないことですが」
とだけ一瞬思い、すぐに頭の隅へと追いやった。
この時は、これから堪能する甘味への魅了と、山茶花と何をしようかという予定の算段に思考のほとんどとられていたこと。
そして彼女自身には『廃剣』に対する特別な感情など持ち合わせていなく、それこそ「指名手配されているなら悪いやつなのだろう」という大まかな考えしかもっていなかったことがあげられる。
要は、そこらの剣客と『廃剣』を明確に分けて考えていなかったともいえよう。
この猛者だらけの『官東』なら、きっと早いうちに手配書がはがされているだろうなと考えるのみだった。
「いらっしゃいませ。何名様で…ゼンさんでしたか」
白髪の髪を長く伸ばした病弱にも見える白い肌の少女-山茶花が、漸の顔を確認して静かに微笑む。
それにこたえるように漸も朗らかな笑みを称えながら口を開く。
「こんにちは、サザンカさん。席は空いてます?」
「勿論、いつもの席でいいですよね?」
まるで常連のような対応。実際、漸は山茶花と知り合ってからこの店を良く訪れるようにしている。
単に彼女にとって親しいと思える人物があまりいないためでもあるし、彼女自体が無趣味に近いため時間が有り余っているからでもある。
お金がないときは時折臨時のお手伝いとして訪れることもあった。
今回は客としてと、友人の家へ遊びの誘いに逝ったというのが強い。
「ええそれで。あ、そうだこれから時間取れますか?」
「あと少ししたら一度上がらせてもらおうかと思ってたところです。」
「じゃぁそれまで待ってますから。食べ終わってからいつもの、やりましょう?」
いつもの、という四文字であらかた片付いてしまうくらいにはそれは常習化しているようだった。
ちなみに内容は「軽く手合わせしよう」といったものである。
約束を取り付けることに成功した漸はまた仕事に戻る山茶花を見送り、いつもの席へと座りただ静かに待つことにした。
時間にしてそこまで長い時間がたっていたわけではない、しかしお預けを食らう子供の様にはやる気持ちを必死に押さえつけ座して待っているとついにお目当ての人物が現れる。
「あ、サザンカさん。やっときましたか…あれ?お客さんですか?」
「はい。ですので、少しお待ちください」
漸は山茶花が二人の男女―おそらく年上-を自らの後ろの席へ案内しているのをさりげなく見る。
その所作や佇まいからただものではないのは明らかだ。
それ自体は別に特筆すべきことではない、なぜならこの首都において自らより格上な人物などそれこそはいて捨てるほどいるだろうから、少なくとも漸はそう考えていた。
ただ何故だろうか。
彼らが現れてから、どうも背中が無図痒い。
まるで獅子に狙われる兎のいたたまれなさを彼女は感じていた。
その原因は明白なのだが、とはいえいきなり難癖をつけるのも躊躇われる。
山茶花も働いているお気に入りの甘味処で、営業妨害になりそうなことはしたくないしと、ここは見て見ぬふりに徹した。
いまは、仕合より甘味の気分なようだ。
しかし、そんな安穏とした時間は唐突に終わりを告げる。
「ちょっといい?」「ちょっといいか?」
背中越しに発せられた、二つの呼び掛けによって。
◆◆
呼び掛けていた二人が自らの通う学園の中でも指折りの強者であることを知ると、一にもなく手合わせの誘いに乗り、経験と縁をもうけることができたのは僥幸だった。
後にも、その時にも漸自身がそう感じていたのは確かだ。
その後の廃剣『深淵』との遭遇も、渋谷章と退避した先で死合うことになった『参蔵』戦もこれからの飛躍に一歩買うだろう。
全体的に見れば、不謹慎な感想としては充実した一日であったと思っていた。
だが、すべてが終わった直後(いま)はどうだろうか?
乗りきった安心感や、壁を一つ越えた達成感は鳴りを潜め、ただただ心身ともに疲労困憊してその場で立ち尽くすだけだった。
渋谷二年がその場をあとにしてから暫くたった今でも、彼女は動けずにいた。
ざらつくような凝りが心に滞留して、平時の思考を鈍らせる。
人が死ぬところを直でみたからか?
