時は大きく飛んで、ドイツ滞在3日目の朝である。私とラウラは目の下に真っ黒なクマを作っていた。それもそのはず。私たちは溜まっていた仕事を2日で終わらせたのだ。目的は、少しでも2人の時間を作るのと、明後日に来るバーデン=ヴュルテンベルクからの迎えに間に合わせるため。滞在期間は1週間しかないのだ。無駄にはしたくない。
「お疲れ様です。隊長、隊長補佐」
湯気の立つ紅茶をトレイにのせ、クラリッサが部屋に入ってきた。
「ありがとう」
一口飲めば、丁度良い温かさが徹夜明けの身に染みる。二晩で仕事を終えることができたのも、クラリッサが私たちが日本にいる間にある程度片付けてくれていたためだ。優秀な副隊長を持ってとても誇らしい。
「少し眠る。何かあったら気にせず伝えてくれ」
「わかりました」
カップの紅茶を飲み干し、言うが早いか執務室を出てラウラの部屋に向かう。何故ラウラの部屋なのかといえば、単純に近いためだ。2人で寝るのが当たり前になっているので、何の疑問も抱かない。部屋に入った途端、飾り気がなく、少し硬いベッドに倒れ込み、すぐに意識を手放した。
5時間ほど眠って、1600を少し過ぎた頃。私たちはむくりとほぼ同時に起き上がった。
んんー、と揃って伸びをして、ラウラが聞いてくる。
「さて、これからどうする」
「今やっているイベントといえば……ビアフェスタか?」
「……もうそんな時期か」
「どうする。行くか?」
「もちろん。16歳にもなったからな。30分後にお前の部屋に行く」
「わかった」
インターナショナル・ベルリン・ビア・フェスティバル。全長約2.2kmの通りに、世界80カ国以上の国々から、2000を超える種類のビールが集まる、オクトーバーフェスタと並ぶ一大イベント。その会場に、私とラウラは2人でやってきた。隊員たちも誘ったのだが、2人で楽しんできて下さいと言って来なかった。
「やはり熱気が凄まじいな」
そう言って手で首元を扇ぐラウラ。日本で買ったグレーと白のワンピースにホットパンツを合わせた、機能性重視の格好だ。
「まだ陽も落ちていないからな。昼間から飲むのはこの祭りでは当たり前ということもある」
黒の長ズボンにグレーのシャツの袖を捲りながらこたえる。日本よりは過ごしやすいが、それでも暑いことに変わりはない。
会話をしながら0.2Lの試し飲み用のジョッキを買い、歩きだす。日本では飲酒は20歳になってからではあるが、ドイツでは、16歳になれば強くない酒なら飲めるのだ。カクテルやウイスキーなどの強い酒は、18歳になってからと決められている。
「お、そこの別嬪さんたち!どうだい、飲んでくかい!?」
ビールスタンドのおじさんが声をかけてくる。私は顔が複雑に歪むのを抑えきれず、ラウラを見れば笑っていた。
「私、男なんですけれど」
「……っと!いや、美人さんに見えたからよ。悪い。代わりに一杯ただにしてやるから、許してくれ!」
驚きはしたものの、心の底から悪いとは思わず、むしろその間違いを楽しんでいるかのように笑いながら言うおじさん。まあ、怒っているわけではなく、慣れているから良いのだが。
「彼女の分ももらえますか?」
「ああ、いいぜ。持っていきな!そのかわり、美味かったらうちの宣伝してくれよ!」
ビールをもらった隣の屋台で小さなピクルスを買って、設置された机に2人向き合って座る。
「「乾杯!!」」
んくっ、んくっ、と喉を鳴らす。キンキンに冷えたビールが、昔間違えて飲んだ時のものと同じものだと思えないほど美味しい。
「「ぷはぁっ!!」」
同時に息を吐いたことがおかしくて笑いあって、ピクルスに手を伸ばす。
「しかし、お前はどこででも女に間違われるな」
「女のように見えるのは自覚しているが、そんなに男に見えないのか?」
