薄暗い闇。
誰も意識を向けないその場所に一人、男が潜んでいた。
全身漆黒に身を包んだ男だ。
彼の気配が感じられることはない。
たかだか貴族の子女程度に感づかれるのでは、この仕事はやっていけないからだ。
男が見ているのは平和ボケした顔をした貴族共ではない。
そんな奴らは警戒に値しない。
彼が見ているのはひとりの少年だった。
ハルゲニアには存在しないであろう奇妙な服を着た少年。
目つきが悪く野蛮そうなイメージを抱かせるも、それ以外は何の変哲もない少年。
だが、男から見れば明らかに異質な雰囲気を纏っていた。
そしてあの少年は危険だという男の直感もますます強くなっていく。
そんな少年は今貴族たちの食卓にデザートを運んでいた。
* * * * * *
十六夜は銀のトレイでデザートを危なげなく運んでいる。
受けた以上は責任もって完遂するのは十六夜にとって当たり前だった。
大体の場合、完遂以上のことをするが。
十六夜は一人のメイジを目に止めた。
金髪の巻き髪でフリルの付いたシャツを着て、さらには薔薇を胸ポケットに差している。
(昔の少女漫画かよ)
さすがの十六夜も彼の容姿は珍しいと思った。
ちなみに、ルイズが十六夜の背中を睨み続けているが、相手にする様子はない。
「なあ、ギーシュ!お前、今は誰とつきあっているんだよ!」
「誰が恋人なんだ?ギーシュ!」
少女漫画から抜け出してきたようなメイジはギーシュというらしい。
「つきあう?僕にそんな特定の女性はいないのだ。薔薇は多くの人を楽しませるために咲くのだからね」
(何だ。ただのアホか)
十六夜の興味が別に移ろうとした時、ふとあることに気付いた。
ギーシュのポケットから小瓶が落ちたのである。
(中身の色合い的に香水か?このアホの性格的に女の物である可能性が高いな。これ見よがしに届けてみた方が面白そうだ)
十六夜は小瓶を拾うとギーシュに手渡そうとする。
「落し物だぜ」
ギーシュは無視する。
「オイオイ、人がせっかく親切に拾ってやったってのに、その態度は頂けねえな」
十六夜は小瓶をテーブルに置いた。
他の者にも見やすい位置に。
当然、わざとである。
「これは僕のじゃない。君は何を言っているんだね?」
「ハハッ、隠すなよ色男。これは間違いなくお前のポケットから落ちたぜ」
十六夜は言いながら、周りを横目で確認し、反応を示した女子を探す。
案の定、明らかに顔色を変えた女生徒がいた。
その女生徒を指さしながら言う。
「あそこの巻き髪の女子から貰ったんじゃねえか?ほら、モテるんだろう、お前」
周囲の生徒全員が十六夜の指した女生徒を見た。
そして誰かが言った。
「おお?言われてみれば、その香水はモンモランシーの香水じゃないか?」
「そうだ!その鮮やかな紫色は、モンモランシーが自分の為だけに調合している香水だぞ!」
「そいつが、ギーシュ、お前のポケットから落ちてきたってことは、つまりお前は今、モンモランシーとつきあっている。そうだな?」
「違う。いいかい?彼女の名誉のために言っておくが・・・・・・」
ギーシュが誤魔化そうとした時、後ろのテーブルに座っていた栗色の髪の少女が彼に歩み寄ってきた。
「ギーシュさま・・・・・・」
「彼らは誤解しているんだ。ケティ。いいかい、僕の心の中に住んでいるのは、君だけ・・・・・・」
ギーシュが何かを言い終える前にケティが頬をぶった。
横で見ていた十六夜は必死に笑いを押さえている。
「その香水があなたのポケットから出てきたのが、何よりの証拠ですわ!さようなら」
十六夜も修羅場は嫌いではない。
というか、彼が意図的に起こした修羅場だ。
すると、モンモランシーが立ち上がりいかめしい顔つきでギーシュの席までやってきた。
「モンモランシー。誤解だ。彼女とはただ一緒に、ラ・ロシェールの森まで遠乗りをしただけで・・・・・・」
ギーシュは冷や汗だらけだった。
「やっぱり、あの一年生に、手を出していたのね?」
「お願いだよ。『香水』のモンモランシー。咲き誇る薔薇のような顔を、そのような怒りで歪ませないでくれよ。僕まで悲しくなるじゃないか!」
モンモランシーは手近にあったワインの瓶の中身を全部ギーシュの頭からかけた。
「うそつき!」
と怒鳴って去って行った。
十六夜はダムが決壊したように腹を抱えて笑い出す。
沈黙の中、十六夜の笑い声だけが響いた。
ギーシュはハンカチで顔を拭いた。
「あのレディたちは、薔薇の存在の意味を理解していないようだ」
十六夜はさらに笑い声を大きくした。
「や、やめろ。これ以上笑わせるな」
珍しく苦しそうだった。
よっぽどツボったのだろう。
ギーシュは十六夜を睨みつけ、