否、最強の剣客を目指す傍ら人斬りになる覚悟などとっくのとうに済ませている。
それに、この世界が人命の軽い世界ということは何年も前に、彼女自信が体感していたことだ。
斬り結んだ数を誉れとし、その際に落とした命へ最大の敬意を払う。それこそが彼女の流派の理念のひとつでもある。
それでも心がざわつくのは、最強と詠われた少女の涙。
その意味が計り知れなかったからで。
かける言葉もなかった己の不器用さを無意識に恥じたからかもしれない。
同年代との人付き合いがまれであった彼女にはー。
「あれ?もしかして、少し遅かったかな」
唐突に建物の影から、また別の少女の声が聞こえてきた。
するとどこから現れたのか、いつのまにか漸の前に黒髪を肩の辺りでざっくり整えた少女が現れる、そして『参蔵』の亡骸を繁々と見つめていた。
その事に漸は驚きつつも、思い当たる節があるのか声をかけた。
「あ、あなたは……浅野、さん?」
その言葉に人懐こい笑みを浮かべながら、少女は答える。
「大丈夫だった直井さん?でもすごいね『廃剣』の一人を真っ向から破るなんて。間に合わなかったのが残念だけど」
アハハ、と笑いながらのたまう姿に漸は少しのうすら寒さを覚える。
先程まで対峙していた『廃剣』と似た空気を感じた様だ。
「でもやっぱり、満身創痍みたいだね。命に別状はないと思うけど念のため病院にはいった方がいいと思うよ?」
そんな剣呑とした空気を打ち消すように、彼女-浅野桜は漸のボロボロの体を見て気遣って見せた。
真に相手のことを思っているのが分かるほどに、彼女の眼差しは不安と慈愛で満ちているのがみてとれる。
先程感じた狂気はいつの間にか鳴りを潜めていた。
「-そ、そうですね。ご忠告通り、病院によらせてもらいます。」
浅野の心配は正しい。
実際にいまの漸は立っているだけでも精一杯で、傷も浅くなく(おそらく極度の疲労によるものだが)軽く目眩もしていた。
きっと、先程感じた狂気も立ち眩みの末に見た白昼夢だったのだろうと、ひとりでに納得するくらいには。ーそれでも、しこりのような違和感はついてまと割りついてくるが
しかしその不安を払拭するように、浅野は生来の甲斐甲斐しさを発揮し始める。
「うんうんそれがいい。でも君一人じゃ危なっかしいし、僕もついていこうか?」
気さくに気遣う姿には、もう先ほどの違和感さえない。
ここまで来てようやく漸は一息つく。
というか、そろそろ限界に近いことも拍車をかけて浅野を全面的に信頼することに決めたのだ。
「それはありがたい……ですが頼まれてほしいことが」
「ん、なにかな?」
「……足腰にうまく力が入らなくて。できればその、病院まで担いでいってほしいのです……」
「……へ?」
「あと病院に行く前に、つれていってほしいところが」
「君わりと図々しいね!」
注文の多さにブー垂れながらも優しく運ぼうとしてくれる辺り、浅野の人のよさが垣間見れる。
ついでに、漸少女の図々しさも強調されてしまっているような気もするが、まぁ問題ないだろう。
そこでふと、思い出したかのようにあざとく言葉を漏らす辺り人使いも荒いようだった。
「やや、実はこのあと加勢に来てくれと頼まれていまして……」
「よし行くよ!まだ凶悪な『廃剣』がいるかもしれないからね!」
そして、その言葉につられた浅野女史は手のひらをきれいに返して、漸は俵担ぎにして走り出していく。
いったい何が彼女をそうさせるのか、それは漸にはわからない。
なお、当たり前のことだが彼女たちが急行したときには既に事がすべて終わったあとで、その影すらなく。
現場のまえで同い年の少女を担ぎながら項垂れる女学生の姿があったといううわさ話がまことしやかにささやかれたという……。