「待たせたな、フェルト」
かれこれ1時間以上を水着に費やした2人(主にシャルロット)と、昼食も兼ねてレゾナンスの中にあるカフェで合流した。
「いや、大丈夫だ。私もいろいろ見てこれたからな」
「ごめんね、まさかこんなに時間がかかるとは思わなくて・・・」
「頭を上げてくれ。今まで経験したことがない多くのことができたんだ。私にとっても2人にとっても有意義な時間だった。それだけじゃないか」
「・・・ありがとう」
いつまでも何も頼まず席に座っているのも店に迷惑なので、適当に頼む。軽めでいいか。
30分ほど雑談しながら休憩して買い物を再開する。当初の予定では水着以外を買うことはなかったのだが、せっかく来たので3人でいろいろ見ることにしたのだ。
「フェルト、シャルロット。ここに入ってもいいか?」
そう言ってラウラが指差すのは楽器屋だ。手前には電子ピアノが並び、奥には管楽器や弦楽器がショーケースの中に入っている。
「いいな、行こうか」
棚には数多くの楽譜が所狭しと並べられており、入門書から有名作曲家の作品に至るまで揃っていた。
「あ、これ懐かしい」
シャルロットを見ると、手には楽譜が広げられていた。シューベルトの弦楽四重奏第14番ニ短調「死と乙女」だ。
「シャルロットはこれを聴いたことがあるのか?」
横からひょこっと顔を出してラウラが言う。
「いや、昔弾いたんだ。家から一番近い町の教会の少年少女弦楽弾にいたことがあってね。バイオリンを弾いてたんだ」
・・・驚いた。シャルロットもか。
「だから、音楽室に呼ばれた時はびっくりしたんだ。綺麗な音だったし、身近にバイオリンを弾ける人がいて。まあ、話が始まったらそれどころじゃなくなっちゃったけど」
あはは、と頰をかきながら笑った。
「ということは、あと1人ヴィオラ奏者がいればカルテットが組めるのか。いっそ同好会でも作ろうか?」
「それはいい!見つけ次第誘ってみよう」
しばらく楽譜を眺め、気になったものを読んでみることを続けていると、早くも50分が経過していた。ラウラは私の横で同じように眺めているが、シャルロットは少し退屈そうだ。
「シャルロット、暇じゃないか?」
「うーん、そうだね。楽譜はいつも大人達が選んでいたから、自分で探して読むのは慣れなくて」
「ならば、今日一度何か選んでみると良い。楽しいぞ」
いつのまにかラウラが隣にいた。
「んー・・・じゃあ、これとか?」
シャルロットが選んだのはピアノソロの曲だ。ショパンの華麗なる大円舞曲。
「ああ、これなら弾けるぞ」
「え、本当!?」
「ああ。ショパンは好きだからな。どうせなら今弾こう」
数ある電子ピアノの中から適当に選んで前に座り、鍵盤に手を置く。電子ピアノはあまり弾いたことがないが、問題はないだろう。
華麗なる大円舞曲は、ショパンらしい明るく、軽い曲だ。鍵を叩くのでも押すのでもなく、はじくように弾く。楽しくなってきた。
ポーン、と、不意に低音が混ざってきた。音楽を知っている人が入るタイミングではない。誰だ?
