漸く煩わしい授業から解放され、足取り軽く帰る者もいれば塾が待っていると憂鬱な者もいる。多くの学生に混じって夕食の買い物帰りの主婦が帰り道を急ぐ中、人目を避けるために入った路地裏から豪快さを感じさせる笑い声が響いた。
「ふははははははっ! 二人で遠路遥々異国の地に来るとは豪気なものよなっ! うむ!!」
「ちょっと貴方、ワザとやっていないっ!?」
「ぬっ!? おお、これはすまんすまん! どうも俺は話を聞かんと怒られてばかりでなっ!」
悪魔祓いであるイリナとゼノヴィアは話しかける相手を間違えたと深く後悔する。これで悪意が有れば怒るなり何なりするのだが、どうもこの男、桃十郎と話していると毒気を抜かれる。怒る気はしないが、非常に疲れるのだ。
「しかしまあ、聖剣使いが二人もやって来るとは大事のようだな……」
「……分かるのか? ああ、確かに一人一本ずつ持っているが……」
確かに二人は計三本の聖剣を持ってきているが、厳重にオーラが漏れないようにしている。それを目の前の脳味噌まで筋肉になっていそうな相手に見破られたのだから動揺も生まれてしかるべきだろう。ゼノヴィアの目がスッと細くなり、何時でも聖剣を抜けるようになる。
「では、この地の管理者に繋ごうか! 少し待っていろ」
まるで戦闘に突入する気でいた自分が馬鹿に感じられる程にあっさりとリアスに連絡が行き、面談の日が決まる。最初から最後まで桃十郎に振り回された二人であった。
「……あの男、どうも調子が狂うな」
「うん。私、どうも苦手っぽい。あっ、今から友達だった子の家に行っても良いかしら?」
「しかし聖剣が三本か……。イリナとゼノヴィアといったが、確かその名前は……」
アルシエル領の梅雨の前後の時期は大忙しだ。堕天使領と合わせて隣接している大森林に生息する魔獣が凶暴性を増し、縄張り争いに負けたのが森から出て暴れる。ゆえに事前に調査を行い、ルートに待ち伏せして被害が出る前に叩く。その年によって何が出て来るか分からず、新種のケースもざらなので本当に大変だった。
「生き返るなぁ……」
次期当主として当然のように防衛戦に参加し、今まで観測されていない新種の猪の魔獣相手に能力を観察して推測し指揮を行い、時には仲間を鼓舞する為に自ら正面に立って戦ったザナクは、漸く次の班との交代時間が来たので屋敷の風呂に使って疲れを取っていた。
天然の温泉を引き込んでいる湯船に浸かれば疲れが溶け出るようで、湯を手で掬って顔を洗えば最高の気分。明日の担当の時間も頑張ろうという気になって来る。ただ、大浴槽を一人で使うのは少し寂しい気もした。
「メアリーはあの人が一緒に居るし、アレイシアは今担当時間だし……」
家の者用なので使用人は当然入っておらず、入る事が許可されてもザナクに気を使って入って来ないだろう。妹はまだ幼いので一緒に入っても良さそうだが、母親として娘と入るのは楽しいのかリェーシャが独占している。彼女が出かけている時だけの楽しみだった。
「折角誰もいないんだから……泳いじゃえ」
少し悪戯心を出したザナクは誰に遠慮することもないと広い浴槽で泳ぎだす。まずは背泳ぎで端から端まで泳ぎ、続いて素潜りで往復。目を閉じたまま往復が終わり、端に手がついたので頭を出して息継ぎをした。
「ぷはっ! あー、楽しかった」
「あら、それは良かったですわね。でも、お風呂で泳ぐのは良くありませんわよ?」
「ちぇ、もうしないよ、レイヴェル……何で居るのさ」
直ぐ隣から何の違和感も感じさせずに話しかけて来たレイヴェルに普通に返事をし途中で固まる。子供心に帰って風呂場で泳いだのを見られたのは当然恥ずかしいが、彼女が同じ浴槽にいるのがもっと重大だった。