「身長と体格をしっかりと見れば、間違えはしないと思うぞ。女っぽい男に見える」
「それでも女っぽいのか……」
「はははっ、今日は皆酔っているからな。これから何度も間違われるかもしれないぞ?」
「いっそ女で通すか……?」
「ほう、それでは何だ。私たちはレズビアンか?」
「ははっ、そうなるな」
こんなどうでも良いような話をしながら日没を待つ。ビアフェスタは昼でも十分活気に溢れているが、夜の方がより騒がしいのだ。ここでの騒がしいはうるさいというわけではない。楽しい騒がしさだ。
ピクルスを食べきってから席を立ち、またふらふらと歩き始めた。夕焼けに染まる通りを歩く人々とすれ違う。赤くなった頰は、果たして酔っているためか、夕焼けのためか。輝くような笑顔を浮かべてチキンを頬張る子供と、その様子を温かく見守る親。アジア系の観光客。飲み過ぎで倒れ、恋人と思われる女性に介抱される、だらしない男。この大きな酒場では、近年の女尊男卑の風潮など感じられず、老若男女問わずビールを楽しんでいた。
「よお!楽しんでるか!!」
と、後ろから肩を組まれ、30歳前後ほどの酒臭い男に絡まれることも度々あった。その時は必ず、
「もちろん!楽しんでますよ!!ほら、乾杯!!」
なんて言ってジョッキをゴツンッと合わせて飲めば、あとは手を振って別れるだけだ。ラウラも何度か絡まれていたが、同じように対処していた。
私とラウラが4杯目を飲み終えた頃。視界が少し暗くなっていたことに気づいた。ふと空を見上げれば、空には輝く月がある。夜が始まったのだ。私たちは、まだ2.2kmのうち1kmも進めていない。かなり遅いペースで歩いて飲んでいたためだろう。しかし、楽しいから良しとする。
……少し酔ってきたか?
運良く数あるビールスタンドの中で水をくれる人に出会い、ボトルで2本買うことができた。休憩も兼ねてベンチに並んで座り、往来を眺める。5分ほどじっとしていると、徐々に酔いが覚めてきたような気がする。もともと酔っていたかもわからないが。
「酔いはどうだ?」
「まだいける。フェルトも大丈夫そうだな」
「どうやら酒には強い方だったみたいだな」
「それにしても美味いな。昔は飲めたものではなかったが、癖になりそうだ」
「日本に戻れば飲めないぞ」
「なら、今のうちに飲んでおかねばな。いくぞ、ついて来い!」
勢いよく立ち上がったラウラは、私の手を掴んで走り出した。いつものラウラからは想像もできない幼子のような笑顔から、かなり酔っているのではないかと心配になる。しかし、私も正直まだ飲みたかったため、止めずに走った。
それからは飲んで食べての繰り返しだった。とは言え、暴飲暴食というわけではない。目についたビールや食べ物を少量ずつ買い、2人で分けて食べた。
「今日はやけに飲むのですね」
「当たり前だ!3日前からあの息子が帰ってきてるんだよ!明日に会えると考えれば、酒が美味くて仕方がない!」
ようやく全体の7割ほど進んだ頃だろうか。私は8杯目、ラウラは7杯目を飲んでいるあたりで、聞き覚えのある声が聞こえてきた。もしやと思いながら近づいていく。
「うちの娘も帰ってきてますが、明日から仕事なので会えるかわからないんですよね」
「休みは取れなかったのか?」
「あの子の新装備についての話が最終段階に入ったので、そのことでハンブルクのやつらと話をしなければならないのですよ。現物はもうできているので何を言っても無駄だと何故わからないんですかね」
「あー、あいつらか。あいつら、頭固すぎるんだよ」
「いやになりますよ、本当」
その人たちを見れば、酔いなんて覚めた。覚めない方がおかしい。何故、何故今ここにこの2人がいるんだ!?
