「さっぱりしたなぁ、フェルテン」
「ええ。いい湯でした」
海を一望できる露天風呂に弟君に誘われて入ってきた。日本もドイツも温泉大国と言われているらしいが、ドイツの温泉はプールのようなので、日本のものとは大きく違っており、勉強になった。夜の海も良いものだな。夜の海を見た時は大抵翌日かその日の深夜に訓練などがあったため、落ち着いた心持ちで眺めたのは初めてだった。
「じゃあ、また後でな」
「はい、また」
私たちも泊まる教員室の前で別れる。奥の部屋に入ったが、山田先生はいない。私たちと同じく温泉だろうか?
「あ、ヴァルター君。戻っていたんですね」
髪を鏡の前で結いながら考えていたら、すぐに来た。これは、あれだな。日本で言う噂をすれば影がさすというやつだな。
「山田先生も温泉に?」
「はい。良い湯ですよね、ここの温泉は」
「そうですね。気持ちよかったです」
「まだ就寝時間まで時間もありますし、他の子のところに行ってみたらどうですか?」
「では、そうさせていただきます」
しかし、行くところは特にないぞ。とりあえず飲み物でも買ってこようか。
「フェルトじゃないか」
「あ、本当だ」
自動販売機で水を買っていると、後ろからラウラとシャルロットの声が聞こえてきた。どちらも浴衣を着ている。
「ラウラにシャルロットか。その格好は新鮮だな。よく似合っている」
「そうか?正直動きにくいのだが・・・」
「でも、なんか日本って感じだよね」
よく見てみると、私が買った時計を2人は着けていた。なんだか嬉しくなってくる。
「ところでフェルト」
「なんだ?」
「これから私たちが泊まる部屋でゲーム大会が行われるんだ。ゲームといっても全員が知っているトランプだがな。フェルトは強かっただろう?参加しないか?」
「それはいいな。では、山田先生にそう伝えてくる」
「僕たちも一緒に行っていい?」
「構わないよ」
「あら、皆さん何をしていますの?」
セシリアも来た。今日の面子が揃ったな。
「これからゲーム大会に参加することを山田先生に伝えに行くんだ。セシリアも来るか?」
「一夏さんに呼ばれていますので、用事の後に時間があれば参加させていただきますわ」
「では目的地はほぼ同じだな。一緒に行くか」
4人で廊下を歩く。夜独特の冷たさに木の香りが混ざって、なんとも心地よい空間だった。が、角を曲がった瞬間、異様な光景に心地よさは吹き飛んだ。
「・・・鈴さん?それに箒さんまで。一体そこで何をーー」
「シッ!!」
鈴さんはそう言うなりセシリアの口を塞ぐ。私としても、織斑姉弟が泊まる部屋の前で何故コソコソしていたのか気になるところだ。疑問に思っていると、ふと部屋の中から声が聞こえてきた。
『千冬姉、久しぶりだからちょっと緊張してる?』
『そんな訳あるか、馬鹿者。ーーんっ!す、少しは加減をしろ』
『はいはい。んじゃあ、ここは・・・っと』
『くあっ!そ、そこは・・・やめっ、つうっ!!』
『すぐに良くなるって。だいぶ溜まってたみたいだし、ね』
『あぁぁっ!』
まるで葬式のような、重い空気を醸し出す鈴さんと篠ノ之箒。何を考えているのかなんとなくわかるが、こんな所ですることじゃないだろう。マッサージがいいところだ。
『じゃあ次はーー』
『一夏、少し待て』
2人の声が途切れ、扉に近づいてくる気配。その気配に気づかない鈴さんと篠ノ之箒は、聞こえない声を探してドアにぴったりと耳を寄せた。刹那、
バンッ!!
「「へぶっ!!」」
ドアに殴られた。
「何をしているか、馬鹿者どもが」
「は、はは・・・」
「こ、こんばんは、織斑先生・・・」
「さ・・・さようなら、織斑先生っ!!」
私たちを押しのけて逃走しようとする2人の首根っこを掴んで捕らえる織斑先生。流石。速い。
「盗み聞きとは感心しないが、ちょうどいい。入っていけ。後ろのお前たちもだ」
「わ、私たちも、ですか?」
4人を代表してラウラが聞く。
「ああ。さっさと入れ」
促されるままに部屋に入る。
「おお、セシリア。遅かったじゃないか。っと、みんなもいるのか。まあいいか。始めようぜ」
「始めると言いましても、一体何を?」
「何って、マッサージだけど?」
おお、予想的中。
「マッサージならそうおっしゃってくださいな」
「言ってなかったか?悪い。じゃあ、はしめるぞ。そこにうつ伏せになってくれ」
弟君は言われた通りの体勢になったセシリアさんの腰に指を当て、力を入れる。
「!?いたたっ、いたっ!い、い、いいっ、一夏さん!?痛いですわ!?」
「あ、ああ。すまん。優しくする」
そう言って、ゆっくりと力を入れていく。
「これくらいだったら大丈夫か?」
「ええ・・・。気持ちいいです・・・」
私たちは何を見せられているんだ。何故ここにいなければならない?