「あら、先に家のお風呂で体を洗ってから転移して入ってますわよ? ザナクこそ汗を流してから入っていますの?」
ザナクと違い平然としている彼女は普段ロールにしている髪を下ろし、風呂の中にタオルを浸けるのはマナー違反だからと言わんばかりに裸だ。身長に比べ発育がいい胸がプカプカと浮かんでいる。
「……あまりジロジロ見る物ではありませんわよ? 婚約者相手でもマナーは必要なのですから」
「う、うん、ごめん……」
流石に恥ずかしくなったのか手で大切な部分を隠しながらもレイヴェルはザナクに近寄って肩を密着させた。ザナクの心臓がドキリと高鳴り、レイヴェルも目が泳いでいる。既に長時間は言ってのぼせたような顔になっている二人は一言も話さず暫く入っていたが、何を思ったのかレイヴェルはザナクに背中を向けて体を預けてきた。
「触るだけなら構いませんわ。……抱き締めて下さいまし」
頬を染めながらザナクの方を向き、直ぐに前を向くレイヴェル。余裕を装ってはいるが見えなくなった途端、緊張と羞恥と期待の入り混じった表情になっていた。手は抱き締める邪魔にならないように下に置いていたが、直ぐに口を塞ぐのに使うことになる。艶めかしい声が浴室に木霊するのが恥ずかしいからだ。
「さて、あの子達は仲良くやっているでしょうか。婚約がまた破談になったら家の恥ですからね」
その頃、夕食前に娘の身嗜みを自ら整えていたリェーシャが呟く。その事が気になったのか肩まで銀髪を伸ばした娘がクリクリとした目を母に向け、大好きな兄の事かと嬉しそうにしていた。
「おにー様とレイヴェルねー様のことー?」
「ええ、そうですよ、メアリー。明日はミリキャス君に会いに行きますからね。早く眠りますよ」
「おにー様と一緒に寝ていーい? 今日は泊っていくんでしょー?」
「……仕方ありませんね。あの子には私から話しておきます。お疲れですからいい子にしなさいね?」
「うん!」
余程嬉しかったのか元気よく手を挙げて返事をするメアリーの頭にリェーシャの手が優しく置かれる。この時間だけは彼女は只の娘思いの母親であった……。
「……イリナ? そりゃ街の前の管理者の事件の関係者の娘だね。栗毛の小娘だろう?」
その頃、魔獣討伐の休憩中に桃十郎からイリナの名を聞いた花月は見た目を聞きだし、確信を得る。リアスは知らされていないが、前の管理者に起きた事件について花月は知っていた 。
「んで、ライザー坊ちゃんの騎士とやり合った聖剣使いでもあるよ。まっ、武器込みで中級悪魔の中から上程度なら倒せる実力って所じゃないかい? 接近戦に限るだろうけどね」
確かにライザーは勝利数の多い注目の若手だが、彼の眷属は飛び抜けて強い訳ではない。騎士なら木場と良い勝負が出来る程度。聖剣を使って致命的な傷を負わせられないなら実力は予測できる。もう片方もイリナとゼノヴィアのコンビは悪魔祓いとして少しは名が売れており、ゼノヴィアは斬り姫の異名を持つのである程度情報が集まってくる。……本当に警戒すべきなのは頂点クラスの強者と、情報が無い者だ。
「このゼノヴィアだが……ヴァスコ・ストラーダの関係者だね。そこまで深い関係じゃないが……あの子について何か知ってるかもしれないよ」
「……ぬぅ。接触したのは失敗だったか?」
「いーや、アンタには珍しくナイスプレーだね。先に分かってて良かった。髪の色も名前も別だが、一応会わない様に注意しておくよ。……ったく、こんな時期に面倒臭い。更に明日は初代バアルが来るってんじゃないのさ」
花月は心底面倒そうに呟く。この後も仕事が控えていなければ酒でも飲みたい気分であった……。
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