「「ブルーノ中将!?ノア大佐!?」」
「お、フェルトにラウラちゃん!お前たちも来てたのか!!」
「やあ、フェルト君、ラウラ。久しぶりだね」
この物腰が柔らかそうな男性が、ラウラの養父にしてヴィットムントハーフェン航空基地のトップ。ノア・ボーデヴィッヒ空軍大佐である。非常に優しく部下思いの良い人だ。過去に国籍不明の推定第二世代ISに作戦行動後に襲われたことがあり、ユーロファイタータイフーン戦闘機で無傷で生還するだけでなく、逃げる際に、搭載された27mmリボルバーカノンで数十発撃ち込み、加えて空対空ミサイル3発を直撃させたエース中のエース。現在第一線からは退いているものの、並みのパイロットでは手も足も出ないとか。本人は昔の話だと言っているが、この人なら今すぐ現役に復帰しても活躍できる気がする。
「おい、良かったなノア。愛娘に会えてよ」
「ええ。ですが、2人は何故ここに?……いや、もう16歳だったね」
「ほう。なら、お前らもう飲んでるのか?」
「え、ええ。7.8杯ほど」
「その様子だとまだいけるな?よし、ちょっと待ってろ」
そう言ってブルーノ中将は席を立ち、人混みに消えていった。恐らく酒を買ってくるのだろう。既に2200を回っているため、明日に響かないか少し不安である。
「最後に会ったのはラウラが代表候補生に選ばれた時だから、2月の終わりだったね。最近はどうだい?」
「問題はない。仕事もしっかりしているし、学園生活も楽しいから」
「そうか。なら、良かった」
ふわりと笑うノア大佐。これだけ見ていると優しいお兄さんにしか見えない。これで40手前だというのだから、驚きである。
「ところで、さっきの話はどういうことだ?私の新装備とかなんとか」
「ああ、聞こえてたのか。そのままの意味だよ。レーゲンの武装がワイヤーブレードと手刀、リボルバーカノン、AICだけだと心もとないと思ってね。ハンブルクの研究所に言って作らせてもらったんだ」
「作らせてもらった?作ってもらったではなく?」
「ブルーノ中将の影響下にある工場の中には、僕がお世話になったものもあってね。頼んだら快く引き受けてくれたよ」
「よっと、買ってきたぜ」
ここで、ブルーノ中将が帰ってきた。
ドンッと大きな音を立てて机に置かれる、樽。匂いからしてビールだろう。それが大量に入った樽。いったいどのビールスタンドが扱っていたんだ?
「初酒祝いだ。遠慮せず飲め!」
「……多過ぎないか、父さん」
「大丈夫だ。ここにいる全員に振る舞うつもりだからな」
厳つい顔でニカッと笑う。話を聞いた人たちが次々と樽に群がり、いいのか?と聞いてからビールを飲んでいった。
それからはパーティだ。騒いで飲んで、そこらで買ったラム肉の丸焼きやらピクルスやらを食べて、歌って飲んで、また飲んで。樽のビールが無くなって、遂に終わるかと思った瞬間に、ノア大佐が樽を追加して更にヒートアップした。いつの間に買ったんだ。
時間を忘れた人々の宴。その空気は、不思議と嫌ではなかった。
今日という日はとうに終わり、明日になってしばらく経った頃。宴はあの後、もう1樽飲み干してお開きとなった。
未だ活気を失わない通りを抜けて、私たちは帰路につく。私とラウラ、ブルーノ中将とノア大佐が並んで歩く。ブルーノ中将とノア大佐はホテルを取ってあるらしい。
「いやあ、飲んだ飲んだ」
「久しぶりにあんなに騒ぎましたね」
「いつもは仕事も立場もあるからな。そうだ、バーデン=ヴュルテンベルクでもやるか。その時は呼ぶぞ」
「ありがとうございます。時間があれば行きますね」
前を歩く2人の会話を聞いて私たちが思うことは、
「「もう樽はやめてくれ……」」
これに尽きる。というか、私たちは12杯で気持ち悪くなってきたから飲むのをやめたのに、あの2人は何故私たちの倍以上飲んでけろっとしているのか。いったいどんな肝臓持ってるんだよ。
ボフッ
「「うあーー……」」
シャワーを浴びてから、同じベッドに倒れこむ。なんだろう、この既視感。
「飲み過ぎた……」
「ぼーっとする……」
多少寝たとはいえ、徹夜明けの体にこれはきつ過ぎる。後からやってきた、頭が内側をぐりぐり押されているみたいな痛み。酒が何故日本で20歳まで禁止されているのかが、なんとなくわかった気がする。
この頭痛が明日も続くのかという不安を抱えながらも、私たちは意識を手放した。