見ると、まだ幼い男の子が私の横に立って、鍵盤に手を置いていた。なるほど、君か。
「すみません、すぐにどかしますので・・・」
男の子の親であろう女性が話しかけてくる。男の子の左手を引くが、一向に動く気配がない。女性はより力を入れて引くが、男の子は抵抗する。
「ああ、もう・・・」
「・・・」
頰を膨らませ、意地でも離れてやらない、と言外に主張する男の子。こういう子どもは何度も見たことがある。やはり子どもは万国共通なのだな。
「君。私が弾くのに合わせて、黒い鍵盤を弾いてごらん」
そう言って曲を止め、新たに鍵を選び、ペンタトニックスケールで即興で伴奏を作る。男の子がおそるおそる黒鍵を押すと、不思議なことに1つとして不協和音にならない。何を叩いても曲のようになるのだ。だんだん楽しくなってきたのか、男の子は笑って、元気よく黒鍵を叩いた。店の中に響く、小さな音楽と男の子の笑い声。フロアの一角からは人の声が消え、2人だけの音楽隊が目を集める。
時間にして5分程度だっただろう。男の子の音が止まったのを見計らって演奏をやめる。
「さ、もうお帰り。お母さんが待ってるよ」
そう言って、申し訳なさげにしている女性に向かって男の子の背中を押す。さっきまでの意地はどこへやら。すんなりと戻っていった。
「ありがとうございました」
と、女性は私に礼をして、男の子はげんきに手を振って去る。
「ありがとう、おねーちゃん!」
変声術で声を高くしていたから間違えるのは当然だが、2人とも。笑わないでくれ。
「そうだ、2人とも」
「ん?なんだ?」
「どうしたの?」
「これ」
2人と別行動していた際、ふと目に入ったので買ったものを渡す。
「おお、開けてもいいか?」
「もちろん」
買ってものは腕時計だ。シャルロットのはオレンジ、ラウラのは黒。会社は確か、カルティエだったか?衝動的に買ったため、名前も覚えていない。知ってから買えば良かったな。
「わあ!ありがとう!・・・待って、これすっごく高くなかった?」
「さあ?一括で買ったからよくわからん」
「お金の使い方荒くない?」
「口座に2200万ユーロほどあるからな。使える時に使っておかないと増えていく一方だ」
「え、そんなにもってるの!?」
「ああ。もう10年ほど軍にいるからな。使い所もなかったから、貯まる一方なんだ」
「それって、ラウラも?」
「2000万ユーロはあるな。貯まった理由はフェルトと同じだ」
「まあ、喜んでくれれば私は満足なんだが」
「・・・そうだね、ありがとう。大事にするね!」
それから店を出て、ラウラの寝間着を2着買ってレゾナンスを後にし、アウディに乗る。
「楽しかったな」
「ああ。楽しかった」
「そういえばさ、あのピアノってどうして曲みたいになったの?」
「あれはペンタトニックスケールといって、通常のスケールから第4音と第7音を除いたものだ。ジャズでよく使われる、簡単なものだよ」
「へぇー、ピアノってそんなこともできるんだね」
「即興で演奏する時に便利なんだ」
5分ほど車を走らせた時、ラウラが重い雰囲気を醸し出した。
「・・・フェルト、気づいているか?」
「ああ。ついているな」
「え、なんのこと?」
「先程から車につけられている。トヨタの黒い車だ」
「え、本当!?」
シャルロットは振り向いて確認しようとする。
「振り向くな、シャルロット。バレる」
「あ、うん。ごめん」
「ラウラ、万が一もある。後部座席へ移動してくれ」
「わかった」
小柄な体格をいかして、するりと移動するラウラ。
その後、どんな道を選んで進んでもついてくる。他車の迷惑にならないように注意を払ったうえで曲がる直前にウィンカーを出して曲がると、慌ててついてきた。確定だな。乗っているのは全員男か。何者だ?
この場合どこに連絡すればいいのだろうか。日本の警察か、それとも自衛隊というやつか?・・・いや、あの人だな。端末を取り出してコールする。
「織斑だ。どうした、ヴァルター」
「車が一台ついてきています。IS学園まであと15分の距離です」
「・・・はぁ、どうしてお前はそう問題を持ってくる」
「申し訳ありません」
「まあいい。ヴァルター、撒けるか?」
「1発撃てれば確実に」
「ここは日本だ。おおっぴらに発砲などするなよ。バレないように撃て。後始末はこっちでなんとかする」
「了解しました」
通話を切る。
「織斑先生はなんと?」
「撒け。サイレンサーをつけた銃なら、バレないのであれば発砲してもいい」
「わかった」
ラウラは後部座席の真ん中の足下にあるレバーを引き、隠しトランクからHK416を取り出してサイレンサーをつけ、リロードする。一連の流れを見て、シャルロットは絶句していた。
「ええ!?こんなものが乗ってたの!?」
「ああ。私の立場から考えて、いつ襲われるかわからないからな」
「だからって・・・」
「フェルト、一応聞く。破壊か、無力化かどっちだ」
「無力化だな。シャルロットは念のため伏せていた方がいい」
そう言うと、すぐに伏せるシャルロット。
人気のない、横幅がひろい路地に入ると、眼帯を外したラウラは窓を開け、身を乗り出してHK416を構える。パスンッという音が2度鳴った後、少し遅れて何かがぶつかる音が聞こえた。
「右の前輪と後輪を潰した。敵車両はバランスを失って壁に突っ込んだぞ」
「Gut gemacht!」
「Danke.」
そのまま進み続ける。後ろから発砲音が聞こえるが、音からして拳銃だろう。脅威にはならない。さて、帰ろうか。