「君。失礼じゃないか?第一、君が瓶を拾い上げたおかげで2人のレディ名誉が傷ついた。どうしてくれるんだね?」
「知るかよ。それより、傑作だったぜ、お前。こんなに笑ったのは久しぶりだった」
ギーシュは目を吊り上げて、
「君は確かルイズの使い魔だったな。使い魔に礼儀を求めるのも酷な話か」
「ヤハハ、使い魔でも二股かけて破綻した奴よりましと思うぜ?」
十六夜はわざと挑発的な言葉を使い、ギーシュをいらだたでる。
そして、十六夜のもくろみ通り、ギーシュは挑発に乗ってきた。
「使い魔にしても度が過ぎる。よかろう。君に礼儀を教えてやろう。ちょうどいい腹ごなしだ」
「いいぜ。ちょうど暴れたりないと思ってたんだ」
十六夜は獰猛な笑いを見せた。
頭に血が上っているギーシュはそれに気づかない。
ギーシュは十六夜に背を向けて歩き出した。
「ヴェストリの広場で待ってる。デザートを配り終わったら来たまえ」
十六夜はデザートを配り終え、ブルブル震えるシエスタにトレイを返却した後、踵を返して指定場所に向かおうとする。
しかし、途中で呼び止められた。
「あんた!何してんのよ!見てたわよ!」
「久しぶりだな、貴族サマ。相変わらず小さくて何よりだ」
心体共にとは言わなかった。
思ったかは別として。
「誰が小さいよ!それより、なに勝手に決闘なんか約束してんのよ!」
「貴族サマの許可は必要ないぜ。俺の行動は俺が決める」
「あんたはわたしの使い魔なの!いい加減わかりなさい!」
「理解しても従う理由はねえな。昨日も言ったろ?」
「うるさい!ギーシュに謝ってきなさい!」
「やだね」
「何で?」
「さっき言った通りだ」
十六夜はルイズに背を向け歩き出した。
「あんた、死ぬわよ!」
ルイズの叫びも十六夜の足を止める力はなかった。
「ああ!もう!ほんとに!使い魔のくせに勝手なことばかりするんだから!」
ルイズは十六夜の後を追いかけた。
* * * * * *
ギーシュは十六夜を睨みつける。
「とりあえず、逃げずに来たことは、褒めてやろうじゃないか」
ギーシュが薔薇の花をいじりながら言った。
それに対して十六夜は半笑いを浮かべているだけだ。
「では、始めるか」
言ったもののギーシュが動き出す様子はない。
「どうした?来いよ。俺を楽しませろ!」
「いいだろう。その不遜な態度を崩してやる」
ギーシュが薔薇の花を振ると一枚の花弁が落ち、それが瞬く間に女騎士の人形になった。
十六夜はそれを興味深そうな目で見つめる。
「へえ、面白いな。青銅か?」
「そうだ。僕の二つ名は『青銅』。青銅のギーシュだ。従って、青銅のゴーレム『ワルキューレ』がお相手するよ」
「いいぜ。いいぜ。楽しくなってきた!」
女騎士人形が十六夜に向かって突進してくる。
人形は拳を繰り出してくるが、十六夜は全て余裕で躱す。
「どうした!どうした!この程度かよ!」
「クッ、ならばこれならどうだ!」
ギーシュは新たに5体の人形を呼び出した。
その5体も十六夜に襲い掛かってくるが、十六夜はそれをもすべて躱しきった。
ギーシュは焦った声色で、
「どういうことだ!平民風情が!」
「チッ、結局この程度かよ。これじゃあ手品の方がまだましだぜ」
「何で、平民がここまで戦える!」
十六夜の背後に人形の拳が迫る。
絶対に当たるタイミング。
しかし、そうはならなかった。
「もういいや。これ以上何も出てこなさそうだし」
十六夜は裏拳で人形を撃退した。
いや、十六夜の拳が当たった瞬間、人形の上半身が跡形もなく吹き飛んだ。
ついでに周りの人形もいくつか粉砕しながら。
「なっ」
ギーシュはありえない事態に愕然とする。
見ていた他の生徒たちも同様で、ルイズも例にもれなかった。
十六夜は2,3発拳を振り回し、人形を全滅させた。
ギーシュの方を振り向く。
「わ、『ワルキューレ』!」
ギーシュはさらに人形を召喚しようとしたが、
「遅えよ」
「っ!」
魔法が発動する前に十六夜はギーシュの目の前にいた。
十六夜は拳を振り上げ、恐ろしい速度で振り下ろす。
当たれば気絶どころか頭蓋骨が砕かれ、脳髄が露わになるだろう。
誰かが悲鳴を漏らした。
当のギーシュはあまりの恐怖に悲鳴さえ出ない。
誰もが凄惨な光景を予想した。
が、その予想は裏切られることになる。
十六夜が直前で拳を止めたのだ。
彼はギーシュに一切の興味を持たない瞳で見て、口を開いた。
「まだやるか?」
ギーシュは首を全力で横に振った。
誰もが安堵する。
十六夜はつまらなそうに視線を外すと、今度は誰もいないはずの木に、いや木の陰に話しかけた。
「おい、そこに隠れてる奴。出て来いよ」
十六夜とルイズの仲が進展しません。どうしましょう?どうにかします。(自問自答)