「織斑先生、私は山田先生に少し用があるので、済ませてから来てもいいですか?」
「ああ、構わないぞ」
伝えてきて戻ってくると、何故か女子4人は正座して並んでいた。セシリアは・・・すごく眠たそうだ。よほど気持ちよかったんだろうな。
「ふー。さすかにふたり連続ですると汗かくな」
「手を抜かないからだ。すこしは要領よくやればいい」
「いや、そりゃせっかく時間を割いてくれてる相手に失礼だって」
「愚直だな」
「千冬姉、たまには褒めてくれても罰は当たらないって」
「どうだかな」
仲良いな、この姉弟。
「は、はは・・・はぁ」
「ま、まぁ、あたしはわかってたけどね」
なんで1人は落ち込んで1人は強がっている?
「まあ、お前はもう一度風呂にでも行ってこい。部屋を汗臭くされては困る。ヴァルター、あいつについて行ってくれるか?」
「?・・・ああ、わかりました」
織斑先生が並べられた4人を見て言うので、多分話があるのだろう。それも男には聞かせられない。私が何故呼ばれたのか、未だわからないが。
「くつろいでってくれ。って、難しいかもしれないけど」
そう言って部屋を出る弟君。ついて行くが、まさかもう一度風呂に入ることになるとは。風呂は嫌いではないから良いが。というか、ゲーム大会はいいのか?
「「「・・・・・・」」」
「おいおい、葬式か通夜か?いつものバカ騒ぎはどうした」
「い、いえ、その・・・」
「お、織斑先生とこうして話すのは、ええと・・・」
「は、はじめてですし・・・」
「まったく、しょうがないな。私が飲み物を奢ってやろう。篠ノ之、何がいい?」
いきなり名前を呼ばれ、ビクッと肩をすくませる箒。あまりに驚いたためか、言葉がすぐに出てこない。その様子を見た千冬は旅館の備え付けの冷蔵庫を開け、中から清涼飲料水を5人分取り出していった。
「ほれ。ラムネとオレンジとスポーツドリンクにコーヒー、紅茶だ。それぞれの他のがいいやつは各人で交換しろ」
そうは言われたが、全員が受け取ったものに満足していたために交換は行われなかった。
「い、いただきます」
ラウラを除く全員が飲み物を口にする。
「どうしたボーデヴィッヒ。飲まないのか?」
「・・・何が目的ですか?」
「ほう、気づくか。安心しろ。別に取って食おうってわけじゃない」
「では、いただきます」
「さて、全員飲んだな?」
「は、はい?」
「そりゃ、飲みましたけど・・・」
「何か入っていましたの?」
「失礼なことを言うなバカめ。なに、ちょっとした口封じだ」
そう言って千冬が取り出したのは、銀の缶に黒で文字が書かれた缶ビールだった。プシュッ!と景気のいい音を立てて飛沫と泡が飛び出す。それを口で迎えに行き、そのままぐいっと呷った。いつもとは違う光景に全員が唖然としている中、千冬は上機嫌な様子でベッドにかける。
「ふむ。本当なら一夏に一品作らせるところなんだが・・・それは我慢するか」
規則に正しく、全面厳戒態勢の『織斑先生』とは大きく異なる目の前の女性に、女子全員がポカンとする。ラウラは比較的落ち着いてはいるが、表面に出さないだけで驚いてはいるのか、口につけたコーヒーは飲みこまれていなかった。
「おかしな顔をするなよ。私だって人間だ。酒くらいは飲むさ。それとも、私は重油を飲む機械に見えるか?」
「い、いえ、そういうわけでは・・・」
「ないですけど・・・」
「でもその、今は・・・」
「仕事中なんじゃ・・・?」
「・・・なるほど、口止め料ですか」
「正解だ、ボーデヴィッヒ。察しが良くなったな」
ニヤリと笑う千冬に、ラウラを除く全員がやっと飲み物の意味に気づいて「あっ」と声を漏らした。
「さて、前座はこのくらいでいいだろう。そろそろ肝心の話をするか。ボーデヴィッヒ、2本目を取ってくれ」
「どうぞ」
「ありがとう」
また景気のいい音を響かせて、軽く呷ってから千冬が続ける。
「さて、お前ら。あいつらのどこがいいんだ?」
特に箒と鈴の顔が赤くなる。
「わ、私は別に・・・以前より腕が落ちているのが腹立たしいだけですので」
ラムネを傾けながら箒。
「あたしは腐れ縁なだけだし・・・」
スポーツドリンクの蓋を弄りながらもごもごと言う鈴。
「・・・ふむ、そうか。では一夏にそう伝えておこう」
「「言わなくていいです!」」
しれっと言う千冬に噛みつかんばかりに返す2人。それを眺めながら、千冬は3本目に手を伸ばした。
「正直、お前が一番意外だな、オルコット」
「そうでしょうか。・・・なんと言えば良いのでしょう。その、確かに一夏さんには興味はありますが、それが好意なのかと聞かれると答えづらいといいますか・・・」
「ふむ、なるほど。ボーデヴィッヒ、お前はどうだ?背中を押したのは私だが、どこを好きになったのか聞いていなかったな」
「共にいたい。そう思えるところ、でしょうか」
千冬の目を真っ直ぐに見据え、ラウラは答える。
「ほう、共にとは?」
「支えて、支えられて。そんな関係が心地いいんです。私の足りないところをフェルトが埋めて、その逆もある。そうやって共に生きていきたいんです」
「なるほどな。では、デュノア。お前はどうだ?」
「・・・まだ、良くわかりません。自分の気持ちにまだ理解が追いついていなくて」
「ふむ、まあ、それもあるだろう。年頃だからな。しかし、あの2人か。一夏は家事も料理もなかなかだし、マッサージもうまい。ヴァルターは士官で金もあり、人柄だって悪くない。どちらも優良物件だ。どうだ、欲しいか?」
「く、くれるんですか?」
「やるかバカ」
鈴の少しだけ期待した言葉を一蹴する。
「女ならな、奪うくらいの気持ちで行かなくてどうする。自分を磨けよ、ガキども」
楽しそうな表情で3本目を口にする千冬は、金髪の2人が微かに強張るのを見落とさなかった。
(・・・眠れない)
目を瞑れば思い出される、教員室でのあの会話。ぐるぐると頭の中を駆け巡る自分の感情。明日もあるから眠らなければならない。そう理解はしているものの、頭は休むことを拒否しているかのようだった。
「シャルロット、起きているのだろう?」
時刻は既に0230。予定より遅く始まったゲーム大会であれだけ騒がしかった班部屋も今ではすっかり静まり、全員が穏やかな寝息を立てている中で、静かに響く凛とした声。
「・・・うん」
「少し話そう。こいつらを起こすわけにはいかない」
そっと布団から出て、広縁に向かうラウラに招かれ、障子を閉めてから机を挟んで向かい合う。
「シャルロット。お前が何に悩んでいるのかはだいたい察しがつく。フェルトだろう?」
黙って首肯する。しかし、それは一見すると俯いたようでもある、非常に弱々しいものだった。
「何に悩んでいるかはわかるが、何故悩んでいるのかが私にはよくわからない。何故だ?」
「・・・ラウラは、迷惑だとか思わないの?」
「迷惑?」
「フェルテンはラウラの恋人だから、ラウラは彼に寄ってくる僕が邪魔なんじゃないかって」
「邪魔なわけないだろう?」
何を言っているんだ?と言わんばかりに首を傾げるラウラ。予想外の返しに、勢いよく顔を上げる。
「な、なんで・・・?」
「大事な人がいろんな人に好かれている。それは私にとって、とても嬉しいことなんだ。それが友情でも恋慕でも」
目は真っ直ぐで、嘘をついているようには見えない。微笑みながら言うラウラは、窓から入ってくる月明かりに照らされ、とても美しかった。
「それに、世間知らずの私たちにいろんなことを教えてくれたのはシャルロットだ。そんな人を邪魔だと思うのは筋違いというものだ」
・・・敵わないな。ラウラは心から彼を想ってる。それはきっと、彼も同じなんだろう。
「まあ、かなり複雑な気持ちではあるがな」
「・・・ラウラは、フェルテンのどういうところが好きになったの?」
「全部だな」
「全部?」
「ああ。人の感情に少し鈍感なところ、不意に見せる可愛いところ、優しいところ……数えだしたらキリがない。だから全部だ」
「そっか・・・」
僕は黙るしかなかった。だって、ラウラがあんなにも愛おしそうに話すのだから。ラウラにその気は無いだろうが、埋めようのない差があることを自覚させられた。
何分ほど経っただろうか。沈黙が広縁に続く。ラウラはずっと僕を見つめたままだ。
『女ならな、奪うくらいの気持ちで行かなくてどうする』
織斑先生の言葉が思い出される。奪う。口を大きく開けて穴を小さくし、唇を弾けさせてまた戻す。うばう。なるほど、確かにそのくらいの気概は必要だ。だが、無理だ。2人の関係は、繋がりは、どんなものでも切ることができないだろう。そう、感じたのだ。奪うなんてできやしない。
「・・・敵わないな」
つい、声に出た。言葉にもならないような、息のみの発音だったためにラウラには聞こえていない。
「・・・もう、寝よっか」
「ああ。明日も早い。あまり時間はないが、ゆっくり休め」
それぞれの布団に入る。なんとなく実感した。自分は今の関係も好きなんだということが。しっかりしているようで、どこか抜けている2人を見ながら少し後ろを歩くような、そんな今が。これはただの合理化でしかないのかもしれない。でも、嘘ではないと自信を持って言える、僕の本心だ。